(創刊:2001年8月18日)
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            メール・ニュース vol.21(1) 発行:2006年1月13日
                            登録者数:343人
               http://www.jca.apc.org/mekiki/index.html 


 メキキ・ネットのメール・ニュースをお読みになっているみなさん。
  鈴木香織さんの連載、「NHK裁判証人尋問ハイライト」その1からその4までに
よって、NHKと政治家たちが、改ざん事件の何を隠そうとしているのかがかなり
明らかになってきましたね。一言でいえば、それは改ざんの核心でうごめいた
人物、野島国会担当局長の行為の痕跡を消去して、ほかのことにひとびとの関
心をそらそうという小細工です。そこで、わたしたちのほうから、視点をひっ
くり返して考えてみましょう。メキキネットのいまひとりの事務局メンバーで
ある板垣竜太さんが、むしろこの野島国会担当局長を中心において、事件の流
れを読み解いてみます。今回は、《野島ストーリー》の前編です。

 ■もくじ■

検証:国会担当局長は番組改変にどう関わったか 前編
                   板垣竜太(メキキ・ネット事務局)
【1.国会担当局長の「仕事」】
【2.1月26日総局長試写における役回り】
【3.1月29日、永田町にて】
   【4.1月29日試写とその後の関与】 以下次号
   【5.1月30日の行動】       
   【おわりに】                
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検証:国会担当局長は番組改変にどう関わったか 前編
                     板垣竜太(メキキ・ネット事務局)

 2005年12月5日に松尾武・元放送総局長、12月21日に長井暁・元番組担当デス
クが、バウネットのNHK裁判の法廷に立った。これを契機に、さまざまな事実が
さらに明らかとなった。

 そのなかで、野島直樹・総合企画室国会担当局長(当時)の存在が、番組改変に
おいて極めて本質的な役回りをしていることが浮き彫りになっている。野島担当
局長の関与がかなり深いものだったことについては、本『メキキ・ネット通信』
Vol.19(2)でも論じてきたが、今回は、国会担当局長が番組の改変にどれほど大
きな役目を果たしたのか、あらためて集中的に検証してみよう。

 あらかじめ述べておけば、NHKの組織体系上、国会担当局長は番組制作に直接
関与する職責にはない。ETVを制作していたのは教養番組部であるが、これは番
組制作局の管轄下にあり、番組制作局は放送総局の所管である。一方、国会担当
局長は、会長・理事会に直属の総合企画室に所属しており、番組制作とは別系統
である。このことは、ただ組織体系上そういえるということだけではない。国会
議員と密接な関係にある国会担当局長が、番組制作現場のための防波堤になると
いうならまだしも、逆に番組の中身を作り直す役回りをしていたとするならば、
それは永田町と現場とを最悪の形で直結させてしまうことを意味する。その場合
には、この役職はむしろ「政治介入」のエージェントとなるわけである。だから
こそ、野島担当局長が事件のなかで何をしたのかという点は、この問題を考える
うえで本質的な重みをもってくる。

 かくも重要な環にあたる存在であったにもかかわらず、いやそうであったから
こそ、野島担当局長の関与について、これまではそのかなりの部分が闇の中にあっ
た。野島氏は、2005年3月15日に開かれた衆議院総務委員会にNHK理事として出席
している。そのおりの塩川鉄也議員の質問に対し、「感想のようなことは申した
かもしれませんけれども、意見というようなものについては私は申し上げており
ません」などと答弁している。しかし、さまざまな調査や資料から浮かびあがっ
てきたのは、野島担当局長の関与が決して「感想」レベルのものなどではなく、
まさに番組制作の根幹に関わっているということである。ここで、現時点までに
分かっている限りの事実をあらためて整理してみよう。

 なお、本稿で頻繁に使用する資料は、裁判での松尾氏証言・長井氏証言のほか
は、次の三点である。

(*1) 野島直樹陳述書(2005年7月12日付)
(*2) 日本放送労働組合放送系列委員長・放送系列書記長「「ETV2001問題」に
ついて:事実関係の整理と検証」(2005年12月13日付)
(*3) 魚住昭「「政治介入」の決定的証拠」(『月刊現代』2005年9月号)


【1.国会担当局長の「仕事」】

 野島氏は、1969年にNHKへ入局。放送総局ニュースセンター政治部、報道局政
治部、報道局取材センター勤務などを経てきた、いわゆる政治部上がりの職員で
ある。総合企画室には1989年より勤務。以来、番組放映後の2002年に理事に就任
するまでのあいだ、番制局にいた3年間を除いて、総合企画室室で副部長、部長、
担当局長、局長を歴任した。総務省・国会などの外部対応業務のベテランである
(*1)。

 NHK予算は、法制度上、NHK経営委員会で議決した後、総務大臣に提出され、総
務省が電波監理審議会へ諮問した上で、閣議を経て国会に提出されることになっ
ている。ところが、NHK予算にも、池田内閣以来、国会提出前の「与党による事
前審議制」という「慣例上のルール」が適用されてきていた。その場合、与党・
自民党においては、放送通信政策関係の「事前審議」は「総務部会」が担ってい
る。その場に会長はじめNHK役員が出席して、予算説明をおこなうのである。

 総務部会で審議されるだけではない。予算案国会提出の閣議決定に先だって、
政権与党の国会議員に対し、総合企画室の職員が、予算と事業計画を個別に説明
してまわるということも慣例となってきた(*1)。ここに政治家への「事前説明」
の構造的な要因の一つがある。

 さて、2001年度予算は、01年1月25日に総務大臣に提出された。提出直前の時
期には、総合企画室の担当職員8名(うち政治部出身は4名)が、約250名の与党国
会議員に一斉にアポをとりはじめた(*1)。この年の自民党総務部会は2月9日に開
かれているため、2〜3週間ほどのあいだに、順に会っていかなければならない。
どの議員にいつ誰が同行して会うのか、といったことを取り仕切るのが、国会担
当局長、すなわち野島直樹氏の役回りだった。


【2.1月26日総局長試写における役回り】

 さて、この野島担当局長が、NHKで放映される無数の番組のうち、一教養番組
に過ぎないETV2001に関心を持ち出したのは、国会議員から「示唆」を受けたた
めだったと、自ら陳述している。既に本メール・ニュースでも引用しているが、
重要な部分なので、もう一度だけ掲げておこう(*1)。

「本格的に予算説明を開始したころだったと思いますが、担当者が古屋圭司議員
など、自民党総務部会所属の複数の議員を訪れた際に、「『日本の前途と歴史教
育を考える若手議員の会』所属の議員らが昨年12月に行われた『女性国際戦犯法
廷』を話題にしている」「NHKがこの法廷を番組で特集するという話も聞いて
いるが、どうなっているのか」「予算説明に行った際には必ず話題にされるであ
ろうから、きちんと説明できるように用意しておいたほうが良い」といった趣旨
の示唆を与えられました。」

 これらの国会議員は、おそらくNHKへの抗議活動をおこなっていた右派グルー
プから情報を提供されたのだと思われる。しかも、その情報は相当エキセントリッ
クに誇張されたものだったとみられる。「担当者」というのは、総合企画室の職
員である。職員から野島担当局長が上記の報告を受けたということである。

 今回、証言台に立った松尾氏によれば、野島担当局長は、4回シリーズが全て
「1つの素材」、すなわち女性国際戦犯法廷で成り立っていて、しかも「中継番
組を4本やるようなイメージ」が国会議員に広まっていると、説明したという。
まったく荒唐無稽な噂で、それが本当だとすれば、「そんな噂ほっておけ、番組
を見れば分かる」と言えば済む話である。しかし、松尾総局長は、第2夜の試写
に野島担当局長も参席させた。

 以前も書いたように、この1月26日の総局長試写がおこなわれた経緯には不明
な点が多い。たとえば、メール・ニュースVol.20(2)で鈴木香織さんが書いている
ように、松尾総局長は、この点について、裁判で次のような意味深長な証言をし
ている。

「〔1月〕25日には私の耳に一つの情報が入りまして、放送現場でETVについて混
乱をしておるという情報が入りました。これについて、伊東局長に問い合わせた
と、そして報告を受けたということでございます。」

 松尾総局長の「耳」に誰がどんな「情報」を入れたのか。裁判に出された情報
だけでは曖昧である。
 この点で興味深いのは、日放労が最近作成した報告書(*2)のなかの記述である。
同報告書には、次のように記されているからだ。

「野島担当局長はこれを受けて松尾総局長に相談し、松尾総局長はさらに伊東局
長に状況を照会した。」

 もしこのとおりであれば、「耳」に入れたのは野島担当局長ということになる。
そうなると、右翼→政治家→総合企画室職員→野島担当局長→松尾総局長→伊東
番制局長、という流れで1月26日の「粗編試写」が決まったことになるから、試写
自体が露骨な政治介入という性格をもっていることは、誰にも否定できなくなる
はずである。だからこそ、NHK側の提示する資料や証言では、この点こそがあの手
この手をつかってひたすらぼかされているのである。

 ともあれ、26日の試写には、総局長・番制局長・国会担当局長が同席した。こ
の場でも、野島担当局長は、「ただ見た」だけであると弁明することなどとても
できないような能動的な働きをしている。

 まず、日放労報告書(*2)によれば、試写後、野島担当局長から、「女性法廷に
賛同する内海愛子さんが出るのだから、反対の立場の人間も出すべきだ」と意見
が出たという。魚住昭ルポ(*3)でも、関係者の証言として、野島担当局長が1月
26日に、伊東局長に対し「永田町で騒いでいる右翼を番組に取り込めないか」と
打診したという。その案は一旦却下され、その後の協議の末、秦郁彦氏の起用が
決まった。番組の根幹に関わる方針の提案が、永田町から「示唆」を受けた国会
担当局長の口から出たという事実の持つ意味は大きい。

 ところが、NHK側の諸文書(松尾・伊東・野島各氏の陳述書等)では、この意
見を言ったのは、松尾総局長か伊東番制局長ということになっていて、野島担当
局長が何か喋ったという情報はあえて記されていない。かといって、野島氏がそ
こで何も発言しなかったという説明が書きこまれているわけでもない。

 このような「野島隠し」の痕跡は、他にも至る所に見られる。建前上、現場に
いて番組に口出ししていたことが明らかになっては困る立場にあるため、NHKの公
式の物語では、このあたりはあえて周到にぼかされているのだと考えられる。そ
のため、今回の松尾氏証言では、番組の変更は、松尾総局長、伊東番制局長、そ
して吉岡教養番組部長の「トロイカ」でおこなったのだとしきりに強調している。
この「トロイカ」で番組に手を入れているという物語が前提になっている限りで
は、NHKの組織上、変更の説明がなんとか可能だからである。

 しかし、今回の長井氏の証言によれば、松尾総局長も伊東局長も歴史ドキュメ
ンタリー制作の経験をもっているわけではなかった。陳述書に書かれた略歴をみ
ても、松尾氏は芸能部出身だし、伊東氏も番制局時代は生活情報番組を主として
担当している。それに対し野島担当局長はといえば、朝日新聞の本田記者らのイ
ンタビューで、松尾氏が「あいつ〔=野島氏〕は戦後の歴史に詳しいというので
呼んだ」と評価しているような人物である(*3)。つまり、野島担当局長が「戦後
の歴史に詳しい」から、試写(26日か29日の話かは不明)に立ち会わせたのだ。吉
岡部長以下の現場に対して具体的な指示を下すことができるかどうかという点で
は、松尾総局長や伊東局長は力不足であり、それにかわって、むしろ野島担当局
長がその役回りを果たした、という構造がみえてくるのである。番組改変の「ト
ロイカ」とは、じつはむしろ、松尾・伊東・野島の3名に修正する必要があるの
ではないか。しかも、この「トロイカ」のなかでも、野島担当局長の役回りは、
かなり本質的なものだったとみられるのである。


【3.1月29日、永田町にて】

 05年12月21日の裁判では、番組放映3日前である1月27日頃に作成された、政治
家対策用の想定問答集が証拠として提出された。A4で4枚。1枚に質問が1つとそ
れに対する答えが記されている。そこで想定されている問いは次のとおりである。

Q1「今回の番組シリーズの企画意図は何か」
Q2「民間のNGOが主催し、法的裏付けを持たない「女性国際戦犯法廷」を取材
した理由は何か」
Q3「慰安婦問題で、旧日本軍による強制連行があったかどうかの事実関係につい
て、NHKはどう考えているのか」
Q4「慰安婦問題で、日本政府の法的責任、国家補償の必要の有無について、NH
Kはどう考えているのか」

 このようなマニュアルが、おそらく野島担当局長はじめ総合企画室職員の間で
共有され、国会議員に訊かれた時に答える範例になっていたと思われる。これを
そこまでしても放映するという意志のあらわれなのだと受け止めることは可能か
もしれないが、そもそも、放映前にここまで説明しなければならないということ
そのものが、まったくもって理不尽ではないか。

 1月28日は日曜日である。週明けの1月29日、すなわち番組放映の前日に、野島
担当局長らは議員会館と首相官邸へと向かった。このとき野島担当局長が同行さ
せたのが、松尾総局長だった。松尾氏証言によれば、野島担当局長は「安倍さん
に、この番組について誤解を解くということについての説明をしてほしい」と依
頼したという。この日会った議員が正確に誰なのかについては、安倍議員以外、
今のところ定かではないが、とにかくも事前説明のために野島担当局長は総局長
を連れて車で永田町に向かった。

 松尾氏証言によれば、野島担当局長は、車中で総局長に対し「教科書を考える
ということを含めて、安倍さんも関係者だ」というような解説をしていた。これ
から説明に向かう相手が関係している「日本の前途と歴史教育を考える若手議員
の会」について解説をほどこしたのではないか、と考えられる。

 議員会館で何があったのかはまだよく分からない。分かっているのは首相官邸
での安倍官房副長官とのやりとりだけである。安倍議員との面談時間は10〜15分
ほどであった。すでに明らかになっているとおり、事業・予算計画の書類を手渡
し、少し雑談した後に、「女性法廷を扱うETV2001について話題になっているよう
なのでこの場を借りて説明をしておきたい」と切り出したのは、野島担当局長で
あった。番組の中身については松尾総局長が説明した。それに対し、安倍議員が
「慰安婦問題の歴史的経緯やその難しさ」、「北朝鮮に対する考え方」などを述
べたという(*1および松尾氏証言)。松尾証言では、安倍議員の発言は面談時間
全体の「過半」を占めていたと記憶していた。安倍議員は、「公平・公正に」と
言った程度だと主張しており、その情報が一般にもタレ流されているが、けっし
てその程度で片付くような発言でなかったことはすでに明白である。

 このように、当時「若手議員の会」の事務局長だった安倍議員に対しては、格
別の扱いで対応している。これ以外にも、総合企画室職員が多くの議員に事前説
明してまわったのは間違いない。これまでメディア等に上がった名前は、古屋圭
司議員のほか、下村博文、片山虎之助、平沢勝栄の各議員であるが、このほかに、
日放労報告書(*2)では、荒井広幸議員の名前も新たにあがっている(このうち、
下村議員は事後説明だと野島氏は陳述している)。「日本の前途と歴史教育を考
える議員の会」が出した「見解」(05年1月19日)でも、次のように書かれている。

「〔…〕その頃当会議員数名を含む自民党関係議員の所にもNHK幹部が、やはり
向こうから説明に訪れており、これは安倍・中川両議員の主張と符合する。用件
はやはりNHK予算についての幅広い説明であり(これは毎年行われているもので
ある)、その際NHK側から「当番組については内部から問題視する意見があり、
いま修正をしている」といった説明があったことも同様である。」

 「いま修正をしている」というのは、事前説明でなければ言えないことである。
また『文藝春秋』(05年3月号)は、次のような興味深い情報をもたらしている。

「「この度は色々ご迷惑をおかけしまして。」議員会館ですれ違った顔見知りの
議員に、何も訊かれない前からお詫びをはじめる総合企画室の職員までいた。」

 このように、ほとんど手当たり次第に説明してまわった様子すらみられるので
ある。こうした事前説明の段取りで采配をふるう立場にあったのが、まさに野島
担当局長であった。
                                (続く)
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                       (21号編集担当・岩崎稔)

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│発行= 2006年1月13日                        │
│発行所=メキキ・ネット事務局                     │
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