教科書に書かれなかった戦争55 
それでもぼくは生きぬいた 日本軍の捕虜になったイギリス兵の物語

  シャーウィン裕子
著 

四六判 並製
定価:1,600円+税 
ISBN978-4-8166-0910-7 C3022
在庫あり
奥付の初版発行年月:2009年12月
書店発売日:2009年12月10日
毎日新聞の人欄に紹介されました
朝日新聞の記事「ニッポン人・脈・記・・語り継ぐ戦場7」に登場!▼
【内容紹介】
 
これは、第2次大戦において日本軍の捕虜となり、その過酷な状況を生き抜いたイギリス将兵6人の物語である。 

「イギリスで知り合った人たちから、日本軍の捕虜だった父や兄や友人の話を聞きました。『過去のことだから』と言って、もう日本人をそのために憎む人は少なくなったようですが、六万人のイギリス兵が囚われの身として、三年半の間、どんな経験をしたのか、わたしは知りたいと思いました。元捕虜やその家族に会い、彼らの記録を読んでまとめたのものが、この本になりました。人間性を尊重せず、人命を軽んじ、残酷さを勇気と間違えた日本軍の方針が、悔やまれてなりません。」(シャーウィン裕子)
 

 
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     大勢の方が出版パーティに駆けつけてくださいました。ありがとうございました。

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【プロフィール】

[シャーウィン裕子
1936年、名古屋生まれ。東京女子大学卒業後、1959年渡米。ハーバード大学、プリンストン大学、ラトガース大学に学ぶ。プリンストン日本語学校校長、ニューヨーク読売、スペシャル・コレスポンデントを勤める。アメリカ水彩画協会会員(絵画の展示、個展、受賞多々)。1991年スイス、ルツェルンに移住。現在、イギリス、ウインズリー在住。三女の母。

著書
『孤独なアメリカ人』講談社現代新書,1975 (吉川裕子の名で出版)
『アメリカン・ウーマン』講談社現代新書, 1979(吉川裕子の名で出版)
『女たちのアメリカ』講談社現代新書、1991
『生まれ変わるヨーロッパの家族』インパクト出版会、1996
『老いるヒント』情報センター出版局、2006
『夢のあと』講談社、2008
“Eight Million Gods and Demons”, Robert Hale, London, 2001
Acht Miljoen Goden en Demonen, Sirene, Amsterdam, 2002
“Eight Million Gods and Demons”, Plume, Penguin Putnam Inc., New York, 2003


【目次 】

まえがき
一話 戦争を恨んで人を憎まず――チャールズ・ビーデマン
   バンドンからバタビアへ、そして門司へ
二話 秘密の大学――フランク・ベル
   バタビア、サンダカン、そしてクチンへ
三話 トンネルの先に光――鉄道マン、エリック・ローマックス
   シンガポールから泰緬鉄道へ、そしてシンガポールへ
四話 工藤艦長に救われた――サム・フォール
   マカッサルからバンドンへ
五話 命を賭けた脱出、死刑寸前の救命――ジム・ブラッドリーとシリル・ワイルド
   シンガポールから泰緬鉄道へ、そしてシンガポールへ

付記
1 ジュネーブ条約と日本
2 和解の努力――国家としての謝罪と民間の努力
3 他の国による捕虜の扱い
4 イギリス人の日本人観――「極東捕虜の歴史研究会」に出席して
  参考資料 太平洋戦争関係資料
あとがき

【まえがき 】より

1941年12月8日に太平洋戦争が始まってからわずか数カ月のうちに、日本軍は香港、マニラ、シンガポール、ジャワ、ビルマなどの広範なアジア・太平洋地域を次々と占領した。それによって30万ないし35万人の連合国軍将兵が日本軍のPOW (Prisoners of War=捕虜)として囚われの身になった。そのうち現地兵捕虜の一部は日本への忠誠を誓わせて解放されたが、多くの者がアジア人労務者として厳しい労役に使役された。
残りの白人捕虜約14万人は三年半後に終戦が来るまで、往々にして過酷な状況の中で抑留された。彼らが監視員の目を盗んでトイレの紙に書き、瓶や竹筒にしまった日記が墓の中から発見されたり、その手記が戦後本として発行されたりしたので、捕虜たちの体験は元連合国では広く知られている。
たまたまイギリスに住んでいた私は捕虜の物語を読み、彼ら自身やその家族に会う機会を持った。ここに書かせていただいたのは、6万人に近かった英連邦軍捕虜の中の六人の話である。それらによれば、日本軍はジュネーブ条約を無視して、捕虜を非人間的に扱った場合が多かった。日本人として彼らの話しを聞くことは辛かった。捕虜の27パーセントが死に、生存者の多くが戦後も後遺症に苦しんだ。
しかし、私が何よりもこの本に書きたかったのは、最低の状態に落とし入れられた兵士たちが人間としていかに生きぬいたか、ということだった。同時に、自分の力ではどうすることもできない状況下で死んでいった何百万の若者たちのことも、忘れることはできなかった。戦争の時代に、国家の大車輪の歯車にはさまれ、軍の命令に従うことしかできなかった日本側の兵士たちについても思いを馳せた。
捕虜収容所では人間の最も醜い面がさらけ出されたとともに、最高に美しい資質も発揮された。仲間の親切とか助けあいが何よりも尊かった。希望を失わず、創意を凝らすことで生き抜いた人もいた。他方、憎しみの対象だった日本軍の中にも、海に投げ出された敵の将兵のいのちを救ってくれた艦長や、人間的な情を示してくれた兵士がいた。
2009年11月             シャーウィン裕子

【毎日新聞・2010年2月20日「ひと」欄
【朝日新聞の「ニッポン人・脈・記」でシャーウイン裕子さんが紹介されました】