2001年国賠ネット夏合宿

 2001年の国賠ネット夏合宿が、8/25、26の両日、山梨県大泉村で開かれた。埼玉、千葉、神奈川、東京、京都などから、18人が集まった。台風11号の爪跡で深い溝の残る道が通れず、渋滞をさけて前夜遅く着いたメンバー7人は遠回りする有様だった。 8/25(土)の全体会では、次の3テーマについて報告者から話を聞いてテーマ毎に議論した。
  (1)総監公舎国賠 高裁判決、土田日石P缶爆弾事件国賠 高裁結審、国賠裁判の現状(福富)
  (2)外へ! 「ネットワーク大賞」の活性化にむけて(松永)
  (3)国賠ネットにおけるインターネット活用策(磯部)
 これらのテーマは8/1に開かれた準備会で、国賠ネットワークの活動課題について、特にすぐ近い運動の推進を意識して設定された。とくに(1)国賠裁判の現状は、70年代初頭の冤罪事件の被告が提訴した2つの国賠に対する判決または結審が今年あり、不当な結論に対する私たちの対処を議論する企てである。準備会ではその報告は福富さんにお願いするしかないと云うことで、報告とそのレジュメをお願いした。

(1) 国賠裁判の現状(報告:福富)
 総監公舎爆破未遂事件は、別件逮捕の事件さえデッチ上げというものすごさ。その冤罪事件の被告にされた福富さんは、虚構解体にむけ完璧な論証を自ら行い無罪が確定。そして国賠裁判で捜査官、検察官の犯罪を暴き補償を求めてきた。レジュメ1により詳細な報告があった。 「官の「無責任・権益擁護互助システム」は根が深い。・・・現代におけるその発展形態の1つが「職務行為基準説」であり、「判検交流」にほかならない。・・・無罪国賠ならばはねつけるためには何をやってもいいという風潮が当事者の主張を読まないというところまで蔓延し、屁理屈としても通らない判決をもたらしている」 いくつかの質議応答のあと、最近結審になった土日P事件国賠の今後について、どのように国賠ネットが支援できるかを議論し、近く東京で原告の方々との打ち合わせをすることとなった。

(2) ネットワーク大賞(報告:松永)
 ここ数年「該当者なし」できた大賞の選考過程を通じて、運動の活性化をめざす提案がレジュメ2のように松永さんから報告され、実施することとなった。

(3)  インターネット活用策(報告:磯部)
 料理も揃いはじめて、あわただしくレジュメ3が報告され、ホームページの改訂などを進めて行くことが確認された。

 全体会は予定を30分ほど延長して話し合った後、夕食を兼ねた交流会。どうしても帰らなくてはならない人、早く寝たい人などを除いて、日付が替わってからもしばらく熱い議論が続いた。

 翌日(8/26)は早い朝食もそこそこに、野山の探索、テニス、つり等に分かれ、それぞれに楽しんだ。昼食は急ごしらえの竹の水路で流しそうめん、胡麻味の冷や汁のうどんに舌鼓。渋滞をさけられるよう、1時半頃にそれぞれの帰路についた。

<合宿後日談>
 合宿の報告や参加しての感想は、国賠ネット通信No.71(2001/9/15)に載る予定だった。原稿が届いたのは、初めて参加した1名のみ。初参加の感想というべき内容が唯一の合宿報告(その後 (1))となってしまった。報告者の福富さんからご批判(その後 (2))を頂き、事務局を担うものとして恐縮している。さらに、そのまた感想があれば、載せてゆく予定。合宿が様々な出会いを作ることは意義深いとおもう。怪我の功名とはいえ、国賠裁判の一層の理解とそれを闘う運動の躍進をめざしたい。

(報告:磯部)

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レジュメ1

・2001年国賠ネット合宿レジュメ・

2001.8.25 福冨

●無罪(冤罪)国賠連敗の構造
◆国の責任を認めた例
・起訴が違法とされた事例は別紙のとおり過去30件程度にすぎない。
・主要事件では松川事件のみ、といえる。
 ◇松川事件(1949年発生)
  刑事:一審(1950.8.26)、二審(1953.12.22)、上告審(1959.8.10)、差戻し審(19     61.8.8)、再上告審(1963.9.12)確定
 民事:東京地裁(1969.4.23)、東京高裁(1970.8.1)確定
・起訴違法以外では、警察の別件勾留中の長期にわたる違法取調べを黙認し、是正させる指揮をとらなかった検察官の責任を認めた「鹿屋(夫婦殺し)事件」がある。一・二審とも国敗訴で確定(いずれも起訴は適法としている)。
 ◇鹿屋事件(1969年発生)
刑事:一・二審有罪、最高裁差戻し(1982.1.28)後の二審で無罪確定(1986.4.23)
民事:鹿児島地裁(1995.4.9)、福岡高裁宮崎支部(1997.3.21)確定

◆無罪国賠以外で国の賠償責任を認めた事例
今年に入って、ハンセン病はじめ国の責任を認める判決が続いた。公害裁判・薬害裁判などでも、ほとんどは和解などにより国の責任を認めてこなかったので、画期的なことではある。自分の頭で考える裁判官だっているはず。このほかでは、刑事事件捜査段階での弁護人に対する接見妨害について、国の違法を認めた例が近年相次いでいる(70年代までは認められなかったように思う)。
 ・予防接種被害    最高裁        1998.6.12
   (東京・大阪・福岡の各高裁で勝訴、名古屋和解)
 ・従軍慰安婦訴訟   山口地裁下関支部  1998.4.27  控訴
   同 逆転敗訴   広島高裁      2001.3.29  上告
 ・関西水俣病訴訟   大阪高裁 2001.4.27  上告
 ・在外被爆者訴訟 大阪地裁 2001.6.01  控訴
 ・ハンセン病訴訟   熊本地裁 2001.5.11  確定
 ・劉連仁事件     東京地裁 2001.7.12  控訴
 ・筑豊じん肺訴訟   福岡高裁 2001.7.19  上告
 ・浮島丸事件     京都地裁      2001.8.23 (勝訴といえるか疑問だが)

●総監公舎の事例
◆義務としての勝訴
・別件・本件を併せ、かつ厳しい捜査批判を展開した完全無罪であり、有罪判決の分離組と、未逮捕の全国指名手配者を抱えているなかで検察が控訴を断念せざるを得なかった点で、冤罪国賠では最も有利な条件を確保していたといえる。これで勝たなきゃどうしようもないということで、徹底的に手抜きをせずに完全勝利を目指してきたが、一審・二審実質全面敗訴のざま(警視庁の捜査に一部だけ違法を認め、国の違法を認めず3百万円のみ認容)。
・どうすれば、当方を負かせることができるのか、考えられなかったが、原告主張を無視し、あるいは別物にすり替えれば、なんとでも判定できるのだった。この国の裁判制度に幻想を抱いたことはないが、民事裁判所の質の悪さ、程度の低さは想像を超えた。
・しかし勝たねばならぬことに変わりはない。

◆一審・二審判決の愚劣
・ 問題を個々の「職務行為」の適否に分断させないために、故意によるフレームアップであり、違法が体系的なものであることを強調し、それを緻密に論証する方法をとった。
・ 実際問題として、それによってのみフレームアップ捜査の実態に迫ることができる。
・ それに対して、判決は原告主張を大まかなところで歪曲し単純化したうえ、それに対応する証拠がないとした。
・一方では、証拠提出要求を理由を示さずにはねつけ、臆面もなく原告主張を裏付ける証拠がないと判定する。
・そして、きわめつけは詳細かつ緻密な主張に目をふさぐことにある。反論できない主張は読まないに限る。そのためにこそ裁判所の権威と権限がある。すなわち、金持ちはケンカをする必要がなかった。もっとも、一審で約3000枚、二審で約2000枚(400字換算)ある当方の力作準備書面を読破し、論破することが不可能であることは確か。
・一審判決は、パターン化した文章に個々の事項をはめこんでいっただけとはいえ、約1000枚を費やしたものだったが、二審判決はその1割の分量を抜き出した抜粋版にすぎない。楽をしようとするにも程がある。
・刑事段階で、そして民事一審段階で、さらには二審段階で、重ね重ね批判され論破され処理済みとなっている理屈を繰り返すことは、当然自らの墓穴を掘ることでもある。裁判の権威は泥にまみれている。しかし、それは世間と世界に知られていない。

◆「判検交流」の今
・二審の途中(97年夏)から交代した左陪席の江口とし子が、本件を担当し判決を書いたと考えていたが、同人はその直前まで法務省訟務局で参事官の職にあり、高島教科書訴訟の代理人だったことが判明。本件判決時には、再異動済みだったので、まさに本件の判決を書くためだけの役割で国から送り込まれてきたことが明らか。一審で左陪席だった渡辺千恵子は、その後訟務局に異動している。実害はなかったが、二審の冒頭2回(96年)にわたり左陪席を務めた後異動した小磯武男は、94年までは訟務局参事官の職にあった。
・訟務局には局長の下に参事官が3人おかれているが、江口と同時に局付けから参事官に昇進したもう1人の大野重国は一審半ばから控訴審まで、国の代理人を務めている。訟務局には、本件経験者がごろごろいるが、本籍が裁判官の江口は約5年間、訟務検事の一員として籍をおいている。3人の参事官の1人が、常時本件の代理人となっていることもわかってきた。
・訟務検事で国賠を担当し、本件の代理人である同僚らと何年も同じ職場で、共通の目的のもとに過ごした後、本件の裁判官として登場して判決を書く。これで、公正な裁判が行えるか。さらにさかのぼって調べれば、本件刑事事件の捜査や公判に関与した検事も、その後、訟務局に配置されているかもしれない。これでは、冤罪捜査・起訴を反省するどころか、刑事裁判の敗北を相殺することが検事(あるいは法務省および検察庁)の任務ということになる。

◆国賠訴訟を敗北した検察にとっての再審の場にしてはならない
・ 無罪国賠訴訟を検察にとっての再審の場にしてはならない、と当方は被告側の主張内容を批判しつづけきたが、実態ははるかにおぞましいものだった。
・今回の二審判決をみて、検察の再審が認められていない理由、あるいは、刑事裁判の有罪確定事件の認定が民事裁判で覆されることは例外的にありえても、その逆は絶対的にありえず、あってはならないこと(法の安定が保たれず、基本的人権が保障されない)がわかっていない、という印象を強く持った。これも、訟務検事が書いた判決であればわかる。このような、ペテンまたは八百長を広く暴露しなければならない。

◆上告審闘争の前に
・印紙代が用意できず、訴額(5人で2億5千万)を半分に減額した。人権侵害のコストが引き合わないことを思い知らせ、実際問題として被害に少しでも見合う補償水準を獲得しなければならないという目標をかかげていただけに、断腸の思い。いずれにせよ、これでたとえ満額を獲得しても、30年間の裁判闘争の負債・損害は穴埋めできないことになった。
・それにしても、水俣病からハンセン病まで、常軌を逸する補償額の低さ。金の問題ではないという叫びを逆手にとって、運の悪い者は最後まで不運でなければならず、補償は部分的なものであるべきだという、官の理屈を粉砕し、懲罰的賠償の考え方を認めさせていかなければ、人権に未来はない。
・ 国や公共団体が用意する莫大な訴訟費用の実態を暴露する必要もある。

◆上告審
・新民訴法により、民事事件の上告理由は憲法違反と理由不備・食い違いのみとなり、事実誤認はもちろん法令違反も理由にできないことになった。法令違反は、上告受理申立てとして主張できるが、これを受理するかどうかは最高裁の恣意により、なおかつ、決定に対する異議申立てもできない。要するに、最高裁が従来の判例を変更するなり、法令の解釈を統一する必要があると判断した場合に限り上告を受理できることになっている。
・準備書面を読まない裁判所を糾弾して、憲法32条違反(裁判を受ける権利の侵害)を正面に掲げた。新民訴法では、2条に当事者の協力とともに、裁判所に公正な裁判を行う義務を課しており(刑事と違って今まで明文規定はなかった)、国際人権規約は民事・刑事を問わず公正な裁判を受ける権利を保障している。当事者の主張を知ろうとしない裁判所は「お白州」以前である。
・前例はあまりないと思われるが、最高裁がこれに対してどう出るか。三たび、上告理由書や補充書等を読まない作戦に踏み切れるかどうかが問われる。
・第二に憲法17条と国賠法違反を主張。国賠法の制限的適用自体が憲法違反であることを国賠法の立法趣旨などから批判した。
・第三に、原判決に理由不備と理由齟齬(食い違い)があること、論理的に一貫性がなく合理性も欠けていることを指摘した。
・原判決は、刑事判決をも読みもせずに、種々難癖をつけたうえ、独自にアリバイの不成立を認定した。そのなかで、民事裁判官の刑事訴訟に関する無知のほどが暴露されている(自白についても、刑事裁判のの20年前のレベル以前の認識しかないなど)。こうした判決が確定することの効果は、冤罪の奨励以外のなにものでもなく、現に、無罪国賠に応訴する被告側は、もっぱら冤罪に対する反省の契機を無にする訴訟活動をおこなっているのであり、勝訴によって、一層「勇気」づけられている。

●国家不敗の論理
◆前提としての法とシステムの不備
・官は悪事を働かない前提が牢固として存在する。結果として悪質であるほど逃げられる(総監公舎の別件、証拠の隠匿等)
・契約関係や対立する金銭的利害の調整を想定する民事訴訟の構造に、権力対人民の非妥協的な対立は消化しきれない。
・国賠法は、もともと国が責任を認めず徹底的に争うという事態を想定していないので、冤罪性を示唆する確定刑事判決さえあれば、通常の民事訴訟手続きの下で、損害額の調整などが行われると考えていた。少なくとも、国もそのような理解に立つことを装っていた。

◆口頭弁論主義の極端な形骸化
・陪審制(中途半端なものでなく)であれば、または、法廷で裁判所を含めてなにがしかの議論が直接交わされる仕組みがあれば、通常の民事手続きでも公正で合理的な訴訟形態が実現しよう。刑事裁判のように、裁判官が審理のなかみにある程度関与する事態が容易に起き、また尋問等を通じて事件のなかみと争点を知らずに済ますことはできず、またその考え方も一定程度明らかにせざるをえないということが、民事裁判では全くない。裁判官がなに考えているか、考えていないかは判決が出るまでわかりようがない。
・(証拠開示)公正な訴訟の大前提であるフェアプレイ原則が、未だに蹂躪されている。刑事手続き上は証拠開示を検察官の恣意にゆだね、新民訴でも情報公開の流れに沿った検討を進める建前のもとで、公文書提出の一般義務化をいったん保留したうえ、結局は刑事訴訟記録を全て開示対象から外すという手品をやってのけた。
・職務行為基準説・・個々の行為について違法性を判断すべきであるという分断の論理の根拠づけでもある(芦別以来の問題点を分断して全体像を見ない論理)。要は、自白がありさえすれば、起訴してもよいということだが、そう言ったのではミもフタもなく、もったいもつけられないので、形式論理の世界に引きずり込む理屈立てをしている。
・証拠隠匿(別項)

●国家不敗(腐敗)の構造
◆官官癒着
・明治維新後、薩長政権確立以来の国の私物化思想とその互助システムの構築の歴史に淵源がある「官の国」の創出。自由民権運動をつぶし、官製憲法を成立させ、日清戦争を通じて完成。
・維新を生きのびて国家機構を手にいれた薩長の成り上がり官僚が、幼児の天皇を利用し封建思想をベースにでっちあげた天皇制のシステムと思想を基に、特権商人と組んだ資本主義育成の過程で権益を創出しつつ、あらゆる権益を仲間うちで私有化し、また互助システムを構築した。このシステムの最大の特質は、責任の所在を不分明にするところにある。
・高級官僚になれば、ひと財産を築くことのできる給与制度が、明治初年、国家財政システムの確立(地租改正)以前に設定された(このような給与制度が通用しなくなると、天下りが発案された)。
・その利権を維持するための装置として、国民皆兵の徴兵制に先立って軍人恩給制度を設け、「官軍」兵士の戦死者のみを祀る靖国神社(東京招魂社)を設置した。

◆無責任・権益擁護互助システム
・以来、官(軍を含む)のための国家システムが練り上げられ、最大のピンチを迎えた敗戦時にも生き延びた。戦後改革が不徹底に終わった隠れた要因は、官僚が占領軍によって軍事組織以外はシステムとしても温存されただけでなく、人的資源としても公職追放の対象から外されたことにあるだろう。
・権益のとめどない拡大・追求(パイを限りなく大きくする)という共通目標のもとで、責任者のいない侵略戦争が拡大していった。したがって、責任者は天皇以下一定の地位以上の政官財有力者全員というべきだが、戦後の再出発に当たっては、思想的にも制度的にも、根本にある官僚システムをこそ破壊する必要があった。それが温存されたために、追放された者も容易に復帰できて元の木阿弥となった(典型例が満州帝国の超高級官僚だった岸信介)。

◆だからして・・
◇要するに、官の「無責任・権益擁護互助システム」は根が深い。そして、それはそのまま腐蝕が避けられない構造でもある。
◇現代におけるその発展形態の1つが「職務行為基準説」であり、「判検交流」にほかならない。
◇職務行為基準説にあぐらをかいて、また最高裁事務総局の無言の意思を取り込んで、無罪国賠ならばはねつけるためには何をやってもいいという風潮が、当事者の主張を読まないというところまで蔓延し、屁理屈としても通らない判決をもたらしている。これは、やはり自滅へのステップなのではないか。
◇月末から南アフリカ・ダーバンではじまる国連反人種主義・差別撤廃世界会議に、人権敵対国日本国政府に対する批判の声を届けたかったが、まだ将来的課題。国際的には、はるかにより重大な人権問題が山積していることは明らかだが、ODAをちらつかせて大きな顔をしている日本国官僚たちを放置しておいてよいわけがない。          

以上

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レジュメ2

外へ! 「ネットワーク大賞」の活性化にむけて

01.8.25 松永

□□□ はじまりと経過
・ 7年くらい前から、その年「国賠ネットワーク」の活動に貢献した人を顕彰しようという趣旨で、「国賠ネットワーク大賞」が設けられた。年末の、いつも忘年会のときに土屋さんが発表し、酒の肴にする、というのが恒例であった。 
・ 因みに、これまでの受賞者は・・・・・・。 そして賞品は・・・・・・。  
・ 活動が停滞気味であること、運動の外への拡がりが少ないこと、そして何よりも国賠裁判の負けが続いていることなどから、ネットワーク内部で受賞該当者を捜すのが困難となってきた。ここ3年ほどは「該当者なし」が続いている。
・ 昨年ぼくは、大賞が運動の中で生かしきれていない、との問題提起をした。 主旨は2点。@受賞となる対象・目標の活動(EX,最多傍聴回数者など)を、その年の始めに設定したらどうか。A目標の設定を含め、大賞についての継続した議論が行われること、受賞の意味、受賞者のコメントなど「ネットワーク通信」で公表・宣伝し、公論にふす必要がある、というもの。

□□□ 外に向かって、ときに敵にも賞を与え
・ ぼくの提起を発展させるかたちで、織田さんがおもしろいアイデアを出した。 受賞の該当範囲をネット内部だけでなく、外にまで拡げたらどうか。あらゆる分野、あらゆるメディアで、国賠ネットの理念にかなう貢献をした人、団体、法人や、発言・放送・出版などのモノに対して勝手に推薦し、国賠ネット内での議論を経て決定し、相手かまわず勝手に大賞を授与したらどうか、というものである。(賞品については未定)
・ 発想のユニークさに加えて、2つ大切な点がある。
  @ 運動の視野が外に向けられ、しかも外からの受容だけでなく、外に向かっての働きかけという作用をなすのではないか。
 A 複数の人が「ネット通信」上で推薦することによって、永年の課題である外への働きかけの内部議論が可能となる。
・ この「勝手推薦・授与」方式は、大賞だけに限らず、「ネットワーク最悪賞」にも話が発展している。その年、国賠に対して最悪の業をなした人、判決、出版などに対して最悪賞(賞状くらいか?)を授与したらどうか、というものである。
・ 以上、合意がなされれば9月の「通信」に提案し、早速にも推薦を載せたいと思うが、如何だろうか。その推薦事項と推薦人(執筆者)をこの会議で決めたいのだが・・・・・・。

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レジュメ3

国賠ネットにおけるインターネット活用策

01.8.25 磯部

まず、インターネット・メール・ホームページとは、
□□□ こんな時に役立つ
・ 明日までにニュースの版下を作らなくてはならないのに原稿を頼んだAさんは急に駄目と言ってきた。筆の速いBさんに今朝になって原稿依頼。今夜、それを元に版下を作成。 >メール
・ こんどのニュース発送は9/15(土)、先回は3人で4時間近くかかった。何とか皆んなに連絡して参加して欲しい。 >メール、メーリングリスト
・ 国賠ネットの次の集まり何時だったけ? あの国賠裁判の日時、法廷は? などをすぐに知りたい。また、各国賠裁判の経過、連絡先を知りたい。 >ホームページを閲覧
・ 新聞やテレビは使えないけれど、世界中の人々に不条理に充ちたこのひどい状況を知らせ、怒りを共有できる人々と連帯したい。 >ホームページで発信
・ 週末に勝浦の知人を訪ねて日帰りできるだろうか? 新しいパソコンを買いたいけれど性能、価格は? >検索エンジン

□□□ こんな仕掛け ―― 分かったつもりにする8つの言葉
・ インターネット:世界規模でつながるコンピュータのネットワーク(連絡網=網細工)
・ メール=eメール=電子メール:インターネットを通じて送受する電子的な郵便
・ メールアドレス:例えばisobe@jca.apc.org のようなeメールの宛先。@はatと読む。
・ メーリングリスト:複数のメールアドレスをリストにまとめた宛先。そこに送れば全員に届く。
・ Web(ウェブ):世界中のコンピュータの情報(Webページ)がクモの巣状に繋がる情報網
・ Webページ:Web上のコンピュータ(Webサーバー)内の文書。HTMLという言語を使用。
・ ホームページ=トップページ:Webページの最初のページ。Webページ全体を指すこともある。
・ 検索エンジン:必要な情報を載せているWebページを探し出す仕組み(プログラム)

□□□ こんな風に始める
・ 用意すべきもの:PC(パーソナルコンピュータ)とネットワーク
・ PCハードウェア:PC本体、ディスプレー、KB(キーボード)、マウス
・ PCソフトウェア:OS、ブラウザー、メーラー
・ ネットワーク:電話線への機能追加、ネットワークプロバイダーとの契約(クレジットカード要?)
・ PCの購入:新品で5〜15万円程度のハードウェアと2万円程度のソフトウェア。
・ ネットワークの契約:今、売り出し中はヤフーBB。2830円/月(ADSL接続:990円、プロバイダ:1290円、ADSL-MODEM借用:550円)で高速な常時接続、24時間使い放題。100万加入まで優待とのこと。
・ PCは多方面に流用できる:プリンターが有ればワープロとして便利、CDコピーや映像編集も、また、たくさんのゲームソフトや対戦ゲームもある。


インターネットを国賠ネットに生かすには、
□□□ こんな風な問題が
・ なんと言っても、インターネットに繋がっている人が限定されている。だれか、この機会に加わってもらえませんか・・・
・ 国賠ネットの現状では、日頃、メ―ルで意見交換できるのは3、4人ぐらい。ホームページの更新は1、2人。
・ 国賠ネットの中に情報の格差ができてしまう。手書きもいいけどeメールもと云う具合は?
・ ホームページの更新は、各月の定例会やニュース発行と併せて行っているので、1回/月程度になっている。
・ 英語版もと言われつつ、今のところなし。

□□□ 当面の強化策は
・ これまでの国賠ネットのトップページをリニューアルする。デザインをシンプルにして、内容の変化を明確にする。
・ 内容の追加案として、まず、資料を充実する。>国家賠償法、関連法規、最高裁判例
・ 適宜変化するような内容を盛り込んで、頻繁な更新を行う。>事務局の日録、書評
・ 以上を分担して実行する実務者?

□□□ さらなる展開へ
・ インターネットはうちでの小槌ではなく、ブラックホールのようなところがある。期待は膨らむが実際に進めると手応えがいまひとつ。
・ すこし大風呂敷に考えると70年代の市民運動が、運動原理の柔軟さと対話能力に裏付けられて、反戦米兵の脱走を支える活動を実質的に担ったように、インターネットによる国際的な情報交換を通じて、地域を越えて多彩に繋がり、人権確立に向けて新たな運動を作り出せる可能性がある。JCAはそのバックボーンをめざしている。
・ 国賠ネットも具体課題を絞り込んで、例えば、国際人権規約の個人通報に関する議定書の批准とか、取り組む必要がある。
・ そして、個人通報が可能になった時を考えると、国内手続きを尽くしてもなお解決できなかったことの実績が重要。例えば、最高裁まで闘うことが必要になる。もちろん、国際的に通用する論理と連携があってのことだが。

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その後 (1)

■交流会報告■

初めて参加した国賠ネット合宿

01.9.7 T.F

 八ヶ岳は涼しかった。避暑避暑と人は言うけれど、正直、どれほどのものかと思っていた。甘かった。どこで何をしていても涼しい。水も冷たい。そうか、高校時代、夏休みが来る度に「家族で八ヶ岳の別荘へ……」と言っていたクラスメートの金持ちのあいつは、いつもこんな場所で夏を過ごしていたのか……。
 8月、たまたま帰省していた私は、父にそれとなく誘われ、国賠ネットワークの交流会に参加した。もちろん、両親がそれに参加して出払っている間、家でゴロゴロ気楽に留守番をしているという選択肢もあったが、こうした機会もそうそうあるものではないと考え、ついていくことに決めたのだった。
 合宿、交流会、と言っても、メインの全体会での議論以外は気楽な集まりだと父は言っていたが、チラと、結構厳しい人がいるような事を洩らしていた(ような記憶がある)。だから初日はかなり緊張していた。ましてその全体会が始まろうという時になっても父が魚釣りから帰って来ないものだから、内心ハラハラしていた。
 全体会自体は、参加者の一人が作成・配付したレジュメを元にした発表が中心の、大学のゼミのような雰囲気のものだった。父から事前に詳しい内容の説明を受けていたわけではないが、一応大学の法学部で『行政救済法』などというまさに国家賠償をテーマにした講議をとっていたこともあるので、決してついていけない話ではなかった。ただここでひとつ気になったのは、レジュメの記述にせよ、発表者の口振りにせよ、主観的(感情的?)で、一方的な印象を受ける部分が多いなと感じたことだった。全体的にハイレベルなのは分かるけれど、ところどころ、そう感じさせられる部分があった。それは、もちろん、当事者である。大学の講師や学生とはスタンスも根っこにある原動力も全く違うのだから、当然のことであるのは理解できる。むしろ、そうした実体験による生の発表に触れるのは、大学の講議室ではなかなかないことだから、とても大切なことだろうとも思う。実際、客観的にもその通りなのかもしれないし。しかし、例えば私のような、「どちら的な立場か」と聞かれればもちろん「こちら」であるが、特に同志というわけではない、というちょっと離れた立場の人々に訴えかける場合、これが有効であるかと言うと必ずしもそうではないと思った。もっとも、この日は基本的に理解ある内部の人々の集まりだったのだから、それ用に照準を絞っての内容だったのかもしれない。などと胸の内で考えている内に、半年前までの学生生活の悪癖の名残りか、発表半ばにして私はこっくりこっくり……。終盤は文字どおり夢うつつで聞いていた。これは失敗だった。せっかく真面目にそれらしく感想を練ったのに、説得力が皆無になってしまった。
 明けて翌日は、分科会と称した野外活動がメインだった。父と母は勇んでテニスにでかけたが、私は山歩き組を選択した。山歩き、という、具体的にはどういうことをするのかよくわからないところに魅力を感じた。とは言え、うちの父が若い部類に入るほどの人々の集まりである。せいぜい出来合いのハイキングコースなどをのどかに散策する程度だろうとタカをくくっていたのだが……。甘かった。最初のうちこそ道端の草花を言い当て解説し合い採集しながらほのぼのと歩いていたのだが、突如道なき道に突入。薮をかき分け小川を飛び越え枝葉を打ち払いながらの、まさに「山歩き」へと移行した。別段、人里離れた奥地へ入って行ったわけではなく、いつでも帰れるような場所ではあったが、ロケーションだけ見ればナントカ探検隊である。一応私は長そで、厚手の上着にジーパン、運動靴に軍手とそれなりの装備をしていったのだけれど、中にはシャツ1枚やサンダルの人もいたように思う。そんな人たちが、唯一の若者だった私を差し置いてとっとことっとこ先へ行く。腐葉土でグニャグニャの斜面を下り、あるいは登り、草木に触れては朗らかに談笑している。年寄りの冷や水……!
 この春に大学を卒業して以来、様々な土地を訪れては初対面の人々と積極的に知り合う機会が急速に増えた。自分の中で、ネットワークがかつてない勢いで拡大しているのを感じるのは、不思議な気持ちだが、今はそれが楽しい。今回、いつもなら家で寝ながら留守番するほうを選びそうな私がそうしなかったのは、そのせいだったと思う。そしてまた、世の中には本当に色んな人がいるのだという思いを改めて感じることができた。
 「有意義だった!」と書くと嘘臭いが、実際おもしろく、新鮮で、いい二日間を過ごせたと思っている。

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その後 (2)

■国賠ネットワークの皆さんへ■

2001年9月16日  福冨弘美

いやはや マイッタマイッタ。
 まいること、うんざりすること、不愉快なことは、常時目白押しで、今さら驚くこともないのでしょうが、新着の『国賠ネットワーク No.72』を読んだところです。
 野田さんの報告、ほんとうにご苦労さま、がんばれ。松永さんの「異見」、細部まで含めて賛成です。さて、困ってしまったのは「交流会報告」。
 筆者のT.Fさんにすれば、たまたま参加した合宿の、いわば「部外者」的立場からの感想文を書いただけなのでしょうが、土屋さんはほかの人のレポートが届かなかったからこれを「報告」にしてしまった。でも、ならば参加者の一人たる小生が責任をもって作成・配布したレジュメを、長すぎれば部分でも収録してくれないと、不参加の読者には、わけがわかりますまい。これはこれで、めったやたらには書くことのできない力作レジュメなのであって、ボツにされなければならない理由があるわけではないと思います。
 実は、合宿1日目の深夜、道路公団への支払いをけちって国道20号をひとり帰路をたどりながら、時間「不足」とはいえ、質問も異見も意見もさっぱりだったなあと、思っていたところでした。それを言っちゃあいけないのでしょうが、時間的にも金銭的にもムリしたわりには、という感じが否めなかったからです。
 それだけに、事後の数時間を含めて、小生に対して何一つ音声を発しなかった人に、今さら「レジュメの記述にせよ、発表者の口振りにせよ、主観的(感情的?)で、一方的な印象を受ける部分が多いなと感じたことだった」と書かれたのでは、オトナ気もなくムカついてしまいます。ご本人も認めているように、当然、小生は2001年8月後半に行われる国賠ネットワークの内輪の会合(すくなくとも交流集会でも、より広範囲の人が集まる集会などではなく)を前提に書き、話しているのであって、人に指示されなくても、TPOを使い分けて話をすることができないわけではありません。
 たまたま思い出しましたが、1974年頃か同志社大に話をしに行ったとき「僕には、警察や検察がそんなことをするとは信じられないんです。でっちあげの証拠があるんでしょうか」と質問した法学部の学生がいました。当時は、全国各地の大学や市民集会で当時の公安警察の爆弾犯人づくりや、「過激派」狩りという管理社会づくりの策動について、自分の事件を中心に沢山の人びとに具体的な話をして歩きましたが、主催者や参加予定者に合わせて話をし、それなりの理解を得たつもりです。前記の質問は、なかでも最も根源的というか素朴というか、未だ私の記憶装置に残っていたわけですが、その時も若干のやりとりを経て彼は、どこまでかは知らず「そうなのか。わかりました」と言っていました。
 他人が抱いてしまった感想に文句をつけても始まりませんが、見当外れな感想を、具体的ななかみに触れぬまま報告に代えられたのでは、やはりまずいのです。小生は冤罪国賠について、客観的事実を紹介していますが、もちろん、視点は一方的です。客観的立場からなんぞ書けるわけもありません。ただし小生は、現に検察庁やら法務省および東京都などと長年月にわたる論争を重ね、瑣末な論点まで含めて、これまで刑事で約5千枚(400字換算)民事で約5千枚の論考を通じて相手方の主張を解体し、論破しつくしてきた経験を持っているつもりなので、その主張にはいささかの客観性が担保され、あるいはものかき歴も半世紀を超えるので、想定した範囲の読者に対しては、その文章もちょっとは説得力が付与されているといえるでしょう。

●合宿に参加しなかった人へ
 今回のレジュメでは、冤罪国賠の現状と問題点について、やや新しい視点からの検討を加えたほか、冤罪国賠における起訴を認めた事例などの資料も添付しているので、「交流会と称してつまらんひとりよがりの発表があったのか」などと思わないでいただきたい。 発送の手伝いもせずに、ネット事務局に難癖をつけているみたいでいやになりますが、合宿そのものは、磯部ご夫妻の心遣いで楽しくすごさせてもらいました。いろいろな方のお話も、おもしろかったことです。

●T.Fさんへ
 トシヨリのお説教めいたことをいうつもりは全くありません。いかなる予断をお持ちかお持ちでないか知らないけれど、責任の所在を明らかにして書き、話しているものに対して「参加者の一人が発表をしたレジュメに記述にせよ、口振りにせよ、主観的で一方的な印象を受けた」と書くのだったら、意見でも異見でも批判でも、多少具体性のあることも書いてみてください。時間の許すかぎり、よろこんでおつきあいします。

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