「クリアランス」に関する欧州放射線リスク委員会のガイダンスノート
議論の紹介とECRRの反対する視点


 日本でもクリアランスが導入されようとしている。経産省は来年の通常国会で法制化を狙っている。2003年6月に欧州放射線リスク委員会ECRRが、その最初の「ガイダンスノート:クリアランスのための基準」を公表している。ここではその記述を参考にして、クリアランスがはらんでいる問題について考えたい。

クリアランスとは
 安全委員会報告書「主な原子炉施設におけるクリアランスレベルについて(1999年3月)」によると、日常生活における自然界の放射線やリスクとの関連を考慮すれば、ある物質に含まれる微量の放射性物質に起因する線量が、自然界の放射線レベルに比較して十分に小さく、また、人の健康に対するリスクが無視できるものであるならば、当該物質を放射性物質として扱う必要がないとして、放射線防護に係る規制の枠組みから外す考え方を「クリアランス」としている。そして、クリアランスレベルを導出するための線量の目安値として「年間10マイクロシーベルト[μSv](自然界から受ける年間被曝線量の1/100以下)」を用いるという。年間10μSvについては、国際放射線防護委員会ICRPが、人の健康に対するリスクが無視し得る線量としているという。
 クリアランスが導入されると、これまでは原子炉施設内の物質として外部とは隔離されていた、濃度は薄いかもしれないが大量の放射能が、我々の生活に入ってくることになる。原発の廃材がフライパン等に生まれ変わるのである。放射性物質として扱われているものが、法的処置によって非放射性物質になるのである。もちろん、法律によって放射能の強さが弱くなるというものではなく、個々にはわずかな汚染であってもそれが膨大な量の生活物質に含まれ、結果として、我々の集団線量は確実に増加することになる。

低線量内部被曝問題についてICRPモデルは適切でない
 例えば、クリアランスレベル以下であるとされた物質にU-238が入っていたとする(実際に全α核種のクリアランスレベルは0.2Bq/gにされようとしている)。U-238が肺に吸入されアルファ線(4.2 MeV)を1本放出したとする。ICRPにならってアルファ線の放射線荷重係数を20とし、肺の質量が1kgだとすると、1本あたりの等価線量は1.35×10-5μSvになる。さらに肺の組織荷重係数を0.12とすれば、実効線量は1.6×10-6μSvとなる。したがって、U-238からのアルファ線だけで考えると、年間10μSvという基準は、年間6,250,000本のアルファ線が自然放射線レベルよりも多く肺に照射されることを許すことに相当する(これは0.2 Bqに相当)。このような計算をすると放射線専門家からは、同じアルファ放射体であるラドンがもたらす年間の被曝線量は1.4 mSv(1400μSv)であり、10μSvの140倍であるという批判が返ってくる。自然界のレベルの1/100以下だという主張である。しかしラドンからのアルファ線が主として気管にランダムな被曝を与えるのに対して、U-238が粒子状になっている場合には、取り込まれた領域にある細胞だけに被曝をあたえることになる。ICRPのモデルではこのようなホットパーティクルの効果が度外視されていることをECRR2003年勧告は批判している。ガンが一つの細胞の変異から生じることに注意を喚起しつつ、ECRRは臓器レベルでの線量ではなくて細胞レベルの線量を評価する必要性を訴えている。被曝のタイプによっては、年間10μSvが「人の健康に対するリスクが無視し得る線量」だとすることはできない可能性もある。ICRP1990年勧告が出されて以降に見いだされた諸発見によって、特に核分裂生成同位体の低線量内部被曝に関しては、科学者や医療研究者の間で盛んな議論が展開されている最中である。

理論ではなく実際問題をどのように考えるか:モラルハザード
 全アルファ核種のクリアランスレベルを0.2 Bq/gにしたとしても、それは確実に測定されるであろうか?土壌やコンクリートを破砕したものの汚染を検査するにはガンマー線計測が行われるだろう。その実際的な作業を考えると、数十kg単位の試料が測定される。この段階で高エネルギーのガンマー線を出さない核種については(例えばSr-90やU-238)、その量が測定からは求められない。アルファ線の測定をするとすれば、試料は細かく粉砕され、場合によっては溶液にしてステンレス皿に電着させる必要すらあるだろう。しかし膨大な量の物質の全てについて、このような測定を行うことは実際上不可能である。こうなると統計学的考察にもとづいて抜き取り調査を行うことになるが、それではホットパーティクルやホットスポットがそのような検査の網を容易にかいくぐって、生活の場に溢れる可能性がある。そうなると0.2 Bq/gや年間10μSvについてもかけ声とか題目の類にしかならない。
 これに関連する別の問題は、極めてモラルの低い行為が行われる可能性が現実に出てくることである。抜き取り検査では高い放射能データがもみ消され、低いデータだけが役所に手渡りクリアランス作業が進むかも知れない。高い放射能を持つ物質が意図的に希釈されてクリアランス材にされてしまうかも知れない。このような不正行為があったとしても、その放射能や被曝線量が低いという、安全委員会等の官製の主張のもとで責任問題は曖昧にされてしまうだろう。既に原発内の放射性物質が許可なく外部に持ち出され焼却されていたというような事件も起こっている。これらが常態化することを助長するだろう。台湾で起きた原発廃材を使ったマンションでの被曝も他人事ではなくなる。燃料の製造に関してすらねつ造が行われたのである、いわんやクリアランスにおいておや、である。
 U-238の混入は考えにくいとの主張も出てくるだろう。そして、アルファ線汚染検査は簡略化されるかも知れない。しかし、福島原発では燃料棒破損事故に伴うアルファ核種による汚染が内部告発で明らかになった。しかし、東京電力も政府もこの問題について率先して事実を公表しようとはまったくしていない。原子力施設の汚染状況に関して、全ての情報があらゆる人に全くの制限なしに入手できる環境が整わない限り、まともな議論の開始すら不可能である。抜き取りの計測や仮定に仮定を重ねた計算によって、0.2 Bq/gや年間10μSvを保証されたところで、それの前提となる汚染の実態が知らされていないので、それを額面どおりに受け取ることはできない。

功利主義ではなく権利に基づく被曝問題の考え方
 放射線影響を議論すると常にICRPの壁につきあたる。ICRPの放射線リスクモデルは功利主義の立場に立つが、クリアランスの導入によって原子力産業や電力会社の財務的負担が緩和される。その一方で、日本が原子力開発を進めることを国会ですら議論したこともないような、そのような議論の基礎になる情報を提供されたこともない国民一般には放射能によるリスクのみがばらまかれる。特に子供や放射線感受性の高い人にリスクが降りかかる。功利や富、そして「病」も公平に分配されない以上、功利主義的議論は正当化できない。その一方で、全ての人々が「身体の不可侵の権利」を持つとすれば、クリアランスによる放射能放出は明らかにその侵害である。0.2 Bq/gとか年間10μSvとして表現される放射能がもたらすリスクは、例えそれが小さくても、有限である以上、罪のないものに対してそのリスクを負わせることは民主主義的国家には許されないだろう。さらに自然界にある同様のリスクを持ち出すことで、人工放射能による被曝を正当化し、強制することも許されない。

 さて、六ヶ所村再処理工場のコスト問題にもクリアランスは強く関係する。電力の試算はクリアランスの導入を前提にしているのである。ここで参考にしたECRR欧州放射線リスク委員会の「ガイダンスノート」を是非ご一読ください。