「もんじゅ」事故とプルサーマル実施の見込みがない中で、
「余剰プルトニウムを持たない」との原則を変節させた原子力委員会


 六ヶ所再処理工場のアクティブ試験を前に、1月6日、電力各社は「プルトニウム利用計画」を公表した。これは、2003年8月5日付原子力委員会決定「我が国におけるプルトニウム利用の基本的な考え方について」を基に公表したものである。原子力委員会は、これら電力会社の「利用計画」の「妥当性」について判断することになっている。
 原子力委員会は、1月10日、17日の定例委員会で電力各社からヒアリングを行った。マスコミ報道では、1月末までに結論を出すと伝えられている。24日の第3回委員会の議題には「電気事業者等により公表されたプルトニウム利用計画について」があがっており、この日にも判断を下す可能性がある。
 電力各社の「利用計画」は、全国のプルサーマルに反対する25団体の「声明」にあるように、全く絵に描いた餅にすぎない。それは、東電がプルトニウムの「利用場所」として原発名さえ明記できなかったことに端的に表れている。また、東電の「利用計画」に対し、柏崎市長、福島県知事から強い批判が起きていることからも明らかである。
 ところが、1月13日に行われた原子力委員会事務局との交渉では、原子力委員会決定は、法的な強制力もなく、単に「考え」を示したものだ等の無責任きわまりない発言が続いた。「利用場所」も示さず、一般的にプルサーマルを実施すると書けば問題なしにしてしまうというのだろうか。
 しかし、「余剰プルトニウムを持たない」ということは国際的な公約でもある。それを具体的に担保するために、この2003年の決定があったはずだ。しかしそれすらかなぐり捨てようという姿勢である。そのため、以下で、この約10年の間に、「余剰プルトニウムを持たない」という原則がどのように位置づけられてきたのか、その変遷を追ってみることにする。とりわけ、原子力長期計画とプルサーマルの現実の経過に焦点を当てた。その変遷は以下の通りである。
■「余剰のプルトニウムは持たないとの原則に沿ったもの」(1994年長計 94年6月24日)
■「計画遂行に必要な量以上のプルトニウム、すなわち、余剰プルトニウムを持たないとの原則を堅持しつつ、プルトニウム利用計画の透明性の確保に努める」(97年12月の国際公約)
■「利用目的のない余剰プルトニウムを持たないという原則」(2000年長計 2000年11月24日 原子力委員会)
■「利用目的のないプルトニウム、すなわち余剰プルトニウムを持たないとの原則を示す」(原子力委員会決定03年8月5日)
■「利用目的のないプルトニウムを持たないという原則」(05年原子力政策大綱 05年10月)

 このように、形式だけはなんとか残しながら、最も厳格な表現を行っている97年の国際公約を事実上取り下げてしまっていることが分かる。昨年に決定された原子力政策大綱では、本文からは「余剰プルトニウムを持たない」との文言までなくなってしまった。結論を言えば、「もんじゅ」事故やプルサーマルが実施できない現実の中で、「余剰プルトニウムを持たない」との原則を変節させてきた歴史である。プルトニウムの利用計画、すなわちプルサーマルの実施場所も示せないのだから、アクティブ試験を中止することが先決のはずだ。逆に、「余剰プルトニウムを持たない」という原則を骨抜きにし事実上放棄するなど、本末転倒も甚だしい。
 原子力委員会は、自らの決定に基づき、自らの責任で、電力各社の「利用計画」には妥当性がないと判断し、国際公約である「余剰プルトニウムを持たない」との原則を堅持し実行すべきだ。そうでなければ、「余剰プルトニウムを持たない」との原則を放棄したことを国内外に明らかにすべきだ。

1.1994年長計(1994年6月24日)
「余剰のプルトニウムは持たないとの原則に沿ったもの」
−「もんじゅ」事故の前、プルサーマルもまだ計画の段階で無責任にバラ色を描けた時代。それを基礎として「余剰のプルトニウムは持たない原則の堅持」を表明−


 約10年前の1994年原子力長期計画では、「余剰のプルトニウムを持たない」との原則を明記している。その内容は、「もんじゅ」や新型転換炉でプルトニウムを利用するということに重点が置かれている。このころは、「もんじゅ」等の研究開発用のプルトニウム利用が進み、研究開発用のプルトニウムの不足を心配し、海外再処理分を研究用に回すことまで考えている。
 プルサーマルについては、「軽水炉利用」と表記され、まだプルサーマルという言葉も使われていない。計画はまだ一般的なものにすぎない。下記に引用するように、当時は、「2000年頃に10基程度」でプルサーマルが実施されるという夢を語っている。現実とのギャップがいかに大きいか、単なる夢であるかは明らかだ。

 それでも長計は、「適切なランニングストックは必要ですが、以上のように、・・・・プルトニウムの需給はバランスしており、余剰のプルトニウムは持たないとの原則に沿ったものとなっています」と明記し、「適切なランニングストック」以外は蓄積されることはないと主張している。
 その現実性は別としても、非常にはっきりと「余剰プルトニウムは持たない」との原則を述べている。それは、95年12月の「もんじゅ」事故の前で、プルサーマルもまだ具体化していなかったためだ(関電などのプルサーマル第一陣の事前了解が問題になりだすのが97年)。それなりに「計画」を描き、その現実性があまり問題とされない状況で、「余剰プルトニウムを持たない」との原則を掲げることができた時であった。

2.1997年12月の国際公約
「計画遂行に必要な量以上のプルトニウム、すなわち、余剰プルトニウムを持たないとの原則を堅持しつつ、プルトニウム利用計画の透明性の確保に努める」

−プルサーマルを前面に出して「余剰プルトニウムを持たない」を強く主張−


 政府は94年(実質は92年)から始まった国際的なプルトニウム管理に参加し、核燃料サイクルを進めるためにも、この中で積極的役割を果たそうとした。IAEA(国際原子力機関)は、「プルトニウム指針」を義務づけた。政府は、97年12月1日にIAEAに対し、指針を採択する旨の口上書を提出し、12月5日には「プルトニウム計画について」のステートメントを発表した。これが「国際公約」と言われるものだ。同時に、96年末現在のプルトニウム保有量をIAEAに提出した。
この97年の国際公約では、95年の「もんじゅ」事故により、高速増殖炉でのプルトニウム利用は言えなくなった。その代わり、プルサーマルを前面に出し、実施時期や原発名まで記載している。99年から福島T−3、高浜4号というプルサーマル第一陣の計画である。これは97年2月に電力各社が初めて公表したプルサーマル計画を基にしている。今となってみれば、この時期がプルサーマルについて具体的に書くことができた時期でもあった。
 この国際公約では、99年プルサーマル開始という具体的な計画をもって、「我が国において計画遂行に必要な量以上のプルトニウム、すなわち、余剰プルトニウムを持たないとの原則を堅持しつつ、プルトニウム利用計画の透明性の確保に努める」と明記している。ここでは、「計画遂行に必要な量以上のプルトニウム」が余剰プルトニウムとして規定されている。これは、IAEA憲章(第12条A5)で述べられている「利用のため必要な量をこえる余分のもの」とほぼ同じ表現である。国際公約という性格を意識したかどうかは別として、日本政府としてこのように明確に述べており、この97年の公約は取り消されたことはなく、現在も生きているはずだ。
 この「計画遂行に必要な量以上のプルトニウム」という規定は、次に出てくる「利用目的のないプルトニウム」とは全く異なる概念である。後者は「利用目的」があればいいだけで、その計画遂行と比べて量的にどうかというような問題は一切捨象されてしまっている。
 原子力委員会並びに政府は、この国際公約を現在も掲げているのであるから、今回の電力各社の「利用計画」の判断について「計画遂行に必要な量以上のプルトニウム」を持つことになるかどうかという観点から判断を下すべきだ。

3.2000年長計(2000年11月24日 原子力委員会)
「利用目的のない余剰プルトニウムを持たないという原則」

−「もんじゅ」運転停止の継続、プルサーマルの緒戦でのつまずきの中で−


 94年の長計では「もんじゅ」でのプルトニウム利用を高らかに唱い、97年の国際公約ではプルサーマルの具体的計画を示したはずであった。しかし、2000年長計では、事態が全く異なってしまった。
 「もんじゅ」は95年の事故以来、長期の運転停止に追い込まれていた。また1999年12月には、プルサーマル第一陣の高浜4号で市民がMOX燃料データ不正を暴き実施を阻止した。99年9月30日に起きたJCO臨界事故の衝撃の中、翌日の31日にMOX燃料は高浜原発専用港に到着した。MOX燃料も到着した最終局面で、市民はMOX燃料の使用差止仮処分裁判を提起し、判決が出る前日に関電がデータ不正を認め、高浜プルサーマルはとん挫した。続いて2000年8月9日には、福島県や東京の市民が福島T−3プルサーマル差止仮処分を申立した(判決は2001年3月で敗訴となったが、情報公開の必要性などを指摘した)。
 このような状況の中、2000年長計では、プルサーマル計画について、「2010年までに累計16から18基において順次プルサーマルを実施していくことが電気事業者により計画されており、実現の緒についたところである」として、そのあとに、「その際、1999年に発生した英国におけるMOX燃料の品質管理データ改ざんのような国民の信頼を失う問題が再び起こらないよう、事業者は品質保証体制を強化するとともに、国は適切な規制を行うことが重要である。」とBNFL事件についても言及し、戒めている。
 プルサーマル計画については一般的に「16から18基の計画」としかかけず、「実現の緒についたところ」と述べるにとどまっている。
また「もんじゅ」については、事故で運転停止が長引いている中、94年長計と全く異なり、「もんじゅ」用すなわち研究用については、ブルトニウムが足りなくなるではなく、「もんじゅ」停止のため「変動する可能性」と言わざるを得なくなっている。この「変動」とは、「余る」という意味だ。
 では、「余剰プルトニウムを持たない」との原則はどうなっているのか。2000年長計では、「利用目的のない余剰プルトニウムを持たないという原則」という言葉を使っている。「余剰プルトニウム」という言葉は堅持しているが、「利用目的のない」という修飾語が初めて使用された。94年の長計、97年の国際公約とも違っている。「もんじゅ」の長期運転停止とプルサーマルの緒戦でのつまずきという状況の中で、「利用目的のない」という曖昧な表現で、取り繕おうとしている。

4.原子力委員会決定(2003年8月5日)
「利用目的のないプルトニウム、すなわち余剰プルトニウムを持たないとの原則を示す」

−アクティブ試験が間近に迫り、プルサーマル第一陣が完全破綻する中で再度の巻き返し−


 2000年長計の次が、問題の原子力委員会決定である。2003年8月の決定までに、プルサーマルも「もんじゅ」も状況がまた大きく変化した。
 プルサーマルでは、2001年5月に刈羽村住民投票でプルサーマル反対が勝利した。原発の枕元で暮らす住民が、住民投票で反対の意志を示したのだ。その後も刈羽村ではプルサーマル推進策動が続けられたが、2002年8月29日に、シュラウドひび割れ等に関する自主点検記録の大がかりな改ざんを行っていた東電事件が発覚した。これによって、同年9月に福島県、新潟県が事前了解を白紙撤回するにいたり、東電のプルサーマル第一陣も完全に暗礁に乗り上げてしまった。
 そしてこれらに続いて、2003年1月27日、住民側勝利の「もんじゅ」高裁判決が名古屋高裁金沢支部で出された。画期的な勝利だった。
このような状況の中で出てきたのが2003年8月5日の原子力委員会決定である。六ヶ所再処理工場のアクティブ試験が差し迫る中で、新たに生み出されるプルトニウムが余剰とならないことを国内外に示す必要に迫られてのことだ。決定では、電力各社にアクティブ試験で回収されるプルトニウムの「所有者、所有量及び利用目的を記載した利用計画」を公表すること、そして「利用目的」には「利用量」「利用場所」「利用開始時期及び利用に要する機関の目途を含む」と厳密に明記している。そして、その妥当性を原子力委員会が確認するとまで書いている。
 プルサーマルが進展しなければ、この決定は両刃の剣として自らに跳ね返るものであった。しかし「余剰プルトニウムを持たない」との原則を掲げている以上、国際的批判を押さえるためにも、がたがたになったプルサーマルを立て直すための大号令でもあった。事実、この決定と同日に、「核燃料サイクルについて」という文書が公表されている。これは、委員会決定に準ずるという扱いで、プルサーマル推進を強調している。決定が、プルサーマル推進の巻き替えをはかるためのものであることを裏付けている。
 決定当日の委員会議事録では、「これによって、それぞれの段階において、誰が、いつ、どこで、どれだけプルトニウムを利用するのかを示すことができる」と遠藤委員(当時)は述べている。また議事録では、「本資料の英文版も作成しているので、この案が決定されたら、国内だけではなく国外の関係者にも説明したい。」と、国際的にも意思表示することを述べている。
 このように、2003年8月の決定は、具体的に「利用場所」等を明記させ、プルサーマルの進展によって余剰プルトニウムを持たないとする公約を担保するものだった。事実、この決定の後、2003年12月に電力各社は再度プルサーマル計画を公表した。
 東電事件によってプルサーマル実施の見込みがない東電に代わって、緒戦の失敗を挽回するかのように、関電は2003年10月から大宣伝を始めた。2004年3月末にはコジェマ社とのMOX製造仮契約を結んだ。7月末には、本契約寸前まで行っていた。しかし、8月9日の美浜3号機事故によって、関電プルサーマルも身動きできない状況となった。
原子力委員会決定では、「利用目的のないプルトニウム、すなわち余剰プルトニウムを持たないとの原則を示すと共に・・・」となっている。「利用目的のないプルトニウム」と「余剰プルトニウム」を同格に扱っている。しかし「余剰プルトニウム」という言葉は堅持し、その内容は、上記議事録にあるように、プルサーマル推進によって、具体的な「利用場所」まで公表させるという肝いりのものであることには違いない。


5.2005年原子力政策大綱
  (2005年10月11日原子力委員会決定、10月14日閣議決定)
「利用目的のないプルトニウムを持たないという原則」
−「余剰プルトニウム」という文言がなくなる−


 2004年5月に「19兆円の請求書−止まらない核燃料サイクル」なる文書が出回り、これまで直接処分の費用は計算したことがないと白を切っていた経産省が、実はロッカーの中からその計算書が見つかったと発表せざるを得なくなる状況の中、2004年6月から始まった長計策定会議は、2005年10月11日に原子力政策大綱を決定し、同月14日には閣議決定され終了した。事実上全量再処理路線は放棄し、六ヶ所再処理工場と「中間貯蔵」推進という形で、再処理路線を踏襲するものだった。
 プルサーマルについては、美浜3号機事故による再度のとん挫の中、大綱では具体的計画を示すことはできなかった。大綱本文の「軽水炉によるMOX燃料利用(プルサーマル)」の項では、「事業者には、プルサーマルを計画的かつ着実に推進し、六ヶ所再処理工場の運転と歩調を合わせ、国内のMOX燃料加工事業の整備を進めることを期待する。」とし、「プルサーマルを着実に推進」「計画的かつ着実に推進」と述べるにとどまっている。また、資料編(95頁)で「2010年度までに16〜18基の規模まで順次拡大しつつ実施していく計画」となっているだけだ。
原子力委員会決定は、プルサーマル推進の大号令でもあったが、プルサーマルが進まない状況では、アクティブ試験ができないという自らの首を絞めるという性格を強めるものとなる。しかし、大綱の中でも、原子力委員会決定を無視することはできず、本文の「2−2平和利用の担保」の項では、「2003年8月には、原子力委員会は、プルトニウム利用の一層の透明性確保のための『プルトニウム利用の基本的考え方』を決定した。今後の六ヶ所再処理工場の稼動に伴って、事業者等がプルトニウム利用計画をこれに沿って適切に公表することを期待する。」と委員会決定を引用し尊重している。
 しかし他方で、大綱資料の中では、この決定内容を骨抜きにしかねない資料を掲載している。資料の「4.6.2 今後の取組:プルトニウムの平和利用に関する透明性の確保のあり方の方向性〜『我が国におけるプルトニウム利用の基本的考え方について』の運用について〜」である。この中で、委員会決定の「位置づけ」を「プルトニウム利用計画の公表は、国際的な必要条件ではなく、我が国が自主的にプルトニウム利用のより一層の透明性の向上の観点等から行うものであることから、法律で義務づけるものではなく、電気事業者等の公表を促すものである」とし、「国際的必要条件ではなく」「法律で義務づけるものではなく」と、わざわざ委員会決定の位置づけをぐっと押し下げている。
 また、同資料では、原子力委員会がその妥当性を確認する「観点」として、「プルトニウム利用に向けた電気事業者等の取組(例:プルサーマル実施に向けた地元との調整や法令上の手続きの状況、再処理、MOX燃料加工の現状等)」があげられている。厳密に解釈すれば、「地元との調整」の一点だけでも、福島県・新潟県の対応からして、「プルトニウム利用計画」の妥当性を確認できる状況にはない。
 このように、原子力政策大綱は、原子力委員会決定を否定することはできないが、できるだけその内容を骨抜きにしようとしている。このことは、これまでまがりなりにも掲げてきた「余剰プルトニウムをもたない」という文言がなくなってしまったことにも表れている。大綱本文では、「利用目的のないプルトニウムを持たないという原則」に変わった(大綱23頁)。「利用目的」は、「利用計画」の一項目にすぎない。プルサーマルで利用すると一般的に主張すればそれでことたれりという訳にはいかない。
 これは、97年の国際公約が「計画遂行に必要な量以上のプルトニウム、すなわち、余剰プルトニウムを持たないとの原則を堅持」と述べていることと比べると本質的な後退である。
原子力委員会と政府は、原子力政策大綱によって、「余剰プルトニウムを持たない」との原則を放棄したのであれば、そのことを国内外に明らかにすべきである。
そうでなければ、原子力委員会決定や、国際公約の責任を果たすために、電力各社のプルトニウム利用計画は「妥当性なし」と判断するしかない。

 プルサーマルの具体的実現の見通しがない中で、アクティブ試験で新たにプルトニウムを取り出せば、それこそ余剰プルトニウムを積み上げるだけである。プルトニウムの利用計画、すなわちプルサーマルの実施場所も示せないのだから、アクティブ試験を中止することが先決のはずだ。逆に、「余剰プルトニウムを持たない」という原則を骨抜きにするなど、本末転倒も甚だしい。