3/16関電交渉速報
いつになく「保安院さんが言うように・・・」を繰り返す関電
「トップは安全第一だったが、現場が理解していなかった」
「事故時の操作は救命の観点からも適切だった」

制御室への蒸気流入を早期に公表しなかったことへの反省なし
─事故の真の原因は、経済性最優先・安全軽視の関電トップにある─

 3月16日、午後5時半過ぎから9時まで、3時間を超す交渉となった。参加者は、関電からはいつもの広報3名、市民側は18名。今回は、関電新社屋4階の会議室で行った。特徴的ないくつかの点について報告する。
 全体として関電は、30日の最後の事故調査委員会で再発防止策が了解されるまでは、具体的なことは何も言わないという姿勢に終始していた。また、日頃とうってかわって、保安院の「最終報告書(案)」に口裏を合わせ、「事故時の運転操作には問題はなかった」、「トップは安全第一だったが現場に問題があった」等と語っていた。今回の交渉のキーワードは、「保安院さんが言われるように」だった。ひとまず保安院に従って、批判をかわしたいというのが、関電の最大の関心だった。

■火力の「ただし書き」を適用し、配管取り替えを先延ばしにしていた問題
余寿命が2年以上の配管部位は何カ所か
        ↓
余寿命1年未満の部位6箇所。1年以上の部位2箇所。

 この問題は、前回の交渉で、火力基準の「ただし書き」を悪用して配管の取り替えを先延ばしにしていたことについて、「『悪用』したのではない、事実、余寿命2年以上の配管部位にも『ただし書き』を適用していた」と関電が強弁していたことが発端だ。関電は、「悪用ではない」と強調するために、2年以上の配管にも「ただし書き」を適用していたと言っていた。それで今回、「ただし書き」を適用した余寿命2年以上の配管部位は何カ所かと問うていた。関電の回答は、「余寿命1年未満の箇所で6箇所。1年以上の箇所で2箇所」という。質問は「余寿命2年以上で何カ所か」と聞いている。しかし「1年以上の箇所は2箇所」と繰り返すのみ。参加者一同は「答えになっていない」と追及。それでも「私からお答えできるのはこれだけです」と居直る。それでは、その8箇所の余寿命を具体的に言ってほしいと水を向けると、「美浜1号の場合、−1.1年、1.4年、美浜2号の場合0.5年、−0.5年、1.5年・・・」と読み上げ始めた。結局、余寿命1年以上とは1.4年と1.5年。余寿命2年以上の配管には「ただし書き」を適用していなかったことを関電が自ら認めた形となった。それでも、「正式な回答としては、1年以上が2箇所ということです」と付け加えていた。こんなことにさえ、すぐには答えない。これが「かんでんブランド」だ。
 さらに、配管肉厚検査の結果が書かれている数カ所の点検整理票の公開を要求しても、「関電のノウハウなので出せない」と言う。以前から問題になっている配管曲がり部の肉厚が製造当時から薄くなっている高浜4号の配管(スケルトン図番号12−2)の製造公差を問うても「メーカ・関電のノウハウで公表できない」と連発。
 これが関電の情報公開というわけだ。社会に対して安心を与えるなどほど遠い。

■小口径配管は管理指針の対象外だが、直管部を測ったら大幅減肉
 美浜3号機で新たに見つかった減肉配管の中には、小口径配管の直管部も含まれていた(第6高圧給水加熱器ドレン管ウォーミング管 157−23、157−62)。公称肉厚2.8oが0.8oまで減肉し、必要厚さ1.4oを大幅に割り込んでいた。これに関して関電は、「そもそも2インチ(約60o)以下の小口径配管は、管理指針の対象外になっている。エルボ部であろうが直管部であろうが測定する必要はなかった。ただこの部位は常時流れがある箇所なので、測定していただけ」という。そして、「スケルトン図を見てください、直管部にしか番号がついてないでしょう。だから直管部を測っていただけです」と、あたかも、エルボ部が測定位置だったのに直管部を測っていた東電とは違うと言わんばかりである。しかし、エルボ部の方が減肉しやすいはずだと追及すると、小口径エルボ部の測定が難しいことは認めていた。
 また、同じ美浜3号機のステンレス管で減肉の見つかった部位(蒸気発生器ブローダウン水回収管45度エルボ)については、温度は240〜275℃で基本的に蒸気の状態。流速は「音速に近いと聞いている」と言いながら、「減速板に当てた後の位置なので」と首をかしげながら再確認することとなった。
 大幅減肉が確認されたこれらの部位が、減肉傾向のない「その他部位」に分類されていることはおかしいのではと問うと、「機械学会で管理指針の見直しが行われているので、今後検討する」と答えるだけ。他の原発でも、同様の部位を検査するよう要求した。

■「保安院さんが言うように、事故時の操作は救命の観点からも適切だった」
 今回の事故では、事故発生から5分後に被災者が階段付近で倒れていることを確認していた。被災者を早期に救出するという観点から、主蒸気隔離弁を閉じて、蒸気の流出を早く止めるべきではなかったのかと追及した。しかし関電は、「原子炉の冷却を確認するのが第一、そして二次系の沸騰等の異常を確認することが重要」と繰り返す。被災者の救命という観点からも、操作に問題はなかったということかと厳しく問われると、「保安院さんから指摘されているように、救命という観点からも操作に問題はなかった」と、「保安院さん」を繰り返す。そして、「原子炉がトリップした時点で、すでに温度は50度だった」と繰り返す。「だからどうだと言いたいのか」と聞いても「50度が低い温度だとは言いませんが、すでに50度になっており・・・」と言う。あたかも「事故の最初の時点で140度の高温蒸気をあびて被災者は倒れてしまっているのだから、主蒸気隔離弁を止めてもしかたがない」と言わんばかりであった。事実、保安院の最終報告書(案)では、「今回の事故においては、被災者は事故発生直後に被災していると推測できることからすると、運転員が流出量を低減させる操作を行ったとしても、必ずしも事故被害の低減に直ちに結びつくものではなかったと考える」としている。これが「保安院さんが言っているように」の内容だ。
 また、事故から約40分後に主蒸気隔離弁を閉鎖しているが、これは「冷却材の温度制御のために行った」と回答した。また、関電が報告書で比較している「主給水管破断事故」の解析でも、主蒸気隔離弁の閉止は考慮していないというが、このときはタービンバイパス弁が閉じたままだと想定しているので、事実上は主蒸気隔離弁を閉じたのと同じ状態を解析していた。蒸気発生器細管が破断した美浜2号機事故の時に関電は、放射能で2次系が汚染されるのをいやがって、主蒸気隔離弁を閉止し安全弁が開いて大気中に放射能混じりの蒸気を放出した。しかし今回は、被災者がいることを知っていながら、この操作を行わなかった。被災者を早期に救出しようという意志がなかったことは明らかだ。

■中央制御室への蒸気流入を早期に公表しなかったことに対する反省なし
 中央制御室に蒸気が流入していた問題について、関電はずっと隠し続けていた。事故直後から分かっていたはずなのに、9月27日の「中間とりまとめ」にも記載していなかった。なぜかと問うと「確認中です」などと、他人事のような回答である。国に報告したのはいつかと問うと「10月初めに(美浜)発電所が保安検査官に報告した」という。自ら進んで報告したのか、保安検査官から指摘されて報告したのかについては「現時点では分からない」。
 なぜこんな重大な問題を今まで隠していたのか(関電がこのことを公にしたのは、昨年12月21日の福井県原子炉安全専門委員会に提出した資料が初めてだ)。「隠していたわけではない」とむきになって声を荒げていたが、実質は隠していたことに変わりない。早期に発表しなかったことに関しては、「良かったか悪かったか分からない、言えない」と反省の姿勢さえなかった。さらに、中央制御室に流入した蒸気で運転員が倒れ、原子炉の操作ができなくなれば大変な事態になると指摘すると、「中央制御室で操作できなくても、別の場所から原子炉を止めることはできるから大丈夫、場所についてはテロとの関係もあるので言えない」とまで居直っていた。
 主蒸気隔離弁を閉じるための電磁弁が水浸しになった可能性については否定しなかった。また、蒸気・熱水による設備への影響については、いろいろなケーブルの絶縁抵抗を測定しているが、その結果を一切公表していない。検査結果を公表するよう要求した。

■「保安院さんが言うように、トップは安全第一だったが、現場が理解していなかった」
 最後に、事故の原因と責任について問うた。ここでも、「保安院さん」を繰り返し、「トップは安全第一だったが、現場が決められた定検工程を優先させようとして配管取り替えを先延ばしにしてしまった」と、保安院に監視でもされているかのような発言だった。参加者は激しく怒った。「トップの方針が、会社としての方針が経済性最優先だったことが原因ではないのか」、「関電の経営概況にも徹底した効率化を追及すると書かれているではないか」等々。さらに、現場で働く労働者は、「現場では、上からの方針がない限り動けない。トップが効率化優先だから、現場もそうなるのだ」と自らの日々の労働実態から強く主張した。「関電としては、トップも現場も安全第一でやっていたという回答だと思ったが、そうではないのか」と言われると、「私も現場にいましたが・・・」と何か言いたそうにしながらも、「安全第一が現場まで徹底されておらず、定検工程を優先し・・・」と繰り返す。「短い定検工程は誰が設定するのか」、「下請けに報償まで出して、会社として定検短縮をやっていた」と批判の声が飛ぶ。「定検開始前に作業員を入れて準備作業をさせなければよかっただけだ」と追及されると、「初めから定検前の準備作業はやっています。私がいた昭和62年以降はそうでした」等と平気で発言し、「それは良くないと反省したのではなかったのか」と追及されると、思い出したように「はあ、それは改善するように・・・」という始末だ。

 9時までの長丁場となった。やはり関電は反省などしていない。思っていたよりもひどい会社だ。保安院に口裏合わせすることしか考えていない、というのが参加者の感想だった。