美浜3号機事故─事故時の運転操作、設備への影響に関する疑問点
被災者救出の観点なし──「出てしまった後ですから」と保安院
制御室への蒸気流入をなぜ隠していた


 美浜3号機事故に関する評価が、3月1日の関電発表資料及び3月3日と14日の「美浜発電所3号機二次系配管破損事故調査委員会」第8回と第9回の資料(保安院の最終報告書案を含む)として公表されている。ここでは、事故時の運転操作や噴出蒸気の設備影響などに絞り、3月16
日関電交渉と18日保安院交渉を踏まえて、疑問点を提起したい。

1.2次系は1次系と不可分
 美浜事故では、2次系水を蒸気発生器に導くための主給水ポンプの上流側で配管が15:22に突然破断した。そのため給水ポンプが空回りを起こして停止し、主給水が停止したため、補助給水ポンプが働いて蒸気発生器2次側に給水し、1次冷却水を冷却したことで原子炉は冷却された。
 そのときの運転操作について、関電の3月1日報告書・添付資料3-5「美浜3号機 通常停止操作と今回停止操作の相違」では、1次系操作と2次系操作に分け、それぞれで「通常操作」と「今回操作」を比較している。しかし、まずもって奇妙なのは、操作の開始時刻が1次系では15:35、2次系では15:44であり、最も肝心な事故発生から原子炉停止に至る間の15:22〜15:28及びその直後の7分間が度外視されている。さらに、ここでいう「通常操作」とは何なのか、定期検査時の原子炉停止操作のことか、2次系の「通常操作」とは何か、まったく不明である。
 1次系と2次系を切り離し、最も肝心の事故発生直後の操作を度外視する意図はどこにあるのだろうか。今回は2次系の破断で放射能もなく、火力発電所の事故と同じだという見解を関電はもっていたと伝えられていた。しかし、原子炉停止操作が2次系操作と無関係でないことは、スリーマイル島原発事故がはっきりと示している。スリーマイル島事故では、今回の美浜事故と同様に(配管破断の有無の違いがあるにせよ)、蒸気発生器への給水が止まったことが発端であった。スリーマイル島原発では、補助給水系の弁が閉じられていたために、蒸気発生器による炉心の冷却が不能状態となり大事故へと発展した。すなわち、特に事故発生直後の2次系の操作が原子炉冷却に本質的な影響を与えることを如実に示している。

2.「事故マニュアル」とは当直長の判断のこと
 今回の事故では、作業員が噴出した蒸気に曝されていることが15:27という早期に判明した。原子炉の安全停止だけでなく、蒸気の噴出を早くとめて作業員を救出する操作が要請されたことが今回の事故の別の特徴である。15:28に炉は停止し、タービンへの主蒸気止め弁も自動閉止し、蒸気はタービンバイパスを通って復水器から破断口へと流れていた。この流れを止めるための重要な操作として主蒸気隔離弁を閉じる操作が考えられたはずである。しかし、関電や保安院によれば、主蒸気隔離弁を閉じる操作は、16:05までまったく考えられなかったということだ。
 この点、保安院の最終報告書案では、「今回の事故時における運転員の操作」について、(1)緊急負荷降下の判断は「発電室業務マニュアル」、(2)原子炉トリップ後の対応は「事故時マニュアル」、(3)脱気器水位制御弁の閉止は系統水の沸騰を懸念した操作、(4)原子炉高温停止から低温停止までの移行操作では「通常運転マニュアル」というように、各段階に分けて対応したとしている。それでは、今回のような事故に特徴的なマニュアルはどれなのか、「事故時マニュアル」と言ってもどのような事故かによってマニュアルが異なるはずである。この点を3月18日の保安院交渉で確かめたところ、今回のような配管破断時のマニュアルはないので、事故時マニュアルと言っても特定な事故を想定したものではないという。それでは主蒸気隔離弁を早期に止める操作はどうなっていたのかと聞くと、それは当直長の判断の問題だということだった。結局、主蒸気隔離弁を早期に閉鎖しなかったのは、当直長の判断によるものだったということになった。

 本当にそのようなマニュアルがなかったのだろうか。関電の3月1日報告書「添付資料3-7 表1」では、今回の事故を安全解析(主給水管破断)と比較しているが、これはただ主要パラメータの値を比較しているだけで、どのような操作にそった解析なのか不明である。この点を3月16日の関電交渉で確かめたところ、この解析では外部電源喪失を想定するためタービンバイパス弁が開かないことを想定しているという。それなら主蒸気隔離弁を閉じて、補助給水による蒸気を主蒸気逃し弁から逃す操作と同じだということになる。このことを関電と確認した。
 実は、今回の事故にもっとも近いのは、主給水管破断事故よりはむしろ「異常な過渡変化」に属する「主給水流量喪失」であろう。そこでは「全ての蒸気発生器への給水が停止」することが想定されている。その場合、関電の申請書では「原子炉の余熱除去は、2次側の補助給水と主蒸気逃し弁あるいは主蒸気安全弁によって行われ、・・・」と書かれている。つまりその「解析」の操作では、主蒸気隔離弁を閉じることが前提になっており、電動補助給水ポンプ1台が作動して74m3/hの流量で給水し、主蒸気安全弁が作動することになっており、それだけで事故は収まるという結論である。
 これら解析の存在からすれば、マニュアルがなかったとは考えにくいし、少なくとも主蒸気隔離弁を早期に閉止しても事故は安全に収まるとの理解が当直長にはあったはずだと考えられる。

3.最初の蒸気でやられたから被災者の早期救出など無駄な考慮だと保安院
 関電の報告書によれば、事故時に被災者を早期に救出するという観点は皆無であった。脱気器水位制御弁を閉じれば破断口からの流出は止まるが、それを閉じたのは15:44と遅く、それも人命救助のためではなかった。事実、「プラントの停止状態の確認後、脱気器水位低下、復水流量の激しい変動から、復水系統水が沸騰しているのではないかと懸念し脱気器水位制御弁を閉止した」と書かれている(3月1日関電報告書添付資料3-6(1/10))。3月1日報告書では、遅まきながら被災者救出の観点から脱気器水位制御弁を早期に閉じる操作の解析を行っている。
 ところが、保安院は関電のその方策さえもまるで無駄な努力であるかのように評して最終報告書案で次のようにいう。「今回の事故においては、被災者は事故発生直後に被災していると推測できることからすると、運転員が流出量を低減させる操作を行ったとしても、必ずしも事故被害の低減に直ちに結びつくものではなかったと考える」。なぜこのようなことをわざわざ書くのか、この記述を撤回せよと3月18日保安院交渉で厳しく迫ったが、保安院は「出てしまった後ですから」と繰り返し、破断しないことの重要性を強調しているのだなどと、わけの分からない答えに終始した。この保安院見解を受けて関電も、被災者救出過程を含めても事故時操作は妥当であったとの見解を16日交渉で示した。
 しかし、実際の経過では、下記グラフ(3月1日関電報告書添付資料5-1を基に作成)が示すように、最初15:27に一人を2階で発見してから、破断口付近の被災者を最初に救出するまでに23分間もかかっている。18日午前に原子力安全委員長が、保安院の報告書案には被災者の早期救出という観点がないと指摘したのも当然である。


4.制御室への蒸気の流入をなぜ隠していたのか
 制御室へ蒸気が流入していた事実は、非常に重大な問題でありながら(あるいはそれゆえに)、昨年12月21日に福井県に報告されるまで隠されていた。この事実を保安院が知ったのは10月初めだというが、その発端は、美浜発電所から保安検査官に現場で知らされたことだという。それが偶然なのかどうかは分からないと保安院はいう。その後保安院は関電本店に調査を指示した結果、本店から報告されるに至ったということだ。非常に奇妙な経過をたどっている。さらに、原子力安全委員会がこの事実を知ったのは今年の3月だという。
 この問題についてはなお奇妙な点がある。制御室にいた運転員は事故当時に蒸気が流入してきたのを当然見ているはずだ。そして、保安検査官は事故直後に制御室に入ったという。そのとき運転員から聞いたか、蒸気流入の形跡に気づいていたのではないだろうか。
 他に、事故時の設備影響として重要なのは、制御機器や電気ケーブルなどに対して蒸気や高温水が与えた影響である。その場合、プラントの制御ができないような事態にもなり得るからである。まず、主蒸気隔離弁の開閉に影響しうる電磁弁の接地が起こっていた(水によってマイナス側が地面に接地した)。片側だけの接地だったので隔離弁の作動に影響しなかったとされているが、そのことを示すのは16:05に弁が作動したからというだけだ。それ以前では、全体が水びたしで両側接地となり、弁が動かない可能性もあったことについて関電は否定しなかった。
 電気ケーブルの絶縁抵抗の測定値について保安院は報告を受けていないそうだが、事故影響の把握はきわめて重要であり、把握して公表するよう18日交渉で要求した。