質問書は10月13日に提出していますが、交渉は11月29日です。

美浜3号機事故のリスト漏れの経緯等に関する質問書

関西電力社長 森 詳介 様

2006年10月13日

 前回、10月3日に行った貴社との交渉で、次回交渉は、美浜3号機の本格運転前に設定することを「最優先事項とする」こととなりました。そのため、以下に質問書を提出します。早急に、交渉の日時を設定するよう要請します。

[1]前回10月3日の交渉で宿題となったもの
1.5月16日に美浜3号機の点検中に起こった一次冷却水漏えい事故について

(1)この事故が起こった時の作業前ミーティングに関電社員は参加していたのですか。
(2)参加していたとすればどのような注意を行ったのですか。
(3)この事故に関して、「作業責任者が指導員や作業員に対して『装置を停止させる』との明確な指示や注意を与えていませんでした」と作業責任者(三菱重工業の社員)の責任については貴社のプレスリリース(2006年5月19日付)で記載してあります。
(a) 貴社の責任についてはどのように考えているのですか。
(b) また、そのことについてはどこで表明しているのですか。

2.高浜2号機の大幅減肉の資料提出について
 高浜2号機で今年4月の定期検査で確認された大幅減肉に関するスケルトン図等の資料を提出すると約束されました。早急に出してください。

[2]美浜3号機事故のリスト漏れの経緯などについて
1. 配管の管理指針作成の経緯について
 [資料1−1、1−2]
 管理指針が作成される過程では、破断箇所の「流量計オリフィス下流部」を点検箇所として含めることに関して、以下のような経緯がありました。
[1]1989(H元年)9月の管理指針案ではオリフィス下流部は点検箇所に含まれず。
[2]1989(H元年)12月の管理指針案では「減圧オリフィス下流部」のみ含まれた。
[3]1990(H2年)5月の管理指針では「流量計オリフィス下流部」も含まれた。

(1)上記の9月案と12月案を作成したのは三菱重工業ですか。
(2)最終的に「流量計オリフィス下流部」を点検部位に含めたのは貴社の判断ですか。
(3)管理指針策定の過程で、最終的に流量計オリフィス下流部を点検部位に含めることになった動機と理由を示してください。

2.管理指針策定後の三菱重工業への点検等の委託業務について [資料2]
(1)管理指針策定後に点検等を委託していた三菱重工業に対し、他の電力会社が行ったように、管理指針に基づく帳票類(スケルトン図等)の整備を委託業務として貴社が明確化しなかったのはなぜですか。

3.三菱重工業が配管点検業務を請け負っていた時期(1990〜1996年)の点検内容について
(1)この時期、三菱重工業が点検を請け負っていた他の電力の場合、1回の定期検査で点検する配管部位は約300箇所でした。しかし、貴社の場合は100〜200箇所と点検箇所が少なかったのは事実ですか。それはなぜですか。
(2)三菱重工業が貴社の点検業務を請け負っていた時期に、10箇所のリスト漏れを確認し追加付番しています。その際、三菱重工業は、「新規に追加した点検箇所は『未調査箇所』として調査計画書(案)に注記を付して明示し提案する仕組みとなっていた」(三菱重工業の「最終報告書」6頁)と記しています。定検のたびに貴社に出される点検計画書にはリストの追加部分に注記が付されていたのは事実ですか。貴社は、その注記の内容について一度も確認をしたことはなかったのですか。

4.日本アームに配管点検業務が移管された時期について
 1997年(H9年)1月、貴社は三菱重工業にスケルトン図等の資料を提出させました。この時、32箇所のリスト漏れはそのまま引き継がれました。
(1)貴社は資料の内容をチェックせずに、日本アームに引き渡したのですか。そうであれば、その理由を示してください。

5.日本アームに対するNUSEC(三菱重工業の子会社)の情報提供について
 1997年(H9年)1月に日本アームとNUSECは業務指導契約を締結しています。その際、
(1)日本アームはNUSECが提供した減肉情報に基づき、貴社プラントに水平展開を実施すると意向表明していたことを貴社は知っていましたか。

6.高浜4号機の当該箇所のリスト漏れについて
 1997年(H9)に高浜3号機で当該部位で減肉傾向が確認され、日本アームは高浜4号機の同一部位の減肉状況を調査した際に、高浜4号機では同一部位がリスト漏れであることを発見しました。これは、貴社がリスト漏れの情報を唯一入手したものでした。
(1)リスト漏れがあることを初めて知ったはずの貴社が、他の原発でも同様のリスト漏れがないかをチェックするために何も対応しなかったのは事実ですか。それはなぜですか。

7.美浜1号機の当該箇所のリスト漏れについて
 美浜1号機でも、当該部位でリスト漏れが確認されました。貴社の「最終報告書」(2005年3月1日)では、「2001年(H13)9月に当社に提出した提案書には反映している」となっています。上記の高浜4号のリスト漏れ発見から4年も過ぎた時点になります。
(1)日本アームがこのリスト漏れを確認したのはいつですか。
(2)日本アームがこのリスト漏れを確認し、スケルトン図に付番したのはいつですか。
(3)日本アーム並びに貴社は、なぜ美浜3号、美浜2号で同様のリスト漏れや未点検箇所がないか確認しなかったのですか。

8.日本アームが破断部位のリスト漏れを事故の5年前には知っていたことについて
 日本アームは、破断箇所と同じ復水流量計オリフィス下流部の著しい減肉情報等に関して、NUSECから4回の情報提供を受けていました(1999年4月、同年7月、2000年8月、2003年3月)。
 1999年4月と2000年8月には「三菱重工業の担当者から『美浜3号機と構造が似ている発電所で配管が薄くなる減肉現象が確認された。美浜原発3号機の配管は定期検査の対象には含まれていないので、点検した方がよい』との内容の連絡を文書などで受けた。しかし、日本アームは『建設年数がほぼ同じ別の原発の配管について点検したが特に問題はなかった』と判断し、関電に伝えなかったという」(朝日新聞 2004年8月11日)と報道されています。
 また、三菱重工業の「最終報告書」9頁では「特に上記の第5回ワーキング[引用者注:1999年7月]における情報提供に対して、日本アーム殿は他電力会社殿のPWR原子力プラントの状況として当該復水流量計オリフィス下流部に関し、『Aプラントの第8回定検で、主復水管(流量計下流)で余寿命が短いものがでてきている。』と記載した議事録を作成している」と記載されています。
 この2年前の19997年には、日本アームは高浜4号機の当該部位の登録漏れを発見し、翌年1998年の定期検査で点検をしていました。
 この流れからすると、美浜3号機の破断箇所のリスト漏れについて、日本アームは事故の5年前の1999年には知っていたと推認されます。
(1)日本アームは事故の5年前の1999年には破断箇所がリスト漏れであったことを知っていたのですか。
(2)第5回ワーキングで作成した日本アームの議事録にある「Aプラント」とはどの原発のことですか。
(3)1999年あるいは2000年の段階で、貴社はこの破断箇所のリスト漏れ情報について報告を受けていなかったのですか。

9.美浜3号機の破断箇所が未点検だと確認した経緯について
 貴社の「最終報告書(概略版)」8頁(2005年3月1日)では、経過は以下のようになっています。
[日本アーム]
 ・事故前年の2003年4月に当該部位がリスト漏れであることを発見し、スケルトン図を修正。しかし、貴社に対してリスト漏れを報告せず。
 ・同年11月に、美浜3号機第21回定期検査(事故の5日後に開始予定の定検)に向けて、破断部位を含む点検対象箇所リストを貴社に提案。そのリストには、「登録漏れ、未点検等の記載がなく、特段の情報提供もなかった」。
[貴社]
 ・事故直前の2004年7月に明らかになった大飯1号の大幅減肉を受け、「次回定検で追加すべき部位を抽出するよう、各発電所に指示した」。
 ・「この作業を行う中で、美浜発電所は、未点検部位の一つとして当該部位を抽出した」
(1)日本アームはどうやって破断箇所が未点検・リスト漏れであることを確認したのですか。
(2)日本アームが2003年11月に貴社に提出した点検対象箇所リストには、破断箇所はリストに追加されていましたが、「登録漏れ、未点検等の記載がなく、特段の情報提供もなかった」ということです。そうであれば、美浜発電所は、何を根拠に、破断箇所が「未点検部位」であると確認したのですか。
(3)大飯1号の減肉を受けて、貴社が7月に出した点検指示文書にしたがって各発電所は追加点検すべき箇所を抽出したことになっています(貴社の「最終報告書」26頁)。抽出された追加点検すべき箇所について、各原発ごとに、部位と箇所数を示してください。
(4)美浜3号機の破断箇所が未点検・リスト漏れであることを貴社が知ったのは事故前年の11月だと報道されてきました。「・・・11人の死傷者を出した事故で、関西電力は10日、破損個所が検査対象から漏れていたことを指摘された後も運転を継続することを、同発電所の点検担当者が独断で決めていたことを明らかにした。・・・「日本アーム」(本社・大阪市)が昨年11月、破損個所が同様の原発では交換・補修されているのに、これまで点検されていなかったため同発電所の機械保修課の担当者に点検を提案した。この時に同発電所担当者は初めて検査漏れに気付いた。担当者は、破損個所の前後にある配管曲折部と、同じ構造の美浜2号機にある同様配管の摩耗が少ないなどを理由に、破損配管部分も「大丈夫だろう」と漠然と判断したという。関電ではさらに担当者や上司などから事情を聞くなどして、詳しい事実経緯を調査している。」(読売新聞 2004年8月10日)
 美浜発電所は、事故前年の2003年11月に、破断箇所が未点検であることを知っていたのですか。調査の結果を含めて説明してください。
(5)貴社が、美浜3号機の破断箇所が未点検であることを知ったのはいつの時点ですか。
(6)貴社が、美浜3号機の破断箇所がリスト漏れであることを知ったのはいつの時点ですか。

10.貴社と日本アームの配管管理のずさんさについて
 貴社が配管点検業務の委託先を日本アームに変更して以降、美浜3号機事故は起こり、また事故後の時点でも15箇所のリスト漏れが存在していました(その内5箇所は破断箇所と同じ流量計オリフィス下流部)。他方、三菱重工業が請け負っていた他の電力会社では、事故の時点では少なくともリスト漏れは存在しませんでした。
(1)このことからすれば、貴社が点検業務の委託先を日本アームに変更したことが事故の要因の一つとなったのではないですか。
(2)同時にこのことは、貴社と日本アームの配管管理のずさんさを示しているのではないですか。

11.配管点検業務を日本アームに移管した理由について
(1)三菱重工業に点検業務を委託するとコスト高となるため、経費削減のために日本アームに移管したのですか。
(2)1回の定期検査における配管点検業務の費用は、三菱重工業と日本アームの場合、それぞれおよそいくらかかっていたのですか。

12.貴社が行った点検リストの確認について
 貴社が管理指針を作成した1990年以降、事故までの14年間の内に、点検リストの内容を確認しておればリスト漏れ等を発見し美浜3号機事故は防ぎ得たはずでした。
(1)貴社は、事故が起こるまで一度も点検リストの内容を確認していなかったのですか。
(2)貴社の「最終報告書」25頁には、「当社はPWR管理指針に基づく点検リストを定期的に見直しておらず、当該部位の登録漏れを発見できなかった」と書かれています。「定期的に見直し」てはいないが、不定期には見直していたのですか。そうだとすれば、見直した時期と内容を示してください。

13.貴社の安全文化の形骸化について
 原子力安全・保安院の「最終報告書」35頁の表6では、配管の余寿命が1年未満、及び0年(技術基準不適合)の部位についても、貴社が配管の取替を複数回の定検で先送りした例が示されています。
(1)このように、取替を複数回も先延ばしてきたという事実は、貴社の安全文化の形骸化を端的に示しているのではないでしょうか。
(2)美浜3号機での配管刻印の改ざんや、格納容器内キャビティ水の水漏れ事故は、安全文化の形骸化や協力会社との信頼関係不足がいまだ解決されていないことを示しているのではないですか。


 2006年10月13日

  グリーン・アクション 代表:アイリーン・美緒子・スミス
    京都市左京区田中関田町22−75−103 TEL 075-701-7223 FAX 075-702-1952

  美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会 代表:小山英之
    大阪市北区西天満4−3−3 星光ビル3階 TEL 06-6367-6580 FAX 06-6367-6581