2.「宮本省吾」陣中日記


〔十二月〕十六日
 警戒の厳重は益々加はりそれでも〔午〕前十時に第二中隊と衛兵を交代し一安心す、しかし其れも疎(束)の間で午食事中俄に火災起り非常なる騒ぎとなり三分の一程延焼す、午后三時大隊は最後の取るべき手段を決し、捕慮(虜)兵約三千を揚子江岸に引率し之を射殺す、戦場ならでは出来ず又見れぬ光景である。
〔十二月〕十七日(小雪)
 本日は一部は南京入城式に参加、大部は捕慮(虜)兵の処分に任ず、小官は八時半出発南京に行軍、午后晴れの南京入城式に参加、壮(荘)厳なる史的光景を見(目)のあたり見る事が出来た。
 夕方漸く帰り直ちに捕虜兵の処分に加はり出発す、二万以上の事とて終に大失態に会い友軍にも多数死傷者を出してしまった。
 中隊死者一傷者二に達す。
〔十二月〕十八日、曇
 昨日来の出来事にて暁方漸く寝に付(就)く、起床する間もなく昼食をとる様である。
 午后敵死体の方(片)付をなす、暗くなるも終わらず、明日又なす事にして引上ぐ、風寒し。
〔十二月〕十九日
 昨日に引き続き早朝より死体の処分に従事す、午后四時迄かゝる。
 夕方又捕虜の衣類の始末につき火災起こる、少しで宿舎に延焼せんとしたが引留む事が出来た、明日は愈々渡河の予定にて兵は其の準備に晩く迄かゝる、牛肉の油上(揚)迄作り、米、味噌の久しぶりの配給、明日の食料の準備をなす、風寒く揚子江畔も漸く冬らしくなる。