新潟県庁における旅費・食糧費不適正支出問題に対する県議会での追求
<簡単な経緯>
全国的に問題となっている自治体の旅費・食糧費問題で、これまでも新潟市民オン
ブズマンなどが追求してきたが新潟県も96年10月に全庁調査を実施、94年から96年
で1億円余の「不適正支出」があったことを報告した。だが、これはきわめて不十分
な調査であったため「オンブズマン」始め各方面から厳しい批判がおこなわれていた。
共産、社民、市民新党の「全庁調査以外にも不正はあるのではないか」「これが全
てであるとする根拠は何か」との質問に知事は「根拠となる資料は明らかにできな
い」「せいいっぱいの調査」と答え、市民新党にいがたの武田貞彦県議の「不正はど
のような実態だったのか」「金をプールして一括管理していたのではないか」との質
問にも県幹部は「『不正』といっても、余ったお金をワープロなどの備品購入にあて
ただけ」と答弁していた。
その後、この96年10月の全庁調査以外の不適正支出があったことが判明したた
め、県は民間「有識者」なども加えた調査機関を設置、外部調査を実施することとし
た。97年11月末、その結果が明らかになった。これによれば不正額は実に9億円以上
にも登り、実態も上記の「答弁」のようなものではなく、官官接待や職員同士の飲み
食いへの流用、武田県議の指摘通り各課でプールし運用していたことなどが明らかに
なった。この報告書は新潟県のホームペー
ジで閲覧・入手できる。
これを受けて97年12月、知事は県民に「おわび」するとともに自らを含む幹部の
減給などの処分を発表した。
しかし県民の怒りはおさまらず、連日県への抗議電話が鳴り響き、97年12月県議
会でも数多くの議員がこの問題を取り上げた。その中で12月10日におこなわれた連
合委員会での武田県議の質問は、「県政はじまって以来」(議会関係者)「今県議会
で最大のハイライト」(新潟日報)「議場涌く」「激しい追求」(マスコミ各社)と
表される場面となった。
<武田質問の概要と意義>
武田は、まず県職員が出張の際の自己負担分などを捻出したり実態に合わない支給
基準があることと、これらを組織的にプールして官官接待や職員同士の飲食にあてて
いたことを同列に扱うべきではないと押さえた上で、自ら先の議会で質問した「他に
不正があるのではないか」「各課でプールしていたのではないか」という突きつけに
県幹部が「そのような実態はない」と答弁しことに対して、外部調査によりこれら答
弁が全くの誤りであったことをとりあげ、「では誰がうそをついていたのか」と県幹
部を追求した。
外部調査の報告書では「各課の課長補佐などが(不正)資金・通帳を管理」などと
明記してあるため、長年県職員を務め要職を歴任してきた副知事を始め各部長など県
幹部がそうした実態を知らないわけがない。武田はそうした思いから、議場執行部席
に登壇している県幹部ひとりひとりに「そのような実態を知っていたのではないか、
正直に答えて欲しい」と迫り、「結局、自分たちはきれいなままで、嘘をついていた
のは部下達である、とシラを切るのか? この答弁を全庁の職員達が聞いている。不
正を明らかにして県庁全体で再出発しようと言うときに、この問に自分のボス達がど
う答弁するのか、注視しているのだ。やっぱり嘘をつくことから再出発するのか、そ
れとも真実を明らかにすることから出発するのか、極めて重大な一瞬なのだ。」と激
しく追求し、ひとりひとりを立たせて答弁させた。連合委員会の委員長が「そこまで
ひとりひとり追求しなくとも」と制止しようとしたが、「副知事は知らないと言って
いる。知っていた人は一人もいないのか? この外部調査の報告書でも、このような
悪しき慣行はかなり以前からおこなわれていたと推測される、と明記してある。かな
り以前から職場の中で一般的におこなわれていた慣行を、それぞれ要職を歴任してき
た皆さんが本当に知らなかったのか? 知っていて、前回の内部調査ではそうした実
態を隠すためにおこなったのではないか?。ひとりひとりに聞かなければ、私の質問
は成り立たない!」と反論し、ついに幹部全員が武田の質問に答える形になった。こ
のような事態は「県政史上初めて」で、自民党の一部からも「もっとやれ!」という
野次も飛び、議場も沸き立った。後に共産党議員をして「今県議会最高の見せ場」と
言わしめ、自民党議員も握手を求めてきたほどの迫力で、当日夕方のニュース、翌日
の朝刊にも大きく取り上げられた。
知事始め幹部の「責任者の処罰」が単に「監督不行届」的な意味あいで語られ、全
て悪いのは一般職員であるかのようなニュアンスで受けとめられがちだった(もちろ
ん、悪い人達もいっぱいいる)「不適正支出問題」のイメージを、この質問は根本か
ら転換させ、幹部達の組織的・個人的な責任をあらためて浮き上がらせる役割を果た
すことになった。翌日からの常任委員会でも各議員が各部長・課長などに「ではあな
たは知っていたのか、知らなかったのか」と「武田方式」で追求する場面が相次ぎ、
その中で総務部長は「状況から推測できたこと」というところまで踏み込んだ答弁を
おこなったのである。
武田本人の報告記は武田貞彦議会レポートに掲載しました!
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