美浜の会ニュース No.91

◆志賀1号機の設置許可を取り消せ/臨界事故に関する全ての情報を公開せよ
◆福島T−3の運転を停止せよ/臨界事故に関する全ての資料を公開せよ
◆敦賀2号機の運転を停止せよ
◆美浜1号機と美浜3号機を閉鎖せよ
◆電力の「自己責任」による、定検短縮等の検査制度の改悪反対
◆電力と国の責任を追及していこう


 4月20日、甘利経産大臣と原子力安全・保安院長は、電力会社の臨界事故隠ぺいや検査の偽装、違法等々の不正報告に対し、運転停止処分はとらないと発表した。臨界事故を引き起こし8年間も隠ぺいしてきた北陸電力の場合、保安規定違反は明らかであり、設置許可取消処分に該当するにもかかわらず、1年間の運転停止命令さえ出さなかった。実効力のある処分は封印し、免罪符だけを乱発した。これに対し、電事連会長の東電社長は、神妙な顔で「非常に重い処分」と述べることで、茶番劇であることを告白した。 
 国は4月20日に「発電設備の総点検に関する評価と今後の対応について」を発表した。不正報告に対する「評価」では、11の事案に対して原子炉等規制法などに抵触していると自ら評価を下しながら、運転停止命令さえ出さなかった。最も悪質な志賀1号機の保安規定違反に目をつむることで、他の全ての原発の違反も不問に付した。結局、国がとった措置は、北陸電力、東京電力、中国電力、日本原子力発電の4社・9基の原発に対し、保安規定の変更命令(重大事故が経営責任者に直ちに報告がなされる体制を構築するなどの保安規定の変更)と「直近の定検」を数週間延長するという一度きりの「特別な検査」くらいだ。
 この異常な状況は、原発を止めないことを最優先させたもので、安全規制の放棄そのものだ。これによって、落ち込んでいたBWR原発の設備利用率の回復を狙っている。また、数々の不正に対し、厳しい措置をとらないことで、国自らの無責任極まりない姿勢をさらけ出した。同時に、地域独占に守られた傲慢な電力会社の安全性軽視と隠ぺい体質を育成してきたのもまた国であり、それを今後さらに補完していく姿勢を示したものだ。国の責任放棄と安全規制の放棄に対し、抗議を集中しよう。

 4月30日、保安院は志賀原発1号機の臨界事故と他の9件の制御棒引き抜け「事象」に関する「調査報告書」を出した。以下では、この「調査報告書」を中心に、保安院の無責任極まりない姿勢を具体的に批判していく。

志賀1号機の臨界事故の実態は隠ぺいされたまま
 志賀1号機で公表されている臨界事故のデータは、(1)原子炉の主要な動きを記録したアラームタイパー印字記録と(2)炉内中性子束モニタのチャートだけだ。(2)の内、低・中域の中性子を測定する中性子源領域モニタ(SRM)と中間出力領域モニタ(IRM)は、事故発生直後に振り切れている。そして事故の実態を具体的に知るために最も必要な炉心出力を測定する平均出力領域モニタの記録は公表されていない。北陸電力は「点検中」で作動していなかったと述べている(北陸電力4月6日付報告書)。炉心に全燃料を装荷し、原子炉の蓋も格納容器の蓋も開いたままの状態で制御棒に関する検査を行っていたにもかかわらず、平均出力領域モニタが「点検中」だったとは信じがたい話である。万一それが本当だとすれば、安全軽視も甚だしい。保安院は、「調査報告書」の中で、意図的にこの平均出力調整モニタの問題を避けている。この重要な記録がなぜ存在しないのか、なぜ「点検中」だったのかについて、保安院は具体的に聞き取り調査を行い結果を公表すべきであるが、なにもしていない。こうして即発臨界の実態を封印しようとしている。
 そして北陸電力は、2つのパターンの事故解析の結果と燃料集合体の外観検査だけによって燃料破損がないとして、作業員の被ばくなし、環境への影響なし、安全審査の範囲内であると結論づけた。保安院は、「事故直後の約8分間の炉内中性子束の記録がないため、北陸電力の2つの解析のどちらが実態に近い解析となっているかを評価することは難しい」(33頁)としながら、北陸電力の結論を妥当としてしまっている。北陸電力が最近になって行った燃料集合体の検査は、全部ではない上に外観検査のみなので、多くの問題がある。現在も使用済燃料プールにある当該燃料集合体について徹底した調査を行うべきであるが、保安院はこれらを一切放棄し、さんざん事故を隠ぺいしてきた北陸電力の報告を鵜呑みにしているだけだ。
 保安院と北陸電力、日立製作所が一体となって臨界事故の実態を隠ぺいしている。日立が持っているはずの、事故直後の管理区域の汚染の測定値についても記録は一切公表されていない。事故に関する資料を公開させなければならない。 

制御棒引き抜け−「手順ミス」論で構造的欠陥を隠ぺい
 志賀1号機の3本の制御棒引き抜け、福島T−3号機の5本引き抜け等々、BWR原発の制御棒引き抜けは10件にも及んでいる。制御棒の制御の困難性を示している。
 保安院は、制御棒引き抜けを、隔離操作の「手順ミス」だと断定し、隔離(101弁・102弁閉)の前に、圧力を逃がすためのリターンラインを使った運転にすれば問題はないとしてしまっている。この「手順ミス」論は、BWR原発に固有の制御棒駆動機構の構造的欠陥を覆い隠すためのものだ。実際、北陸電力の「再発防止策」では、制御棒引き抜けが今後も起こることを前提にしている。バルブを閉める順番を考慮して、複数本の引き抜けが起こらないようにする対策しか出されていない。
 今回明らかになったのは、(1)隔離操作による制御棒の引き抜け、(2)隔離時にはスクラムできない、というBWR原発に固有の根本的欠陥である。
 前者について、志賀1号機の事故の場合は、特殊な試験のための隔離の最中であったが、隔離はBWR原発では必ず必要な操作である。隔離は、運転中には開いている101弁・102弁のバルブを手動で閉じて、制御棒の全挿入状態を維持するための操作である。定検時の燃料装荷や格納容器耐圧試験等々で必ずこの隔離を行う。燃料装荷中や試験時に制御棒が作動して引き抜け、臨界にいたることを防止するためである。今回の事故は、臨界防止のための制御棒の隔離操作によって、逆に制御棒の引き抜けが起こり臨界事故にまでいたるという根本的矛盾を抱えていることを顕在化させた。
次に、隔離時のスクラム不能問題だ。志賀1号機の場合、原子炉自動スクラム信号でスクラム弁が開いたが、101弁が閉状態だったためスクラム機能は働かなかった。結局、101弁を開にして、すなわち隔離を解除することによってしか制御棒は挿入できなかった。保安院の「調査報告書」はこの点について、「そもそも緊急挿入しないようにHCU隔離をしていたことから、設備に問題があったわけではない」としている。隔離時にはスクラムできないというどうしようもない根本的な欠陥を覆い隠すための詭弁にすぎない。
今回の事故は、制御棒1本ごとにある水圧ユニット(HCU)によって、複雑な弁操作による水圧の微妙な調整によってしか制御棒の制御ができないというBWR原発に固有の制御棒駆動系の構造的欠陥を顕在化させた。「操作ミス」があっても事故に至らないような安全装置は、ここには存在しない。

保安規定違反を認めながら、運転停止・許可の取消処分は封印
 保安院の「調査報告書」では、志賀1号機について「法令上の観点からの検討」(41頁)を行っている。そこでは、様々な法令違反や保安規定違反を指摘している。にもかかわらず、先に述べたように運転停止処分等の実効力のある措置は一切とらなかった。法令違反として挙げているのは、(1)臨界事故を報告しなかったこと→実用炉規則24条10号違反、(2)臨界事故を記録せず、記録を改ざんしたこと→原子炉等規制法34条、実用炉規則7条違反、の2点だ。しかし、これらはいずれも「3年間で時効」が適用されることを見越した上での評価だ。
 次に、原子炉主任技術者が誠実に職務を遂行しなかったこと→原子炉等規制法42条に該当するとした上で、「その職務を理解していないと指摘せざるをえない」としている。この原子炉主任技術者とは、事故当時の副所長で現在常務取締役の人物だ。北陸電力も保安院も、事故の隠ぺいに「反対しなかった」だけだとして、積極的に隠ぺいに荷担したのではないと強調している。原子炉等規制法43条(原子炉主任技術者の解任命令)では、「主務大臣は、原子炉主任技術者がこの法律・・・に違反したときは、解任を命ずることができる」となっている。しかし「職務を理解していない」とすることで、解任命令を出すことを意図的に避けている。
 そして、最も重要なのは保安規定に関するものだ。保安規定遵守義務違反は、原子炉等規制法33条によって、原子炉設置許可の取り消し、または1年以下の運転停止に該当する。時効も存在しない。志賀1号機について、「調査報告書」の本文では「保安規定順守上の問題があったことを当院は確認した。(詳細は、【別表2】のとおり)」となっている。時効が適用される上記とは異なって歯切れがわるい。しかし【別表2】では、北陸電力の保安規定と対照しながら、「保安規定に抵触する可能性」として引継ぎ日誌の改ざん等5件をあげ、いずれも保安規定違反としている。こうして自ら、保安規定違反だと評価しながら、具体的な運転停止も許可の取り消しも命じなかった。
この引継ぎ日誌の改ざんは、他の電力会社でも多く報告されている。福島T−3でも、関電の不正報告でも該当するものがある。これら一つ一つに厳格に適応すれば、かなりの原発に停止命令を出さねばならなくなる。最もひどい志賀1号機に保安規定違反で停止命令等をかけないことで、他の電力会社の保安規定違反も全て不問に付した。
 技術基準適合性(電気事業法関連)では、臨界事故後に燃料の健全性を確認することはしなかったが、その後の運転でも燃料破損は起きていないので「結果として技術基準に適合していたものと考えられる」(43頁)としている。結果論のみで法解釈する危険な思想だ。

言い訳ばかりで国の責任を認めず
 北陸電力の臨界事故発生とその隠ぺい工作に関して、「当時の国の対応」(40頁)について「調査報告書」は言い訳ばかりを並べ立てている。「当時は、法令に基づく検査の権限は付与されていなかった」「昼間の勤務なので夜中の臨界事故は知らない」等々。
 ところが、臨界事故当日の午後からは、検査官が定期検査(原子炉停止余裕検査)に立ち会っていた。この検査は、制御棒1本を引き抜きにして原子炉が臨界しないことを炉内中性子束モニタ(SRM)で確認する検査である。午前2時頃の振り切れた中性子束モニタのチャートがあったにもかかわらず、検査官は何も気づかなかったことになっている。それは「本検査では、過去のデータの確認は行わない」ためだという。「調査報告書」では、北陸電力の隠ぺいの手口について様々に述べている。例えば、国の検査官が異常なグラフを見つけた場合は「『点検』と回答すること」等々。しかし、このような工作までした北陸電力の危惧は肩すかしに会った。検査官は「過去のデータの確認は行わない」ことになっていたのだから。
 保安院の「調査報告書」からは、皮肉にも、国の検査官の目をごまかすのはいとも簡単だという実態が逆に浮かび上がってくる。国の検査のずさんさが、北陸電力の隠ぺい工作をいとも易々と「成功」させている。そして、この自らのずさんな検査に対して、国は何の反省もない。

「隔離弁に施錠」とは?−より危険な「再発防止策」。オーム返しの「コンプライアンス」
 制御棒引き抜けと臨界事故を、全て「手順ミス」に解消してしまった北陸電力の「再発防止策」の重点は、手順要領書の整備等々である。「設備面の改善策」としては、冷却水圧力の高と低を区別するような警報音を出すというだけだ。そして、あとは、隔離弁(101弁・102弁)に「施錠」して注意書きを表示したという。保安院はそのことを「特別な保安検査で確認した」という。「特別な保安検査」と名前だけは仰々しいが、実態はこんなものだ。隔離弁の開閉操作を間違ったわけでもないのに(隔離のために閉にするという当然の操作をしていたのに)、「施錠」が再発防止策というのも奇妙な話だ。それどころか、今回と同様のことが起こった場合は、多数の隔離弁を開ける前に「鍵を開ける」余分な作業が必要になり、時間ばかりかかって一層危険な状態になる。
 さらに北陸電力は、「根本的な再発防止策」を出している。「安全文化の構築」「コンプライアンス(法令遵守)」をあげ、トップが「安全最優先」の強力な意思表明を行うという。あとは、原子力本部を本店のある富山県から石川県に移すことだ。これは、美浜3号機事故後の関電の再発防止策の引き写しだが、関電が原子力事業本部を大阪から美浜町に移した後にも事故は頻発している。臨界事故の再発防止策とは何の関係もない「原子力本部の移転」は、社員住宅の建設等によって立地県にわずかな「経済効果」を生み出すことくらいしかない。
 そして保安院は、これら北陸電力の「根本的な再発防止策」を「おおむね妥当」とし、その実現のためのアクションプログラムの作成等を要求するだけだ。
 事故や不正発覚のたびに、一つ覚えのように繰り返される「コンプライアンス」「トップマネジメントによる安全最優先」の合唱と、国によるその指導は、一体何を意図しているのだろうか。

2003年の国の安全規制の抜本的改悪−電力会社の「自己責任」と国の「規制緩和」
 2002年のシュラウドひび割れ隠し等の東電事件で、地元の強い怒りによって、東電の原発は全て運転停止に追い込まれた。その過程で明らかになった福島T−1号機の格納容器漏洩検査の偽装工作に対して、保安院は原子炉等規制法違反(保安規定遵守義務違反)として、1年間の運転停止命令を出した。法に則れば、当然の処分である。しかし今回の「運転停止命令は一切出さない」という保安院の姿勢には根本的な転換がある。これはどこから来ているのか。
 90年代後半から、定検の超過密スケジュール化という形で、電力各社は競って定検短縮に血道を上げ、30日台の定検を実現し、原発の設備利用率は上昇してきた。しかし、2002年の東電事件後、東電の設備利用率は約26%に、BWR平均は約39%にまで落ち込んだ。国の規制による運転停止命令や地元首長達の要求によって運転を停止すれば、合理化によって生み出した利用率の上昇は奈落の底に落ち込むことを経験した(グラフ参照)。
 国は東電事件の「再発防止策」と称して、2003年10月に原子炉等規制法を改定し、「品質保証」の概念を導入し、安全規制を抜本的に転換した。実は、この「再発防止策」とは、次々に運転停止に追い込まれることをなんとしても阻止するための「再発防止策」だったのだ。この法改定によって、新たな安全規制の基本は「事業者の自主保安を大前提とする国の安全規制」と位置づけられた(2004年6月保安院パンフ「原子力安全規制の基本姿勢について」)。その内容は「事業者の自己責任の徹底・明確化」を基本原則とし、「品質保証体制の確立」「法令遵守体制の確立」によって実現する。国の規制は「品質保証体制のチェック」に重点をおき、検査方法もハード面の検査(配管の肉厚測定結果等)ではなく、ソフト面(トップマネジメントによる安全確保体制の確認・プロセス型検査)を重視する。すなわち、原発の各機器の実態をチェックして安全を確保するというそれまでの基本姿勢を放棄することである。
 電力会社の「自己責任」と国の「安全規制の緩和」はメダルの両面だ。国が規制を緩和することによって生じるリスクは企業が負うこと、そのために「トップマネジメント」「コンプライアンス」が繰り返されるという仕組みだ。今回の臨界事故や数々の違法行為等に対して国がとった措置は、停止命令ではなく、保安規定の変更、すなわち「重大事故が経営責任者に直ちに報告がなされる体制を構築する」を保安規定に盛り込めというもので、法改定の流れにそったものだ。
 また、2002年の教訓として、地元の反発を抑え込むために、思いも寄らぬ臨界事故の発覚以降、「私が膿を出させている」と経産大臣が前に出て、国主導で「過去の清算」を行っているという絵図を、新聞広告まで使って描く必要があった。
 このように、今回の「原発は止めない」方針は、2003年の法改定の具体化である。2002年以降落ち込んだBWR原発の設備利用率をなんとか回復させようとしている中、運転停止命令はなんとしても避けねばならなかった。国・電力・メーカの共通した利害だったのである。

「原子力立国」−安全規制に大穴があいた上で、危険な綱わたり
 国の安全規制の大枠を抜本的に改悪した上で、来年度からは検査制度の改悪を具体化しようとしている。利用率回復のためだ。定検短縮のため、原発を止めずに監視する状態保全等の導入拡大、連続運転の延長、定検の検査項目自体を電力会社が決める「保全プログラム」方式の導入等々。 新規立地が進まない中で、ますます老朽化していく原発で、これら検査の手抜きと、電力の「自己責任」に任せた危険な運転を強行しようとしている。
 さらに次の事情がある。原子力の海外進出のためには、海外メーカとの激烈な競争に勝たねばならない。そのため、国・電力・メーカが一体となって、「原子力立国」を押し進めている。「原子力立国」と低い利用率のBWRの実態というこのギャップを埋めるためには、なんとしても原発は止められない。稼働率が低いままでは国際競争力のないことが露呈してしまう(2006年度のBWRの平均利用率約64%)。また、利用率が低ければ「温暖化対策としての原発」とも言えなくなる。
 国策として進められてきた原子力は、今新たに、グローバルな競争に打ち勝つために官民あげて一層危険な核の綱わたりを始めようとしている。綱の下に張られた安全ネットには大穴があいていることを、今回の事態がはっきりと示している。

コンプライアンスと何度唱えても、老朽原発の危険な実態は救われない
 臨界事故が起きても、違法や偽装があっても原発は止めない。これが国の安全規制である。しかしそこには大きな矛盾がある。事故や隠ぺいを繰り返す電力会社の「自己責任」で原発の運転を続け、原発の機器の実態に即した点検等を国が放棄すれば、取り返しのつかない惨事を呼び寄せることになる。誰も責任を取らない電力会社とメーカ、国の責任放棄という醜態は、「過去を清算した」「身ぎれいになった」という国・電力の思惑とは裏腹に、多くの人々の中に怒りと不信、不安の念を生み出している。それらを基盤に運動を進めていこう。
 保安規定違反でも原発を止めない理由として、国がさかんに繰り返しているのが「現在の安全性は確保されている」という論だ。7時間半もの臨界事故を引き起こした福島T−3や、格納容器の機密性試験を偽装した敦賀2号機等々に運転停止命令をかけないための方便として使っている。しかし、原子炉等規制法にはそのような規定はない。法の悪用も甚だしい。「現在の安全が確保されていれば、過去の保安規定違反は免責」と法律のどこに書かれているのか保安院を追及しよう。
 志賀1号機の臨界事故に関する資料を公開させよう。一切資料が公開されていない福島T−3の7時間半に及ぶ臨界事故の資料を公開させよう。臨界事故等についての学習会を組織しよう。保安規定違反の多くの事例について、法律を適応させていこう。電力の「自己責任」に基づく国の安全規制緩和に反対していこう、その具体化である検査制度の改悪に反対していこう。今回明らかになった、偽装や違法について、電力会社との交渉などを通じて、その実態を暴いていこう。
 「原子力立国」と叫んでも、老朽原発の実態は悲惨なものである。美浜1号では、原子炉起動のたびにあちこちで漏れや異常が発見されている。最近では、原子炉キャビティ水の漏えいによって、燃料取り替えプールの全溶接線の検査を余儀なくされている。ステンレス溶接線の貫通箇所とコンクリートの漏えい箇所の整合性がとれないという袋小路に入り込み、当初3月に予定していた運転再開の目処はたっていない。「コンプライアンス」と何度呪文を唱えても、ボロボロの原発の危険な実態は救われない。
 柏崎市の会田市長は4月23日、保安院に対し、「責任問題が素通りされている」「保安規定の改定だけでなく、炉の安全がどう担保されているのかが第一義的。隔靴掻痒の感じがしてどうしようもない」と述べた。地元自治体に対して、厳しい規制と監視を要求していこう。
 これらを通じて、原発の停止を押しつけていこう。