被災者が居るのを知っていながら、
関電はなぜ、破断口からの蒸気の噴出を早く止めなかったのか
――なぜ早期に主蒸気隔離弁を閉めなかったのか――


 美浜3号機事故では、運転開始以来1度も検査していない老朽配管の下で、原子炉が動いているうちから定期検査作業を行わせていたことにより、11名もの死傷者を出した。老朽炉にむち打つ定検短縮や手抜き検査の下で、原子炉が動いている時から定検作業をさせたことの責任が明らかにされねばならない。このことはこれまで何度も指摘してきた。また、事故直後から関電や国は、「原子炉は安全」、「運転操作に問題なし」等と繰り返してきた。しかし本当にそうなのだろうか。今回は、11名もの死傷者を出したという観点から、事故に即して、配管破断後の関電の運転操作を検証したい。この問題に限っても、大きな疑義がある。

 美浜3号機事故では破断口から885トンの蒸気が噴出した(関西電力報告書9月17日付)。破断口から蒸気の噴出が止まったのは主蒸気隔離弁が閉鎖された16時5分であった。それは、破断発生(15時22分)からおよそ43分後のことであった。結論を言うと、原子炉の冷却機能を損なうことなく、建屋内での蒸気の噴出をもっと早く止めることは可能であった。破断発生から6分後に原子炉は自動停止した(15時28分)。この直後に主蒸気隔離弁を閉じ、主蒸気逃し弁による冷却が行われていたら、被災者をもっと早く救出し、医療施設に送りだすことは十分に可能であった(約6分後)。遅くとも、原子炉が高温停止状態になった時点(15時35分)では、主蒸気隔離弁閉鎖はもっと容易に出来たはずである(約13分後)。この問題点について以下で指摘する。

<遅すぎた「主蒸気隔離弁閉・主蒸気逃し弁開放」>
 関電の事故報告書を読む限り、運転員は破断箇所をかなり後になるまで特定できていない(特定していたとすれば、被災者が蒸気に巻かれていることを知りながら蒸気を漏らし続けていたことになる)。また、自動停止後は基本的に通常の停止操作を行っている。しかし、今回の事故に即した停止操作こそが必要であった。
 2次系の破断事故であっても炉心の冷却は続けなければならない。例え原子炉が停止しても(核分裂連鎖反応が止まっても)、炉心からは崩壊熱による膨大な熱エネルギーの放出が続いているからである。事故後に1次系の熱を逃がしたのは蒸気発生器である。停止した主給水系に代わり、補助給水系から供給される2次冷却水が蒸気発生器で蒸気になりその熱を奪った。問題はその結果として生じた蒸気をどこに送り出すかである。運転記録によると、トリップしたタービンを迂回するタービンバイパス弁が開かれて、その蒸気は復水器に送られた。結果、その蒸気の行き先にある破断口からの噴出は継続し、被災し、既になぎ倒されていた、あるいは、なんとか自力で避難をしていた作業員を苦しめ続けたのである。(主蒸気管から脱気器に直接つながる系統からも蒸気は流れていた)

 炉心を冷却するためであれば、主蒸気逃し弁を開放し、蒸気を建屋の外に逃すこともできた。緊急時であればこの操作に問題はない。しかし、結果的に運転員はそのような操作をしなかった。蒸気発生細管が破断した美浜2号機の事故では、2次系の復水器等が放射能で汚染されることをいやがって、放射能まじりの蒸気を主蒸気逃し弁から環境に放出したが、この時こそタービンバイパス弁を使うべきであった。今回の事故では、人の居る建屋に蒸気が噴出して充満し続けるのを避けることを選ぶべきだった。
 「火災報知器」警報の後、15時25分に運転員は、タービン建屋に蒸気が充満していることを現場で確認していた。そして、給水管か復水管のどちらかに「漏れ」があると認識し、26分には原子炉緊急負荷降下を開始した。さて、27分にはタービン建屋2階のエレベータ前で最初の被災者が発見されている。それは補機員から順次、制御員、当直課長、発電室長にも報告された。そして28分過ぎには所長室長が避難放送と救急車要請を指示している。タービン建屋内に蒸気が漏れ出ており、かつ、そこに被災した人が居ることは運転員らに十分に認識されていたことになる。避難放送も救急車も、もちろん必要であった。しかし、まず破断口からの蒸気の噴出を止めること。これが最も必要な指示であった。28分過ぎには、まだ噴出する蒸気が被災者を苦しめていたからである(この時点で、作業員がどこにいるのかを知ることは難しかったかも知れないが、タービン建屋内で、作業員が蒸気に巻かれていることを想像することは容易に出来ただろう)。
 関電事故報告書によると、破断口付近で被災した作業員がタンカで「救出」されたのは、最初の人が15時50分であった。この時点で大半の蒸気は既に漏れ出ていた。2人目が16時0分に、3人目は同5分、4人目は同10分であった。主蒸気隔離弁が閉じられたのは漏れる蒸気もほぼなくなっていた16時05分であった。すなわち、この隔離操作は被災者の救出を目的として行われたものではなかった。

<なぜ早期に、主蒸気隔離弁を閉めなかったのか>
 今回の事故は、11人もの死傷者が出たという点でこれまでにない重大性をもっている。その観点からみると、関電の事故報告書は、被災者に浴びせかけられ続けていた高温蒸気を、いかにして少なくし、いかにして早急に救助すべきであったのか、という視点に欠けている。また、事故報告を読む限り、今回のような復水管破断事故の場合の運転マニュアルは未整備のままであった模様であるし、シミュレータを使った運転訓練も行われていなかったと見られる。これらに関する記述そのものが、この事故報告書から欠落している。
 なお、1993年(平成5年)の原子炉設置変更許可申請書を見ると、「主給水管破断」事故では、補助給水で1次系を冷却するのに、タービンバイパス弁を使うのか主蒸気逃し弁を使うのかについての記述はない。破断を伴わない、異常な過渡変化の「主給水流量喪失」(今回の事故と同様すべての蒸気発生器への給水が停止と想定)では、「原子炉の余熱除去は、2次側の補助給水と主蒸気逃し弁あるいは主蒸気安全弁によって行われ」となっており、実際の解析では、主蒸気安全弁だけが作動するものとされている。これは、「主蒸気逃し弁開放」が今回の事故でも有効な操作となりえたことの証左である。
 また、破断箇所を運転員が早期に特定するためのシステムも無いままであった(現場に行っても蒸気が充満していること位しか初期の時点では認識されていなかった)。火災報知器のようなものではなく、破断位置が明確に分かる特別の検知装置が必要であった。
 最後に、再度強調すれば、被災者が居るのを知りながら、どうして早期に「主蒸気隔離弁閉・主蒸気逃し弁開放」の操作をしなかったのか、関電は釈明すべきである。