(2000年8月11日)


 7月18日、原爆症認定申請却下の取り消しを求めた「長崎原爆松谷訴訟」において、最高裁は国側の上告を棄却、原告勝訴の判決を下した。松谷さんが被った右半身マヒなどの障害が、爆心から2.45km地点で受けた「原子爆弾の放射線に起因するか否か」という最大の争点について、最高裁は「放射線起因性が認められるとする原審の認定判断は、是認し得ないものではない」として、福岡高裁判決(97年)を支持し、被爆と被害の因果関係を認めた。
 松谷訴訟勝訴は、特に80年代以降、強化されてきた被爆者切り捨て行政に風穴を空けるものであり、被爆者運動にとって、その意義は極めて大きい。
 ただし、裁判の争点の一つとなった因果関係の立証責任については、原爆医療法の国家賠償法的性格に鑑み、「相当程度の蓋然性」の証明があれば足りると解すべきとした福岡高裁判決に対して、最高裁は「法の解釈を誤るもの」として退け、「高度の蓋然性」を要求した。この点において、最高裁判決は高裁判決から大きく後退している。因果関係の立証責任に対する今日の司法判断の限界を示すものとなった。
 また、松谷訴訟勝訴は、東海被曝事故との関わりでも、きわめて大きな意義を持っている。この観点から、ここでは、東海事故被曝評価に対して最高裁判決が与えている重要な教訓ををいくつかのポイントに分けて取り上げたい。

@最高裁は政府推定線量20〜30mSvでも因果関係を認めた
 政府・科技庁は東海事故での「50mSv以下では影響は確認できない」との主張を撤回せよ

 爆心から2.45kmでの被爆で、放射線と被害の因果関係を最高裁が認めたという事実は、「50mSv以下での放射線の人体への影響は確認できない」とした東海事故での政府・科技庁の被曝切り捨ての論理を突き崩す大きな武器となる。
 厚生省・原爆医療審議会の線量評価システム=DS86に従えば、2.4kmでの空中線量は29.63mGy(mSv)、2.5kmでは20.92mGy(mSv)となり、2.45kmで被爆した松谷さんの被曝線量は20〜30mSvとなる。「DS86によれば、被上告人が被爆した地点は爆心地から約二・四五キロメートルであるから、この地点の空中線量は三ないし二・一ラドであり、その地点における人体の被曝線量は当然これより低くなる(厚生省最高裁上告理由書)」
 つまり最高裁は、政府の推定線量20〜30mSvで、脱毛や頭部障害の治癒の遷延、右半身マヒなどの障害、後遺症が発生したことを認めたのである。このことが意味するのは、50mSv以下では影響が「確認できない」のではなく、政府や放影研などが、2km以遠の現実の被害を切り捨ててきたという事実である。政府・科技庁は最高裁判決に従い、「50mSv以下では影響は確認できない」とする主張を撤回すべきである。

A最高裁は、個別具体的な被曝被害の実態に目を向けることを迫った
 政府・科技庁は最高裁判決に従って、 東海事故の被曝実態調査をやり直せ

 福岡高裁は昭和33年行政通知「原子爆弾後障害症治療指針」を法的根拠として「被爆者に関しては、いかなる疾患又は症候についても一応被爆との関係を考え、被爆時の諸状況、特に、被爆距離、被爆場所の状況、被爆後の行動等あるいは被爆直後の急性症状の有無等の健康状態等から、個々の被爆者の被爆線量及びこれによる原子爆弾後障害症の発現の有無等を推定する等して、放射線の影響の有無を総合的に判断する必要があるとしている点は、現時点においても、....正鵠を得た判断墓準として十分に参酌されなければならない」とした。これに対して厚生省は「科学的知見が大部分未解明(な)状況における放射線起因性ではなく、閾値や被曝放射線量についての研究が進んだ現時点において、爆心地から二キロメートルを超える地点で、原子爆弾の放射線の健康影響を認めることができるか否か(厚生省最高裁上告理由書)」を争点とし、「昭和三三年行政通知を持ち出すのでは全く不十分であることは明らか」「閾値の理論は極めて進化し、また、被曝線量の評価も、T65D、DS86まで進化している」と、DS86の優位を対置、上告理由とした。しかし、最高裁判決は、高裁判決を支持、国の主張を退けた。DS86による線量計算と閾値の組み合わせによる機械的な因果関係の否定は、被爆被害の実態を否定するほどの信頼性を持たないものと断じ、個別具体的な被曝被害の実態に目を向けることを迫ったのである。
 政府・科技庁は、東海事故被害者に対して、机上の線量計算としきい値論を機械的に適用し、現に起こっている被曝被害も、これから起こりうるであろう被害をも一切認めず、特別な「健康管理」は必要ないと主張している。原爆被爆者の切り捨てとまったく同じ論理である。「実態に目を向けよ」という最高裁の指摘は、政府・科技庁の東海事故被害切り捨てに対する直接的な批判となる。政府・科技庁は、最高裁判決に従って、東海事故の被曝実態調査をやり直すべきである。

B最高裁は、特に中性子線の被曝線量の推定については、未解明の部分が大きいと指摘
 政府・科技庁は東海事故での中性子線過小評価の線量評価をやり直せ

 最高裁判決は、鉄材中のコバルト60の実測値から評価した中性子線量と、DS86による計算値の系統的不一致等、特に中性子線における計算値と実測値の矛盾を指摘し、「DS86が内包するこのような問題点は、....個別的被爆者の呈する個々の傷害又は疾病ないし治癒能力と放射線の影響の有無を検討するにあたって、その絶対的尺度としてDS86自体をそのまま適用することを躊躇させる要因となる(高裁判決)」と結論づけた。この指摘は、特に中性子線による被曝が問題となる東海事故にとって大きな意味を持つ。最高裁が指摘するように、現在の知見の上では、計算だけで、中性子線の被曝量も人体影響についても確定的なことを言うことはできないのである。
 また、軍事機密として詳細は非公開であるが、DS86は、ほぼ距離の二乗に反比例して線量が減少するようなモデルである。しかし、実測値の減少の度合いはもっと緩やかで、DS86は定性的にも実測値を再現することはできない。そのため、遠距離になればなるほど計算値と実測値は乖離し、計算値は約1kmで4倍、2kmで100倍の過小評価になると言われている。一方、東海事故の線量評価に用いられた線量評価計算式もDS86と同様、距離の二乗に反比例して急速に減衰するようなモデルを採用しており、科技庁の手法も特に遠距離において大きな過小評価を含んでいる可能性が高い。

C最高裁判決は、放影研などによる人体影響の過小評価に疑義を提起

 また、最高裁判決は、2km以遠での脱毛などの急性症状を栄養不良やストレスによるものであるとするなど、放影研などの影響調査は恣意的な切り捨てをおこなっている疑義があると指摘し、「DS86としきい値理論を機械的に適用する限りでは発生するはずのない地域で発生した脱毛の大半を栄養状態又は心因的なもの等放射線以外の原因によるものであると断ずることには躊躇を覚えざるをえない」「2キロメートル以遠でも脱毛等の急性症状が生じている事実をすべて否定し去ることはできない」とした。最高裁判決は、放影研などによる被曝人体影響の過小評価に疑義を提示しているのであり、東海事故被害切り捨てに対する批判も含め、放射線の人体影響の過小評価への批判の手がかりとなる。(H)



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