(創刊:2001年8月18日)
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★メディアの危機を訴える市民ネットワーク┃メ┃キ┃キ┃・┃ネ┃ッ┃ト┃
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                      メール・ニュース vol.11(1) 発行:2003年 1月21日
                            登録者数:326人
                              http://www.jca.apc.org/mekiki/index.html

 みなさん、こんにちは! 年末には緊急車座討論集会に多数の方が参加してい
ただき、ありがとうございました。詳しい報告は次号に掲載予定です。今回は、
車座討論集会の参加者の前田年昭さんが寄せてくださった北朝鮮報道を再考する
論考をご紹介します。
 そして車座討論集会のあと、届いた松井やよりさんの訃報。最後の最後まで
「小さきものたち」のために闘い続けられた松井さんの姿は、ますます鮮やかに
わたしたちの心に浮かびます。NHKのETV2001が放映されたときに、多くの視
聴者たちが感じた疑問と怒りを原点に、メキキは今年も行動します。(め)

      ▲▲▲1月22日 NHK裁判第9回口頭弁論・集会へ▲▲▲
▼▼▼▼                           ▼▼▼

                           −−メキキ事務局

■もくじ■

〈今回送信分〉

1.NHK裁判第9回口頭弁論・報告集会のお知らせ 

2.「煽情的」北朝鮮報道のなかから希望を掘り起こそう! ― 前田年昭

3.追悼・松井やよりさん――最後の授業 ― 北原恵

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■NHK裁判のお知らせ■

◆NHK裁判第9回口頭弁論
1月22日(水)午前11時より東京地裁103号法廷

◆NHK第9回口頭弁論報告集会
 NHK裁判――現在の争点を検証する――1月22日(水)午後6:30(開
場6:00)早稲田国際会議場会議室
 JR高田馬場下車、早大正門行きバス西早稲田下車4分
 地下鉄東西線早稲田下車10分参加費700円

プログラム
○原告報告
○第9回口頭弁論報告・・・弁護団
○裁判の現在の争点と分析・・・弁護団
○ビデオ上映
 「戦争に沈黙しない人々――9.11から1年後のニューヨーク」
  解説:青野恵美子(ビデオ塾)
○質疑応答

********************************* 2 ***********************************

■「煽情的」北朝鮮報道のなかから希望を掘り起こそう!
      ――「12.21緊急車座討論集会」に参加して ■
               ――――――――――――――――――――――――
               前田年昭(precaire編集者 tmaeda@linelabo.com )

◆「メディアのどこかに希望はあるの?」

 メディア批判とは「裏づけがない」と愚痴ることでなく自ら裏づけをとること
ですし、小さな動きであっても新しく生まれつつある“光”を掘り起こすことで
“闇”もより見えてくるものです。あるかないかを評論するのではなく希望は見
出すものであり、そこに“目利き”ネットの存在意義があると私はおもいます。

 昨9月17日以来ずっと毎日2時間以上、テレビのワイドショーを中心に北朝鮮報
道を(目をそむけながら!)観察し続けてきました。11月下旬からわずかですが
問い直しと変化の兆しが芽生えています。その典型的事実は次の三つです。
 第1に、11月22日、参院議員会館で独立系ジャーナリストらによって行われた
「これでいいのか!? 北朝鮮報道」という記者会見です。これは、ACT新聞とVID
EO ACT! によって伝えられ、翌23日付『東京新聞』も大きく報じました。
 ・ACT新聞 http://www.jca.ax.apc.org/act/houdounoarikata-top.html
 ・VIDEO ACT! http://member.nifty.ne.jp/atsukoba/vact/war/
 第2に、『北海道新聞』が11月22日付から始め共同通信や『河北新報』も追っ
た、札幌の西本願寺札幌別院で強制連行の朝鮮人遺骨102人分が合葬されていた
ことがわかったとの報道です。
 ・強制連行の朝鮮人遺骨 http://www.linelabo.com/bk_sp009htm
 第3に、メディア自身の側からの北朝鮮報道の自己検証の動きであり、11月26日付『
毎日新聞』は「検証・北朝鮮報道40年」を見開きで特集しました。その後、人権と報道
・連絡会編『検証・「拉致帰国者」マスコミ報道』が社会評論社から刊行されました。
(2003年1月刊、ISBN4-7845-1425-2)
 私はここにメディアの再生への希望を見いだします。右派言論にうち勝つためには「
部分を全体に広げるレトリックがいけない」などという無力な論評ではなく、事実行為
としての三つの小さな、希望の光を繰り返し全体に広げていきたいと私はかんがえてい
ます。

◆批判精神無き後に残ったものは「おかっ引」根性

 現在の北朝鮮報道が「人道」の名のもとに思考停止に陥っているありさまは、
北朝鮮への帰国事業をやはり「人道」の名のもとに横並び報道しかしえなかった
43年前の状況と残念ながら酷似しています。
 「重油を止めることによって北朝鮮政権を崩壊させる」とか「食糧を送ること
は金正日政権を延命させることになる」という議論は、国家権力の視点であり、
かの凍土の国にも日々生き生活している人びとがいるということが忘れられてい
ます。これはジャーナリズムだけでなく、日本の左翼運動や社会運動が民衆をど
うみてきたのかという問題にも通じるものがあるのではないでしょうか。「選挙
の一票」や「市街戦の一兵」としか見ることができない民衆観はまた、呻吟する
北朝鮮民衆を「洗脳されたロボット」としか見ることができず、また、日本人拉
致被害者家族の叫びは、これまで万余の朝鮮、中国はじめアジアの民衆が日本の
国家・企業に対して訴えつづけてきた調査と謝罪、補償、原状回復の叫びと同じ
であることに想いが届かないのです。
 国家権力の代弁をして“国論”形成に躍起になる「目」には、すでに《モノを
視る目、感じる心》は失われ、ジャーナリズムの原点たる批判精神はありません。

◆第三世界の視点で自らを対象化することから

 昨12月11日のイエメン沖でのスペイン軍と米軍による北朝鮮船への「臨検」事件
の際も各紙第一報は公海上での「臨検」は国際法からみてどうなのかという海洋
法学者からのコメントすらとることなく、また国際法からも無法なアメリカの海
賊行為のねらいは何か(イラク向けというでっち上げにより北朝鮮−ミサイル−
イラクという「悪の枢軸」を宣伝してイラク攻撃の口実にしようとしたのではな
いか)という分析すらありませんでした。韓国のハンギョレ新聞や中央日報は第
一報の時点から国際法からも無茶苦茶なものだと批判し、ロサンゼルス・タイム
スですら無理無法だと指摘していました(翌日朝刊でやっと『毎日』が国際法か
らの問題点を指摘するコメントを載せ、『読売』が上記外電を1段記事で伝えま
した)。
 国務長官パウエルは昨12月29日、日本近海でも「臨検すべき船はすべて臨検す
る」と公言,12月30日付商業紙は各紙ともまたまたその発表を垂れ流しています。
つまり、すべてとは言いませんが、日本のジャーナリズムのほとんどは、国家権
力の直接的圧力によるまでもなく、また「自主規制」に基づくのですらなく(!)
権力の後追い報道をするのみなのです。
 いまは幸いなことにウェブ上でも翻訳ソフトで韓国のメディアも読めますし、
アジア各国の報道や国内でも『沖縄タイムス』『琉球新報』や『北海道新聞』と
比較検証することからだけでも、日本のマスメディアの「異常さ」を対象化する
ことができます。
 「歴史の無視、無知」に対する批判とは、現在とは過去の蓄積であるという視
点からの調査報道に徹することでしかなしえないとおもいます。右派言論が「過
去の強制連行をもって、現在の拉致と相殺できない」と主張し、『産経』や『文
春』が『朝日』や『世界』の「過去」を「断罪」するときに、反論側が腰が引け
てしまっているのは、自らも「過去」を現在と切り離されたものと認識している
からです。強制連行も帰国事業も拉致事件も何ひとつ調査公開されず、謝罪も補
償もされず、つまるところ《いま》のことであり、けっして「過去」ではない!

◆フジテレビバッシングと週刊金曜日バッシング

 ジェンキンスさんインタビューをした『週刊金曜日』へのバッシングはメディ
アの自殺行為です。しかし、『週刊金曜日』自身も含めて反論が及び腰になって
いるのが現状です。なぜか。それは、先に行われたキム・ヘギョンさんインタビ
ューをしたフジテレビ他に対する「異様な」バッシングにつづく「異様な」雰囲
気にのまれ、萎縮してしまったためです。
 視聴者の「俗情」への媚びという点ではフジテレビの視線は下劣ですし、『週
刊金曜日』にも手順などで検討の余地があったかもしれません。それはそれぞれ
のメディアが今後への反省材料とすればよいことです。恥じるべきは横並びの談
合ジャーナリズムの側であって、「北朝鮮当局の許可を受けた」ことをもって取
材や報道を色眼鏡で見、権力と一体になって非難するなど本末転倒です。
 この点では、私とは政治的立場はおおきく違う方ですが岩見隆夫氏の次の主張
は正しいものだとおもいます。
 ・サンデー時評
  http://www.mainichi.co.jp/eye/iwami/sunday/2002/1117.html
  http://www.mainichi.co.jp/eye/iwami/sunday/2002/1208.html
 左派やリベラルを自認する人びとのなかには、残念ながら、『週刊金曜日』イ
ンタビューは擁護してもフジテレビインタビューは擁護しないという主張もあり
ますが、ジャーナリズムにそのような政党政派や企業意識をもちこんではならな
いとおもいます。ジャーナリズムは在野の批判精神にもとづく事実調査報道とい
う点で広く手をつなぎ、権力に対峙していってほしいとおもいます。(おわり)
                                     2002年12月22日(2003年1月21日加筆)
                              

********************************* 3 ***********************************

■ 松井やよりさん追悼――最後の授業 ■
                                        ―――――――――――――――
                                          北原恵(メキキ事務局)

 とうとう松井さんが亡くなってしまった。病気のことは「知っていた」はずな
のに…それでも喪失感は、大きい。
 12月30日、東京渋谷の山手教会で家族と友人による合同葬が営まれた。友人の
一人として挨拶されたビデオ塾の池田恵理子さんは松井さんが癌の告知を受けて
以来、闘病生活の様子をカメラで記録してこられたそうだ。葬儀でもビデオ塾の
メンバーたちは淡々と撮影し続けていた。最後に松井さんの妹さんのスピーチが
あった。松井さんが乗り移ったかのようなテンションで「女性の戦争と平和博物
館」のビジョンと、姉・やよりさんの闘病生活の様子を紹介された。それによれ
ば、やよりさんは告知を受けるとすぐに、ノートに「死の準備」と記し、死ぬま
でにしなければならないこと――遺産相続や自伝、博物館構想などを次々と書い
て、瞬く間にこなされていったそうだ。そして、山手教会の成長とともに育った
子どもの頃や若い頃の思い出を紹介された。
 それらを聞きながら、わたしは深い後悔の底に落ち込んでいた。――どうして
あのとき、ビデオをまわさなかったのか。松井さんは2002年9月5日から3日間、
わたしの勤務する神戸の甲南大学で非常勤講師として授業を担当してくださって
いた。科目は「メディア文化論」、100名余りの学生が聞いていた。前日の9月4
日にはNHKの裁判が東京で開かれ、わたしも初めて傍聴して夜の集会で番組改竄
についての映像分析を紹介した。翌朝の授業に間に合うようにその集会を途中で
抜け出し、松井さんとともに最終の新幹線で関西までいっしょに帰ったばかりだ
った。そんな超過密スケジュールにも関わらず、翌朝、松井さんは朝の9時から
講義を手際よく始めていた。10秒と途切れることなく彼女はしゃべり続けた。取
材で出会った人々の名前や地名が、一瞬もよどむことなく次から次へと松井さん
の口から飛び出し、その記憶力と何よりも彼女の取材と行動力にあらためて驚愕
した。
 3日間の集中講義のスケジュールを紹介しよう。

○9月5日(木)女性記者から見たメディア
 I 新聞記者という仕事
 II メディア・セクシズム
 III アジア特派員として
 IV オルタナティブ・メディア
 V まとめ
○9月6日(金)戦争とメディア――過去と現在
 I 「慰安婦」問題と「女性国際戦犯法廷」ビデオ上映
 II メディアのタブーと教科書問題
 III 9.11テロとアフガン戦争報道
 IV 武力紛争と女性への暴力
 V まとめ
○9月7日(土)グローバル化時代のアジアとメディア
 I 移住労働と人身売買
 II JFC問題、子ども買春、子ども労働
 III アジアの環境・開発と私たちの暮らし
 IV アジアの女性ジャーナリストたち
 V まとめ

 松井さんはこれらをひとコマ90分授業の1限目から5限目までほとんどぶっ通
しで、自分の書いた新聞記事を資料にしながら、しゃべり続けられたのである。
初日のテーマはまず「なぜ記者になったのか」。――少女時代のこと、戦争中、
日本ではキリスト教信者がどのような白い目で周りから見られたか。高校時代に
結核で4年間の闘病生活を送らねばならなかったこと、狭い病室から広い世界を
見たいと夢を持ち、東京外大に進み、1957年にアメリカへ留学したこと。そこで、
ひどい黒人差別を目の当たりにしたこと、一方、発言しない女は退屈な人間と見
なされ、驚いたこと。
 やがて帰国の日が近づくと、松井さんは帰国便を安い貨物船に変えて世界を逆
回りした。ニューヨーク〜ロンドン〜アムステルダム〜パリへたどり着き、そこ
で、ベビーシッターをしながら3ヵ月間フランス語の勉強をしてソルボンヌ大学
へ1年行くことになる。フランスでは彼女はベトナム人とよく間違えられたそう
だ。旧植民地に対する蔑視を知り、「人権思想」というものが、フランスの白人
・男性の人権であることを実感。その後、フランス語を習得した松井さんは、船
旅でイエメン〜ボンベイ〜マニラの港を停泊しながら日本に帰った。3等に乗っ
ていたのはアジア人だけ。アメリカとヨーロッパの豊かさに比べて、アジアの貧
困。深い絶望と怒りを覚える――。(以上、わたしのメモ書きより)
 話は、どきどきするほど面白かった。
 特に、世界を反対周りで貨物船で帰った話は、破天荒な行動の連続で、どんど
ん道を切り開いて世界を的確に見ていく若い松井さんの姿に圧倒された。
 3日間続いた授業は、まさに松井さんの一生を振り返るものだった。
 あの授業を、どうしてビデオをまわして記録しなかったのか、わたしは。
 休憩時間に、松井さんは原稿の束を教卓に置いて、わたしに見せてくださった
ことがあった。「私ね、自伝を書いていて、NHKで出版することになってたんだ
けど、あの裁判のために、出版が没になったのよ。」そう言いながらも、彼女は
原稿を完成させるため、寸暇を惜しんで手を加えられているようだった。
 授業が始まったとき、わたしはビデオを撮ろうか迷っていた。大学にはビデオ
機材もテープもあり、すぐに使える状態だった。でも、ある先生の最後の授業の
こと――ご病気だったその先生の最後の授業を担当者たちがビデオに撮っていた
――を一瞬思い出し、不吉な気がしてやめたのだった。撮るべきだった。そうす
れば、もっと多くの人たちに彼女の仕事、彼女が精魂込めて語り続けた一生をビ
デオを通して知ってもらうことができたのに。どうして撮らなかったのか。結局、
わたしはカメラをまわさなかったために、彼女の最後の授業のことをひとりひと
りに語り伝え続ける責任を負ってしまったように思う。
 今、わたしの目の前には松井さんの最後の授業の講義ノートがある。わずか4
ヵ月前の、真夏の授業が鮮やかに蘇る。
 松井さん、ありがとうございました。

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■みなさんからの御意見・御感想、なにより投稿をお待ちしています!

                     (メキキ・ネット事務局一同)

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│発行= 2003年 1月21日                                             │
│ 発行所=メキキ・ネット事務局                                    │
│ ホームページ: http://www.jca.apc.org/mekiki/index.html         │
│ 電子メール: mekikinet-owner@egroups.co.jp                      │
│ FAX: 020-4666-7325                                          │
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