美浜の会ニュースNo.59


写真をクリックすると大きく表示されます。(写真提供・共同通信社)

 政府・科技庁は、JCO臨界事故から3ヶ月たらずの猛スピードで「事故調査最終報告書」を仕上げた。「最終報告書」が出てから丸1年になる。しかし、12月18日に行った科技庁交渉では、質問書に対する回答はいまだに「調査中」ばかりである(交渉報告7頁参照)。
 他方、「臨界事故被害者の会」と協力して進めてきた調査によって、「最終報告書」の欺瞞性が明らかになりつつある。グラフが示すように国のフィッティング式では予測されていなかった高い実測値が次々と明るみに出てきた。被曝線量の見直しが迫られている。その端的な例が、本米崎小学校での測定値と測定体制をめぐる問題である。 表紙の写真は、旧動燃が行った本米崎小学校での測定体制のウソを如実に物語っている。
                      <グラフはこちら>

本米崎小学校での測定データ・測定体制のウソと疑惑
 これまでの質問書に対する回答や、12月18日の交渉でも、旧動燃・科技庁は、本米崎小学校・体育館前での定点連続測定データに空白があるのは、モニタリング車を入れ替えたからだと答えてきた。「16:03頃まではA車が当該地点で作業を行い、その後学校側の要請によりA車は同小学校を離れました。その後、那珂町の依頼に基づきB車が同小学校に入り16:55頃から測定を開始しました」(旧動燃の12/18文書回答)。

1.写真は語る  データの存在しない16:10に測定をしていた
 旧動燃・科技庁は16:03頃〜16:55頃まではモニタリング車は学校にはいないし、測定もしていない、と答えていた。しかし、これは全くのウソである。それを裏付ける証拠が表紙の写真である。事故現場から最も近くにある本米崎小学校には、当時、多くの報道関係者が取材に来ていた。私達は調査の過程で、その時の写真を入手した。
 複数の報道関係者の話によると、@15:30頃に正門から学校に入り、体育館前を通ったが、その時にはモニタリング車はいなかった。A校長先生に取材をして学校内・グラウンドから教室の様子を撮影した。B4時頃に体育館前の駐車場にもどり、16:30からの集団下校の撮影のために待機していた。Cしばらくすると「核燃サイクル機構」の名前の入った白っぽいバンが正門から入ってきて体育館前に止まった。D報道関係者は車に近づき撮影を行う。写真に写っているヘルメットには旧動燃のマークが確認できる。E2人は車に乗ったまま測定をしていた。助手席の人物は、横のサーベイメータを見ながらメモを取っていた。F約10分ほどして車は出ていった。
 12月18日の交渉には、出席を要請していたにも関わらず旧動燃は出てこず、「全て科技庁にお任せしている」という。科技庁は、この写真と上記の事実は、これまで把握していたものとは異なると認め、「調査します」と答えるのみだった。
 旧動燃・科技庁は、これまでのウソを謝罪し、写真に写っている16:10〜16:20頃の測定データを公開せよ。

2.学校関係者は出ていってくれとは言っていない
 旧動燃・科技庁によると、測定に空白があるのは「教頭、教頭らしき人に学校から出ていってくれと要請されたから」という。しかし、これも事実と食い違う。
 「被害者の会」の調査によると、校長も教頭もそのようなことは言っていない。教頭は「車を移動してくださいとは言っていません」「モニタリング車が測定に来ることは、那珂町から連絡を受けています」と語っている。学校として、「出ていってくれ」などと言えるのは、校長か教頭くらいである。その2人が否定している。モニタリング車交代の理由は成り立たなくなる。

3.「測定場所は学校のグラウンドと聞いている」(那珂町)
 さらに測定場所にも大きな疑惑がある。これまで旧動燃・科技庁は、測定場所は体育館の前と答えてきた。地図に印を入れて回答している。
 しかし、「被害者の会」の調査に対し那珂町の職員は、「モニタリング車を1台本米崎小学校に出してくれと要請した」「サイクル機構からは、測定場所は学校のグラウンドと聞いている」「測定地点は1カ所に固定していたと報告を受けている」と答えている。一体どこで測定したのか。測定場所そのものから謎である。

4.町からの正式要請は何時か
 上記に述べたように、小学校での測定は、13:55から旧動燃が自主的に測定を開始した。しかし、学校から出ていってくれと言われ、その後、町からの正式な要請を受けて、16:55からモニタリング車を交代させて測定を再開した。町からの正式な要請は、車が交代する16:30前後だというのである。
 他方、茨城県が今年発行した「核燃料加工施設臨界事故の記録」には、旧動燃が事故時に行った行動として、「14:10 那珂町役場へ情報収集要員を派遣(2名)」「15:18 那珂町からモニタリング車とモニタリング配置図の要請」と記載されている。
 町の職員は、「役場に来ていた核燃サイクル東海事業所地域交流課の職員に対し、口頭でモニタリングの要請を行った」。すると旧動燃の職員から、「もう小学校にモニタリング車を出してますよ」と教えられ、「それでは正式に要請しよう」となったという。
 これでいくと、町からの要請は、旧動燃・科技庁がいうような16:30前後ではない。データ空白のつじつま合わせのアリバイ工作としか考えられない。

5.3つの測定データはちぐはぐ
 「被害者の会」は、公開条例に基づき、那珂町から正式に、測定データの公開を受けた。これで、本米崎小学校での測定データは3つ存在することになった。@私達の質問書に対して科技庁が公開したもの、A小学校のPTA総会で配布された手書きのデータ、B今回の那珂町からのデータ(町の正式なデータとしては17:41からしか記載されていない)。ところが、この3つのデータは食い違っている。
 AとBには記載されている18:21のデータは、旧動燃・科技庁が出してきた@には存在しない。この時間帯の測定器は10分毎にデータがプリントアウトされていたという。01分、11分、21分というように。旧動燃は、12/18の文書回答で、この18:21のデータがなぜ存在しないかは、いまだ「調査中」だという。また、旧動燃の回答では、このプリントアウトされた生データは、「大洗は東海に渡したと言っているが、見つからない」というのである。
 また、ピークの一つである19:51のデータは@とBでは4.40μGy/hであるが、Aでは4.43μGy/hとなっている。これらは、データが改ざんされた可能性を示唆している。
 さらにこのピークの原因について、町の職員は旧動燃から「降雨の影響」と聞かされたという。しかし、子供達が下校した16:30直後から雨が降り続いているのに、どうしてこの瞬間だけピークが現れるのか。とうてい信じがたい。

6.16:30前後の高いデータを隠しているに違いない
 このように、本米崎小学校での測定データ・測定体制そのものに大きなウソと疑惑が存在している。定点連続測定といいながら、ガンマー線の測定データは15:30〜16:55まで存在しない。核種分析の試料採取の時間で見ても、16:03〜16:55の間のデータがない。JCOが敷地周辺の16ポイントで行ったγ線の測定データも、15:25〜19:09までの4時間もの間データがない(これに対し12/18科技庁は「現場が混乱していたから」と回答)。
 他方、公表されたこの時間帯のわずかなデータは、全て高い値を示している。原研那珂研究所のMP1・MP2のデータは4時半前後に最大のピークを示している。また、2頁のグラフにあるように、フィッティング式の70倍もの実測値が明らかになっている。
 これらピークの原因について、科技庁はいまだ「原因は特定できていない」「調査中」。そして「健康には影響なし」という結論だけが始めにありきである。

 周辺住民の方々は、被曝による体調不良や不安に今も苦しめられている。政府・「専門家」の被曝被害切り捨てに、心底怒りを強めている。
 本米崎小学校での旧動燃の測定に関しては、測定場所も、測定データも、そして、測定体制そのものがウソで塗り固められているに違いない。一体何が真実なのかは今のところ闇の中である。本米崎小学校での測定全体の真実を姿を、一つ一つ徹底して暴いていこう。ウソをついてきた責任を追及していこう。真のデータを公開させよう。
 事故の全体像を明らかにしていこう。線量評価のやり直しを要求していこう。


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