「個人通報制度と冤罪裁判・国賠裁判」講演/要約
2010.2.27
講師/伊藤和子弁護士 (ヒューマンライツ・ナウ事務局長)
国賠ネットワーク事務局 まとめ
 


■講師紹介
伊藤和子弁護士
東京弁護士会所属。国際人権NGO「ヒューマンライツ・ナウ」事務局長。東京弁護士会「両性の平等に関する委員会」委員。日弁連「国際人権問題委員会」幹事。日弁連「取調べの可視化実現本部事務局」次長。また、現在再審を求めて闘っている「名張毒ぶどう酒“冤罪”事件」の弁護団にも参加。「なぜ無実の人が自白するのか」(スティーヴン・A・ドリズィン+リチャード・A・レオ著、日本評論社)の訳書もある。“法律家と市民社会のかけはしに”をモットーに「オリーブの樹法律事務所」に所属。国際人権問題の専門家として活躍している。
 (「ヒューマンライツ・ナウ」は、2006年に日本で設立された法律家、研究者、ジャーナリスト、NGO関係者などによる人権NGO。世界、そして特にアジア地域を中心に、人権分野での国際貢献の進展をめざしている。)

 以下、当日のレジュメに沿って、表題の講演内容を要約する。

一、国連の人権保障システム

国連の人権保障システムは、以下の通り。

【国連人権理事会】

国連の創設にともない、第二次世界大戦の引き
金ともなったファシズム、その結果もたらされた世界の惨禍と多大の犠牲を教訓として、「人権」を国際的に横断的に保障するという考え方がはじめて掲げられた。すなわち個別の国に任せるのではなく、国際的なシステムを通じて相互に監視
し、国際的な関係のなかで人権保障を担保していかない限り、世界の安全・平和は守れないという
認識がはじめて確立されたということである。そして1948年、現在掲げられているほぼすべての自由権、社会権を網羅する「世界人権宣言」を採択。これは世界のすべての国を拘束する「国際慣習法」でもある。
国連の人権保障システムは、この考え方に基づき、現在運営されている。
その後、アナン事務総長が進めた2005年の国連改革により、人権を扱う主要機関である従来の「国連人権委員会」(経済社会理事会の下部機関)は、「国連人権理事会」(総会の下部機関)へと昇格される(2006年)。まさに「人権」が、「平和」「開発」とともに、国連の「3本柱」に格上げされたということである。
「国連人権理事会」は、年3回開催され、実質的にほぼ常設に近い形となっている。日本は現在、その理事国でもある。選出に当たっては、最高水準の人権確保が条件とされるため、日本は各国に対し、「自国内においても人権を最大限に尊重していく」ことを「誓約」している。
(よって私たちもまた、「世界人権宣言」に立ち返り、わが政府に対し、弛まぬ監視と働きかけを行うことが必要!)

次は、「国連人権理事会」が行う「3つの手法」について。

◎決議
「決議」は、安全保障理事会がよく知られているが、「国連人権理事会」においても同様。いわゆる“重大”な人権侵害があった場合の措置である。
まずは「非難決議」が行われ、続いて必要な場合は「調査団の派遣」、さらには「制裁措置」も含まれる。
具体的な事例としては、2008年12月のイスラエルによるガザ地区への攻撃。「国連人権理事会」はガザに調査団を派遣し、イスラエルの攻撃を明確に「戦争犯罪」とした。そしてイスラエルとパレスチナ双方に調査することを義務づけている。
(*パレスチナ武装勢力のロケット弾も対象)

◎普遍的・定期的審査
一方「決議」とは別に、それほど重大な人権侵害ではないとするわが国のような国に対しては、次にあげる「普遍的・定期的審査」は、「条約」の批准と並んでとても有効な手段となり得る。なぜなら「普遍的」とは、国連加盟国のすべてが対象となるからである。また「定期的」とは、5年に1度必ず審査を受ける義務をいう。
この審査制度は、「国連人権理事会」が設立された際に生まれた「目玉」のひとつ。全ての加盟国が自国の人権状況について「政府報告」を提出する義務を負い、人権高等弁務官事務所が作成した基本文書とともに、他の全ての加盟国から審査を受ける。従来の国連人権委員会では、西側諸国が人権で非難されるということはほとんどなかった。日本においても「従軍慰安婦問題」を除いて、調査対象となったことはない。
しかし、「国連人権理事会」に格上げされた段階から、「普遍的・定期的審査」は大きく状況を変え、日本は2008年に理事国に当選したため、直ちに審査を受けることとなった。
結果は、多くの「勧告」が日本政府に対して突きつけられた。
なにしろわが国は「国連人権理事会」の理事国である。当然外交上のプレッシャーを受ける。その結果、受けた勧告のうち、民法の女性差別規定の修正や政府から独立した人権擁護機関の創設など、一定の勧告は人権理事国として受け入れざるを得なくなった。
しかし一方で、死刑執行のほか、自白強要、代用監獄、証拠開示など、いまだ死刑や刑事裁判にかかわる勧告については、ほとんど受け入れていない。また、すでに受け入れた勧告についても、次の5年後の審査まで知らぬ存ぜぬでスルーする可能性もある。まずはその達成を国内的に監視し、運動として日本政府に実行を迫っていく必要がある。
なお英文による「報告書」「意見書」等については、NGO(非政府組織)の提出も可能とのこと(ただし英文5枚)。だが個別課題を取り組むNGOにとっては、この5枚の枚数はかえって書きやすく、手法としても大変有効であるので、ぜひ挑戦して欲しい。

◎特別手続き
これは「拷問」や「処刑」や「人種差別」など、テーマ別に国連が任命した「特別報告者」が、各国の人権状況を調査する制度。問題があると判断した場合は、その国を訪れ、非難や告発することも可能である。かつて「従軍慰安婦問題」が政治化した際、「女性に対する暴力特別報告者」が行った国連人権委員会での告発は、その後の進展への大きな力となった。現在では在日などの「人種差別問題」で頻繁に特別報告者が日本を訪れており、日本政府に対して公式に批判も行っている。この制度もまた、大いに活用ができるため、拷問、処刑、刑事手続きなどの人権侵害についても、ぜひ特別報告者を日本に招待し、具体的な人権侵害の状況を知らしめていくことが必要なのではないか。

【条約機関】
国連には、「国連人権理事会」の本体とは別に「条約機関」による人権保障システムがある。条約は入るも入らぬも自由。条約を批准した国にのみ適用される。ただし、@自由権規約、A社会権規約、B拷問禁止条約、C人種差別撤廃条約、D女性差別撤廃条約、E子どもの権利条約の主要6条約は、「人権の基本文書」といわれているため、入らない国は人権後進国とみなされる。よって現在は多くの国が加盟している。
日本は1970年代に、「世界人権宣言」にある自由権、社会権をさらに具体化した自由権規約、社会権規約に加盟し、他の4条約についても、その後すべてを批准している。つまり日本は、この「主要6条約」については、「締約国」として全て守らなければならない義務を負っている。
その審査を行うのが「条約機関」である。
条約機関は、人権理事会とは違い、政府から独立した専門家からなる「委員会」の形をとり、各条約ごとに個別に設置されている。(「自由権規約委員会」「女性差別撤廃条約委員会」など)。
この委員会が、各国の人権状況を審査し、守られていない場合は「勧告」を行うことになる(つまりは独立機関という意味では、強制力は持たないが、裁判所に似た機能をもつ)。

二、条約審査

では次に、その審査方法をみてみよう。

◎国家報告書審査
 全ての条約加盟国は、自国がどのように条約上の義務を果たしてきたかについて、5年に1度、条約機関に「報告書」を提出する義務を負う。
(日本は、1993年、1998年と報告書を提出し、審査を受けた。しかしその後2008年まで、実は10年間もの間、報告書を提出しないという重大な問題があった。これでいったい「国連人権理事国」の資格があるのかという疑問。)
「報告書」は、政府が提出の義務を負う。しかし、条約機関が現地に赴くことはないため、政府によっては事実の隠蔽や嘘の報告を書くことがある。条約機関は、その国の本当の声を知るため、NGOによる政府報告に対する「カウンターレポート(シャドーレポートともいう)」を求めている。
結果、基本的にはNGOの声が取り入れられて「勧告」が出されることになる。つまりこれは、全てのNGOにとって、極めて有効な手段となり得る。よってNGOの活動の盛んな国では、この手続きに関与することにより、多くの勧告が出される。結果、政府に対しより多くの宿題を突きつけることになる。
(「カウンターレポート」は「普遍的・定期的審査」と違って枚数に制限はない。日本弁護士連合会は毎回300ページほどの大量レポートを作成しているが、小さなNGOや個別課題のNGOの場合は、「普遍的・定期的審査」に習って5枚程度でも十分。とにかく数多く、積極的にチャレンジをすればよいのではないか。)

◎個人通報制度
 「個人通報制度」とは、国家による人権条約違反を理由に権利を侵害されたと考える個人が、国内救済手続きを尽くした後に、国連人権条約違反を根拠としてその事案に関する救済を人権条約機関に求める制度のこと。先の「国家報告書審査」の場合は、全ての条約加盟国が義務化されるのに対し、「個人通報制度」は、政府が選択オプションを受託(条約中の個人通報条項を受諾あるいは条約にかかわる選択議定書を批准)した場合のみ、可能となる。現在の日本のように、これを受諾しない限り、やりたくなければ服す必要はないということになる。
 この「個人通報制度」に今後道を開くことができるかどうか。内閣による批准と国会の承認が必要なため、いまはそれを求めてのプロセスにある。(「個人通報制度」は法務省マターでもあるが、決定は外務省が行う。)
 民主党はすでにマニフェストにも掲げ、千葉法務大臣の就任会見でもやると明言してきている。しかし、現状はごく一部の人にしか知られておらず、政治的な意思としては熟成していない。法務当局の見解も、おそらく世論の熟成が図られていない点を根拠としており、いまだ「個人通報制度」については法案化される目処が立っていない。
よって「個人通報制度」の内容を知ることで、その実現に向けて市民の運動を通じて「世論を喚起」することが、いま最も求められている。

三、日本の刑事司法、死刑制度と条約上の義務違反

 次に、日本の刑事裁判との関係で、国連は日本をどのように見ているか。
まずは「国家報告書審査」を通じて、日本政府に対しどのような「勧告」がなされたかをみてみよう。
 自由権規約委員会は、2008年の審査において多くの勧告を行っているが、この勧告はいささか抽象的であり、1998年の勧告の方がより明快であるため、以下1998年版から4つを紹介する。

◆死刑に関する勧告
「委員会は、死刑確定者の拘禁状態について、引き続き深刻な懸念を有する。特に、委員会は、面会及び通信の不当な制限並びに死刑確定者の家族及び弁護士に執行の通知を行わないことは、規約に適合しないと認める。」
*つまり、「懸念を有する」段階を超えて「適合しないと認める」と書かれているのは、ハッキリと「規約違反」だということ。この事案を「個人通報制度」に持ち込めば、十分勝てる事案になり得るということを示している。

◆保釈、弁護人の接見・立会い等に関する勧告
「委員会は、起訴前勾留は、警察の管理下で23日間もの長期間にわたり継続し得ること、司法の管理下に迅速かつ効果的に置かれず、また被疑者がこの23日間の間、保釈される権利を与えられていないこと、取調べの時刻と時間を規律する規則がないこと、勾留されている被疑者に助言、支援する国選弁護人がないこと、刑事訴訟法第39条第3項に基づき弁護人の接見には厳しい制限があること、取調べは被疑者によって選任された弁護士の立会いなしで行われることにおいて、第9条、第10条及び第14条に規定する保障が完全に満たされていないことに深く懸念を有する。」
*これもまた、「保釈がされなかった」「接見が制限された」「取調べでの立会いがなかった」などの具体的な事案をもって、「個人通報制度」が活用できる事例。「自白が強要された」具体的なケースを訴状に上げることで、その全体的な状況から「規約違反」と認定される可能性もあり得る。

◆取調べの全面可視化に関する勧告
「委員会は、刑事裁判における多数の有罪判決が自白に基づくものであるという事実に深く懸念を有する。自白が強要により引き出される可能性を排除するために、委員会は、警察留置場すなわち代用監獄における被疑者への取調べが厳格に監視され、電気的手段により記録されるべきことを勧告する。」
*これに関しては、自由権規約で「規定違反」と認定された具体的な事例が見つからなかった。しかしラテンアメリカ、アメリカをカバーする地域人権機構「米州人権裁判所」が扱った事案が参考になる。これは取調べの全面可視化が実現しないなかでの「自白強要」に対し、「米州人権条約違反」を認めたという事例。これを上記の勧告に絡めてスライドさせ、「個人通報制度」につなげていくことも可能ではないか。

◆証拠開示に関する勧告
「委員会は、刑事法の下で、検察には、公判において提出する予定であるものを除き捜査の過程で収集した証拠を開示する義務はなく、弁護側には手続の如何なる段階においても資料の開示を求める一般的な権利を有しないことに懸念を有する。委員会は、規約第14条3に規定された保障に従い、締約国が、防禦権を阻害しないために弁護側がすべての関係資料にアクセスすることができるよう、その法律と実務を確保することを勧告する。」
*同じく「規定違反」の認定は、「ヨーロッパ人権裁判所」における事例にもある。「ジャスパー事件」(イギリス/IRAのテロ関係)の全面証拠開示に関し、結果としては国家機密の論点から認められなかったが、それがない場合は、すべてのアクセス権は、条約上権利を有することを原則として認めている。これもまた、上記勧告と直結する。

 以上のように、「個人通報制度」が実現した場合、上記「勧告」が示す内容からみても、申し立てに対し数多くの「規約違反」が認められる可能性がある。なお、「個人通報」は「不遡及」が原則であるため、制度が受託される前に発生した人権侵害は、申し立ての対象外ということになるので注意。ただし「拘禁」や「証拠の非開示」など、以前より継続し、現在もなおその人権侵害が続いている場合は、申し立てが可能である。
 また「個人通報」を行うには、各国の司法制度を尊重する意味から、「国内的な救済措置を尽くした後」という条件がつく。よって制度の実現後、国内で裁判を起こす場合は、憲法上の主張だけでなく、必ず国際法上「規約第何条に違反する」という主張を明記しておく必要がある。それがないと、最高裁判決後に「個人通報」の申し立てを行っても、もともと国際法上の判断を求めておらず、国内的な救済措置が尽くされていない、と判断されてしまうからである。
 なお申し立ては、英文で行う必要があるが、申し立て書式は非常に簡単。ただし「国家報告書審査」の「カウンターレポート」とは違って、現実に受理されない事件も大変多く、受理されるためにはそれなりのテクニックが求められるため、弁護士をつけることを薦めたい。

四、個人通報はどう認定するのか

では、「個人通報」を行った結果、具体的にどのような形で認定されるのか。
これに関しては、「ヒューマンライツ・ナウ」の「国際人権データベース」が参考になる。
(URL/http://hrn.or.jp/hrdb/)
うち、刑事裁判に関係する国際人権先例として3つの事案を以下紹介。事件の簡単な概要と、採択された「委員会の見解」のうち、特に「違反」とされた点を記載しておく。詳細は上記データベースで確認されたいが、結果として「委員会見解」がどのように示されるのか。日本でも十分にあり得る事例であるため、通報者の申し立て内容を想像しながら見て欲しい。

■フイリピンにおける事案
[事件の概要]
 通報者は、1999年5月、6名の共犯者と共に被害者Aに対する誘拐・監禁の罪により刑事裁判所で有罪判決を受け上告。最高裁は、前審で無罪とされた被害者Bに対する誘拐・監禁・殺人・強姦の罪においても通報者を有罪と認め、Bに対する罪で死刑を言い渡した。通報者によれば、新憲法が廃止した死刑制度が復活されるなど、残虐な刑罰の禁止等を論点とし、アリバイに関する弁護側の証人申請が却下されるなど、適正手続きの保障を欠く裁判であることを主張している。
[委員会の見解(一部)]
@ある種の犯罪に対し、唯一の選択として死刑を自動的に適用して情状等を一切考慮しないことは、「生命の恣意的な剥奪」であり、第6条1項に違反する。
Aアリバイの立証責任を被告人に課している国があるとしても、本件では、アリバイ立証のための承認のうち何名かが排除される一方で、共犯者の証言を採用し、更には裁判官の予断排除にも疑問があること等を考慮すると、本件裁判が「推定無罪の原則」を遵守していたとは言えず、14条2項に違反する。
B弁護人に事案を把握し検討する十分な時間を与えなかった点は、14条3項(b)(d)に、私選弁護人選任の要求が却下された点は14条3項(d)に違反する。
C事実認定や証拠の採用は国内裁判所の専権事項ではあるが、死刑という結果の重大性に鑑みると、「無関係かつ重要性がない」との理由のみで弁護側の承認を却下する一方で、検察側の承認にはそのような制限を加えていない点は、14条3項(e)に違反する。
D下級審で判断されなかった点にまで最高裁が有罪の認定をして死刑を課した点は、第14条1項・5項に違反する。
E予審を担当した裁判官が公判を担当した点は、14条1項に違反する。
F裁判の遅延は裁判所に起因しており、第14条3項(c)に違反する。
G14条の基準を満たさない手続きによって課せられた死刑判決を受け、いつ執行されるかわからない状況にさせることは、それ自体多大な苦しみを与えるものであり、拷問等の残虐な刑罰を禁止した第7条に違反する。

■タジキスタンにおける事案
[事件の概要]
 2001年4月、タジキスタンの内務副大臣が、運転手とボディガード2人とともに暗殺され、7人が逮捕された。2002年にそれぞれ死刑が確定(その後一部減刑)。通報者によれば、殴打、電気ショックなどの拷問を受け、自白の強要や複数によるアリバイ証言が認められないなど、多くの問題を指摘している。
[委員会の見解(一部)]
@7条、14条3項(g)違反については、取り調べ官の人名も挙がっている等、内容が具体的で、公判でも十分主張されている一方で、当事国はN氏への反論を提出していない。
A10条、14条2項違反については当事国の反論がない。
B14条3項(b)(d)については、死刑にかかわるときは特に、審理のすべての段階で弁護士が必要であるのに、与えられなかった。
よって以上の各条項について、違反が認められる。さらに、これらの違反の上に死刑判決が出された点について、6条2項違反も認められる。

■スリランカにおける事案
[事件の概要]
 通報者が19歳だった2002年8月、強盗罪で逮捕、その際、複数の警官から暴行を受ける。さらに拘留中も拷問され、意識不明となって病院へ搬送された。通報者は、基本的人権の侵害を主張し最高裁判所に訴えを提起し、受理されたが、審理は再三にわたり延期され、通報者やその家族に対し訴えを取り下げるよう様々な圧力がかけられたとしている。
[委員会の見解(一部)]
@自由権規約は、個人が国家に、訴追を要求する権利までは保障していないとしても、政府は、人権侵害の申立てについて調査し、当該行為に有責な人物を訴追し処罰する義務を負っていると解するべきである。本件について言えば、裁判所の職務が加重であることは手続き遅延の理由とならないし、更に、裁判所が今後の見通しを通報者に示していない点も問題である。従って、スリランカ政府は通報者が被った拷問に対して「効果的救済措置」を与えているとは言えず、このような対応は、第7条並びに第2条第3項に違反する。
A手続の適正に関するスリランカ政府の主張は、国内的救済措置が採られたという点に終始しており、手続が適正であったことの主張・立証を尽くしていない。従って、第9条第1項、2項、3項についても違反が認められる。
B「身体の自由及び安全」を保障する第9条第1項は、勾留中だけでなく、勾留外の自由・安全をも保障していると解すべきところ、スリランカ政府は、申立人が主張する嫌がらせや脅迫等について調査もせず、また、「申立人を保護した」と述べるのみで、具体的にどのように保護したのか主張・立証していない。従って、第9条1項違反に該当すると認定する。

五、個人通報の効果

 かつて「最高裁がまだある!」と叫んだ「真昼の暗黒」(八海事件)という映画があった。しかし現実はどうか。その先に道はないゆえに、最高裁で負けても「さらに国連がある!」ことの意味は大きい。なぜなら「個人通報制度」は、国連からみて最高裁の判断は正しかったのかを国連の条約機関が審査する制度だからだ。
 先に示した「個人通報」の認定事例は、わが国に重ね合わせたとき、それがそのままリアリティを持ってしまうのが恐い。
 つまり、日本政府、裁判所は、これまで国際人権条約上の義務にほとんど配慮をしてこなかった。しかし、日本の最高裁の出した具体的事例の結論が、国連で覆されるということになれば、将来の判断について影響を与えることは間違いない。これまで「国家報告書審査」において「自白の強要」や「代用監獄」などの問題が勧告されたが、日本政府や裁判所によって、その勧告は「抽象的」なものとしてスルーされ続けてきた。
だが、たとえば「足利事件」の一件。その具体的なインパクトは、世論にも大きく影響し、いまや「制度を変える力」となっている。つまり、個々の具体的な事件でどのような人権侵害があったかが「具体的」に審査されれば、その事件の見直しだけではなく、「その後同じ事件が繰り返されてはならない」という大きな宣伝にもなり得る。おそらく政府も、これら具体的な事件に対しては、無視することができない状況になっていくのではないか。

■教育の必要性
 裁判官と伊藤弁護士との私的な会話。
裁 判 官「君は国際人権法を勉強しているそうだが、国際人権法とは何だね?」
伊藤弁護士「つまりは、自由権規約が・・・・。」
裁 判 官「で、その自由権規約ってのは何だね?」
 これが日本の司法の現実である。
 この件に関する先の1998年の「勧告」は、下記の通り。

◆教育の勧告
「委員会は、裁判官及び行政官に対し、規約上の人権についての教育が何ら用意されていないことに懸念を有する。委員会は、かかる教育が得られるようにすることを強く勧告する。裁判官を規約の規定に習熟させるための司法上の研究会及びセミナーが開催されるべきである。委員会の一般的な性格を有する意見及び選択議定書に基づく通報に関する委員会の見解は、裁判官に提供されるべきである。」
 現在日本政府は、この勧告を受けて、ようやく10年に1度、裁判官が司法研修所に集まり国際人権規約に関する講義を受けることになった。しかしいまなお、1回聞いて終わりというおざなりな教育しか行っていない。

■エリート裁判官に対抗して
 ここで重要になるのが、「個人通報制度」そのものを実現させることによって、結果として得られる「効果」である。
 日本の裁判官は、極めてプライドが高いため、自分が出した個々の判断が、上でひっくり返されることを「恥」とする。最高裁が最終判断ということになれば、最高裁にただひたすら従っていればよい。年に1度発行される「最高裁判例解説」は彼らのバイブルでもある。これさえ読んでいれば間違いない・・・・。
ところがこれからは、最高裁の判断がくつがえされて国連からの勧告が出るとなると、国連の判断に関心をもたざるを得なくなってくる。つまり、国際人権規約に関する認識については原審までさかのぼり、また第一審の訴訟指揮が第一に問われることになる。よって下級審の裁判官もまた、大きな影響力を受ける。
 これを、まとめて言えば、
「個人通報制度」の活用が、刑事司法を変え、国家賠償を変え、人権状況を変える可能性がある!
ということ。
いま必要なのは、市民運動による世論の喚起である。そしてすみやかに「個人通報制度」を実現させ、「個人通報」の申し立てをどんどん行っていくこと。
たとえその事案の救済が実現しなくても、将来的には二度と繰り返してはならないことを裁判所に認識させ、その後は裁判所が国際人権規約に適合した判断をしていくようにし向けていく。
それがいま、私たちが行うべき運動の「手法」として、極めて重要なのである。
                 
六、質疑応答から

 以下、「質疑応答」から2つのポイントを。

■資料関係
 国際人権規約に関する資料は、下記のWebが参考になる。
*ヒューマンライツ・ナウのWebサイト
 (
http://hrn.or.jp)
* 日本弁護士連合会のWebサイト
(
http://www.nychibenren.or.jp/)
     ⇒「国際人権ライブラリー」が充実

■「個人通報」のネーミングに疑問が?
「個人通報」は「individual communication」の訳語である。だが、どれほどの人々に知られているか。
「個人通報制度」が知られていないのは、「名前が悪すぎる」との意見が多く出された。まるで「警察への密告」のように感じられ、自分の権利に関係しているとはとても思えないとの声。
そこで例えば「国際人権再審査制度」など、聞いただけでみんなで取り組もうという意識が生まれるネーミングを、この機会に再検討してはどうかとの提案がなされた。「名前の公募」を行うなど、あらたな手法をそこに重ね合わせ、制度の実現を運動化し、そうした運動を通じて「世論に正しく内容をアピールしていく」必要があるということ。
「個人通報制度」は、その中身を知れば知るほど、まさに「国賠ネットワーク」にとっても、大きな財産となり得るものだ。
ぜひその実現に向けて、「国賠ネットワーク」もまた、伊藤弁護士とともに、共に努力を重ねていきたい。

                  以上