は じ め に


 原子力規制委員会(NRC)は、連邦政府の行政部門内部にある一機関であり、米国の原発の安全基準を設定し、施行する責任をほとんど単独に負っている。この機関はどのくらい適切にその責任を果たしているのだろうか。一部観測筋はNRCが有効に機能している証拠として、1979年のスリーマイル島原発事故以来米国の原発が炉心溶融を経験していないという事実を指摘する。これとは逆の証拠を2002年にオハイオ州デービスベッセ原発で発見された深刻な諸問題を含めてニアミスの発生頻度が増えているところに認める観測筋もある。
 炉心溶融はNRCの安全規制実績を測る敷居としてはあまりにも高すぎる。個人の健康状態を評価するのに脈があるかどうかをみるようなものである。それに「ニアミス」はあまりに主観的な尺度である(すなわち、どれほど近ければニアといえるのか)。より深い洞察は、原発が安全レベルを回復するのに一年かそれ以上にわたって運転を停止し続けなければならない場合から得られる。
 数々の一年を越える操業停止は、安全レベルの受け入れ可能なレベル以下への低下がいかに許されてきたかを示す一見して明らかな証拠となっている。実効性のある規制当局というものは、これらのレベルを監視でき、一年を越える操業停止が必要となる前に介入することができなければならない。第一章では、一年を越える原発の操業停止がNRCの実効性に意味のある洞察を与えるのはなぜなのか、より詳細に説明する。
 ぶちあけて言うと、憂慮する科学者同盟(UCS)がこの報告書のための調査を始めるにあたって行った2つの推定は、誤っていたことがはっきりした。状況は実際には我々が予想したよりも悪かったことが明らかになったのである。第一に、2004年5月の我々の報告書「21世紀の原子力:寿命のリスク」のために行った以前の研究にもとづき、我々は米国では一年を越える操業停止が合計2ダースあまりあったと推定した。第二に、我々はデービスベッセ原発以外には一年を越える操業停止を複数回経験した原発はないと推定した。ところが実際には、一年あるいはそれ以上の操業停止は全部で51あり、それを複数回経験した施設は10にのぼることを我々の研究は確認したのである。

諸問題の発端はどこにある
 第二章では、これらすべての長期化した操業停止に関して、誰が、何を、どこで、いつ、なぜを要約する。なお、それぞれの操業停止についてのより詳細な情報と広範な引用文献を提供する事例研究はUCSのウェブサイトで参照できる。
 UCSは51件の一年を越える原発の操業停止を再調査して、過去の運転管理業務についての洞察を得た。その運転管理業務は、長期化した操業停止を今後減らすように、続けるなり広げるなりしなければならない。我々はまた、NRCが同じ目標を目指してやり始めるべき、あるいは別のやり方でやるべき事柄を特定した。これらの洞察は第三章で与えられる。そしてそれは、第六章で提起する結論と勧告の基礎となるものである。
 一年を越える操業停止から導かれる主要な教訓は、もっとも共通に寄与している要因が、品質保証、あるいは別の言い方では是正措置として知られているものの不適正さにあるということである。第四章では、NRCが是正措置プログラムの有効性をどのように評価しているか、なぜNRCの努力が成功してこなかったのか、この問題を解決するために何をなすべきかについて述べる。
 次に第五章では、一年を越える操業停止を取り扱うにあたってのNRCの安全規制実績を検討する。この安全規制実績は、NRCの活動が称賛に値する限られた場合と、非難に値する場合とで特徴づけられる。前者のカテゴリーは、NRCが公衆衛生と安全の効果的な守護者には決してなれないというどんな考えも吹き払ってくれるが、後者のカテゴリーはNRCがそうした守護者に自らを作りかえるには何故明確な改革が必要なのかを説明している。

答えは手の届く範囲にある
 最後に第六章では勧告を提起しているが、それらによって第三章、第四章で述べた調査結果をNRCが取り扱うのに役立つだけでなく、NRCがもっと実効的な監視機関になることを議会が保証するのにも役立つだろう。原発の安全性に関する運転実績を監視するのはNRCの仕事だが、NRCの安全規制実績を監視するのは議会の仕事なのである。そのことを念頭におき、我々は、議会が過去において果たした役割、そして未来において原発の災害リスクを最小化するのに議会が果たすべき役割について検討している。
 我々の勧告を履行することによって、NRCは安全余裕をよりよく監視することができるようになり、問題を解決するのに原発所有者が一年あるいはそれ以上を必要とするようなところまで安全性が蝕まれる可能性を減少させるだろう。さもなければ、一層悪いことに、何らかの無視された安全上の問題が破局的な炉心溶融の引き金を引くことになりかねない。