内部告発による東電文書が示す福島第T−1号機のひどい実態
出るはずのないプルトニウムまで排気筒から放出
労働者被ばくを強要するプルトニウムなどによる全面汚染
不揮発性のプルトニウムまで飛び出した事故の重大性が隠されている

 

 「原発で働いたことのある人」から、今年9月27日に美浜の会に内部告発がメールで寄せられました。「東電福島第一原子力発電所1・2号機のスタック(註:排気筒)から、1980年前後、毒性の強い放射性物質α核種を大気へ放出していました」というものです。その後、この内容を裏付ける資料が郵送されてきました。それは、昭和56年(1981年)12月付けで、(福島第T原子力発電所・技術部)第一保安課の名前で出され、所長、副所長、技術部長など8名の印が押された文書です。「スタックからの放出放射能の低減に関する検討結果について(松葉作戦)」とのタイトルでα核種放出低減作戦が示されています。


T.「松葉作戦」文書の内容
 
この資料の内容は、基本的に以下に示すようなものです。
 
(1) 福島第T原発の1・2号共用スタック(排気筒)から検出限界を超えるα核種が放出されている。その放出濃度の最大値は、昭和54年度で3×10-13、55年度で2×10-14 、56年度で1.5×10-14μCi/cm3であった(注:この記述の箇所p.2では、単位がμCi/cm2と書かれているが、p.8の記述に照らしてもこれは明らかに誤記である)。指針による検出限界値は1×10-14 μCi/ cm3であるから、昭和54年度の最大濃度値はその30倍の値だったことになる。このような最大濃度はいずれも1号機の定検中に出現している。しかし、後に付けられたグラフを見ると、昭和54年の4月から7月にかけては1号機の運転中でも検出限界を超えるα核種が排気筒から放出されている。この時期、他の原発からのα核種は検出限界以下であった。
 
(2) このようなα核種(及びβ核種)がどこからきているかを突きとめるために、1号機の原子炉建屋とタービン建屋の各階の床の汚染が調査され、その調査結果は「1号機高所表面汚染密度検査測定結果(測定56年10月) 技術部第一保安課」としてまとめられ報告書に付けられている。また過去(55年度と56年度)の定検時のエリアのダスト測定値も検討され、放出割合の高い箇所が調査されている。表面汚染の最も高いところでは、α表面密度濃度が検出限界値の26倍にも達している(原子炉建屋地階)。全体的には5階の汚染が特にひどい。1階も全体的に汚染されている。これらの調査に基づいて対策箇所が特定されている(p.5)。
 
(3) 運転中でも検出限界を超える放出が排気筒からあったことが認められその低減対策として、@運転中の放出源の一つとして各エリアからの汚染の舞い上がりによる寄与が考えられるため、汚染のひどい床の除染を行うこと。A運転中の他の放出源として、CUWフィルタースラッジ受タンクベントからの放出が考えられるため、同タンクベントにフィルターを設置すること。
 
(4) 結論の対策として、@いろいろな汚染のひどい箇所にフィルターを設置すること、A汚染のひどい箇所の除染を行うこと、が提言されている。測定時間を考慮した検出限界値を4×10-15μCi/ cm3 と定め、「今回の対策の主旨は、排気筒からの放出放射能にα核種が一度でも検出されないようにするためのものであるため」、さらにその1/2にすることを目標として、そのときの現状α核種の放出最大濃度1.5×10-14μCi/ cm3 を1/10程度までに下げることを目標として置いている。この記述から、やはりα核種は出してはいけないと意識していたことが伺える。
 
(5) この他に特筆すべきこととして、最後に付けられたグラフを見ると、コバルト60の検出限界(指針では1×10-13μCi/ cm3 )を超える量が、グラフの存在する期間(昭和54年4月から56年11月)にずっと絶え間なく排気筒から放出されていることが確認できる。
 
★このようにこの文書では、α核種が排気筒から放出されていたこと、α核種による汚染が1号機原子炉建屋内のほぼ全域に広がっていたこと、コバルト60が絶え間なく放出されていたことを示し、それらを外部に出さないための応急的対策が提言されています。しかし、なぜα核種が存在しているのか、炉内部からの放出をどう防ぐかという問題には、この文書の性格からか、まったく関心が寄せられていません。

 
 
U.この文書が示唆する3つの重大な問題
 
 この文書に書かれている事実を他の情報と重ね合わせて考察してみると、ここには実に重大な問題があること、それらが隠されてきたことが明らかになります。それらは以下の3つの問題としてまとめられるでしょう。

 
1.出るはずのない危険なPuなどα核種が排気筒から放出されていたが隠されていた
 「毒性の強い放射性物質α核種を大気へ放出していました」と最初の告発にあるとおり、この点が告発してきた人の最も懸念されている直接的な問題だと思われます。後でも述べるとおり、通常原発ではα核種は重大事故などよほどのことがないと出ないものとされ、通常運転中では、希ガスとヨウ素だけが排気筒での常時測定の対象となっています(ヨウ素については下のグラフが示すように昭和53年(1978年)に異常に高くなっています)。
原子力白書・原子力安全白書より美浜の会作成

 排気筒については、福島県には放射線カウント数だけが報告されており、国にも核種測定に関する報告はなされていません。公表されているのは希ガスとヨウ素だけです(安全白書)。α核種のような予想外の核種が排気筒で高濃度で検出されたこと自体がきわめて異常なことでありました。排気筒での最大濃度3×10-13μCi/ cm3は、敷地境界でのプルトニウム239濃度規制値と比べるとその約11倍に相当します。この高い濃度からすれば敷地境界で濃度規制に違反していた可能性があります。事実、気象条件が非常に安定しているとき、排気筒から約500m離れた地点での排気筒放出高さでの濃度は、濃度規制値の約8倍程度となります。従って住民を被ばくさせる危険があったということです。このような異常な放出は、直ちに福島県や国に報告されるべきではなかったでしょうか。
 また、コバルト60が常時高濃度で排気筒から放出されていたこともこの文書で明らかになりました。この点、この事実を裏付ける調査結果が当時に出されています。昭和51年(1976年)4月には敷地外の松葉でコバルト60やマンガン54が発見されています(内部文書の「松葉作戦」はこの事実に由来しているのかも)。また、昭和55年(1980年)の日経新聞の記事によれば、昭和53年から放射能汚染環境調査グループによって行われた調査で、コバルト60がホッキ貝などから検出されたことが発表されています。この当時に、この内部文書が公表されていれば、建屋内のひどい汚染状況と重ねて問題になり、東電に対して応急措置だけでなく本格的な対策をとるよう社会的に問題化されたことでしょう。
 住民の被ばくの危険を隠そうとした東電の姿勢が改めて問題にされるべきです。

 
2.労働者被ばくを強要するひどい汚染実態が隠されてきた
 上記のような住民を危険にさらす排気筒からの放射能放出は、高度の労働者被ばくをもたらすほどに、建屋内の放射能汚染がひどく進んでいることの必然的な結果だったのです。
この内部文書が示しているのは、原子炉建屋内の床面などがほぼ全面的に、5階から地階までα核種やβ核種によってひどく汚染されているということです。しかもその汚染は少なくとも3つの年度に渡っています。労働者は作業のためにその床面にいるだけで、またその対策としての除染作業に従事するとき相当な被ばくを受けたに違いありません。このことは下記のグラフが示すように、被ばく線量の資料に明確に現れています。昭和53年(1978年)に急激に高くなっており、その後も余り下がらずに高いレベルで推移しているのが分かります。ただしこのグラフが示しているのは、βとγ線による被ばくだけで、アルファ線による内部被ばくは含まれていません。

原子力白書・原子力安全白書より美浜の会作成

 さらにこの当時、この福島第一の1号機の定検(79.12から)で、通産省が、管理上の目安線量の10倍にも相当する高い線量(1日当たり10mSv)の被ばく作業を、GE社の米人労働者に認めていたことが明らかになっています(昭和55年(1980年)付け朝日新聞)。まさしく通産省もグルになってひどい汚染状況を容認し、被ばく労働を強いていたことが明白です。そうしなければ、この1号機を動かすことは不可能だったということでしょう。
 その結果、平成元年(1989年)1月30日付け毎日新聞記事にあるように、福島原発で働いた労働者の場合には、染色体異常が一般住民の2倍近くもあるという調査結果が出ています。原発内の被ばく労働は、これほどまでに深刻な問題をもたらしているのです。
今回暴露された内部文書が示すような具体的な汚染の実態が隠されてきたがゆえに、このような被ばく労働者の悲惨な実態が生み出されてきたと言えるでしょう。この実態は、まさに樋口健二氏が『闇に消される原発被曝者』などの写真とルポで告発し続けたものです。
 

3.α核種を放出した重大な事故が隠されている
 それではこのようなひどい汚染をもたらしたα核種はいったいどこからきたのでしょう。例えばコバルト60の場合は、ステンレス製配管に含まれるニッケルなどに中性子が当たってつくられるため、冷却水中に普段でも含まれているものです。ところが、プルトニウムやアメリシウムなどのα核種は、ペレットの中にあって燃料棒被覆管に覆われています。この被覆管にピンホールができた場合、希ガスやヨウ素などの揮発性核種であれば、ペレットから揮発してピンホールを通って冷却水中に出てきます。しかしα核種は不揮発性であるため、これが冷却水中に出てくるためには、第1に燃料ペレットが溶融するか粉々になるような事態が発生し、第2に燃料被覆管が破れることが必要となります。このような事態が、福島第一の1号機で起こったに違いありません。
 このような事故を示唆する記事が昭和53年(1978年)12月20日付けの新聞記事に出ています。福島民報記事では、資源エネ庁発表として、9月1日から始まる定検で、400体の燃料体のうち6体の被覆管から「微少な割れ(ピン・ホール)が発見された」が、「放射能もれといっても外界とは完全に遮断されており周辺地域への影響はない」と報道しています。同じ日付の朝日新聞では、「資源エネ庁から19日、福島県に入った連絡によると」、約400体のうち22体で放射能もれがあり、そのうち6体では燃料棒の一部にひび割れが見つかった。「伏谷潔所長の話では、ひび割れはいずれも長さ約10センチ程度」だと報道されています。
 この伏谷所長の話によれば、長さ10センチメートル程度のひび割れが少なくとも6本の燃料棒に生じていたことになります。これはこのひび割れの大きさから、きわめて異常な事態が生じたことを物語っています。恐らく何らかの爆発的な事態が被覆管内のペレットで起こり、被覆管が割れるとともにα核種までが冷却水中に相当大量に放出されたことを示唆しています。そのような原因としては制御棒の異常による一部出力の急上昇が考えられます。事実この原発では、その以前に制御棒関係の事故がかなり頻発しています(73.11.30; 74.5.4; 76.6.1; 77.5までの定検時; 直近では78.6.22に制御用空気系不調で原発が自動停止になっている)。また、77年5月までの定検で燃料集合体14体で漏れが見つかっています。結局、α核種までが飛び出した事故の重大性が隠されたままになったのです。
 この事故は昭和53年(1978年)9月1日の定検開始までの運転中に起こったに違いありません。そして定検で原子炉上部にある圧力容器上ぶたを開けたときに、α核種やβ核種が一気に容器外の5階に出て、そこから建屋全体へと広がっていったものと考えられます。内部文書で排気筒濃度を示すグラフは昭和54年4月から始まっていて、肝心のそれ以前がありませんが、昭和54年の4〜7月と10月には、運転中でも検出限界を上回る高いα核種濃度が排気筒で測定されています。これらがその前の年の9月からの定検時に放出されたものだとすれば、その定検時の濃度はどれほど高いものであったか、想像することもできないくらいです。その肝心のデータが隠されたままになっています。また、それ以後の定検ごとに排気筒のα核種濃度が上がっていますが、これは上ぶたを開けることによってその都度放出されたものだとすれば、冷却水中にずっと高い濃度のα核種が存在していることになり、冷却水浄化装置のフィルターによっても除去仕切れないほどの状態にあったことになります。
 このような事故の重大性が資源エネルギー庁とグルになって隠されてしまったことは否定しようのない事実です。これを公表すれば、一層危険な労働者被ばくを強要したり、住民を被ばくの危険にさらすことが明らかになり、1号機の運転そのものに支障をきたすと判断したからに違いありません。
 

 
V.問題の全容が公開され、責任が明らかにされねばならない
 
 長い間隠されてきて、いま初めて明らかになった東電の文書が示していることは明白です。住民を被ばくの危険にさらし、労働者に被ばくを強要しなければ福島第一原発1号機を動かすことはできなかったということです。だからこそこのような重大な事実を隠してきたのです。
 このような体質はいまシュラウドなどで問題になっている東電の体質と共通しています。ずっと前からその体質が存在したまま、何の改善もされなかったということを示しています。
 また、燃料棒被覆管のひび割れのひどさからも、α核種まで放出された事故の重大性を資源エネルギー庁が知らなかったはずはありません。一緒になって事故隠しを行い、それに伴う異常な被ばくを下請け労働者、外国人労働者に強いるような措置を認めていたのです。このような徹底した事故隠し、情報隠しの背景には、昭和54年(1979年)3月のスリーマイル島原発事故によって、反原発運動が高揚していたという事情があるのかも知れません。
 以上の点から私たちは以下のような事項が早急に考慮されるべきであると考えます。
・ このような問題の全容が明らかにされ、東電の責任が厳しく問われるべきです。
・ すべての電力会社がα核種などの放出実態を公表すべきです。
・ いま画策されている「維持基準」の法制化をただちにやめるべきです。今回の内部告発は、東電の不正問題がまだ終わっていないことを示しています。いまの「厳しい」はずの基準でも、放射能は垂れ流しにされていることが明白になりました。まして「維持基準」が法制化されれば、その基準がこれまでより格段に緩い基準となり、放射能を放出することがさらに促進されるに違いありません。今回の内部告発は、「維持基準」で予想される腐敗的・退廃的な傾向に強い警告を発していると考えるべきでしょう。


2002年10月23日
美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会
 

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