JCO臨界事故での科技庁交渉
動かぬ証拠を突付け科技庁のウソを追及
竹村泰子参議院議員 科技庁を叱責


 12月18日、参議院議員竹村泰子事務所のお世話で、議員会館内の会議室で、JCO被曝事故に関する3回目の科技庁交渉を行った。参加したのは、地元から相沢村会議員と「被害者の会」事務局長の大泉さん、東京から東井さんら3人と大阪の9人、そして竹村議員ご本人と秘書の東さん、さらに福島瑞穂参院議員秘書竹村さん、阿部知子衆院議員秘書の岡本さんにも同席していただいた。
 私達は、科技庁の嘘を暴き、放射線測定データの信憑性を突き崩す「切り札」を手にしてこの交渉に臨んだ。
 ところが、ところが、科技庁は交渉の前段で非礼の大失態を演じた。

「野党だからナメているのじゃないでしょうね」(竹村議員)
 11月10日の交渉の継続という意味から、竹村事務所を通してあらかじめ依頼してあった出席者――科技庁原子力安全局から2名、旧動燃の核燃サイクル機構東海事業所安全管理部から2名――が出席しないことを交渉開始時間になって、それも東秘書が電話されて始めて科技庁が明かにしたのだ。しかも、出てくるのは説明能力がないため私たちが出席を断っていた宮田(防災環境対策室室長補佐)+1(記録係り)だけという。
これには、竹村議員が怒り心頭に発した。
 「出席できないなら、あらかじめ連絡してくるのが当然でしょう!野党だからナメているのじゃないでしょうね!自民党にも同じような対応をするのですか!」
 こう発言された後、科技庁防災環境対策室長の伊藤とか旧動燃東海村事業所線量計測課長の林に議員が直接連絡を入れられた。「逃げ回っているみたい」との途中経過も報告され、交渉開始予定時刻からおよそ1時間後、伊藤室長と林課長が電話で非礼を詫び、旧動燃には東海村での説明会の約束を認めさせて本交渉開始となった。科技庁の伊藤室長は交渉終了後に私たちのいる会議室に直接謝りに来た。

「調査中」だらけの文書回答
気象データすら出すことを躊躇する科技庁
 「被曝評価等に関する質問書bW」と「11月10日に確認した調査事項等」に対して科技庁は当日一応文書で回答したが、ごく一部を除いた他はすべて「調査中」。気象データすら県や旧動燃に提出を依頼したまま何の督促もせず「調査中」。スピーディという名で科技庁とオンラインで結ばれているモニタリングポストの気象データの存在を追及されるとしぶしぶディスク内に保存されていることを認める始末。(この気象データは22日に回答してきた。)なぜ、気象データすら躊躇するのか?
 宮田氏が余りにも小さな声でボソボソとした声で返事を繰り返すため、東秘書がマイクとアンプを会場に持って来られた。

動かぬ証拠を示し測定データの信憑性を崩す
 本米崎小学校での連続測定に関するこれまでの科技庁の言い分を一つ一つ確認した後、いよいよ切り札を切る。表紙の写真を見せた途端に宮田氏いわく、「私たちは共同通信のタイムスケジュールで動いているわけではありません」。
科技庁の言い分とは真っ向から対立する事実を次々と対置。@測定していないと主張した時間(16時10分)に放射能を計測しているモニタリング車の写真。A体育館前駐車場で測定していたと主張した15時30分〜16時3分の間にモニタリング車は見ていないと言う報道記者(複数)の証言。B学校関係者からモニタリング車を校外に出すようにと要請されたとの主張に対して、「移動して下さいとは言っていません」(校長・教頭)の言葉。これは地元の方々が直接確認されたもの。さらに、C那珂町からの測定要請が出たので16時55分頃に小学校に再び行ったとの主張に対し、15時18分の段階ですでに那珂町はモニタリングの要請を出していた事実。これらを対置し、科技庁のウソを追及。
 科技庁の宮田が答えに窮していると、竹村議員が「だから、答えられる人が何故来ないのと聞いているのよ」と再び詰問。「事実関係を再確認します」と宮田氏が返答。16時30分頃に放射線のピークがあることについても「調査中」と答えるだけ。
地元の相沢さんは「議論を聞いていると腹が立つ。被害が出る線量ではないと言切っている根拠がすごく曖昧であり、隠されていることがどんどん解ってくる。きちんとした説明責任を果たせ」と要請。大泉さんは「さまざまな症状を訴えられている方々にこう言う答弁だったとは情けなくて報告できない。再調査を約束するよう」詰め寄られた。
 科技庁はこれらについて「何も確認できていない」ことを認め、核燃サイクル機構(旧動燃)に再確認して報告する旨を返答した。
 交渉終了後、科技庁の非常に悪い対応ぶりに竹村議員から早期に再交渉をとの提案があり、検討の結果、国会開会中の来年2月上旬にも再交渉の予定となった。国会での質問についても準備していきたい。
 同時に本日の交渉内容について、科技庁記者クラブで記者会見を行い1時間をかけて、記者からの熱心な質問への受け答えを行った。


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