「人権と教育」月刊307号(1999.6.20)
中国紀行印象記・2

南京大虐殺記念館

津田道夫


南京大虐殺記念館(中国名称、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館)は、 南京城外、莫愁湖の南西、江東門にある。 面積2万8千平方メートル、建築面積3千平方メートル、 1985年、 日本侵略軍によって虐殺された中国人同胞をしのぶため南京人民によって建てられた。 この場所は、集団虐殺による屍体が埋葬された遺跡であり、そのことで、 遭難した中国軍民の墓地にもなっている。
記念館の建物は、灰色の大理石で築きあげられ、堂々としていて荘重、 慎み深く穏やかにさえ見える。 南京市民の鎮魂の気持ちの表現なのであろう。 全体は広場陳列、遺骨陳列、史料陳列からなっているが、 私たちが訪問した当日(99・4・21)、 ちょうど東史郎関係資料の展示がやられていて、 ゆっくり見学している遑(いとま)とてなく、 私は広場陳列のモニュメント群を眺めて或る感慨にひたるのと併せて、 史料陳列の一部(主に写真)を参観することができただけだった。
主広場に入ると、まず建物正面の佇まいに圧倒されるが、そのまん前には、 斬り落とされた首の彫刻がすえられ、それがカッと眼を見開いており、 向かって左側には生き埋めにされたと覚しき人の腕が 大地からニュッと突き出ている。 その手前、広場入口を入ったところには、 「1937.12.13−1938.1」の標識がたち、 少し離れて3本の3角柱と、それにあしらわれるかたちで、 5つの輪が組み合わさったモニュメント(1面、参照)が聳立する。 3本の柱と5つの輪(ゼロ)で、虐殺者数30万を寓意させているのであろう。

いま虐殺者数30万と書いた。 勿論、大部分は、中国軍俘虜ないし俘虜と疑われた一般市民が、 老若男女にかかわらず、集団的に機銃掃射その他で殺戮されたのである。 そして、集団虐殺の現場には、いま「遇難同胞紀念碑」が建てられ、 今日までのところそれが15箇所に及ぶ。 なお、発掘調査がすすめば、30万という虐殺者数の概数はふえる可能性もある。
だが一言で俘虜集団殺害といっても、 それは単純に機銃掃射で殺したというだけのものではない。 俘虜ないし無辜の農民を木ないし柱様のものにしばりつけ、 新兵訓練用に刺殺させるとか、「据え物斬り」といって、 後ろ手にしばりあげて座らせ、 その背後から日本刀で首を斬り落とすとかの残虐行為で、 それは際立っていた。 しかも、これは南京だけのことではない。 広く中国の戦場で一般であった。 とくに新任将校は、部下の前で、 この「据え物斬り」を見事演じてみせなければならなかったらしい。 「たとえ、人格、識見に劣る所があっても ニヒルに殺せる将校ほど『頼り得べき指揮官』」) (鵜野晋太郎『菊と日本刀』上巻)として認められたという証言もある。 だいいち、「据え物斬り」などという語彙が日本軍将兵の間に膾炙し、 誰人も疑わぬ日常の行為として中国の戦場で荒れ狂っていたなどということじたいに、 日本軍将兵の精神の病患の深刻さを思わないではいられない。 右下の写真は、多くの日本軍将兵の見まもるなか、この「据え物斬り」がやられ、 日本刀がふりおろされて一人の中国人の首がまさに胴体から斬り離された瞬間を とらえていて慄然たるものがある。 北京の呉廣義氏から贈られた『南京大屠殺図証』(吉林人民出版社) から転載させていただいた。

だが、中国人大衆をもっとも憤激させたのは酸鼻をきわめた大量強姦、輪姦、 強姦=殺害、屍体凌辱以外にない。 それは、中国人女性を凌辱し、ふるえおののかせるのと併せて、 中国人男性に対する最大の侮辱ともなりえた。 たまたま私が参観することをえた「史料陳列」館の一隅に、 この強姦ないし強姦=殺害を証しだてる写真の陳列があったが、 そこには中文、日文、英文で、 こんな風な解説がかかげられていた(仮名遣いなどママ)。
《日本軍はまったく人間性を喪失してしまい、 少しもはぱかることなく女性を強姦・輪姦した。 幼女からろうぱまで、 はなはだしきにいたっては妊婦さえも免れることはできなかった。 数多くの女性は暴行されたのちまたむざんにも殺害された。 日本軍が南京を占領して1か月の間に、2万回以上もの強姦事件が発生した。 その時、南京にいた外国の人たちが日本軍のことを 「きん獣の群れ」といったのである。》
左は、私が撮影して来た一葉である。 こういう写真を、平時この月刊『人権と教育』にかかげるのに、 私には初めためらいもあった。 あまり猟奇的とか嗜虐趣向とかの謗りを受けるのではないかと懼れれたからである。 しかし考えてみれば、これは南京大虐殺記念館に展示され、南京市民が−−否、 一般中国人が−−いつでも見られるものなのだ。 「不忘前事、後事之師」の観点から、 中国では青少年の歴史教育のための参観もやられている。 勿論、日本からも多くの参観者が、ここを訪問している。 加害者、日本国民の一員として、 我びとともに目をそむけることは許されないと思うのだ。 そのためにこそ私は、カメラにおさめてきた。
ご覧願いたい。 ”輪姦の後、殺害された女性”とキャプションのあるこの写真では腹を割かれ、 内臓がとび出している。 少し開き加減の足。 左足の先のほうにはズボンと覚しきものがからまりついている。
この一葉は、性獣と化した日本侵略軍兵士について、 その総てを語り尽くして余すどころかない。

なお、東の『東史郎日記』の出版記念会の折、 私の右隣に日本から同行した在日中国人の林伯耀がいたが、 彼が耳うちしてくれるには、その更に右にいた2人の老女性は、 ともに日本兵の性暴力の被害者だという。 林伯耀が、私のメモに書いてくれたところでは、李秀英、夏叔琴の2人。 前者は、19歳の折、 妊娠していたが日本軍兵士の暴力に反抗して頭と体に30箇所の刺傷を負いながらも、 奇跡的に命長らえて、いま賠償請求の裁判を起して日本政府を追及している。 恥は、いまや強姦された本人の肩から、日本政府の肩へと転嫁されているのだ。 (99.5.10)


「人権と教育」編集部のご厚意により再録させて頂きました。


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