東京裁判から見た侵略・南京(2006年12月南京証言集会報告から)
粟屋憲太郎 立教大学教授

 粟屋さんは、(1)中国国民政府は南京事件を裁くためにどのような努力をしたか、(2)実際に東京裁判でどのような審判がなされたか、という2つを柱として、最近の研究として伊香俊哉氏と戸谷由真氏の論文(*)を紹介しながら、南京事件が明らかになっていった経緯をわかりやすく解説しました。以下に要旨を示します。
 中国国民政府は1941年頃から日本軍の戦争犯罪の調査を開始した。1942年、ヨーロッパではロンドンで連合国戦争犯罪国際委員会(UNWCC)が設立され、中国も国際的な動きに賛成して、重慶に極東太平洋小委員会が設けられ、これは主にB、C級の戦争犯罪を裁くことを目的とした。戦争終結後、アメリカが最も熱心に日本の戦争犯罪追及に取り組み、国際検察局(局長、ジョセフ・キーナン)ができた。中国政府は2度にわたって、日本人戦犯リストを国際検察局に送っているが、東京裁判の中国側スタッフは判事と検察官が1人ずつにすぎず、概して東京裁判への対応に熱心ではなかった。その理由はひとつには、中国側でも日本軍が犯した多くの残虐事件の調査をしたが、その責任者を特定し、裏付ける証拠、資料を収集することが困難であったことがある。また、蒋介石は“一人を罰して、衆人の戒めとする”、あるいは“恨みに報いるに徳をもってする”という寛大政策をとったことがある。そういう中で、中国政府が特に重視し、証拠や証人を集めたのが南京事件であった。
 日本の戦争犯罪を扱う上で、国際検察局が直面した困難は、日本が敗戦直後から組織的に重要書類を焼却したことによって、証拠書類の収集ができないことであった。検察局は関係者の尋問から証拠を引き出す他なかったが、南京事件に関しては、なかった、知らなかった、という証言者がほとんどであった。唯一、陸軍兵務局長であった田中隆吉少将の南京事件はあったという証言があり、検察局は田中証言を非常に重視した。中国代表チームは南京事件当時、南京国際安全区の設立に参加したアメリカ、ドイツなどの出身の大学教授、宣教師、医師、企業家など、それに虐殺の生存者など10数人を出廷させ法廷尋問を行った。それによって、@中国側の軍事抵抗がすでに終わっていたにもかかわらず、日本軍は非武装の戦闘員や一般市民に対し、虐殺、強姦、略奪、放火等の犯罪行為を行い、Aそれは南京占領後、6週間以上にわたり間断なく続き、B南京国際安全区に避難していた人たちに対しても残虐行為が行われた。そしてC日本政府の中央官僚や軍指導者は事件当初から詳細な情報を受けていた、ことが明らかになった。それに対して弁護側はあまり熱心な反証をせず、検察側主張を覆すような説得力のある陳述をすることができなかった。また、弁護側証人の尋問は松井の指揮官としての怠慢を印象づけるようなことになり、結果として、中支那方面軍司令官だった松井石根と近衛内閣の外相だった広田弘毅の2人が、「通常の戦争犯罪」と「人道に対する罪」の訴追理由により、指揮官責任(部下の残虐行為を見過ごした)を問われて死刑となった。松井と広田に対する判決は、現在、ユーゴやルワンダの戦争犯罪を裁く国際刑事裁判所においても、判例として生かされている。
 南京事件の犠牲者の数の問題は、中国側は30万人としているが、20万人に近い死者が出たと判定された。検察側の目的は非武装の兵士や一般市民が組織的に虐殺されたことが立証できれば十分であり、犠牲者の数を明らかにすることではなかったのである。
 南京事件以外にも、従軍慰安婦、強制連行、強制労働、麻薬の流通など、多くの事件があったが、関連する訴因が55もあり(ニュールンベルク裁判の訴因は4)、立証に時間がかかる上に、証拠、証人を集める困難を伴うことから、中国側検察陣は有効な証拠をあまり出すことができなかった。これらが厳密に調査され、厳格に裁かれたならば、日本人戦犯の数は何倍にも達したと推定される。中国人強制連行の責任者であった岸信介などは十分な証拠がないために訴追を逃れた例である。それにもかかわらず、東京裁判は「従軍慰安婦」問題を性奴隷制と認め訴追の可能性があった(起訴状第一次草案)、麻薬、阿片の流通まで明らかにしたことは、東京裁判の歴史的な貢献だったと言ってよい。それも復讐裁判ではなく、検察側に十分な立証責任を果たすことを要求した厳然とした司法機関であったことも認めるべきである。
 東京裁判を扱った書籍は多いが、南京事件における一般民衆に対する虐殺行為をきちんと取り上げたものは少ない。東京裁判記録は日本版と英語版の二つがあり、両者と対照しながら調べていくと相当確度の高い研究ができる(たとえば戸谷由真氏の論文)。もう一度南京事件関係資料を再検討してみることが大事である。

(*)伊香俊哉「中国国民政府の日本戦犯処罰方式の展開」
戸谷由真「東京裁判における戦争犯罪訴追と判決」
ともに笠原十九司他編、『現代歴史学と南京事件』柏書房、2006年所収

詳細は 粟屋憲太郎著 『東京裁判への道 上・下』 講談社選書メチエ を参照されたい。