1937年の旧暦11月(新暦の12月)日本兵がやってくるといううわさが飛び交って、村のほとんどの人々はどこかへ逃げだした。父はやっと蘇州から家に帰って来たが、近隣に頼る当てにできる親戚もないので村に残ることになった。最初に来た7人ほどの日本兵は煙草を求めたが「ない」と返事をすると不思議なことに「また部隊が来るから、逃げろ。」という。2時間くらいして私が庭で遊んでいると、5人の日本兵がやってきた。剣付きの銃をかまえていた。父方の祖父も便所を済ませた所を見つかり突き刺され、「日本兵が来た!」と私は叫んでいた。隠れる所もなく竈近くに大豆の殻の焚きつけが積んでありそこに身を隠した。一人のお婆さんが目の前で首を2回刺されて殺された。
日本兵が去った後、中二階に隠れていた母や村人17人が湯山道にある小さな寺を目指して避難しようとした。にげる途中の道で、母は抱っこしていた数え年3歳の妹を「赤ちゃんは泣くのでその子を捨てなさい日本兵に見つかる。」と年配の人に奪われ水の中に沈められた。父と祖父、従兄が殺され、妹も死に至った。父の屍は簡単に穴に埋めただけで、妹はその辺に捨てられた。家族は食べられず、その後は一家離散した。(略)
湯山村民虐殺の生存者証言―潘巧英さん
