10/12国賠ネット秋期シンポジウム
判例からみる国賠の未来
 

1.呼びかけ

 10年1日のごとく、敗訴の連続(例外をべつにして、勝訴しても一部勝訴・実質敗訴)を残念ながら甘受強制させられてきた。さて、戦争が最大の人権侵害であるが、それをおくとしても、この日本の現状は「従来の常識では不可解な殺人事件」が連続している。殺されることは最大の人権侵害である。着実にじんけんが侵されている。国賠裁判もそれらと軸を一にしている。これらの認識から動機つけられ国賠裁判の判例を収集・分析しようと動き出している。併行して、年1回の交流会のほかに、いろいろな国賠から国賠裁判総体を総括する、学習会的なシンポジウムをやろうということで、夏期の国賠シンポジウムを行うことになりました。積極的に参加して下さい。お待ちしています。(T.T) 

○ 2002年10月12日(土) 14〜17時 (開場13時)
○ 日本キリスト教会館 4F会議室 新宿区西早稲田2-3-18

  *営団地下鉄東西線早稲田駅下車(2)、(3)出口より徒歩5分
  *JR山手線高田馬場駅より早大正門行きバス西早稲田下車徒歩2分

○ パネリスト
  阿部泰雄 (弁護士、遠藤国賠代理人) 裁判官を被告とする国賠の過去と未来
  海渡雄一 (弁護士、監獄人権センター) 被収監者の人権と国家賠償
  福富弘美 (総監公舎国賠原告) 冤罪国賠の立場から国賠法制定当時の立法趣旨とその後の現状
  御崎直人 (逮捕令状国賠原告) 職務行為基準と過失・違法性の狭き門

2.レジュメ

2−1 表紙
10/12 国賠ネットワーク 秋期シンポジウム
判例からみる国賠の未来

2002年10月12日(土) 14〜17時 (開場13時)
日本キリスト教会館 4F会議室  新宿区西早稲田2-3-18

パネリスト
  阿部泰雄 (弁護士、遠藤国賠代理人)
  海渡雄一 (弁護士、監獄人権センター)
  福富弘美 (総監公舎国賠原告)
  御崎直人 (逮捕令状国賠原告)
司会 
  松永優 (国賠ネットワーク 松永国賠原告)

主催 国賠ネットワーク


2−2 問題提起  国賠ネットワーク(文責:磯部)

「判例からみる国賠の未来」への提起とこれまでの経緯
 12の国賠裁判を繋ぎ、90年2月に第1回交流集会を開いてスタートした国賠ネットワークはすでに13年目に入いりました。今年も恒例の春の交流集会、夏の合宿が開かれ、そこで討議されたテーマの1つが最近の国賠判例動向の問題です。
 昨年末以降に総監公舎国賠の上告審、土日P国賠の控訴審、遠藤国賠の控訴審と判決が相次ぎ、改めて国賠裁判の困難さや、それが国の居直る手段になってしまったことが痛感させられました。無罪判決が確定した冤罪事件について、起訴や裁判官の責任を問う無罪国賠では国側の誤りが認められる可能性が皆無であるかのような現状です。1970年の松川事件国賠の東京高裁判決から30年、いったい何が変わってしまったのでしょうか。国賠裁判について情報交換、経験交流、共同作業をめざしてきた国賠ネットワークですから、国賠判例を把握し、その問題点を明らかにして、未来に向けた打開策に知恵を出し合うことは国賠ネットワークに課せられた責務と言えるでしょう。今年の夏合宿では、判例動向やそのデータベースについておもに議論し、当面の進み方を次の4点にまとめました。

a.国賠裁判の最高裁判例を国賠ネットWEBに載せ、誰でも簡単にみられるようにする。
b.下級審判例も含んで国賠ネットに関連深いものを、被告と違法内容を軸に分類して、分類毎に一欄表を作成する。その項目は、判決日、裁判所、一行程度の要約、判示事項などを含み、国賠裁判を起こす人への参考になるようにまとめる。
c.無罪国賠を中心に国賠の判例傾向を批判的に検証し、カウンターリポートなどに役立てる。
d.国賠ネットの各裁判の訴状、各級判決、参考文献、問題点や評価等を収集・整理して、WEB等を通じて発信する。

どれもが具体的化するとなると容易ではありません。これまでの国賠ネットの運動を継続して進めて行く課題といえます。
 同時に、広く国賠ネットワークの内外に問題点を明らかにし、力や知恵を合わせることも重要です。そこで、今回、パネル討議をベースとするシンポジウムを企画しました。今年が最初の試みですが、春の交流会に匹敵する、あるいはそれを越える広がりをめざしています。パネリストには、無罪国賠に限らず様々な国賠裁判の原告や代理人の方々にお願いしました。また、司会は国賠ネットワークを生み育ててきたメンバーがあたります。会場からの積極的な発言を交えて、国賠裁判の現状を明らかにし、かすかにでも国賠裁判の未来を見通すことのできる議論を期待します。


2−3 (裁判官を被告とする国賠の過去と未来)  弁護士 阿部泰雄

1.遠藤事件、国賠
(1) 新潟ひき逃げ事件(遠藤事件)
・1975年12月20日 新潟県東蒲原郡津川町でひき逃げ死亡事故発生
・1975年12月22,23,24日と遠藤祐一氏が捜査の対象となる
・1977年2月12日 新潟地検、新潟地裁に「業務上過失致死」で起訴
・1982年9月3日 新潟地裁、禁固6月執行猶予2年の有罪判決
・1984年4月12日 東京高裁、控訴棄却の有罪判決
・1989年4月21日 最高裁、「原判決及び第一審判決を破棄、無罪」

(2) 国家賠償訴訟など
・1991年1月 国と起訴検察官、一,二審裁判官を被告に東京地裁へ提訴
・1996年3月 東京地裁、請求を全面棄却
・1996年9月 東京高裁、第1回口頭弁論
・1997年6月 東京高裁、第1次文書提出命令申立を却下
・1997年9月 最高裁、抗告を不適法として却下
・1999年8月 東京高裁、第2次文書提出命令申立を却下
・2001年7月 最高裁、抗告を棄却(3対2、反対意見2)
・2002年3月 東京高裁、控訴を全面棄却
・2002年5月 上告受理申立理由を提出

(3) 国賠等事件の特徴
・被告側の無罪者に対する犯人視と逆転認定のおそれ
・ときに国賠等の請求を敵視する裁判官
・高いハードル(認定の判断基準)を設けておいての斥ける
・真相解明のために当然なすべき審理をしないで逃げる
・国賠等事件の審理システムが機能しない仕掛けが設けられている
・司法の過誤はわかりにくく、隠蔽されやすい
・氷河期、冬の時代というが春のときがあったか
・誤判の裁判官、国賠棄却判事ほど出世する?
・個人責任について
・原因論、責任を追及したい、免責してしゃべらせる

2.7件の無罪事件
(1) 松山事件再審無罪
 1955(昭和30)年 発生
 1984(昭和59)年 仙台地裁再審無罪
(2) 新潟死亡ひき逃げ事件
 1975(昭和50)年 発生
 1989(平成1)年 最高裁逆転無罪
(3) 山形死亡ひき逃げ事件
 1984(昭和59)年 発生
 1992(平成4)年 山形地裁米沢支部無罪
(4) 覚醒剤事件(違法収集証拠)
 1991(平成3)年 発生
 1994(平成6)年 仙台高裁逆転無罪
(5) 宮城死亡ひき逃げ事件
 1992(平成4)年 発生
 1997(平成9) 仙台高裁逆転無罪確定
(6) 盗品有償譲受事件
 1999(平成11)年 発生
 2000(平成12)年 仙台地裁無罪判決確定
(7) 放火未遂事件
 1999(平成11)年 発生
 2001(平成13)年 仙台地裁無罪判決 検察控訴


2−4 監獄内における国家賠償訴訟の困難性 海渡雄一(弁護士・監獄人権センター事務局長)

監獄内における国家賠償訴訟の困難性 --- 本文準備中 ---
1.公権力によるう人権侵害が発生する状況の特徴
2.監獄法上の手続きの限界
3.民事訴訟(行政訴訟、国家賠償訴訟)の限界
4.弁護士会の人権擁護委員会の限界
5.長期にわたる独居拘禁とその救済システムがないこと


2−5 資料・職務行為基準説と違法限定説  逮捕令状問題を考える会 御崎直人

判例に見る警察官・検察官・裁判官の人権侵害を免罪する論理


1、結果違法説から職務行為基準説へ
  − 無実の者に対する警察官、検察官の逮捕→起訴を免罪する論理

《結果違法説》
 無罪判決が確定したり、不起訴処分がなされたりした以上、特段の事情がない限り捜査・訴追は国家賠償法上違法と評価すべきである

《職務行為基準説》
 逮捕時、起訴時において嫌疑の有無にかかる判断過程に合理性がない場合にのみ違法となる
* 芦別国家賠償請求事件・最二小判昭53年10月20日民集32巻7月1367頁
「刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに起訴前の逮捕・勾留、公訴の提起・追行、起訴後の勾留が違法になるということはできない。けだし、逮捕・勾留はその時点において犯罪の嫌疑について相当な理由があり、かつ、必要性が認められる限りは適法であり、公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならないのであるから、起訴時あるいは公訴追行時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、起訴時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものと解するのが相当であるからである。」

⇒ 国会議員、一般行政職の公務員に拡大
* 在宅投票制度廃止違憲訴訟・最一小判昭和60年11月21日民集39巻7号1512頁
「国会議員は、立法に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではないというべきであつて、国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一項の規定の適用上、違法の評価を受けないものといわなければならない。」
* 運転免許取消処分・東京地判平1・3・29判時1315・42
* 租税更正処分・最一小判平5・3・11民集47・4・2863

2、無制約説から違法限定説へ
  − 裁判官の違法責任からの解放

《無制約説》
 裁判官の行った職務行為についても一般公務員と同様、判断過程に合理性がない場合は違法となる

《違法限定説》
 少なくとも争訟の裁判については、裁判官の職務行為は特段の事情がない限り国家賠償法上違法ではない
* 「商事留置権訴訟」最二小判昭和57年3月12日民集36巻3号329頁
「裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によって是正されるべき暇疵が存在したとしても、これによって当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるわけのものではなく、裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とする。」

⇒ 刑事手続きに拡大
* 「弘前大学教授夫人殺し国家賠償請求事件」最高裁判決平成2年7月20日民集44巻5号938頁
「この理は、刑事事件において、上告審で確定した有罪判決が再審で取り消され、無罪判決が確定した場合においても異ならないと解するのが相当である。」

3、違法限定説の争訟の裁判から令状発付(決定)へ

《何が問題か》
・ 事実認定や法律の解釈適用の誤りを是正する手段(上訴、再審制度)の欠落
・ 反対当事者の関与の機会の欠落(準抗告の不適法認定)
* 最一小決昭和57年8月27日
「逮捕に関す裁判及びこれに基づく処分は、刑訴法四二九条一項各号所定の準抗告の対象とな義判に含まれないと解するのが相当であるから、本件準抗告棄却決定に対する特別抗告は、不適法である」
・ 刑事手続き進行中の国賠の制限
* 最判平成5年1月25日
「逮捕状は発行されたが、被疑者が逃亡中のため、逮捕状の執行ができず、逮捕状の更新が繰り返されているにすぎない時点で、被疑者の近親者が、被疑者のアリバイの存在を理由に、逮捕状の請求、発行における捜査機関又は令状発付裁判官の被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があったとする判断の違法性を主張して、国家賠償を請求することは許されない」
・ 救済の必要性−逮捕=憲法18条【奴隷的拘束および苦役からの自由】の例外

(1) 違法限定説は争訟の裁判にのみ妥当
* 「御名御璽事件一審判決」大阪地裁判決昭和61年5月26日判時1224号60頁
「なお、裁判官の行った争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によって是正さるべき瑕疵が存在したとしても、……損害の賠償を求めることはできないと解すべきである。
 しかし、一般に、争訟とは、権利又は法律関係の存否について関係当事者間に争いがある場合に、国家機関が、当事者の申立に基づき当事者双方の主張を聴いた上で公権力をもって、右権利又は法律関係の存否を終局的に確定する手続を意味するものと解されるところ、本件において裁判官甲野太郎がした裁判は、司法警察員が被疑者が罪を犯したと思料されるべき資料を提供してした請求に基づき、被疑者の主張を聴かないでされた捜索差押許可状の発行であり、これは権利又は法律関係の存否の終局的確定を目的としない行政的性格を有する判断作用であって、争訟の裁判ということはできない。」

(2) 違法限定説は令状発付にも妥当
* 「御名御璽事件控訴審判決」大阪高裁判決昭和62年2月24日判時1227号51頁
「国家賠償の原因となる裁判行為の違法性とは、裁判を受ける者ないし裁判によって身体財産に損失を受ける者に対する関係において、裁判官に対し職務の執行、権限の行使について遵守すべきことを要求している規範に違反して裁判行為がされることをいうものと解すべきであるから、国家賠償法上は裁判官が常に正当な裁判(正確にいえば国家賠償請求事件を審理判断する裁判所が正当であるとした裁判)をすることを裁判官の遵守すべき法的義務として課されているものと考えるのは相当でなく、訴訟法上の救済手続で取り消される裁判をした裁判官は、そのような裁判をしたことにつき過失があるかどうかが問擬されるべきものではなく、そもそも違法な裁判をしたことになるわけではないからである。この理は、裁判官がした裁判のうち争訟に関するものについてのみ妥当するものとすべき根拠はなく、本件各捜索差押許可状の発付もまた前記のとおりの判断作用を内容とする裁判であるから、これが国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為であるとするためには、冒頭に掲記したとおりに解するのが相当である。」

その他の裁判例
* 捜索差押許可状についての、千葉地裁判決平成6年3月30日判時1529号111頁
  大阪地裁判決平成3年9月27日訟月38巻4号671頁
  大阪地裁判決平成3年3月22日判例地方自治87号92頁
  東京高裁判決平成元年9月4日判タ710号147頁(昭和63年東京地判の控訴審判決)
  東京地裁判決昭和63年4月25日判時1276号60頁

(3) 裁判一般について違法限定説をとりながら、「特別の事情」の解釈を通して違法認定
* 「京都指紋押捺拒否国賠訴訟控訴審判決」大阪高裁判決平成6年10月28日判時1513号71頁
「どの程度の裁量の逸脱があつた場合に国家賠償法上違法と評価されるかについては、その裁判の種類毎に、その性質、当事者に対する告知、聴聞の機会の保障の有無、不服申立の方法の有無、侵害された権利の性質、救済の必要性等諸般の事情を総合して慎重に検討して決せられるべきものである。……逮捕状発付の裁判に対する国家賠償請求訴訟においては、右裁判には、上訴制度や再審制度など事実認定や法律の解釈適用の誤りが是正される場がないこと、逮捕状発付の裁判を不可争のものとして確定させるべき実質的な理由が乏しいこと、刑事訴訟法上の要件を満たさない逮捕によつて身体の自由を侵害された者の救済を図る必要性が高いこと等の諸事情に鑑み・・・通常の裁判官が当時の資料、状況の下で合理的に判断すれば、到底逮捕状を発付しなかつたであろうと思われるのに、これを発付したような場合には、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものとして、国家賠償法上も違法との評価を免れない」

2−6 国賠シンポ・レジュメ  2002年10月12日  福冨弘美

「国賠法の成立と国賠裁判のいま」

1 国家賠償法の成り立ち
 日本国憲法制定時に、GHQ案になかった項目として、帝国憲法下で天皇の大権の行使であり、ゆえに斬り捨て御免だった公務員の不法行為に対する国・公共団体の賠償責任が盛り込まれた(17条) 。併せて無罪の裁判に対する刑事補償が規定された(40条)。
 同17条に基づき1947年の第1回国会に国家賠償法案が提出され、衆参両院とも全会一致で成立した。補償の対象は・公権力の行使に基づく損害(1条)、・公の営造物の設置管理上の問題から発生した損害(2条)に分かれる。両院各司法委員会の審議では、主に1条関係の冤罪被害者に対する救済を迅速かつ効果的に行うためにこの法律が必要であることが強調された。1条の「故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたとき」という構成要件が被害者側の立証を困難にし、救済法の死法化・形骸化を招かないかという懸念が与野党を通じて強く指摘されたが、政府の説明は一貫して「違法」とは民法の「権利侵害」を言い換えたにすぎず、責任を制限する要件を付加するものではなくて、違法性が成立しない場合には救済対象から除外することを規定したにすぎないというものであった。また、不法行為を行った公務員の個人責任など議論の分かれる問題点は、すべて運用にゆだねることとなった。国賠法の前提とされた、故意過失の有無を問わず無罪判決確定に伴い定型的補償を行う刑事補償法は次の国会で成立している。

2 国賠法1条事件の類型
・1条事件といって多様であり、思いつくまま列挙しても以下のような類型があり、当然1つの事件が複数の類型に重なる場合がある。公立学校における学校事故(部活・校外行事等を含む)、公立病院の医療事故、官公庁における各種手続き上の記載ミス等(登記官によるものが多い):基本的に公務員の個人的な過失によるもので、・以降のように、権力対人権という争いではない。公害・薬害(行政の不作為、義務違反等):主な公害訴訟は原告勝訴が確定し、または和解で決着しているが、国の責任を認めた例はきわめて少ない公害病認定(行政の不作為、義務違反等):一部、認定の遅れを認めた判決がある。接見妨害、警察官・刑務官等の暴行、違法捜索、捜査のサボタージュ(不作為)、拘禁中の文書検閲:接見妨害は70年代後半頃から、認める判決が多く出ている。70年代前半までのような検事による一般指定は行われなくなった(「総監公舎」「日石・土田・ピース缶」などのでっちあげは、接見妨害が常態化していたからこそ成立したといえる)、警察官らの暴行や職質・検問の違法、違法捜索等は責任を認めたケースも少なくない。捜査のサボタージュという違法は、今後増加が予想される(桶川事件、西宮事件等)。無罪事件(逮捕・勾留、捜査、起訴、公訴維持、判決の各段階における警察官・検察官・裁判官の違法):別項で後述。戦後補償関係(強制連行、財産権侵害、社会保障政策等の差別):一部下級審を除き2国間条約を盾に立法責任の問題に転嫁している。違憲(行政による生存権侵害、公権力による違法な人権侵害、自衛隊・米軍の存在と活動に伴う損害):一部下級審の人権擁護・護憲の立場に立つ判決は、すべて上級審で覆されている。違憲主張に対する最高裁の姿勢は、選挙区定員格差に関する一定の判断を除き行政追随と判断回避に尽きる。立法の不作為(選挙区定員格差、戦後補償関係等):国会議員の立法責任ないし不作為を認めた例はほとんどない。国の政策遂行(強制隔離)の違法と国会の立法不作為(ハンセン病):控訴断念により確定した熊本地裁判決は、国(厚生省)の違法と、隔離の必要がないことが明確になった時期以降も国会が「らい予防法」の廃止手続きをとらなかった国会議員の不作為を違法と認定した。宗教的行事や戦争肯定的行事その他目的に問題ある公費の支出

3 無罪(冤罪)事件国賠の惨状
・国賠法制定にあたって、救済を図る必要が強調された警察・検察の強権によるむきだしの人権侵害=人生破壊に対する責任を問う無罪事件国賠は、以後50年余を経て制定時に憂慮された最悪の事態をはるかに凌駕する惨状を呈している。「刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに起訴前の逮捕・勾留、公訴の提起・追行、起訴後の勾留が違法となるということはない」という誰も主張していない空論に対する陳腐な反論がある。1978年の芦別国賠最高裁判決で示され、その後無罪事件国賠判決で決まり文句となった(もっとも、当方の総監公舎国賠では、1・2・3審を通じて、これらの空疎な常套句とそれを用いる精神構造を徹底的に批判し揶揄したところ、理屈は一切使わずに問答無用で対応するようになった)。無罪判決には、責任能力を問えないものもあるわけで、いくらこの国の無罪率が低いからといってその多くが国賠訴訟を起こすことなどあり得ないし、現実にも例外的事象でしかない。無罪を争う結果として、長年月の刑事裁判という苦役と稼ぐ道を制約され、または実質的に奪われるなかでの経済的負担があり、国賠訴訟は採算が取れないどころか、その被害を極大化させることがわかりきっている。死刑確定後の再審無罪事件でさえ、国賠訴訟を断念せざるをえないところに現状がよく現れている。

4 起訴違法の裁判例
・無罪国賠の中心的課題は、検察官による公訴提起(起訴)の違法を認めさせることにある。起訴を違法とした裁判例は30件程度しかないと思われる。著名な冤罪事件の国賠判決は次のとおり(上告審による差戻し判決以降は略)。
◆松川事件:列車転覆。
東京地裁昭和44.4.23 判決/東京高裁昭和45.8.1判決で確定。明白な虚偽自白とアリバイ証拠の無視・隠匿。一、二審の論旨はやや異なるが、いずれも検察官の公訴提起・維持の違法を明確に認定。特に一審判決はアリバイ証拠の隠匿など検察官の真実追及義務違反を指摘。
◆芦別事件:鉄道線路爆破。
札幌地裁昭和46.12.24判決。嫌疑を消滅させた物証発見後の身柄拘束、捜査、公訴提起・追行は違法。損害賠償認容に懲罰的要素を加味。札幌高裁昭和48.8.10 判決/最高裁昭和53.10.20判決一審判決を破棄・逆転。自白があり、検察官の証拠評価に合理的根拠があった。その理論的根拠として最高裁は職務行為基準説を唱える。違法性の検討を個々の職務行為における判断の適否に還元し、違法性を個々の行為の程度問題にすり替えることが職務行為基準説の狙い。結局、自白の存在をもって有罪を獲得できる可能性を期待できるから違法性はないとする。要は自白至上主義の外見をとりつくろって民事裁判の場に残存させる屁理屈を最高裁判例として打ち出し、以後の下級審の判断を牽制というよりも拘束し、いわば国賠の死法化への道を開いた。
◆弘前大教授夫人殺し事件:強盗殺人。服役後、真犯人登場により再審で無罪。
青森地裁弘前支部昭和56.4.27 判決シャツの血痕に証拠捏造の可能性もあり、公訴提起・追行は違法。裁判官については責任事由を否定(全ての証拠が出されていたわけではないから)。仙台高裁昭和61.11.28判決/最高裁平成2.7.20判決一審判決を破棄・逆転。再審無罪判決の血痕に関する認定まで否定。裁判官の責任事由につき、付与された権限の趣旨に明らかに背いて行使したと認められる特別な事情がある場合に限られるとした。裁判官の責任回避の理屈としては、憲法上の裁判官の独立と身分保障および自由心証主義の原則が用いられている。
◇加藤老事件:強盗殺人事件(国賠法施行以前の有罪判決につき、再審無罪確定により裁判官の不法行為を追及)広島地裁昭和55.7.15 判決/広島高裁昭和61.10.16判決前記弘前事件と同様に裁判官の責任事由を否定(裁判官の責任事由については、最高裁昭和57.3.12 二小法廷判決を先例としている)。
◆沖縄ゼネスト警官死亡事件。
東京地裁昭和54.6.25 判決/東京高裁昭和58.10.20判決公訴提起・追行は違法。最高裁平成1.6.29判決逆転破棄差戻し。捜査・起訴時に民間人の協力を得られない状況(反警察感情)があった。原判決は検察官の捜査の困難さを斟酌せず、公判開始後提出された証拠に依拠しており、職務行為基準説に背く。
◆富士高放火事件。

東京地裁昭和59.6.26 判決。捜査に違法はないが、信憑性・任意性に問題のある自白の信憑性を主張する控訴は違法。東京高裁昭和昭和62.12.24判決確定。逆転敗訴。信憑性の価値判断の相違に基づく判断の違いだから適法。警察の取り調べは違法判断を支持。
・●以上のとおり、著名冤罪事件では一・二審の勝訴で確定した松川事件を除き、起訴違法を認めたすべての事例が二・三審で逆転敗訴となっている。
・その他の事件では、詐欺(一・二審勝訴確定)、横領(二審で逆転敗訴、上告棄却で確定)、強姦(一審勝訴後、国の控訴取下げで確定)、傷害致死(二審で逆転敗訴)、殺人(一審勝訴後、国が控訴取下げで確定)、公正証書原本不実記載(一・二審勝訴で確定)、私文書偽造・行使(二審で逆転敗訴確定)、森林窃盗(一審で勝訴確定)、私文書偽造(一審で勝訴確定)、加重収賄(二審で逆転敗訴)、恐喝未遂(二審で逆転敗訴確定)、業務上過失傷害(二審で逆転敗訴確定)、恐喝(二審で逆転敗訴確定)、殺人・死体遺棄(一・二審勝訴確定)、横領・私文書偽造行使(一審勝訴確定)等々。知られていない事件や軽微な事件では、下級審で起訴違法が認められ、国の上訴放棄で確定した事例もみられる。これらの場合、上級審でも逆転が難しいとき、国は下級審で確定させている。

5 現在進行中の起訴違法を認めない裁判例
・ピース缶爆弾事件国賠、警視総監公舎爆弾事件国賠で相次いで、一・二審の民間人被告の偽証(200万円の支払い命令)や警察の取り調べの一部違法という形で一部勝訴(計 300万円の支払い命令)の外形のもとの実質全面敗訴判決が最高裁の門前払いで確定している。両事件とも検察官・警察官個人も被告としていた。土田・日石・ピース缶爆弾事件国賠では、一審全面敗訴後、二審で1人についてのみ一部取り調べの違法を認め(100万円の支払い命令)上記2件と軌を一にする判決が出て上告中。また、同時期に古い再審事件で松山事件国賠の上告棄却で敗訴が確定した。刑事裁判が最高裁で逆転無罪という異例の経過をとった遠藤国賠は、検察官とともに裁判官個人の違法をも追及しているが、一・二審で敗訴、上告中である。

6 無罪国賠の傾向と未来
「判例にみる国賠の未来」についてあえて言えば、少なくとも判例からみる限り無罪国賠に未来はないというほかない。総監公舎、土田・日石・ピース缶は同時期に首都の公安警察が一部の元被疑者から虚構のストーリーに基づく虚偽自白を奪ってでっちあげた、きわめて悪質な権力犯罪である。刑事裁判で総監公舎は一審で別件2件を含めて完全無罪を獲得し、検察は控訴することもできなかった。土田関係も、検察は控訴はしたものの結局は取下げざるを得ない失態を演じた。
いずれも過去の冤罪事件の教訓から刑事一審で10年余をかけて徹底的に緻密な立証・を行い、裁判所に判断の余地を残さない無罪判決を獲得した。その実績と資料に基づく国賠訴訟で、一・二審裁判所は原告側主張と証拠に向き合うことなく、それらを無視し、またすり替え、歪曲したうえで、論理の世界を超えた意図的な判決を行った。総監公舎、ピース缶上告審は判決理由を書くことを回避し、ひたすら強権にすがって門前払いするという卑劣な逃げの手を打った(土田・日石は上告中)。判決をみれば、結局、関係した裁判官で原告側主張の全体と細部を読んだ者は皆無だったと断定できる。それは司法システムまるごとの違法というべきものである。芦別国賠最高裁判決以来、最高裁と法務・検察が進めてきた無罪国賠の死法化が完成の域に近づいてきたといえる。完成とは、原告主張と対決しないこと、そして新たな追及材料をつくることを意味する判例を残さないことにほかならない。
国賠法をめぐる細かな論点の議論は重ねられたが、冤罪を防ぐ視点はご都合主義の前に全く無視され、結果として冤罪事件発生に対する反省を拒み、再発防止どころか警察と検察により巧みな冤罪づくりを奨励する風潮を生んだ。これは、権力腐敗の根を育むと同時に自滅への根源的な矛盾を形成することにつながるだろう。
「公権力を違法に行使した特別公務員の個人責任(検察官・警察官は単なる公務員ではなく、特別の権能を付与された特別公務員である)」「故意過失と違法の関係と判断基準」「再発防止の視点からの懲罰的補償の加味」等々、国賠法を運用するうえで検討されるべき論点について、最高裁はまともな理由をあげて判断したことがない。せいぜい過去の普遍性を持つとは言い難い瑣末な事件における判断を「判例とするところ」として踏襲する旨を述べるだけである。
唯一、理論めいたものを提示したのが、芦別国賠判決の「職務行為基準説」だが、総監公舎国賠では「検察官が起訴の意思決定を行った職務行為の適否を判断するには、その段階で検討対象とした証拠リストを明示することが最低の前提条件」とする当方の主張に対し、証拠を隠匿する当事者である被告国とともに、一・二・三審を通じて、裁判所は遂に何も答えることができなかった。
刑事裁判官一般と比較しても、民事裁判官一般の無責任さ、事実に関するいい加減さは、際立っているのではないか。国(検察)の証拠隠しに加担するぐらいだから、事実関係についてもわれわれの分析以上の仕事ができるはずもない。当方の経験に即する限り、国賠訴訟全体を通じて裁判所の知的な営為、知性を用いた活動を垣間見ることはなかったというおぞましい現実が残る。

7 判検交流という共同体づくり
最高裁と法務・検察は、1970年代以来「判検交流」を進めてきた。70年代初めの青法協パージ(任官拒否)問題、公害裁判や労働事件における良識的判決に対する危機意識から、裁判官に「現場の苦労」をわからせることが一つの目的だったのが、次第に交流の規模も拡大し、地裁の若手裁判官が長期にわたって法務省民事局、訟務局に出向し、検事もまた裁判官を務めるようになった。特に問題なのは、若手裁判官が法務省訟務局で訟務検事と机を並べ、国賠訴訟に国代理人として取り組みつつ共に出世し、十分に経験を積んだうえで民事裁判官に復帰していくコースが常態化したことである。
総監公舎国賠では、一審の陪席判事複数名がその後訟務局に出向している。判決を出した裁判長は法務省民事局に長年在籍していた。控訴審では初期の陪席判事が訟務局参事官出身であり、終盤に近く陪席に赴任し、判決の大部分を書いたと思われる判事は、長年訟務局に在籍し参事官に出世した後、高裁の陪席裁判官となった。
その間、訟務局の同僚たちは総監公舎国賠訴訟にいそしんでいた。この国賠は通算15年も続き、その間訟務検事は国代理人として出廷していたものだけで常時6〜10人にのぼる。彼らが約12年近くに及ぶ刑事裁判で、敗北を重ねた検事たちの後始末のため、事実上検察の再審裁判に等しい国賠の訴訟に携わり、その仲間が原告敗訴の国賠判決を書いたのである。上告理由書には、その仕組みの実態と問題性についても指摘したが、当然、返事はない。

8 未来のための課題?
未来を開く一つの可能性は、最低レベルに到達している最高裁判事の顔ぶれが大幅に変わることがある。しかし、長官に最高裁事務総局と東京高裁長官に至る行政官としての経験を積んだ司法官僚である町田顕の就任が決まってみれば、前途が明るいとはいいにくい。同人の定年まではまだ4年もある。
裁判の透明性と人権感覚のレベルを引き上げることは、基本的に時代と世界の趨勢であって(ブッシュのアメリカが世界を壊してしまわなければ)、裁判所といえども公然とは逆らいにくい。一つは、何ら正当性がなく、強権のみを頼りに続けられている証拠隠しの壁を突き崩すことである。官憲の違法行為に関する肝心な証拠の隠匿を認めておいて、違法を明らかにする証拠がないから原告主張は理由がないなどという理屈が判決として通るのは、この国の法曹業界だけである。
判決に接するまで、裁判所が何を考えているものやら見当もつかない不透明な民事裁判のシステムが、いつまでも通用するとも考え難い。いずれ両当事者間と裁判官の間の議論が実質的に公開される仕組みが求められるようにならざるをえないだろう。なによりも、国賠訴訟に限らず、当事者の主張そのものを、裁判所がどのように理解しているか、たとえ悪意をもって曲解していても判決の中での「要約」をみるまでわからないという事態を変えなければ裁判は裁判たり得ないだろう。
国賠訴訟に端的に現れている、この国の民事裁判の異様なありさまは、しょせん、官僚組織が明治以来培ってきた仲間同士のもたれあい、かばいあいといった国家の私物化に帰着する程度のものにすぎないと考えられる。そこには大義というものがなく、したがって検察や最高裁の「調査活動費」等にみられる腐敗・劣化はなおしばらくははびこるばかりだろう。
                   - 以上 - (福富さんのレジュメの終了)