「あらそいをなくすには・・・」

子ども平和会議2005を終えて
 

 8月9日(火)〜12日(金)、「あらそいを なくすには・・・」をテーマに、広島で子ども平和会議を開催しました。参加者は、子ども37名(韓国13名、在日コリアン24名、いずれも小学校高学年)、引率者8名(通訳1名含む)、リーダー9名、プロジェクト8名(内1名は広島へは不参加)、スタッフ4名(韓国2名、日本2名)、総勢65名が広島に集いました。

この会議は、2004年12月の日韓NCC協議会で日本側が提案して、日韓共同開催が決定したものです。企画した日本側は、提案までの準備として、プロジェクトを立ち上げ、2004年8月よりリーダー募集を行ってきました。

参加者募集には、大きな壁がありました。日韓協議会の共同決議にこの会議の開催が盛り込まれたものの、小泉首相の靖国神社参拝問題、竹島問題、歴史教科書問題が渦巻き、日本・在日の子どもたちの参加者を得た後も、韓国側の子どもたちの参加はぎり ぎりまで未定だったからです。最終的には、韓国側のスタッフの努力で13名の子どもたちの参加が得られた事を、感謝したいと思います。

そもそもこの平和会議は、戦争や殺りくが次々と起こる時代の中で、私たちはどのようにすれば平和を築き上げ、そして次代の子ども達にそのバトンを手渡すことができるか、NCC平和・核問題委員会が行動を模索する中で、子どもとおとなが共に学び合った「平和キャラバン」の経験から、子ども平和会議の開催が提案されました。「戦争をなくすには、友だちになればいいんだね」という子どものメッセージが企画の基となっています。その後、NCCJ全体のプログラム、また日韓NCC共同プログラムとして承認され、プロジェクトを組織して準備してきたのが、「子ども平和会議2005」です。

この会議には、2つの大きな目的がありました。
1つ目は、日・韓・在日の子どもたちが友だちになるためには、まずお互いを知ること。そのために、小学生という時期に子どもたちが出会うプログラムにすることでした。互いの歴史を知り、一緒にこれからの平和を考える会議をしようという願いが、企画の根底にありました。今回、この目的は大いに達成できたと思います。同時通訳機をつけて行った会議では、子どもたちが「あらそいをなくすには、どうすればよいか」自分の言葉でしっかりと語ってくれました。次々と手を上げてマイクを持ち発言する子どもたちの真剣なまなざしを見ながら、同席した大人たちが皆感動したほどです。小学生なので発言の中で細かな部分で歴史知識の間違いなどは少々ありましたが、大事なのは子どもたちが伝えようとしている言葉をまず受け止めて、理解しようとすること。ディレクターの平良愛香さんがそのことを心得て進行してくださったので、子どもたちも大らかに発言していました。互いに仲良くなった子どもたちは、最終日、泣きじゃくりながら別れを惜しんでいました。言葉が通じなくても、意思疎通できている子どもたちの姿は、ほほえましいものでしたし、その姿から、会を開催してよかったと確信できました。

2つ目の目的は、この企画を青年たちと共につくり上げることでした。公募、選考を経て選ばれた9名のリーダーは19歳〜24歳の青年たちです。リーダー会を重ねて、広島や日韓在日の歴史について学んでプログラム企画にのぞもうという計画でした。結果的には、4回のリーダー会と広島研修を行いましたが、日韓在日の歴史について充分な研修ができないまま本番となりました。しかしながら、本番、リーダーたちは、プロジェクトが予想していた以上にそのタレントを生かしてくれました。子どもたちと体を動かすのが得意なリーダー、看護の技術をいかして子どもたちの健康チェックを担ってくれたリーダー、物作りが得意なリーダーなど、子どもたちに寄り添うリーダーに、良きお姉さん、お兄さんのように慕う子どもたちの姿がみられました。リーダーたちは、神戸、大阪、神奈川、東京在住なので、話し合う時間をもつことが困難なため、プロジェクトをしてやきもきした時期もありましたが、本番に向けて、後半一気にその力を発揮して準備を進めてくれました。

当日は、広島現地の方々をはじめ、多くの方々にプログラムを支えていただきました。会場となった在日大韓基督教広島教会は、教会を全部開放して迎えてくださいましたし、中江洋一牧師をはじめ、女性会のみなさんにも全面的に協力いただきました。広島キリスト教社会館も宿舎としてご協力いただきました。館長代理の西嶋佳弘牧師も時間の都合をつけてプログラムに参加してくださいました。また、引率者としてプログラムに参加してくださった皆さんには、参加費をいただきながらも早朝から深夜までご協力いただきましたことをお詫びするとともに、ご奉仕くださったことを心から感謝しています。

また、財政面では、全国の教会の皆さまからの献金をお送りいただき、またカリタスジャパンからは助成金をいただき支えていただきました。ありがとうございました。

この会の開催にあたっては、韓国・在日・日本の歴史認識の違い、また広島で行うという意味の深さに、プロジェクト一同、平和をつくり出すことの難しさと苦しさを実感することになりました。
しかし、子どもたちが自分の言葉で感じたことを語り、最終日には別れる寂しさに泣きぎゃくる子や、互いの国の言葉を真似て笑顔で手を取り合う子どもたちの姿をみて、この会をやってよかったと感じています。課題は多くありますが、子どもたちが広島で出会い、体験し、持ち帰った「平和の種」を見守り育てていくことに、今後NCCは力を尽したいと思います。子どもたちは、さっそく「平和の種」を撒き始めています。子どもたちの感想文より一部抜粋して掲載いたします。
           (子ども平和会議プロジェクト 幹事 西原美香子)


NCCJより参加した子どもたちの感想より(一部抜粋)

★3日目、"あらそいをなくすには・・・"をテーマにして、みんなと話し合いました。私は広島で学んだことを身近な人でもいいから伝えて、その人が誰かにそのことを伝え・・・そんな地道なことをくりかえしくりかえしやっていけば、いつか平和がくると思いました。

 4日目、みんなとの別れの時が来てしまいました。私は「このまま時間が止まってしまえばいいのに」と思いました。教会で閉会式をして教会をはなれる時、リーダーの人達との別れがつらくて泣いてしまいました。4日間仲良くしてくれて、みなさんとてもいい人でした。バスに乗って駅へむかう時もずっと涙ぐんで一人でぐずってました。そして駅に着き、韓国の子たちとの別れ。今まで3泊4日の短い時を一緒に過ごしてとってもとっても仲良くなったのに、もう別れてしまうなんて・・・と思うと涙が目からあふれだして来て、ずっと泣いていました。韓国の子たちが見えなくなるまで泣きながら手を振りつづけました。今思えば、こんなに泣くほど別れがつらい友だちができてとてもステキなことだと思います。国と国が違っても、言葉が通じなくてもそんなことは全く関係ないと思いました。今回平和会議に出席できたことをとてもうれしく思います。

 NCCの皆さん、平和会議にたずさわる皆さん、平和会議で出会ったみんな、そして神様!どうもありがとう!!!

★全体会議がありました。全体会議はみんなで会議をすることです。そのとき、そんな意見が出たかというと、「今、日本が平和だから、平和だと思う。」「世界には、戦争をしているところがあるから、平和じゃないと思う。」などの意見が出ました。私が思うには、今、平和ではないと思います。なぜなら。世界で戦争をしている所もあるし、お金がなくて食べ物を食べられない人がいるからです。もし、本当の平和なら、戦争もなくて、食べ物を食べられない人たちがいない、そういうのが本当の「平和」だと思います。

世界が平和になるには、友だち同士共に愛し合ったら「平和」になると思います。

★「平和って何?」「戦争は何からはじまるの?」など、いろいろしつもんされ、答えたり、答えられなかったりしました。答えられなかったことをよく考え、自分の意見をもちたいと思いました。

私が一番心に残ったのは、平和の子像です。さだこさんのおりづるをみられて、本当にうれしかったです。すごく小さいつるをおるくらいに病気が治ることを思っていたのだと思いました。
今、私達にできることをやっていこうと思いました。なので、直方教会に帰って礼拝のあと、広島へ行って、考えたことやしたことを話しました。

また、来年もNCCの子ども会議があったら、絶対参加したいです。

世界中のみんなが、あたりまえに、平和だと思える世界になりますように。

★フィールドワークで行った先々で写真をとりました。でも、広島平和記念資料館では、一枚も写真をとることができませんでした。なぜなら、原子爆弾のあまりのおそろしさに、打ちのめされて、とても写真をとる気になれなかったからです。原子爆弾がいけないものだということは、広島に来る前から何となく知っていました。しかしここで見て感じたのは、想像以上のおそろしさでした。また、60年経った今でも被害が続いて、多くの人が今なお苦しんでいることを知ったことがとてもショックでした。ここで目にしたもの、聞いた事、感じた事は、一生忘れないでしょう。世界から核兵器がなくなるまで。だからここでの恐怖をたくさんの人に広められるように努力していきたいなと思っています。

★原爆で死んだのは、日本人のほか韓国の人たちもたくさんいたことを知りました。『はだしのゲン』にパクさんというおじいさんがいたことを思い出しました。韓国の人たちもたくさんいたことを聞いて、ホヨンくんたちはどう思ったのか、韓国語が話せたら聞いてみたかったです。

・・・ぼくは、もう少し大きくなったら、アルバイトをしてお金をためて、いろんな国に行ってたくさん友達になって、戦争をなくすことを働きかけたいと思いました。

★私が子ども平和会議に行って最初に思ったことは、「あー韓国の人ってとてもやさしいんだな。」 韓国の教科書には、日本のことをあまりよく書かれていないし、韓国の人たちだってたぶん日本に来るのが、とても「こわかったんじゃないかな?と思いました。なのに来てくれて、とても私たちによくせっしてくれるし、とても感動しました。

・・・私たちが、大人になったら、私がきかくして、子ども平和会議に来ていた人達をよんで、どうゆうふうに、会議など平和について考えた事がいかされたのかを発表したいな!!と思います。

 それから、この子ども平和会議を毎年やれば、平和を考える子どもが多くなってそれが平和につながるんじゃないかと思います。その時は私をリーダーとしてよんでほしいな!!

 私は家に帰ってからこんな事をしました。まず教会に行ってここで学んだ感想をみんなに発表しました。それから学校でも自由研究として発表しました。そしたら、少しだけど先生が6年生みんなで平和について考える時間をくれました。これで少しだけ平和の種まきができたかな?と思います。私は、これからも平和について考えていこうと思います。

★駅でみんなに会ってびっくりしました。普通の人間だったからです。(まぁ、普通の人間であたりまえなんですけど)で、普通に仲良くなりました。

 もう一つびっくりしたことは、韓国の子の最初の日に食べたビビンバが真紅にそまっていたことです。文字通り目が点になりました。「どんだけ入れたんだ。」みたいな感じでした。私もコチジャンをちょっといれましたけど、あれだけ入れて食べられるなんてかなりビックリしました。

・・・子ども平和会議に出たので、自由研究は新聞の切り抜きに感想を書くというのをやりました。被爆者の証言も書きました。私も種をまきたいと思ってやりました。

★私は韓国の人や、日本の人が言う事に感心しました。私もたくさん発言しました。「戦争をなくすにはどうすればよいか」という議題の時に、ある人が「あやまればいい」と発言しました。私はどうすればあやまれるか考えてみました。私は人にあやまるのはできるけど、国にあやまるのは難しいかもしれないと思いました。でも、ちりもつもれば山となる。たくさんの人がたくさんの人にあやまればいいのではないかと思いました。この戦争の事や原爆の事、平和についてみんなで考えた事をおぼえ、みんなに伝えればいい。そうすれば知ってくれる人が増える、この会議に参加した人のように考えてくれる人が増える。だから私が伝えていこうと思います。

★一番心に残ったのは「広島原爆資料館」におとずれて、いろいろな事を学んだ事です。とくに、「しんちゃんの三輪車」が心に残りました。その三輪車が赤さびていたところがとてもリアルで切なくなりました。

★韓国の人と別れるとき、かなしくて泣いてしまいましたが、あとから思えば、分かれる時泣くほど親しい友達ができてうれしいです。  

★・・・原爆のことを語り継つぐ人がいるからこそ、みんなが平和をのぞみ、がんばっているからこそ、あの平和な町があるのだと思いました。わたしもいつか、平和な町をつくる一人になりたいです。

★私がこの平和会議に行って一番うれしかった事、それは韓国から来た子どもと仲良くできたことです。今、中国や韓国で反日運動が起きていると、ニュース等で見ていたので、もしかしたら友だちになれないかも・・・!?と思っていたからです。

 私たちは最初、同じ分団同士で仲良くなりました。そこからどんどん輪が広がって、夜もうるさくなるくらい、仲良しになりました。最後のお別れの時には、お互いに泣いてしまいました。

 韓国から来た子に韓国のギャグ!?みたいなものを教えてもらい、私たちも日本のお笑い芸人のネタを教えてあげました。

・・・みんなで過ごす最後の夜「ランタン」でキャンドルライトサービスをしました。ランタンの火は、こわい炎ではなく、きれいなものでした。

★「もし、おじいちゃんやおばあちゃんが韓国人じゃなかったら、私はこんなにいじめられなかったのに!」と、言っている子がいた。この子どもだって、本当はおじいちゃん達が好きだし、悪くもない事を知っている。悪いのは戦争と、それを引き起こした日本人だ。

・・・この平和会議で日本、韓国、在日コリアンの子ども達はおたがいについて知ることができたと思う。話し合いの中で、それぞれ意見を発表することもできた。みんなの願いは、核兵器が世界からなくなること、そして戦争をなくすことだ。そのためには何をすればいいのか?

 私達は、一人一人の心の中に平和の種を持っていると教わった。私は、みんなが大人になった時、みんなの平和の種がどうなっているか見てみたい。私の種が大きくなるためには、友達に平和会議で学んだことを伝える事から始めようと思う。

★みんなで話をしている時、だれかが「もし日本と韓国が戦争になったら?」と言った時、韓国の友だちが「ノーノー韓国、日本、チング*」と言いました。ぼくはとてもうれしくて本当にそうだと思いました。ぼくはイエスさまの平和がくるようにいのりたいと思います。世界の人たちと友だちになって平和のためい働くことができたらいいなと思いました。この子ども平和会議に行くことができてとてもよかったです。

*チングとは、韓国語で"友だち"という意味。

★碑めぐりをした時に、ぼくは、たくさんあるなーと思いました。でも、一つ一つに願いがこめられていると思うと、どれも見ておかないとと思いました。その中の、韓国(朝鮮)人のぎせい者の碑を見にいった時、ガイドの人が「このカメは、あっちの韓国の方向にむいているんですよ。」と言われた時ドキッとしてしまいました。原爆にあう前から日本に強せい的につれてこられて、日本にきてからも、こきつかわれたりなぐられたりしていじめられていて、差別されていたと思うと、改めて考えさせられました。

★平和をつくるにはまず争いをなくすべきです。争いをなくせば傷つく人がいなくなります。しかし争いをなくすのはとても難しいと思います。どうやって戦争をやめさせればいいのか、はっきりいってボクには分かりません。とにかく戦争をやってる人に「戦争はいけないことだ」と言うことを知ってほしいのです。日本には憲法9条があるので戦争はできません。しかしその憲法9条を改正するという動きがあります。それを阻止する政治家が出てきてほしいです。最近行われた選挙では戦争のことに反対する気持ちがある人に当選してもらいたかったです。またこの憲法9条を世界の人に知ってもらってそれを納得して、憲法9条のようなものをつくってもらいたいです。やはり戦争はよくないことです。だから戦争は悪いことだということを世界の国の人に知ってもらい、戦争をしてもいいことはないと分かってもらいたいです。

★60年前の子どものときに原爆にあったおばあちゃんの話を聞いて、ますます怖さをしりました。おばあちゃんは途中で泣いていました。思い出したくないほど怖いことだったのでしょう。僕が戦争の時に生きていたなら、その現実を受け入れられなくて、夢だと思いたいほど恐ろしいことだったでしょう。

・・・まとめの会をして、ひとりひとり、家に帰ったら、平和のことについて何をするかを発表しました。僕はこの会議で学んだことを学校のみんなに伝えたいと思いました。自由研究で原爆ドームを作ろうと決めました。・・・帰ってから僕は、マッチ棒で原爆ドームを創りました。まず、クラスで発表しました。それから僕は、クラスの代表として、学年で発表をして、平和会議のことをみんなに伝えました。原爆の恐ろしさと、今の平和の大切さをみんなに実感して欲しかったのです。

もどる