2001年核のない未来賞 教育部門賞受賞者 樋口健二





 大惨事の写真は、容易に人の目を引きつける。地震やハリケーン、竜巻の後に残された惨状。チェルノブイリの暗黒の大惨事から直接起こる煙っぽい荒廃。しかしそのときそこには、このような直面する感情を奮起させることのできない写真があり、私たちの日々の状況を描いた写真があり、学ばなければならない写真がある。しかしながら、後者は、しばしばより重要である。なぜなら、これらの写真は、単なるジャーナリスティクな四季を超える光景を----私たちのペースの速い世界で、めったに3日を越えることのない時間枠を----伝達するから。啓発の眼を持った写真家は、私たちの正体を私たち自身に暴いて見せることができる。
 日本の樋口健二は、このような写真家である。彼の写真は、我が時代の核の狂気を証明する人々や状況を描写している。----これらは、私たち自身の無知の肖像画である。樋口は30年近く、核産業の声なき被害者達にカメラを向けてきた。核技術から利益を得ている犯罪的な諸企業が、正常運転からの非常に小さな無害のズレだとして、事故を売って成功している限り(人間の惨状が彼等自身の経済的破産の前兆となるときのみ、彼等は大惨事について話す)、こういう宣伝の仕方を続ける限り、核産業は公認の殺人を続けるだろう。樋口の写真の多くは、告発と見なすことができる。「クリーンなエネルギー」のきたない洗浄に従事する日本の流浪する労働者達を証明する、注目せずにはおれない彼の写真シリーズが、「日本の原発ジプシー」というタイトルの「チャンネル4」ドキュメンタリーで、インスピレーションとして取り扱われた。
 島国である日本に、9電力の52基の原子炉が散在している。これは、日本を、地球上で1人あたりの原子力依存の最も高い国のひとつにしている。しかし、歴史的に見て、日本政府と核産業の暗黙の連携に対して、公衆の反対はほとんどなかった。部分的には樋口の写真の仕事のおかげで、この状況は変化し始めている。樋口の8冊の写真集のうちの1冊、『闇に消される原発被曝者』は、学生達、教師達、一般の人々の眼をかすかに開かせるものとして考えられていたが、驚くべきベストセラーになった。『これが原発だ』というタイトルの写真集がさらに成功した。ヒバクシャという呼び方は、かつては、ヒロシマ・ナガサキの放射能被害者を指していた。樋口の写真は、核技術のいわゆる平和利用と呼ばれているものの末端にいる多くの死傷者を含む今日の意味に広げた。
 樋口健二は、農家の長男である。24才のとき、彼はロバート・キャパの有名な反戦写真を見て感動し、写真の仕事を開始した。東京の2つの施設で著名な写真教授として、有名な日本写真芸術専門学校と日本ジャーナリスト専門学校でベテランのインストラクターとして、樋口の生活は楽になり、快適になった。しかし、普通の出世は、決して彼を魅了しなかった。才能ある眼を持つこの男が、彼の生徒に教えたことは、写真は叫ぶ必要はなく、ただ無言の証人を提示すれば、しばしばよりよいものになるということだった。彼の生涯の仕事から1枚のこのような写真「水晶浜の美しい日」が生まれた。この写真では、水辺でスポーツする人々が私たちの目に入る。背景に、美浜原発がぼんやりと見える。3基の原発は毎秒70トンの温排水を湾に排出している。この温排水は、微量の放射能を含んでいる。







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