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米国/人種政策は、死刑と刑務所拘禁

今井 恭平(ジャーナリスト)

【米国でもっとも著名な冤罪死刑事件】

 狭山再審請求棄却の異議申立が棄却された1ヶ月ほど前の昨年12月18日、米国でも、ある著名な冤罪事件の再審請求が連邦地裁で棄却された。ムミア・アブ=ジャマールという黒人ジャーナリストが、1981年に白人警官を殺害したとされる事件で、82年に死刑判決を受け、95年から再審請求を行っているケースである。これは、米国でもっともよく知られたえん罪死刑事件であり、世界的な支援活動が広範囲に展開されている。

 事件の詳細を語る余裕はないが、82年の一審は、人種差別に凝り固まった裁判官・検察官共謀による、法の名を借りたリンチ以外の何物でもなかった。

 検察側立証の核心となった目撃証言は利益誘導でもたらされ、被告人に有利な目撃証人は、警察の脅迫を受けた。殺害された警官の体内から摘出された銃弾と、凶器とされたムミアの拳銃の口径の不一致は、陪審員に隠されていた。陪審員からは、黒人が意図的に排除された(黒人を陪審から排除する法廷戦術をレクチャーしたビデオが、検察官の研修で使われていたことが、後に発覚する)。

【再審請求と決定的な新証拠】

 95年にフィラデルフィア一般訴訟法廷で始まった再審請求で、ようやく真実を明るみに出す努力が始まった。弁護側は新たな証拠や証人を申請し、先に紹介した一審のデタラメさが次々に暴露された。だが、この裁判には致命的な問題があった。担当判事が、一審と同一人物だということである。

 全米でもっとも多くの死刑判決を下した(その殆どが黒人)ことで有名で、白人人種主義組織のメンバーでもあったセイボ判事は、弁護側の主張をことごとく退け、自分の下した一審判決を支持し、再審請求を棄却した。弁護団はさらに上訴したが、98年10月、州最高裁によって棄却され、裁判は州から連邦へ移行した。

 2001年5月、弁護団のメンバーが一新され、同時に決定的な新証拠が提出された。自分が警官射殺の真犯人である、と名乗り出たアーノルド・ビバリーの宣誓供述書である。彼は、麻薬や売春を商売としている地元のならず者と汚職警官に雇われ、警官を殺した、と述べている。殺された警官は、警察汚職の内定調査をしており、ギャング達にも汚職警官にも都合の悪い存在だったというのである。

【死刑判決を破棄。だが・・・】

 この新証拠を連邦地裁がどう評価するかに注目が集まっていた。だが、同地裁のヨーン判事は、これに一顧だも与えず、一回の公判も開くことなく、昨年末の判決を下した。

<再審請求は棄却し、有罪を維持する。しかし、死刑判決は無効とし、180日以内に、新たな陪審裁判であらためて量刑を決定する。もし州がこれを行わない場合は、仮釈放なしの終身刑とする>ヨーン判決の骨子は、こうしたものである。

 この判決を聞いた時、私がすぐ連想したのは、74年10月、東京高裁、寺尾裁判長が、石川一雄氏に下した無期懲役判決である。死刑は覆したが、無実の人間を有罪とし、生涯自由を奪い取ることが許されるだろうか?

 また、この200ページ以上にわたる判決は、狭山事件の再審棄却と同様、事実認定に関わる実体的な判断を回避し、法手続の形式論理のみに終始している。死刑を覆した理由は、陪審団が死刑を選択した際、より軽い刑も選択可能なことを正しく認識できるように説示(裁判長が陪審団に行う法的な助言)されなかったということである。

【無実か否かは関係ない!】

 ヨーン判事が事実認定を回避したことには、96年に制定された「反テロおよび効率的死刑法」が関係している。この法律は、死刑事件の迅速な処理を目的とし、連邦裁判所は、州裁判所の事実認定を「正しいものとみなした上で」審理を行うとし、事実上、連邦裁判所への上訴権を著しく制限している。

 またヨーン判決は、93年の連邦最高裁レーンクィスト判決の<無実は弁護抗弁とならない>(innocence is no defense)を引用している。つまり、連邦裁判所は、法手続の適正さを判断するだけで、たとえ無実の証拠が出てこようとも、事実認定に関する誤りの是正は行わないというのである。人間の生命よりも、判例が尊重されなければならないのである。実際、無実を立証しえたかもしれない証拠の審理を拒否され、処刑された事例が複数存在する。

 最近、DNA鑑定によって、死刑確定後に無実が証明されて釈放される事例が続いており、これがイリノイ州をはじめとする死刑執行モラトリアム(一時停止)の動きを促進しているのだが、一方では、こうした判例が未だに生きているのである。

【死刑適用と刑務所人口の不均衡】

 ムミアは、70年代からラジオ・ジャーナリストとして活躍、貧困層や人種的マイノリティの立場に立って、政府や警察の人種差別的政策や暴力を批判し続けてきた。そして、20年に及ぶ拘禁の中でも、出版などを通じ、その根底的な批判活動を続けている。95年に獄中から出版した『死の影の谷間から』(今井恭平・訳/現代人文社刊2001年)の中には、米国社会の底部を貫く人種的抑圧が、息詰まるような現実として描写されている。彼が告発してやまないそうした事実の一つに、死刑適用における人種差別がある。

 「ジョージア州では、白人を殺害したとされる被告が死刑を宣告される率は、黒人を殺害したとされる場合と比較して4.3倍ある。白人の殺害で有罪となった被告11人のうち6人は、もしも被害者が黒人であったら死刑判決を免れていた。<中略>被告が死刑になるか否かの決定に際して、人種が顕著な役割を果たしていた可能性は著しく高い」(同書)

 これは、87年のマクレスキー対ケンプ裁判で、死刑が人種差別にもとづいている証拠として提出されたバルダスによる統計研究である。結果的には人種差別による死刑の違憲主張は認められなかったが、連邦最高裁判事の中でも、差別であることを事実上認めたブレナン判事などの少数意見も付加された。

【肥大化する刑務所産業複合体】

 より最近の資料を引用する。NAACP(有色人種地位向上協会)による2000年の統計によれば、全米の死刑囚3652名のうち、黒人は1562名(42.8%)白人が1701名(46.6%)ラテン系312名(8.5%)、残りがネイティブ・アメリカン、アジア系などである。黒人が全米の人口に占める比率は10-15%だから、死刑囚監房における人口比率が異常に高いことが分かる。

 米国の刑務所人口は、200万人を超えたと考えられ、ことに90年代に入ってからの増加率が著しい。この頃から「三振アウト法」と呼ばれる累犯者への刑の加重規定が各州で制定され、過剰拘禁に拍車をかけるようになった。その多くが、若い黒人男性である。ムミアは、黒人にとって刑務所は「苦しい人生にもう一つ嫌なエピソードが付け加わることにすぎない」(同書)と述べている。

 ハイテクを駆使した最新刑務所建設に莫大な投資が行われる一方、貧困層のための住宅政策はますます見捨てられている。いや、刑務所こそ、黒人達への住宅供給政策なのである。それは今や一大産業となり、プリズン・インダストリアル・コンプレックス(刑務所産業複合体)と呼ばれる。だが、これについて詳述するには、稿をあらためる必要がある。

ムミア事件に関する詳細は、以下のウエッブサイトをご覧下さい。

ムミアの死刑執行停止を求める市民の会