(創刊:2001年8月18日)
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★メディアの危機を訴える市民ネットワーク┃メ┃キ┃キ┃・┃ネ┃ッ┃ト┃
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                        メール・ニュース vol.4(2) 発行:2001年12月11日
                           登録者数:242人
                            http://www.jca.apc.org/mekiki/index.html
                 《↑HPが引越ししました。ご注意を!》
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*今回のメール・ニュースでは、カリフォルニア州サンディエゴ在住の米山リサ
さんに、9.11から3ヶ月たったアメリカ合州国の状況について文章を寄せてい
ただきました。

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▼もくじ▼
■[投稿記事] 9.11以後のU.S.A.       米山リサ
■[編集後記]

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 ■[投稿記事] 9.11以後のU.S.A.       米山リサ
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 李さん、 挙国一致のアメリカ、戦時態勢下の基地の町サンディエゴからお便
りしています。「反米」ではない合州国批判、国家の枠組みに陥らない現状批判
のために、アメリカ内部での具体的な抵抗や批判といったものを知りたい、知ら
せたい、という李さんのお気持ちに、十分こたえられるかどうかわかりませんが、
身近な取り組みをつうじて、いくつかご報告したいと思います。

 日本語圏でも報道されているように、9月11日に起きたペンタゴンと世界貿
易センタービルの破壊を契機に、合州国内では人種差別を動機とした暴力と、さ
まざまな人権侵害が起きています。「反テロ対策」の名のもとに、反民主的で人
権抑圧的な立法USAパトリオットが、十分な議会の審議もなく成立してしまいま
した。「反テロ」のために総動員された挙国一致の戦争時下で、さまざまな新た
な暴力、文化的抑圧、排除、ステレオタイプ化が、法に触れることなく、ニュー
ス・メディアが日々繰り返す「非常時だから」という理由で、当然のように見逃
されています。

 ブッシュ大統領の「我々につくか、テロリストにつくか」という二者択一の構
図からもうかがえるように、「テロリスト」は、まるで冷戦時代の「コミュニス
ト」に似た言葉となっています。国内外の現状に抵抗する人々を取り締まり、異
質な考えをもつ人々の口を封じ、経済効率のために不要な人々を切り捨ててゆく
うで、たいへん好都合な「仮想敵」の概念となっているのです。9月11日の惨
事は、一般市民や非戦闘員にたいする無差別攻撃という意味では、たしかにテロ
行為と呼べるものだったかもしれません。しかし、「テロ」という言葉は今、合
州国の暴力と不正義の「他者」を示す言葉として用いられ、米国や日本やイスラ
エルなどの同盟諸大国と多国籍企業による、構造的で日常的なテロ行為を見えな
くする言葉となっています。

 しかもブッシュ政権が提唱する「テロリスト」たちを裁く軍事法廷では、法的
審理を経るまでは無罪、という法の基本姿勢を遵守する必要はないことを、任命
される前からそのネオ・ナチ的傾向が問題とされていた司法長官アシュクロフト
自身が述べています。また、国家間関係の視点からなら、「テロリスト」という
新たな「仮想敵」は、冷戦時の共産主義よりもさらにいっそう、米国と米国に依
存する国々と経済の利益追求に役立つものであるともいえます。アメリカは冷戦
時、親米的な傀儡政権をうちたてたり、隠蔽工作を行うことで世界所地域に影響
を及ぼしてきました。ところがこの「新しい戦争」以降、傀儡や隠蔽の必要さえ
なくなってしまったとさえいえます。「テロ組織」という仮想敵を理由に、軍事
力を直接行使して他国を破壊し尽くし侵略し支配することが、国際社会の積極的
な支持と承認のもとに、公然と可能になったからです。アメリカはテロリスト組
織をかくまっているという理由で、タリバン政権下のアフガニスタンを攻撃しま
した。動機は、カスピ海に貯蔵された豊かな石油だといわれています。アフガニ
スタンへの攻撃は、そのような前例をつくってしまったのだといえます。イスラ
エルがその同じ構図にしたがってパレスチナに対し殺戮を行っても、もはや国際
社会は批判する力をもちません。このような意味において、「テロリズム」とい
う言葉は、なんとかして解きほぐさねばならないのです。

 さて、11月29日、私たちの大学では「9.11・グロ−バル・エマージェ
ンシーズ」と題する学内集会三回シリーズの第1回を開き、市内の大学から講師
を招きお話をききました。9月末から2ヶ月かけて準備してきたもので、事件後
の学内集会としては比較的遅いものでした。準備のさいに、私たちも「テロリズ
ム」という言葉を避けることにしました。

 5人のパネリストの一人は、人類学者で、中央アジア、パキスタンの難民の状
況を追ってきたムスリム系インド系アメリカ人女性のフマ・アーメッド・ゴッシ
ュ氏でした。冷戦によって踏みにじられてきたアフガニスタンの近代史を手短に
述べてもらい、アメリカ主導による外交政策によって「難民化」された女性たち
がどのような過酷な状況におかれてきたかについて話してもらいました。彼女は、
タリバン政権下の女性についてメディアが大きくとりあげてきたことについて触
れ、アメリカその他のいわゆる先進工業諸国の女性たちが真にアフガニスタンの
女性の「救済」を望むなら、まず何よりも自国の軍事・外交政策に変革を迫るべ
きではないか、ということを強く訴えました。日本語ネット圏でも早くから流れ
された、息子をワールド・トレード・センターで亡くしたロドリゲス夫妻がブッ
シュ大統領にあてた手紙のなかで、報復によるさらなる流血を「息子の名におい
てけっして」行わないことを求めた一節で話が締めくくられると、会場からの拍
手はしばらく静まりませんでした。

 また、もう一人のパネリストで、移民の人権問題を課題としている若い法学者
ウィリアム・アセヴェス氏には、ほとんど議会の議論もなく通過してしまったU
SAパトリオットと呼ばれる「反テロ」立法、そしてブッシュ政権が提唱する軍
事裁判の仕組みが、市民的自由の制限や、米国籍をもたない市民や移住者にたい
する人権侵害という点からみてどんなにひどいものであるか、手際よく整理して
もらいました。また、祖父母と両親がスリランカから移住してきたという南アジ
ア系の学部生は、9.11以降、周囲の視線や扱いが南アジア系の学生たちにた
いしてどのように差別的なものにかわったか、そのことが彼らのアイデンティティ
をどのように強固にし、今後アメリカ合州国の政治や歴史への批判的視座を養う
ことになるか、といった話をしてくれました。

 いずれも短いものでしたが、密度の濃いもので、9月の事件、そしてアフガニ
スタン爆撃開始からしばらく過ぎて、知識不足、情報不足が切実な実感としてあ
った私たちにとって、ほんとうに貴重な一時となりました。印象に残ったのは、
期末試験間近というのに、水も漏らさぬ熱心さで聞き入っていた会場の緊張感で
した。挙国一致ムードが先行し、メディアが「大本営化」し、大統領や政府の政
策を批判することが許されない状況がつづいているなかで、どこがどうおかしい
のか、いま、なぜ、何を許してはいけないのか、といったことについて、漠然と
した不満や疑問としてではなく、明確な言論として公の場で共有できたことは、
それだけでも大きな成果だったと信じたい思いです。冬学期には、イスラエル・
パレスチナの状況と、アラブ系・ムスリム系・南アジア系の人々への人権侵害と
暴力について話してもらう予定です。

 集会じたいは、大きな妨害もなく終えることができましたが、集会のアナウン
スをしたとたん、イスラム教徒に対するヘイト・メールや、集会の趣旨を誹謗中
傷するメールや、資金源を詮索し、大学が支持するべき活動ではない、と批判す
るメールなどが次々と送られてきました。大学側にコンタクトをとったところ、
大学は即時、アカデミズムの自由、言論の自由、知識に裏付けられた議論の重要
性を理由に、セキュリティ関係者を数人配置しました。

 こういった反動はあるていど予測していたことでした。予想外だったのは、集
会の準備のためにメーリング・リストに加わってもらった信頼していた教員のな
かから、これはヘイト・メールではない、傷ついてどうしてよいか迷っている人
物なのだ、とか、アメリカ帝国主義を批判する言論では説得力をもたない、いま、
必要なのはニューヨークの犠牲者への哀悼の意を表明することだ、といった意見
が相次いで出されたことでした。

 もと専門デザイナーだった大学院生が作成してくれた私たちの集会のポスター
には、集会の趣旨を説明するつぎのような一節がありました。「9月11日に起
きた、ペンタゴンとワールド・センターとその他の場所の破壊へといたった歴史
と、政治的・経済的諸状況、そしてこの事件へのさまざまな政治的・文化的な対
応をさぐります。」 被害を受けたのが多くの人々が親しみを抱く「ニューヨー
ク」ではなく、共感を容易に呼ぶとはいえない米国の軍事的覇権の象徴であるペ
ンタゴンと、世界の経済格差の象徴であるワールド・トレード・センターである
ことをはっきりと書き出したことが、琴線に触れたということがひとつにはあり
ます。「悲劇」とか「犠牲」といった表現を用いなかったことも、反感を招いた
のでしょう。それよりも問題なのは、多くの人々が、「破壊へといたった政治的
・経済的諸状況」を考えるということ自体に抵抗を感じていたという事実です。

 このような反発が生まれる背景には、これが「アメリカ史」上はじめて起きた、
非戦闘員の殺戮と、日々の生活を営む慣れ親しんだ町並みの破壊であり、「アメ
リカ人として」どのように正しく喪に服すべきなのかわからない、という混乱し
た気持ちが一方にあります。もう一方にあるのは、9.11の背景について思い
をめぐらし、そこに何らかの理解と説明を加えることが、死と破壊を合理化し、
正当化していることとであるかのように混同してしまう思い違いです。

 9.11事件のあと、ブッシュ大統領は、「9.11に説明などいらない、答
えがあるだけだ」と公言しました。10月には、復興援助の寄付のために訪れた
サウディアラビアの王子アルワリード・ビン・タラルがアメリカの中東政策の再
考を促した発言に対して、ジュリアーノ前市長が激しく反発する、という一幕も
ありました。9.11を批判的に検証することは、死者を冒涜することである、
というすり替えが起きてしまっているのです。政府とメディアは、死を悼む人々
の感情をこのように利用しています。そのことが言論と思考を麻痺させているの
だともいえます。暴力の連鎖を断つためには何をするべきか、という問いさえ問
えなくしているのです。「アメリカ」や「アメリカ人」にたいして疑問なく同一
化できると感じている人たちほど、このような思考停止状態にあるともいえます。
いっぽう、日本ではどうでしょう。ヒロシマ・ナガサキの被害にいたった歴史的
背景について考えたり、ヒロシマ・ナガサキの惨劇について人々がその後どう対
応し、どう考えてきたかを批判的に検証したりすることを、死者に対する冒涜だ
と考えるひとは少ないのではないでしょうか。むしろ、批判的に考えるからこそ、
同じ悲劇を繰り返さないのだ、と考えるのではないでしょうか。

 いっぽう、「テロリズム」との「戦争」のための本土防衛強化という名目で、
事件以来、一千人を越える数の、年齢18から33歳までの中東系の若い男性た
ちが各所に拘留され、五千人がアル・カイダとの関係について尋問されていると
いわれています。拘置所では、身体的な暴力に加え、弁護士と接見する権利を剥
奪されたり、信仰上ふさわしい食事を与えられないために健康を害したり、保釈
金の支払いを拒否されたり、重犯罪を犯した人々と同じ扱いをうけたりしている
と伝えられています。全国紙、地方紙を問わず、イスラム寺院が破壊されたり、
ベールを身につけていた女性が教われたり、「アラブ人を殺せ!」といった罵詈
雑言を浴びせられたり、といった事件が伝えられています。十月中旬には、期限
切れビザなどの理由によって不当に長期拘留された中東系市民が、拘置所内で暴
行を受けたり、十分な医療保護が与えられれずに死亡したというケースも報告さ
れました。

 9.11直後、ブッシュ大統領はイスラム寺院を訪れ、ラマダンのさいには中
東系のコミュニティの指導者をホワイトハウスに呼んで日没後の食事を共にした
り、アメリカの「新しい戦争」がイスラム教やアラブ世界を敵とするものではな
いことを強調してきました。大統領自身、日系人を強制収容した歴史の過ちは繰
り返さない、と言明しています。しかし、移民帰化サービスの拘置所は、実質的
な「強制収容所」となっているといえます。しかし、政府当局は人種差別、宗教
差別はしていない、と表明するいっぽうで、現実には人種、民族、宗教だけを指
標として中東系の男性を一方的に拘留したり、尋問したりしているのです。差別
はいけない、という舌先の建前の表明が、暴力を防ぐどころか、逆に、現実に起
きている中東系の人々に対する強制捜査や尋問や不当な拘留の事実を見えにくく
しまっているのだとさえいえます。

 暴力は、アラブ系の市民だけにむけられているわけではありません。目に見え
る違いをつうじて、ブラウンな肌の人々、宗教の違う人々一般にむけられていま
す。シーク教徒やヒスパニック系市民が、「アラブ人と間違えられて」殺害され
たり、危害を加えられるケースが相次ぎました。アメリカ先住民の女性が「国に
帰れ!」といって殺害されたケースも伝えられています。サンディゴでも「お返
しだ!」という意味の叫びとともに、ソマリア系の女性が車にはねられるという
事件がありました。アリゾナ州では、シーク教徒を男性を殺害したあと、近隣の
レバノン系人とアフガン系人とを同時に襲撃する、という事件まで起きました。
大学キャンパス内だけでも、9月末までに250を越える人種差別に根ざした暴
力や嫌がらせが起こったと記録されています。これはあってはいけないことです。
しかし、この「アイデンティティ誤認」、つまり、人種的・宗教的出自や宗教を
間違われてしまうことでおきる暴力や侵害が、非暴力的で、対等で、歴史認識に
根ざした、新しい国際市民社会の構築にむけて、新しい連帯と共感を生み出して
いることも事実なのです。このような偏見や差別が、逆境と苦悩をつうじて、思
いがけない連帯の可能性を生んでいることを、日本語圏の皆さんにお伝えしてお
きたいと思います。

 これまで中東系や南アジア系の市民には、合州国の移民政策の性格から、専門
職をもった比較的経済的に安定した背景の人々が大部分を占め、アフリカ系市民
やヒスパニック系市民の公民権運動や、移民の人権問題や、レイシズムに根ざし
た構造的不均衡の是正を求める活動、といった取り組みには、必ずしも深い共感
を示してこなかったといわれています。階級によって諸権利が保障されてきたと
いう点で、中東系や南アジア系の市民は、白人でキリスト教徒でブルジョアで核
家族、という「アメリカ人」の規範から自分たちがずれていることにあまり敏感
ではなく、これらの問題について自らを政治的に動員することはけっして多くな
かった、といわれています。中東や南アジア地域の国家情勢そのものもまた、米
国内でのコミュニティ形成、エスニシティー関係に影を落とし、人種や地域をつ
うじての連帯よりも、むしろ国家や民族を機軸とした反目や対立がみられました。
しかし、9.11以後、アメリカ社会のなかで肌の色の違い、宗教の違い、アク
セントの違い、といったマーキングによって「非国民」と一括され、差別を経験
する人々が増えています。そのことによって、中東系、南・中央アジア系のコミ
ュニティ内部だけでなく、他の「色づけされた」マイノリティとの結びつきが強
まっていることがうかがえます。バークレーでは、移民労働者問題や内なる第三
世界問題に関わってきたヒスパニック系の学生とアラブ系、ムスリム系の学生た
ちがともにベールをまとって連帯の意を表明する、というパフォーマンスを行い
ました。現在起きている公民権剥奪の問題と、移民や第三世界問題との連携は、
合州国内での権利主張が、じつは世界における米国の特権によって守られたもの
であるという批判もまた、明らかにしてくれるのです。

 そしてこの共感と連帯は、自分や祖先が後にしてきたはずの土地までへも向け
られています。9.11後、シーク教徒たちがつづけて襲撃されたことをうけて、
インド政府はアメリカ政府にたいして、シーク教徒の安全の保障をもとめました。
これにたいして、在米シーク教徒の団体はつぎのような回答をしました。彼らは
インド政府に謝意を表明する一方で、インド国内のマイノリティであるイスラム
教徒の安全を保障するように、と要請したのです。仮に反中国感情が高まって、
在米日本人たちが、「中国人と間違えられて」暴行をうけたりしたとき、在米日
本人諸団体は日本政府に対して、たとえば日本国内の在日外国人の人権侵害をや
めるように、と毅然とした態度を表明することがあるでしょうか。ぜひそうあっ
てほしいと思います。

 いっぽう、とりわけ東アジア系市民のなかでは、アメリカ合州国という国家に
よる暴力や選別・序列化の歴史のなかで、中東系、中央、南アジア系の人々たち
との共通の位置を確認する、という、時を超えた連帯が生まれています。

 9.11事件直後、政治家やメディアが一斉に「パール・ハーバー」に言及し
たことから、まっさきに危機を直感したのは、間違いなく日系市民でした。9月
末、ロサンゼルスのリトル・トウキョウでは、日系市民が中心となってムスリム
系・アラブ系市民との連帯を表明する集まりがありました。日系アメリカ市民リー
グは9.11直後に中東系市民への迫害や人種偏見への警告を促し、9月末発刊
の新聞では、アラブ系市民の強制収容の危険を問う記事を組み、また、反アラブ
感情に根ざした非白人市民への暴力的犯罪の数々を伝え、読者の関心をたかめま
した。より最近、ラマダン明けには、第2次大戦時に仏教徒であるために受けた
人権侵害や差別を思いだし、今日のイスラム教徒への偏見と不当な扱いをなくそ
うと、仏教会とイスラム教会と合同の集まりが開かれたりしています。

 政府やメディアにとって、9.11後の脈絡で日本軍による真珠湾攻撃を連想
することは、いま、ブッシュ政権が行っていることを正当化し、批判的な言説を
管理するうえでたいへんな有効な威力を発揮しています。それは、反ファシズム
という「よい戦争」、正義の聖戦だった第二次世界大戦を思いだし、開戦布告の
ない不当な攻撃に対して挙国一致団結すれば、敵に勝利し、世界を自由と繁栄に
導けるのだ、という二十世紀アメリカの世界支配の物語をくりかえすためには格
好のプロットなのです。(いっぽう、「テロリズム」に対する戦争を言論弾圧を
ともなった「冷戦」と結びつけること、アフガニスタンへの爆撃を泥沼化した
「ベトナム戦争」と結びつけることとは、入念に避けられているといえます。)
また、9.11の「テロ」と同様に、真珠湾奇襲は説明抜きに「悪」であって、
そこに至った背景など一切考えなくていいのだ、という、これまで流布してきた
歴史の常識も、9.11の批判的な省察を避けるうえで役立っているのだといえ
ます。

 しかし、政府やメディアにとって、「9.11が真珠湾と同じだ」、というこ
とが、「アメリカが戦争によって悪を克服した」、というよい物語を述べること
であるとすれば、日系やコリアン、中国系、ベトナム系のアジア系市民の多くに
とっては、パール・ハーバー直後に起きた、合州国政府の手による凄まじい人権
蹂躙と、今日も続くアジア人敵視・蔑視の歴史を思い出させることでもあるので
す。「9.11はパール・ハーバーだ」と力説されるたびに、いま、ここで起き
ている、自分たちと同じ位置におかれた非白人で非キリスト教徒の市民に対する
不当な暴力と権利剥奪を、そして家族が祖先が後にしてきた国々で合州国が行っ
てきた数々の殺戮と破壊を、連想せずにはいられない人々が、この国に少なから
ずいるのです。

 在米シーク教徒たちは、「アラブ人と間違われて」襲われるとき、自分たちは
アラブ人ではない、といって身を守ることはしていはいけない、それはアラブ人
への暴力を正当化してしまうから、という見解を表明したといわれています。パー
ル・ハーバー以降、日系人が襲われ、強制連行されたとき、中国系やコリアン系
の東アジア人を区別するためにアメリカ政府はパンフレットを発行しました。自
分たちは日本人ではない、日本の侵略と破壊の被害者なのだ、アメリカの味方だ、
といって身を守った人々も大勢いました。同時に、どんなに努力して自ら日本人
と区別しようとしても、アメリカ社会の差別の構造が変革されないかぎり「アイ
デンティティ誤認」はなくならない、したがって、非白人に対する暴力はなくな
らないことを、アジア系市民の多くは、戦争が終わった後もずっと身をもって学
んでもきたのです。ここでもやはり、時間と空間を超えて、人種化をめぐる連帯
と共感が生まれています。

 「私たちは移民と難民と奴隷からなるネーション。私たちは、地球の隅々にあ
る私たちのルーツを忘れない。そしてこの地での長きにわたる自由のための私た
ちの闘いも!」 ある路上デモで掲げられたプラカードが、ラディカル・アジア
ン・アメリカンのウェブサイトの冒頭に掲載されています。アメリカ国内におけ
る「自由のための闘い」を思い起こすことと、「移民と難民と奴隷」を生んだ合
州国の侵略と殺戮の歴史を批判的に省察することとが連なっているのです。ここ
にあるのは、公民権運動を国民化の運動にしてしまうことのできない記憶の作用
です。合州国はいま、非常事態下にあります。しかし思想家ベンヤミンがいった
ように、植民地下や警察国家のもと、人種や宗教やジェンダーや階級によるさま
ざまな抑圧と排除を経験する多くの人々にとって、非常事態下に生きることはな
にも特別なことではないのです。この過酷な「新しい戦争」下の非常事態が、よ
り多くの人々に自分たちがじつはこれまでも非常事態下にいたことを気づかせ、
危機を好機とかえてゆける力を互いに養いあってゆく可能性を秘めていることを、
信じたいものです。

         米山リサ: カリフォルニア州立大学サンディエゴ校教員)

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【編集後記】
 9.11以降、合州国で起こっているような「差別の暴力」は決して合州国固有の
問題ではなく日本の問題でもあります。しかもそれは日本でも9.11のような事件
が起こりえるという「可能性」としてではなく、すでに起こっている「現実」と
してです。 1998年に北朝鮮の「テポドン」がマス・メディアでにぎにぎしく報
道されたとき、朝鮮学校の学生、とりわけ女子小学生が刃物で斬りつけられると
いう陰惨な暴力事件が多発しました。しかしこうした暴力は1998年だけに起こっ
たことではなく、それ以前からもマス・メディアで北朝鮮がセンセーショナルに
取り上げられるたびに起こっていたものです。
 しかしそうした暴力を引き起こす「北朝鮮報道」のあり方が、日本社会で問題
視されたり、マスコミ内部で反省される、といったことは今日まで(少なくとも
私は)見たことがありません。もちろん朝鮮学校の女子生徒が暴力にあっている
ことは(決して全部ではないものの)報道されましたが、しかしそうしたマスコ
ミの報道自体が「医原病」ならぬ「報原病」であることは、まったく考慮されな
かったし、省みられることすらないまま今日に至っています。たとえば近年の
「外国人」による犯罪の過剰で扇情的な報道は、「無神経」というレベルを超え
て「犯罪的」と言ってよいほどです。昨年の石原慎太郎都知事の「三国人」発言
はマスコミでも相当批判されましたが、しかし当のマスコミが自らの報道の持つ
問題性にどれほど自覚的であり、反省的であるのかははなはだ疑問です。
 では、どうすればそうした報道の暴力を批判し、その批判を社会化できるのか。
今何より必要なのはそうした問題を提示し、議論できる自由な「空間」を作り上
げることのはずです。
(                      vol.4 編集担当=李 孝徳)

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│発行= 2001年12月11日 発行所=メキキ・ネット事務局             │
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