最近の活動から
(2008年6月17日)
6月28日(土)午後3時から提起総会を開催します。その議案書の冒頭に、毎年理事長が「はじめに」として、課題に関する提起をしております。今年はアスベストについて、医師の立場から問題提起しましたので紹介します。
はじめに
「アスベスト肺の労災認定要件を改正させよう」
―レントゲン写真の診断基準の用い方はこのままでよいか 斎藤竜太
0 今年3月1−2日の両日、東京で開かれた、労働者住民医療機関連絡会議(労住医連)と全国労働安全衛生センター連絡会議(全国安全センター)の共催の、「じん肺・アスベストプロジェクト」会議に、私は参加しました。会議での発言の要点を説明して、討論を呼び起こしたいと思います。
1 まず私たちが普通よく見る、「胸のレントゲン写真」(医学用語では、「胸部単純X線背腹像」、以下「レ線像」と略す)が示す情報は、アスベストが原因となって引き起こす肺内の病的変化の全てを提供するものではない、ということです。というのは、アスベスト肺に限って言っても、実際にはアスベスト肺があるにもかかわらず、レ線像がそれを映し出さないことがあるのだ、ということです。これが被災者の病状を診る上でも、労災保険に関わる事柄でも重要なことは後で述べます。
2 私たち医師仲間は、かつて臨床病理学の大家から、教えを受けました。先生は無数のアスベスト肺を含むじん肺の大切片標本(マクロの標本=じん肺で亡くなった人の肺を薄くスライスして病巣が肉眼で観察・診断できるように処理した標本)をご自分で作成し、これとレ線像を比較して私たちに示しました。じん肺患者の診療にも長年にわたてたずさわれた臨床家でもありました。先生の読みは、時に「読み過ぎだ」と評する人もいましたが、自ら作成した大切片標本の所見を念頭に置きながらの深い読影だったにちがいないと、私は考えています。
他方、アスベスト疾患の顕微鏡学的病理学の大家でもある、もう一人の先生から、私は次のようなことを直接うかがったことがあります。それは、ミクロの(顕微鏡による)病理学的診断の方が、レ線像による診断よりも、「敏感です」ということです。その根拠として、レ線像読影の専門家が、レ線像上アスベスト肺の所見なしと診断した肺の18%に、ミクロ的にはアスベスト肺があった、というものです。CT装置を手軽に使えることができるようになって、レ線像上にアスベスト肺の所見がない場合でも、CT像上で所見のある例に出会うようになりました。
これらのことは、レ線像では実態を映し出せない部分がある、レ線像の方が、病理学的診断やCT像によるものよりも、「甘い」ことを説明しています。特にアスベスト肺があるかないかの分岐点での描出能の限界は大きな意味を持ってきます。
3 このようなわけで、じん肺として認定するかどうかの判定にあたって用いられているレ線像の、標準写真で0/1型(所見ありだが1/0型には至らない)を、じん肺法ないし労災保険法上はじん肺(アスベスト肺)なしとし、1/0型以上に限ってじん肺(アスベスト肺)ありとして、補償の対象にしてきた現状は、今や事実を正しく評価した要件ではないと言わざるを得ません。繰り返しになりますが、2で述べたように、レ線像では所見なし(0/0型)の中にさえ、病理学上、またはCT像でアスベスト肺の所見のあるものが、相当数含まれているのですから、0/1型であるならば、なおさらアスベスト肺の存在は確かであると想定できます。
4 このようにみるならば、レ線像上で0/1型があれば、つまり、じん肺(アスベスト肺)の所見がレ線像上にありさえすれば、特にアスベストの有害性が大きいこと念頭に置けば、法律上アスベスト肺があるものと認めて、抜本的な対策を講じるべきです。例えば、年1、2回のレ線による経過観察や、必要に応じたCT健診も労災保険を適用し補償すべきです。ちなみに、脳・心臓疾患予防という観点で、一定の所見のある労働者の二次健診費用に労災保険を適用しています。もちろん、肺がんなどのじん肺合併症を発症した場合は、速やかに補償の対象とすべきです。
5 1/0型以上のみをじん肺ありとする、現行の認定要件は、医学的知見をふまえ、労働者と住民の利益に沿って改正すべきです。
石綿健康被害救済法の見直し・改正を求めることを、運動の緊急の課題とし、引き続いて、上記の課題を「アスベスト対策基本法」を勝ち取る闘いの中に位置づけて検討する必要があるというのが、私の考えです。(2008年5月8日)
(2008年5月14日)
アスベスト労災認定事業場公開を受けて緊急ホットライン開催
全国で400件以上、神奈川でも20件を超える相談寄せられる
3月28日、04―05年度に、新たにアスベスト労災認定された事業場が公開された。事前に情報を得た全国労働安全衛生センターは、全造船機械労組と協力して、28日、29日の2日間にわたって、緊急の電話相談を実施。相談は二日間だけで400件以上、神奈川では20件、その後も相談が続いていたので、計500件ほどの相談が寄せられたと推測される。
企業名公表効果は非常に大きい
新聞各紙が一覧表にして紹介したため、そこで働いたことがあり、肺がんや中皮腫、呼吸器官系の病気になっている被災者、遺族から相談が非常に多かった。東京新聞や中日新聞が、鉄道車両工場の問題を大きく取り上げたため、その相談が多かったことも象徴的である。同業他社も含めると相当な数になる。所在地を尋ねる電話も少なくなかった。
そういう意味でも厚生労働省が、所在地住所を公表せず、労働基準監督署に問い合わせれば答えるという中途半端な対応であったこと、クボタショック直後に発表した事業場については、認定数が増えている事業場も含めて公表しなかった犯罪性は大きい。なお神奈川については、局に文書による提供を迫り、ファックスで全て送らせた。当初は「口頭なら・・・」とふざけたことをいうので、「じゃあこれから新聞を見て読み上げるので、二時間近くかけて書かせるのか」と迫った結果である。
肺がんの相談が非常に多い
公表された事業場で働いたことがあり、肺がんで亡くなった人、肺がんも認定されるのだと改めて知った人からの相談が非常に多かったように思う。労災認定される肺がんの数が少なすぎるという、読売新聞に載ったコメントも役立ったのかもしれない。10数年前に亡くなった肺がん患者のご遺族の問い合わせも相次いだ。いまだに石綿肺で労災認定すら受けていない遺族からの相談もあった。
厚生労働省の発表のタイミングは最悪
それにしても、年度末の土曜日の朝刊に載せるというのは最悪のタイミングだった。厚生労働省は東京に三本の電話を開設しただけ。翌週にしても労働基準監督署は人事異動があるので、非常にばたばたしており、フォローが通常の時期よりもうまくいかないのはわかっていたはず。事の重大性を全く認識していない。いかに我々の運動に押されて、「やむなく公表を余儀なくされた」とはいえ、あまりにもお粗末ではないか。
厚生労働省は全ての情報開示を
厚生労働省が、今回発表しなかった既発表分事業所名もまもなく発表されるようだ。全ての情報をわかりやすい形で、必要な人たちに届けることが、緊急かつ重大な課題だ。ホットラインの反響がそのことの証でもある。(川本)
(2008年4月16日)
Yさんの労災認定を勝ち取るまで
ユニオンヨコスカ 委員長 小嶋武志
2007年8月22日、長年ガソリンスタンドでアルバイト店員として働いていたユニオンヨコスカ(注:一人でも誰でも入れる労働組合)の組合員であるYさん(59歳)が仕事(残業時間)中に突然「クモ膜下出血」で倒れ病院に搬送されたと会社から連絡が入った。以降、本人の意識は戻らず、病院の集中治療室に入ったままの状態が約一月以上も続いた。
Yさんがユニオンヨコスカ(以下、単にユニオンと略す)に加入したきっかけは、勤務先の上司から過去約半年間にわたって執拗な退職強要が繰り返され、陰惨な虐め、嫌がらせ等が行われ本人は耐え続けて来たが、2004年1月20日付けで正式に会社から解雇通告がなされたのを契機にユニオンに相談に来た時から始まる。この解雇通告は当然ながらユニオンによる会社との団体交渉で完全に撤回させ、職場の人間関係を修復させるために本人の望む別の職場(スタンド)に配置換えを行い、以降Yさんはユニオンの組合員として別のガソリンスタンドの職場で人間関係も良好な中で働き続けて来た。新たな職場では長年培ってきた技量がようやく会社から認められ仕事も任され、他のアルバイト学生からも信頼される存在となる。
Yさんの入院に際し、会社はYさんが独身だったのでYさんの実の弟Sさんと連絡をとり、以降SさんがYさんの代理人となる。早速ユニオンはSさんに会ってYさんの労働条件についてはユニオンが会社と交渉を行ってきた今までの経過を説明し、今後の会社が講じるべき対策に関してはユニオンが会社との交渉の窓口となることをSさんから了承を取り付ける。
会社はYさんが倒れた時間帯が就業時間内であったので、業務上疾病の手続きを行うべく東京本社のある管轄の中央労働基準監督署に問い合わせたが、「クモ膜下出血」症例での労災認定は大変困難だ!と“けんもほろろ”の対応を受けて困惑した会社がユニオンに相談に来た。ユニオンはYさんの働いていた職場の管轄が横浜南労働基準監督署であることを会社に伝え、今後の取り組みに関しては団体交渉の場で労使協議を行うよう提案した。
ユニオンは団交で今回の発症の原因が業務上によるものであると主張し、Yさんの日常の仕事が過重労働であったことを指摘した。これに対して、会社も残業時間が多かったことと今夏の猛暑の中でのYさんの職場環境が過酷な状況にあったことを素直に認めた。ユニオンはYさんの職場状況を把握しており、残業が非常に多いことを本人から報告を受けていたが、アルバイトでの低時間給だったために少しでも多くの収入を稼ぐために率先して残業することが本人の希望であったのでユニオンとしても手をこまねいて来たことも事実であった。結果論であるがユニオンとしてはもっと早くYさんの処遇アップと賃上げ要求を会社になすべきであったと反省している。
ユニオンは労災申請をする際にまず過重労働だった実際の裏付けとなる証拠と過酷な労働現場の実態を会社がまず調査し明らかにすることを求めた。会社はユニオンの要求に全面的に協力し、Yさんの過去1年間の就労時間の実績、就労内容の実態のまとめを提示して来た。また、発病直前1ヵ月間の仕事内容と労働環境(職場の気温)も調べて来た。
その結果明らかになったことは @発症前6ヶ月間の1ヶ月平均の残業時間が71.8時間にのぼること。A朝7時からの早番シフト、8時、9時、10時、12時からの出勤、午後3時からの遅番シフトといったように人手不足の関係から、全く不規則な勤務形態が行なわれてきたこと。B過去1年以内に1度も年休が取れていないこと。Cこの夏の連続した猛暑のため、日中の最高気温が33度であったとしてもガソリンスタンド職場でのコンクリート上の熱気が更に5度~10度の温度上昇が考えられること、夜間においても28度以上の温度であったこと。D発症直前は7日間連続勤務であったこと(その前の週は8日間連続勤務で1日だけの休日)。この7日間の残業は2.5時間であったが、この時既に頭痛などを訴えており、発症直前であったと思われる。Eアルバイトという身分にもかかわらず、職場では責任ある位置にあり重責を担っていたこと。F本人の日常の健康状態は病気で休んだことが無く、自覚症状もないこと。
以上の会社報告からユニオンはYさんの労働実態が明らかに過重労働であり、クモ膜下出血の発症に重大な影響を及ぼしているという確信を得た。ユニオンはこれらの証拠をもとに関係書類と会社による「労災申請あたっての上申書」及びユニオンからの「労災申請に対しての要請書」を添えて10月4日に横浜南労働基準監督署に労災申請を行った。
Yさんは入院後1カ月半目にようやく意識を回復したが、歩行が困難であるのと脳の一部損傷によると思われる思考力(反応)低下が症状として表れた。Yさんは3か月経過後、リハビリのために別の病院に転院し、現在もリハビリ中である。この間、最初の病院では治療費を労災扱いとせずに健康保険で処理し、高額な本人負担金を親族に請求するということがSさんから聞かされ、ユニオンは急遽病院会計担当者に面談を行い、労災扱いで処理するよう強力に申し入れた。「クモ膜下出血」の労災認定にならなかった場合を想定しての病院側の対応であった。ユニオンは労働局による「脳・心臓疾患の業務認定基準の基本的な考え方」を示して、Yさんの発症が正に当てはまることを示して病院からの理解を何とか得た。
年が変って、1月末に横浜南労働基準監督署の担当課長よりYさんの労災認定が決定されたことの連絡が入った。早速その吉報をYさんに伝えたが、本人にはそのことが良く理解できない様子で、昔働いていた自動車工場で今も働いていると主張し続ける。主治医の所見ではYさん自身のリハビリへの意欲が全く見られないとのことで、このままでは完全に歩行が出来なくなる、と。このリハビリ病院からは3か月過ぎたら別の病院を探して退去するようにとも言われ始める。
Sさんと病院のソーシャルワーカー、ユニオンの3者で今後のYさん行く末で頭を抱えている最中、Sさんから会社がYさんの自主退職を勧めている情報を聞かされる。ユニオンは主治医の症状固定の診断が出る前の解雇(退職勧奨)は労基法違反であることを会社に厳しく警告する。
我々の心配がYさんに通じたのか、最近になってYさんが歩行訓練を熱心に始めるようになる。そして、3月末にソーシャルワーカーより吉報が伝えられた。次のリハビリ施設が伊豆の熱川温泉にある病院に決まり、そこでのリハビリが続けられることで労災の休業扱いが継続される見込みが出てきた。次の病院は、簡単に見舞いには行けない遠方であるが已む得ないであろう。これからの道のりはまだまだ長く続くと思われる。
(2008年3月12日)
労災保険審査官が原処分取り消しNさんの有機溶剤中毒労災認定される
発症から五年半ぶり、労働基準監督署の不当決定を覆す
有機溶剤ばく露や肝機能異常などは明らかだった
日系ブラジル人労働者のNさんは、二〇〇二年に平塚市にある三菱樹脂の構内で、ボンドの充填作業に従事するようになった。半年ぐらい経った頃から、頭痛やめまい、疲労感に悩まされ、睡眠もできなくなったため、平塚K病院にかかる。そこでは「緊張性頭痛」と診断され、投薬治療を受けたが、あまり症状は改善しなかった。事業場の健康診断では既に肝機能の異常値も指摘されている。〇五年に入ってからは会社を休みがちになり、四月には解雇されてしまった。
Nさんは労働基準監督署に相談に行き、アドバイスを受けながら労災請求することになった。病命は「緊張性頭痛」である。労働基準監督署が調査したところ、かなりの有機溶剤のばく露も明らかになり、健康診断の結果も把握。ところが、労働基準監督署が業務外、不支給処分としたため、〇六年八月には不服審査請求をした。また、友人の紹介で港町診療所に通院することになった
Nさんを診察した平野医師は、Nさんの話から有機溶剤ばく露状況を把握、さらに持参した健康診断結果や本人の症状などからも、自信をもって「有機溶剤中毒」と診断。治療を継続することになった。そして、改めて「有機溶剤中毒」として平塚労働基準監督署に労災請求した。ところが、平塚労働基準監督署は、再び業務外決定。直ちに審査請求をしたところ、二つの審査請求が併合されて審査されることになった。
不可解、ずさんな労働基準監督署調査や局医の意見
二〇〇八年二月二九日付けの審査官の決定書によると、やはりNさんの有機溶剤のばく露や健康診断結果などの客観的事実については、全く争いがない。平野医師が特別な検査をしたわけでも、全く新たな事実が発覚したわけでもない。署段階で、Nさんはシクロヘキサノン、メチルエチルケトン、アセトン、テトラヒドロフランの有機溶剤を含有したボンドを取り扱っており、作業環境は法を遵守されていたとは言い難い状況であったと認めている。
例えば、おそらく有機溶剤中毒の見識があまりないと思われる平塚K病院の医師が「就労が原因かは判定困難」とするのはまだわかる。しかしながら、労働基準監督署から意見を求められる労災協力医である横浜労災病院の医師が、「ボンドにより直接生じた頭痛であるのか、ボンド臭やボンドを取り扱う作業にストレスを感じて生じた頭痛であるか、あるいはボンドとはまったく関係がないのか医学的に判断することは難しいと考える」と言う。さらに地方労災医員のD医師は、「明らかな身体的あるいは検査上の異状は認められず、中毒とはいえない。あえていえば有機溶剤に対する過敏症になろう」としており、これらが業務外の決め手となったことは労働基準監督署の説明からも伺われた。
Nさんの健康診断結果記録には、肝機能検査で「やや異常が見られますので再度検査を受けて下さい」といった記載が何度もあり、素人が考えても、認定基準どおりの有機溶剤中毒であり、全く不可解な局医の意見、そしてそれを鵜呑みにした杜撰な労働基準監督署の決定であった。平野医師も「こんなはっきりした有機溶剤中毒を認めないのは納得できない」と語っていた。
そこで、数少ない有機溶剤中毒の専門医を探して、審査官に推薦することにした。「労働保険審査官及び労働保険審査会法第一五条」に基づいて、審理のための処分の申し立てを行い、審査官は、国立大学法人愛知教育大学保健環境センターの久永教授に意見を求めることになった。久永教授は、Nさんが慢性有機溶剤中毒であり、労災認定基準を満たしているとの意見を述べた。審査官から意見を求められた、おそらく上記と同じD医師は、前言をひるがえし?「有機溶剤中毒であると考えられる」としたのだ。なお、「主治医の診断名が『緊張性頭痛』となっていたために原因不明の疾病として不支給処分がなされた」と労働基準監督署に責任転嫁したり、「肝機能障害とまでは言えないが異常値である」などという、言い訳のような意見もついている。
現場を知らない、知識もない局医に頼るな
神奈川のような医療機関、専門家と称する人たちが大量にいる地域でも、今回のような事態が生じるのだから、そうではない地域で、同じような有機溶剤中毒が認められるのか、本当に心もとない。労働基準監督署は猛省して、Nさんのケースについて、本省にもきちんと報告を上げてもらいたい。
(2008年2月16日)
アスベストユニオン結成から1年
第2回定期大会、神戸で開かれる
全造船アスベスト関連産業分会(アスベストユニオン)書記長 川本浩之
結成前のこと
ある会議の席上、「アスベスト被災者を組織した『アスベストユニオン』を作ってはどうか」と言い出したのは、私だったと思う。「言い出した者が責任を取る」のが当然であり、「自分ができないのに、人の批判をする」ようでは信用を失うことは言うまでもない。ましてや、自らもアスベストにばく露して働いてきた文さんに、「病気になったアスベスト被災者や、ご遺族と話をするのは、本当につらい」と語るにもかかわらず、委員長を引き受けてもらった。「書記長は川本くんでいいんじゃないか」と言われて、断ることなどできない。
たくさんの相談が寄せられる
二〇〇六年一二月の結成以来、予想通り、いや予想以上にたくさんの相談が寄せられた。東レなどのように、ねばり強い団体交渉などを通じて解決した事例もあるし、日立化成工業のように、県労働委員会の立会の下で、解決に至ったものもある。いずれも、決して単なる補償金額のすりあわせではなく、労働者の働く環境やご家族の気持ちなども会社が充分に配慮した話し合いの成果である。
一方で、岡山県の山陽断熱のように、交渉そのものに応じないために、労働委員会で係争中のものもある。JFEスチールの子会社の下請け企業である森工業のように、大衆行動を準備している。住友重機の下請け労働者の遺族は裁判闘争を準備している。ある。これらの解決が困難であるのは、単に企業がお金がないとかケチであるということはなく、やはり被災者や遺族に正面から向き合おうとするかしないかの差ではないかと思う。
第二回定期大会が神戸で開かれる
第二回大会は、一月一三日に神戸で開催された。前述の山陽断熱のみならず、西日本でも数多くの企業でアスベスト被害が明らかになっており、相談が寄せられている。すでに、ひょうごユニオンなどが取り組んでおり、さらに連携を深めていこうという趣旨で、労組協議会組織としての、「アスベストユニオン西日本」も結成された。
大会当日は、地元のひょうごユニオンのみならず、尼崎労働者安全センター、大阪のコミュニティユニオンの関係者らも多数参加。アスベスト疾患患者と家族の会のメンバーもたくさん駆け付けてくださった。ちなみに茨城県の組合員も夫婦で参加し、「大変勉強になりました」と語る。
前述の成果を確認しつつ、組合員同士の交流や教育宣伝活動が十分ではないことを反省。次年度は、さらに仲間を増やしていくこと、とりわけ、中小、下請け労働者の被害掘りおこし、組織化を重点的に取り組むことを確認した。
(2008年1月21日)
少し前のことなのだが、沖縄以外のマスコミがとりあげていないので、紹介する。
沖縄県で初めて
米軍基地元従業員のアスベスト肺がんが
日米地位協定に基づいて損害賠償された
賠償されたのは、牧港補給廠等で働いて肺がんで亡くなった、故Aさんの妻のS子さん。2006年12月18日に請求し(「かわがわ労災職業病」2007年1・2月号)、那覇防衛施設局が米軍の調査に基いて協議した結果、2007年10月3日に、賠償金約2200万円の支払を決定した。約1年かかったとはいえ、代理人の古川武志弁護士が「裁判によらない解決で、2200万円という水準は適切な金額として評価できる。」とコメント。横須賀では、米海軍横須賀基地石綿じん肺裁判の第1審判決と第2次〜第3次の勝利的和解後、裁判を経ない日米地位協定に基づく損害賠償が、すでに10件行われている。これに続いて沖縄でも、日米地位協定による補償への道を開いたということになる。沖縄では、民間も含めてアスベスト被害の初めての法定外上積補償の獲得となったということでも画期的なもの。
しかし、ここまで孤軍奮闘してこざるを得なかったS子さんにとって、「何か消すことのできない重さ」を心の中に強いているアスベスト被害の補償の立ち遅れという現状は、依然として厳しいと言わなければならない。沖縄ではアスベスト被害の救済率が全国で一番低い。肺がんの時効労災に至っては、18件中16件も不支給(2006年度)で認定率は11、1%。比較的救済されやすい中皮腫についても、過去12年間までの統計からは15、3%程度の救済率。1995年〜2006年の沖縄での中皮腫の死亡者数72人に対して、労災補償、石綿救済法の合わせての認定は11件しかない。
こうしたアスベスト被害の補償・救済の立遅れを改善しない限り、沖縄でのアスベスト被害者運動の展望は見えてこないであろう。そのような状況の中で、今回の故Aさんの労災と日米地位協定に基づく上積補償は、一条の光をもたらしたと言える。記者会見の翌日の11月9日には、このニュースを伝え聞いて、やはり基地の元従業員の夫を肺がんで亡くし、労災補償を求めていた遺族Yさんの相談も飛び込んできた。Yさんの夫の肺がんは「石綿所見がない」として、昨年8月30日に那覇労基署が不支給決定(16件の不支給うちの1つに当たる)。不服審査請求したものの、同様の理由でこれも今年9月12日付けで棄却。あきらめかけていたところに、故Aさんの賠償決定の報を聞いて思い直し、急きょ相談に来られたのだ。再審査請求の期限は労働保険審査官が棄却決定した9月12日から60日以内の11月12日。寸前のところで間に合わせることができた。
もちろん、現行の石綿疾病の認定基準が変わらないことには、再審査請求しても原処分を取り消してYさんの肺がんを認定させることは極めて難しい。しかし、沖縄の基地で溶接工や板金工としてボイラーの修理等、石綿曝露作業に従事してきたことでは、故Aさんと同様に明らかなのだ。このような事例を積み重ねる中で、医学的な所見が十分でなくとも一定の石綿曝露作業の従事歴があることを要件として認めるように、認定基準を改正させていくことも不可能ではない。
あきらめかけていたアスベスト被害者遺族を翻意させるウチナンチューの不屈のマブイに触れたような気がした。同じ記者会見の翌日、S子さんは、続いて地位協定請求の手続きを準備している2人の遺族とも交流され、沖縄でも遺族の会をつくっていくことを誓い合っておられた。まだ、捨てたもんじゃない!沖縄でのこうした遺族らのアスベスト被害の掘り起こしの新たな動き。是非、沖縄の今後に注目してほしい。
(2007年12月28日)
下記の件は、厚生労働省本省記者クラブで記者発表したのだが、毎日が小さくとりあげたぐらいで、ほとんど報道されなかった。極めて重大なことにもかかわらず、報道されない現状は承知しているが、あまりにも情けない。今後も会社との闘いは続くので、心ある方々の注目をお願いしたい。
報道資料:タンクローリー運転手のいじめ過労による「うつ病」労災認定
―月200時間を超える時間外労働!ほとんど睡眠がとれない
―加害企業は責任感皆無
―国の監督責任はどこへ?国土交通省や厚生労働省をなにをしていたのか
生麦運送有限会社(横浜市鶴見区東寺尾6丁目13番20号 電話045-571-0507 代表取締役 井上庄二郎)の従業員で、タンクローリーの運転手の男性が、「うつ病」になったのは過労が原因だとして労災請求していた件で、鶴見労働基準監督署が2007年12月13日付けで、業務上決定した。いくつかの特徴的な内容を含むので報告する。
1 発症までの経過
川崎市在住のAさん(51歳)は、2000年3月にタンクローリーの運転手として生麦運輸に入社した。早朝に石油会社の製油所から、首都圏各地のガソリンスタンドに運搬するのが仕事である。当初から、月に150時間を超える時間外労働に従事させられた。2001年8月ごろから深夜勤務が増え始め、さらに2002年10月ごろから、同僚との些細なトラブルが原因で、その同僚を贔屓にしている上司からいじめを受けるようになる。2003年6月からは、毎月200時間を超える時間外勤務を命じられ、時には300時間を上回るようになった。Aさんは、何度も「公平に労働時間を軽減してください」と願い出たが、無視され、「嫌なら辞めればよい」と言われた。2003年11月には高血圧で倒れて、病院に救急車で搬送された。
具体的な仕事の受注関係がどのようになされるのかは不明であるが、「何時頃どこそこのガソリンスタンドに運んでもらいたい」といった具体的なタンクローリーの配車・指示が、大手石油運送会社ニヤクコーポレーション(東京都港区芝大門2-9-16)から行なわれることもある。Aさんの異常な長時間労働に気が付いたニヤクの社員が、Aさんの上司に対して、過重労働をさせすぎているのではないかと、言ってくれたこともあった。ところが元々ニヤクのOBである上司は、「他社に対して意見をするな」と無視。過労によりめまいがひどくなったり、高血圧のために何度も倒れた。それでも生麦運輸は、復帰したAさんに同様の労働をさせた。
2005年6月には一過性の脳梗塞と診断され、病院に入院。医師からは過労が原因と言われた。ところが面会に来た上司は、「早く退院して復帰しないと退職してもらうことになる」などと言う。復帰後も過重労働が続き、何度も軽減を訴えたが無視され、ガソリンスタンドで接触事故を起こすこともあった。2006年になると、体調は悪化し、下痢もひどくなり、4月に病院に入院。医師からは休職を勧められた。休職中の7月に「うつ病」の可能性を指摘され、専門医の治療を勧められる。9月下旬に上司から「これ以上休むなら退職」と迫られて、やむなく10月に復帰した。ニヤクへの出向を命令され、「研修」を受けさせられた。既に働けるような状態ではなく、11月18日に精神科にかかったところ「うつ病」で入院が必要との診断書が出た。
2、退職強要から労災申請
翌日に生麦運送に行き、診断書を見せると、「うつ病の人間は使えない」として退職を強要され、その場で退職願を書かされた。このままでは生活も治療もできないと途方に暮れていたが、神奈川県の労働センターにたどり着き、労働基準監督署やひとりでも入れる労働組合を紹介された。
労働基準監督署に相談に行ったが、自分で辞めたのであればしょうがないというような対応で、長時間労働や労災申請の話はしてもらえなかった。一人でも入れる労働組合「よこはまシティユニオン」に相談したところ、明らかに法違反の長時間労働であり、うつ病は労災になると言われて、改めて労働基準監督署に労災申請をした。
3、組合加入と交渉の経過
2007年1月によこはまシティユニオンが、生麦運送とニヤクに団体交渉を要求した。生麦運送は、団体交渉に応じたものの、いじめの事実を否定し、過重労働については「本人が働きたいと言ったから働かせただけ」と開き直り、労災請求にも協力できないとした。さらにニヤクは直接の雇用主ではないとして交渉すら拒んだ。
4、本件の問題や課題
@会社の責任を追及する
月に200時間以上も時間外労働をしてきた労働者の「うつ病」が労災認定されるのは、当然と言えば当然である(月に150時間もの時間外労働で業務外となった例もあるが)。ようやく安心して治療に専念できる。しかしながら、会社がいじめや過労の責任を一切認めていないことは重大な問題である。ユニオンは再度団体交渉で会社の責任を問う要求を行なう。生麦運送はもちろん、ニヤクの責任も重大であると考える。
A国の責任も問う
ほとんど睡眠を取れない運転手が、数年間にわたりガソリンを積んだタンクローリーを運転し、大きな事故が起きなかったことは、本当に不幸中の幸いである。国土交通省や厚生労働省がいろいろな指針などを出しているが、全く実効性が上がっていなかったことになる。
今年の2月、長野のスキーバス会社が、大阪で事故を起こし、不幸にも高校生の労働者が死亡した。それでようやく問題が焦点化したが、規制がかなり厳重なはずの石油運送業界においても、このようなめちゃくちゃな労務管理と開き直りがあるとすれば、本当に恐ろしいことだ。
しかもAさん本人とお連れ合いが、2006年5月にも労働基準監督署に相談に行ったが、あまりきちんと対応されなかったとのこと。いじめの相談は労働相談の1割を越える事態になっているが、深刻なものほど、門前払いになっている実態がある。
国土交通省や厚生労働省は大事故が発生する前に、ただちに実態調査を行い、実効性のある施策を講じるべきだ。
(2007年11月19日)
鑑定意見採用せず不当な審査決定−港湾労働者の肘関節症
神奈川労働者災害補償保険審査官(香川小枝子)は10月26日、港湾労働者の変形性肘関節症について請求棄却−業務外の決定を行った。審査請求人のSさん(61歳)は約33年間従事した港湾荷役作業で腰痛症(変形性脊椎症を伴う)と変形性肘関節症にかかり、横浜南労働基準監督署より腰痛は業務上認定されたが、肘は業務外とされ審査請求を行ってきた。今回の決定は審査官自ら依頼した鑑定意見の不採用、誤った認定基準の適用などの問題があり、労働保険審査会への再審査請求を準備している。(小野)
鑑定医は業務上と判断
本件について、主治医の港町診療所医師は「X線写真上、両肘関節に変形を著名に認める。発症原因は長年にわたる過重な港湾荷役作業であると考えられる」と判断したが、対診した局医は「X線写真上、年齢以上と思えるような明らかな変形ではない。運動制限は軽度である。以上により作業によって生じたものとする明確な証はない」と述べ、これを根拠に労基署は業務外とした。
審査段階における鑑定医(北里大学東病院医師)の意見は次のとおり。
「臨床所見では左肘関節の疼痛と可動域制限を、単純X線所見では軽度の変形性変化を認める。これら両所見は健側(右肘関節)に比し明らかであり、変形性肘関節症を示唆する異常所見といえる。単なる加齢変化としては有症状の変形性肘関節症が発生することはないことから、本例は加齢的変化というよりはむしろ軽度の変形性肘関節症に相当するものと考える。左肘関節の症状及びX線変化を来した原因を検討すると、変形性肘関節症を生ずる明らかな既存の原因を認めないこと、左肘関節を使用するスポーツをある程度の期間行っていたということもないことから、これらの原因は除外される。残る原因としては永年にわたる重量物の移送などの労働作業が考えられ、左肘関節に繰り返しのストレスが加わったために軽度の変形性肘関節症に至ったと推察した」。
素直に読めば、明らかに業務上とする意見である。
認定基準適用の誤り
ところが鑑定意見について、審査官は「消去法的考察によって業務と疾病との因果関係を肯定しているにすぎず、請求人の労働実態に則した、いわゆる相当因果関係論に立脚した考察には達していないと考えられ採用し難い」と述べ、以下のように結論づけている。「請求人に発症した変形性肘関節症は、長年の港湾荷役作業との関連を全く否定するものではないが、通常の加齢的変性に止まる程度と認められ、かつ、上肢障害認定基準の認定要件を満たさないため、業務上の事由によるものとは認められないものと判断する」。
審査官は自ら依頼した鑑定医の意見を医学的根拠もなく不採用としており、これでは何のための鑑定かわからない。また本件を上肢障害認定基準で判断したことも不可解(労基署もそのような判断、解釈はしていない)である。港湾作業のような20年、30年という長年の重量物取り扱い作業による変形性肘関節症(注・審査官提出意見書参照)は、比較的短期間(基準では原則6か月程度以上としている)でも発症し器質的変化(骨変形など)を伴なわない頚肩腕障害(頚肩腕症候群)などの上肢障害とは異なる。通常の上肢作業とは明らかに異なるにもかかわらず、上肢障害の認定基準(認定要件)を持ち出してこれに当てはまらない(業務量の増加がない等)ことを業務外の理由としている。労働実態の把握と認定基準適用の誤り、先に述べた鑑定意見の根拠のない否定。これでは初めに結論ありきで、業務外とするために後から理由をつけたようなものである。
(審査官に提出した意見書より)
1.審査請求人の作業負担
審査請求人は昭和48年頃より約33年間、港湾荷役作業に従事したものである。仕事の内容は毎日手かぎを使う仕事であり、手かぎを右手と左手に持って行う。取り扱う品物は麻袋に入った重量物がほとんどで、重さは小麦(90Kg)、大麦(80Kg)、トーモロコシ(80Kg)、ソバ(50Kg、70Kg)、大豆(60Kg)などである。二人で行う場合もあるが、ほとんど一人で手かぎを使って麻袋を腰のベルト位まで持ち上げる。仕事の内容によっては胸の高さまで持ち上げることもある。
主な作業内容は以下のとおり。
■「山肩」は肩で麻袋をかついで倉庫にはい付をする。ベルトコンベアが回転して麻袋が流れてくる。両サイドで手かぎを使って麻袋を肩に持ち上げるためどうしても無理な態勢になり、両肘が内、外とねじられるように曲がり、とくに左肘がつるようになる。かついだ麻袋を落ちないようにして走ってはい付をする。そのとき麻袋をきれいにはい付をするため手かぎで麻袋を一度持ち上げて直すため、両肘が内側に曲るようになる。
■「河岸肩」はホッパーに入っているバラ物を麻袋に積み替える作業。積み込まれた麻袋を回転しているミシンのベルトの上まで身体をひねりながら運ぶ。両手で手かぎを使い持ち上げるため、どうしても麻袋の重さで肘が引っ張られ、力負けのせいか左肘が下にぬけるような感じで負担となる。
■はしけの中はバラバラに麻袋が積んである。「はしけ揚げ」はそれをモッコ又はスルギに乗せ、巻いて上げる。一人で手かぎを使い腰の高さまで上げて重ねていく。そのとき両肘を常に内側に曲げて持ち上げるため、右利きの人は左がどうしても力負けして左肘が手かぎを使っても麻袋の下をかかえて持ち上げるようになり、左肘が常に曲った状態で内から外へねじるように持ち上げることになる。
いずれも肘に過度の負担のかかる作業である。
2.審査請求人の症状
審査請求人は平成6年頃から左肘の痛みと変形に気付き、市販の塗り薬をぬり、サポーターで強くしめながら我慢し作業を行ってきた。肘の痛みは除々に強くなっていき、平成18年10月より港町診療所で治療を受けている。右肘にも症状(重い物を持つと痛む)は出ているが、左肘がとくに曲っており、左肘の痛みと左手指二本(小指、薬指)のシビレが常時ある。そのため長く物を持つことができない。夜も寝返りを打つたびに右手で左腕を持ち上げる状態なのでよく眠れない。治療内容は痛み止めの内服薬と塗り薬をもらい、鍼灸治療を受けている。主治医は将来は手術も考えなければならないと話している。
3.業務起因性
審査請求人の業務が重量物を取り扱い、身体に過度の負担のかかる業務であることは原処分庁も認めるところであり、同時に申請した変形性腰椎症が業務上認定されていることからも明らかである。
原処分庁は審査請求人の肘の変形について「通常の加齢による骨変化の程度を超えない」「年齢相応」との理由で業務外としたが、その明確な基準はなく、根拠もない。また審査請求人の作業態様から考えて、腰は職業性だが肘は「加齢」という判断も理解しがたい(署の対診時には審査請求人の肘は実際には診てもらえなかったという)。
審査請求人の場合、右肘と比較して左肘の変形及び症状が強いことは、利き腕と反対の左腕でかかえるようにする同人の作業態様からきていると思われ、左肘により負担がかかったと考えられる。審査請求人の左肘は誰が見てもはっきりした変形があり、常識的に考えてもこれが「加齢」では有り得ず、その原因は業務以外に考えられない。また同種作業による肘の業務上認定事例は過去にもある。
4.結論
審査請求人の変形性肘関節症(とくに左肘)は長年の港湾荷役の重労働によるもので業務起因性は明らかであり、よって原処分は誤りであり、取り消されなければならない。
(2007年10月9日)
厚生労働省本省と交渉
九月二〇日に、全国安全センターの厚生労働省本省との交渉が行われた。紹介議員は阿部知子衆議院議員。全国各地の関係者三〇名余りと、先日初当選した川田龍平参議院議員も参加した。詳細な要求と回答、やりとりは「安全センター情報」に掲載されるので、ここでは特に議論が紛糾した二つの問題について報告する。(川本)
アスベスト労災認定事業場を公開せよ
厚生労働省は、〇五年の八月に、一部ではあるが石綿労災で認定された被災者の事業場を公表した。その後、認定数は数倍になっているにもかかわらず、全く公表しようとしていない。アスベストセンターや患者・家族の会の交渉でも、再三問題となってきたが、「基本的に公表するものではないので検討中」との回答を続けてきた。
ところが、今回の交渉で「公開しない」と明言。その理由は、〇五年の夏の段階では、アスベストに関する情報が圧倒的に不足していたが、現在はそうではなくなり、労災認定数も増えたので公表する必要がないと言う。根本的に認識が誤っている。そもそも仕事によるアスベストばく露がはっきりしない労働者、遺族はたくさんいる。さらに労災認定数が激増している事業場の周辺では、住民被害も予測される。そうした情報がなぜ公開できないのか。環境省共々、労災隠し、公害隠しに加担しているのだ。
阿部議員もこの課題には注目し、「誰の責任で公開しないことを決定したのか」と追及。「補償部として労働基準局にあげた」と述べた。この問題は国会でも取りあげられる可能性が出て来た。
無用な放射線被ばくは避けて本来の健康管理対策を
石綿ばく露作業従事者の特殊健診は半年に一回行うことになっている。しかし、潜伏期間などから、少なくとも初めてのばく露から一〇年までの間は、レントゲンで石綿関連疾患が見つかる可能性はない。むしろ被ばくによる悪影響の方が問題だ。実際に、東京安全センターの代表の平野医師は、「初めて作業に従事するからという、若い労働者が健診を受けに来る。健診を受けないとゼネコンなどが現場に入れてくれない。」と訴えた。実は昨年も全く同じ問題を指摘している。
厚生労働省の回答は「検討中です」というもの。しかしながら、医学的に安全センター側の見解が正しいことは常識のレベル。厚生労働省側もそれは認めざるを得ないはずだ。「何もしてこなかったわけではありません」と言うので、では何をどのように検討したのか、具体的に検討経過を明らかにせよと迫った。わざわざ離席して確認をしてきたのだが、結論は「何もしていない」ことがわかった。
厚生労働省の怠慢姿勢を許さない
いずれの問題でも明らかなのは、厚生労働省の人間は、我々の指摘する問題に対して、まじめに検討した姿勢が見られないこと。何か初めての新しいことを始めるのであればともかく、いずれも少しまじめに検討すれば、上記のような回答にはならないはずだ。怠慢は絶対に許してはならないと、改めて感じる交渉であった。
(2007年9月10日)
旧朝日石綿(エーアンドエー社)に対して、4000万円を要求
8月22日(水)、旧朝日石綿住民被害者の会とよこはまシティユニオン、そして私たちセンターは、(株)エーアンドエーマテリアル社(以下A&A社)に対して、別紙のような「周辺住民のアスベスト被害に関する補償についての要請」を行った。これは、29日の第4回交渉に向けて、要求金額を具体的に提示するもの。これに対し、A&A社は、「弊社の見解」という文書で、中皮腫で亡くなられた2人のうち故原田サワ子さんについては「因果関係を否定できない」として補償するとしたものの、故高橋忠誠さんについては「現時点では因果関係が明確であるとは判断いたしかねる」として補償に否定的な見解を示した。
しかし、私たちはこの根拠も示さない中途半端な見解なるものには、納得ができない。A&A社は、故高橋忠誠さんを補償できない理由について、まったく説明できないからだ。
高橋忠誠さんは、4年前に悪性胸膜中皮腫で死亡。鶴見区役所に1960年から1973年まで13年間勤務、鶴見区にも9年間居住。鶴見区役所が、工場から約500mしか離れておらず、石綿横浜工場から飛散したアスベストとの因果関係は明らかだ。9年間の居住歴のうち工場から約500mしか離れていない独身寮にいたのは2年間だけである。しかし、鶴見区役所に勤務中に、工場から飛来したアスベストによる近隣被害ということは十分に言える。このような石綿工場近隣の巻き添え被害は、尼崎のクボタ旧神崎工場の近隣でも何件かの事例がある。2006年3月10日付け毎日新聞に紹介された事例は、旧神崎工場から150mにあった大日金属工業の元社員らが飛来労災として労災申請したものだが、すでにクボタの救済金の支給を受けている。故高橋忠誠さんの遺族も、工場から飛来したアスベストを勤務中に曝露したとして公務災害の申請をしており、A&A社もクボタの旧神崎工場近隣の巻き添え被害同様に補償すべきだ。
この日の要請では、さらに第1回の交渉で「補償しない」と回答した胸膜肥厚斑についても、改めてフランスなどの海外で補償されているという資料を出して再検討を求めた。
回答に前進見られずー第4回A&A社との交渉
8月29日に行われた第4回交渉でA&A社は何ら新たな回答を示さなかった。要求1について、中皮腫で亡くなられた故原田サワ子さんについては、「因果関係は否定できない」という見解を出したにもかかわらず、具体的な補償金額を明らかにしなかった。私たちが4000万円という金額を提示して攻勢をかけたことに対して、一定躊躇し、用意しかけた回答を修正せざるをえなくなったためと考えられる。
同じく中皮腫で亡くなった故高橋忠誠さんの遺族に対しては、今回も依然として、「現時点では石綿ばく露との因果関係が明確であるとは判断いたしかねておる」と回答。しかし、「引き続き資料のご提供を願い、調査、確認を進めて行きたい」としたことで、少しだけ前向きの姿勢を示したかな?と思われる。A&A社が希望する遺族の聞き取り調査などにも応じ、鶴見区役所での建物に使用されている吹き付けアスベストによる職業曝露ではないことを証明する新たな資料も提供する用意があることを伝えた。 第1回交渉以降懸案となっている胸膜肥厚斑の補償問題については、「補償には応じない」とする頑なな姿勢は依然として変わらなかった。しかし、これまで胸膜肥厚斑と診断されたものに支払われてきた迷惑料?3万円について、A&A社が「(健康診断の受診)のための費用、交通費等の実費のほか、その他の諸掛・ご負担等に充てて頂く主旨のもの」との解釈を示してきたため、そのような費用としてなら、「初回だけしか支払わないのはおかしいのではないか!」との被害住民の意見が噴出し、新たに健康診断1回ごとに受けるための諸費用として、3万円を支払うことを要求することになった。
調査研究に必要な経費を助成することについては、「行政当局の調査研究との関連を見極めながら検討していきたい」と行政任せの回答。改めてA&A社としての加害責任に基づいて、しかるべき研究者や研究機関に調査研究費を助成するよう強く要請した。
補償問題については、非公開・個別交渉で解決を図りたいA&A社側と、全面公開の補償基準を示せ!という私たちの側が真っ向から対峙した形となった。次回9月27日の第5回交渉までに、私たちも故高橋忠誠さんの遺族の補償を勝ち取ることに全力を注ぎ、局面の打開をはかっていきたいと考えている。(西田)
(2007年8月8日追加)
神奈川県内の労働基準監督署交渉の報告
今年も全労働基準監督署交渉が、7月10日〜20日にかけて行なわれた。昨年同様、ほとんど全ての監督署できちんとした資料提供、説明がなされた。
一方で、7月31日に行なわれた労働局交渉は、昨年同様、若干残念なものであった。まず、説明に1時間40分もかかっている。署への要請書と量的にも内容的にもほとんど変わりがないのに、2倍以上かかるのはなぜか。参加者はわかりきっている制度の説明や、配布資料を棒読みするような解説、どの資料を説明しているのかわかりにくいことなどが原因。必然的に時間が足りなくなり、2の労災補償の項目で議論を打ち切らざるを得なくなった。ここでは、全署共通の問題を報告する。
石綿関連疾患で誰かが業務上になったら、会社は同僚の健診をすべきである―監督署の対応はまちまち
二年前、いわゆるクボタショックの直後、厚生労働大臣は記者会見で、石綿関連疾患で労災認定された事業場に対しては、現役労働者はもちろんのこと、退職者にも健診をよびかけるように、事業所に要請すると述べた。ところが、細かな通達などは出されなかったために、署の対応はまちまち。
今回の交渉でも、「きちんとやっている」監督署と、やっていない監督署があることがわかった。三月のアスベストユニオンの局との交渉では、「石綿であれなんであれ、事業場に指導をすれば、報告を受けるのは当然」と言っていたが、そもそも指導がまちまちだったことが明らかに。もちろん既に閉鎖された事業場や、非協力的な事業主もいるかもしれない。だからこそ、全事業場に対して、一律の周知徹底が必要になる。企業規模を問わず、自社の従業員の死を真摯に受け止めて、退職者健診を呼びかける、案外まじめな経営者も少なくないのだ。
じん肺患者の傷病補償年金移行問題―署のばらつきが大きすぎる
休業補償給付開始後一年半経過したところで、障害等級一〜三級に該当する被災者について、傷病補償年金に移行する。そのときは該当しなくても、一年ごとに症状の確認を行ない、該当すれば移行することになる。じん肺患者について言えば、よくなることはあり得ないので、一年半で当たり前のように移行する局もある。一方で一〇年以上休業補償を受給している被災者もいるのが、神奈川の実態である。それでも「短期」給付と言うのは皮肉なことだ。
ちなみに、各署の数字を見よう。
相模原・・・年金七人、「短期」一八人
厚木・・・年金一〇人、「短期」一七人
平塚・・・年金五人、「短期」六人
横須賀・・・年金四人、「短期」七三人
横浜西・・・年金一一人、「短期」一五人
横浜南・・・年金五人、「短期」二〇人
小田原・・・年金二〇人、「短期」一五人
鶴見・・・年金一七人、「短期」一〇人
藤沢・・・年金五人、「短期」七人
川崎南・・・年金三人、「短期」七人
川崎北・・・年金四人、「短期」六人
横浜北・・・年金五人、「短期」二五人
こうしてみれば一目瞭然。横須賀署は県内でも最もじん肺被災者が多いのに、年金に移行する人が、極めて少ないことがわかる。横須賀のじん肺患者の症状は軽いのか?そんなはずはない。横浜北と横浜南も、比較的年金受給者が少ないが、横須賀の数字はあまりにも「異常」だ。ほとんどの監督署が、一対一〜二の範囲内、小田原や鶴見では年金受給者のほうが多いぐらい。この差は一体何か。署長の判断で移行が決まるとはいえ、数年前まで「管理四しか年金に移行しないことになっている」と、交渉で堂々と述べていた労働局こそが、きちん説明してもらいたい。
上肢障害認定事例を作業態様や作業別に把握せよ―分析、公表で啓発・予防対策に活かせ
どこの監督署も明らかにしなかったのが、上肢障害の作業態様や作業別の数字。いくつかの監督署では、口頭で説明があったが、ほとんどの監督署が「把握していない」と回答。「みなさんが考えているほど重症事例はない」などと言う、ふざけた監督署もあったが、そういう問題ではない。労働局衛生課の資料によると、「手指前腕の障害および頸肩腕症候群」はたった一三件。いや、だまされてはいけない。一方、同じ労働局の労災補償課のデータでは、上肢障害は八七件も業務上認定されている。
確かに前者は会社が四日以上の休業が必要になった場合に報告するものであるが、数字の開きはあまりにも大きすぎる。対策を講じるためにも、ぜひ給付の際に明らかになった作業態様や実態を公表することは大きな意味を持つ。
石綿疾患の職種別データを明らかにせよ
厚生労働省は、いわゆるクボタショックの後に、認定事業場の公表に踏み切った。しかしながら、それは認定事業場のごく一部であり、その後認定された事業場などは全く公開されていない。
そして、監督署は、事業場名はおろか、石綿疾患に倒れた労働者の職種すら明らかにしようとしないのだ。実は、労災給付処理の過程で、全国の全労働基準監督署が、いろいろな細かいデータをエクセルで管理していることが明らかになっている。そこには病名や事業場名はもちろんのこと、職種も記されている。「把握していない」はずがないのだ。どういう仕事をしていた人が、何人ぐらい石綿被害を受けているのか。一言で造船労働者と言っても、いろいろな作業がある。これを労働者に提供することは厚生労働省の義務である。徹底的に追及したい。
(2007年7月17日追加)
旧大平製紙におけるアスベスト問題
ダイニック大平カンパニー退職者労働組合 組合長 田村光弘
アスベストをどこで使用していたのか
二〇〇五年クボタのアスベスト被害が新聞報道される中で、私は1964年の入社当時、アスベスト紙を製造していたことを思い出していたが、それほど深刻に考えていなかった。ところが、ある紙加工経営者が、ダイニック大平カンパニー(旧太平製紙)を訪れ、アスベスト製品を自分の会社に外注していないのか、尋ねてきたのだ。その経営者は中皮腫に罹患しており、取引先企業を調べて歩いていると言うのだ。
大平製紙の製紙部門は、二〇〇〇年に合理化のために閉鎖され、クボタの問題が公表された二〇〇五年時点には過去のデータがなかった。会社と退職者によって聴取調査が始まり、どのようなアスベスト製品が製造されていたのか、記憶のデータを掘り起こすことになった。
まず、大平製紙富士工場では、一九六一年〜七三年まで一三年間はアスベスト紙(白石綿)を製造していた。二〇〇〇年一〇月までは、積層板用難燃紙の定着補助剤として、アスベスト(白石綿)二〇%を使用していた。さらに、電気製品の内部の電気回路に使用されている基盤を造る積層板原紙をメーカーに納入していた。基盤は紙に樹脂をしみ込ませ、何枚も重ねて熱と圧力を加えて板にしていく過程で、クッション材として耐熱性に優れたアスベスト紙を使う。クッション紙を抄造する際に、アスベストとパルプ、または綿布原料が使われ、製品で白石綿を三〇%含有していた。
一九六四年頃は、下着で作業したり、上半身裸、腹巻姿で、直接麻袋を開けて、白石綿を投入していたものだ。作業終了後、大半の人たちは風呂に入ってから着替えて帰宅していたが、中には作業服のまま通勤している人もいた。ちなみにその人たちの配偶者二名が肺がんで亡くなっており、原因を究明している。
退職者労働組合の結成
大平製紙には、OB会という組織がある。二〇〇六年九月に、OB会交渉人一同が、会社と話し合いを持ち、富士宮市にある国立富士病院で、二三名がCTによる健診を受けた。そのうち一〇名が「胸膜肥厚斑」、その後二名が「じん肺」と診断された。現在、石綿の健康管理手帳を交付されたのは、一一名にのぼり、一名がじん肺の健康管理手帳を交付されている。
交渉人と会社の話し合いは、比較的スムーズに進んでいたが、アスベスト被害の潜伏期間、被害者全員の年齢を考えると、将来的にも制度の確立が必要不可欠であると考えた。安倍川製紙(現王子特殊紙)労働組合がアスベスト被害に取り組んでいるとの情報を得て、同労組の交流学習会に参加した。そこで、神奈川労災職業病センター、鶴岡弁護士、安倍川製紙労組の取り組みや、ニチアス退職者労働組合、アスベストユニオン結成などを知った。退職者が企業に被害補償要求をし、それを獲得することの重要性と同時に困難性も鑑み、私たちは、多くの人たちの知恵と協力を得て、二〇〇七年二月四日に、「ダイニック大平カンパニー退職者労働組合」を二三名で結成した。
補償要求内容
労働組合を結成したが、ゼロからの出発のため、安倍川労組の要求や王子特殊紙の補償制度などを参考に、以下のような要求をダイニック株式会社に申し入れた。
一 健康診断 アスベスト使用職歴を持つ者と、その配偶者の希望者に年一回の定期健診(レントゲン、CT)の実施と医療費・交通費の会社全額負担
二 医師選択の自由 健診・療養等の医師選択は、基本的に本人の自由とする
三 健康管理手帳交付者補償 アスベストによる肺の異常の確定者に見舞金一〇〇万円
四 アスベストによる疾病補償 アスベストによる健康被害(中皮腫、肺がんなど)の発病者に特別見舞金一〇〇〇万円
五 死亡補償 一律三〇〇〇万円、葬儀費用等は別途協議決定とする
六 療養補償 入院、自宅療養中の労災保険で支給されない諸必要経費を会社全額負担とする
七 その他の補償 家族や工場周辺住民への被害補償は、今後の協議決定事項とする
団体交渉と会社の回答
団体交渉は以下の通り開催され、継続中である。
第一回団体交渉(二〇〇七年二月二〇日)・・・要求書提出
第二回団交(三月二八日)・・・要求書説明
第三回団交(四月二七日)・・・会社側回答
第四回団交(五月三〇日)・・・回答に対しての再要求
第五回団交(七月五日)・・・前回検討課題の回答
会社側の回答は以下の通り。
一 健康診断 アスベスト使用の職歴を持つ者と配偶者の希望者に、二〇〇七年〜二〇〇九年まで、年一回の地元での健康診断を、医療費と交通費を全額会社が負担して行なう。継続については、三年後に退職者組合と再度話し合いを持って決める。
二 医師選択の自由 地元の医師による健康診断とする。健康管理手帳交付者については、次回回答とする。
三 健康管理手帳交付者への見舞金 今は考えていない。
四 アスベストによる疾病・死亡・療養補償 問題が現実に発生した時点で、事実に即して退職者組合と個別具体的に改めて話し合いを行なうこととする。
回答は満足できるものではないが、今後も交流会や学習会を通じて、アスベスト被害対策等を学び、要求獲得に向けて頑張っていきたい。
(2007年6月4日追加)
長年無視され続けた腰痛問題
会社が損害を賠償し4月16日協定書に調印!!
全造船機械労組いすゞ自動車分会 委員長 風呂橋 修
二〇〇四年九月に、いすゞ分会に加入した車両製造部で働く中村孝雄さん(四八歳)の労働災害の問題が解決した。
いすゞの労災隠し問題は今更の事ではない!
いすゞ自動車分会は結成二〇周年を迎えた。一九八七年、分会を結成したきっかけは「鶴見工場閉鎖合理化」。現在、分会の市川書記長が働いていた職場が無くなる!という事態を受けてのもの。ユニオンショップ解雇という、組合つぶしとの闘いから始まった。
しかしながら、実はその前から、神奈川労災職業病センターにお世話になりながら、労災認定の取り組みをしてきた。一九七九年、川崎工場で筆者と同じ職場で、重量物を取り付けるとき被災した青木さんの「頚椎捻挫」を労災と認定させた取り組みでは、センターの小野さんに大いに助けられた。一九八一年には、芯無研磨盤で指先切断した市村さんの労災裁判。残念ながら本人は交通事故で亡くなったが、会社が、「合理化によって当然配慮すべき安全環境面での整備徹底にかけ、被災者家族への説明・事実確認ならびに謝罪について充分でなかったことを認め」和解となった。そして、一九九八年には、藤沢工場の野島さんが腰痛問題を含め分会加入したときの、労災損害賠償協定書調印までの取り組み。こうした労災隠しの問題は後を絶たない。
中村さんの腰痛労災隠し
中村さんは、300〜400キログラムのエンジンの番号確認、搬送作業を行っている中で腰を痛めた。職制に伝え、診療所で受診をした。しかし、産業医は「労災ではない」と言い、職制は腰を痛めたときの状況すら調べず、「労災ではない」と言い張った。こうした中で、診療所での治療を繰り返していた。
中村さんは疑問を持ちつづける中で、外部の労働相談に電話で実態を説明したところ、「仕事中に痛めたのであれば労働災害になりますよ」との助言を受けた。この事を職制に告げたところ、「労災にはならない」と繰り返すばかり。挙句の果ては、「我慢して働くか、就業制限を引くか、辞めるかだ!」と言い放つ有様だった。結局、就業制限を引くことになった。この時には人事部も話に入っていたにもかかわらず、労災であるかどうかの検証すらしなかった。
いすゞ分会に相談し分会に加入…団体交渉で事実が明らかになる。
二〇〇四年八月、いすゞ分会が川崎工場閉鎖の中で藤沢工場に来たことで、中村さんは意を決して分会への相談をした。相談を受けた分会は、「労災隠し問題」などの法律違反があると判断し、分会に加入して団体交渉で事実を解明し、解決していくことにした。
〇四年九月八日、中村さんは「いすゞ自動車労働組合」に脱退届を手渡し、同時に分会は会社に対して中村さんの分会加入を通知し、団体交渉の開催を申し入れた。翌九日には団体交渉が開かれ、「要求書」を提出、団交が始まったのです。事実をなかなか明らかにしない会社に、次々と調査と労災申請を迫った。労災であるか否かを決めるのは労働基準監督署である。〇五年一〇月には、会社が時効内の部分を労災申請し、調査が続けられ、〇六年二月、藤沢労働基準監督署が労働災害を認定した。
発症の九三年まで遡っての損害補償獲得
いすゞ分会は、藤沢労働基準監督署の労災認定を受けて団体交渉を継続し、治療の時間内保証や継続した労災申請などを会社に実行させてきた。そして、〇六年三月に問題解決に向けた「要求書」を会社に提出する。要求の内容は、中村さんの腰痛問題が発生した一九九三年に遡って、労災を無視してきた事への謝罪と再発防止、労災であれば必要なかった治療費、休暇使用で対処してきた休暇の補償、時間外労働をさせなかった減収分の補償などの、損害賠償要求である。
会社は、分会の要求趣旨を認め回答。協議を続ける中で労使での合意に至り、〇七年四月一六日に横浜の「国際ホテル」において協定書の調印式が執り行われた。協定書の主な内容は以下の通り。
@、安全配慮の不備に対する会社の謝意の表明と、会社は再発防止につとめる。
A、腰痛問題での損害を解決金として支払う
B、一九九三年からの腰痛に関わる有給休暇損失分を〇七年度に付与する
C、症状固定した段階で障害が残った場合は、会社規定の業務災害補償見舞金を支給する。
中村さんは、現在も通院治療を続けながら働いている。また会社は分会の要求に従って、中村さんの労災について、改めて「業務上災害事例」として広報し、「職制は、災害が発生したら必ず状況を調べる」という事を改めて告げている。
一九九三年から、腰痛のために会社の診療所で何度も治療を受けてきた中村さん。これに対し、会社や産業医は、「労働災害ではない」と勝手に判断し労災申請すら行わないという法律違反を続けてきたのです。このいすゞの実態を会社として事実認識し、損害賠償を認め再発防止を確約させた取り組みとして大きな成果であるといえる。この取り組みについて、大きな力添えをいただいた「神奈川労災職業病センター」と「全造船関東地協」のみなさんの要求の立て方、交渉の技術的な示唆無くしては、勝ち取れなかったと感謝している。
(2007年4月10日追加)
(株)エーアンドエーマテリアル(旧朝日石綿)に
住民がアスベスト被害の謝罪と補償を要請!
3月16日、旧朝日石綿住民被害者の会(準)とよこはまシティユニオン、センターが(株)エーアンドエーマテリアルに対して、謝罪と補償を求める要請(別紙)を行った。当日は、旧朝日石綿住民被害者の会(準)のメンバー12名とユニオン3名、センター1名が参加。(株)エーアンドエーマテリアルからは児島総務部専門職、石井石綿対策室長が出席。旧朝日石綿住民被害者の会(準)代表の池田達哉さんから石井石綿対策室長に要請書を手渡した。
(株)エーアンドエーマテリアルは、既に自身のホームページで「ご関係の方々に対し誠意をもって対応する」と表明していることもあり、積極的な回答が期待されたが、この日は「本日正式要請があったので、これから検討したい。」と答えるにとどまった。この要請に対して「トップはどういう指示を出したのか?」に質問については「社内できちんと調査をしなさい。」との指示だったとのこと。これには、同社の従業員のアスベスト被害の上積み補償の問題で同様の要請をしてきたよこはまシティユニオンは、「要請にあるような情報公開と記者発表の問題については、今日初めて聞いた話ではないはず」と抗議。また、旧朝日石綿住民被害者の会(準)のメンバーからは、「以前に会社から紹介された病院の対応がひどかった。」という抗議もされた。
旧朝日石綿住民被害者らの初めての要請に対して、(株)エーアンドエーマテリアルの対応は、言う程に「誠意」が感じられるものではなかった。それは、何よりも企業の責任ある立場にある者が、そこに顔を見せてこないことにはっきり表れている。アスベストの住民被害をめぐる企業の対応には、すでに先行してクボタやニチアスの前例がある。クボタはトップが記者会見して謝罪。アスベスト被害のネガティブ情報についても全面的に情報公開している。一方のニチアスは、被害者を組織した退職者労組との交渉を拒み続けている。(株)エーアンドエーマテリアルが今後の対応でどのような「誠意」を見せてくるのか?
最後に私たちは、(1)正式回答は1ヶ月以内にすること(2)企業の責任ある立場のものが出席すること、の2つの条件をつけて、誠意ある回答を迫った。
(株)エーアンドエーマテリアル 取締役社長 山 下 茂 幸殿
旧朝日石綿住民被害者の会(準) 代 表 池 田 達 哉
よこはまシティユニオン 執行委員長 村 野 元 清
(社)神奈川労災職業病センター 理 事 長 斎 藤 竜 太
周辺住民のアスベスト被害に関する要請
すでにマスコミでも報道されているように貴社の旧横浜工場周辺で中皮腫や肺がん、胸膜肥厚斑などの住民のアスベスト被害が広がっていることが明らかになりつつあります。そのため、貴社においても、新聞への広告や地元自治会への回覧板による案内を通じて、会社の費用負担による周辺住民の健康診断を実施されているところです。 また、周辺住民で中皮腫で亡くなられた2名の遺族に対しても補償などの問題で「誠意をもって対応していく」という意志を表明されています。
しかしながら、なお当該工場の周辺に居住していた多くの住民にアスベストの危険と健診などの必要が十分に周知されているとは言えません。特に区外に転居した当該周辺住民にとっては回覧板という周知方法はあまり有効とは言えません。
貴社がわが国における建材メーカーの先駆けとして戦前から長期にわたって事業活動を続けてきた実績とその社会的役割はこの鶴見という地域では極めて大きいものがあります。そのような貴社の立場からするならば、広く記者発表をもって、真摯に反省の姿勢を示し、負の部分の情報公開を含めて事業活動の透明性を確保することこそふさわしいのではないでしょうか。そして、そのような企業としての社会的責任ある立場に立って周知を徹底させることが企業の信頼性回復につながると私たちは考えるものです。 補償問題の早期解決をはかっていくためにも、以上のような私たちの考え方を前提として、以下の要請を行うものです。
記
1.企業活動の透明性の確保という見地から、アスベスト被害に係わる以下の旧横浜工場を中心とした全面的な情報公開を行うこと。合わせて、すでに公開されている「弊社におけるアスベスト(石綿)関連情報について」(2005年8月2日付け)などを見直して、ホームページなどの情報公開の仕方を工夫すること。
(1)旧横浜工場において使用されたアスベストの種類と量、作業工程と安全対策、作業環境測定結果のデータ等
(2)旧横浜工場の従業員及びパート・アルバイトの実態、関連企業及び下請け業者の実態
(3)各工場別の従業員被害の実態(労災認定、じん肺の管理区分決定、健康管理手帳取得者の事業所ごとの最新の内訳、数)
(4)住民被害への対応(健康診断の最新の受診者数・受診結果の内訳、費用請求の手続き等)
2.当該の周辺住民に対しては、区外に転居していることを考え合わせて、新聞への広告や地元自治会への回覧板による案内ばかりでなく、クボタのように記者発表するなどして周知を徹底すること。
3.健康診断の対象者については、医療費や交通費の負担ばかりでなく、休業補償も行うこと。また、石綿関連所見有所見者について、将来にわたって健康リスクを負うものとして、迷惑料?3万円の支給を見直し、補償を含めた一律な対応を継続的に行うこと。
4.工場周辺に住居や職場があったために中皮腫、肺がんなどの重篤な石綿疾患を発症した患者、遺族に対しては誠意をもって話し合いに応じ、謝罪するとともに十分な補償を行うこと。
(2007年3月6日追加)
旧朝日石綿横浜工場周辺で住民2名が
中皮腫で亡くなっていた
石綿救済法で特別遺族弔慰金
2月12日(水)、私たちセンターは旧朝日石綿横浜工場周辺で住民2名がアスベストによる中皮腫で亡くなっていたという事実を公表した。いずれも同工場周辺に長期間居住歴のある方で、環境曝露が原因として石綿救済法で認定されたもの。同工場周辺の住民の中皮腫の被害としては初めてのものである。石綿工場周辺に広がる住民のアスベスト被害としては、これまで関西でクボタやニチアスの工場周辺で発生していることが明らかにされてきたが、関東では埼玉県羽生市の曙ブレーキ工業の工場周辺を除いては、いまだ十分な掘り起こしがなされていない。
3年前に中皮腫で亡くなった夫は、旧朝日石綿横浜工場周辺の環境曝露によるものだった!
昨年7月25日、NHKのニュースで旧朝日石綿横浜工場周辺の住民のアスベスト被害のことが報道されたのを見て、「もしかして3年前に中皮腫で亡くなった夫もそうだったかもしれない。」と、遺族のTさんは電話相談をしてみたと言う。Tさんの夫は、1960年〜1969年の9年間鶴見区内に居住し、その間は鶴見区役所にも勤務していた。旧朝日石綿横浜工場が閉鎖されて、茨城に移転したのが1975年。中皮腫の発症まで潜伏期間30年〜40年を考えれば、石綿曝露した時期とピッタリ重なる。それに、住んでいた独身寮も区役所も、旧朝日石綿横浜工場から500メートルしか離れていない。尼崎のクボタ旧神崎工場周辺に多発した中皮腫の被害者が1.5km以内に居住していたことと照らし合わせても、旧朝日石綿横浜工場の石綿による曝露の可能性が十分に考えられる。
Tさんは、ただちに「石綿による健康被害の救済に関する法律」に基づいて環境再生保全機構に特別遺族弔慰金等の救済給付の請求を行った。しかし、よく考えてみると、工場周辺の近隣曝露ということでは、距離的にはより近い鶴見区役所で勤務中に曝露したとも考えられる。
鶴見区役所で勤務中に石綿曝露したのであれば、当然公務災害として認定されるべきだ。石綿救済新法の特別遺族弔慰金等は葬祭料を入れても、せいぜい300万円の一時金で公務災害認定による遺族年金と比べるとかなりの差がある。公務災害として認定されるに越したことはない。ところが、どこで石綿曝露したのかについては、鶴見区役所の建物に使用されていた石綿が原因であることも考えられた。そこで、Tさんは、鶴見区役所の旧庁舎の設計図面を取り寄せて調べた。その結果、あまり人が立ち入ることのない倉庫や機械室に吹き付けアスベストが使われているものの、庁舎内の天井や壁には使用されていないことがわかった。だとすれば、やはり距離的にも近い旧朝日石綿横浜工場の石綿が飛散してきたのか?尼崎のクボタ旧神崎工場周辺に多発した中皮腫の被害者の中には、環境曝露による市役所職員のアスベスト被害者もおられるということである。2006年12月22日には環境再生保全機構から認定の通知がきたが、旧朝日石綿横浜工場の石綿が原因とした公務災害の申請の手続きも準備している。
18年前に中皮腫で亡くなった母は、旧朝日石綿横浜工場近隣に住んでいた!
昨年11月11日(土)に開催された講演・シンポ「クボタ問題から住民のアスベスト被害を考える」の会場アンケートの相談欄に「平成元年××月××日母悪性中皮腫にて死亡」と書いてあったのが相談の直接のきっかけだった。この講演・シンポは、尼崎市のクボタ旧神崎工場周辺で多発した住民のアスベスト被害の疫学調査をされた奈良県立医科大学の車谷教授を講師に迎えて開かれたものだが、事前に鶴見地区に各戸配布された旧朝日石綿横浜工場周辺の鶴見区住民が多数参加していた。その参加者の一人からの相談であった。
講演・シンポの後でセンターの事務所で相談を受けると、相談者は18年前に中皮腫で亡くなった母親のことを語りはじめた。持って来られた診断書には、「左肺は完全に虚脱し、CTでは著名な胸膜肥厚と胸水貯留を認めた。胸水を排除、胸膜生検の結果、悪性胸膜中皮腫と診断した。」と書かれていた。亡くなられたのは、1989年1月で、当時は悪性胸膜中皮腫という病気がとてもめずらしいということで県立がんセンターの主治医から「解剖させてください」と頼まれたと言う。だが、当時は解剖もまったく研究が主目的でその原因がアスベストであり、補償の対象にもなるということはまったく問題にならなかった。あれから、20年近く相談者である息子さんも定年を過ぎ、高齢である。そこに降って湧いたのがクボタのアスベスト問題であり、旧朝日石綿の横浜工場周辺に広がる住民被害の問題だった。相談者のHさんは、母の死はとうに昔のことで忘れかけていたが、もしや近くにあった旧朝日石綿工場と関係があるのでは、と思って相談に来たという。
Hさんの母親の故S子さんの居住歴を簡単に示すと以下の通り。
1916年 横浜市港区T町に生まれる
1937年 Hさんの父と結婚し、横浜市鶴見区A崎に住む
1945年 横浜市鶴見区豊岡町に転居
1975年 旧朝日石綿横浜工場閉鎖
これから、Hさんの母親は戦前から鶴見区に移り住み、戦後は線路を隔てて約100m程しか離れていない旧朝日石綿横浜工場のすぐ近くにずっと住んでいたことがわかる。主婦であったため家族曝露が原因の中皮腫の可能性も考えられたが、夫であるHさんの父の職業は事務職であり、これは否定された。環境曝露が原因の中皮腫に間違いないのではないかと。Hさんはすぐに石綿救済新法に基づく請求を決意した。
そして昨年の11月22日に環境再生保全機構に申請。死亡診断書等の書類が揃っていたために、審査手続きは思っていたより早く、今年1月30日に同機構から認定の通知が来たのである。尼崎のクボタの工場周辺であれだけ問題になったアスベストの住民被害。だが、この横浜では、まだまだ関心が薄くマスコミにもあまり取り上げてもらえないのが現状だ。
これらの2つの事例は、いずれも私たちセンターが問題の工場周辺でチラシを各戸配布したり、講演やシンポジュウムを開催するなどの取り組みを通して掘り起こされてきたものである。その中で痛感したことは、アスベスト被害の発生源となる石綿工場がどこのあるか、住民には十分には知らされていないということである。その工場がすでに閉鎖されていればなおさらのことである。その意味でも企業や行政の情報公開が不可欠と考える。(西田)
(2007年2月13日追加)
旧国鉄アスベスト裁判提訴!
1月29日(月)午後1時半、旧国鉄大船工場で24年間電車等の修理・改造作業に従事し、悪性胸膜中皮腫で亡くなられた加藤進さんの損害賠償裁判が横浜地方裁判所に提訴されました(第7民事部 平成19年(ワ)第276号)。JR・旧国鉄、民間の鉄道会社を通じてはじめてのアスベスト裁判です。旧国鉄の地位を継承した独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構(国鉄清算事業本部)に対して死亡慰謝料など3245万円を損害賠償請求するもので、原告は故加藤進さんの遺族であり、娘である大前麻衣さんです。
訴状では、旧国鉄の安全配慮義務違反として、ア.アスベストの代替品を使用することなく漫然とアスベストを使用していた、イ.アスベスト粉じん対策を怠っていた、ウ.防じんマスクや防護服などに着用を義務けることをしなかった、エ.湿化などアスベスト粉じんの飛散防止を怠った、オ.局所排気装置による対策をとらなかった、カ.安全教育する義務を怠った、などの点を挙げて、被告である旧国鉄の債務不履行による損害賠償の責任を問うています。また、旧国鉄が注意義務を怠った過失があり、民法709条の不法行為による損害賠償も負うとしています。
故加藤進さんも生前に「抵抗器の吹くとき、ホコリがひどく」「石綿の断熱材を巻いたパイプを梃子で抜いて破砕して落とすと、白い粉(アスベスト)が周辺に飛び散った。マスクもないので、ホコリや白い粉をたくさん吸い込んだ。」と語っていたことから、旧国鉄が安全配慮義務を怠っていたことは明らかです。
提訴後、午後2時より横浜弁護士会5階の大会議室で記者会見。提訴にあわせてJR関内駅南口でビラ撒きをした支援団体のメンバーが入ると広い会議室も一杯に。記者会見では、弁護団の代表格である古川武志弁護士が本件訴訟の主旨を説明。「個別救済(遺族に対する十分な補償)にとどまらず、多くの企業がアスベスト被害者の労災上積みを補償するようになった流れの中で、被告である支援機構(国鉄清算事業本部)は、これを頑として認めようとしない。そのために本件訴訟で勝利して、上積み補償の制度をつくらせたいこと。また、アスベスト問題についての関心が低くなっている中で、被害の広がりと深さを、この訴訟を通じて、社会に示したい。合わせて旧国鉄・JRでまだ眠っているアスベスト被害を掘り起こしたい。」などのことを訴訟の目的としていることを強調しました。
原告の大前麻衣さんは、「父は自分がなぜ中皮腫になったかもわからないまま亡くなった。裁判を通じて、父と同じ病気になる可能性のあるたくさんの同僚の方々にアスベストの危険や被害のことをもっと知ってほしい。」と訴えました。
夜のNHKのニュースウォッチ9では、麻衣さんがアスベストの危険を知らされずして中皮腫でなくなった父への思いを涙ぐんで語る場面もあり、「全国の元同僚10万人に危険性を知ってもらいたい」という麻衣さんの記者会見での切なる訴えは十分に伝わったと思います。これに対して、支援機構(国鉄清算事業本部)は、当初25日(木)のNHKニュースでは「当時から安全管理に力を入れていた」とコメントしていたにもかかわらず、提訴当日になって「訴状を見ていないのでコメントできない」とコメントしなおすなど対応に混乱が見られました。また、読売新聞の記事(1月30日付け)では、旧国鉄に上積補償がなく、JRなどと格差があることについて、「公金は使えない」とコメントするなど、アスベスト被害の上積補償を認めていく社会の流れに逆行する考え方を示しています。その支援機構 (国鉄清算事業本部)は、裁判提訴直後に、それまで各所属職場ごとの業務災害の認定件数しかホームページで公開していなかったものを全面的に改訂しました。(http://www.jnrsh.jrtt.go.jp/)それによると、請求件数167件でうち認定は67件、不認定が45件、審査中が55件となっており、まだまだ請求件数も少なく、認定率も60%程度と低いままにとどまっているようです。
この結果を見ても、旧国鉄の10万人に上ると言われる石綿曝暴露作業従事者に対する周知がまったく不十分なことは明らかです。旧国鉄アスベスト裁判に大きな支援をお願いするとともに全国の旧国鉄・JRのアスベスト被害者の掘り起こしをさらに押し進められるようご協力をお願いしたいと思います。なお、第1回口頭弁論期日は3月27日(火)午後1時半横浜地裁1回101号法廷となりました。是非傍聴を!
(2007年1月12日追加)
発症から6年、相談から3年、通院から2年「うつ病」業務上認定までの道のり
川崎市に住むFさんの「うつ病」が労災認定された。IT職場で働き、過労で倒れてから6年余り、相談に来られてから3年、通院するようになってから2年が経過している。2006年11月4日の毎日新聞夕刊にも大きく掲載されたが、さらに詳しく紹介したい。
IT産業の最前線で
2000年6月、Fさんは『レベルスリーコミュニケーションズ株式会社』(現在は他社に吸収合併されている)に入社した。同社は米国に本部をもつ、IP(電話、メール、動画などを距離と関係なく低価格で通信を行なう技術)の先駆け的な会社である。日本法人は2000年にできたばかりで、会社としては日本の市場を調査・開拓しながら事業展開する過程にあった。
担当は、マーケティングで、アジアの拠点の香港法人と連絡、了承をとりながら仕事を進める。同時期に20人ぐらい入社したが、当時は全体で40人ぐらいしか社員はいなかった。Fさんの部署に上司は一人、同僚は二人いたが、各々ほとんど一人作業であった。朝から晩まで、基本的にずっとコンピューターに向かって仕事をしていた。