保安院の美浜3号事故「中間とりまとめ(案)」
なぜ28年間点検リストから漏れていたのかの解明なし
泊1号と敦賀2号ではリスト漏れが訂正されたのに、
なぜ美浜3号では放置されたのか
保安院の幕引きの論理――
■契約書にリスト漏れを報告する義務は書かれていない
■関電の過去の品質保証が悪かっただけ


 国の事故調査委員会の第6回会合は、9月27日(月)午前8時30分〜10時の予定で開催される。その場で「中間報告」をまとめ、事故の幕引きを図ろうとしている。朝の8時半から委員会を開くとは前代未聞だ。保安院によれば「委員の先生方の都合」「事務局の都合」だそうだ。これでは遠方からの傍聴などお断りと言っているにも等しい。よほど後ろめたいことがあるのだろうか。それもそのはずだ。「中間とりまとめ(案)」は、点検リスト漏れの問題についても、なんら解明しないまま、蓋をしようとしている。こんな姑息なやり方で、5名もの死者を出した美浜事故の幕引きなどとんでもない。

 9月17日に保安院が発表した「中間とりまとめ(案)」に、点検リスト漏れの経緯が記載されている。しかしその内容は、極めてずさんなものである。保安院と電力会社のなれ合いそのものである。
 保安院は、美浜3号の破断した配管が28年間点検リストから漏れていた問題について、三菱重工業と日本アーム、関西電力の三者への報告徴収等から得られた情報をまとめたという。結論は極めて簡単だ。
・三菱重工業は、日本アームにも関電にも、リスト漏れについて報告したことはない。
・日本アームは、昨年4月にリストから漏れていることに気づき、6月と11月に関電に報告した。次回定検(今年8月14日〜)で検査するリストに掲載した。
・関電は、事故後に初めて、破断箇所が検査リストから漏れていることを知った。
・三者のどの契約書にも「リスト漏れがあった場合に報告する」ことは明記されていなかった。

 このあまりにもずさんな報告では、リスト漏れの経緯は一切解明されていない。事実、この内容が報告された9月17日の第5回事故調査委員会では、委員から「何も解明されていない」と厳しい発言が出た程である。また、保安院が発表した「中間とりまとめ(案)」の内容は、事故直後から新聞等で報道されてきた内容とも整合性のとれないものとなっている。下記に問題点を指摘する。保安院はこれらに対して、事実を明らかにすべきだ。

 泊原発1号と敦賀原発2号でも破断した配管と同部位が当初点検リストから漏れていた。しかし、この2つの原発では、後にリスト漏れが確認され、点検リストに復活した。なぜ、美浜3号ではリスト漏れが28年間放置され続けてきたのか。この問題のカギは、泊1号と敦賀2号でリスト漏れが復活する経緯を明らかにすることにある。同時に、泊1号及び敦賀2号と美浜3号の差異は、日本アームの存在にある。関電は当初、保守・検査を三菱重工業に行わせていたが、1996年から検査費用削減のため、子会社の日本アームに作業を移管した。点検漏れの最終的な責任が関電にあることは当然のことである。しかし、なぜ美浜3号の場合には、長年点検リストから漏れていたのか、それを具体的に解明する事なしには、関電の責任も形式だけのものとなってしまう。以下では、主に日本アームに焦点を当てながら、保安院の「中間とりまとめ(案)」を批判する。

1.1999〜2000年に三菱重工業は日本アームに注意を喚起していた
 8月11・12日付の各新聞は、1999年4月と2000年8月に、三菱重工業が日本アームに対して、文書で注意を喚起していたことを報じている。
 ・8/11日経新聞夕刊では、三菱重工業の担当者が日本アームに検査漏れの事実を指摘したこと、しかし日本アームは、美浜3号と同型の高浜原発1、2号に問題がなかったため、緊急に検査対象にしなくてもいいと判断したことを報じている。
 ・8/12福井新聞では、破断した配管が減肉の可能性があるため検査の必要があることを文書で知らせ、注意を喚起していたと報じている。
しかし、保安院の「中間とりまとめ(案)」ではこのことに関して一言も触れていない。保安院は事実を明らかにしなければならない。

2.三菱重工業は99年〜2000年頃に泊原発1号の減肉情報を知っており、また敦賀2号の点検リスト漏れを指摘していた。
 99〜2000年にかけて、三菱重工業は他の原発の減肉情報を知っていた。このことは、「中間とりまとめ(案)」にも記載されている。上記の新聞報道を裏付けるものでもある。
「三菱重工業鰍ヘ、日本原電鞄ヨ賀発電所2号機について、北海道電力株藻ュ電所1号機における復水配管オリフィス下流部の減肉情報(平成10年)の水平展開を行った結果、平成12年に同じ箇所の記載漏れを発見し、当該箇所を点検箇所として記載したと説明している。」(P14)
 このように、三菱重工業は、98年(平成10年)に泊原発1号で破断配管と同部位(オリフィス下流部)に減肉が発生していたことを知っていた。そのため、三菱重工業は自らが保守・点検を請け負っていた敦賀原発2号に情報を知らせた。その過程で敦賀2号の同箇所が点検リストから漏れていたことが明らかになり、2000年にリストに記載されることになった。
 しかし「中間とりまとめ(案)」では、その後の展開として、「なお、三菱重工業鰍ヘ、減肉情報についての水平展開は行ったが、当該箇所の記載漏れについての水平展開は行わなかった。」(P15)と記載されている。
 誰に対して減肉情報を知らせたのかについては明記されていない。通常、日本アームに対して減肉情報を知らせたと考えられるが、日本アームが、あるいは関電がその情報を受け取ったのかどうか、受け取ってどうしたのかについては何も書かれていない。肝心な部分は一切書かれていない。

3.泊原発1号でリスト漏れが復活したのは、まるで魔法
 さらに「中間とりまとめ(案)」には不可解な記載がある。13頁の、「泊1号機における当該破損部と同じ部位の記載漏れの点検リスト記載時(平成7年)」の項目だ。ここでは、泊原発1号でも、美浜3号の破断箇所と同部位が点検リストから漏れていたが、平成7年(1995年)に点検リストに記載されていたことが事故後明らかになったという話だ。
 ではなぜリストから漏れていたものが、1995年になって復活したのか。それに関しては一言も触れられていない。第5回事故調査委員会で、飯塚委員が質問した。「どういう経緯で復活したのか」。担当の保安院・防災課の課長は、「よく分からないのですが、2枚のスケルトン図を1枚に書き直す作業を行っており、1枚のスケルトン図が完成したときには点検箇所として復活していたという話で・・・」と答える。飯塚委員は、「それではさっぱり分からない」と。まるで魔法だ。保安院はこんな話しで納得し、それ以降の調査を放棄したということになる。
 さらに、「中間とりまとめ(案)」では、「三菱重工業鰍ヘ、当該箇所の記載漏れが発生した経緯は不明であり、北海道電力鰍ェ発表するまで認識していなかったと説明」と記載されている。では、一体だれが2枚のスケルトン図を1枚に書き直したのか。謎ばかりである。
 95年当時は、まだ三菱重工業が関電の原発の点検を行っていた。三菱重工業が、泊原発1号で発覚したリスト漏れを関電に伝えていなかったのか等々明らかにされるべきだ。

4.日本アームとNUSEC(三菱重工業の子会社)との定期的な会合
 「中間とりまとめ(案)」の15頁では、1998年から日本アームと三菱重工業の子会社NUSECとの間で、定期的に情報連絡会を開催していたという。そこでは、
 ・「本連絡会において、NUSEC は、他プラントのオリフィス下流部の減肉進展について、鞄本アームに情報提供した。」
 ・「三菱重工業鰍ヘ、関西電力鰍フ各プラントへの当該減肉情報の水平展開は、同プラントの保守点検を行っている鞄本アームの役割である旨の合意があったと説明している。」
 ・「他方、鞄本アームは、当該減肉情報は一般的な技術情報であり、美浜発電所3号機に関する当該箇所の記載漏れの指摘はなかったと説明している。」と記載されている。
 上記2つの文書が本当であれば、減肉情報を知っていながら、「記載漏れの指摘はなかった」と居直る日本アームには、原発の検査を行う資格もない。さらにその日本アームに点検・検査を丸投げしていた関電にも原発を運転する資格はない。
 しかし、保安院の調査はまだ続く。それは結局、3者ともに責任なしと言わんばかりの調査内容である。

5.契約書には「点検箇所の記載漏れを発見した際の報告義務はない」
 新聞などでも報道されているように、日本アームは昨年4月にリスト漏れを発見し管理システムに登録する。昨年6月と11月に「定検工事報告書」等に記載。しかし関電は当時新たにリストに追加された破断箇所についての確認は行わず、点検リストに記載されていることは、事故後に確認したとなっている。すなわち、関電は事故後に初めてリスト漏れを知ったという内容だ。
 関電は、事故直後には、昨年11月にはリスト漏れの事実を知っていたと繰り返していた。しかしその後、「事故後に初めて知った」と自らの責任逃れを決め込んでいる。「中間とりまとめ(案)」は、何の疑問も差しはさむことなく関電の言い分を引き写している。また、各段階で、関電が点検リストをチェックしなかったことだけが記載されているが、なぜチェックしなかったのか等具体的なことは一切書かれていない。
 この日本アームと関電の関係については、「各定検毎に点検に係る請負契約(「二次系配管経年変化調査工事」)を締結していたが、同契約には、点検箇所の記載漏れを発見した際の報告義務等は定められていなかった。」(P15)と、これまで知られていない、保安院の調査の「成果」が書かれている。契約書に点検漏れを発見した時の報告義務がなかったから仕方がないと助け船を出している。
 さらに保安院は、3者の契約書を調査し、「いずれの契約においても、『PWR管理指針』に基づき点検箇所を見直すことは、明示的には記載されていない。」(P16)とまとめている。契約書に書いてなかったから、28年間検査なしで、5名の人が亡くなってもしかたがなかったというのだ。

6.「過去の」関電の品質保証が機能していなかっただけ。現在は法改正もあり大丈夫。
 このリスト漏れの経緯に関する項目の最後は、以下の言葉で結ばれている。
 「以上の事実関係から、今回の事故の直接的な原因である、『関西電力(株)、三菱重工業(株)、(株)日本アームの3者が関与する二次系主要配管の減肉管理ミス』が生じた背景には、関西電力の品質保証、保守管理が機能していなかったことがあるとみられる(「8.3 品質保証及び保守管理の徹底」参照)。」(P16)。
 関電に対して厳しいお言葉のようであるが、指示通り「8.3 品質保証及び保守管理の徹底」)を参照してみる。するとそこには、「今回の事故の直接的な原因と考えられる『関西電力(株)、三菱重工業(株)、(株)日本アームの3者が関与する二次系主要配管の減肉管理ミス』が生じた背景には、過去において(下線は引用者)、関西電力(株)の品質保証、保守管理が機能していなかったことがあるとみられる。」と同じような文章が出てくる。下線部が新たに挿入されている。
 すなわち、悪かったのは「過去の」関電の品質保証体制だと限定をつける。そして、現在はどうかというと、それ以降に書かれているように、昨年10月に法律も改正され、関電も今年5月には保安規定を改定し許可を受けているから大丈夫と言わんばかりだ。

7.ずさんな調査で事故の幕引きを許すな
 関電の安全無視・人命無視の体質に対しては、一言もふれていない。直接の事故の原因を「減肉管理ミス」として、あたかも、「たまたまのミス」であるかのように描いている。BNFLデータねつ造事件の時もしかり、今年5〜6月に発覚した火力発電所での検査記録ねつ造事件の際も、そして今年7月に見つかった大飯1号での技術基準を下回る大幅な減肉を放置しての違法運転しかり。これら関電の安全無視の体質と、今回の事故は全く無関係で、「たまたまのミス」で事故をかたづけようとしている。こんな「中間報告」で事故を幕引きし、老朽原発にむち打つ危険な運転を継続しようとしている。
 また、保安院は8月30日に三菱重工業と日本アームに対し「保守点検に関する報告徴収」を出し、リスト漏れの経緯を徴収している。その中で、日本アームに対する指示事項として「 株式会社日本アームが保守点検を的確に遂行し得る能力を有していることの説明」がある。しかし「中間とりまとめ(案)」の中では、日本アームの「能力」については一言も述べられていない。原発の保守・点検など全く経験したことのない会社に、どのような「能力」があったというのか。そんな会社に検査を丸投げしていた関電の責任はどうなのか。保安院はどう評価したのか、明らかにすべきである。[参考: 朝日新聞8/21「配管検査、実績ない業者に変更 96年に関電」]
 「中間とりまとめ(案)」に記載されているリスト漏れの経緯は、なんら証拠をもって書かれているものでもない。上記の問題点、矛盾点などを明らかにさせていこう。