目次
「あなたはどうしたいの?」
(2008年6月)
アジアの女たちの会30年 梨の木舎25年 によせて
(2007年10月27日)
赤頭巾たち、気をつけよう(2007年9月9日)
個人として歴史の大きな流れにかかわることは?(2007年7月19日)
最近の刺激的な仕事の紹介
(2007年3月30日)
なぜ梨の木なのか? (2007年3月21日) 
11月18日土曜日、ジャズ喫茶「海」で(2006年11月)

新刊書とその思いを綴る2
(2006年10月)
新刊書とその思いを綴る1(2006年8月)
職人館へようこそ!
花の季節に。アメリカの教科書に書かれた日本の戦争』がようやく花咲きました。
今年で梨の木舎は創立24年を迎えます。(2006年新春)
車窓から最近の仕事について考える(2005年10月)
ノーマ・フィールドさんに会うために、内海愛子さんとシカゴへ行く (2005年8月)

 【あなたはどうしたいの?】
『DV・モラハラ・熟年離婚―自立に向けてのガイドブック
  愛は傷つけない』ノーラ・コーリ著 定価1700円+税
 
「あなたはどうしたいの?」
ニューヨークからメールが入ったのは、たしか一昨年の秋でした。差出人はノーラ・コーリ――自己紹介と原稿の目次が添付されていました。いく日かして長い原稿が送られてきました。「もう一度書き直すつもりです」と書き添えてありました。
ニューヨークというわたしの知らない街で、働きつづける日本人の女性、いったいどんな人なのだろう、どんなことを考え、どんな暮らしをしているのだろう。ノーラさんは、カウンセラーとして30年、世界各地の女性のさまざまな相談に応え続けていました。
DVの背景は複雑です。長い間の社会の価値観が男を縛り、女を縛っています。
恋におちるのに努力はいらないけれど、そこから先、2人の関係を作り上げるには、かなりのエネルギーを注がなければなりません。日本の社会のなかで育てられたわたしたちには、この社会のなかで、「わたし」をどう主張し、「あなた」をどう尊重していくのか、がわかりません。母親からしつけられたのは、我慢しなさい、でした。社会からは、「女らしくしなさい」、「男は泣くものじゃない」、「人に迷惑をかけてはいけない」。
アメリカはDV先進国ですし、ヨーロッパもDVから自由ではないようです。女の子は長い間王子様の物語りで育ち、人はなにかに支配され支配したいのだと思わされているのかもしれません。会話は理解の宝庫です。相手の望むことを理解し、違いを確認し、多様性を楽しむ。多様性のなかでこそ弱者が生きられる、とおもいます。日本社会は、沈黙が金でした。
梨の木舎は、日本のアジアへの関わりを考え続けてきました。人が人と向き合うとき、国が国と向き合うときどういう関係をつくっていくのか。
上野千鶴子さんは、「70年代から80年代にかけての女性史のパラダイム転換はジェンダー・ヒストリーの挑戦をもたらした」といっています。女たちが、買春観光を取り上げ、従軍慰安婦問題を取り上げ、運動を続けてきたことと、DVにたいして声をあげはじめたこととは、同じ流れのなかにみえます。現代史のなかの女たちの問題は、「このわたし自身」の問題でもあった、と女性たちが気がついた。取り乱しながら「私の復権」のための活動を開始した。DVは密室の出来事かもしれませんが、歴史と社会に目を向け、問題を解こうとするとき、「ふたり」の閉じられた関係が、開かれた関係に変わっていくチャンスがある。――DVはチャンスです。
本が出来上がるまでに、ノーラさんとメールで数々のやり取りをしました。印象に残っていることがあります。ノーラさんは相談者に対して、「こうしたら?」ということは言わない、判断の材料を提供して、「あなたはどうしたいの?」と問い掛ける、と。本書はたくさんの気づきがあります。――迷っているあなたに新しい一歩となりますように。
「あなたはどうしたいの?」このシンプル問いかけを、わたしも、時々自分にいってみます。 
ところで、「あなたはどうしたいの?」 (羽田ゆみ子)
【アジアの女たちの会30年 梨の木舎25年 によせて
 あいにくの雨ですね、夕方にはやんでほしいなとおもいながら、コーヒーを横に、窓の外の三角の空をみあげています。

 いまでもわたしの記憶の中で熱く甦ってくるのは、アジアの女たちの会とアジア文化フォーラムが共催した、1982年8月7日の集会です。豊島公会堂に立ち見が出るほどの人が集まりました。壇上でお話されたのは、谷民子さん、富山妙子さん、李仁夏さん、永瀬隆さん、塚越正男さん、林歳徳さん、小川武満さん、ルベン・アビトさん。谷さん、富山さんが、いまもお元気で活動を続けていらっしゃることに励まされます。あの集会の準備はたいへんだったのでしょうね。わたしはまわりで、うろうろしていただけですが。

 この年82年8月15日を、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」が閣議決定されました。総理大臣は鈴木善幸、政府の諮問に江藤淳、曽野綾子らが応えたものでした。
日本軍によって被害をうけた数え切れないアジアの人びとの犠牲を見ずに、日本の戦没者だけを追悼するのはおかしい。それは、新しい戦争を準備するものだ、それには与しない、という意思表示だったとおもいます。
同じ年に「歴史教科書」問題がおきました。日本の高校の歴史教科書の記述が、検定意見によってかえさせられたことにたいして、アジアから怒りの声が巻き起こり、日本の歴史認識が批判にさらされました。
 いったいなにがあったのだろうという素朴な疑問にこたえてくれたのが、このときの集会でした。(教科書に書かれなかった戦争というシリーズの1冊目に入っています)

 「戦争のできる普通の国」にしようという準備は、着々と進められています。日の丸・君が代の法制化、「新しい歴史教科書」を作る会の登場、そして憲法改正のスケジュール化。つい最近は、沖縄の集団自決にたいする検定意見がつけられた教科書問題。
 9月28日の沖縄の集会はすごかったですね。「動けば何かが変わる」、ということをみせてくれました。
 82年の教科書問題は、「近隣諸国条項」というかたちで成果がありました。「沖縄条項」が成立するかどうか、議員の中に新しい流れが生まれているのではないかと期待しています。

 80年代と変わったことは、アジアでの市民運動の交流が比較にならないほど増えたことだとおもいます。とくに韓国との交流は、ペ・ヨンジュン人気にはじまる韓流は、理屈ではなく
感性に訴えましたよね。今夕みなさまにお会いできるのを楽しみにしています。
 心からの親愛の気持をこめて。    羽田ゆみ子(2007年10月27日)
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赤頭巾たち、気をつけよう!
. 窓の外には、緑の木々が流れてゆき、そのむこうには、優美な浅間山がみえます。そろそろ、軽井沢につくでしょう。安中榛名を越え、高崎をすぎると、東京の喧騒が胸元まで迫ってきます。
 おおかみをみわけるには
『子どもの本に描かれたアジア・太平洋――近・現代につくられたイメージ』長谷川潮著 をお届けします。
どういう風にして、「中国・韓国・台湾」の、さらに「アジア・太平洋」地域のイメージが子どもたちのなかでつくられていったのか。著者は過去にかけられたヴェールをすこしずつとりはずし、わたしたちの前にあきらかにしてくれます。
  第1章「巌谷小波(いわやさざなみ 1870〜1933)の朝鮮観・中国観」の1頁目を読みながら、昨日帰国した韓国の友人たちの顔を思い浮かべています。
 1910年8月に日本が韓国を併合したとき、巌谷小波は博文館の社員であり、『少年世界』の編集長でした。「日韓併合記念」(10月号)の扉には1枚の挿画が掲載されています(本文11頁)。
  一見したところ兄と妹と思わせるこの絵は、日本人の日出男と、朝鮮服をきた少年、朝吉です。(この時分女は数のうちにはいらなかったのですから、女の子は登場しないのでしょう)
絵の横にセリフがあります。
日出男「君はもう僕の家の子になったんだよ。」
朝吉 「ああ、もっと早く来ればよかったねえ。」
 このセリフの「見事さ」、あっけにとられて絶句です。同号には小波の論説「朝鮮の併合と少年の覚悟」(朝鮮の少年のことですよね)が掲載されたそうです。朝鮮の人が日本の統治下、日本語を学び日本の文化を吸収することは幸せになることだと述べています。多分、そう思っていたのでしょう。これを多くの日本のこどもたちが読みました。扉の絵は、十分に功果を計算してつくられています。
 小波の論文を戦後になって読んだ李在徹(韓国の児童文学研究者)は、日本の児童文学の第1人者の彼に対する「歯ぎしり」の1文(きどのりこ訳)を、書いています。
 その後の歴史を学んだわたしたちは、「内鮮一体」「五族共和」「八紘一宇」の美辞麗句プロパガンダの中身がどんなものであったか、知っています。いまだから批判もでき、「おばあさんに化けているのは怖いおおかみよ!」、と赤頭巾ちゃん(はわたしたちのことですが)にいうこともできるのですが、その当時、「おおかみ」の姿を見分けられたでしょうか。多分、わたしは見分けられなかった。
2007年の現在、いまの「おおかみ」を見分けるために、この本をおすすめしたいと、思います。    

                                                     羽田ゆみ子2007/09/29
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個人として歴史の大きな流れにかかわることは?
 2004年7月4日、内海愛子さんと私はシカゴ空港に降り立ちました。対イラク戦争を始めて1年余がすぎた独立記念日のアメリカでした。
 「戦時下なのに戦争の影がないですね」、シカゴ大学のノーマさんの研究室でお二人の対談はそんなふうに始まりました。どこで生まれ、どんなふうに育ち、何をしてきたか、お二人の個人史は接近したり離れたり、日米の歴史の合間あいまに見え隠れしました。
個人がそのときそのとき、どういう選択肢を選んで生きていくか、そしてそれを誰にどのように伝えていくか。あとから考えればそれが、歴史をつくっていくということになるのでしょうか。

 ノーマさんの戦時下・シカゴ大学での授業には、たいへん興味がひかれました。テーマは原爆について。学生は「対話者」を選んで、話し合いを重ねていきます。対話のなかから、実にさまざまな経験をしていくのです。
 日本が戦後失ってきたものは、話し合うこと、考えること、
そしてつくりだしていくこと、ではないでしょうか。
 
たえまないおしゃべりと、そのなかから生まれる人とのやり取り、調整していくことの大切さ、考えを伝えることの困難さと楽しさ、そして、やがてそれは、なにかをつくりだしていこうというエネルギーになってふくらんでいく。それは、やはり心ときめくことです。
 お二人のやりとりは、何もない画用紙に、色が塗られていくように進みました。これから先は、読者が描き継いでくださるでしょう。
かつての戦争で日本がやってきたこと、イラク戦争を私たちはどう捉えているのか。「平和な日常」に暮らしながら、わたしたちに何ができるか。

序章「平和の種をはこぶ風になれ」は、ノーマさんが恵泉女学園大学で若い学生たちに語った講演を収録しました。終章「祖母・光枝と多喜二」は、かきおろしていただきました。「大きな歴史のなかに自分をおくことと、一個人として生きることの複雑さ」がいまを生きるわたしたちの課題ではないかとノーマさんは指摘していますが、みなさんとともに、わたくしも、考えていきたいと思っています。

 お読みいただき、どこか一箇所でも、
「おもしろかった!」と思われたら、ご友人にご紹介ください。
そして梨の木舎に感想をおよせください。

 
                                      2007年7月19日   梨の木舎  羽田ゆみ子

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最近の刺激的な仕事の紹介
 毎週月曜日の朝、母のいる上田から東京に向います。碓氷トンネルを抜け安中をすぎると、目の前の景色は急にひらけます。はるか左手に赤城山が関東平野の一端を縁取り、その先は足尾山地、日本の近代化を背負わされた人々の歴史が刻まれているところです。

新刊『平和の種をはこぶ風になれ――シカゴでノーマ・フィールドさんと話す』平和をつくる3 ノーマ・フィールド/内海愛子 定価2200円+税 
内海愛子さんと知り合ったのは、「アジアの女たちの会」でした。以来30年近い歳月が流れ、多くの示唆をいただき、本づくりを通してたくさんの人に出会いました。『平和の種をはこぶ風になれ』ではノーマさんを知ることができ、刺激的なそして幸せな仕事をさせていただきました。
「女が憂鬱な時は、家具や服を買いに行けばすぐ元気になる」(ドゥ・シャトレ夫人が言ったとか。男性の場合はどんなものにつぎ込むのでしょう)を引いて、ノーマさんは消費が毎日のちいさなイベントであり、快適な興奮として訓練されてしまっていると指摘します。つまり「目に見える消費」とわたしたち中産階級の生活を維持するための「目に見えない消費」がわたしたちの「平和な心身」をささえていると。「平和な日常」を消費するだけでいいのでしょうか。「油断していた。.」とならないために。

『Agent Orange』(英語版)北村元著定価600円+税(『アメリカの化学戦争犯罪』から抜粋し英語に翻訳した)
枯葉剤被害をより多くの人に広めたいという思いから作られました。戦争で平和な日常を奪われた人たちの声です。

『晶子、愛をうたう――劇でみる、らいてう・わか・菊栄との母性保護論争』阿笠清子 定価1500円+税
 ノーマさんも先の本でふれていますが、女が「近代化プロジェクト」にのみこまれないために、思い起こしてみてください。
日本近代史上重要な論争を学校で生徒たちが演じる形でとりあげると身近なものとして理解できるのではないでしょうか。

好評発売中
『わたしは誰の子? 父を捜し求める日系二世オランダ人たち』葉子・ハュス‐綿貫著 定価1800円+税 『大分合同新聞』でとりあげられ注文が続いています。

★梨の木舎の本をお読みになった方へお願い。
どうぞ友人、知人の皆様にご紹介ください。ミニコミ・口コミは、マスコミ以上に大きな力になります。またお近くの図書館にリクエストしてください。  

                                       (はたゆみこ)07年3月30日

                       ページの先頭へ
なぜ梨の木なのか?・・・・ 「なしのきんち」】
 なぜ「梨の木舎」なの? とよくきかれます。ものの名前は、そのものの「証」につながる、とアメリカの作家アーシュラ・K・ル・グインのあの魅力的な物語‘EARTH SEA’にありました。「梨の木」は、わたしにとっては、たいせつな名前です。アジア全域を戦場にした日本の戦争が終わって、平和を取り戻した山間の村でわたしは生まれました。母はユリ子、父は通夫、姉は美奈子、兄は丈夫、父の母はたねじ、父の父は丈一、母の母は里世、母の父は胸勝。が蓼科山、その北に根をのばす5つの稜線のあいだに抱かれるように、小さな村々があります。その一番東側の谷が、布施谷。中山道を日本橋からきて、追分の宿から南の街道をとり、望月の宿に入る手前、瓜生坂(うりゅうざか)にさしかかるところに、「左布施谷」「右中仙道」と刻まれた高さ7、80センチの石の標識(1697年元禄10年に建てられたと望月町誌にあります)があります。そこからが布施村です。わたしの生まれた式部の集落は布施谷を流れる布施川にそった7つの集落のうちのはいり口からみっつめ。家いえには、油屋とかたばこ屋とか屋号がついていて、わたしが生まれた家は「なしのきんち(梨の木の家)」と呼ばれていました。昔は梨の木があったのでしょうか。家にある鍬がらや鎌、鋤などの農具や、下駄や鍋の蓋などの日常具などには焼きごてで、「梨の木」と押されていました。ざるやてぬぐいや麦わら帽子には、おばあさんが「梨の木」と墨で書いていました。
 現金収入は、おカイコさんを飼って、繭を売る。ニワトリの卵を売る。兎の毛を売る。その兎の餌を夕暮れ土手から採ってくるのは姉とわたしの仕事でした。自給自足の自然に根ざした暮らし、何不自由と感じることもなく子ども時代を過ごしました。春はふきやなずなやせりなどの山菜、夏はどじょうをとり、とんぼやチョウチョを追い、秋はキノコとり、いなごとり、さでさらい。母と父に守られ、祖父母に守られ、姉や兄とたわむれ、山の神様、川の神様に守られた暮らしでした。かぎりなくやさしい景色と時間の重なりが一枚の絵になって、わたしの心のなかにいつもあります。
 郁叔父は、太平洋戦争がはじまって招集され、ニューブリテン島で戦死。帰ってきた白木の箱に何が入っていたのか、幼くて生前のおばあさんにきいていません。古い家の茶の間に飾られているハンサムな叔父の写真、まなざしはいつも静かにわたしにそそがれています。                                       2007年3月21日                    ページの先頭へ
11月18日土曜日、ジャズ喫茶「海」で 
 『君たちに伝えたい 朝霞、そこは基地の街だった。』中條克俊著       
【出版記念ジャズコンサート】

 甘くせつないリズム、センチメンタルジャーニーが流れる――。久し振りに聞くジャズライブ。博多のブルーノートで聞いて以来もう10年ぶり、いやそれ以上。ボーカル抜きのライブは、わが町西荻の「アケタ」の店にときどき聞きに行く。今日は、かろやかなピアノ、粋なベ―ス、心解かす甘いボーカル。
 昨日(11月18日土曜日)朝霞ジャズ喫茶「海」、夜8時、出版記念のライブコンサートがひらかれた。ピアノの友重和彦さん、ベースの諏訪達夫さん、3人であわせるのは今日がはじめて。この店で歌うのもはじめてという、女性ボーカルの長谷川薫さん。もう何年もうたっているように馴染んだ空気。ここで江利チエミもうたったという。明るい笑顔がそこにあるような気がする。時の積み重ねが、壁に天井に、空気の中にあり、厚い時代の層をつくる。最後のジャズを聞いて戦争に出ていったアメリカ兵もいたかもしれない。
 かつてここ朝霞は「日本の上海」とよばれていた。そのころ1952年8月、この店が誕生した。店主・小宮一晃さん(1929年生まれ)は、もともと日本橋生まれだが、父親の影響で数多くのアメリカ映画を観て育った。宝塚にあこがれていた姉の影響でたくさんのジャズを聞いて育った。敗戦直後、9月8日にアメリカ太平洋軍の第8軍が朝霞に進駐してきた。1953年にはキャンプ内にFEN(FAR EAST NETWORK)東京放送局が開設され、ジャズがラジオからあふれ出た。FENは何万枚ものレコードを所蔵し、ペギー葉山が新曲を聞きに訪れたという。朝霞には多くのジャズ喫茶ができた。日本のジャズマン渡辺貞夫やフランキー堺も演奏していた。小宮さんはジャズ喫茶を開くなら、この朝霞の街でと決めていた。戦時中は広島・江田島の海軍兵学校にいたので、店の名前は「海」にした。
 東武東上線の「朝霞」駅南口から、旧川越街道方向に約十五分歩いた左側にいまも「海」はある(048―465‐8722)。
 1週間に1度ほど、ライブがある。この店の歴史がジャズマンをよぶ。六本木で、5千円の入場料を取る人を、この店では2千円で聞くことができるという。壁には戦前からのレコードジャケットが飾られ、客たちに語りかける。開店当時のこの一帯、朝霞南栄商店街はきらびやかな町だった。バーやキャバレーが70軒、スーベニ―ルショップ、写真館など様々な店とアメリカ人日本人で賑わった。かつての米軍キャンプ跡地はいま広大な敷地が残されて、これからどのように使うか、市民参加で話し合いがつづいている。
 時代は移り変わるが、ここで働き、子どもを育て、日々の暮しを積み重ねてきた人々の暮しと歴史――。『君たちに伝えたい 朝霞、そこは基地の街だった。』には、丁寧に書かれている。著者は地元朝霞の中学校の中條克俊先生。8月に初刷り刊行以来、2カ月で増刷という画期的な本になった。地元の人々の関心と必要にこたえた。地元の書店さんからは、いまも注文をいただく。「輝いていたときも、切ないときも」このなかに盛り込まれている。そして、またあらたな歴史をつぎの世代のわかものたちが作り出していく。この本はそんな役割を、きちんと受けとめて果しているにちがいない。
「半年後に、またライブひらかない?」 芸大で先端芸術表現科に在籍し、「基地跡地を考える会」に参加しているという若者に提案した。ジャズとお酒に酩酊気分で夜の朝霞を駅まで歩いた。

                                                          2006年11月
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新刊書とその思いを綴る2
 秋も深まってきました。山から紅葉の便りもおりてくる季節になりました。先日鹿教湯温泉に行きましたら、山の中は紅葉が始まっていました。
『わたしは誰の子? 父を捜し求める日系二世オランダ人たち』(葉子・ハュス‐綿貫著)ができあがりました。
「失礼ですが、もしかしたら日本のかたですか」
きっかけは、綿貫葉子さんにかけられたこんな一言でした。
葉子さんのもっているなにかが、この一言を引き出したに違いありません。この出会いがなかったら、彼女がこの問題と関わることもなく、この物語はわたしたちの元にとどけられなかったでしょう。
 メールのやりとりと、国際宅急便に乗って、原稿は何度もユーラシア大陸を横断しました。2005年の4月、オランダからメールを受取ってから1年半の歳月でした。
戦争がなにをもたらすのか。私たちは何千万という犠牲者の名に於いて隅から隅までを知らなければなりません。一人一人の命がどんなに大切なものであるかを。電車の中で、ナニーの物語を読みながら、涙があふれました。電車の中で泣いている女に乗客は何事?と思ったことでしょう。降車駅水道橋に着いても、原稿から目を離すことができませんでした。
 戦争があったがゆえの多くの人の出会い、戦争があったがゆえの胸を引き裂かれるような別離。極限の中で剥き出しにされる人間の姿。人間性をずたずたにされた人たちの心にすみついた憎しみ。ナニーの母の再婚相手はビルマでの強制労働の体験者でした。タイメン鉄道の建設には「枕木一本、人一人」といわれる犠牲者を出すほどの日本による苛酷な労働が強いられました。理不尽にもより弱い無関係な幼いナニーにむけられた復讐としての攻撃、性的虐待。しかし一方で肉体的精神的暴力に耐え、それでも失われなかったナニーの生命力。モリ―、クラウディーネ、そしてたくさんの人たち。そういえば、大逆罪で死刑判決をうけ獄中で縊死した金子文子もそういう人でした。攻撃に屈せず押しつぶされても静かに立ちあがって歩きだす人たち。戦争が引き起こした物語ですが、自分の人生を決して諦めない女性たちの、理不尽な暴力に屈しない姿に、限りなく惹きつけられ励まされるのです。
 最後に本書の誕生から出来上がりまでいちぶ始終に関わりささえていただいた難波收先生に深く感謝し、回復をお祈りいたします。        (2006年10月27日羽田

●ベルリンに住む博子さんが帰ってきた。ふじゑさん、とも子さん、綾さんと梨の木舎でお昼ごはん。ドイツから運んでくれるカンボゾ―ラと種入りパンとベルリンの話で一時。「ベルリンは労働者の街、新しい運動も生まれる。金持ちが多いジュッセルドルフとは違うのよ」博子さんは、深夜便の永井さんとご近所。いつかお二人の住むエネルギー漲るベルリンを訪ねたい。

●今年の5月14日、元郵政大臣・防衛政務次官を務めた箕輪登氏が死去された。2004年の1月、自衛隊のイラク派兵を憲法違反だとして訴えた氏のご自宅に電話をいれた。内田雅敏弁護士との対談をお願いした。「ああいいですよ。いつでもどうぞ」なんのためらいも警戒心もない承諾のお返事だった。格好をつけず、率直に、暖かく、情熱をもって語られた。本は『憲法9条と専守防衛』にまとまった。5月17日の葬儀の席で会葬者に渡されたという遺言が赤旗に掲載されていた。
 「なんとか この日本がいつまでも平和であってほしい 
 平和的生存権を負った日本の年寄り一人がやがて死んでいくでしょう やがて死んでいくが死んでもやっぱり日本の国がどうか平和で 働き者の国民で幸せに暮してほしいなと、それだけが本当に私の願いでした  みのわ登」

●『アメリカの教科書に書かれた日本の戦争』越田稜編著ISBN
8166‐0602‐5 定価3500円+税 同盟国アメリカの子供達は日本のどんな歴史を学んでいるか。1990年『アジアの教科書に書かれた日本の戦争』刊行以来16年をかけて4冊、海外の教科書に日本の戦争がどう書かれているのかをとりあげてきた。

                                                  (2006年10月)

                   ページの先頭へ
新刊書とその思いを綴る1
● 新刊『9条が、この国を守ってきた。』をお送りします。
 二千数百万人の命であがなった憲法9条をわたしたちは守れるだろうか。まさに瀬戸際にいる。
 高橋セキさんという人のことを忘れられない。母一人で一人息子を育てた。息子千三は昭和19年ニューギニアで戦死した。あまりのつらさに、遺骨をなめてみたという。自分が死ねぱ千三も忘れられるだろう。お墓を道端にたてれぱ、念仏を唱えてくれる人がいるかもしれない。そしてみんなが「戦争を思い出すべなス」と。セキさんは1973年に亡くなったが恩いは受け継がれ、毎年「千三忌」がいとなまれている。(この話は陳野守正著『先生、忘れないで! 』に紹介されている)
● 『君たちに伝えたい 朝霞、そこは基地の街だった。』に「北の父」事件の話がある。1949年5月代用教員笠間順は学校を追われた。翌年の朝鮮戦争開始と共に始まったレッドパージのさきがけとなる事件だった。(本書に詳しい)
●今年は金子文子が、獄中で「縊死」してから、80年目にあたる。
 7月23日には文子の碑がある山梨県牧丘町で文子忌が開催された。
 7月28日、29日は、文子が9歳から16歳まですごした、韓国のプガン(芙江)と文子のお墓のあるムンギョン(聞慶)を訪ね、シンポジウムも開かれた。この旅のことについてはいずれ詳しく報告させていただく機会があるかもしれない。文子が歩いたであろう道を歩き、眺めたであろう山並みを眺め、10代になるかならない少女だった文子におもいをはせた。またムンギョンには、朴烈記念館が建設中であることも知った。この旅には元梨花女子大学教授のユン・ジョンオク先生も同行され、親しくお話させていただくことができた、楽しい3日間の旅でもあった。
 10代のときに『何がわたしをこうさせたか』に出会った。それ以来40年を経て、また文子にめぐり会い、文子を大切にしてきた人たちにであった。考えることさえ他人に託してしまうこの時代状況のなかで、「自分自身を生ききった」文子の生は、いまもいろあせない。『わたしはわたし自身を生きる』が、いろいろな方の―とくに女性たちの―手に届くようにと願っている。                                             (2006年8月)

                       ページの先頭へ
職人館へようこそ!
 ここ職人館のある望月町で私はうまれた。山一つ越えた布施村。『風土が料理人』の仕事を一緒にすることになったのはひょんな偶然から。タイトルをつけたのは北沢さん自身。私はここをでた。かれはここで根づき、かれの感性はこの地で生きている。彼のおつれあいとは、いつも立ち話だけ。この亭主と渡合う。面白い?たいへん?いつか直子さんもまじえて飲みましょ!
 『風土が料理人』安塚町+谷川俊太郎・coba・檀太郎・武満真樹・北沢正和 定価1600円+税 ISBN4-8166-0401 
 さる5月14日、箕輪登さんが死去された。2004年の春、電話番号案内でご自宅を調べ、内田雅敏弁護士との対談をお願いした。「ああいいですよ。いつでもどうぞ」なんのためらいも警戒心もない承諾のお返事だった。格好をつけず、率直に、暖かく、情熱をもって語られた。人を惹き付ける力をもった人だった。(本は『憲法9条と専守防衛』にまとまった)17日の葬儀の席で会葬者に渡された遺言が赤旗に掲載された。
 「なんとか この日本がいつまでも平和であってほしい 
 平和的生存権を負った日本の年寄り一人がやがて死んでいくでしょう やがて死んでいくが死んでもやっぱり日本の国がどうか平和で 働き者の国民で幸せに暮してほしいなと 
それだけが本当に私の願いでした  みのわ登」
●『アメリカの教科書に書かれた日本の戦争』越田稜編著ISBN
8166‐0602‐5 定価3500円+税
同盟国アメリカの子供達は日本のどんな歴史を学んでいるか。
1990年『アジアの教科書に書かれた日本の戦争』刊行以来16年をかけて4冊、海外の教科書に日本の戦争がどう書かれているのかをとりあげてきた。これでおしまいです。
●今年第1冊目は、『靖国には行かない。戦争にも行かない』弁護士内田雅敏 定価1700円 最近世の中はすこし不気味だ。先日新宿を歩いていたら職務質問された。「ちょっとちょっとおかあさん、どこへ行くんですか」。ちなみに応える必要はない。
●2005年の既刊本DV・トラウマ回復ワークブック
『傷ついたあなたへ』レジリエンス 定価1500円+税ISBN4‐8166‐0505‐3 DVは相手を自分のコントロール下におこうとする行為。日本社会に根深い性別「伝統的役割分担」が背景で支えている。本書は、傷ついた人が再び歩き出すために手助けをする。『クロワッサン』1月25日号で紹介
『ジェンダーの視点からみる日韓近現代史』定価2800円+税 ISBN4‐8166‐0503‐7 日韓の女性たちがはじめて共につくった近現代史書。参考文献・年表・写真も多数。日本の私たちは韓国の女性たちが朝鮮戦争下をどのように生き抜き、独裁政権のもとでどのように闘ってきたかを知らされた。2刷
 昨年8月10日に、『アメリカの化学戦争犯罪?ベトナム戦争枯葉剤被害者の証言』定価3500円+税ISBN4‐8166‐0502‐9
 著者の北村元は、テレビ朝日の記者で被害者に出会った。女性たちの体験をぜひ読んでほしい。(羽田ゆみ子)
   

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『アメリカの教科書に書かれた日本の戦争』がようやく花咲きました。
 花の季節は心が騒ぎます。すべてのものが雑多に積み上げられている仕事場にいると、頭の中は目の前の仕事より咲き誇る花でいっぱいになります。
 西荻窪にこの10年住んでいます。駅まで7本ある桜の木を訪いながら道筋をたどります。善福寺川のほとりにたつ我が古アパートからでて、川にかかる宿り橋をわたり50メートルほど右手に歩くと傾斜地を利用した公園があります。ざわざわとクヌギの林があり、どんぐり公園とよばれていますが、ここに桜の木が3本。うすもも色のはなびらは、えもいわれぬやさしさをたたえています。
 公園をぬけたさきのお屋敷の裏手に古木が1本、たたずまいが風雅で人を引きつけます。
 その向かい新しい家の前にある桜は、陽当たりが良くこのあたりではいちばん早くさきます。桜の季節は心が忙しいのです。                       
 
 桜とともに、企画から4年たって、『アメリカの教科書に書かれた日本の戦争』(越田稜編著 396頁 定価3500円+税)がようやく花さきました。
 『アジアの教科書に書かれた日本の戦争』東アジア編,続いて東南アジア編をだしたのは1990年でした。これらの本は、韓国の大統領盧泰愚(ノテウ)の来日と重なったことこともあり、わずか数ヶ月で初版を売り、増刷を重ねてきました。
 刊行翌年、 韓国の元従軍慰安婦金学順さんが自分の過去を持って日本政府を告発しました。それから20いくつかの戦後補償要求がアジアの戦争被害者から提訴されましたが、日本人の心のなかに、日本のかつての戦争がアジアの人たちにどう受けとめられているのかという関心が生まれていたのだと思います。日本の過去をアジアのひとびとがどうみているか、学校でどんなふうに学んでいるか。知りたいという好奇心が本の売り上げを後押ししました。                   
 教科書の現物をみることによって、その国の経済力をおしはかることもできました。シンガポールや香港は別として、アジアの国々の教科書をとおして、その国の「貧しさ」がみえました。戦後賠償を橋頭堡とし、朝鮮戦争やベトナム戦争という「福音」によって日本の経済成長があったことを、編者の越田先生も指摘していたと思います。
 この5年後には『ヨーロッパの教科書に書かれた日本の戦争』を刊行しました。教科書の入手をかねて1990年、イギリス、フランス、ドイツへ初めての旅をしました。
 ロンドンは斜陽の帝国の陰鬱さがありました。
 前年89年に壁が開いたベルリンは森の中にあるような美しい街でした。ベルリンから電車にのりザクセンハウゼンを訪ね、ワンゼー湖畔から船で川をくだり、ポツダム宣言の町ポツダムを訪ね、フリードリヒ2世の愛した華麗な サンスーシ宮殿をみました。両方とも旧東ドイツの町で対応する人に官僚制の残滓を感じました。 
 最後のパリでは地下鉄ストに遭遇しました。市民革命の国はほしいものは自分たちの手で勝ち取るという伝統をひきついでいると、身をもって知ることになりました。今も労組がゼネストをうっていますね。
 ヨーロッパの教科書をみてアジア・太平洋戦争がヨーロッパの目を通してもみえてきました。総じて、かつて植民地支配をした地域でたたかわれた戦争に対する扱いは遠い、自国の植民地支配についての認識についても、共通教科書『ヨーロッパの歴史』(1992年刊行)の中でははっきりとはわかりません。――しかしドイツの教科書の中で、ユダヤ人絶滅を話し合った1942年1月20日のワンゼー会議の記録は長文で載せてあることは事実です。従軍慰安婦問題をすべて消し去った日本とはちがいます。
 先日『ホテル・ルワンダ』という映画を新宿武蔵野館で観ました。アフリカのルワンダで1994年におきたツチ族とフツ族の虐殺を背景にした実話です。100万ともいわれる虐殺の原因を作ったのはかつての宗主国ベルギーの民族差別による統治政策にあったといわれています。
 4年をかけてうまれでた『アメリカの教科書に書かれた日本の戦争』に、越田さんはアメリカの市民社会の健全さをみています。
 たとえば広島・長崎への原爆投下については、ほとんどの教科書がその直後の破壊された広島あるいは長崎の写真を載せていて、ビジュアルに生徒に見せる工夫をしています。原爆投下が正しかったのかどうかを考えさせる設問があります。
 ブッシュのアメリカにわたしたちはあまりにもとらわれすぎていて、そのむこうの市民を忘れているのではないでしょうか。韓国の市民運動とのつながりはできました。支える人たちの顔をおもいうかべることはできますが、アメリカの市民運動を支える人たちの顔はよくわかりません。
 小学校で英語が必修になるわけですし、アメリカの市民との関係をつくることがこれからの課題のひとつかもしれません。――そうそうあさってから、我がウサギ小屋にワシントン大学で歴史を学ぶ韓国人女性が居候さんにきます。「国際親善」のチャンスですね。

 越田さんは、本書で「日本、合衆国、オーストラリアの共通教科書の提案」をしています。書店さんからのFAXによる注文はこの10年で最多でした。読者の目にとまることをと願っています。
 朝は電車を市ヶ谷で降ります。そして靖国通りを神保町方向にたどります。一昨日の靖国通りは花吹雪の狂乱でした。前夜の雨で散りかけていた桜並木に強風が吹き付け、真冬の吹雪のように花びらがまいあがり真っ青な空に吸い込まれてそれがおりてきて、ふたたび車の往来でまきあげられます。千鳥ヶ淵をすこしだけ眺め、九段の坂を下りて神保町にむかう。これがお花見フルコース、花の季節のぜいたくです。
(2006年4月)

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今年で24年を迎えます。
 1982年の創立以来、梨の木舎は今年で24年を迎えます。
 盥舟、いかだ、ひょっとして泥舟で大海にこぎだしたような日々、順風満帆の航海とはほど遠い歳月でした。はるか水平線には暗雲、それでも「乗りかかった船」、しばしの凪に憩いを期待しながら、「過去から学ぶ」旅を続けていきます。皆様のご健康をお祈りします。  羽田ゆみ子
 1月8日(日)喜多流の「翁」「草紙洗小町」を観能。小鼓と大鼓の音色と裏返る声、エネルギーがつまって破裂し一気に押し出されてくる笛の音に魅了されました。舞に流れる静謐さ。太古からのときが重ねられ凝縮された透明で厚い空気。異次元のなかの4時間でした。年輩客の中に若い女性の姿もありました。10日は神楽坂のDIE PLATZE(3235-7990)で大西小夜子の舞踏を観ました。シチリアのパレルモを中心に活躍するダンサーです。自由に意のままに違和感なく「わたし」を表現するうつくしく鍛えぬかれた体があり、しかもそれは性を越えて存在し、瞬く間の30分でした。能に何百年の時を経ても変わらぬものを、舞踏に刻々と変わりゆく自在さを感じました。

●今年第1冊目は、2月上旬刊
『靖国にも戦争にも行かない』弁護士内田雅敏 予価1700円
靖国関係の裁判、立川ビラいれ逮捕裁判、ほかを収録。
●2005年の既刊本DV・トラウマ回復ワークブック
『傷ついたあなたへ』レジリエンス 定価1500円+税ISBN4‐8166‐0505‐3 DVは相手を自分のコントロール下におこうとする行為。日本社会に根深い性別「伝統的役割分担」が背景で支えている。本書は、傷ついた人が再び歩き出すために手助けをする。『クロワッサン』1月25日号で著者レジリエンスの中島幸子がインタビュウ紹介された。
『大切な人を亡くした子どもたちを支える35の方法』ダギーセンター ISBN4-8166-0506-1 定価1500円+税 子どもの悲しみのケアをするアメリカの経験。小さなことを毎日繰り返すことが子どもたち安心を与える、等普段身近にあって気がつかないことを気づかせてくれる。親、保育園や幼稚園、学校で。
『ジェンダーの視点からみる日韓近現代史』定価2800円+税 ISBN4‐8166‐0503‐7 韓国と日本の女性たちがはじめて共につくった近現代史書、力作です。参考文献・年表・写真も多数。日本の私たちは韓国の女性たちが朝鮮戦争下をどのように生き抜き、独裁政権のもとでどのように闘ってきたかを知らされた。日韓同時発売、韓国語版は、ハンウル社から。
昨年8月10日に、『アメリカの化学戦争犯罪?ベトナム戦争枯葉剤被害者の証言』定価3500円+税ISBN4‐8166‐0502‐9
著者の北村元は、テレビ朝日の記者でバンコクやベトナムに滞    
在し、ベトナム戦争の枯葉剤被害者に出会い、以来17年間この問題にかかわってきた。女性たちの体験を読むのは苦しい。
                                            2006年新春
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.車窓から最近の仕事について考える

 9月のある日、上田発8時43分の新幹線で東京へもどる。電車は緑したたる――今日は台風の影響で雨露がしたたっている、左車窓にいつもみえる浅間山はみえない――碓氷峠をこえて、群馬県の平地に入った。
 車で東京・長野を往復していたときいつもおもったものだった。両側に田んぼが広がる、佐久平をすぎ、標高1000メートルの内山峠を越える。長いトンネルをすこし緊張しながら走る。運転の下手さ加減は自覚している。
 春は新緑、夏は濃い緑、秋は燃えるような紅葉、冬は荒涼とした枯れた大地。トヨタのえんじ色のハイラックス、トニー・ヒラーマンの小説の世界に入れ込んで買ってしまったピックアップトラックを走らせる。心に沁みる光景がつづく。それが、内山峠を越え群馬県に入り、藤岡のインターチェンジで、関越道と合流する3車線に入ったあたりから、山の気配が振り落とされてゆく。練馬のインター直前で、高速道路がコンクリートの壁に覆われると自然の臭いは全く消える。都心、3時間前とは別な世界にわたしはいる。逆に都心から出て行くときには、だんだん気持は上向きになっていく。
 だからといって、東京がきらいなわけではない。このたとえようもない自由さを吸ってわたしは生きている。
 夏のさかりにでかけたコンサートの余韻はいまだに消えない。
戸田志香さん(『わたしは歌の旅人 ノレナグネ』梨の木舎)の師、呉ヒョンミン先生のコンサート「海は広いな大きいな」は聴衆を陶酔させた。習志野文化ホール1500人の会場はほぼ満員。きたえられた美しい発声、「出船」、「ミョンテ」、「イムジンガン」の切々たるメロディー。美しくもあり、韓民族がせおってきた過酷な歴史を感じさせるものでもあった。海にかこまれた日本には考えられない数々の苦難。それはいまもつづいている。韓国ドラマの『砂時計』や『白夜』によって、金石範の『火山島』によって、わたしはおくればせながらその歴史を後追いしている。
 『ジェンダーの視点からみる日韓近現代史』、困難をきわめた本、10月に刊行される。360頁、2800円。本文、年表、参考文献すべてに書き手の力がこもっている。
『アメリカの化学戦争犯罪』(北村元)は、8月に刊行された。ジュンク堂池袋店でのトークセッションの模様はすでにURL上で報告した。17年まえから始めた枯れ葉剤被害者や枯れ葉剤の医療分野での聞き書きで、著者の大きな励ましになったのは、ナチ・ハンタ−として有名なサイモン・ヴィーゼンタ−ルの姿勢だった。ナチスの残党を追跡して数十年。1200人に及ぶ残党を告発してきた。「私は忘れることに対して闘いを挑んできました。私の世代のあの悲劇が二度と再びくり返されないよう」(『ナチ犯罪人を追う』)との一文だった。そのサイモン・ヴィーゼンタールも先日亡くなった。
 9月下旬、草野比左男さんの訃報が留守番電話にはいっていた。詩集『村の女は眠れない』は、村の女の命とひきかえに、高度経済成長をかちえた日本社会を徒手空拳でうちつづける仕事だった。いま、老人をうちすて、若者を分別し、弱者に犠牲をしいる、その日本社会とは、わたしでありあなただと、妥協なく問い続ける声がきこえる。この詩集は、いくつかの出版社を経て、昨年梨の木舎から刊行された。
 9月18日の中秋の名月はみごとだった。コスモスの咲くなかで眺めた黄色の
お月さま。新幹線は大宮をすぎた。20分後には東京駅につく                                  2005年10月9日記
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ノーマ・フィールドさんに会うために、内海愛子さんとシカゴへ行く
 04年夏シカゴを訪ねました。内海愛子さん(恵泉大学教授)とオヘア空港におりたったのは7月4日合衆国の独立記念日でした。タクシーを拾いノーマ・フィールドさん(シカゴ大学教授)の住むサウスループへ。ノーマさんの自宅の窓辺には、青い地球が染められたアース・フラッグが街路樹とマッチして美しくたなびいていました。わたしたちの日常空間ではないアメリカ、しかもその国は世界から理不尽とおもわれる戦争をしている。その国の人はどんな空気の中で、どんなことを考えているのか。翌日から6日間お二人の対談はシカゴ大学の美しいキャンパスでノーマさんのご自宅でつづきました。
内海愛子さん、1941年神奈川県生まれ、歴史研究者、『朝鮮人BC級戦犯の記録』ほか多数。ノーマ・フィールドさん、1947年神奈川県生まれ、大学からアメリカに、文学者。源氏物語などの研究をへて現在小林多喜二を調べている。『天皇の逝く国で』は大きな反響をよんだ。内海さんはアジアをフィールドに歩き、ノーマさんは、日米を往復しながら、両国をみている。二人とも研究者であることにとどまらず平和と戦争の問題を自分の実践のテーマとして考えようとしている。お二人ともフェミニストである。
ノーマさんのお母様のみどりさん、夫のロジャーさんの話を聞くこともできた。みどりさんは私の母とほぼ同じ年、たをやかな、でも実は自分の生き方を貫いた大正の女でした。ロジャーさんはノーマさんと同じベビーブーマー世代。公民権運動のリーダー・キング牧師の有名な演説「I have a dream.」に非常に大きな影響を与えられたことを語りました。現在弁護士で、アメリカ先住民のリザベーションの環境問題をやっていると聞きました。
シカゴ大学の大学院生の真継美穂さん、スティーブさんの話も聞きました。川端康成をテーマにする美穂さんには「同性結婚」の話、スティーブさんには戦前戦後の思想家、高坂正顕が日本の教育行政にどうかかわったか。「歴史は文化と国家というふたつの中心をもった楕円で」あって、主体的決断によってその両者が媒介される、という高坂の主張は、教科書問題として浮上し、「心のノート」という形になって透明な網を掛けられたとわたしは思いました。
シカゴでの鮮やかな印象はブルースの街のライブハウス、「バディー・ガイ」。100数十席ほどの客席。演奏はジミー・バーン。かさねた年月が熟成して、気取りなく無理なく、人をリラックスさせる彼のブルースに魅了されました。入場料は12ドル。美穂さんたちの案内で行ったHot House、ここでロマの人たち――Tamburitza Romaとバルカンの人たちBalkan Cabaretの演奏をききました。泥臭く人間くさく、音楽が生活、人生そのものを感じさせました。アメリカは、ブッシュではなく、こういう人たちがつくっている――そう思えました。ノーマさんと内海さんの対談はただいま編集中。(羽田)
       2005年8月
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