樋口健二さん講演会&写真展報告  10月21日 エル・おおさか

「悲劇は今から始まる」
「歴史の証言として『事故翌日の東海村』を写した」





 「事故のニュースを聞いたとき大変なことが起こったと思った。現地に行けば被曝は免れない。正直行きたくはない。しかし、被曝した労働者の姿をテレビで見て、いてもたってもいられなくなった。この事故の事実をどうしても記録し、歴史の証言にしたかった。」こう語りはじめた樋口健二さん。その緊張感あふれるお話は、会場を埋めた80人の参加者を釘付けにしました。
 人も車も影のないゴーストタウンとなった街。JCOの壁に接して民家が建ち並んでいる!全員避難したはずの区域で、庭で遊んでいる子供がいる!サーベイメータでなぞるだけの形だけの「健康診断」。ある妊婦さんに聞けば「異常なし、と言われたが、心配でね…」。これ以上言葉は続かなかった…。マスコミによって多くの映像は流されていましたが、まだまだ見えていなかったものがいかに多かったことか。樋口さんの鋭い指摘に、参加者はみな驚き、はっとさせられました。
 全てが後手に回った国、行政の対応。住民の不安をよそに出された中身のない「安全宣言」。「2年前の再処理工場爆発事故の時もそうだった。僕は確信している。こんな連中がやっていたら大事故はまた起きる。原発を止めさせなければ」。91年に村と県が行った「防災訓練」と今回の事故の経過を対比された。「訓練では、事故発生後、わずか3時間で全員にヨウ素剤が配布された!ところが現実はどうだ!防災なんて何の役にもたたないことが証明された。原発を止める以外にない」。「安全委員会は首をくくったか。事務次官が辞めたぐらいで何が変わる!」樋口さんの舌鋒は国、安全委員会、そして真実を伝えないマスコミをも突きます。
 「悲劇は今から始まる。僕の写真は10年、20年後に大きな意義を持つだろう。」樋口さんは長年、原発の底辺で闇に葬られ続けてきた被曝労働を告発しつづけ、岩佐さんはじめ多くの被害者の姿を痛いほど知っておられます。だからこそ、国の「安全宣言」とは裏腹に、今後ガンや白血病が住民に襲いかかる。その悲劇は今から始まると断言されたのです。ユーモア、皮肉たっぷりの「樋口節」で語りながらも、そこには深い悲しみ、重みがありました。今回の事故がいかに取り返しのつかないものであるか、改めて思い知らされました。
 事故から1ヶ月半余り。期せずして高浜4号燃料差し止め仮処分提訴の2日後となったこの講演会。大変貴重なお話を伺い、事故とそれを引き起こし反省もしない原子力推進体制への怒りを新たにし、運動の更なるエネルギーをもらうことができた講演会となりました。また同時に写真展示も行われ、参加者は熱心に見入っていました。
 集会では岩佐さんへのカンパ53,365円もが集まりました。樋口さんから、77歳になって体調も思わしくない岩佐さんの近況紹介がありました。カンパは知らぬ間に1万増えて合計63,365円に。樋口さんを通じて岩佐さんに届くようにしていただきました。
 11月24日、岩佐さんから丁重なお礼のお電話をいただきました。「本当なら自分が集会に出向いてごあいさつしまければなりませんが、体調が悪く動けません。今こそ反原発を強めるときです。みなさん、本当にありがとうございました」。
 科技庁は、東海事故で「200ミリシーベルト以下であれば健康への影響はない」として、一般住民・労働者の被曝を切り捨てようとしています。私たちは、岩佐さんの闘いと、その魂を今こそ受け継いでいかねばと、決意を新たにしています。             (MK)

講演会参加者の感想


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