「子ども福島ネット」の中手さんを迎え、
脱原発に向けた意思を強くした7・10「原発さよなら関西集会」
関西13団体の署名第一次集約 45,215名

 7月10日、関西13団体から成る「琵琶湖の水がみんなのいのち・さよなら原発ネットワーク」主催で、「原発さよなら関西集会」を大阪市内で開催した。関西一円から約200名が参加した。
 冒頭の主催者あいさつでは、福島原発事故発生後、広範に広がる脱原発の意思を結集するために「原発さよなら署名」を開始したこと、本集会を、その署名の第一次集約として、事故発生以降の関西における運動全体の集約の場として、また10月末の第二次集約に向けての出発点として開催すること、これら運動全体の意思を、全国の仲間と共に、7月末の署名提出・政府交渉の場で国に対してぶつけていくこと、国等の動向を見極めながら、自分達の打ち出した脱原発への道を進んでいく必要があること等のアピールがなされた。
 続いて、関電の原発の実情と琵琶湖の汚染という関西の問題についての報告がなされた。関電の原発については、関電の「緊急安全対策」の根本的欠陥が紹介された。琵琶湖については「原発を知る滋賀連絡会」の池田進さんにお話しいただいた。滋賀、京都、大阪、兵庫の広範囲の地域が琵琶湖を水源としていること、若狭からの北西の風が関ヶ原で鈴鹿山脈に当たり降雪をもたらすこと、琵琶湖から流れ出る河川は1本しかなく、降雨により河川を通じて流れ込んでくる水は琵琶湖に溜まり続け、完全に水が入れ替わるのは19年もかかること、それ故、一度汚染されたら放射性物質が拡散されずに滞留してしまうこと等が報告された。

 次に、福島県からお招きした「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」代表の中手聖一さんのお話を伺った。中手さんは、冒頭、2つのことをお願いしたくて来たとし、「福島の子どもたちを何とか疎開させて守っていきたい。そのために力を貸してほしい」、そして、「1日も早く全ての原発を止めていかなければならない。それを一緒に実現しよう」と力強く訴えられた。
 中手さんは、76%の小中学校等が放射線管理区域と同じ状態にある福島県の深刻な汚染の実態について話をされた。また、「もはや福島県内の汚染地図を作っている場合ではなく、全国どこでも汚染と無縁な場所はなくなったと思われるから、日本全土の汚染地図を作り、どこで子どもを育てたらよいのか真剣に考えるべき時だ」とシビアな現実を強調された。
 そして、疎開実現に向けた国民運動を行うことを提案された。「現在、福島市では、除染作業が行われている脇で子どもたちが授業を受けている。アドバイザーが主導してほとんどの学校で部活が行われているが、見るに見かねてせめてマスクだけでもつけるよう促した教師が退職に追い込まれている。そのような中で、汚染の恐ろしさに気づいたたくさんの福島市民が、『自主避難』をしており、現在3万人を超えている。こうした自らの判断での避難を権利としてどう実現していくかが喫緊の課題である。大阪など各地に福島県の学校のサテライト校を作る等の疎開政策を提案していきたい。疎開を国民運動にして全国の人々と共に実現したい。子どもたちを守るためにはこれしかないだろうと、今、全力を注いでいる」と訴えられた。
 また、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一氏の果たしている犯罪的役割について厳しく糾弾され、「彼が福島県にいる限り、県独自の被ばくの低減策や再生のための手立ては打てない」と強調された。

 次に、京都、奈良の方から、避難者の関西における受け入れ先についての報告がなされた。大阪市と京都府だけが罹災証明を持たない人を6月末から受入れ対象としている。受け入れる自治体を広げていこうと呼びかけがなされた。
 その後の休憩時間では、各府県の団体ごとにブースを出し、参加者と交流を行うことができた。

 後半ではまず、第一次集約の署名数が、関西13団体の集約分で45215筆、関西以外の約20団体の集約分で40818筆、合計86033筆であることが報告された。
 続いて、関西各府県の団体・個人からのアピールが行われた。事故発生後に活動を始めた人からなど、活気溢れる活動の数々が報告され、脱原発に向けての機運の高まりを感じた。滋賀の方からは、事故発生後、原発に不安を感じる人々が友人、知人を通じて集まり、グループ「あすのわ」を結成したこと、7月3日には「アースデイ・しが」を開催、150のブース出店があり、2000人以上が参加したことなどが報告された。
 最後にアピールされた福島県郡山市から5月に大阪府に避難されてきた母親は、避難区域を限られた地域に限定し、安全宣伝により被ばくを強要する国の政策の下で、子どもを高い放射能汚染の環境下で過ごさせてしまったことに対する苦悩を切実に訴えかけた。彼女は、5月1日の「子ども福島ネット」の集会で、子どもの通う学校の放射線レベルが危険な値であることを初めて実感できたという。「本当に子どもの命が私の命に代えても大事なので、5、10年後にチェルノブイリのように被ばくによって子どもに癌が発症したら、自分自身が許せない」という痛切な言葉が心に深く残った。
 集会には、原発現地や各界などから14通のメッセージが寄せられた。その中から、7月7日に玄海2、3号機再稼働差止仮処分申し立てを行った「玄海原発プルサーマル裁判の会」からのメッセージが紹介された。そして、集会アピールを採択し集会を締めくくった。
 本集会で集約した脱原発に向けての意思を、7月末の署名提出と政府交渉の場で国に対してぶつけていこう。10月末の第二次集約に向けてさらに運動を前進させていこう。


(11/07/14UP)