「警視総監公舎爆破未遂」フレームアップ事件
国家賠償請求訴訟 上告理由書など

 
              前口上(福冨弘美:2001年12月31日)
 

 以下に紹介するのは、標記「総監公舎」国賠の上告理由書等です。本件は、既報のとおり2001年12月20日に上告棄却と上告受理申立ての不受理が決定しました。理由は、「(上告理由について)民事事件で最高裁に上告が許されるのは民訴法312条1項または2項所定の場合に限られるところ、本件上告理由は、違憲及び理由の不備・食い違いをいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって、明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。(上告受理申立てについて)本件申立ての理由によれば、本件は、民訴法318条1項の事件に当たらない」というものです。
 要するに「理由はない。門前払いだ」ということです。冤罪事件国賠訴訟で、国(検察)の責任逃れのために毎度使われる「刑事裁判で無罪が確定したからといって、国賠法上直ちに違法となるわけではない」というかの有名な決まり文句も書かずに、最小限のゴム印を押したような最短の文章で棄却したわけです。当方は、しつこくその決まり文句の無意味さと、それ故の効用を指摘していたから、使いにくかったのかもしれません。しかし、それよりなにより、当方が待ち構えている理屈を展開することが得策でなく、なおかつ屁理屈を考えるより考えないほうが楽である、ということに落ちついたのでありましょう。1点余分な付け足しが「明らかに(上記理由に該当しない)」と力んだところです。明らかな根拠を一切示すことなしに、強がってみたところで、力みの裏側が透けて見えるというものでしょう。
 なにはともあれ「実質は事実誤認又は単なる法令違反にすぎない」というのであれば、当方の上告理由そのものを公開して、それが事実なのかどうかを広く市民に検分してもらう必要があろうかと考えるわけです。
 2000年からスタートした新民訴法では、民事事件の上告が大幅に制限されました。上告理由は、原判決が違憲か判決理由に不備・食い違い(齟齬)がある場合に限られ、従来認められていた経験則・論理則違反、法令違反、判例違反あるいは重大な事実誤認は一切対象外となり、それらについては、上告受理申立ての理由に限定されたのです。ただし、上告受理を認めるかどうかは、最高裁が従来の法解釈や判例を変更しようとする場合に恣意的に行うのであって、決定に対する異議申立てはできないことになっています。ということで、当方は、下記資料のとおり、上告理由は違憲と国際人権規約違反および理由の不備・食い違い、そして違憲と密接に結びついた法令違反にしぼり、上告受理申立てでは、主に経験則、論理則違反、最高裁判例違反等を主張しました。
 内容は、膨大な資料編を除いた最高裁宛提出書面のすべて(2001年7月2日付の上告理由書、上告受理申立て理由書、同年8月1日付の各補充書)で、省略なしの全文です(補充書には理由書の正誤表がついていますが、その内容は本文上で修正済み)。ただし、官憲以外の人名について、当事者は「F×××」「F×」、第三者は「高×××」「高×」のように伏せてあります。


以下、4つの文書があります。

  
上告理由書 (2001.7.2)

  上告受理申立て理由書 (2001.7.2)

  上告理由書の訂正及び補充等 (2001.8.1)

  上告受理申立て理由書の訂正及び補充 (2001.8.1)




平成13年(ネオ)第323号・(原審・東京高等裁判所平成9年(ネ)第317号・第333号)
    最 高 裁 判 所  御中

            上  告  理  由  書

  上告人(一審原告、二審333号事件控訴人兼317号事件被控訴人)
                          福 冨 弘 美
                            外4名(略)
     上記5名訴訟代理人      弁護士   伊 藤 ま ゆ
          同            弁護士   後 藤 昌次郎
          同            弁護士   大 口 昭 彦
                            外2名(略)
  被上告人(一審被告、二審333号事件被控訴人) 国
            代表者法務大臣       森 山 真 弓
  被上告人(一審被告、二審317号事件控訴人兼333号事件被控訴人)
                          東  京  都
            代表者東京都知事      石 原 慎太郎
  被上告人(一審被告、二審333号事件被控訴人) 山 本 達 雄
     同                    松 永 寅一郎
  事件名  警視総監公舎爆破未遂等無罪国家賠償請求上告事件

              目     次
第1 上告理由の表示
 一 憲法32条、市民的及び政治的権利に関する国際規約14条1項
   並びに憲法39条及び上記国際規約同条6項違反(民訴法312
   条1項)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1
 二 憲法17条、国家賠償法1条1項違反(民訴法312条1項)・・・ 1
 三 理由不備と食い違い(理由そご)(民訴法312条2項六号)・・・ 2
第2 前提となる事実
 一 上告人らに対する逮捕・勾留・起訴・・・・・・・・・・・・・・・ 2
  1 上告人ら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
  2 「警視総監公舎爆破未遂事件」等・・・・・・・・・・・・・・・ 4
 二 刑事裁判・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4
  1 上告人N×の分離公判・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4
  2 上告人T×の分離公判・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5
  3 統一公判・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5
  4 上告人N×の控訴審・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6
 三 民事裁判・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6
  1 第一審・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6
  2 第二審・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6
 四 本件刑事事件の特質・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7
  1 二重の無実事件・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7
  2 検察官による上訴権の放棄・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7
  3 公訴提起時の証拠に基づく無罪・・・・・・・・・・・・・・・・ 7
  4 本件刑事裁判に対する社会的評価・・・・・・・・・・・・・・・ 8
第3 憲法32条等の違反
 一 上告人らの主張を歪曲・無視した原判決の違法・・・・・・・・・・ 8
 二 争点を超越した原判決の認定の違法・・・・・・・・・・・・・・・ 12
 三 原判決の「基本的立場」の違法・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12
 四 結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20
第4 憲法17条等の違反
 一 原判決と憲法17条・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21
 二 憲法17条と国家賠償法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21
 三 故意又は過失と違法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23
 四 濫訴の恐れと現実・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23
 五 国家無答責に通ずる原判決の違法・・・・・・・・・・・・・・・・ 24
 六 結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25
第5 理由の不備・食い違い
 一 原判決の論理矛盾・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 26
 二 上告人らの主張・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 28
 三 逮捕状取得や公訴提起にあたって判断材料とした資料・・・・・・・ 29
 四 アリバイについて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 30
第6 結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 32

第1 上告理由の表示
   上告理由の趣旨は以下のとおりである。詳細は別項に述べる。
 一 憲法32条、市民的及び政治的権利に関する国際規約14条1項並びに憲法39条及び上記国際規約同条6項等違反(民訴法312条1項)
  (1)原判決は、原審における上告人らの主張を著しく歪曲または黙殺したうえ、それを前提にして成り立つ予断と偏見にとらわれた判断をくだすとともに、当事者が争点としていないアリバイの存否などについて独自の認定をし、また、長年月にわたる刑事裁判の結果、無罪を獲得し、検察官もそれを受け入れて控訴権すら放棄せざるを得なかった刑事事件の被告人であった上告人らが、真犯人でないと断定されたわけではないなどと認定している。
  (2)これらは、上告人らの公正な裁判を受ける権利を実質的に奪い、また、著しく正義に反するものであって、憲法32条「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」の規定、市民的及び政治的権利に関する国際規約14条1項「すべての者は、裁判所の前に平等とする。すべての者は、その刑事上の罪の決定又は民事上の権利及び義務の争いについての決定のため、法律で設置された、権限のある、独立の、かつ、公平な裁判所による公正な公開審理を受ける権利を有する」の規定に違反している。
  (3)さらに原判決は、憲法39条「何人も、既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」の規定、及び市民的及び政治的権利に関する国際規約14条7項「何人も、それぞれの国の法律及び刑事手続に従って既に確定的に有罪又は無罪の判決を受けた行為について再び裁判され又は処罰されることはない」の規定の趣旨をふみにじるとともに、これらの規定を具体化した民事訴訟法2条「裁判所は、民事訴訟が公正かつ迅速に行われるように努め、当事者は、信義に従い誠実に民事訴訟を遂行しなければならない」に違反するものである。
 二 憲法17条、国家賠償法1条1項違反(民訴法312条1項)
  (1)原判決は、上告人らの主張を著しく歪曲あるいは無視・黙殺したうえ、 予断と偏見にとらわれた事実認定のもと、その賠償請求権を極端に制限的に解釈し、一部を除き請求を退けた。
  (2)これは、憲法17条「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる」の規定に違反するもので、同条に基づいて制定された国家賠償法が1条1項に「国又は公共団体の公権力行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずる」と規定して旧憲法下の国家無責任主義を廃棄するとともに、冤罪者を含む不当な公権力行使によって損害を受けた者の救済を目的に制定された経緯を無視し、同法同条の解釈適用を誤ったものである。
 三 理由不備と食い違い(理由そご)(民訴法312条2項六号)
   原判決には、上告人らの主張を無視あるいは歪曲した当然の結果として、あるいはその他の要因によって、後述するとおり判決に影響を及ぼすことが明らかな理由不備と食い違い(理由そご)があり、また、結論に影響を及ぼすことが明らかな経験則違反、論理則違反がある。

第2 前提となる基本的事実
   この項では、当事者間で事実上争いのない範囲で経過等の概要を述べる。
 一 上告人らに対する逮捕・勾留・起訴
  1 上告人ら
    上告人F×××(一審原告、二審控訴人兼被控訴人。以下、上告人F×という)は、1934(昭和9)年1月10日(本件は対象となる時期が昭和・平成の長年月にわたっているので連続性を明解にするため、以下の記述は原審におけると同様に西暦表記を基本とする。とくに年の表記がないのは刑事事件が発生した1971=昭和46年である)生まれの男性で、1958(昭和33)年早稲田大学教育学部を授業料滞納で除籍。1971年当時はフリーランスのジャー ナリストであった。
  上告人N×××(以下、上告人N×という)は、1947(昭和22)年12月9日生まれの男性で、1969(昭和44)年日本大学文理学部物理学科を授業料未納で除籍。1971年当時はフリーアルバイターであった。
  上告人S××(以下、上告人S×という)は、1948(昭和23)年2月14日生まれの男性で、1969年日本大学文理学部中国文学科を授業料未納で除籍後、1971年当時は父由太郎とともに家業であるプラスチック加工業・美田合成の経営に従事していた。
  上告人K×××(以下、上告人K×という)は、1948(昭和23)年10月24日生まれの男性で、1969年日本大学文理学部中国文学科を授業料未納で除籍後、1971年当時はフリーアルバイターであった。
  上告人T×××(以下、上告人T×という)は、1947(昭和22)年11月3日生まれの男性で、1969年日本大学経済学部を中退後、1971年当時は映画制作プロダクションの照明係に従事していた。
  訴外I×××は、1942(昭和17)年4月3日生まれの男性で、1968年日本大学芸術学部文芸学科を授業料未納で除籍後、1971年当時は著述業のかたわら妻Z×とともに新宿でスナックバーを経営していた。
  上告人S×、同N×、同K×は、1968年、日本大学の不正経理に端を発する日大闘争に参加し、同じ文理学部に属していたことから友人関係になった。なお、上告人S×らの後日の自白によって、本件の共犯者として指名手配される訴外S2××は、日大文理学部で上告人K×らの友人である。上告人T×も日大闘争に参加したが、キャンパスが異なるためS×らとの交友関係はなく、闘争消滅後、アルバイト等を通じてI×とともにK×らと知り合いになった。I×は日大闘争時、すでに在学していなかった。上告人F×は日大闘争時全共闘の対外的活動を行っていた同K×と知り合い、同人を通じて同S×、同N×と顔見知りになっていた。
  2 「警視総監公舎爆破未遂事件」(総監公舎事件と略)等
    1971年8月7日午前2時ころ、東京都千代田区警視総監公舎の前庭に何者かが爆弾ようのものを所持して侵入し、警備の警察官関昭夫に発見され追跡されたが、爆弾ようの物体を放置あるいは設置したうえ邸外で待機していた乗用車で逃走した。警視庁公安部、刑事部及び麹町警察署からなる捜査機関(警視総監公舎爆破未遂事件準捜査本部)が編成され、直ちに捜査を開始したが、被疑者を特定するに至らぬまま、上記準本部は同年11月6日、上告人F×及び同N×を、同年5月7日、東京都小金井市で発生したとされる中古乗用車多5せ4323号車窃取事件(4323車窃盗事件と略)の被疑者として逮捕した。引き続き同月17日、同じ被疑事実で上告人S×を、同月23日同K×、同月25日同T×××及び訴外I×××をそれぞれ同じ被疑事実で逮捕した。
  同月27日、東京地方検察庁は上告人F×を釈放し、同N×を起訴した。同年12月8日上告人S×を、同月14日には同K×、同T×及びI×を起訴した。
  同年12月15日、前記準捜査本部は上告人F×、同N×、同S×、同K×、同T×及びI×を総監公舎事件について、爆発物取締罰則(爆取と略)違反被疑者として逮捕した。1972年1月5日、東京地検は、上告人F×、同N×、同S×、同K×及びI×を前記爆発物取締罰則違反により公訴提起した。上告人T×については、総監公舎事件発生時に郷里の愛知県に帰省していた事実が確認されたため、不起訴となった。
  1972年7月18日、警視庁公安部は、上告人F×を坂口弘・永田洋子を自宅に一泊させて蔵匿したとする犯人蔵匿被疑事件で再々逮捕した。同月29日、東京地検は上告人F×を前記犯人蔵匿被告事件で起訴した。
 二 刑事裁判
  1 上告人N×の分離公判
  1972年2月17日、東京地方裁判所刑事第3部(地刑3部と略)で上告人N×の分離公判が開かれた。同人は、警視総監公舎爆破未遂事件準捜査本部(準捜査本部と略)がおかれ、窃盗事件逮捕後終始在監していた麹町署の代用監獄から出廷し、起訴事実を認めたが、総監公舎事件については、爆弾は威力に乏しいものと聞いていた旨を述べた。同N×が総監公舎事件を自白した後新たに選任した弁護人は、窃盗事件を認めたうえ、総監公舎事件については本件爆弾が爆取のいう爆発物に該当しないから無罪である旨を最終弁論で主張した(甲106号証)。同年4月5日、第4回公判で地刑3部は同N×に対し懲役5年の実刑判決を言い渡した。上告人N×は控訴して、いずれの事件についても無実を主張し自白を撤回した。
  2 上告人T×の分離公判
    同年2月24日、上告人外狩の窃盗被告事件公判が東京地裁刑事第28部で開かれ、同T×は起訴事実を否認した。同年9月12日第7回公判で、同人は地刑2部の上告人F×らの公判への併合を申請した。
  3 統一公判
    同年3月23日、上告人F×、同S×、同K×及びI×の統一公判が、東京地裁刑事第2部(地刑2部と略)で開かれ、全員がそれぞれの起訴事実を否認し、本件が違法な捜査の結果、捏造された自白に基づく虚構にすぎず、共犯者とされた上告人N×を含め全員が無実であることを主張した。
  地刑2部では、1976年1月26日の公判から、上告人T×の4323車窃盗事件公判及び同F×の犯人蔵匿事件の公判が併合された。同F×の犯人蔵匿事件公判は、1973年6月15日から1975年7月16日の第17回公判まで地刑2部で別に行われていた。なお、犯人蔵匿事件は、窃盗事件及び爆取事件と異なって外形的事実には争いがなく、上告人F×及び蔵匿対象とされた坂口、永田の自白もないまま、犯罪構成要件成立の有無、坂口らに関連する同種事件のなかで、総監公舎事件被告人の地位にあった上告人F×に対する差別的な適用の可否などが争点であった。
  1983(昭和58)年3月9日、地刑2部は、第203回公判期日に上告人F×、同S×、同K×、同T×及びI×に対し、4323車窃盗事件、総監公舎爆破未遂事件、犯人蔵匿事件につき、いずれも無罪の判決を言い渡した。これに対して検察官は控訴権を放棄し、無罪判決が確定した。
  上告人らの逮捕後、身の危険を感じて姿を消したSA××は、警視庁から重要爆弾犯人として全国指名手配され、写真入りポスターが11年間全国に掲示された。同人は、上告人らの無罪確定を知って、同年4月1日東京の司法記者クラブで会見を行い、自分も無実であると訴えた。警視庁は、同人に対する逮捕許可状を裁判所に返還した。
  4 上告人N×の控訴審
    上告人N×の控訴審は、1972年9月28日から、東京高裁第10刑事部(高刑10部)で開かれた。地刑2部と同じ構成による弁護人が選任された。
  1983年2月、地刑2部判決を待って一時中断した上告人N×の控訴審は、同年3月の前記無罪判決確定を受けて準備手続きを進め、地刑二部との証拠の同一化を図ったうえ、同年10月4日の第100回公判期日に最終弁論を行い、検察官は争いを放棄した。高刑10部は、同年12月15日第101回公判期日に上告人N×に対し原判決破棄、無罪の判決を言い渡した。検察官は上告せず、無罪判決が確定した。
 三 民事裁判
  1 第一審
   1986年3月8日、上告人F×、同N×、同S×、同K×、同T×は、国、東京都、起訴検事山本達雄、捜査主任官松永寅一郎を相手どって国家賠償請求訴訟を提起した。東京地方裁判所民事第26部は、同年5月13日第1回口頭弁論期日から1996年7月30日、第49回口頭弁論期日まで審理を行い、1 997年1月14日、第50回弁論期日に原告請求を一部認容する判決を言い渡 した。この判決に対し、上告人ら及び第一審被告東京都はそれぞれ控訴した。
  2 第二審
    東京高裁第19民事部は、1998年2月5日、第1回口頭弁論期日を開き、2001年3月13日、第12回口頭弁論期日に弁論を終結し、同年4月17日第13回期日に本件控訴をいずれも棄却の判決を言い渡した。
 四 本件刑事事件の特質
  1 二重の無実事件
    上記のとおり、本件刑事事件は、上告人らに対する最初の身柄拘束の理由とされた別件の窃盗事件と、本来の狙いであった爆取事件のいずれもが無罪で決着し、さらに後日上告人福冨が追起訴された犯人蔵匿事件も含めて、すべて無罪に終わった特異な事件である。この国の冤罪事件では、当初の身柄拘束に際してきわめて軽微な別件が利用された事例が多いが、別件に本来身柄拘束が必要であったか否かといった問題はあっても、身柄拘束を実現した別件そのものが無罪に終わったものは前例がないと考えられる。
  2 検察官による上訴権の放棄
    分離公判で自白を維持した上告人N×は、わずか4回の公判で有罪となったが、全員が無実を主張した統一公判は、203回の公判を経て前記のとおり無罪で決着した。いわゆる重要公安事件で検察官が控訴権を放棄せざるをえなかったものも前例がない。検察官は、上告人N×の控訴審でも争いを放棄し、同人の無罪も確定した。
  3 公訴提起時の証拠に基づく無罪
    窃盗及び爆取事件における検察官の主張は、刑事裁判判決に明らかなように、公訴提起時に収集されていた証拠資料に基づくものであり、一部被疑者らの自白調書が主要な証拠を構成していた。4323車窃盗事件では、上告人N×に続き同S×、同T×及びI×が自白調書を作成されている。総監公舎事件では、窃盗事件取調べ中あるいは起訴後に、上告人S×及び同N×が火薬類取締法(火取と略)違反の被疑罪名で一件ストーリーを物語る自白調書を作成され、それに基づいて爆取逮捕が行われた。そして、上告人らの無罪は各自白の信用性が否定されたことによって導かれた結論であって、公判開始後明らかにされた証拠が決定的な意味を持ったのではない。
  4 本件刑事裁判に対する社会的評価
    総監公舎事件は、事件発生時には「警察要人を標的とする初のテロ」として実害を伴わなかったにもかかわらず大々的に報道され、3か月後の上告人らの最初の逮捕は「3億円強奪事件以来の別件逮捕」(甲82ないし86号証)として、さらに相次いで死傷者を出すに至る爆弾事件が続発するさなかに行われた爆取逮捕は「爆弾事件初解決」と報道された(甲87ないし89号証)。その後11年の時を隔ててくだされた東京地裁判決が、前記の特質に加えて「冤罪を生む警察の捜査に厳しく反省を迫るもの」として注目される(甲60ないし〜71号証)なかで、検察の異例の控訴断念に示された本件の冤罪性は社会に衝撃を与えた(甲77ないし79号証)。

第3 憲法32条等の違反
 一 上告人らの主張を歪曲・無視した原判決の違法
  (1)原判決における「(第一審原告らの当審における主張)」(6頁以下)とされる「4323車窃盗事件に関する主張」及び「総監公舎爆破未遂事件に関する主張」は、刑事裁判で検察官が主張した両事件のストーリーの骨格をなす要点、窃盗事件19項目(うち1項目は検察官の判断)、爆取事件35項目(うち2項目は検察官の判断)について、「一審原告の主張」として民事一審判決の認定の要点を掲げたうえ、上告人らの具体的主張も根拠もあげずに「しかし、原判決は、事実の認定を誤ったものである」「しかし、原判決の認定は誤っている」などという決まり文句のワンセンテンスで否定するだけのものである。これが、上告人らが、原審で展開した主張(一審判決及び被上告人らの主張を詳細に批判した準備書面(1)〜(12))と、あまりにもかけ離れたものであることは、両者を対比するだけで歴然とする。
  (2)とくに上告人らは、一審判決の事実認定を個別具体的に批判した原審準備書面・及び・で、刑事事件の自白に基づく検察官主張を構成する各項目ごとに一審判決の認定の誤りを克明に指摘するとともに、一審判決が前提として「原告主張」を無視・歪曲している事実を具体的に明示した。さらに、原審準備書面(10)では、「一審判決における『原告主張』の歪曲」にテーマを絞り、主に総監公舎事件発生から上告人らの逮捕にいたる過程について、その実態と問題性を詳細に分析した。ところが、原判決は、これら上告人らによる事実の指摘と批判をいっさい無視し、一審判決が描きだす歪んだ「原告主張」について、何ら検討を加えることなく、さらに単純化、戯画化したうえで切り捨てている。
  (3)以上のとおり、上告人らは原審で、ほかでもなく一審判決が上告人らの 主張を無視あるいは歪曲し、予断と偏見にとらわれて国家賠償法の解釈適用を誤っていることを具体的に批判した。また、一審判決が「争点に対する判断」の冒頭に掲げた、「当裁判所の基本的考え方」とその内容が、理由のそごを来していることを詳細に明らかにした。
  (4)一審判決は基本的考え方として正当にも以下のように述べている。 

 「原告らは、これらの事件により起訴された後、無罪の確定判決を得るまで に11年余の歳月を刑事裁判のために費やしている。右刑事裁判においては、合議体を構成する裁判官の面前で多数の証人の尋問その他の証拠調べがなされ、法廷で右裁判官が直接取調べた証拠と弁論の結果に基づき、昭和58年、原告らを無罪と認める地刑2部判決及び高刑10部判決が言い渡され、右判決が確定したものであり、その後の本件訴訟においても、右刑事裁判に提出された証拠を明らかに凌駕する証拠が提出されているわけではないから、本件訴訟において、原告らが起訴に係る犯罪を犯した可能性もあるのではないかというような議論をする余地はない。真実とは何かを追求して11年余にわたり立証活動が行われた右刑事裁判における裁判所の判断は、それが確定した以上、当事者及び司法関係者が最大限尊重し、これを前提に行動すべきものである。
  当裁判所としては、このような考え方のもとに本件訴訟において認定すべき事実関係の基本を、裁判官の面前で証拠調べ及び弁論がなされ、これに基づいて事実の認定がなされた右刑事裁判の確定判決に求めることとし、この認定を否定ないし修正するような新たな証拠ないし新たな見方がありうるかどうかという観点から事実の認定をし、これに基づいて法律判断を加えることとする」 (522・523頁)
  しかし、一審判決は、その内容において経験則、論理則に反して刑事裁判判決を否定する判断を重ね、ほとんどの場合、上告人らの主張を排斥する結論を導き出しているのであった。上告人らは、具体例に即して一審判決の誤りについて、その前提にある「原告主張」に対する無視・歪曲を明らかにしつつ指摘した。また、そのような誤りを生む判決の構造的欠陥と問題性を指摘し、一審判決を擁護する相手方主張(ただし被上告人東京都は、火薬類取締法を利用した取調べに対する一審判決の判断に限って認めていない)を批判した。

  (5)ところが、原判決は、上告人らによるこれらの主張、相手方との論争を無視したうえ、上告人らの主張を(1)で述べたように矮小化、戯画化したうえで退けたのである。その手法は、まさに上告人らが一審判決に対し批判した体のものであった。
  (6)裁判を受ける権利は、公正で迅速な裁判が行われることを自明の大原則としている。この自明の大原則が守られることが、法の支配の前提となる。公正な裁判であるためには、双方の当事者が公平に扱われ、手続き及び結論が正義に適っていなければならない。そこで何よりも求められるのは、当事者にその言い分を主張する機会を保障することである。その保障は単に機会を与えるだけにとどまるものでなく、主張をそれとして受け止め、公平と正義に適った手続き及び結論に反映させることが求められる。仮に、多岐にわたる主張に逐一対応することは困難であるとしても、それを無視すること、自らの考えや予定された結論に合わせて歪曲することや退け易くするために戯画化することが許されるはずはなく、それが主要な問題や核のひとつである主張ならば、理由不備を指摘されなければならない。原判決は、まさに上告人らの主張を無視・黙殺または歪曲するものであった。
  (7)上告人らは、原審で一審判決を批判して主に以下の点を主張した。
  ・国賠法の解釈適用を誤っている、・警察官、検察官が不正行為をするはずがないという仮構を前提においている、・一審の経過、とくに未提出証拠をめぐる争いについて無視している、・当事者間の具体的争点をめぐる論争の経過と結末を無視している、・一審判決の基本的考え方とその内容とは大きく矛盾を来している、・一審判決の論理は、予断と偏見、自白の偏重、誘導・虚偽自白に関する無知を前提としている、・一審判決の構造的欠陥と問題性、・一審判決の事実認定に対する個別具体的批判(上告人らの主張の無視と客観的事実や経験則に反する誤った認定)、・上告人らの主張の歪曲、・検察官の火取取調べへの加担を見逃している、・検察官による警察の違法捜査をカバーする取調べを見過ごしている、・検察官による公訴提起の違法、・検察官による公訴追行の違法(原審原告準備書面(1)〜(12)) これらの主張に対して、原審裁判所がその内容を具体的に把握し、正面からその主張の当否などを検討した形跡を認めることはできない。一審判決における認定が、客観的事実や経験則、論理則に反するもので、すでに破綻していることを指摘しているにもかかわらず、原判決が同じ過ちをしばしば踏襲していることなどからして、原審裁判所が、それら上告人らの主張を通読した痕跡を認めることも困難というほかはない。
  (8)上告人らは、「爆弾犯人」の烙印を押された後、刑事裁判で11年余、開廷数で合計330回を超える公判に対応した後、3年弱の「休暇」を挟んで再び15年余の過酷な時間と労力を民事裁判につぎ込んでいる。民事裁判は自ら選択したものではあるが、刑事裁判さえなければ、また不当な逮捕さえなければ、そもそも必要なかったものであり、経済効果からいえば、苦痛を増幅し、経済的困難を累積させ、人生を破壊するものでしかない。公権力に奪われた人間としての名誉を取り返すという、ほとんどそれだけのために、上告人らは裁判を受ける実質的な権利を、生あるかぎり行使するつもりでいる。
 二 争点を超越した原判決の認定の違法
  (1)上告人らの主張を無視する一方で、原判決は本件訴訟の争点とはなっていないアリバイ問題を取り上げ、一方的な判断をしている。上告人らにはアリバイが認められないというのである。アリバイ問題そのものについては、証拠開示問題と関連して別項で述べるが、上告人らは、すくなくとも現在提出されている証拠のもとで、アリバイの成否が本件訴訟のテーマになるとは全く想定していなかった。訴訟の相手方も、警察官、検察官らが取調べ段階でアリバイ主張については信用性がないと判断したこと、検察官も公訴追行の過程でアリバイ関係の証言について公訴取下げを必要とするとは評価をしなかったことなどを述べているにすぎない。
  (2)当事者は一審の段階で、刑事裁判の証拠資料について、公判調書(証言調書)を含めて基本的に国が乙号証として提出することで合意し、弁護側が刑事裁判で請求した書証及び弁護側証人の証言調書等は、上告人側が必要に応じて要請することになっていた。しかし、上記の経過から上告人らは刑事裁判の審理の流れを明らかにする以上に、とくにアリバイ関係の立証をする必要があるとは全く考えていなかったので、現に提出をみていない証言調書や書証も少なからず存在する。裁判所がアリバイについても認定するというのであれば、当然、それなりの主張もするし、刑事裁判で取調べられた未提出証拠資料を提出することになったであろう。裁判所が、終局判決で一方的にアリバイの成否を認定するのは、信義則に反し、公正な裁判を疑わしめるものといわざるを得ない。
 三 原判決の「基本的立場」の違法
  (1)原判決は「本件の判断における基本的立場」を以下のように鮮明にしている。

  「第一審原告らは、捜査官が、第一審原告らが4323車窃盗事件及び総監公舎爆破未遂事件の真犯人でないことを知っていたのに、虚構の犯行ストーリーを作り上げ、それを自白調書として捏造したものである。刑事公判及び本件訴訟に提出されない書類には、第一審原告らが真犯人でないことを証明する証拠、捜査の不正を表す資料がある。これらを隠匿する第一審被告国及び同東京都の行為は、第一審原告らが真犯人ではないことを捜査官が知っていたことを示すものである。捜査官は、第一審原告らと事件とを結びつける視点のみから捜査活動を行い、真実を解明するための捜査を怠った、と主張する。 そして、第一審原告らは、本件刑事事件についてなされた地刑2部判決は、第一審原告らを犯人としていないのであり、この判決は確定している。したがって、第一審原告らは犯人ではないものとして、事実関係を認定すべきであると主張する。
   しかし、地刑2部判決の判決文を見ても、犯罪の証明がない旨の判示はあるが、第一審原告らを犯人でないと断定してはいない。さらに、高刑10部判決の判示は、別掲のとおりである。すなわち、刑事事件の判決は、犯人は不明としているのである。
   刑事事件の判決をもとに、第一審原告らが4323車窃盗事件及び総監公舎爆破未遂事件の真犯人ではなく、捜査官がその真犯人でないことを知っていたとは認定することはできない。
   本件民事事件においても、犯人が誰かを認定するに足る証拠は提出されておらず、第一審原告らのアリバイが立証されたと認めることもできない。したがって、当裁判所も、刑事事件の判決と同様に、犯人は不明であるとの前提で判断するほかはないものである。
   第一審原告らが主張する、捜査官の故意による不法行為の事実は、本件の全ての証拠を検討しても、認めることはできない」(36頁)

 一審判決が、基本的な「考え方」を明らかにしたのに対し、ここでは原審裁判所の「立場」が告げられている。その立場は、上告人らには予断と偏見、あるいは恐るべき無知を足場に築かれたものとしか見えない。
  (2)上告人らが本件訴訟の当初から繰り返し指摘していることであるが、国家賠償請求訴訟は、国や公共団体にとっての再審の場ではない。刑事裁判について、検察官による再審請求が認められていない事実とその理由は、当然、無罪事件の国家賠償請求訴訟において大前提におかれなければならない。民事裁判所が刑事裁判所と異なる事実認定をすることはあり得るが、そこには自ずと限界が伴う。例外的に、有罪で確定した刑事裁判の判決が、民事裁判の場で無罪の認定を受けることはあっても、その逆はあり得ない。犯行を決定的かつ客観的に証明する新証拠が現れたのでもない限り、刑事裁判で確定した無罪判決が、民事裁判で有罪と認定されたのでは、法的安定は保たれず、憲法39条の明文規定(「既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問はれない」)に反する。
  (3)原判決は、地刑2部の判決も、上告人らが犯人でないとは断定していない=犯人は不明としている=上告人らが真犯人である可能性を残す、という図式を描いている。この三つのいずれの文言も、刑事判決文に存在しない。真犯人が不明であることは明らかだが、弘前事件の例はあるものの、冤罪事件で真犯人が判明しないのは当然の事態といえる。原判決は、本件民事訴訟でも真犯人を特定するに足る立証が行われていないともいう。原審裁判所にとって、真犯人を特定し、あるいはアリバイを立証することが、無罪事件国賠請求を認容するための条件であるかのようである。そうでないとすれば、原判決はここで何を言いたかったのか、理解に苦しむほかはない。
  (4)資金も組織や人手も強制捜査権もない民間の個人が、結局のところ捜査機関も解明できなかった真犯人を突き止めることは、ほとんど不可能に等しい。深夜の事件について客観的な不動のアリバイを発見することも、微小な確率の運次第である。
  付言すれば、かつて上告人らは、少なくとも結果として上告人らに自らの計画的行為の責任を押しつけておきながら、知らぬ顔を決め込んでいる真犯人を許せないという一念から、総監公舎事件の真相を解明する広範囲な調査活動を行っている。しかし、客観的な裏付けや証拠資料を備えた、確定的な結論を得るまでには至らなかった。最も疑わしいとの中間的結論を得た二人の人物は、その時点よりもずっと以前に、海外でそれぞれ死亡していた。また、4323車窃盗事件については、あまりにも雲をつかむような話で、調査の糸口を発見することもできなかった。
  いずれにせよ、刑事であれ民事であれ、真犯人を突き止めるのは訴訟当事者の仕事でも裁判所の職責でもない。それに成功しなかったことが、無罪を得た者の不利に帰するような裁判は暗黒裁判のそしりを免れないであろう。刑事裁判所もまた、真犯人の登場によってのみ無罪の心証が形成される場合でもあれば格別、検察官の証明が不十分であることが明らかなのに、それ以上の判断や推測に踏みこまないのはあまりにも当然である。本件において、問題の多い自白が生まれる理由として、いずれの裁判所もが、捜査官による誘導の疑いをきわめて多くの項目で指摘しているのは、誘導の嫌疑があまりにも濃厚であったためにほかならない。
  (5)原判決が強調するのは、高刑10部判決における「被告人が原判示の各犯行に及んでいるのではないかとする疑いも払拭し切れないものがある」とする結論部分の説示である。しかし、これは説示の前段にあるとおり上告人二瓶が、警察にとどまらず検察官に対して自白しているばかりでなく、一審でも全く争わずに公判廷でまで自白を維持したこと、一方で不動のアリバイが存在するわけではないことを表しているにすぎない。後段で指摘しているように、本件自白には数々の欠陥が認められ、重要な部分に客観的な裏付け証拠を欠くものであって、反対に、犯行を積極的に疑わせる具体的根拠などは、判決全体を通じてどこにも判示されているわけではない。
  結局、この説示は、公判廷においてさえ自白を維持したために、至るところに「迷惑」をかける結果を招いた被告人に対するある種の叱責であるとともに、被告人による控訴審であるにもかかわらず、争いを放棄せざるを得なくなった検察官に対する、いわばリップサービス以上のものではない。これは、双方の上訴があり得ないことが、事前に判明していた異例の判決なのである。具体的に有罪の疑いが残存しているのであれば、検察官は上訴の道を探ったのであり、他方で、被告人側には無罪となった以上、何を言われようと、不服を申し立てるすべはなかったのである。
  (6)原判決における、この高刑10部判決の説示部分の強調は、その基本的立場である予断と偏見をよく表すものといわなければならない。
  本件訴訟で上告人らが再三主張しているように、地刑2部と高刑10部の二つの判決は、いうまでもなく審級の違いではなく、上記のような経緯を経て最終的に争いが解消するという特異な状態で出された判決であった。審理の内容としても、弁護人が地刑2部中心の弁護活動を行ったこともあって、高刑10部では質量ともに地刑2部ほど充実したものとはならなかった。判決に関与した裁判官は3名とも、着任後は更新手続きを行っただけで、地刑2部判決を迎え、同判決を受けて直ちに準備手続きを進め、証拠整理を行ったものであり、本件民訴一審判決のいうような、その面前で証人の尋問などが行われたわけではない。少なくとも、高刑10部の判断が地刑2部の判断に優越すべき理由はない。
  本件訴訟で被上告人国が乙号証として提出した公判調書も、地刑2部を基本とするもので、高刑10部のものは当初上告人N×とその取調官関係のみ、最終的にも16人取調べた証人中(N×本人を除く)6人分しか提出されていないのである。被上告人山本達雄の公判調書なども、一審の最終段階で上告人側から甲号証として提出している。なお地刑2部で取調べた証人の数は78人(本人5人及び分離していたF×犯人蔵匿事件、T×窃盗事件を除く)、うち乙号証、甲号証として提出されているのは66人分である。
  (7)原判決は、高刑10部判決が上告人S×らの火取調書の任意性を否定したことについて「高刑10部判決が一部自白の任意性に疑問があるとしたのも、第一審原告S×及び同N×の警察官に対する火取罪名のもとにされた自白についてである」と、あたかも自白の一部分にすぎないかのように判示しているが、上告人らが原審でも具体的に指摘したように、事実は「被告人及びS×の前記火薬類取締法違反の罪名のもとになされた自白はその任意性に疑いがあり、これを録取した各供述調書は、その後警察官らがこれらを爆発物取締罰則の罪名のもとにいわば書き直した各供述調書とともに、証拠能力がなく排除さるべきものといわなければならない」と判示されている。
  すなわち、高刑10部では上告人S×及び同N×の火取調書と爆取調書(員面)のすべてが証拠排除されたのであって、これらの自白内容は、いずれも検察官調書以前に警察官によって作成されたものであり、かつ、総監公舎事件の犯行ストーリー全体を網羅するものである。両人以外に存在する総監公舎関係の自白は岩淵のものだけだが、同人は、謀議に場所を提供しただけの役割とされたため、上告人須藤及び同二瓶による自白のうち謀議部分を補充するだけのもので、犯行ストーリーを構成する独自の要素部分はない。
  (8)検察官作成による上告人須藤及び同N×の供述調書の問題はさておき、高刑10部で任意性を否定された警察での取調べで生まれた自白は、本件刑事事件全体を通じて最大の証拠であり、総監公舎事件準捜査本部の究極の獲得目標だったものである。それなしには、検察官調書も作成され得なかったことが明らかである。上告人N×には7通(うち窃盗1通)、同S×には12通(うち窃盗4通)の自白を内容とする検察官調書が作成されているが、主な事項で検察官取調べによってはじめて自白されたものは皆無である。被上告人山本達雄自身も、証人として出た法廷で再三「これは送致事件なので、警察で供述が出ていない場合は、もっと調べてもらって来いということで被疑者を追い返していた」と述べている。
  (9)本件において、窃盗及び爆取事件と上告人らを結びつける直接証拠としては、自白以外に存在しないことが、本件における証拠の構成からも、また上告人らの身柄拘束の経緯からしても明白である。したがって、上告人らが真犯人と認められるかどうかは、その自白が信用し得るものかどうかにかかっている(最高裁平成12年2月7日第一小法廷「草加事件」損害賠償事件判決の「当裁判所の判断1項」参照)。
  本件刑事裁判判決は、本件で提出されている客観的証拠には、それ自体として刑事事件と上告人らを結びつけるものがないことを確認のうえ、上記のような観点から自白の信用性について、検察官の主張として構成された要素事実のすべてにわたって詳細な吟味を加えている。その結果、地刑2部判決は、窃盗事件について、・供述内容に一貫性がなく、不自然な変遷が多いこと、・供述内容が相互に一致しない場合が非常に多いこと、・真犯人であれば当然説明し得る客観的事実につき、不明瞭な供述やこれとそごする供述が相当みられること、・供述内容自体に不自然、不合理な点がみられること、・自白内容について客観的裏付け証拠が欠けていること、・いわゆる秘密の暴露にあたるものがないことを指摘し、そのような自白に至る取調べの経緯、方法に関して、本件窃盗事件の捜査の端緒が不自然で、客観的証拠についての慎重な検討を欠いたいわゆる見込捜査の疑いがあること、被告人ら逮捕後の捜査においても自白を得ることに重点がおかれたことなどを述べている。総監公舎事件の自白についても、ほとんど同様の問題点が認められ、加えて、・被告人らの供述が目撃証人の供述と矛盾する点が多いこと、・証拠上明らかな事実について被告人らの供述中に説明がないことを指摘しており、取調べの経緯、方法に関しては、総監公舎事件の自白が窃盗事件の身柄拘束中に、きわめて法定刑の低い火薬類取締法違反の嫌疑によって、利益誘導的な取調べが行われた結果得られたものであることをとくに問題としている。
  (10)これら自白の信用性に関する判断は、何の制約もなく裁判官や検察官の自由心証に委ねられているのではない。戦後、数々の冤罪事件の苦い経験をとおして、法曹関係者は自白の真偽を見抜く方法論に関しては、少なからぬ教訓を学び蓄積してきた。そのなかで、アプリオリに自白に価値を認める自白偏重の呪縛を脱却し、人権を尊重する適正な手続きのもとでこそ事案の真相に肉薄できるとの認識が広く共有されるに至った。その集大成ともいえるのが、鹿屋事件(鹿児島夫婦殺し)の最高裁破棄差戻し判決である(最高裁第一小法廷昭和57年1月28日判決・刑集36巻1号67頁)。上記判決の1年後にだされた本件地刑2部判決は、まさにこの判断基準を踏襲し発展させたものであり(弁護人最終弁論における主張も同じ基準で構成した)、地刑2部ほど網羅的でない高刑10部判決もまた、基本的にこれを踏襲したうえ、多くの事項で捜査官による誘導の疑いを含めて同じ判断を示している。今日では、犯行ストーリー上の重要事項について、これらの条件に抵触する自白は少なくとも信用性、真実性に欠け、虚偽自白と評価さるべきものである。
  (11)本件刑事事件の判決が、真犯人について何も言及せず、また上告人らを犯人ではないと断定していないことをもって、単に犯人は不明としたもの、あるいは高刑10部は真犯人である可能性を述べたものとして判断の根拠づけをする原審裁判所と原判決は、社会が裁判所に期待する公正な裁判を行う機能を喪失しているといわざるを得ない。換言すれば、真犯人が出現し、なおかつ裁判所が無罪判決で真犯人について言及しなければ、犯人は不明であることに帰するから無罪となった者の名誉回復などは問題外であり、一方、その判決で違法捜査の疑いを指摘された公務員やその管理者の責任は、直接的な証拠が発見されないかぎり問題外にするというのが、原判決の立場である。
  このような原判決は、少なくとも以下に述べられているような、裁判官の立場と任務に背馳する立場に立っていると上告人らは考える。

 「司法は、法律上の紛争について、紛争当事者から独立した第三者である裁判 所が、中立・公正な立場から法を適用し、具体的な法が何であるかを宣言して紛争を解決することによって、国民の自由と権利を守り、法秩序を維持することをその任務としている。このような司法権の担い手である裁判官は、中立・公正な立場に立つ者でなければならず、その良心に従い独立してその職権を行い、憲法と法律のみに拘束されるものとされ(憲法76条3項)、また、その独立を保障するため、裁判官には手厚い身分保障がされている(憲法78条ないし80条)のである。裁判官は、独立して中立・公正な立場に立ってその職務を行わなければならないのであるが、外見上も中立・公正を害さないように自律、自制すべきことが要請される。司法に対する国民の信頼は、具体的な裁判の内容の公正、裁判運営の適正はもとより当然のこととして、外見的にも中立・公正な裁判官の態度によって支えられているからである。したがって、裁判官は、いかなる勢力からも影響を受けることがあってはならず、とりわけ政治的な勢力との間には一線を画さなければならない。そのような要請は、司法の使命、本質から当然に導かれるところであり、現行憲法下における我が国の裁判官は、違憲立法審査権を有し、法令や処分の憲法適合性を審査することができ、また、行政事件や国家賠償請求事件などを取扱い、立法府や行政府の行為の適否を判断する権限を有しているのであるから、特にその要請が強いというべきである」(最高裁大法廷平成10年12月1日決定・民集52巻9号1761頁)

  なお、この判示のような観点からしても、本件の国代理人を経験し、また現に務めている多数の訟務検事らとともに、長年法務省訟務局に所属し、直前まで他の国家賠償請求事件(高嶋・教科書訴訟)で、国の代理人を務めていた人物(江口とし子裁判官)が本件国賠事件に裁判官として判決に関与するような事態は、少なくとも外見上の中立・公正に関して、裁判運営に対する国民の信頼を損なう恐れがある。上告人らが、その事実を事前に把握していれば、忌避申立てをする可能性も考えられた。
 四 結論 以上のとおり、原判決は憲法32条に違反し、同39条及び市民的及び政治的権利に関する国際規約<自由権>14条6項の趣旨、及びそれらを具体化した民訴法2条に反する。

第4 憲法17条等の違反
 一 原判決と憲法17条
   原判決は、憲法17条が定める公務員の不法行為により損害を受けた、冤罪犠牲者などの被害者救済の立法目的・趣旨に反して、警察官、検察官らの違法について過度に厳密な証明を求めている。いっさいが非公開で行われ、収集された証拠資料等を占有する捜査機関の具体的行為に関する直接的な証拠を上告人らが提出できないことをもって、上告人らのそれに代わる緻密な立証活動を歯牙にもかけず、公務員の不法行為を容認する。すなわち原判決は、被害者の救済ではなく、加害公務員の責任回避に偏したものであって、国家賠償法の解釈適用を誤っただけでなく、その母体である憲法17条の精神を踏みにじっている。
 二 憲法17条と国家賠償法
   国家の不法行為に対する賠償責任を確認した憲法17条は、刑事補償を規定した同40条とともに、日本国憲法を制定した第90回帝国議会(1946年6月21日召集)に提出されたGHQ案を基にする政府原案にはなく、衆議院における審議過程で追加、修正されたものである。17条に基づき、翌1947年新憲法下の第1回国会で国家賠償法が制定された。憲法17条及び国家賠償法の立法趣旨は、大日本帝国憲法下で国家無責任(無答責)主義により「今まで国家の公権力行使について、国家は斬り捨て御免で全然責任を負わなかったのを今度新しく賠償の責任を負わさるることになったわけであります」(甲4号証、第1回国会参議院司法委員会会議録4号5頁、上記委員会における政府委員の説明)と端的に説明されている。
  また、国家賠償法を審議する同委員会では、憲法17条の精神について以下のような質疑応答が行われた。

   「○松井道夫君 この点は大臣のご意見を承っておきたい。憲法17条でありますが、これが新しい憲法で『公務員の不法行為により』云々ということでそれに応ずるためにこの国家賠償法というものが作られた。私のお聞きしたいのはこの17条の精神であります。その精神によりまして国家賠償法というものが立案されておる。憲法17条、これは民主国家におきまして、国政の受託者、公権力の受託者として当然の原理をここに現したものであるか、或いは旧日本におきまして、天皇の大権の行使という観念上、公権力の行使については国家が損害の賠償に応じない。そういった観念、思想があり、又戦時中顕著でありました、例の専制的、官僚主義的と申しますか、そういった傾向があった関係上、特に日本国において、公権力の行使により国民が損害を受ける傾向が強い。これを何とか救済しなければならんといった日本に特殊な事情からこの17条ができたものであるか、或いは日本に特殊な原理を此処に書き現したのであるか。私としましては、普遍の原理ということを高く掲げる新憲法の規定ですから、普遍の原理に基づいた規定だと存ずるのですが、その点を明確にいたして置きたいと思います。
  ○国務大臣(鈴木義男君) 私共新憲法を改正いたします際に、これを規定することについて議論をいたしたわけでありますが、そのときの精神は民主主義国家においては、ここまで行かなければ本当に公権力の受託者としての公務員の責任というものが果たされない。と共に、国家がその賠償責任に任ずるということによって、本当に国民をして自分は主権者である、主権は国民に在るという意識を完うからしめるものである、こういう普遍的な原理に立ってこれを制定したわけであります。従って私はそう解釈いたしておりまするが、それがたまたま日本の特殊の国情に鑑みても、又日本民主化を促進する上においても適切なる規定であると、こう考えるのであります。」(甲4号証、参議院司法委員会会議録第13号10頁)

  この問答にも示されるように、憲法17条と国家賠償法、とくに1条は一体の関係にあり、天皇の大権の下での人権蹂躪の歴史をふまえた民主主義国家における普遍的原理に立って制定されたものである。以後半世紀余を経ても、その趣旨を変更する必要性は政治的社会的立場の差異を超えて、いかなる視点からも要請されていない。価値観の多様化、科学技術の急速な進化などにともない、社会の複雑化が進むなかで、憲法17条や国賠法の規定に対する異論が全く出ていない事実、先のハンセン病国賠熊本地裁判決及びそれに対する控訴断念が広く社会に支持された事実を軽視してはならないであろう。
 三 故意又は過失と違法
   憲法17条の具体化をはかる国賠法の制定過程では、17条における単なる「不法行為」が、国賠法1条において「故意または過失、違法」と規定されたことに対し、被害者側の立証を困難にし、折角の救済法の「死法化・形骸化」を招かないかとの懸念が、挙証責任の転換の必要性と併せて与野党を通じて強く指摘された事実を強調しなければならない。
  これに対する政府委員の答弁では、国賠法1条の「違法」は、民法709条の「権利侵害」を言い換えたにすぎず、責任を制限する要件を付加したものでないこと、違法性を阻却するような事情のある場合には除外するという当然のことを規定したものであること、無過失責任主義は刑事補償で採用するので、それと併せて請求できる国家賠償では過失責任主義を取らざるを得ないこと、被害者側は故意過失によって客観的にこういう損害をこうむったということを立証すれば、その違法たるや否やについてとくに立証する必要はないことなどが述べられている。要は、すべての不法行為について、私人であると国家であるとを問わず、またそれが公権力の行使であると、司法関係の不法行為であるとを問わず、結局は民法709条と国賠法によって、完全に賠償の請求権を補償されるということである。そして、現状で無過失主義をとり得ない最大の理由として、濫訴の恐れと戦後の深刻な経済状態のもとでの国家財政が破綻することへの危惧があげられている。(甲3・4号証)
 四 濫訴の恐れと現実
   その後、国賠法とくに1条関係に基づく賠償金の支払いが国家財政を脅かすような事態は全く生じなかった。現在、国及び公共団体が直面する財政危機とその表現である巨額の債務(公債発行残高)と、賠償支出の負担額には全く関係が成立しない。そして、それにひきかえ、上告人らのように11年余の刑事裁判を経て無罪を勝ち取り、その一審無罪判決に対し検察官が控訴権を放棄せざるをえなかったような事件について、爆弾犯人扱いされたことにともなう種々の社会的ハンディキャップのもとで、さらに15年以上を費やして莫大な労力と費用をつぎこんだあげく、主たる請求が認められずに苦難の道を歩んでいる事態がある。その実情を50年前の司法委員会に報告することができたならば、いかなる反応が得られるだろうか。 50年前といわず、いま上告人らが本件訴訟で展開してきた主張と原判決を広く社会に対比して示すことができれば、原判決の違憲性、不当性を疑わない人はきわめて少数であるにちがいない。少なくとも、広く市民に支持される司法の姿とは程遠い現実に、人びとは衝撃を受けることになる。
 五 国家無答責に通ずる原判決の違法
   上告人らは、いったい現実問題として、無罪事件の国賠は、いかなる要件を具備すれば損害賠償に値する認容を受けるのだろうか、という深甚な疑問を禁じ得ない。原判決の立場に立てば、まず刑事裁判の過程で真犯人が発見され、真犯人であることが完璧に証明されて判決でもその旨が述べられること、あるいは確固たるアリバイが第三者によって証明されることが必要である。また、違法な取調べによる虚偽自白が主要な証拠である場合は、供述調書の作成に関与した警察官や検察官が自発的に違法な取調べを行った事実を認めることが必要で、それに対して関係者や関係組織が証拠つぶしに動かない保障も必要になる。自白の内容に関しては、供述に整合性があっても、また矛盾や変遷があろうと、共犯者とされた者との自白と食い違っても、さらには客観的事実に反してもあまり問題はない。そして、検察官の有罪立証に有効でない証拠資料は、いっさい役所の外に出さなければよいのである。
  このような事態は、現行法制のもとでは起こり得ないこと、と断言しきれないところが問題である。現に長年月の刑事裁判で冤罪性が明らかになって無罪を獲得しながら、さらなる負担と犠牲には耐えられないとして国賠訴訟の提起を断念するケースが増えている。「刑事裁判で無罪が確定したからといって、直ちに警察官や検察官の違法が認められることはあり得ない」とは、無罪を獲得したほとんどだれもが了知しているが、それ以上に国賠訴訟はあまりにも間尺に合わないし、人生の再出発を困難にさせるとの認識が広まっているからである。無罪事件の国賠においては、かつての国家無答責時代に通ずる状況がみられる。上告人らに即していえば、15年を超える国賠訴訟は、明らかに負担と損害を極限まで増大させている。このような傾向と、大型国賠訴訟における国や公共団体による徹底した応訴は、誤った捜査に対する真摯な反省や、組織の再点検を行う契機を失わせている。全国的に続発する警察不祥事や、未解決事件の多さにみられる捜査機関の捜査能力の低下といった事態は、少なくとも冤罪事件の発生を防ぐ環境整備が進んでいないことを示している。
  一方、賠償支払いの制限に成功したとしても、その経済効果には疑問がある。本件の場合でみると、専門的知識が必要とされる訴訟でもないのに、国の代理人は7名から10名、東京都の代理人は5名から7名(個人の代理人は除く)が15年余にわたって非生産的な訴訟活動に従事している。その費用は莫大なものがあろう。
  公権力行使に伴う故意過失あるいは不法行為がない場合に、国・公共団体が賠償請求を認めないのは、いわば当然である。しかし、その実質的な判断基準は通常人が官僚同士のかばいあいとの疑いを差し挟まない程度に、だれでも納得できる客観性があり、正義に適うものでなければならない。公権力を行使する側の不正が、公権力の行使によって隠蔽されることがあってはならないのである。
 六 結論
   以上のとおり、原判決には憲法17条及び国家賠償法1条1項の解釈適用を誤った違法がある。

第5 理由の不備・食い違い(民訴法312条2項の六号)
 一 原判決の論理矛盾
  (1)原判決は、「基本的立場」として、上告人らの主張について、以下のように理解し、また刑事裁判の判決について独自の見解を示している。

「第一審原告らは、捜査官が、第一審原告らが4323車窃盗事件及び総監公舎爆破未遂事件の真犯人でないことを知っていたのに、虚構の犯行ストーリーを作り上げ、それを自白調書として捏造したものである、刑事公判及び本件訴訟に提出されない書類には、第一審原告らが真犯人でないことを証明する証拠、捜査の不正を表す資料がある、これらを隠匿する第一審被告国及び同東京都の行為は、第一審原告らが真犯人でないことを捜査官が知っていたことを示すものである。捜査官は、第一審原告らと事件とを結びつける視点からのみ捜査活動を行い、真実を解明するための捜査を怠った、と主張する。そして、第一審原告らは、本件刑事事件についてなされた地刑2部判決は、第一審原告らを犯人としていないのであり、この判決は確定している、したがって、第一審原告らは犯人ではないものとして、事実関係を認定すべきであると主張する」(36頁)
  「しかし、刑事事件の判決は、犯人は不明であるとしているのである。刑事事件の判決をもとに、第一審原告らが4323車窃盗事件及び総監公舎爆破未遂事件の真犯人ではなく、捜査官がその真犯人でないことを知っていたと認定することはできない。
   本件民事事件においても、犯人が誰かを認定するに足る証拠は提出されておらず、第一審原告らのアリバイが立証されたとも認めることができない。したがって、当裁判所も、刑事事件の判決と同様に、犯人は不明であるとの前提で判断するほかはないものである。
   第一審原告らが主張する、捜査官の故意による不法行為の事実は、本件の全ての証拠を検討しても、認めることはできない」(36頁)
  「第一審原告らは、本件刑事事件判決は、第一審原告らの捜査段階における自白が、虚偽の自白であり、そのような虚偽の自白がされた原因は、警察における捜査にあると認定していると主張し、その前提に立って、違法な取調べがあったと主張している。しかしながら、刑事事件の判決は、上記自白の信用性に疑問があるので、これを有罪の証拠とすることができないとしたにとどまる。
  高刑10部判決において『被告人が原判示の各犯行に及んでいるのではないかとする疑いも払拭し切れない』と判示しているところからも明らかなように、自白の内容が全面的に虚偽であるとまで断定してはいないのである。第一審原告らのこの点に関する主張は、その前提を欠くものであって、採用することができない」(37頁)

 (2)上記の原判決の判示からは、上告人らの主張を排斥しようとする強い意思が一貫していることが容易に読みとれる。しかし、その論理に一貫性があるかといえば、問題は少なくない。判示を長々と引用したのも、論旨が理解し難いからである。強い意思は論理の世界を超えており、予断というべきものと思われる。
  この認定によれば、上告人らは犯人あるいは真犯人ではないものではなく、信用性に疑問がある自白をしたものであり、刑事判決は、自白の内容が全面的に虚偽であるとまで断定してはいないのだという。これでは、原判決の認定のもとで上告人らはいったいいかなる地位あるいは位置におかれているのか、自白をしていない者の立場はどうなるのかもわからない。自白が全面的に虚偽でないというのであれば、どんな点が虚偽でないのか、あるいは真実であるのかという問題が残る。犯行にかかわる重要な事項であるのか、瑣末な枝葉末節の事柄であるのか。それは、捜査官の誘導・誤導などの不法行為の存否を判断するうえで欠かせない要素の一つではないのか。あるいは、結論として、警察官及び検察官の不法行為は認めないことに決まっているので、それはどうでもいいことなのか。
  このような「基本的立場」を念頭に、「後記・以下」における上告人らが主張する個々の行為についての「前提を欠く」主張に対する判断をみていくと、問題はますます複雑化する。
  (3)原判決の理由不備・そごは明らかといわなければならない。
 二 上告人らの主張
  (1)引用されている上告人らの主張は、ここでも正鵠を欠いているので、引用の範囲内で述べる。総監公舎事件の通常の捜査が行き詰まりをみせるなか、一部の捜査官は最悪の場合、当初4680車の関係で重要参考人とされながら犯人適格性を欠いていた上告人らによって事件解決を図る道をさぐり、徐々に捜査の方向を歪めていった。4323車の事故と盗難事件を発見するとともに、上告人らの身柄を確保するための工作が進み、同年9月、10月と爆弾事件が続発するなかで、上告人F×及び同N×の逮捕が強行された。そして逮捕の事実がメディアに漏れ「別件逮捕」と大きく報道されたために、捜査側は引っ込みがつかなくなった。以後、捜査側にとってまずは別件の虚構の自白を獲得し、次いで総監公舎事件の虚構の自白を得ることが至上命題となった。この過程は大きな無理をともなったため、総監公舎事件発生時に、上告人らの犯人適格性を否定した資料や客観的資料、その他逮捕状を得るための資料などに作為が施され、これらは厳重に秘匿されることになった。上告人らの逮捕後は、それまで並行して行われていた真実を解明するための捜査活動は停止された。
  (2)したがって、上告人らの取調べに当たった捜査官は、上告人らが犯人でないことを十分認識していた。また、上告人らは自らの屈辱的体験からして、本件でっちあげ捜査の実態と検察官がそれに追随した事実を骨身に染みて認識している。上記の点は、刑事裁判で徐々に捜査の全体像が把握されたもので、上告人らは自白の虚偽性を明らかにする一方で、捜査の実態を弾劾する主張をも展開し隠匿証拠の開示を検察官に要求しつづけた。直接的証拠資料の開示を実現できなかったため、刑事裁判では自白の虚偽と虚偽自白を生んだ不正な捜査を得られた限りの資料で立証し、その限りで成功をおさめた。以上の経緯は、本件民事訴訟でも一審・二審を通じて主張している。
  (3)原判決は、上告人らの主張には、これら捜査の不正を示す証拠資料の提出要求が含まれることを上記引用のとおり認めているが、上告人らの主張を否定するに際して、この点への言及はない。たしかに、原判決の末尾には、上告人らの文書提出命令申立てを却下する理由が述べられているが、形式的な理由を掲げたものでしかない。
 三 逮捕状取得や公訴提起にあたって判断材料とした資料
  (1)原判決は「逮捕・勾留は、その時点において犯罪の嫌疑について相当な理由があり、かつ、必要性が認められる限り適法であり、公訴の提起・維持は、起訴時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものである」(37頁)としている。上告人らが刑事裁判の早い時期から、また民事一審以来主張し続けているのは、少なくとも逮捕の適法性を検討するうえでは、その判断材料となった逮捕状請求書に添付した資料が何であるかを知ること、公訴提起の適法性を検討するうえでは、その判断材料となった警察からの送致記録にいかなるものが含まれるかを知ることが不可欠の前提条件であるということである。それに対して、原判決は文書提出命令申立ての却下理由にとどまらず、それらの資料を必要としない具体的理由を上記判示との関連で明確に示すべきであった。
  (2)逮捕状請求書添付資料については、当初の上告人N×の逮捕状の記載から添付資料の通数が判明しており、残りの通数と合理的に推定される文書の提出を求めてきた。窃盗事件では、直接的証拠が何もない段階で、上告人F×らの逮捕を実現するうえで、虚偽記載のある文書が含まれていることを指摘している。
 添付した参考人供述調書20通のうち2通、捜査報告書13通のうち3通が出ていない。被上告人らは、交通事故の目撃者である三×××及び樋×××が法廷での供述とは全く違って上告人F×を断定する供述調書を提出しているのだから虚偽記載のある報告書などを作成する必要がないと釈明したことがあるが、それなら疑いを指摘されてい報告書を出せば済む話である。
  (3)爆取逮捕状については、資料の内容・通数などが記載されていないが、爆取逮捕状の請求書に上告人S×及び同N×の火取被疑罪名による供述調書を添付したかどうか、どの調書であるかを確認する必要がある。上告人ら6名に対する爆取逮捕状は、12月15日の被上告人山本及び久保検察官による上告人S×及び同N×に対する「異例の取調べ」以前に、東京地裁から交付されていることが明らかなので、検察官調書が添付されていないことは明白である。上告人らは一部の火取調書の表紙を爆取被疑罪名に差し替えて添付したのではないかとの疑いを抱いている。
  (4)本件訴訟で、被上告人東京都は当時、警視庁が作成した本件関係の捜査資料等は、すべて東京地検に送致したため、何ひとつ残っていない旨を釈明したことがある。しかし、半年近くにわたって開設された準捜査本部とその構成員が作成した書類のすべてが送致されることなど到底考えられない。上告人らは、起訴検事の手元には被疑者に有利な証拠や客観的資料がどの程度送致されていたかについては疑問があり、それを明らかにすることが検察官の職務行為の適否を判断するには欠かせないと考える。
  (5)上記のとおり、逮捕あるいは起訴時の警察官、検察官の職務行為の適法性について、判断基準を掲げる原判決は、一方でこれら上告人らの要求を積極的に拒否する理由を具体的に提示しなければならなかったのである。
 四 アリバイについて
  (1)第3の項で述べたように、原判決は、当事者間で争点になっていなかった上告人らのアリバイの成否に多大な関心を示し、不完全な資料から独自に検討したうえ、アリバイが立証されたとはいえないと結論づけている。
  (2)その一方で、上告人らが前項に例示した資料とともに、決定的資料として提出を求め続けている8月7日またはその直後に作成された中野区弥生町2−2−4小林アパート家主小林某の供述調書もしくは同人及び上記アパートを含む近隣居住者に対する8月6日深夜から7日未明のN×宅の様子に関する聞き込み捜査関係の報告書等については、何ら言及していない。
 (3)同夜、木造アパートの2階で真下の階下に家主が居住するN×夫妻の6畳の冷房もない部屋には、上告人N×のほか同S×及び同K×を含む合計7人の男女が集い、珍しく深更まで談笑していた。7日早朝、麹町警察署に同行を求められた上告人S×は、午前2時以降に帰宅するまでどこにいたかを聞かれ、前日の夜新宿で上告人N×と会い、その後、N×のアパートに行きN×の妻Y×××××から果物などをご馳走になり、深更まで話し込んだ事実を述べ、N×宅の地図を書いて警察官に渡した。捜査官が早速N×宅に派遣されたが、本件準捜査本部のデスク宮下昌男の法廷供述によると、すでに夫婦とも外出していたため、近隣の聞き込みに当たった。その後、N×には本件の嫌疑が生じたためN×に対する直接の事情聴取は見送られ、3か月後の逮捕に至る。
 (4)N×の嫌疑なるものは上記宮下によれば、8月6日の夜12時前後4680車に給油したというガソリンスタンド店員高×××が、同車の運転手がN×に似ていたと供述したことを指す。しかし、その供述調書が作成されたのは8月26日になってからであり、何故それまでN×との接触をためらっていたかにつ
 いては、その内容とともに思い出せないことになった。
  (5)以上の経緯及び上告人N×の住宅密集地にあるアパートの構造、N×の部屋に大勢が集まっていた時間帯からして、近隣への聞き込みの結果、当夜、総監公舎事件発生の時間帯にN×の部屋が騒々しかったことは、容易に判明したと考えられる。小林アパートに複数の来客があったのは、上告人N×らが同年5月に引っ越してきた当日とこの日だけなので、混同されるおそれもない。そこで、上告人らは刑事裁判の過程から関係資料の提出を要求し続けてきたものである。
  (6)したがって、文書提出命令申立ての対象の一つであったこれらの資料は原審裁判所が上告人らのアリバイを検討するのであれば、無視し得なかったはずである。原判決は、上告人S×のアリバイ主張に対して捜査官が同N×に対して事情聴取をしなかったことに関する認定で、わざわざ「(第一審原告S×などのアリバイが認められたので、事情聴取をしなかったとの事実は認められない)」と述べている。(50頁(31)の項)
  (7)資料の存否を問い合わせることもせずに「認められない」と断定するのは上告人らのアリバイを否定することのみに関心があり、成立する可能性に触れるつもりがないことを意味するのかも知れないが、少なくともアリバイについて言及するからには、この関係の資料を無視する理由が付されるべきである
  (8)なお、前記上告人S×の8月7日の供述では、N×夫妻以外の名を出していないが、元日大全共闘の活動家として、いきなり爆弾事件関連で警察に呼ばれたために、なるべく友人らの名前を出したくないと考えたにすぎない。
  (9)原判決が言及する、他のアリバイ証人たちの当初の供述にぶれがみられるのは、上告人らの逮捕後しばらくは、次は誰が逮捕されるかわからないというパニック状態にあったことによる。アリバイの成否に直接かかわる事実については、強く記銘されていたため、長い年月を経過しても具体的な記憶があり、一方で近接した記憶が消滅していることに何ら不思議はない。上告人らが一つのグループなどでなく、たとえば上告人F×は同T×を知らず、I×についても顔を見たことがある程度であり、上告人N×は面識があるが直接言葉を交わしたことがない。年齢も三つの世代にわたり、全員をよく知っているのは上告人K×だけという関係の希薄さが知られていただけに、交番爆破や土田邸事件などが相次いで発生するさなかに、今度は誰が逮捕されるかわからないという恐怖が、とくにアリバイを立証できる立場に立ってしまった者には強かったのである。
  (10)以上のとおり、原判決は、上告人らのアリバイの成立は認められないと認定しながら、上告人らが数十年来開示を求めつづけ、提出命令の発動を申し立てた資料については何ら言及していない。理由不備は明らかである。

第6 結論
   上記のとおり、原判決の判断は、憲法32条、同17条等に反し、また、理由不備・食い違いを来しているものである。

      2001(平成13)年7月2日



成13年(ネ受)299号(原審・東京高等裁判所平成9年(ネ)第317号・第333号)
   最 高 裁 判 所  御中

2001年7月2日

  上 告 受 理 申 立 て 理 由 書

 申立人(一審原告、二審333号事件控訴人兼317号事件被控訴人)
                         福 冨 弘 美
                           外4名(略)
    上記5名訴訟代理人      弁護士   伊 藤 ま ゆ
         同         弁護士   後 藤 昌次郎
         同         弁護士   大 口 昭 彦
                           外2名(略)
 被申立人(一審被告、二審333号事件被控訴人) 国
           代表者法務大臣       森 山 真 弓
 被申立人(一審被告、二審317号事件控訴人兼333号事件被控訴人)
                         東  京  都
           代表者東京都知事      石 原 慎太郎
 被申立人(一審被告、二審333号事件被控訴人) 山 本 達 雄
    同                    松 永 寅一郎
 事件名  警視総監公舎爆破未遂等無罪国家賠償請求上告事件

第1 原判決の判断は、著しく経験則、論理則に反する
一 原判決における不自然・不合理な供述の意義
 (1)原判決は、本件4323車窃盗事件及び警視総監公舎爆破未遂事件(総監公舎事件と略)について、「本件の判断における基本的立場」を提示したうえ「上告人らが主張する個々の行為について判断する」と称して、刑事事件における検察官主張の骨格をなす各部分、合計54個所について、逐一申立人らの主張を排斥する構成をとっている。このうち「基本的立場」は、理由不備・食い違いが顕著であることから上告理由として取り上げた。本申立てでは「個々の行為」部分に関する経験則・論理則違反、判例違反を指摘する。
 (2)原判決の特徴は、申立人らの主張からその根拠や具体性をはぎとったうえで、供述の不自然・不合理などについて、捜査官の誘導や押しつけ、誤導などは認められないと決めつけていくことにある。そして、たとえ供述に不自然・不合理があっても、「有罪認定の妨げになるからといって、直ちにそのことから捜査官が違法な誘導などをしたことを推認することはできない」(・(3))と断定する。その前提となるのは、問題(行為)を細切れに分断し、関連事項との関係を断ち切ってしまうことである。そこでは、供述と誘導との関係性が没論理的に断ち切られ、さらに、事実関係全体を総合的にみる視点が抜け落ちるだけでなく、捜査官はそもそも何をするべきかという問題、その注意義務はどこにあるかといった問題が一切捨象される。このような認定によっては、不自然・不合理な供述をもたらす背景として、その時そこで何があったのかを知る手がかりは得られない。つまり、原判決の視点からは、真実を解明する糸口をつかむこともできないのである。現に、原判決は不自然・不合理な供述を上記のように、単に「有罪認定の妨げになる」ものと認識している。このような見方から、誘導の有無などを論理的、科学的に把握していくことは不可能である。
 (3)上記のとおり、原判決がここで取り上げているのは54個所の問題点に及ぶが、ここには4323車窃盗事件及び総監公舎事件の一件ストーリーの主要部分がほぼ網羅されている。そして、その全体にわたって不自然・不合理な供述が現れているのである。だからこそ原判決はそれぞれの供述と違法な取調べを遮断するために、決まり文句で断定をするのだが、それでは何故、一件ストーリーの節目節目を構成する骨格部分のほとんどすべてにわたって、不自然・不合理な供述が出てきているのだろうか。経験則・論理則に反する原判決の見方から、全体像を把握することは不可能となる。
二 原判決と自白供述
 (1)原判決は、被疑者の不利益供述あるいは自白供述について、時代遅れの誤った観念にとらわれている。その端的な現れが、捜査官が誘導すれば不自然・不合理な供述は生まれない、客観的事実との矛盾など派生しない。すなわち、このような供述が生まれるのは、供述者が自発的に述べているためだというのである。4323車のドアの開け方に関して、原判決は以下のような推論を述べる。 「4323車のドアを開けて盗もうとする場合に、通常とられる方法があると
・するならば、多数の自動車窃盗事件の捜査を担当する警察において、捜査官が
・それを知ることは容易であろう。そして、もし、捜査官が第一審原告らが真犯
・人でないことを知りながら、虚構のストーリーを作り上げ、第一審原告らに強
・いて自白させるとすれば、通常とられる方法を示唆して、自白を得ようとした
・であろう。したがって、外狩の供述内容が不自然不合理な点があるということ
・から直ちに、捜査官が、第一審原告らの主張のような誤導をした事実を認める
・ことは困難であるといわねばならない」(第3の2・(1)38頁)。
 この推論は、仮に被疑者が「通常とられる方法」に従って合理的な供述をした場合には、それこそ信用性・真実性に疑いの余地のない供述だとする論理と裏腹の関係にある。したがって、これは論理則に反する認定といわなければならないだろう。
 (2)そもそも、原判決はこれら問題の多い本件自白供述を虚偽自白とは認めていない。刑事裁判の判決が、信用性に疑いがあると認定しても、虚偽自白と認定したわけではないという。それにもかかわらず、申立人らの主張は本件自白が虚偽自白であることを前提にしている、刑事判決がそのように断定していない以上、申立人らの主張は前提を欠くということになる。また、東京高裁10刑事部の判決では、自白の内容が全面的に虚偽であるとまでは断定していないというのである。それでは、全面的でない一部虚偽の自白とはどんなものだろうか。ストーリーや実行行為の核になる部分だけは、信用性に満ちた自白である場合はまだしも、一点でも重要部分の供述が虚偽である場合、その被疑者は一部犯人で他の部分は冤罪者となるのだろうか。本件でいえば重要部分で問題のない自白があるとは思えないが、たとえば窃盗累犯で多数の犯行を犯しているという場合はともかく、一つの事件の自白が全面的でないというのは、有力な物証を突きつけられて、犯行の一部を認めた場合などであろう。しかし、それは全面的に認めるか、全面的に否認するか、その途中の段階にあるということであって、その状態で固定したまま、何十年も時が過ぎていくようなことにはならない。申立人N×や同S×、同T×の自白は成立後、数か月ももたずに全面崩壊したのである。
 (3)東京地裁刑事2部判決は、本件の自白の全体を詳細に検討したうえ、自白供述には秘密の暴露が全くないことに加え、客観的裏付けもないこと、そして供述の不自然な変遷や他の供述者との連鎖的変遷がみられること、関係する自白が相互に一致しないこと、真犯人であれば当然説明できる客観的事実について不明瞭な供述やこれと齟齬する供述が相当みられること、供述内容自体に不自然、不合理な点がみられること、証拠上明らかな事実について各人の供述中に説明がないこと、などを指摘した。これは、前年の鹿屋事件最高裁判決(昭和55(あ)677号昭和57年1月28日第一小法廷判決・刑集36巻1号67頁)にも沿うものである。これらの条件に適合する自白は、信用性に大いに問題があり、すなわち虚偽自白と評価される。
 草加事件民事裁判の最高裁判決(2000年2月7日第一小法廷判決・民集54巻2号)も、「重大な犯罪事実について少年ら6人がそろって任意に虚偽の自白をするとは考え難いから、特段の事情がない限り、その自白は真実を述べたものと認めるのが相当である」とした原審判決を鋭く批判している。そして、血液
型と合致する少年がいなかったにもかかわらず、僅かな理論上の可能性を根拠に自白との矛盾は生じないと判断し、さらには誤導の疑いのある虚偽供述部分を軽視したことを指摘して、原判決を破棄し、少年審判ですでに「有罪」が確定していた少年らの名誉を回復した。この国の刑事裁判は1970〜80年代から、積年の自白偏重主義から脱却しているのであって、原判決の見地は、上記最高裁判例にも反し、人権のレベルからみて、大変遅れているといわなければならない。
三 自白と客観的事実との矛盾
 (1)原判決は、自白と客観的事実との矛盾について、あまりにも軽視している。その最たるものが、本件爆弾のセット方法であろう。爆弾を京都でもらってきたという申立人S×と同人に説明を受けて、実際に総監公舎に仕掛けに侵入したことになっている同N×は、全く同じ誤りをしている。とくに同N×は、回路が閉鎖し雷管に通電する瞬間に点灯する豆電球について、タイマーをセットすると点灯するものと勘違いし、時限装置を作動させ豆電球がついた爆弾を抱えて邸内に侵入したと自白している。そして同N×の取調官であった西海喜一は、法廷での尋問に際してまさに同じ誤解をしていたことを暴露した。この点について、原判決は「本件爆弾を製造したり、十分な時間をかけて検証したりした経験のない者が、その外観などによる大まかな把握をもとに、構造や操作方法の一部について誤解し、その誤解に基づいて供述することがあっても、それほど不自然とはいえない。捜査段階における本件爆弾に関する第一審原告N×などの供述に、客観的事実との齟齬があることを根拠に、その供述が取調官の違法な誘導によるものと断定することは困難であるといわざるを得ない」という(第3の2・(5)43頁)。これはどう考えても、事理に即した認定ではなく、あらかじめ予定した結論に合わせるためのこじつけでしかない。
 (2)具体的に指摘すると、全項目について言及しなければならなくなるが、前項も含めて記憶違いが強調される。「供述変遷の態様をみても、記憶の喚起に基づくものと考え得ないでもない」(第3の2・(14)41頁)。これは、別件捜査の端緒になった4323車が麹町署近くで追突事故にあったときに、乗っていたメンバーについての供述である。この時の乗員の1人として申立人F×とともに最初に逮捕された同N×は、それはK×とF×だったと聞いているとの供述を維持して起訴されていたが、12月12日初めて総監公舎事件で自白調書を作成された翌13日、乗員は自分とF×であり、総監公舎に下見に行く途中だったという調書に署名している。総監公舎事件の自白では先行した申立人S×も、同じ日にメンバーをF×・N×に変更している。この変更が、記憶喚起に基づくものと考え得ないでもないと原判決は認定する。経験則違反もきわまる事例といえる。
第2 違法捜査の証拠
 (1)その他、さまざまな不自然・不合理な自白について、原判決はそのすべてに捜査官による誘導など違法な取調べはなかったと断定し、他方では、供述内容から違法な捜査・取調べを証明することはできないし、違法捜査を認める証拠は見当たらないと強調している。
 (2)しかし、この点では以下のように著名な最高裁判例がある。
  「訴訟上の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験
・則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実の存在を是認し得る高度の蓋然
・性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真
・実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるもので
・ある」(昭和48(オ)517号最高裁昭和50年10月24日第二小法廷判
・決・民集29巻9号1417頁、平成8(オ)2043号最高裁平成11年2
・月25日第一小法廷判決・民集53巻2号235頁ほか)
 原判決は、自白については必ずしも不自然とはいえないと、その信用性を最大限評価する認定をする一方で、捜査官らの違法の証明については、100%の証拠を要求する傾向がある。上記の判例とは明白に対立する見解である。
第3 検察官の公訴提起の違法性
 (1)検察官の公訴提起・維持の適法性について、原判決は4323車窃盗事件では「原判決の挙げる証拠資料によれば(543頁以下及び767頁以下)検察官が、公訴を提起する時点で、第一審原告らの自白に信用性があると考え、有罪と認められる嫌疑があると判断したことに不合理な点はない。また、公訴の維持についても、違法な職務執行を行った事実を認めるに足る証拠はない」と判示し、総監公舎事件では「原判決の挙げる証拠資料によれば(975頁以下)、検察官が公訴を提起する時点で、第一審原告S×及び同N×の自白に信用性が高いと考え、第一審原告らに有罪と認められる嫌疑があると判断したことに不合理な点はない。また、公訴の維持についても、違法な職務執行を行った事実を認めるに足る証拠はない」(42頁)と述べている。
 (2)「公訴の提起・維持は、起訴時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものである」(37頁)と原判決はいう。しかし、総合勘案し合理的な判断過程によってのみ有罪と認められる嫌疑があったかどうかについて、判断した当事者が選択した証拠によって合理的に判断することは不可能というべきである。本件のように、刑事裁判が基本的に起訴時の検察官の手持ち証拠によって進められたうえ、すべて無罪の判決がだされ、しかも検察官がその判決に対して控訴もなし得なかった事例では、起訴時の検察官の手持ち証拠に、たとえば被疑者らに有利な資料や、当時は意味に乏しいと思われていても、後日、被告人らの有利に結びつく資料はなかったかどうかが問われる。被告人らの不利に結びつく証拠資料がすべて使いつくされたことは明らかである。もし有力なものが残存していたならば、検察官は控訴をしたであろう。
 起訴時の資料を基に、検察官が完敗したとなれば、起訴時の判断が適切だったかどうか、検察官の職責に求められる注意義務が払われたかどうかを、見直すのが当然である。申立人N×、同S×らの警察で作成された自白は、いたるところで綻びをあらわしていた。それに気づかないほど、検察官が偏見にとらわれていたとは考えたくないところである。
 なお、火取取調べへの検察官への関与について、申立人らは、一審に続き原審でも被申立人山本が、すくなくとも事後に関与したことを詳細に論証した。被申立人国の主張に従えば、同人が被申立人松永寅一郎に対し、火取での取調べの禁止を強く言い渡した後、12月15日、検察官久保とともに申立人N×及び同S×を取調べるまで、警察が同N×らに対する火取による取調べを平然と実行し続けた事実、その一方で、同じく同山本が同N×らを取調べる前に、警視庁が申立人T×を含む申立人ら6人について、爆取逮捕することを記者発表した事実などはどのように説明づけられるのか。原判決は、申立人らの主張によって、あらかじめ破綻していた内容を判示しているのであって、原判決には、市民一般を納得させるだけの説得力はおよそ欠落しているのである。
第4 結論
  以上のとおり、原判決は、重要な事項について経験則・論理則、最高裁判例に反するものである。原判決の判例違反など、まだ論ずるべき主題は多数存在するが、煩雑となるので省略する。上告の受理を強く要請したい。

 以上



成13年(ネオ)第323号・(原審・東京高等裁判所平成9年(ネ)第317号・第333号)損害賠償請求上告事件
    最 高 裁 判 所  御中

      2001年8月1日

上告理由書の訂正及び補充等

  上告人(一審原告、二審333号事件控訴人兼317号事件被控訴人)
                          福 冨 弘 美
                            外4名(略)
  被上告人(一審被告、二審333号事件被控訴人) 国
                              外3名
     上記上告人5名訴訟代理人   弁護士   伊 藤 ま ゆ
             同      弁護士   後 藤 昌次郎
             同      弁護士   大 口 昭 彦
                            外2名(略)

              目    次
 一 正誤表・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1
 二 別添資料について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
 三 上告理由書第3一項の補充・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3
  1 原判決における上告人らの主張の構成・・・・・・・・・・・・・ 3
  2 総監公舎事件初期捜査における上告人らの主張の歪曲・無視・・・ 4
   ・ 原判決(16)及び(17)項について・・・・・・・・・・・ 4
   ・ 原判決(18)及び(19)項について・・・・・・・・・・・ 8
   ・ 原判決(20)項について・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12
   ・ 「嫌疑を払拭すべきであった」なる主張について・・・・・・・ 13
  3 その他の事項における上告人はらの主張について・・・・・・・・ 17
   ・ 窃盗事件捜査について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17
   ・ 自白供述と誘導・誤導について・・・・・・・・・・・・・・・ 19
 四 上告理由書第5の補充・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20
  1 犯行ストーリーを前提とする判断・・・・・・・・・・・・・・・ 20
   ・ 4323車窃盗事件(9)項について・・・・・・・・・・・・ 20
   ・ 4323車窃盗事件(6)及び(14)項について・・・・・・ 20
   ・ 総監公舎事件(5)項について・・・・・・・・・・・・・・・ 21
   ・ 総監公舎事件(6)項について・・・・・・・・・・・・・・・ 21
  2 理由そご・理由不備・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22
 五 結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22

             別  添  資  料
 (別添資料1)原判決における「一審原告主張」に対応する上告人らの本来の主
        張の所在・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1〜8頁
 (別添資料2)原審準備書面総目次・・・・・・・・・・・・・・・・1〜9頁
 (別添資料3)原原審準備書面総目次・・・・・・・・・・・・・・・1〜16頁
 (別添資料4)証拠一覧表(乙号証・甲号証全リスト)・・・・・・・1〜13頁
 (別添資料5)証拠一覧表(時系列配列による捜査記録)・・・・・・1〜7頁

一 正誤表(2001年7月2日付「上告理由書」の訂正)
  (略:上告理由書上で修正済み)

二 別添資料について
  本件民事事件の関係記録は膨大なものがあるが、このなかで、基礎的資料のリスト等が必ずしも整理されていないので、便宜上、原判決の判断に対応する上告人らの主張の所在、上告人らの主張を示す準備書面の目次、証拠一覧表などを本書面末尾に添付する。
 1 「(資料1)原判決における『一審原告主張』に対応する上告人らの本来の主張の所在」
   原判決が「第一審原告らの主張」と称する54項目にわたる事項について、これに対応する上告人らの原審における主張(一審判決に対する批判と、相手方の反論に対する再批判)、及び原原審における主張(総監公舎事件発生時からの捜査経過に即して違法性を明らかにする主張と相手方の反論に対する再批判)の所在を示すリストである。
 2 「(資料2)原審準備書面総目次」
   原審における上告人らの主張の全体像を明らかにするため、各準備書面の目次をまとめたリストである。一審判決に対する批判と相手方の反論に対する再批判を主な内容とする。
 3 「(資料3)原原審準備書面総目次」
   総監公舎事件発生時から時系列に整理した証拠資料に基づいて、本件捜査の真実に迫り、公権力の違法な行使の実態を明らかにする原原審における体系的な主張(一審準備書面(9)〜(15))とそれへの相手方の反論に対する再批判(一審準備書面(16)以降)を主な内容とする。
 4 「(資料4)証拠一覧表(乙号証・甲号証全リスト)」
   本件民事訴訟に提出されている乙号証及び甲号証をそれぞれ番号順に整理したリストである。一部重複があるのは、当初、国の適法性主張と証拠調べ請求が遅れたために、上告人側から一部の立証を先行的に行ったもの。後に、公判調書を含めて刑事記録については原則的に国が乙号証として提出することが当事者間で合意されたため、それ以後は基本的に乙号証として提出されている。
 5 「(資料5)証拠一覧表(時系列配列による捜査記録)」
   本件捜査の経緯と実態を明らかにするため、総監公舎事件発生から、刑事裁判の始まる1972年3月までに作成された全捜査記録等を、作成日の時系列順に配列し直したリストである。この段階で作成された捜査記録については、刑事・民事を通じて開示された限りの資料が基本的にすべて含まれている。なお、4323車窃盗事件については、事件発生時及び被害車両発見時に作成された記録が、総監公舎事件に先行することになるが、このなかには作成日が誤記されたもの(乙213号証)1通、作成者と準捜査本部がバックデートしたことを認めたもの(乙468号証)1通が含まれる。

三 上告理由書第3一項の補充
 1 原判決における上告人らの主張の構成
 (1)原審における上告人らの主張は、「(別添資料2)原審準備書面総目次」に示すとおり多岐にわたるが、原判決において「第一審原告らの主張」とされるものは、そのほとんどすべてが上告人らの主張とは相容れない異質なものである。原判決の判断は、いわば幻の主張を退けているにすぎないことになる。
 原判決の判断部分は、「第一審原告らが主張する、捜査官の故意による不法行為の事実は、本件の全ての証拠を検討しても認めることはできない」と一方的に断定したうえで、「第一審原告らの指摘する個々の行為について検討する」として、前述のとおり54項目をあげている。その項目立ては、原判決の事案の概要部分における「第一審原告らの主張」と全く同じであり、「第一審原告らの主張」とされるものについては、判断部分の方がその主張なるものを退ける必要性から、やや具体的な記述がされている。
 各項目は、総監公舎事件の初期捜査にかかわるもの、それに続く4323車窃盗事件の捜査にかかわるもの、そして4323車窃盗事件及び総監公舎事件の主な自白供述の内容にかかわるもの、すなわち刑事裁判で検察官が主張した両事件の犯行ストーリーを構成する主な要素部分に大別される。各個別の項目については、対応する上告人らの本来の主張の所在を(別添資料1)に示した。
 (2)原審における上告人らの主張は、原判決が上告人らの主張を全面的に歪曲しあるいは無視したことから、当然、一審判決に対する全面的批判を主な内容として、一審判決がいかに上告人らの主張と噛み合っていないか、いかに客観的事実に反し、上告人らの主張によってあらかじめ破綻済みであるかを繰り返し明らかにしている。
 ところが、原判決は自ら認めるように、基本的にこの一審判決を踏襲するものであった。上告人らの主張に対する歪曲、理解能力のなさ、あるいは無視が繰り返されることになった。
 この結果、原審における上告人らの主張は、そのまま原判決に対する批判としても有効性を持っている。原審における自白供述の内容にかかわる問題は準備書面(2)及び(3)、総監公舎事件初期捜査から窃盗事件捜査までの問題は準備書面(10)で、また検察官の職務にかかわる事項は準備書面(9)及び同(12)で、それぞれ詳細に論じている(被上告人らに対する反論は、準備書面(4)、同(7)、同(8)、同(11))。それらの膨大な論述を繰り返すわけにはいかないので、以下に、原判決が上告人らの主張を歪曲・無視し、また、そのうえで見当外れもきわまる判断を示している問題点について、総監公舎事件初期捜査に関する上告人らの主張を例にとって、原判決(基本的に判断部分を対象とする)においてどのように扱われているかを具体的に述べておきたい。
 2 総監公舎事件初期捜査に関する上告人らの主張の歪曲・無視
  ・ 原判決(16)及び(17)項について
 (1)原判決(16)及び(17)項は、被上告人松永が8月10日に作成した関昭夫供述調書(乙13号証)に関するものである。(16)項は、「関が犯人の特徴を明確に認識しなかったとしても不自然ではなく、被上告人松永が関を誘導して虚偽の供述をさせたとの第一審原告らの主張を認めることができない」という。事案の概要部分における同項をみると、一審判決が「犯人を明確に認識するほどの光源はなかった」と認定したことが前提にあることがわかる。一審判決は、「道路の水銀灯の光は桜の木でほとんどさえぎられ、総監公舎正門付近の現場には届かない」と認定したのである。これに対して上告人らは、刑事裁判当時から当該大型の道路照明灯と総監公舎正門の間には樹木が存在しないこと(乙22号証)、加えて当夜の現場付近は、小××××の供述(乙15号証)にもあるように月照で非常に明るかった事実を指摘していた。この関調書でも、公舎前の道路は照明灯で明るく月照もあった(「道路照明が明るいので、月照はあまり関係がない」)と述べられているのである。原判決は、上告人らが再三指摘しているこの主張と客観的事実を無視した。すなわち、それらの主張を読まなかったとしか考えられない。
 (2)しかし、この点で上告人がより問題としているのは、関が8月7日の供述(乙6号証岩城秀夫作成)では、犯人の顔を見たのは、玄関ドアを開けた際であると述べていることにある。その場所は勤務員室の照明によって明るいため、関は3メートルぐらい離れた位置にいた男について、背丈や頭髪を短く刈った丸顔であること、白半袖のポロシャツようのものに黒っぽいズボンの男であったと特徴を述べている。ところが3日後の松永作成調書では、犯人の顔を見たのは正門の門扉手前で犯人に追いつき右手をつかんだ瞬間で、相手の動きが激しくはっきりした人相はとれなかった、頭髪の点も短かったと言い切る自信はないというのである。この調書では、玄関ドアを開けて犯人を発見した時の状況は何も述べられていない。
 捜査主任官である松永が、事件当日の供述内容を確認せずにこの供述調書を作成したとは考え難いし、関が犯人の特徴を述べるに当たって、ことさらに発見時の状況を省略して供述したとも考えられない。松永作成調書では、「短かったと言い切る自信がない」という以外に、犯人の特徴に関する記述は何もないのである。そこからして、松永は関の記憶喚起をはかるよりも、関が110番の第一報でも伝えていた「髪短い」という犯人の特徴が断定的なものでないと述べさせることに努めた疑いがある、というのが上告人らの主張なのである。松永に、本当に髪が短かったのかと再三問い詰められれば、関としては自信をなくしていくのも当然、と上告人らは指摘している。上告人らは、単に関が犯人の人相を明確に認識していたはずであるとか、松永が関を誘導して虚偽供述をさせたと主張しているのではない。
 関は8月7日麹町署で、上告人S×及び同F×の面通しをして犯人とは別人であると述べているので、被上告人松永は、この段階ではとりあえずS×がアリバイ証人として指名した上告人N×の特徴である長髪と矛盾しない、あいまいな犯人像の調書を、後日、通常捜査が行き詰まった場合のために用意しておいたのであろうと上告人らは推測している。それ以外に、記憶が新鮮であった当初の供述における犯人の特徴について、さらに記憶喚起に努め、以前述べた記憶を再確認するのではなく、もっぱら特徴をあいまいにするだけの供述を引き出す理由は考えられないからである。
 (3)なお、刑事裁判で関に対する尋問が行われた際には、12月21日に作成された検察官調書2通のうちの1通だけが開示されており、本調書及び事件当日の調書等は刑事裁判終局段階でようやく開示された。このため真相に肉薄する有効な尋問は妨害されたのである。上告人らは、関自身が作成したことを認めている事件当日の報告書の開示を長年要求している。
 以上のとおり、上告人らが被上告人松永作成による関供述調書に関して主張しているのは、関が犯人を明確に認識しなかったとは必ずしもいえないこと、そして、当初具体的に述べられていた特徴が、捜査主任官である被上告人松永が作成した調書では、もっぱら記憶をあいまいにする方向に変更されているという不可解な状況であり、それはその後の捜査の進展に即して重視されるべきだということである。
 (4)原判決(17)項について、上告人らが主張しているのは、同じ調書における関の逃走車に関する供述の変更が、前項と同様に全く不自然であるという点にある。同調書で、関は「事件発生当日に曙橋付近で4680車を見たのは午前6時ころで、昼間であったため、車の色は夜間に見た逃走車両と全然異なる色でした」と、当日4680車に対して否定的な見解を述べたのを修正する根拠として、昼と夜の明るさの違いをあげている。ところが、この点で原判決は、「関巡査が事件発生当日4680車を発見現場で見分した時刻については、必ずしも明らかではないが、そのことは第一審被告松永による誤導があったか否かの認定を左右しない」と認定する。
 (5)ところが、4680車を発見現場で実況見分した報告書には、実施時刻が「8月7日午前2時50分から午前3時50分」(乙14号証武田永彦実況見分調書)と記載され、「見分を行っている際、関が来て、逃走した車かどうかはわからないと述べた」(乙24号証武田永彦捜査報告書)とされる。そして4680車を発見し、上記実況見分終了後、同車を四谷署まで運転して移動した四谷署の警察官加藤顕は「関が来たのは午前3時半ころ」(乙25号証)、「午前4時ころ現場を離れ、4680車で四谷署に戻った」(乙564号証)と述べている。関が見分した時刻が午前4時以前であることは証拠上明らかであり、上告人らは「当日の日の出が午前4時50分過ぎ」(東京・中央標準時)であった事実を指摘した(一審準備書面・42頁)。日の出の1時間近く前では、曙光は現れていないのである。
 そこで、関が曙橋付近で4680車を最初に見分したのが、実際には夜明け前の暗い時刻であったのに、その3日後になると昼間と同様の明るい時間帯であったと記憶違いする可能性があるかどうかが問われる。この時点で、上記実況見分調書等の記録はまだ作成されておらず、その関係の捜査を担当したのは準捜査本部に属さない四谷署の署員だったことからして、関調書の作成者である被上告人松永は正確な時刻等を知らなかったことが十分考えられる。してみると、この供述は関の経験に基づくのではなく、被上告人松永が誘導したものとしか考えられない、というのが上告人らの主張である。
 (6)加えて、8月10日未明に行われた4680車を使った再現実験で、関は4桁の登録番号の2番目が読みとりにくいことがわかったと、4980が4680の見間違いであった可能性が「6割から6割5分程度」あることを同調書で供述しているが、1文字だけ読みとりにくい原因については何ら言及されていない。関自身であれ、立ち会っている警察官であれ、ナンバープレートの大きく表示された4桁の数字のうち1文字だけが読み取れない現象があれば、その場で原因を調べるのではないか、と上告人らは主張している。
 念のためいえば、上告人らは関が見た逃走車は4680車であった可能性が高いと考えている。しかし、この調書においては、被上告人松永が関の記憶の修正を図ったと考えざるをえない。前項では、犯人の特徴に関する関の第一印象をあいまいにし、結果的に上告人N×との矛盾を解消し、逃走車に関しては関の「記憶」を強引に4680車に引き寄せたことになる。
 原判決は、上告人らのこのような主張を歪曲したものというほかはないが、なによりも判断に先立って上告人らの主張をチェックしていないことが問題である。その内容を認知してさえいれば、(16)(17)のような記述は、恥ずかしくてできなかったはずである。
・ 原判決(18)及び(19)項について
 (1)原判決は、犯人の逃走状況に関する関昭夫の供述について、「細部はともかくおおむね関巡査の供述による方法で、爆弾設置犯人が警視総監公邸から脱出したものであると認めることができる」と認定している。ところが、上告人らの主張は、まさに検討対象から外された細部を問題とするものである。なぜなら、関の供述が、問題の細部を確定的に述べるものだからである。関は、供述調書上も法廷の尋問でも一貫して犯人の両手首をつかんだままの状態で、犯人が後ろ向きに門扉下部の空間から抜け出てしまい、関と扉を挟んで引っ張り合う形となったが、相手が急につかまれた両腕を振り上げたため、関の手が門扉の横桟に当たり、その衝撃で犯人の手を放し、逃げられてしまったと述べている。これが細部である。
 (2)上告人らは、客観的な門扉の構造からして、この空間を敵対者に両手首をつかまれたまま脱出することは物理的に不可能だと主張している。それが不可能であるのは、単に幅19.5センチ×上下52センチの狭い空間だからでなく、門扉の鉄柵を支える構造として底辺部に地上10センチから10センチ幅の横桟が存在し、脱出するには、この下桟をまたがなければならないためである。両手首をつかまれた犯人は、まず頭部を地上72センチ以下に下げ、後ろ向きに片脚を先に出したうえで、20センチ弱の横幅の間に体を横に差し込むことになるが、そこで動きがとれなくなる。あるいは、全く無防備の体勢となる。
 残った片足を持ち上げ、体と共に外に引き出すには、少なくとも片手で鉄柵をつかんで支えとすることが最低限必要不可欠な条件である。このことは、両手を前方上に伸ばし、自由に使えない状態にして、その空間の高さと幅に見合うようにしゃがむ姿勢をとり、前方の片足を20センチ高まで持ち上げようとしてみれば、誰でも容易に判明する。関節の柔軟性や腕力の強さ、敏捷さ、放出するアドレナリンの量の多寡にかかわらず、つかまえようとしている相手に両手首をつかまれたままでは、この低く狭い空間を抜け出るために、残る片脚を持ち上げることも、体の大半を外に引き出すこともできないのである。
 この過程で、一時的につかまれた片手を振りほどくことに成功した場合も、相手は一方の腕を両手で引っ張りあげて逆手に取ったり、顔面に膝蹴りなどを加えて圧倒すること、決定的なダメージを与えることができる。
 (3)上告人らは、片手だけでも自由に使えれば、かなり大柄な人間でもそこを抜け出ることは可能であるが、関供述の細部に従う限り、この脱出は不可能である旨を刑事裁判以来指摘している。それにもかかわらず、被上告人らや一審判決は、下部の横桟の存在には決して触れることなく、単にその空間を抜け出ることができるかどうかに問題をすり替えてきた。そして原判決は「細部はともかく全体として物理的に不可能であるとはいえない」という。上記のとおり、上告人らは細部を問題にして物理的な不可能性を断定しているのであって、その論理的帰結として関供述が虚偽である旨を主張している。単に最初に犯人が抜け出し、やや間を置いて関が抜け出して後を追ったことが「全体」であるのなら、物理的に可能とか不可能とかいう問題は派生しない。この項の問題については、一審判決及び原判決は、上告人らの主張を読まなかったのではなく、都合の悪い部分が存在しないかのように無視しているのである。
 (4)そして、上告人らがこの点を問題にするのは、関がこの脱出方法を述べた4か月後に、侵入犯と想定された上告人N×が、まさに細部において一致する脱出場面を自白しているからにほかならない。関とN×は、物理的に不可能な方法を、あるいは百歩譲って少なくともきわめて困難な方法について、その困難性や障害となった状況などについて何ら言及することなく、最後に関が相手の手を放した場面までを、共通の過程と方法で、ほとんど瞬間的に(容易に)脱出できたと述べているのである。
 なお、一審判決は関が犯人の後を追ってくぐり抜けた際に生じたと思われる背中の擦過傷を、腕の傷と間違え、それが関の扉を挟んで引っ張り合ったという供述を裏付けるものと認定し、もともと関の供述どおりであれば、半袖シャツで裸の腕に傷を負わないはずがないと主張していた上告人らに、「腕に受傷とは真っ赤な虚構である」と批判された。原判決は、こうした点を一切捨象して、犯人が逃げ関が追ったという大筋だけを強調する。これは、関の供述を否定し、上告人らの主張を著しく歪曲するものである。細部あるいは具体性を捨象し、アバウトにして雑駁な認定をするのは、原判決の特徴の一つでもある。そのような方法論によって、刑事事件の真実に迫ることは不可能といえる。
 (5)上告人らは、このとき犯人と関との間に起こった事態は、門の内側で何らかの理由で関がひるんでしまい、その僅かの隙に犯人は両手を使って扉をくぐり抜け、気をとりなおした関が後を追うという経過を辿ったものと考えている。原判決が援用している警視庁無線通話日誌(甲110号証)には、関の緊急報告に基づく総監公舎事件の第一報として「総監公舎、物(ブツと発音するのであろう)を投げた」とある。真先に現場に駆けつけた麹町署の警察官丹波守次も、この無線指令の言葉を記憶にとどめていた(乙549号証)。次項の問題と関連して、犯人に接近し捕捉しようとしていた関に対し、犯人はまだ抱えていた爆弾を投げるぞと脅したか、または実際に投げたのではないか、と上告人らは考えている。
 (6)原判決は、このN×供述が「虚偽の供述かどうかを断定するに足る証拠はない」という。証拠がないと断定するためには、たとえば上告人らが提出している内田雄造(現東洋大学工学部学部長)らの鑑定書(甲57号証「警視総監公舎爆破未遂事件において関昭夫巡査と「犯人」によって演じられた発見・追跡・格闘・脱出・追跡の再現実験に関する鑑定書」)や、あるいは上告人らによるN×自白の成立に関する一審準備書面以来の詳細な分析を具体的に論駁する必要があった。N×の総監公舎脱出場面が虚偽自白であることに疑問を呈する判断が、裁判所から出てくる事態は、上告人らにとっておよそ想像を絶することであった。N×の自白が虚偽でないのであれば、N×は総監公舎事件の犯人なのであり、おそらくは刑事裁判で検察官が主張した一件ストーリーが真実なのであろう。そうであれば、検察官はなぜ控訴権を放棄したのか、その責任を問われてしかるべきではないか。
 (7)原判決(19)項は、「爆弾犯人及び爆弾の発見状況に関する関の供述が
虚偽であるとは認められず、第一審原告らの主張は採用できない」という。上告人らの主張は、関の供述が前項のように物理的不可能をいう虚偽とは区別したうえ、疑問を投げかけたものである。すなわち、前日、上司から原爆記念日でゲリラを警戒するよう指示され、玄関踊り場のソファに仮眠していた関が、正門の内側を何かが通過した際、1回だけ鳴るチャイムで目を覚まし、足元のスリッパを突っかけてほんの数メートル先の玄関ドアを開けた時、侵入犯が砂利敷きの前庭を25メートルも侵入して建物付近に爆弾を設置した後だったというのは、タイミングが合わないのではないかという疑問である。関がドアを開けるまでにどのくらい時間をかけたかが不明なので、断定的なことはいえないが、侵入犯が忍び足でいくらも進行していない段階で関が発見し、追跡したのだとすれば、犯人が両手をつかまれた状態ではなしに脱出できる可能性もより高まるということである。断定はできないが、犯人及び爆弾の発見状況に関する上告人らの主張は以上のとおり具体的なものである。
  ・ 原判決(20)項について
 (1)小××××供述にある実験に供された車が4680車であるかどうかは、さして重要な問題ではない。しかし、小××供述調書には、実験に用いた車両についての記載が何もないこと、小××が黒いセドリックだと思うといっているのに、白っぽいコロナである4680車を実験に用いて前夜の車との類似性が確認されたとすれば、4階の窓から見た後、小××に道路に降りて実験車を見せて違いを確認させるであろう。その形跡が全くないことなどには、たいへん不自然な点がある。調書を作成したのがベテラン捜査官である被上告人松永であり、前日に関に対する実験について調書を作成しているだけに、記載もれなど単純ミスとは考えがたい。この6日後にもほぼ同じ内容の供述調書を岩城秀夫が作成しているが、やはり実験車については触れていない。深夜、4階の窓から見下ろすと、白っぽいコロナが黒っぽく、より大型車に見えやすいものかどうか、第三者の印象が明らかにされているわけでもない。
 (2)また、被上告人松永自身は法廷で、小××に対する事情聴取について具体的記憶を述べながら、実験に限っては全く記憶がないと供述している。そもそも、この実験が行われたという8月8日の時点では、関昭夫が4680車について否定的な見解を示したままの状態なのだから、黒いセドリックと述べる小××に対する実験に4680車を使わなかったからといって、「すり替え」には当たらない。上告人らがすり替えと指摘しているのは、被上告人東京都らがその主張で、実験には4680車を用いたと断定したことを指す。被上告人松永による、再現実験に関する供述調書の作成は、関のほうが8月10日と1日早いが、実験を行ったのは10日未明であり、小××の実験は8月8日未明ということになる。
 (3)上告人らが、すり替えの意味を取り違えないよう指摘しているにもかかわらず、原判決は上告人らの主張が「4680車のすり替え」であることを前提に、「捜査官が実験車をすり替えることは考えがたい」と結論づけている。原判決のこの言葉は、まさに捜査官が不正を働くはずがないという予断を表明するものといわなければならない。上告人らは、捜査官が不正な捜査を行ったと主張しているのである。それに対して、具体的根拠もあげずに捜査官の不正は考えがたいと判断することは、原審裁判所に公正な裁判を行う意思があらかじめ欠けていたことを示す以外のなにものでもない。
 (4)小××供述に関して、上告人らが刑事裁判以来最も強調しているのは、最初に総監公舎の出来事に気づき小××を窓際に呼んだ同僚である坂×××の供述調書を開示せよということである。小××は、車のことはU×のほうが詳しいと供述しているのであり、被上告人松永は、同人の調書も作成したことを法廷で認めている。小××が、「黒いセドリック」と4680車とは全く異なる特徴をあげていること、また、ディーゼルエンジン車でもスポーツカー仕様でもなく、特別変わった排気音を出すわけでもない4680車について、前日に聞いた排気音と同一であるとする供述を重視すること自体が、およそ非科学的である。小××が、特別鋭敏な聴覚の持主だったという証拠もない。それだけに、より車に詳しいという坂×の供述の必要性が高くなる。同人の供述を明らかにできない正当な理由も到底考え難いところである。
  ・ 「嫌疑を払拭すべきであった」なる主張について
 (1)原判決は、総監公舎事件初期捜査における個々の捜査結果等について、上告人らが逐一「その結果に基づいて上告人らに対する嫌疑を払拭すべきだったと主張するが、そうしなかったからといって違法とはいえない」と述べている。上告人らは、これまでに提出されていない捜査資料等で、それのみをもって上告人らに対する嫌疑を払拭すべきといえるものがある可能性を否定しない。とくに、8月6日から7日未明にかけてのN×宅の様子を明らかにする近隣住民に対する聞き込み捜査の結果を記録した資料などは、そのような意味をもつことが十分考えられる。
 しかし、提出済みの捜査資料等にはそれほど決定的なものがあるとはいえない。刑事裁判の検察官も、本件における被上告人らも、上告人らに有利とみえる証拠資料等は一切明らかにする意思がないことが、これまでに提出された証拠自体によっても、また上告人らの証拠開示要求、文書提出命令申立てなどに対する態度からして明白である。原判決は(22)杉×××供述、(23)4680車の遺留品の臭気検査の結果、(24)4680車の遺留指紋、(25)関昭夫の上告人N×に対する面通しの結果、(26)4680車へのS×名義の車検証の遺留、(27)高×××の4680車給油の際の供述などについて、上告人らがそれのみをもって嫌疑を払拭すべきであったと主張しているというが、上告人らはそのような主張をしていない。
 各事項に関する原審の主張には、「一審原告らは、これによって嫌疑を払拭すべきであるなどと主張していない」趣旨が、誤解の余地なく明記されている。
 (2)そもそも、原審裁判所は原原審裁判所ともども、逮捕前から上告人らに対する総監公舎事件の嫌疑が濃厚であり、あるいは身柄拘束に向けて嫌疑がますます深まっていったかのように勘違いをしている。勘違いでなければ、根拠に乏しい予断にとらわれているのである。しかし、上告人らが総監公舎事件の被疑者として身柄を拘束された理由は、ひとえに上告人S×及び同N×の火取被疑罪名で作成された自白調書にあるのであって、それ以外に上告人らが「爆弾犯人」とされる具体的な根拠は何もなかったというのが事実である。犯行ストーリーの構成上、後に自白と強引に連結された証拠資料は多少あるが、それらも自白なしには何の価値も持ち得なかった。これは、本件刑事事件・民事事件を通ずる最も基本的な事実である。
 上告人らに対する何らかの嫌疑が次第に煮詰まっていったり、裏付けが得られていった事柄など、何一つ存在しないのであって、捜査官が上告人らに嫌疑を持とうが、払拭しようが、事態は何も変わらない。一部の捜査官らは、それゆえに身柄確保には別の被疑事実が必要と考え、身柄確保によって事態を打開しようとしたのである。身柄を確保してはじめて、火取自白への可能性も開ける。
 (3)刑事裁判における検察官も、逮捕前はもとより上告人S×の火取自白以前から上告人らに対する総監公舎事件の嫌疑が濃厚であったなどとは全く主張していない。刑事裁判の法廷に出廷したあまたの警察官、検察官らは、口をそろえて11月の段階で上告人らに総監公舎事件の嫌疑があったとは認めていない。捜査主任官であった被上告人松永は、上告人須藤に初めて火取自白をされた時、「まさか」と思い、驚いたことを、法廷でしきりに強調した。8月7日当日以降、上告人らに対する嫌疑が強まったかのように主張しているのは、本件民事裁判における被上告人らだけである。
 被上告人らの主張は、主として刑事裁判の検察官が反対尋問を恐れて開示しなかった新開示資料に依拠している。西海、北岡、高橋充らの捜査官が、三×××及び樋×××の上告人F×及び同N×に対する面割り捜査を実施した際の一方的な報告書、西海が上告人F×が「顔を強張らせた」などと記載している報告書、中××××なるウェイトレスや上告人F×宅付近の住民による黒っぽい車の目撃供述など、刑事法廷で明らかにされていれば、その価値が全面的に減殺するとともに、真実解明に寄与したであろう証拠資料を被上告人らは後出しし、それらの一方的な記述によって上告人らの嫌疑が身柄拘束以前に強まっていたかのような雰囲気をつくりあげようとしたのであった。それらの愚にもつかぬ報告書、供述調書等については、一審・二審を通じて再三問題点を具体的に指摘してきたが、両裁判所は、上告人らの主張を読むことなく、被上告人らの主張に影響されて同調し、予断と偏見を肥大化させたのであった。
 (4)原判決(22)項の杉×××供述に関して、上告人らが一貫して執拗に主張しているのは、同人が事件発生当日に麹町署で作成された供述調書及び、曙橋付近の現場で同人らの目撃について聞き込んだ機動捜査隊の警察官佐藤及び出牛の報告書等を開示せよということである。これらを、未だに開示できない正当な理由があるとは到底考えられない。
 (5)原判決(23)項について、この検査の結果「上告人F×と4680車遺留品とのつながりが否定されたと認めるべき証拠がない」と原判決はいう。上告人らが主張しているのは、直接鑑定に携わったわけでもない捜査官のあやふやな記憶だけを根拠とせずに、検査結果について記載した鑑定報告書などの証拠を提出すれば、それでこの問題は決着がつくということである。一審判決は、遺留品のハンカチ、タオルの写真には何らかの汚れが付着していることがうかがえるから、警察犬の臭覚を混乱させる油の臭いが付着していたと認定した。上告人らは、それがなぜ油であり、臭いが強いといえるのかと主張しているのである。
 (6)原判決(24)項の4680車の遺留指紋について、一審判決・二審判決は、ともにトランクの把手及びその付近の遺留指紋について触れていない。同車はトランクを開けないと給油できない構造になっていること、発見時に20リットル入りの赤色ポリ容器がトランク内に積まれていたことからして、その指紋の意味は重要である。高×××が給油したのが4680車だとすれば、同人の指紋がなくてその後に使用した第三者の指紋がトランク把手に付いたことになる。運転席周辺では前部右側ドア把手だけでなく、内側のノブの裏側にも遺留指紋がある。一方、上告人S×や上告人F×の家族のものがありながら、前日まで使用していた上告人福冨の指紋が1個も採取されていない事実からして、F×の後にこの車を使用し、最後に簡単な拭き取りを行った者がいる可能性は少なくない。このように考えるのは論理的に考えれば常識といえる。それゆえ上告人らは、そうした可能性をも踏まえて捜査を進めるか、あるいはF×の指紋がないからいよいよF×が怪しいと考え、別人が関与している可能性には目をふさいでしまうのかが問われる、と主張しているのである。
 (7)原判決(25)項についても、原審裁判所が本件においては、関昭夫が上告人N×を含む上告人らと犯人との類似性を認めていないことが、捜査の大前提であることを理解できていないことを指摘しなければならない。N×が多少なりと似ていると関が述べたのであれば、火取取調べを待つまでもなく、また4323車窃盗事件を用意するまでもなく、捜査が進展したことは自明である。したがって、関がN×を特定できないことをもって、上告人らに対する嫌疑を払拭するとかしないとかは問題にならないのである。
 (8)原判決(21)及び(27)項の高×××の供述について、上告人らは、目撃時から20日もたってから、4680車を持ち込んで捜査主任官以下の大勢の捜査官が乗り込んできて写真面通しと車の特定を行う捜査方法を問題にしている。上告人F×については、改めて面通しを行うまでもなく高×に否定されたと考えられるが、同N×についても大同小異であろう。眼鏡やひげという特徴がなかったからこそ高×はN×の写真を選んだ、あるいは選ぶように誘導されたと考えられる。高×に対する尋問から8年も経過してから、N×に対する街頭面通しを行ったという話が捜査官から出て、本件訴訟でも被上告人東京都らが高×がN×を特定したかのような主張をしたが、上告人らの再三の要求に対し、被上告人らは面通しを行った事実を裏付ける資料すら、何ひとつ出せないでいる。
 3 その他の事項における上告人らの主張について
  ・ 窃盗事件捜査について
 (1)前項に一端を示したとおり、総監公舎事件発生時からの捜査の過程では、当然存在し、明らかにさるべき資料が頑強に秘匿されつづけたり、幹部捜査官によって不可解な供述調書が何通も作成されている事実、客観的事実の軽視などを上告人らは指摘した。上告人らは、個々の事柄や捜査資料を他の資料等と切り離し、それ自体として違法性の有無を論じても何の意味もないと考える。上告人らの主張は入手しうる限られた資料を基に、秘匿されていることが判明した資料の存在を考慮しつつ、それらを時間的経過に沿って把握し、その時々の捜査側の認識と判断を再構成することによって、本件捜査の実像に迫っている。
 (2)事案の真相解明をめざす通常捜査に進展がみられず、高×××等を利用して上告人らに対する疑惑をかきたてる試みも実を結ばないまま(4680車の関係者としての「元日大生Sさん」「ルポライターFさん」らへの疑惑をほのめかす、一部幹部捜査官のリークに基づく報道が当初続いたが、これも1週間以内に途絶えた)、事件発生1か月を前にした9月初めから、本件準捜査本部の一部捜査官は被上告人松永の指揮下で4323車窃盗事件の捜査に集中的に取り組んでいく。上告人らは、その過程と捜査の内容に本件違法捜査の核心があると主張し、詳細かつ具体的な分析を行っている。
 これに対し原判決は、上告人らの主張の中身を一切無視したうえ、「準捜査本部が4323車窃盗事件を知った経緯等について」の項で「原判決の判示するとおりの事実が認められ、その経緯等に不自然不合理な点は認められない」(42頁)とし、つづく「三×××及び樋×××に対する捜査官による供述の違法な誘導や捏造について」の項で「第一審原告F×及び同N×に対する面通しに関与した三×××及び樋×××に対する捜査官の違法な誘導や捏造の事実は認められない」(同)と一方的に断定して片づけている。
 (3)一審判決は、赤信号待機中の4323車に追突したハイヤー運転手三×及び玉つき被害を受けたタクシーの運転手樋×に対する面割り捜査について、「捜査官が目撃供述を不当に誘導する目的で、髭の写真を原告F×のものしか入れなかったとの事実を裏付ける証拠はない。したがって、右写真面割りの方法が違法であるとまでは認めることはできない」と判示した。その前提として「宮下(準捜査本部デスク)は写真面割りに際して、事前に三×らから聴取した人相に近い写真を選んで捜査員に持たせた。F×以外の髭の写真はたまたま手元になかった」ものと述べている。
 これに対して上告人らは、捜査員が写真面割り捜査に赴く前に三好らから事情聴取をした事実がないこと、したがって三×に追突されて姿をくらませた4323車の乗員に関する捜査官らの事前の知識としては、若い学生風の2人連れの男で1人に髭があるという程度のものでしかないことが証拠上疑う余地のないことを明らかにした。そして、髭の男が当時37歳のジャーナリストであるF×ではないかという仮説を確認しようというのに、髭の男の写真をF×のもの1枚しか用意しなかったこと、写真面割り捜査の実施を決めてから、捜査員が写真を持参して三×を訪れたのは3日後、樋×は4日後であることを指摘した。警視庁に、髭の男の写真が1枚もないことなどありえないのであって、手元になければ用意すればよい。三×らへの捜査を緊急に行わなければならない理由も全くない。
 さらに、その結果1枚しかない髭の写真を選ぶほかなかった三×らに対し、翌日から長時間の待ち伏せを伴う街頭面通しへの協力を求め、歩いて来る対象者を捜査員が教えて追尾し、長い時間観察させるという捜査は、目撃者の記憶を新たに捏造するに等しいと上告人らは主張している。
 (4)それに対して原判決は、何を言おうが関係ない、とばかりに理由を示すことなく、上記のとおり「捜査官の違法な誘導や証拠の捏造は認められない」と強弁する。この捜査の結果について、被上告人松永が作成した三×及び樋×の後の法廷での供述とは大きく異なる断定的な供述調書が、上告人らの身柄拘束を実現する決定打となったことからすれば、原判決には少なくとも、一審判決を批判する上記の上告人らの主張を退ける具体的な理由が付される必要があった。すなわち、原判決における、これら上告人らの重要な指摘の無視・黙殺は、上告人らの公正な裁判を受ける権利を侵害するとともに、理由不備にも該当する。
  ・ 自白供述と誘導・誤導について
 (1)自白供述に関する原判決の判断は、供述の不一致や不自然な変遷、客観的事実との矛盾など個々の問題供述について、基本的に不自然・不合理といえるかどうか、不自然・不合理であるとしてもその供述が生まれた原因が不明である、あるいは複数の理由が考えられるから違法に誘導(誤導)したと認定することはできない、または誘導の事実を認めるに足る証拠はない、というパターンに当てはめているにすぎない。
 (2)そこでは、少なくとも各供述がどのような点で問題視されているかについて、理解の程度が問われる。また、一審判決の認定を揺るがす批判を考慮に入れたうえの判断であることが求められたはずである。しかし、原判決にそれを求めるのは無理だったようである。自白供述に対する「違法な誘導(誤導)」など、捜査官らによる不法行為を全面的に否定するなかで、原判決は、上告人らが本件の犯人であるとする前提に立っていることを自ら暴露している。この点は、上告受理申立て理由書補充書で詳述する。

四 上告理由書第5の補充
 1 犯行ストーリーを前提とする判断
  ・ 4323車窃盗事件(9)項について
 (1)原判決判断部分の4323車窃盗事件(9)項には、「4323車を盗む目的が当時進行中の三里塚闘争や『十月社』で使用することにあったとすれば、第一審原告らが真の犯行動機を秘匿しようとする可能性も否定できない」との記載があり、動機に関する上告人らの供述の変遷の事実から取調官の誘導を押し付けを推認することを否定する根拠としている。
 (2)本件のような冤罪事件の訴訟では、いったん出来上がったストートリーや立場に引きずられた表現が使われてしまうことがないとはいえない。しかし、これは、どう読んでも刑事裁判で破綻した犯行ストーリー(検察官主張)を前提に、それを基準として上告人らの主張を排斥するものであって、言葉尻の問題ではあり得ない。すなわち、原判決の判断は、上告人らが4323車を盗んだ事実があって、はじめて成り立つ理屈といわなければならない。上告人らは、なぜ、無罪確定後18年を経て、このような侮辱を受けなければならないのか、理解できない。
 (3)そして、その前提のもとにこそ原判決の判断がなされていること、その不当性、不法性を上告人らは弾劾する。
  ・ 4323車窃盗事件(6)及び(14)項について
 (1)前項で確認した認識に立って原判決を読みなおすと、文意が明確となる記述が少なくない。たとえば、窃盗事件の(3)(5)項なども、その前提で書かれていると判断できるが、これらの場合は言い逃れる余地がないとはいえない。しかし、(6)項の記述は明白である。ここには「記憶が不完全な場合もあるから、第一審原告二瓶の上記の点に関する供述が変遷し、各人の供述が一致しない事実をとらえて、捜査官の誘導や押し付けを根拠づけることは困難である」とある。
 (2)上告人N×らに窃盗現場からの離脱状況や合流状況について、体験に基づく記憶が存在してはじめて「記憶が不完全な場合」は生ずる。記憶の基盤となる経験が存在しないとき、原判決の理屈は成り立たない。
 (3)同(14)項も、記憶を問題にしている。この場合は、追突事故の際に乗車していたのが、他人だったのか自分だったのかという供述の変遷が、「記憶の喚起に基づくものとも考え得ないものでもなく、取調官の違法行為を裏付けるものとはいえない」とされている。こうした供述の変遷自体を記憶の問題とすることの非論理性・非科学性については記述のとおりだが、思い出した可能性に言及することは、記憶自体が脳組織に存在することが前提になる。体験そのものがなければ、あるいは百歩譲って体験があるかないかが不明である場合にも、このような判断がなされることはあり得ないのである。
  ・ 総監公舎事件(5)項について
 (1)爆弾のセット・操作方法に関する供述の問題は、第三者がごくふつうの常識で考えても「この人物には本当にその経験があるのだろうか」という疑問を生じさせる余地が少なくないと考えられる。それに対して、大まかな把握をもとに一部について誤解したのではないかと考えるには、相当程度の偏見ないし予断が必要とされよう。
 (2)いずれにしても、供述者が本件爆弾の犯人であるという前提に立たなければ、このような判断がなされることはあり得ないのである。
  ・ 総監公舎事件(6)項について
 (1)「記憶の喚起」と同様に「記憶の減退」も、その記憶が現に存在することを前提としなければ何事も語れない。
 (2)上告人N×が爆弾を設置したとして、警察調書で一度だけ図示した場所は現実には存在しない。原判決は「第一審原告N×の供述内容が現場の状況と一致しないなどの点は、その供述の信用性に疑問を抱かせるものではあるが」と、ここでは必ずしも全面的に信用しない姿勢を見せているが、続いて「そのような供述がされる原因は複数考えられるのであり、記憶の減退により起こったことである可能性もある」という。総監公舎の勤務員室の横手にドアがあり、踏み石がある、その上で爆弾を置いたというのが上告人N×の図である。実際には、ドアもなければ踏み石もない。4か月間の記憶の減退によって、人生でたった一度設置した爆弾に関して、このように具体的な記憶が生ずるメカニズムを理解することは不可能といえよう。
 (3)いずれにせよ、そのような説を生み出す根幹には、供述者が置いた場所は違っても、その爆弾を仕掛けたという認識があることになる。
 2 理由そご・理由不備
 (1)一方で、原判決は総監公舎事件(2)項などでは、爆弾の入れ物に関する上告人N×の供述の変遷について、「捜査官がエッソ関町給油所の高×××などの供述にあわせるよう誘導した可能性もないではないが、そのように断定することもできない」とやや慎重な判断も示している。
 (2)しかし、上記のとおり多くの事項で、原判決は上告人らを本件窃盗事件及び総監公舎事件の犯人と認識し、その前提で上告人らの主張を極端に理解不十分のまま退ける判断をしたのである。
 (3)そのような判断は、到底ゆるされるものではない。同時に、原判決には結論に決定的な影響を及ぼす理由そご・理由不備が存在することが明らかである。

五 結論
  原判決は、法の権威、正義と人権のためにも破棄されなければならない。



成13年(ネ受)第299号・(原審・東京高等裁判所平成9年(ネ)第317号・第333号)損害賠償請求上告事件
   最 高 裁 判 所  御中

2001年8月1日

上告受理申立て理由書の訂正及び補充

  申立人(一審原告、二審333号事件控訴人兼317号事件被控訴人)
                         福 冨 弘 美
                           外4名(略)
 被申立人(一審被告、二審333号事件被控訴人) 国
                             外3名
    上記申立人5名訴訟代理人   弁護士   伊 藤 ま ゆ
            同      弁護士   後 藤 昌次郎
            同      弁護士   大 口 昭 彦
                           外2名(略)

一 正誤表(「2001年7月2日付上告受理申立て理由書」の訂正)
 (略:申立て理由書上で修正済み)

二 上告受理申立て理由書について、以下のとおり補充する。
1 問題を指摘されている供述に対する原判決の判断
 (1)原判決は、申立人らの主張を退けるために取り上げた4323車窃盗事件19項目、総監公舎事件35項目の合計54項目のうち、供述の変遷や不一致、客観的事実との矛盾など、刑事裁判判決でも不自然・不合理を指摘されている事項について、窃盗事件(a)で13項目、総監公舎事件(b)で15項目の計28項目を取り上げている(うち1項は供述の欠落)。
 これらの問題供述に対する原判決の判断をみると、以下のように整理できる。
◆不自然・不合理とはいえない
a(4)(10)(11)
b(5)(9)(10)(11)(12)
◆不自然・不合理の原因が特定できない(特定する証拠がない、複数の可能性)
a(2)(7)(10)(11)
b(2)(8)
◆記憶の問題と考えられる
a(14)
b(1)(5)(6)
◆客観的事実との矛盾があっても、違法な誘導は認められない
b(3)(4)(5)(6)(13)
◆違法な誘導とは認定できない(誘導・押しつけの証拠がない)
a(1)(3)(5)(6)(7)(8)(10)(12)
b(14)(15)
2 不自然・不合理ではないとされた供述
 ・ 爆弾関係の供述
(1)不自然・不合理な供述とはいえないとされたなかには、爆弾のセット状況・操作方法に関する申立人N×及び同S×の供述が含まれる。既述のとおり、この点に関する原判決の判断は詭弁・強弁も極まれりというほかはない。「本件爆弾を製造したり、十分な時間をかけて検証したりした経験のない者が、外観などによる大まかな把握をもとに、構造や操作方法の一部について誤解をし、その誤解に基づいて供述することがあっても、それほど不自然とはいえない」という。
 これは本件でいえば、I×の供述についてであればあてはまるが、実際に使う者に伝授しなければならない前提で説明を受けてきた立場のS×、その説明に基づいて実際に仕掛けたという立場のN×が、なぜ、大まかな把握しかせず、操作方法まで誤解することがそれほど不自然でないのか、到底常人の理解できるところではない。時限装置つき爆弾は、製造者自身かまたは長時間検証した者だけが仕掛けるという法則があるかのようである。
(2)そして、ここでの最大の問題は、爆発時まで点灯してはいけない豆電球について、タイマーをセットすると点灯したので、これで作動すると思い、そのままの状態で抱え込み現場に進入し設置したというN×供述が、経験に基づかないための供述であるかもしれないとは毛頭考えず、製造した者でないから誤解することがあり得るとだけ考える裁判官が、少なくも複数存在したことである。論理的に考える限り、その人びとは、N×がこの事件の真犯人であることを、なぜか確信しているがゆえに、このように考えられるのであろう。その根拠は、N×らが自白しているという事実にしかないはずであり、それを否定する根拠は検討対象からあらかじめ除外されている。
 ・ 5月26日の謀議
(1)不自然・不合理といえない供述には、5月26日から27日にかけての謀議・下見に関する上告人N×及び同S×の供述も含まれる。これらの供述が、どれほど不自然・不合理であるかについて、申立人らは詳細な分析を繰り返してきた。とりわけ原審において一審判決を批判した主張は、その集大成の意味を持つ労作であって、この主張を前提におけば、この項に限らず、原判決の自白供述に関する認定は、少なくとも多大な影響を受けざるを得なかったはずである。
(2)1971年に相次いだ爆弾事件が、まだおそらく1件も発生していない5月の夜、学習会を終えた後にK×の発案でN×・S×は突然F×方を訪れる。幼児のいる1DKの居室で、K×が唐突に京都からいつでも爆弾が入手できるので爆弾闘争をやらねばと提案する。全員が直ちに賛成し、何らの意見交換もなしに目的も不明のまま下見に行くことになり、午前1時ころF×とN×が盗んだ車で国会・首相官邸に向かう。なぜ、急にそんな話が出たのかN×にはわからない。F×とN×は車中で話をしない。国会から総監公舎に向かう途中で追突され、盗んだ車を置いて逃げ帰る。そのまま爆弾の話は立ち消えになり、N×はK×と毎日のように顔を合わせていながら、互いに何もなかったような顔をして爆弾の話も事故の話もしない。ところが、2か月たつとまたK×から爆弾の話が出て、N×とF×が同じ場所の下見を行う。一方、総監公舎事件についてN×に先立って自白したS×は、5月にF×宅に行ったことはあるが、爆弾の話が出た記憶もN×らが下見に出向いたという記憶もない、事故の話はあとで聞いたが下見は知らないと供述する。
(3)以上が問題の出来事のN×供述及びS×供述のあらましである。虚偽自白とわかっていればともかく、仮にも犯人の経験に基づく供述だと仮定すれば、無数の疑問が湧き出てくると思われるが、原判決は犯人の供述として不自然・不合理ではないと判示した。上告人らは、この虚偽供述がどのような背景と経過のもと生まれ、またN×供述とS×供述がなぜ食い違ったかについて、原審・原原審で明らかにしている。
3 不自然・不合理と認めた供述
 原判決は、不自然・不合理と認めた供述については、そのような供述が生まれた原因が複数考えられるとか、原因を特定できないなどという。確かに、上記のような原判決の自白供述に対する見方からすれば、原因が特定されることは例外的な事象が起きない限り、不自然・不合理な自白供述の原因が解明されることはあり得ないと考えられる。
4 客観的事実と対立・矛盾する供述
 原判決が、自白供述と客観的事実、客観的条件との対立・矛盾を意に介さないことは、指摘済みである。具体的ななかみについて、上記の爆弾の操作方法に関する供述以外の事項をみておきたい。
 ・ 関町給油所立ち寄りの場
(1)総監公舎事件の(3)項は、関町給油所への立ち寄りに関するN×供述が、F×宅から新宿方向に向かうのに、逆方向の同給油所に立ち寄る不自然さ、上告人N×と従業員高×××との会話で、高×は客の行き先を尋ね「ハマナコかハマナカコと聞いた」というのに、N×は「中津川ケイコクに行く」と答えたと述べていること、最初の自白では赤いポリ容器に20リットル給油してもらい、代金は自分が払ったといっていたのに、翌日になると、車のタンクに給油し、代金は上告人F×が支払ったことに理由不明のまま変更される。その他、高×の供述とN×供述は矛盾する点がある。そもそも、N×は、事故を起こしてから車の運転をしていないので、供述上もF×が運転していたとしているのに、高×は運転者として写真でN×を指名している。N×供述は、基本的に高×供述に沿う方向で変遷している。
(2)原判決は、そのような客観的証拠との矛盾は重要性を有するが、だからといって捜査官が違法に誘導したと認定することはできないという。なぜ、そうなのか、についての言及はないが、論理的帰結としては、その捜査官が誘導を認めていないためであるだろう。
 ・ 表参道と総監公舎到着の時刻
(1)総監公舎事件の(4)項は、関町給油所の後、新宿の十月社から表参道を経由して総監公舎に至るまでの状況に関するN×供述が、時間的に符合しないという問題である。N×供述は、コースも具体的に述べているが、関町給油所に現れたのが同給油所の高×によれば12時をまわったころ(ただし、N×供述は警察官西海作成調書と検察官山本作成調書で、その前に新宿を出発する時刻が30分違い、両者の調書が作成されるごとに行ったり来たりする)で、N×供述によれば同乗者をバスに乗せるために表参道に現れたのが午前2時前であって、東×××供述調書に添付された客観的なバス発車時刻の午前1時20分とは大きく矛盾する。
(2)深夜なので表参道から総監公舎はすぐであって、N×供述は、午前2時直前に総監公舎前に到着することを念頭に、表参道の時刻を逆算している。
そして、原判決はこうした矛盾があるからといって「捜査官の違法行為があったと断定することはできない道理」だという。原判決の「道理」がどんなものかは上告人らには全く不明である。
 ・ 爆弾を置いた地点の図示ミス
(1)総監公舎事件の(6)項は、総監公舎に侵入したN×が爆弾を置いた地点に関する供述である。N×は、取調べの警察官が交代した際に、一度だけそれまでの供述とは異なる場所を建物の角をまわった先である旨を具体的に述べ、ドアの前の敷石の上と図示した。
(2)ところが、客観的事実としてそのようなドアはなく、建物の角にはN×供述にない木戸が存在した。この点について、原判決はこの供述が生まれた原因は複数あり、記憶の減退によることも考えられると説明づけているのである。
 ・ 申立人T×の「謀議参加」
   総監公舎事件(13)項は、8月1日の謀議に、客観的には愛知県の郷里に帰省していたT×について、申立人S×とI×が共に出席していた旨を供述し、捜査側がT×アリバイを確認した後に、供述を変更した問題である。S×もI×もその席上、T×がI×とともに爆弾闘争は時期尚早との意見を述べたと供述していた。原判決は、その供述は事実に反するものであったと認められるが、そのような供述がなされた事実によって直ちに、捜査官の違法な捜査があったとは認めることはできないとしている。

三 違法な誘導がないことの根拠
(1)原判決は、上記の供述を含め、捜査官の誘導等が疑われる取調べについて、捜査官が違法な誘導等を行ったことは認められない、あるいは証拠がないと結論づけている。上記の例をみてもわかるように、明白な客観的事実との矛盾があろうとも(申立人らは、原審でもそれらの矛盾が生まれ、解消しえなかった事情を個別に明らかにした)、原判決によれば、違法な誘導は存在しない。そしてそのことは、原審裁判所にとって、それが結論ではなく前提であったことを示していると考えざるをえない。
(2)なお、原判決の総監公舎事件(7)項は、犯行後の乗り継ぎ地点に関するS×供述が、(現場引き当たり後に)後の供述で変更されたとあるが、申立人S×を取調べた警察官も検察官も、引き当たり後の調書で変更を求めていないことを、上告人らは原審で指摘している。原判決のこの点の記述は客観的に虚偽である。原判決は取り上げていないが、4323車窃盗事件における現場でも、4323車が駐車されていた場所が、引き当たり報告書の上で変更されている。しかし、S×供述調書上での変更は行われていない。申立人S×自身が変更を求められていない。
(3)最後に、上告理由書の補充でも明らかにしたが、原判決は、結局、申立人らの主張だけでなく、経験則や冤罪事件の判例等に反して、刑事裁判で検察官の主張した犯行ストーリーを前提に、少なからぬ項目で上記に指摘したような認定をしている。そのことは、本件の自白供述が虚偽自白ではないこと、すなわち原判決は申立人らが犯人であることを前提に判断をくだしていることを意味する。
 人権と正義の名のもとに、原判決は破棄されなければならない。


警視総監公舎爆破未遂」フレームアップ事件国家賠償請求訴訟 上告理由書など
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