草野比佐男/詩集
玉川村金成


草野比佐男著


定価:本体1400円+税
ISBN 4-8166-0604-1
A5判 53頁


18歳で15年戦争の敗戦にあった草野さんは、事あるたびにかつての戦争を振り返る。あの長く愚劣な、飢えと蚤の、学徒援農隊の、軍事教練の、教師と上級生には絶対服従の、理不尽な私刑の対象にされた戦争の記憶を呼び戻す。そして草野さんは農学校のみならず、学校の外の大多数の大人たちの、国家権力とその先棒かつぎにノーといえない「大勢」順応の怖さを甦らせる。
「すべては愚図で強情な少年の挙国一致・一億一心の時代への不適合に起因した」という多数からの孤立感、怖さ、が〈戦争を経て確信となりしこと多数派の行方必ず誤る〉という歌に収斂していったのである。
【プロフィール】

草野比佐男さんが昨年9月22日に亡くなった。享年78。阿武隈山地南部のむら(いわき市三和町渡戸楢木)で農林業に従事しながら、短歌・詩・小説・評論などを書き続けた。代表作は1972年に発表し、大きな反響を呼んだ詩集『村の女は眠れない』。晩年は足を悪くして田畑を耕すことが出来ず、原稿を書くことが生活の中心だった。
第6回農民文学賞(歌集「就眠儀式」)、第10回地上文学賞(小説「新種」)を受賞。
著書に「村の女は眠れない・草野比佐男詩集」(梨の木舎)など多数。

【〈跋文〉】より

草野比佐男作〈青年の文学〉〈老年の文学〉について・・・・・・ 佐藤久弥

  願はくは国の滅びに命終のやや先んじてあばよさよなら(『この蟹や何処の蟹』)
  かつかつに農を支へて老いにけりいかに死ぬとも憤死と思へ(『老いて蹌踉』)
 草野比佐男さんが昨年9月22日に亡くなった。享年78。阿武隈山地南部のむら(いわき市三和町渡戸楢木)で農林業に従事しながら、短歌・詩・小説・評論などを書き続けた。代表作は1972年に発表し、大きな反響を呼んだ詩集『村の女は眠れない』。晩年は足を悪くして田畑を耕すことが出来ず、原稿を書くことが生活の中心だった。
  田打鍬よりはじまりぬ敗戦の年よりのわが農のじぐざぐ
  所得倍増計画 農業基本法 遥けしやわが苦の発端に 
  僻陬の農の推移とともに老いて底ごもる思ひ殺意に近し (『この蟹や何処の蟹』)
 『現代日本朝日人物辞典』には、〈草野の著作は・・・農村社会とそれを取り巻く状況に対し、農民の論理や感性で肉薄するところに特色がある〉と記されている。短歌から詩、小説、評論という表現領域に移ったのちも、草野さんはその特色を遺憾なく示し、農民と農業の荒廃を招く原点を見据える鋭い表現活動を続けてきた。
  ありていにいへば機械をつぎつぎに買ひ換へしのみわが農業は
  ご足労とはこのことよ足曳きて死票とならむ選挙に向ふ
  死にいたる病とは絶望の謂といふ半死半生か日本人われは
 当初、草野さんは歌人として出発し、前衛歌人の旗手の集団といわれる「青年歌人会議」に参加し、岡井隆、岩田正、馬場あき子、上里三四二、塚本邦雄という俊英歌人に伍して活動している。『現代短歌大系』収録の歌集『就眠儀式』から当時の草野さんの作品をいくつか引用してみよう。

  上着・弁当・余剰の思想 働かんさまたげをひとまとめに枝につるす
  一撃のたびに手斧をしらべつつ岩の峨峨たる山に樵す
  どこらから天なりや 黄葉もみじかがやきし大樹を伐りて茫々青き
  山の太郎・山の次郎を伐りふせてひろげゆく秋の藍濃き天を
  伐りふせし樹をつぎつぎに控えゆき手帳のなかへ移動する森
  みずからの腕と脛もてはたらけば天そそる山らよりも傲岸
 
 一読してかれのすぐれた才能の原質にある――ここではく峨峨たる山に樵す〉情景を力強いリズムでうたう硬質な叙情とでもいうような――爽快で瑞々しい歌の世界が感知出来ると思う。ずばり言い切った体言止めの手法も新鮮で効果的である。〈みずからの腕と脛もてはたらく〉草野さんのく天そそる山よりも〉輝かしい確信に満ちた〈青年の文学〉があるともいえよう。しかしこの後、まもなく草野さんは短歌を止めている。

  売り易き雑文を世過ぎとせしこともとどのつまりは農のおとろへ(『この蟹・・』)
  百姓と呼ばるる定住難民にからくれなゐの村の落日

 しかし『就眠儀式』から茫々40年を経て、2001年に歌集『老いて蹌踉』、03年に『この蟹や何処の蟹』を立て続けに出し、再び歌の世界に戻ってきている。
 この詩集「玉川村金成」はワープロが出回りはじめたころ、草野さんが横一行だけ文字がでるワープロを買って、操作の練習を兼ねて書いたものである。それを草野さんは自分で製本して限定五部の私家版詩集を作っている。限定の一部はわたしも小包便(昭和61年9月8日消印)で贈られたが、〈一応連作詩のような形はとっているが特に詩を意識しなかった。当然、詩になっていない。それでも捨てずに残しておくのはいわゆる鶏肋の思いに促されたということか〉というコメントの紙片が挟んであった。
 いずれこの詩集に手を入れて決定版を出すつもりだったのであろう。
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