東京電力がプルトニウムを放出していたという内部告発を受けて
 
声   明


 8月29日の東電不正事件発表から一ヶ月後、経産省と東電が一体となって事件の幕引きを急ぐ最中の9月27日、当会に内部告発のメールが寄せられた。「原発で働いたことのある人」から、「東電福島第一原子力発電所1・2号機のスタック(註:排気筒)から、1980年前後、毒性の強い放射性物質α核種を大気へ放出していました」という内容である。その後、この内容を裏付ける資料が郵送されてきた。資料は、昭和56年(1981年)12月付けで、「スタックからの放出放射能の低減に関する検討結果について(松葉作戦)」とのタイトルである。
 
 資料では、福島第一原発1・2号機の排気筒から、通常運転では出るはずのないプルトニウム等の危険なα核種が放出され続けていた事実が示されている。放出濃度の最大値は、昭和54年度の3×10-13μCi/cm3で、国の指針の検出限界値の30倍にも達している。さらに、原子炉建屋全体の床表面がプルトニウム等で汚染されていることも記されている。表面汚染の最も高い所では、α表面密度濃度では検出限界値の26倍、β核種のそれは約500倍にも達している。資料には、「α核種の放出は1号機からの放出がほとんどであって、定検時は運転時の5〜10倍となっている」と記されている。これは、定検で原子炉のふたを開けた時に、放射能が原子炉建屋内に広がり、定検の作業で労働者達が通路を通るたびに、「汚染の舞い上がり」が起きるという。そして「松葉作戦」は、この床表面の除汚作業、すなわち雑巾がけ等と、各所にフィルターを設置することによって、「排気筒からの放出放射能にα核種が一度でも検出されないようにする」としている。
 
 この内部告発資料は、以下の事を示している。
 
 
1.出るはずのない危険なプルトニウム等のα核種が排気筒から放出されていた。そしてそのことは隠され続けてきた。
 原発の日常運転では、プルトニウム等のα核種は出ないことになっている。通常運転中は、希ガスとヨウ素だけが排気筒での常時測定の対象となっている。原子力安全委員会が発表している各サイトごとの放射能放出量でも、希ガスとヨウ素だけしか公表されていない。プルトニウムのような危険なα核種が排気筒で高濃度で検出されたこと自体が極めて異常なことである。排気筒での最大濃度3×10-13μCi/cm3は、敷地境界でのプルトニウム239濃度規制値の約11倍に相当する。事実、気象条件が非常に安定しているときに、排気筒から約500m離れた地点での排気筒放出高さでの濃度は、濃度規制値(2.7×10-14μCi/cm3)の約8倍程度になる。周辺住民をプルトニウムで被曝させる危険があったことを示している。そしてこれらのことは、隠され続けてきた。
 
 
2.労働者被曝のすさまじさ
 住民を危険にさらす排気筒からのプルトニウムの放出は、深刻な労働者被曝をもたらすほどに、建屋内の放射能汚染が進んでいたことの必然的な結果である。
 定検で原子炉のふたがあき、プルトニウム等の大量の放射能が原子炉建屋全体に広がった。目には見えないが、床一面にプルトニウムが降り積もっていた。定検作業で通路を行き交うだけで、プルトニウムは舞い上がり、まずは下請け労働者達の体内に取り込まれていったに違いない。また、東電が「対策」として打ち出した、床の除汚作業とは、下請け労働者による雑巾がけのことである。下請け労働者達を襲って余りあるプルトニウムは、次には排気筒から放出され、周辺住民を襲ったということである。
 さらにこの当時、通産省は、福島第一原発1号機の1979年12月からの定検で、管理上の目安線量(1日あたり1ミリシーベルト)を10倍に引き上げることを容認した。給水スパージャ(炉心への散水器)取り替え工事の為である。当時の通産相審議官は「圧力容器内に入るなど特別の作業については10ミリシーベルトだってありうるのは当然。圧力容器内に入ったら、すぐ出てくるでは、作業が進まないではないか」と平然と述べている(1980.1.24付「朝日新聞」。そして、この1日10ミリシーベルトの被曝線量は東電社員には適用されず、GEの米人労働者約100名のためのものだった。
 安全委員会は、各サイトごとの被曝線量を公表している。この公表されている数値でも、福島第一原発では、1978年(昭和53年)に最大のピークを示し、その後も余り下がらずに高いレベルの被曝があったことを示している。しかし、公表されている被曝線量は、β線とγ線による被曝のみで、α線による内部被曝は含まれていない。内部告発で明らかになったプルトニウム等による高濃度の汚染を勘案すれば、想像を絶する被曝量であったに違いない。
 これらの実態は、闇に葬りさられてきた被曝労働の、そして原発推進の、その「闇」の底深さを暗示している。この資料は、その実態を初めて人々の目にさらした。下請け労働者達は、暑さのあまり全面マスクを外して作業していた。樋口健二氏が写真等で告発した、あの被曝労働者達の怨嗟の声が聞こえてくる。
 
 
3.プルトニウムを放出した重大な事故が隠されている
 それでは、このような深刻な汚染をもたらしたα核種はいったいどこから出てきたのか。プルトニウムやアメリシウム等のα核種は、通常ペレットの中にあって被覆管に覆われている。この被覆管にピンホールの穴ができた場合、希ガスやヨウ素などの揮発性核種であれば、ピンホールを通って冷却水中に出てくる。しかし、α核種は不揮発性であるため、これが冷却水中に出てくるためには、まず燃料ペレットが溶融するか粉々になるような事態が生じ、次に燃料被覆管が破れなければならない。このような事故が福島第一原発1号機で起こったに違いない。
 そのような事故を示唆する出来事が当時起きている。1978年12月19日、通産省資源エネルギー庁は福島第一原発1号機での定検結果を発表した。約400体の燃料のうち、22体で放射能漏れがあり、そのうち6体の燃料棒にひび割れが見つかっている。ひびのどれも長さは10pに達していた。このひび割れの大きさは、極めて異常な事態が生じたことを物語っている。恐らく何からの爆発的な事態が被覆管内のペレットで起こり、被覆管が割れるとともにα核種までが冷却水中に相当大量に放出されたことを示唆している。その原因としては制御棒の異常による一部出力の急上昇等が考えられる。
 しかし、これらについては一切隠されている。この燃料棒ひび割れについて当時の新聞記事は、「微少な割れ(ピン・ホール)が発見された」が、「放射能もれといっても外界とは完全に遮断されており周辺地域への影響はない」と資源エネ庁の発表として伝えている。ここでも、東電と国が一体となって、事故の真相を隠している。
 
 
 長い間隠されて、内部告発によって今初めて明らかになったことは、住民をプルトニウム被曝の危険にさらし、労働者に深刻な被曝を強要しなければ、福島第一原発1号機を動かすことはできなかったということである。
 今回の内部告発は、経産省と東電が一体となって東電不正事件の幕引きを急ぐそのただ中に送られてきた。これは、8月末の東電不正発覚以来、責任を隠ぺいしたままの早急な幕引きに対し、さらに事故の危険を一層高める「維持基準」導入という危険な動きに対する警告でもある。内部告発は、現在の「基準」でさえ、プルトニウムが垂れ流され、それが闇の中に葬られていることを訴えている。「維持基準」が導入されれば、安全規制は一層緩和され、腐敗した原子力行政は底なし沼のように退廃的な傾向へと進むに違いない。そして、取り返しのつかない大事故と住民・労働者の深刻な被曝へとつながることに警鐘を鳴らしている。
 
 
 私達は、以下のことを要求する。
 
1.東電と国は、内部告発資料が示す、1980年前後のプルトニウムの放出の実態、その原因等について関連する全ての事実を即刻明らかにすること。さらに、東電と国の責任を明らかにすること。
2.国と全ての電力会社は、α核種などの放出実態を即刻明らかにすること。
3.現在画策されている「維持基準」の法制化を即刻やめること。
 
 全国の反原発運動を闘っておられる皆様が、各地でこの問題を取り上げられ、原子力の闇を白日の下にさらし、共に脱原発に向けた運動を強化されるよう呼びかけます。
 
 最後に、内部告発者の勇気に敬意を表します。


2002.10.23
美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会
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