イージス艦新潟港入港問題Q&A

新潟港にイージス艦「レイクエリー」が入港してきます。「緑・にいがた」では、この問題で急遽Q&Aを作成しましたのでアップします。

随時更新・加筆・修正していきますので、また見に来てください。

2004年10月8日
(最終更新:10月11日)


Q.「イージス艦」はどういう軍艦ですか?

A.イージス艦はミサイル巡洋艦のひとつで、空母などを中心とする艦隊への敵からの攻撃に対し対応するために開発された戦闘艦です。巨大なレーダーにより、360度方向の対空・対水上・対水中からの10以上の多数の目標を同時に探知・追跡し、さらに意思決定システムにより敵味方、脅威を判断し、最適防御兵器を割り当て、兵器の管制、誘導が可能な超高性能の防空システムを持っている戦闘艦で、ピンポイント攻撃が可能な巡航ミサイル「トマホーク」も装備している艦も少なくありません。

 アメリカの新しい軍事戦略の中では、敵国から日本やアメリカへ発射されるミサイルを早期に打ち落とすミサイル防衛(MD)計画の中にも組み込まれています。


Q.「防衛」のためなら、北朝鮮のミサイルなどから守ってくれるので歓迎すべきではないですか?

A.確かに、朝鮮半島や日本海の軍事的緊張は高まっているといわなければなりません。北朝鮮による「拉致問題」は国家的な犯罪です。国民が窮乏しながら軍拡や国際社会との対決路線を進める北朝鮮の軍事優先主義や独裁体制についても、非難されるべきです。

 しかし、その「脅威」から「日本を守る」と言っているアメリカは、今まで何をしてきたでしょうか?

 イラクへの攻撃の大義とされた「大量破壊兵器」の存在はついに最終的に完全に否定されました。また、国際合意に基づかないイラク侵略を、国連のアナン事務総長は「違法行為」と明確に非難しています。
 現在、世界中で国際法や国際世論を無視して相手国にミサイル攻撃をおこなっている国は、唯一の超大国アメリカだけです。アメリカこそ、「ならず者国家」と言えるでしょう。
 「ミサイル防衛」が必要なのは、むしろアメリカ以外の国、ということになってしまうかもしれません。


 今回新潟港に入港する「レイクエリー」は、ハワイのパールハーバーを母港とし、迎撃用ミサイルSM-3の発射実験を何度か成功させています。しかし、「実験に成功」したことが大々的なニュースになるくらい、実はこの迎撃システム自体の能力が、まだ実戦での信頼に耐え得るものではないのです。
 アメリカ会計検査院(GAO)の最新レポート(2004年3月)でも、これらイージス艦を含めたミサイル防衛実験について、「実戦に即した実験とは言えず、今後も検証が必要」という趣旨の明確な認識を示しています。
 80年代から配備されてすでに20年も経過するのに、「実際防衛できるかどうか不安」というのが実態なのです。ハリネズミのように武装し、近づく敵をかたっぱしから自動制御で撃ち落す−その過剰で危険なシステムの実態を物語る事故もおきています。88年、中東で展開中の米軍のイージス艦「ビンセンス」(前回入港予定だった「カウペンス」や今回入港の「レイクエリー」と同型艦)が、イランの民間航空旅客機を敵機と間違えて誤って誤射、数百人の命が奪われたのです。
 結局、この「防衛システム」は、模擬弾を撃ち落した実験以外では民間人数百人の命を一瞬のうちに奪ってしまったという
事実しか残さなかったのです。

 そして「迎撃」や「防衛」を名目に80年代末から配備されたイージス艦は、敵国からの攻撃への防御に使われたことは、結局のところわれわれが知る限りありません。それどころか、一貫して攻撃のために使われています。昨年のイラク攻撃でも、8月に新潟へ来る予定だった「カウペンス」が、先制第1撃として数十発のトマホークを発射しています。

 先日新聞にも報道されていましたが、アメリカや日本が進めている「ミサイル防衛構想」を、国内外の軍事関連産業は冷え込んだ売上の回復のために「歓迎」しているとのことです。人殺しの兵器や武器産業の利益回復や経済発展のために、「軍事的緊張」が意図的に作り出されているという側面も、無視できません。

 このミサイル防衛構想と、そのもとでのイージス艦配備は、日本やアジアの平和や安定とは無縁であり、アメリカ自身の軍事戦略や日米の軍産複合体の利益のためという側面が極めて強いと言わざるを得ません。


Q.なぜ米軍はイージス艦の日本海側の拠点のひとつとして新潟を狙っているのでしょうか?

A.まず、新潟港は全国20数箇所の特定重要港湾のひとつであり、軍艦を含む艦船を収容する充分な施設や能力があります。われわれが米軍艦船の諸データと新潟西港・東港の埠頭や岸壁の収容能力を比較して検証したデータ(詳細はお問い合わせください)によれば、東港を使用すれば米軍艦船のうち大型空母などを除けばほとんどを収容可能です。

 また、朝鮮半島を射程に入れながら、必要に応じて太平洋側へ回ることを考えても、地政学的に有利という側面もあるかもしれません。

 次に、重要な要素のひとつとして、新潟港には海上自衛隊の基地(舞鶴基地分遣隊)があり、有事のみならず平時においても、さまざまな点で自衛隊からの軍事的な連携やサポートを容易に受けることが可能という点も大きいと思います。また、同様に海上自衛隊基地だけでなく、空港には航空自衛隊新潟救難隊があり、これはもともと日本海有事を想定した部隊です。
 新潟市内にも陸上自衛隊新潟地方連絡所があり、少し距離は離れますが新発田や高田にも陸上自衛隊の普通科連隊があるなど、軍事的条件は他の日本海側都市に比べて比較的「優位」であると言えます。
 こうした周辺の豊富な軍事連携施設は、隣の特定重要港湾である富山港には無い特徴です。

さらに、艦に乗船した兵士のサポートという点で考えても、日本海側唯一の政令市を目指す新潟市の歓楽街と、全国的レベルと規模を誇る医療体制(新潟大学医学部病院やガンセンターなど)も、非常に重要な要素であると言え、これらの施設の能力は下記の米軍資料にも詳細に分析されています。

新潟港のこれら重要性を物語るように、米軍はすでに日本国内の約30箇所弱の港湾施設を綿密に調査しており、「港湾案内(Port derectory)」という報告書にまとめています。

この報告書には、新潟港の正確な緯度・経度、位置、埠頭・桟橋のサイズと着岸できる船の大きさ、油や水の補給、設備、修理設備(「新潟鉄工」と「佐渡汽船」の名前があがっている)、艦船収容能力(「巡洋艦が余裕を持って入港できる」と明記)、港湾労働者の勤務時間、埠頭からの交通アクセス、新潟県の案内(自然、歴史、主要都市などを記載)、医療情報(近接した民間病院施設として新潟大学付属病院とガンセンターがあげられ、そのうち新大病院はベッド数690床と明記され、「両施設とも良好な設備とスタッフがそろっており、全ての医学的・外科的専門分野を扱う」と書かれている)、麻薬や売春に関する情報(「ハード・ソフトの麻薬が入手可能。売春は法律で禁止されており、見つけるのは困難」)などが明らかにされ、米軍によって新潟港と周辺施設、風俗習慣まで調べ上げられていることがわかります(正確な資料が欲しい方は緑・にいがたまで連絡ください。nnpp@jca.apc.orgです)。


Q.県は入港を拒否できるのですか?

A.難しい問題であり、港湾管理者である自治体が入港を拒否できるかどうかについては議論があります。

 まず、米軍艦船が日本の港に入港できているのは、安保条約や地位協定などによる「特権事項」や「超法規的措置」ではありません。港湾施設の使用の許可にあたって相手を差別してはならないという国際海洋条約や港湾法の理念に基づく手続です。

 その上で、新潟港の港湾管理権は県にあり、政府は「有事の際でも民間港の使用は港湾管理者の許可が必要」と説明しており、したがって、平時においてはなお自治体の管理権が自立的に機能する、というのが、私たちや「自治体の平和力」を主張する各地のグループの立場です。

 しかし、この「許可」は、自治体の「好き勝手」で決めていいものでないことも言うまでもありません。事の是非はともかくとして、少なくない県民が「入ってきて欲しくない」と思っている万景峰号の入港を、県知事も不快感を示しているにも関わらず、自治体の事務としては入港許可せざるを得ないということからも示されている通り、上記のように、国際海洋条約等により、埠頭が空いていれば船の入港を差別してはならないという国際的な原則があるのです。

 これはある意味でむしろ理にかなったことでもあり、その時々の政治的な好き嫌いで入港許可業務が行なわれたのでは、むしろ管理権の濫用となる危険性さえある、と私たちは考えています。

 この点で、多くの平和団体が求めている「日本海を平和の海に、という立場から入港を拒否せよ」とか「新潟港の軍事使用をもくろんだものだから、入港を拒否せよ」という主張は、少し単純すぎる論理であると思っています。

 その点で、私たちは伝統的な平和運動団体とは少し立場を異にしています。

 その上で、県の港湾管理条例などにもある通り、「知事は、港湾施設の保全又は機能の確保のため必要があると認めるときは、その施設の使用を禁止し、若しくは制限し、又は貨物の取扱いを制限し、若しくは撤去を命ずることができる」となっていることから、合理的な根拠があれば埠頭の使用を不許可にすることは可能だ、というふうに私たちは考えています。その「根拠」の合理性・客観性を揃えることによって、私たちは法や条例やその手続に則った入港規制を求めることもできると思います。



Q.その具体的な方法はどう考えていますか?

A.まず、上記のように港湾管理条例は入港の不許可の場合がありうることも想定しており、米軍艦船が「港湾施設の保全または機能」の確保のために問題があることを明確にできれば、論理的には不許可にすることも可能です。

 現在の港湾の入港許可手続きでは、荷揚げをしない限り積載品についてはノーチェック、すなわち戦闘艦の場合は核兵器や爆弾がどんなに大量に積まれていてもお咎め無し、ということになってしまいます。
 「荷揚のない艦船の積載物は特にチェックしない」という一般的な港湾管理の原則は、もともと民間商船を想定したもので、武器・弾薬・爆弾を満載し、核兵器搭載の可能制すらある戦闘艦までをあらかじめ想定されて定められたものではないはずです。港湾施設や管理者、その周辺の市民・県民にとっては無関心で入られない問題です。

 そこで、港湾管理規則の「許可に当たって必要な書類を求めることができる」という条項を活用し、米軍艦船積載の武器弾薬等の種類・量を明らかにさせるべきだと、私たちは考えています。

 ちなみに神戸市では、市の「非核平和条例」に基づき、神戸港に入港する軍事艦船に対し、「非核証明書」の提出を義務づけています。

 その結果、米軍艦船は現在神戸港には入港していません。その理由は、神戸市が「入港不許可」しているわけではなく、神戸市が求めている「非核証明」を米軍は提出したくないので、米軍の方で入港を避けているということなのです。
 これは、米軍といえども、日米安保や地位協定があっても、米軍艦船の入港が超法規的措置ではなく、日本の国内法例に則った手続で行なわれている証拠でもあります。

 そこで、各地でもこの「神戸方式」にならおうという試みも行なわれています。

 しかし現在、米軍は世界的な核軍縮体制のもとで「洋上核」(潜水艦などを除く水上戦闘艦搭載の核兵器)を撤去していることになっており、核の有無のみを攻防点とし続けるのは、今後は難しいかもしれません。

 そもそもなぜ核兵器が問題かと言えば、大量虐殺兵器の運用に日本が直接間接に関わるべきではないことと、日本国民の安全を守るということでしょう。武器や兵器が多様化している現在、核兵器だけが問題ではなく、上記のように、武器や弾薬・爆弾等の種類と量、特に劣化ウラン弾など放射性兵器の搭載状況などを、最低限、相手側に質さなければなりません。

 そのことによって、神戸港のような状況を作り出せるかもしれません。それが、神戸方式の今日的な活用につながるのではないか、と私たちは考えています。



Q.イージス艦が日常的に出入港することになると、どんなことが予想されると考えられますか。

A.それを考えるのに、少し古いものですが、示唆に富むエピソードが先の大戦末期の新潟にあります。

このイージス艦問題の渦中にある新潟港は、戦前も商業港でした。したがって軍港を抱える都市や交通の要所などとは異なり、大戦の終わるその年の春まで、新潟は幸いにも比較的平穏な市民生活が続いていました。

しかし、新潟市がまとめた「戦場としての新潟」(1998年、新潟歴史双書シリーズ2)という書物によれば、終戦の年、新潟港と新潟市の状況は大きく変わることになりました。

太平洋戦争の戦況の悪化とともに、1942(昭和17)年、危険な太平洋ルートを避けるため、国は新潟港の港湾機能の増強を命じ、新潟港は国内の工業地帯で消費する石炭などの物資の荷揚げ・集積地として位置付けられました。さらに45(昭和20)年、米軍は沖縄、硫黄島など重要拠点を次々攻撃・占領し、日本の周辺海域を次第に制圧していきました。太平洋側の主要港が攻撃に晒され、国外からの資源を国内に持ち込むのは狭い日本海ルートしかなくなり、「本土決戦」に備え、中国大陸から大量の軍事・民生物資を集積するために、新潟港の重要性はますます増大することになったのです。

こうした動きに米軍がだまっているはずはありませんでした。新潟港は重要な軍事目標となり、執拗な攻撃に晒されました。新潟市の資料によれば、新潟港には45年5月以降、合計12回、約800個弱の機雷が米軍機から投下され、わかっているだけで計43隻の船が触雷、その多くが大破・沈没しています。米軍艦載機による銃爆撃が港や船舶、現在の西堀通など市街地に加えられ、例えば8月10日の1日だけで最大47名、これを前後して5月から終戦までのわずか3カ月ほどで計約130名(そのうち民間人は100名を越える)が命を落としています。その中には鉄工所などに勤労動員中、触雷によって亡くなった生徒12名も含まれています。

 港に機雷や銃爆撃が加えられただけではありませんでした。
 米軍の当事の原爆関連文書に、新潟のことが書かれています。「新潟は、建設機器、ディーゼル・エンジン等の重要な工業都市であり、また大陸への船舶輸送の中枢港」とされ、新潟を含めた「これら四都市には、破壊された主要都市から避難してきた大勢の重要な日本の実業家や政治家が含まれている」とも分析されています。

そしてポツダム宣言が公表される前日の7月25日、ついに下された「原爆投下指令書」には、「1945年8月3日頃以降、広島・小倉・新潟・長崎のひとつに最初の特殊爆弾を投下せよ」とあり、本土決戦を叫ぶ日本の息の根を最終的に止めるために、新潟は最後の投下目標地のひとつとして、はっきりと明記されることになったのです。

「軍都」「軍港」ではなかった新潟も、役割の変化によって重要な軍事施設として位置付けられ、機雷封鎖や銃爆撃によって多くの船舶が沈められ、100名以上の人が短期間のうちに命を落とし、そして原爆の投下目標地にさえなったのです。当日の天候やタイミングが異なれば、広島や長崎の悲劇は、新潟で起こったそれだったのです。

ましてや今日、強力な軍事艦船が配備されることがどんな危険をもたらすか、想像に難くはありません。


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