(創刊:2001年8月18日)
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★メディアの危機を訴える市民ネットワーク┃メ┃キ┃キ┃・┃ネ┃ッ┃ト┃
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            メール・ニュースvol.22(5) 発行:2006年6月14日
                           登録者数:342人
               http://www.jca.apc.org/mekiki/index.html

 6月11日のメルマガで連載が始まった「野島ストーリー余録」の続編(そ
の2)をお届けします。
 6月19日にはふたたびNHK裁判が開かれますが、梅雨空を背景に事態はます
ます混迷を深めて行くようです。

 ■もくじ■

1 次回NHK裁判控訴審第12回口頭弁論と裁判報告集会のご案内  
          バウネット・ジャパン

2 野島ストーリー余録(その2)
     ―新事実の証言から見る国会担当局長
                      和田悌二(一葉社・編集者)


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          次回NHK裁判と裁判報告集会のご案内

                          バウネット・ジャパン

◆NHK裁判控訴審 第12回口頭弁論
日時:6月19日(月)午前10:30〜
場所:東京高裁101号法廷  

◆同日夜のNHK裁判報告集会
日時:6月19日(月)午後6:30〜
場所:早稲田奉仕園地下ホール
交通:
●高田馬場駅から徒歩20分
●高田馬場駅からバス12分(「学02 早大正門行き」で『西早稲田』下車)
●地下鉄東西線 早稲田駅から徒歩5分

※「女たちの戦争と平和資料館」と同じ敷地です。以下HPの地図を参考にして
 ください。
    アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)
    < http://www.wam-peace.org/ >


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            [野島ストーリー余録](その2)

         新事実の証言から見る国会担当局長

                       和田悌二(一葉社・編集者)

【推測理由2】

 亀井静香議員の名前を伏せていたもう一つの理由について、より大胆に推察してみ
よう。

 冒頭で紹介したように、野島氏は反対尋問でその名前を伏せる理由を聞かれ、次の
ように答えている――「会うのは、国会議員のすべてにではないので……」。

 この返答は弁護人によって単に「意味がよくわからない」と切り捨てられたが、実
は野島氏の正直な心情の一端だったのではないだろうか。反対尋問の中で咄嗟に出て
きた言葉であるから、そこに生の肉声としての本音があっても不思議ではない。そう
いう観点から見直すと、国会担当局長という職に就いていた野島氏の職務上の価値観
のようなものが浮かび上がってくる。つまり「(予算説明等で)会うのは、国会議員
のすべてにではない」ということは、換言すれば“NHKが重きをおく政治家とそうで
ない政治家がいる”という意味にも取れ、その意味上で亀井議員の名を伏せていたと
も考えられるからである。

 それを探る前に、では“重きをおく政治家”とは具体的にはどのような政治家をい
うのであろうか。それは言うまでもなく、単にNHKの予算審議等をする総務委員会所
属の議員だけを指すわけではない。それらの議員以上に、その委員会や議員に強大な
影響力を持つ、つまりはそのときどきで、より強い権力を持っている政治家であり、
より権力に近いところに位置する政治家であろう。必然的に、野党よりは与党、与党
でも第一党、その中でも主流派、主流派の中でも特に“国民的”支持を集めている政
治家か、いわゆる剛腕の政治家――野島氏にとっての「インパクトある議員」(右陪
席裁判官の質問中の言葉)のことである。

 では、亀井議員の名を伏せる理由でこの言葉が出てきたのは、どういうことを意味
しているのだろうか。【推測理由1】でも述べたように、2001年当時、亀井議員は与
党第一党の政調会長であり派閥の長であるから、NHKが予算等の説明に出向くのは、
彼らからすれば当然のことである。しかし、その後の小泉政権の誕生とともに政局の
流れは大きく変わり、亀井議員は主流派から反主流派へと“転落”する。加えて、二
度の総裁選敗北とそれに比した小泉人気によって政権の表舞台からも追いやられ、
“抵抗勢力”という名のもとに“国民的”支持もほとんど得られなくなっていく。

 つまり、NHKの価値観からいうと“重きをおく政治家”ではなくなっていくのであ
る。そればかりか、小泉首相という最高権力者とぶつかり続ける亀井議員との仲を疑
われることは、権力筋や主流派からのいらぬ圧力さえ受けかねないという、そのよう
な政治家へと位置づけられていったのかもしれない。

 それゆえ、いくら当時のこととはいえ、今さら亀井議員の名前を出すことで現在
“重きをおく政治家”の誰かを刺激したくない――政治のパワーゲームに常に敏感で
神経を尖らす国会担当局長の野島氏がそのように案じて、あえて名前を出すことを控
えていたとしても不思議ではない。もちろん、かつての“重きをおく政治家”から急
速にそうではなくなっていった亀井議員に対しての、野島氏の複雑な感情、うしろめ
たい距離感のようなものもあったかもしれない。

 そして、今回、名前を伏せている理由を聞かれた野島氏が、それらのことが実際に
頭の一部を占めていたこともあって、現在の主流派や亀井議員への自分なりの弁明的
な気持ちも加わり、ほとんど無意識に思わず答えたのが、「国会議員のすべてにでは
ない」という上記の言葉だったのではないだろうか。つまり、「国会議員のすべてに
(予算等の説明をしているわけ)ではない」状況下で、かつてのように“重きをおく
政治家”ではなくなった亀井議員の名前を今さら出していらぬ波風を立てたくない、
ということではなかったのか……。

 この推測は、さほど見当違いではないだろう。だとしたならば、これは理由という
よりは、もはや“性癖”といってもいいかもしれない。もちろん、国会担当局長を長
く務めたがゆえの、権力の方向しか見ていない、権力関係しか見ようとしない、権力
以外は見えない性癖である。

 さらに言えば、国会担当局長という職務につきもののこの性癖こそが、今度の事件
に見られるように政治介入をやすやすと受け入れ、そして番組を無惨なまでに改ざん
しても恥じないことへとつながっていったのではないだろうか。あえていうならば、
亀井議員の名前を出さない理由として答えた「国会議員のすべてにではない」という
価値観の地続きに、この改ざん事件もあるような気がするのである。
 
 この“重きをおく政治家”に過度に敏感になり、“重きをおく政治家”の意向が何
よりも優先する国会担当局長の性癖に関連して、野島氏の証言を少し見てみよう。

 今回の証言を見るかぎり、野島氏は決して単なる反動的な右翼でもなければ、〈若
手議員の会〉の歴史観に無条件に賛同するようなウルトラタカ派でもない。もちろん
すべて言葉どおりには受け取れないとしても、例えば「(天皇有罪の取り上げ方につ
いては)特にどうということはなく偏った素材の中の一つという感じ」とか、「慰安
婦がビジネスだということになったら、この番組全体が成立しない。私はこの番組は
やるべきだと考えていたから、(慰安婦がビジネスと)言うはずがない。それに私は
慰安婦についてそういう(ビジネスという)認識を持っていない」などという証言は、
全くの嘘ともいえない感じであった。

 一方、証言のほとんどに見られたが、政治介入や政治的圧力と疑われるような言い
回しは巧妙に避けたり、長井・永田証言でのそのようなところはすべてごまかすか否
定したりしたように、政治介入や政治的圧力は違法、いけないことだという認識は十
分すぎるほど抱いているようであった。

 にもかかわらず、全く悪びれたところがない。悪びれるどころか、「国会議員は受
信料を払ってNHKを設立維持している国民の代表なので、番組の誤解があった場合に
はそれを解く必要があり、(放送前でも)番組の説明の必要はある」、また「この時
期に予算の説明などで政治家との面会を多くしている証人が、26日と29日の試写に参
加して、(番組の)印象や感想を述べること自体問題では」という反対尋問に対して
はきっぱりと「全く問題ではない」、さらに「国会議員に会っている立場の方が(試
写後、永田氏に修正箇所等の)内容を説明し、変更を伝えるのは適切でないのではと
当時思わなかったのか」という陪席判事の質問に対しても「特に違和感はなく、疑問
視も問題視もしなかった」と、あまつさえ「(放送の自主自律の堅持等を改めて表明
した新放送ガイドラインについては)直接これを作った者じゃないのでコメントでき
ない」などなど、単なる開き直りのレベルを超越したあきれるほどの堂々とした態度
である。

 いけないことと認識しながらも、悪いことはしていないという確信ある態度、その
矛盾性はいったいどこから来ているのだろうか。しかも、特に偏った政治的意見や歴
史観を持っているわけではないのである。

 その野島氏が、証言台で最も発した言葉が「公平公正」と「多角的な視点」である。
「公共放送の幹部の一人として、この番組が公平公正なものになるのかを見届けたい」
「番組を公平公正、多角的な視点を(取り)入れたものにしようとやっていただけ」
などという証言に代表されるように、どうやら野島氏は、それこそが「公共放送」
のNHKでは最も大切なことと思い込んでいるようだった(あるいは思い込ませている
のかもしれないが)。

 そして、今度の事件で自身が行なったこと、あるいは自身の役割に対しては、まさ
にそれに適ったことと信じているがゆえに、多少の方法的な瑕疵や過ちがあったとし
ても、もっというならたとえ法廷の場で虚偽を言ったとしても、許されると思って
(思い込ませて)いるようであった。少なくとも、自分の職務としては間違ったこと
はしていない、という自信と使命感を今も抱き続けていることだけは、前述の証言か
らもわかるように十二分に見てとれた。

 しかし、その「公平公正」や「多角的な視点」はどこに立脚しているのであろうか。
それを推し量る象徴的な証言があった。反対尋問の中でVAWW側弁護人から、“慰安婦”
問題に関して旧日本軍と日本政府の関与を認めた93年の河野洋平官房長官談話につい
て聞かれたところ、野島氏は「(その存在と内容は)知っている」と答え、さらに弁
護人から「安倍さんから、公正中立な番組を放送してくれとしか言われなかったとす
れば、当然、当時の政府見解であるその官房長官談話を前提とした番組を作るのが公
平公正になるのではないか」と聞かれて、「その後、国会でも質問が出たりして、そ
れでこの問題が終息したわけではないと理解しているので」と答えて傍聴席から失笑
をかう場面があったのである。

 これは、野島氏にとっての「公平公正」や「多角的な視点」とは、たとえ政府の公
式見解(もちろん政府の公式見解がすべて公平公正であるわけではないが)だとして
も、そのときどきでより“重きをおく政治家”の意向や意見・主張の方を反映させる
べきであるということを意味している。なぜなら、これも何度か証言にあったが、つ
まるところは「国会議員は国民の代表である」からだ(そうなら、予算等の説明とや
らも当然すべての国会議員にすべきはずなのだが……)。想うに、野島氏はこれを単
純に敷衍させて、与党は多数の“国民”を代表するものであり、その中でも時の主流
派は時の“国民”の大勢であり、「公共放送」と名乗るからにはたとえ自身の良識に
反するものでも、あるいは場合によっては良心にもとるものといえども、多数を占め
る時の主流派の意見は最大限に重視するべきだ、と考えているようなのである。

 だから、野島氏の言う「公平公正」や「多角的な視点」とは、あくまでもNHKが
“重きをおく政治家”にとっての「公平公正」や「多角的な視点」であり、少なくと
も“重きをおく政治家”らを欠いた形での「公平公正」や「多角的な視点」などは
「公共放送」であるかぎりあり得ないということなのである。たとえその「公平公正」
や「多角的な視点」が、個個人の人権やいのちをおざなりにするものだとしても、あ
るいはそれらと相対するものだとしても、である。

 しかも、上記で見たように、それは政府の公式見解においてもそうなのだから、ま
してや権力とは反対に位置する少数者や、体制とは一線を画する運動体などにおいて
は、“重きをおく政治家”の保証・許容やよほどのお目こぼしでもないかぎり、その
ような体質の今のNHKでそれがそのまま報じられるということは奇跡に近いというこ
とになるのである。
(続く)


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6月19日NHK裁判の夜の報告集会(バウネット主催)では、メキキ事務局の板垣竜太が
講師として、みなさまに、もう一度改ざんの事実関係を整理し、改ざん番組が放送さ
れるまでNHKに何があったのか、何が、どのようにしてカットされていったのかを解説
いたします。お誘い合わせのうえ、ぜひご参加ください!


★ご意見、ご感想、ご投稿をお待ちしております。
800字にまとめて、タイトルを添えてお送りください。
匿名希望、字数については、ご相談ください。
 宛先 mekikinet-owner@yahoogroups.jp
                       (22号編集担当・吉田俊実)

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│発行= 2006年6月14日                       │
│発行所=メキキ・ネット事務局                   │
│ ホームページ: http://www.jca.apc.org/mekiki/index.html │
│ 電子メール: mekikinet-owner@egroups.co.jp │
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