■■■ 第14回国賠ネットワーク交流集会講演報告 2003年3月1日 ■■■
                                  (報告O)                                       

           司法制度改革と証拠開示問題  

指宿信/立命館大学教授

 「数日前、桶川事件の国賠判決がありましたが、」
 指宿(いぶすき)教授がまずのっけに語ったのは、このことでした。テレビなどからの伝聞によるという前提つきながら、もしそれが本当ならば、証拠物の扱い・考え方に大変問題があるという指摘から、その講演は始まりました。すなわち、被害者の両親が善意かつ捜査進展を願って提出した資料が、民事(国賠)裁判において、県側の反証資料として自分たちの都合のいい形で使われ、あろうことか人格攻撃すら匂わせる形で使われていたという点に触れ、情報の流れの圧倒的な不平等がそこにあること、そして国賠訴訟において、原告側は捜査資料にほとんどアクセスできないのに比べ、あまりに不公平かつ不平等であるという司法の現状への指摘が、この日の講演テーマの核となっていきました。
 これは、ただの「学者」「研究者」ではない。指宿教授への私たちの感触は、その導入の仕方、そしてライブな感覚の在り方を通して、すぐさま耳目を引きつけました。問題の立て方、自らが拠って立つスタンス、それらをまず聴衆に明らかにしながら、評論家的ではなく、現状を打ち破るための方法を常に"実現可能なもの""ルール化すべきもの"として打ち出し、そこに技術論的思考を重ねていくという姿勢は、私たち「国賠ネット」にとっても大いに参考になるものでした。私たちがいま、最重要課題としつつある「証拠の全面開示」へ向けた闘いは、ここにタイムリーな出会いを得て、ひとつの指針が与えられたような気がします。氏が講演のなかで言われたように、現在進んでいる「司法制度改革」に「国賠」は一切念頭に置かれていません。しかしその元となっている刑事事件で証拠が十分に開示されていれば、捜査や起訴の不当性が明らかとなると同時に、その後の民事・国賠裁判において、その証拠を利用することが可能となり、初めて「当事者平等主義」が確保されることになります。
 以下、私たちが求める「証拠全面開示」について海外ではどうなのか、そして現在進んでいる「司法制度改革推進本部」の動きと、すでに明らかにされた「迅速化法案」への批判、さらにはいま最も緊急を要する「証拠開示法案」の具体化に向けた攻防とその取り組みについて、氏の講演内容をご報告します。

<海外における「証拠開示」の動向>
■アメリカにおける証拠開示制度
アメリカは、世界に先駆けて証拠開示が最も古く制度化されている。1963年、「ブレディ事件」において、連邦最高裁判所は、検察側に対し被人に有利な証拠を開示する義務があるという画期的判断が行われた。映画「ハリケーン」の基となった「ルービン・カーター冤罪事件」は、これら証拠開示を検察側が行わなかったことから生まれた冤罪事件として、たとえ証拠開示がルール化されたとしても、それを破るものがある限り、どのようにしてそのルールを守っていくのか、破られた場合の救済をどうするのか、という問題を私たちに突きつけることとなった。

■カナダにおける誤判事例と証拠開示
 1983年、10年以上にわたる再審請求活動を経て無罪を勝ち取った「ドナルド・マーシャル事件」を契機に、なぜこのような冤罪が生まれたのかを徹底調査した「王立委員会報告」が出された(1989年)。6巻、1600ページにわたる膨大なもの。80以上の勧告案が提出され、「証拠開示がなされなかったことが有罪に導いた」との証拠開示勧告も大きな柱に。時の政府は受け入れなかったが、その後司法が反応、全面的な証拠開示が実現した。報告書を起草した州の最高裁判事は、そのなかで次のように語っている。「証拠とは検察の財産・所有物ではない。正義を実現するための公共財(パブリック・プロバティ)である。よってアクセスするのは検察のみではなく、被告・弁護側もアクセスできなければならない。」つまり、「証拠」とは、警察・検察が所有するのが当然とする前提のなかで、だからそれを見せて下さいと頼むような性質のものではなく、また警察・検察が裁判に勝つために利用していいというものでもないという発想の転換。
その後、冤罪事件として「モラン事件」「ミルガード事件」という再審無罪事件が続き、カナダにおいてもアメリカ同様、単に証拠開示のルール化ができたからすべてが良くなったというわけではないこと。先の王立委員会報告書は、その点を予感するように、次のように書いている。
「刑事司法にたずさわる人は、冤罪がなくなることはない、ということを肝に銘じておかねばならない。そしてそれを根絶するために、司法にたずさわるものは、常に闘い続けなければならない。」

■イギリスにおける誤判事例と証拠開示
 映画「父の祈りを」でも有名なIRA爆弾事件から4人の冤罪・再審無罪事件に発展した「ギルフォード4事件」(1977年〜1989年)を契機に、イギリスにおいても、1993年、「王立委員会報告書」が出された。この事件では、アリバイとなるホームレス証言が証拠としてあるにもかかわらず、当局によって隠されていた事実が発覚。被告のひとりだったジェリー・コンロン氏は、その自伝のなかで「なぜわたしは、何よりもまっ先に、アリバイ証言の提供を受けることができなかったのだろうか?」と根本的な問いを投げかけている。
その後、1996年に証拠を全面開示すべきとする「証拠開示法」が成立。この方式は「二段階方式」と呼ばれており、まず検察はただちにすべての証拠一覧(リスト)を弁護側に開示、次に弁護側はその中から必要となる証拠の開示を求め、検察側は、場合によっては公益に基づく免責権によりそれを拒否できるという仕組みとなっている。
そしてもし弁護側がそれに納得できない場合、その免責が公益に照らし適正かどうかを裁判所に申し立て、判断を求めることができる。なおこのルール化の義務には、弁護側に対しても証拠開示義務があることが含まれており、弁護側にとってもまた従来より厳しい義務が課せられている点も付言された。
次に、「再審」についても独立した調査委員会を設けるべきとの王立委員会の勧告を受け、1995年に刑事上訴法が改正、刑事事件を専門に審査する独立した行政機関としての「刑事事件再審委員会」が作られ、1999年より始動となったとのこと。ここでの証拠開示権限は非常に強く、「いかなる不開示の特権も認めない」として極めて強い開示命令権と、さらに証拠の保全規定も設けられている。このように、再審についてこれほど踏み込んだ法律改正を行ったのは、おそらくイギリスが初めてではないかとのこと。

■オーストラリアにおける証拠開示
 オーストラリアにおいては、検察庁ガイドライン、法曹行為規範の二重のしばりのなかで、検察は被告・弁護側に対し、証人の身元なども含め全面開示する"継続的"義務を負っている。継続的とは、裁判が始まった段階のみならずその後も継続的に証拠開示を追加すべき義務を負うことを意味し、これは重要な点との指摘があった。

<司法制度改革における「証拠開示」問題の位置づけ>
■司法制度改革推進本部での議論
 わが国の「司法制度改革」は、財界主導で進み、政府が乗る形でスタートしたもので、「誤判防止」「市民の権利の確保」「民主制度の確立」という側面からのアプローチでない点に問題がある。しかしその提言は、新たに「事前手続き」を創設することを明らかにし、「ルールのない状態」から「ルール化」へという方向が少なくとも明示されている以上、推進本部の出す法案を批判しつつ、いかにその法案を私たちの求めるルール(法案)へと変えていくかについて、いま具体的な作業の必要性とともに、極めて重要な局面にあることが指摘された。
 「証拠開示に関する法案」についてはまだ明らかになっていないが、先に示されたいわゆる「迅速化法案」は、「裁判員制度」導入を視野に入れつつ、国民の要請、内外の社会情勢の変化(主として財界からの要望)を理由に、一審を2年以内に終わらせるという掛け声のもとに現在進行中である。
ところで「裁判の遅延」が問題といわれているが、実態はどうか。実は90%以上の刑事裁判は、早すぎるくらい早く、何と平均証人採用人数は0.9人。平均3回公判で終了している。さらに問題なのは、法案第7条に当事者の責務として「手続き上の誠実な権利行使義務」つまり「当事者が迅速な裁判に協力する義務を負う」という点である。「迅速な裁判を受ける権利」はあるが、はたして「迅速な裁判に協力する義務」が当事者にあるのかどうか。否認事件などにおいては、この法案が通過すると、被告は十分な弁護を受ける権利を侵害され、法廷で不当な圧力がかかってくる恐れが極めて大きくなる。その点を含め、現在進んでいる改革の中味について、強い懸念が表明された。

■「証拠開示のルール化」を求める動き
 昨年12月に「証拠開示のルール化を求める会」(代表:庭山秀雄弁護士)が発足。指宿教授も中心的に参加しており、現在ルール化の原案作りが進んでいるとのこと。推進本部の法案が出る前に、できるだけ早くその内容をオープンし、国会などでの法案作りのための討議の素材としたい旨の表明があった。また国賠ネットに対しては、ぜひその実現のために協力して欲しいとの要請も。「ルール化を求める会」の案は、イギリス型の「二段階方式」で、先の海外事例(イギリスの項)を参照していただきたい。まずは「リストの全面開示」が重要で、このリストからもしも故意または過失によって証拠が漏れていた場合、直ちに手続きを打ち切り、公訴棄却とすることをサンクション(制裁措置)として予定しているとのこと。ポリスディスクロージャーを行わせ、すべての証拠をすべてのリストに載せることを義務づける担保の重要性が指摘された。
なお、1998年に国連の自由権規約委員会から日本政府に対し証拠へのアクセス権を認めるよう勧告がなされており、「二段階方式」の証拠全面開示は、極めて現実的な方法との認識が示された。ちなみにわが国においては、最高裁判所によって個別訴訟指揮による開示命令しか認められていないが、これまで裁判実務においてすでにこの「二段階方式」による全面開示が実施された事例もあるとのことで、最近では「和歌山カレー事件」で和歌山地裁が手持ち証拠のリスト開示を命じた事例などが紹介された(検察は上訴審での確定を恐れ、この件については争わなかったとのこと)。

                                                                  以上

(P/S)
指宿教授の講演は、中身の濃い、かつ明晰な意識に支えられた素晴らしいものでした。その後の質疑応答も活発に行われ、とりわけ「再審請求における証拠開示」についての問題が議論されました。指宿教授によれば、本来再審請求裁判は職権主義で、当事者主義による本案裁判(有罪・無罪を争う裁判)ではないため、かえって証拠開示になじむのではないか、通常審よりむしろやりやすいのではないかとのことでした(現在そのように言う法律家はいないものの)。そして再審請求審に命令権があるかどうかが裁判実務で明らかになったケースはないため、命令自体が禁じられているわけではなく、弁護団はぜひその点を突いてみればいいのではないか、というサジェッションが、とりわけ会場の注目を引きました。
  その後行われた「交流会」には多数集まり、教授も参加され、最後にこんな話を。
「実はこちらへ来る前に、国賠ネットには"原則主義者"が多いから気をつけた方がいいよ、と言われたのですが・・・・。」
 教授、私たちは「心の原則主義者」であっても、決して「いわゆる原則主義者」ではありません。これからも、ぜひ長いお付き合いを、よろしくお願いいたします。

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