美浜3号機事故の「最終報告書」
一般的抽象的に「『安全文化』のほころび」を指摘するだけで、
事故の原因・責任の本質的解明を回避

─全社的な「意識改革」で再発防止─


 原子力安全・保安院は、本日(3月30日)、美浜3号機事故の「最終報告書」を第10回事故調査委員会に提出した。委員会はこの「最終報告書」を了承した。午前8時から始まった事故調は、委員からの意見もほとんどなく、予定より30分も早く終了したという。年度末に事故の幕引きという保安院のスケジュール通りであった。

■全社的な「意識改革」で再発防止
 「最終報告書」の最大の特徴は、関電の「『安全文化』の綻び」を一般的抽象的に指摘することによって、事故の原因と責任に関する本質的な解明を回避していることにある。
 「最終報告書」の「おわりに」では、「配管の点検リストからの記載漏れ」を直接的原因とし、「各社の不適切な保守管理・品質保証活動が事故の根本原因であり、その背景には、社内での『安全文化』の綻びがあったことが判明した」(p47)としている。そして、関電が3月25日に提出した「再発防止の行動計画」を「評価できる」として、「これらの対策が経営層の実質的な意識改革と改善努力を伴い、原子力安全に関する企業文化及び組織風土の改革・定着につながるかどうかが成否の鍵となる」と結論づけている。
 なぜ「『安全文化』の綻び」が継続していたのか、「企業文化」や「組織風土」の具体的内容・実態はどのようなものか、なぜ「企業文化」や「組織風土」が安全軽視であったのかについて、何も指摘していない。総じて、全社的な「意識改革」によって、事故の再発防止が達成できるとしている。
 保安院は、「『安全文化』の綻び」の物的基礎である、定検短縮等の経済性最優先の姿勢や実態を問題にすることを意図的に避けている。

 以下に、いくつかのポイントに即して、「最終報告書」を批判する。

■被災者の早期救出の可能性を封じ込める
 保安院の「最終報告書」は6頁で運転操作の問題を2点について検証している。
 (1)「各マニュアルに沿った対応をしていたか」については、「マニュアルに沿ったものであることを確認した」と評価している。しかし、3月18日の交渉では、「事故時マニュアル」という特定のマニュアルはなかったと回答しているのに、いったいどのマニュアルと比較したのだろうか。
 (2)「より適切な操作を行っていれば事故被害の拡大を防ぐことができたか」という問題については、関電が行っている被害低減のための事後解析について評論している。3月14日付け最終報告書(案)よりも関電の解析努力に対する批判のトーンを落としているが、基本的趣旨は変えていない。「配管破損直後に相当量の流出があり、その時点で被災が起きていると推測できる」から、仮に運転員が早期に流出を止める措置をとっていたとしても、被害の低減には関係なかったと言いたいようである。
 被災は直後に起きてしまっていたとの推測に立っているが、運転操作や事実経過に即した検証は、関電も保安院もまったく行っていない。少なくとも流出を早期に止めれば、救出もより早くなったことは否定できない。それにもかかわらず、なぜ保安院が「出てしまった後ですから」とわざわざ強調するのか。おそらく、早期救出の可能性を認めれば、関電の刑事責任が問われるからではないだろうか。

■関電トップの責任逃れに目をつぶる
 「最終報告書(案)」に書かれていた、関電トップを免責し現場に責任を転嫁する文言は削除された。トップの免責に対する社会的批判が強かったことに配慮せざるを得なかったためであろう。
 しかし、関電の「再発防止の行動計画」の中で藤社長は、「これまでも私は『安全がなにより大切であり・・・』ということを、全社に徹底してきたつもりでおりましたが、それを十分に浸透させることができなかったものと、深く反省」と述べ、社長自らの責任を回避している。保安院は、この「行動計画」を妥当とする程度に、関電トップを免責している。決定的には、関電の経済性最優先の経営方針を批判しないことによって、トップを免責している基本姿勢に変わりはない。これもまた、関電トップに刑事責任が及ばないための配慮であろう。

■配管実態等の情報を公開する姿勢なし
 「最終報告書」は、「地元有識者などを含めた『原子力品質安全委員会(仮称)』を設置し、実施状況を定期的に評価して、公表することを定めている。したがって。その実施及び内容については、社会全体で注視されることになる」(p37)としている。しかし、公表されるのは「行動計画」に関するものだけである。配管肉厚測定の具体的なデータ等、実態に即した資料の公開がない限り「社会全体で注視」することなど不可能だ。情報公開の姿勢は、保安院にも関電にもない。

■規格策定で、配管検査の簡略化を図る
 保安院は、二次系配管の管理について「日本機械学会による配管肉厚管理規格の策定作業に積極的に参画するとともに、事業者が配管の肉厚管理を適切に行っているかどうか、保安検査等を通じて監視・指導していく」(p48)としている。あたかも厳格な規格を作成するかのようである。しかし、関電も保安院も、その中身についてふれようとはしない。彼らが語りたがらない規格の内容はこうだ。規格では、PWR原発の場合、現行の「その他部位」を基本的に検査の対象から外そうとしている。例えば現行では、高浜4号の場合、「主要点検部位」が602箇所(13%)、「その他部位」が4,038箇所(87%)となっている。機械学会の規格では、9割近くを占める「その他部位」が検査対象外になる。これまでの配管管理の抜本的改悪であり点検の簡略化を図るものである。「原子力安全規制のあり方を絶えず謙虚に省みていくことが、保安院に求められた責務である」(P48)と述べながら、火事場泥棒よろしく、事故に乗じて二次系配管の点検を合理化しようとしている。これでは、配管の穴あき事故は多発していく。安全規制を担うはずの保安院が、規制を緩和している。
 「最終報告書」で保安院が繰り返し強調している「特別な保安検査等による厳格なフォローアップ」は、規格を大幅に緩和した上での話である。
 保安院の新たな検査制度は、「自律的保守管理能力の向上を目指す」ものである。東電事件や美浜3号機事故は「新しい検査制度の必要性を裏付けるものであった」と自画自賛している。配管管理を電力会社まかせにしてきた保安院の責任については不問にし、一層電力会社まかせの規制緩和を行っていくと宣言している。


 なぜ破断箇所が28年間も点検リストから漏れ続けていたのか、この1点をとっても「最終報告書」では何も解明されていない。事故の本質的原因の解明を放棄した上で、口先だけの再発防止策を何遍唱えても、まるで意味がない。ましてや、一般的抽象的に「『安全文化』の綻び」を指摘するだけで、事故を幕引きすることなど許されない。

 「最終報告書」は、事故調査の通過点にすぎない。美浜事故後にむしろ配管からの漏えいが頻発しているという事実を注視すべきである。老朽原発の実態を示す配管肉厚のデータ等、具体的な情報の公開を通じて、配管のあるがままの姿を人々の前に明らかにしていく。
 美浜3号機事故は、老朽化する原発で定検短縮等の経済性最優先の運転がいかに危険なものであるかを警告したのである。私たちは今後も、関電・保安院の事故の責任を追及していく。二次系配管検査の簡略化に反対し、厳格な管理を要求していく。

2005年3月30日
美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会