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核燃が最高裁決定をすり抜ける自称ウラン残土撤去の調査を強行
だが県立自然公園内の麻畑地区への撤去は不可能で頓挫は必至
榎本益美さん訴訟は控訴審で核燃の図面の致命的誤りなど指摘

ウラン残土訴訟を支える会 土井淑平



わずか500m先の右から左へのたらい回し案で撤去命令をそらす核燃
 鳥取県湯梨浜町方面(かたも)地区自治会のウラン残土撤去判決が、昨年10月14日の最高裁による上告棄却で確定し、自治会側が代替執行と間接強制を鳥取地裁に申し立てるや、核燃料サイクル開発機構(旧動燃)は11月11日、方面地区からわずか1km(実質500m)の麻畑地区に移転し斜坑トンネルを掘って埋めると発表し、17年目になるウラン残土戦争は思わぬ展開で第2ラウンドに入った。
 最高裁決定で確定した1・2審判決が、岡山県を念頭に「関係自治体」の「了解」が得られないので撤去できないとする核燃の主張を斥けたことで、ウラン残土撤去協定書が想定していた岡山県上斎原村の核燃人形峠環境技術センターへの撤去が実現する、と考えていた矢先である。それだけに、最高裁決定の裏をかくこの右から左へのとんでもないたらい回し案には、方面地区の自治会はもとより、麻畑のある川上地区の自治会、湯梨浜町と町議会、鳥取県のいずれも唖然とし、絶対に容認できないとして拒否の方針を固めた。
 だが、鳥取地裁の山田陽三裁判長は12月8日、自治会側の代替執行の申立てを却下し、核燃側の自主撤去を認める、という核燃にひどく肩入れした決定を出した。自治会側が代替執行とともに申し立てていた1日300万円の間接強制については、@フレコンバック詰め290立方メートルは3月10日までに撤去しない場合は1日75万円Aその他の2710立方メートルは2006年5月31日以降は1日5万円―と大きく値切って認めたが、これは窮地に追い込まれた核燃に助け舟を出し、最高裁決定を骨抜きにする非常に反動的な内容であった。
 この日のあることを期してか、核燃は1998年に麻畑地区のウラン残土堆積場の土地の一部を地権者から秘密裏に購入しており、鳥取地裁の決定を錦の御旗に自己所有地だからと開き直って、この麻畑地区と搬出元の方面地区の調査を通知してきた。

ウラン残土のごまかし移転に向けた麻畑地区と方面地区の調査に抗議
 方面地区の自治会は12月12日、撤去先が麻畑なら調査を拒否するとの方針を総会で決議し、翌13日に記者発表した。だが、それでも核燃は15日朝からまず麻畑ついで午後には方面地区で調査に入ろうとしたため、わたしたちウラン残土訴訟を支える会のメンバーが麻畑の現場に急行して抗議し、核燃職員とマスコミの前で次のように訴えた。
 「麻畑撤去を認めるかのような鳥取地裁の決定は、方面区が本日、広島高裁松江支部に抗告するので、何ら確定したものではない。方面のウラン残土を麻畑に移転するのは、同じ地区、同じ東郷鉱山内でのたらい回しにすぎず、何ら撤去ではない。最高裁決定をねじ曲げるごまかしである。しかも、麻畑はウラン鉱床が存在するゆえウランを採掘した場所だ。旧ウラン鉱山にトンネルを掘れば、持ち込む量に倍するウラン残土とウラン鉱石が新たに発生する。しかも、麻畑は県立自然公園内にある。方面からウラン残土を持ち込み、トンネルを掘れば自然公園の形状・風景が変わるので、鳥取県知事の認可が必要である。核燃は調査員をここから引き揚げよ」と。
 ウラン残土堆積場に入らせまいとするわたしたちと核燃職員との激しい押し問答の間、やや上流から調査員が麻畑堆積場の敷地に進入して調査を開始したため、わたしたちは今度は方面地区のウラン残土堆積場にとって返した。そして、この方面堆積場の入口を自動車とロープで塞いで待機し、午後になって核燃の職員や調査員がやってくるや、方面地区の住民とともに彼等の前に立ちはだかり入山を阻止した。
 核燃はその時点ではまだ借地契約のあった東郷財産区の土地(そのあと同財産区は12月29日、借地契約の更新を拒否)で調査を予定していたが、別件の榎本益美訴訟において鳥取地裁の山田陽三裁判長が原告の図面を斥けて採用した被告・核燃の図面によると、この東郷財産区の土地と称する場所が借地を拒否している方面の個人の私有地となることは明らかであった。このため、榎本さんは図面を示しながら「核燃の図面では立ち入る権利はない」とはねつけ、その最中に鳥取県と湯梨浜町の職員もかけつけて抗議文を読み上げ、これを潮時とばかりに核燃もこの日は引き揚げた。
 だが、ごり押しの核燃は翌16日朝になって、方面の住民やマスコミの虚を突き抜き打ち的に調査に着手した。ウラン残土訴訟を支える会は「空き巣ねらいか居直り強盗のような抜き打ちの卑劣な調査強行に抗議する!これが日本の原子力行政に責任をもつ機関のやることか?」との抗議文を発表したが、それはかつて1985年11月、旧動燃が北海道の幌延の高レベル核廃棄物施設の事前調査を抜き打ちで強行し、「泥棒猫のような姑息な手段」と住民に批判されたのと同様の手口だった。
 ウラン残土訴訟を支える会は新年明けの1月11日、京大原子炉実験所の小出裕章さんと麻畑地区で昨年末に実施した水中ラドン濃度の測定データ、並びに、これまでの麻畑地区の放射能調査の総まとめを発表した。水中からは非常に高濃度のラドンが検出され、ここにトンネルを掘削してウラン残土を埋設すれば、汚染が麻畑地区の周辺や下流に拡大する、とのわたしたちの警告を裏付ける内容である。
 近く自治会側と核燃側の双方が抗告した広島高裁松江支部の判断が出るだろうが、核燃に肩入れした鳥取地裁の決定とは異なる判断が示されることを期待する。かりに万一、鳥取地裁と同様に核燃の麻畑撤去を認める判断が示されたと仮定しても、ここは県立自然公園地内のため実際の搬入には鳥取県知事の認可が必要になるが、知事が認可を出すとは考えられないので麻畑保管案は税金を無駄遣いして頓挫するだろう。

じゃぶじゃぶと書証を提出してボロを出した核燃の図面の致命的誤り
 一方、榎本益美さんの訴訟は原告・被告の双方が控訴していたが、1月26日に広島高裁松江支部で開かれた控訴審で、榎本さんの弁護団は一審判決に重大な事実誤認や法解釈の誤りがあることを具体的に指摘して反論した。一審で核燃はフレコンバックのある榎本さんの土地を35mも北東に押し上げ、フレコンバックの土地からの榎本はずしの図面を作製し、じゃぶじゃぶと洪水のように書証を提出してきたが、それが命取りとなった。
 核燃が提出した書証をよく精査してみると、当の核燃にとって意外や意外というべきか、榎本さんの図面に帰着することが分かった。まさに天に向かって唾を吐くの図で、核燃は自作自演でボロを出してしまったのである。くわしい内容はいずれウラン残土訴訟を支える会のホームページで報告する予定である。