教科書に書かれなかった戦争 57

クワイ河に虹をかけた男
    ―元陸軍通訳 永瀬隆の戦後

 満田康弘
著 

 四六判 262ページ 並製
 定価:1,700円+税 
ISBN978-4-8166-1102-5 C0036
奥付の初版発行年月:2011年02月
書店発売日:2011年02月28日

紹介されました・・・「山陽新聞」「岡山日日新聞」「信濃毎日新聞ほか地方紙」

●たった一人の戦後処理
枕木1本、人1人といわれた「死の鉄道」(タイメン鉄道)の贖罪に人生を捧げた男の物語。いつも傍らに妻佳子さんがいた。
【内容紹介】
 
永瀬隆
1918年生まれ。陸軍憲兵隊の通訳としてタイ―ビルマ間を結ぶ泰緬鉄道に関わる。復員後、倉敷市で英語塾経営の傍ら、連合国捕虜1万3千人、アジア人労務者推定数万人の犠牲を出した「死の鉄道」の贖罪に人生を捧げる。タイ訪問は135回に及ぶ。本書はその長い道のりを20年にわたって取材してきた地元放送局記者の記録である。

【プロフィール】

満田康弘(みつだ・やすひろ)プロフィール
1961年香川県多度津町生まれ。丸亀高校、京都大学法学部を卒業後、1984年、株式会社瀬戸内海放送(KSB)入社。主に報道・制作部門でニュース取材や番組制作に携わる。現在、報道制作ユニット岡山本社グループリーダー。2003年、ウナギにまつわる様々な謎を追った「うなぎのしっぽ、捕まえた!?」で日本民間放送連盟賞受賞など、ドキュメンタリー番組で受賞多数。

これまでに制作したドキュメンタリー番組(永瀬さん関連)
94年     テレメンタリー‘94  たったひとりの戦後処理
                  〜もうひとつの“戦場にかける橋”物語〜
95年     終戦50周年記念特番  死の鉄道を超えて
                   〜元陸軍通訳の50年〜
2000年   55年目の恩返し
                   〜メガネがつなぐ日タイ友好のきずな〜
同       テレメンタリー2000 ナガセからの伝言
                   〜戦争のない世紀のために〜
2001年   特別番組 僕の知らない戦争があった
                   〜駆け出し俳優と元陸軍通訳の二人旅〜
2008年   テレメンタリー2008 最後の巡礼
                   〜元陸軍通訳の終わらない戦後〜
2009年   テレメンタリー2009 45年目のハネムーン
                  〜病室からタイへ…覚悟の巡礼〜

【目次 】
目次

プロローグ 3

1章 たったひとりの戦後処理 13
初めてのタイ同行取材 14
テレメンタリー 15
カンチャナブリ 16
永瀬さんとの出会い 18
永瀬さんの生い立ち 18
泰緬鉄道と永瀬さん 21
オーストラリア人ジャーナリスト 23
たったひとりの日本人 26
カンチャナブリの戦争墓地 28
連合軍の墓地捜索隊 31
「マザー、マザー」 32
ジャングルの墓標 34
不思議な体験 37
クワイ河平和寺院 38
戦場にかける橋 41
本当のモデルは? 44
和解の再会 46
泰緬鉄道とは 49
JEATH戦争博物館 53
地獄の建設現場 55
「決して許さない」 60
スリー・パゴダ・パス 65
地獄の業火峠 68
元捕虜の冷たい拒絶 71

2章 アジア人労務者 77
元アジア人労務者に会う 78
声なき声 81
断崖絶壁の桟道橋 82
元米軍パイロットと会う 84
再びタイへ 87
大量の遺骨 90
ブーンタムさん 92
飯ごう一杯の恩義――看護学生に奨学金を 95
善意のメガネ 97
白骨街道 98
なつかしい顔 102
盛況の移動診療 104
デイキンさんをしのぶ 108

3章 ナガセからの伝言 111
「ナガセ軍曹」登場 112
2人のナガセ 114
横浜の暑い日 120
カウラ事件 121
バターン死の行進 126
メーホンソン 131
日本兵を追悼する 133
クンユアム星露院 137
日本兵の夫を探して 138
タイ国鉄ナムトク線 142
ナガセからの伝言 146
オーストラリアの博物館 148
ヘルファイヤー・パスを行く 152
クワイ河まつり 155
永瀬さんの「遺言」 161

4章 遠かったイギリス 163
ラジオ事件 164
子煩悩な父がなぜ… 166
「戦犯の子」と呼ばれて 168
届いた手紙 170
50年ぶりの再会 173
駒井さんの思い 176
特別感謝状 177
「親友」からのメッセージ 179
日英和解への動き 181
日の丸を焼いた男 183
青空の平和教室 185
クラウディア夫人を訪ねる 187
怒れる元捕虜 188
駒井さんの訪英 189
遠かったイギリス 190

5章 最後の巡礼 193
クワイ河を見下ろす銅像 194
佳子さんの異変 195
泰緬鉄道を世界遺産に 197
月日は流れて 198
永瀬さんの衰え 200
最後の巡礼へ 203
134回目のタイ巡礼 206
薄れゆく記憶 209
タイの「子どもたち」 211
ミャンマー国境へ 214
クワイ河の虹 216
佳子さんの不満 218
覚悟の手術 221
生きている証 225
4年ぶりのタイへ 229
まっすぐな心 233
喜びの再会 236
銅像と対面 238
よみがえる初巡礼 240
鉄橋の二人 242
兄に会いに… 243
コップン・カー 246
さらばカンチャナブリ 247
佳子さんとの別れ 250

エピローグ 253
あとがき 255
【クワイ河鉄橋】
【あとがき 】より


 戦争の傷を癒すのに、いったいどれほどの努力が必要なのだろう。(努力と歳月とは書かない。それこそ、元捕虜が「我々が死ぬのを待っている」と言うように、加害者側にとって都合のよい考え方に他ならないからだ)だからこそ、決して戦争をしてはならない。永瀬さんが訴え続けてきた思いを、少しでも多くの人に共有してもらいたい。そう考えたのが本書執筆の動機である。
 「ドキュメンタリーに美談はいらない」
 私が敬愛するあるドキュメンタリストの言葉だ。私の番組は、また本書は単なる美談の域に留まってはいないだろうか。自問自答する。

 人間の誇りとは何か。
 永瀬さんを取材してきて、私が改めて思うのはこのことである。
 元捕虜トレバー・デイキンさんが語った言葉が頭を離れない。
 「If you were in combat, you are equal.But if you were down, you should not be stamped on, trodden on.」(戦闘中なら立場は対等です。しかし、ひとたび倒れたなら、それ以上踏みつけられるべきではありません)。
 泰緬鉄道の建設に従事した日本軍関係者にとって、何ら抵抗手段を持たない捕虜やアジア人労務者を酷使することは、果たして誇り高き任務だったのだろうか。
 あるいは、バシー海峡で戦わずして潜水艦に撃沈された幾万の日本軍将兵は、誇りを持って死んだと言えるのだろうか。ビルマで、フィリピンで、ガダルカナルで、ニューギニアで、飢餓地獄のうちに死んだ兵隊たちは?
 さらに言えば、ヒロシマで、ナガサキで、無辜の市民の頭上に新型爆弾を炸裂させる作戦は、本当に誇りある任務だったと言えるのだろうか。
 あの墓地捜索隊で、連合軍の冷ややかな視線を一身に浴びて、永瀬さんが自らを救うために取り戻したかったこと、それは人間としての尊厳、誇りだったのではないだろうか。
 戦争にルールなどあるか。確かにそれも真実であろう。だが、自らが信じて身を投じた皇軍の実態は、あまりにも永瀬さんを裏切るものだった。
 人間の誇りや尊厳を顧みない軍隊や政府。それがどれほどの不幸をもたらすことだろう。

 本文中でも触れたように、自らを救いたいという個人的な感情が活動の原点だったと永瀬さんはよく口にする。だがそれはやがて社会的に大きな広がりを持っていった。
 戦後和解というと、当事者同士の話で完結しがちだが、永瀬さんの慧眼はアジアへのまなざしを忘れない。「許す」「いや許さない」。自分の庭先で行われた戦争に否応なしに巻き込まれた人たちの目に、こうした論争はどのように映っているのだろうか。日本も欧米諸国もその総括が終わっているとはとても思えないのである。

 私はヘボとはいえテレビの仕事をしているので、本書がどのような状況で読まれるのが理想的なのか、その映像を頭に浮かべながら執筆を進めた。
 それは以下のような状況だ。カンチャナブリのJEATH戦争博物館で永瀬さんの銅像を見た人が、永瀬さんのことをもっと知りたいと思い、博物館の売店で本書を発見する。そしてクワイ河を見下ろすテラスで、あるいはホテルの部屋で読む。
 銅像には簡単な説明が添えられてはいるが、情報としてはとても少ない。それを本書がわずかでも補う助けとなるなら、これに勝る喜びはない。
 以上のようなことから、本書が置かれるのにもっともふさわしい場所は、永瀬さんの銅像にジャスミンの花を持たせてくれている心優しきおばあさんが店番をする、売店ということになる。

 言うまでもなく、本書はテレビ取材で蓄積したVTRを元に構成している。ろくにメモも取らない(というか基本的に2人で取材しているので三脚やマイクを持っているためメモを取る余裕がない)いい加減な記者の私だが、改めてVTRを見直すとその時の空気や匂いまで鮮明に思い出されたものだ。文中の永瀬さんの言葉遣いが標準語になったり、方言になったりするのは、永瀬さんが正式なインタビューとしてカメラを意識しているかどうかによるものだが、あえて言い換えはせずそのまま掲載し、その場の雰囲気を忠実に再現するよう心がけた。また、掲載した写真の多くはVTRを静止画にしたものだ。

 ここで本書の執筆および出版にご協力くださった方々をご紹介したい。
 まず、本文中でも紹介したテレビ朝日系の24局で制作しているドキュメンタリー番組「テレメンタリー」である。費用がかかり、スポンサーもつきにくいドキュメンタリーの海外取材はローカル局にとってハードルが高い。番組の制作費は各局から集めた分担金から支出されているので、いわば「行って帰って」ではあるが、何度もタイに行くことができたのは、この番組があったからに他ならない。企画の採否は毎月各局担当者が集う会議で決まる。ここですべての方たちのお名前を挙げることはできないが、企画を承認していただいたテレビ朝日、朝日放送を始めとする各局担当プロデューサーの皆さんにお礼を述べたい。
 続いては幾多の先輩ジャーナリストの皆さんに敬意を表したい。私が永瀬さんを取材し始めてまだ20年にも満たない。それ以前から数多くのテレビ、新聞のジャーナリストの方たちが永瀬さんを取材してきた連綿と続く歴史がある。僭越な言い方だが、そうした蓄積のお陰で私もここにいる。
 また、私の背中を押してくれたのは梨の木舎の羽田ゆみ子社長だけではない。瀬戸内海放送の後輩、山下洋平記者の名前を挙げたい。「高知白バイ事故」の闇をいち早くスクープし、ローカルニュースのみならず、テレメンタリー、ザ・スクープ等の全国放送でも繰り返し伝えるとともに、緻密な取材を積み重ねて09年に単行本をものにした。以前から永瀬さんのことを本にしたいと考えていた私を大いに刺激し、重い腰を上げさせてくれた。さらにテレビ取材の成果を利用した本書の出版を快く了解していただいた瀬戸内海放送の加藤宏一郎社長にもこの場を借りて感謝の言葉を述べたい。
 元朝日新聞岡山総局長で、かつて瀬戸内海放送でも役員を務めた守本孝さんと同じく元朝日新聞岡山総局長で瀬戸内放送の北尾好昭常勤顧問には絶えず励ましの言葉をいただいた。朝日新聞記者の畏友・菱山出さんは倉敷支局長時代に永瀬さんにほれ込み、2007年『永瀬さんからのメッセージ』という小冊子を出版した。これも大きな刺激となった。
 妻と2人の娘が執筆を支えてくれた。妻の誕生日は10月25日。泰緬鉄道は1943年の同じ日に開通している。さらに長女の誕生日6月20日と言えば、1942年のこの日、大本営が泰緬鉄道の建設命令を出している。不思議な因縁を感じずにはいられない。
 基本的に本書に実名で登場する人たちにはすべて大きなご協力とご支援をいただいていると言ってよい。中でも足かけ20年の付き合いになる相棒、山田寛カメラマンの存在は大きかった。常に私と悩みを共有し、同じように永瀬さん夫妻と接してきた。彼の優しく誠実な人柄があればこそ、夫妻の自然な姿を映像に収めることができた。ちなみに彼の誕生日は昭和44年8月5日。カウラ事件は1944年8月5日に起きている。

 本書を天国にいる佳子さんに捧げる。

 2011年1月 満田康弘 

 
【山陽新聞記事】
【岡山日日新聞】
【信濃毎日新聞】
【毎日新聞記事 6月22日
 毎日新聞の訃報の記事では次にように永瀬さんの業績を伝えておりました。

「訃報:永瀬隆さん93歳=泰緬鉄道建設に関わった陸軍通訳
永瀬隆さん

 第二次世界大戦時の陸軍通訳で泰緬(たいめん)鉄道の建設にかかわり、生き証人として戦争の犠牲者の鎮魂に尽くした永瀬隆(ながせ・たかし)さんが21日、岡山県倉敷市の病院で死去した。93歳。

 1943(昭和18)年9月から終戦までタイ国駐屯軍司令部カンチャナブリー憲兵分隊の通訳を務め、旧日本軍がインド侵攻用に連合軍捕虜6万5000人と住民計約30万人を酷使したとされる泰緬鉄道(タイ・ノンブラドック−ミャンマー・タムビサヤ間415キロ)の建設にかかわった。同鉄道は英映画「戦場にかける橋」(57年)の舞台となった。

 63年から連合軍犠牲者約1万3000人の慰霊活動を開始。76年10月、同鉄道クワイ河鉄橋で元捕虜と旧日本軍人の再会を実現。80年12月からアジア人労働者捜索を始め、86年2月、犠牲者鎮魂のクワイ河平和寺院を現地に私費で建立した。その後、タイ国青少年教育費として「クワイ河平和基金」を設立。

 92年7月にタイ・カンチャナブリー市県の名誉市民・名誉県民、同9月に岡山県三木記念賞、93年11月にソロプチミスト日本財団の千嘉代子賞をそれぞれ受賞。02年には、元英国連邦軍捕虜と日本との和解促進活動などに対し、英国政府から特別感謝状が贈られた。」

永瀬さんの業績を称えるとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。