天が崩れ落ちても 
 生き残れる穴はある


   ―二つの祖国と日本に生きて

  李貞順 著

四六判上製 252頁
定価:本体2000円+税
ISBN978-4-8166-1206-0 
C0023

2012年10月20日刊行
東洋経済日報に紹介記事
 
   
「長男の子に会いに、義母はニューメキシコまで来る。孫を抱いて微風のなかでまどろんでいる義母を描く文章は、パステルカラーで描いた絵のように美しい」   (澤地久枝・選評)

第4回「賞・地に舟をこげ」受賞作
●1953年5月母に連れられて韓国・馬山を発ち日本へ、結婚後アメリカへ。二つの祖国と日本に生きた女性の半生の物語。
●解放後の帰国、闇船による再来日、朝鮮戦争の戦火と南北対立にもまれる受難、消息を断った人びと、アメリカでの新たな出会い……。


【著者プロフィール】


★1942年兵庫県に生まれる。立命館大学卒、大阪大学大学修士課程修了、ミシガン州立大学大学院博士課程修了、工学博士。
1976年「わが家の三代記」が『季刊三千里』の第一回入選作品として選ばれる。
1979年「25年目の故郷」が『季刊三千里』に掲載。1979年夫とともに渡米して以来、米国に居住
2010年「樹を植えに行った話」が在日女性文学誌『地に舟をこげ』の第4回受賞作に選ばれる。
2011年「終戦60年を迎えての願い」が『情況』新年号に掲載。
現在はワシントン州のベルヴュ市で夫と14歳のヨークシャテリアと暮らしている。
   

【目次】

1 シカゴへ
2 私の子ども時代
3 日本をめざして
4 東京朝鮮中高級学校で
5 アメリカで生きる
6 父の物語
7 母の物語
8 朝鮮民族の命脈
  エピローグ
【あとがき】

  『天が崩れ落ちても生き残れる穴はある』という標題は大袈裟過ぎるのではないかと、この本を最後まで読まれた方は思うかもしれません。天が崩れ落ちてくるような状況とは個人の力では遮りようがない災難に直面する事態であろうと思いますが、幸いなことに成人に達してからの私の人生行路にはそのような非常事態は起こりませんでしたので、この標題はいささか気負い過ぎているかもしれないと思っています。
子供のころに祖母が昔話を締めくくりながら独り言のようによく口にした言葉であったので、私の記憶の中にこの言葉が鮮明に残っているのでしょう。祖母の独り言は大人になってからの私の目を天が崩れ落ちるような災難に出会った人々に向けるように私を導いたと思います。また、生き残る穴があると信じてそのような困難な状況に耐えて、営々と生きている人々への敬意を抱かせたと思います。
 2011年3月に起こった東北大震災はまさに天が崩れ落ちるような事態でした。戦争や悪政などの人為的な災害と違って、天が齎した災害には加害者はなく、すべてが被害者になって、悲しみは純粋な悲しみとなりました。なす術もなく巨大な津波に飲み込まれた東北に原発事故という超巨大な人災が重なり、東北人にとっては天が崩れ落ちたような状況になりましたが、生き残れる穴はあると信じて明日を生きていくに違いないと信じます。   
 天が崩れ落ちるような災難にあったさまざまな人々が、生き残る穴を求めてたくましく生きている姿を見てきました。東北人もきっとそうであろうと思います。災難を経験した人々は豊かな想像力と優しい共感をもって災難に出会った他者に向かうことができます。六七年前に、人類始まって以来の災難にあった二つの都市からこの想像力と共感をバトンタッチされた福島の人々の声が日本を動かす大きな声になる日が遠くないことを祈っています。
ささやかな本ですが、この本が出来上がるまでに、多くの人々との出会いと励ましがありました。2010年に大学卒業以来、初めて立命館大学の『ウリ同窓会』に出席しました。そこで後輩の蘆桂順氏から「先輩には書くことが多いでしょう」と、在日女性文芸誌『地に舟を漕げ』を手渡されました。作品募集に応募して書いた『樹を植えに行った人の話』が幸いに入選して2010年の五号に掲載されました。その作品を通じてかねがね敬意を寄せていた選者の一人の澤地久枝氏から作品構成に対する懇切な批判と助言と励ましをいただきました。
 夫は愛知県豊橋の時習館高校を卒業しています。同窓生の内田雅敏氏は弁護士として幅広い活動をされており、数冊の書物の著者でもありますが、雑誌に掲載された作品を読んで、ぜひ一冊の本にしなさいと励ましてくださいました。氏の励ましは我が事のように本の出版を望む熱意の籠ったものでした。また同じ同窓生の辻村一二三氏からも親切な助言と励ましをいただきました。この本は「樹を植えに行った人の話」を増筆し、梨の木舎の羽田ゆみこ氏の校正が加わって完成されました。龍谷大学名誉教授の江南和幸博士は副題「二つの祖国と日本に生きて」を付けてくださいました。なお表紙のツツジの花は玉著『里山百花』の中の植物画です。マイクロブライト社が財政的援助をしてくださったことを付け加えます。皆さまのおかげでこの本が誕生しました。ありがとうございました。
                                          李貞順
                                          2012年9月
【編集者より】

 「あの海を豆粒みたいな船で渡ったね、あの時は私も若くて、あんたも小さかった」(217頁)。 貞順さんのオモニは飛行機から海を見おろしつぶやいた。何回読んでも、ここまでくると胸が詰まる。貞順さんとオモニとの姿がうかんでくる。(そして私自身の母の姿も重なる。母と私は海を渡ったわけではないし、命の危険にさらされたこともない、が…)
 朝鮮戦争のさなか、日本から帰らない夫の元に行くために、貞順さんのオモニは幼い娘の手をひいて、馬山から小さな漁船に乗る。日本に向けて命がけの旅。その近くの統営の港を訪ねたことがある。
 李舜臣が、秀吉の軍勢と戦って勝利した海戦の地で港には復された亀甲船が係留されている。湾には大小さまざまな島が美しい景色をつくっていた。李貞順さんたちの旅立ちもこのような入り江からだっただろうか。美しい島々が懐かしく蘇る。
 『天が崩れ落ちても生き残れる穴はある』というタイトルは、少しオーバーかもしれないと著者は言う。「犀の角のように一人で行け」というタイトルもあった。「天が崩れ落ちても」は「何が起きても、大丈夫だよ」と、励ましてくれる気がするのだ。「天が崩れ落ち」るような厄災、著者もあとがきでメッセージを寄せているが、まさに福島の人たちがこうむったことだ。

「東洋経済日報」で紹介されました】2012年12月14日掲載