ニュース第49号 99年10月号より

「任意団体」を抜け出るということ

     森づくりフォーラム 代表 園田安男

 

 いろいろといらだつことやうまくいかないことがあっても巨木の立つ森の中を歩けば、森づくりの時間の長さを実感し、自分の活動のあわただしさを反省して、心穏やかな気分を取り戻すことができる。森づくりの時間の長さに身を置くことができるからだ。森づくりフォーラムもそんな気分でながめることができればいいのかもしれない。

 さて、「任意団体・森づくりフォーラム」もやがて「NPO法人森づくりフォーラム」にバトンを渡そうとしている。9月4日、「NPO法人森づくりフォーラム」設立総会が無事に終了。すぐに申請手続きしたので、来年のはじめには法人として登記することができるだろう。晴れて、「NPO法人森づくりフォーラム」の誕生である。任意団体森づくりフォーラムとしてのニュースもあと2回。ニュースも大幅に刷新されるぞ、とはいかないかもしれないが。

 個人的なことでいえば、任意団体として出発してきた森づくりフォーラムで旗振りをして5年。今度は副代表ということで、ちょっとだけ脇にづれさせてもらう。この間、やりたいこともいくらかはガマンし、「代表」という肩書きゆえに思わず口ごもることもちょくちょくであった。気分的に楽になるのはいいが、責任感も薄れそうで怖い気もするが。もともと責任感という貯金はほとんど持ってなかったので、ま、いっか、である。

 今年最初の巻頭言にて「全国的なネットワークづくり」の必要性を書いた。広く森林政策を問おうとする限り議論の場を大きくしなれば対応できないことは明らかで、その意味から全国的なネットワークづくりは要求されていたのである。今回、NPO法人森づくりフォーラムの理事の構成を見れば、その方向に進んでいるとはいえる。しかし、今後の森づくりフォーラムの歩むべき道は充分に合意されているとは言い難く、例によって歩きながら考えるということである。ただ、歩むべき道の議論は必要であり、その議論のためにも任意団体・森づくりフォーラムとしてのこれまでを振り返っておく気になったのである。

 森づくりフォーラムが合意を取り付けようとしてきたこと、それはあれかこれかの二元的な対立軸でものを進めない、ぶっちゃけていえば、異議申し立てが第一義にあるのではなく、自分たちにできることからはじめ、行動で提案していくというものだった。これは今の森林ボランティア活動というものの全体的な合意と言え、あまたある市民活動の中でもひとつの潮流というべき流れを作っていると言っていいし、森林ボランティア活動の特徴でもある。異議申し立ての運動でもなく、行政を頼りにする活動でもないというスタイル。中にはそうとも言い切れないものも当然にもあるが。また、ここには行政の補完物に落ち込みやすいスタイルでもあることを理解しておくことはいる、と注釈はつけておこう。

 さらにいえば、森林へ関わる出自で区分しない。つまり、林業家だから、行政職員だから、林業ボランティアだから、環境保全活動だから、という区分けでなく、「山が好きか、山の活性化を願っているか」という選別で、林業家もいろいろで、行政職員もいろいろ、ましてや市民グループもいろいろ、ついでに人生いろいろであるという認識を持とうとしてきた。だから、立場の違いを理解して一緒にやるというスタイルがとり得たのである。

 もうひとつはネットワークとつながりである。個別のタコ壺から首を出したのだ。このことは森林ボランティアがひとつの勢力という流れになりつつあることから成果はわかる。

 森づくりフォーラムの活動はこのような流れを促進するために働いてきたといえる。

 問題はこれからだ。先に述べた人生いろいろ路線というべき、相互理解を旨とするスタイルは山村での活動をする場合の現実的選択であったのだが、いつまでも「人生いろいろ」の相対主義で、ものわかりのよい、いいかえれば「あんたはあんた、わしはわし」ということに陥っていく危険性もあるということだ。

 当然、結論は相互に提案しあう関係になることなのである。そのために、それぞれができることはまず、一般論から抜け出すこと。それぞれが方向を、どこへいくのかを明らかにすることだろう。昔風に言えば、「個別に戦略を」ということになる。「方向のない林務行政」だけが責められるのではちょっとね、ということだ。素朴で自然発生的な、ある種、手探りの活動から意識的に前に進むということである。どっちが前か後ろかなど不明確であるということを誇るものがいるがそれは違う。たびたびいうが、社会的な活動をしているわけで、個人の趣味を寄せ集めたものではないのだ。

 端的に言えばオタクっぽい活動から抜け出るのだ。林業オタクであったり、動植物オタクであったり、環境オタクであったり、ボランティアオタクであったりの状態から。客観的な支持を得ようとするなら、何を目指しているのかという方向がいる。それも、説明できる方向が。活動しているいろいろなグループが通信のたぐいを出している。読んでも何をしているかはわかるが、どこへ行こうとしているのかはわからない。このようなグループの活動の質が変化しない限り全体の変化もあり得ない。ネットワークの強化もあったもんじゃない。

 一つの結論はこうだ。私たちの立場は違っても協力してやれるという関係を作り出した。しかし、ここで自分の成果そのものをもう一度問うことがいるのだ。相互に批判し、提案するという関係を模索せねばならないだろう。

     (「個別に戦略を」という具体性は次号を待て)

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