テレビ朝日「ニュースステーション」
 久米宏/渡辺真理/清水建宇/プロデューサーとクジラ問題関係ディレクター 様

クジラをめぐる報道(とくに02年5月20日放映分)
に対するクレーム

 標記の報道に対し、意見を述べます。私は、クジラについても捕鯨問題についても詳しくないので、開幕したIWCの会合について貴番組から情報を得たいと思ったのですが、期待は裏切られ、アンフェアな番組づくりに大変驚き、不快の念ばかりが残りました。貴番組が、反「反捕鯨」の立場から報道すること自体はさておき、IWC総会に関連する報道であるからには、最低限の客観性と現代人としての常識(1972年の国連人間環境会議以来、地球環境や生態系に関する科学的知見に基づき国際的に合意が形成されてきた常識の意)が求められるのではないか。その点で、首を傾げざるをえない発言などが多かった印象です。
 1)「反捕鯨派は科学的なデータを無視している」と科学的データからは、反捕鯨の主張がナンセンスであることが強調されるが、これまでの調査で、それほど明確な答えがでているとは考え難い。そもそも、捕鯨再開に結びつくという肝心の科学的データなるものを知りたいと思っても、「科学」というばかりで、そのなかみはさっぱり紹介されない。 スケトウダラとサンマだったかについては、人間の漁獲量の3〜5倍もクジラが食べているという話があったが、先日、水産庁の人が朝日新聞に「科学」の名のもとに書いていたのは、全世界の漁業生産量の3〜5倍もの魚介類をクジラが食べているということだった(5月14日「私の視点」)。世界の漁獲量の5倍もの魚介類をクジラが食べているとは、いったいどういう計算から出てくるのかを知りたいと思っていたところだったので、この大きな違いには面食らってしまいます。番組中のVTRで、ノルウェーの捕鯨関係者も、この近海では人間よりもクジラのほうが余計に魚をとっているという言い方をしていたので、世界の全漁獲量の数倍説はまゆつばとしか思えません。
 2)そもそも商業捕鯨再開を目指す立場からの調査捕鯨による調査結果は、十分に客観性が担保されたものとはいえない筋合いのものです。BSE問題で明らかになったような農水省の体質からしても、結論だけ提示して科学的だなんていってもおよそ説得力を持ち得ません。1960年代でしょうか、商業捕鯨に規制が加えられるようになってからの日本の捕鯨産業の捕獲量のごまかしは有名だった記憶があります。クジラの種類別頭数、とくに商業捕鯨時代に乱獲された大型クジラの頭数が、たとえば1世紀前とどのように変化しているのか、そしてその魚介類摂取量はどのように推計されたのか。科学的根拠を強調するからには、批判に耐えうるいかなる調査と推計がされているのかが、具体的に明らかにされなければならないでしょう。
 3)反捕鯨を主張しているのは、アメリカやオーストラリア政府だけではないし、NGOを含めて、ほかにも日本の水産庁や業界の調査結果に対抗しうる科学的データもあるのではないか。IWC科学委員会が、日本側のデータないしはそれを裏付けるデータしか収集していないとは、信じがたいことです。もし、反捕鯨派が何も具体的根拠なしに単純な主張を繰り返しているだけなのならば、その事実をきちんと指摘すればいいでしょう。そのあたりのことは、まさに客観的に紹介してもらわないと判断のしようがありません。
 4)反捕鯨派が何かとアンフェアなやり方で主張を通そうとしているというが、日本国の多数派工作も、ODA等による買収を含め、随分えげつないようであって、それについて一切触れないというのもいただけない。
 5)そして最大の問題は、海洋生態系のバランスを壊したのは人間であることの反省を抜きに、クジラが生態系を破壊しているような言い方は成り立たないのではないか、という点にあります。捕鯨再開派の主張、そして貴番組のスタンスは、捕鯨を再開しなければ、海洋生物はクジラにとりつくされてしまうことを前提に置いているように聞こえます。
 いったい、外来種などを別にして、捕食者が被食者を食いつくし、その結果、もろともに絶滅してしまったなどという例が、とくに大型野生生物についてどれほどあったのでしょうか。生物多様性と生態系を破壊し続けている元凶は人間だけである、という歴史的客観的事実を無視して、乱獲で一部は絶滅の危機に追いやられ、現に多くの種類がワシントン条約の規制対象になっているはずの、そして多産系であるはずのないクジラについて、わずか10年とか20年という時間のなかで資源量として再生したとか、新たに海洋生態系を破壊する元凶になっているというような主張は、科学以前の難癖ではないのか。
 6)伝統的な「食文化」が保全されるべきではあっても、日本のクジラ食文化のために捕鯨が再開されねばならないとはいえないでしょう。北極海のクジラを重要な食料として暮らしてきた先住民と、商業目的の捕鯨や底の浅い食文化説とを同列に置かないでもらいたい。清水建宇氏の説くクジラを食べる日本の食文化説、同氏の語る捕鯨再開への願望は、しょせん食い意地を語っているだけのように、私には見える。アイヌ民族は、長い間クマとシカとサケを主な食料としてきたが、ほかの土地の先住民と同様に、決して大事な食料を食いつくすような狩りはしなかったし、その暮らしを維持するための社会的システムと文化を確実に伝承してきた。生きのびていく知恵としての、そのような食を根幹とする文化と飽食の日常のなかで「クジラはうまかった」「また食べたい」「豚肉や鶏肉と同じ値段なら食べてみたい」などという「食文化」論を一緒くたにするのは、おかしいと思わないか。なぜ、クジラ肉を豚肉・鶏肉と同じ価格水準に見立てた設問をするのか。しかも一度も食べた経験のない人たちに。商業捕鯨を再開すれば、その価格水準に落ちつくという根拠がどこかにあるのでしょうか。
 7)紀州・太地の漁民の願いはわかるにしても、それをいえば、いま産業空洞化で仕事がなくなっている職人や、これまで繰り返されてきた衰退産業、開発の波に洗われた無数の漁村等々にも同じことはいえるのであって、全く理不尽な理由から生業を取り上げられてしまった人はいくらでもいる。太地の漁民は、この温暖であらゆる食物を手軽に入手できる、交通手段の発達した日本に住んでいるのであって、極地の先住民とはあまりにも条件が異なる。太地のクジラとのかかわりは、たかだか 400年にすぎない(西鶴が『日本永代蔵』で太地のクジラ捕りの賑わい、漁民の長者ぶりを書いたのは17世紀末)のだし、明治の中ごろにはクジラ漁が完全に終末を迎えたからこそ、多くのクジラ漁民がアメリカに移住したと記憶しています。
 8)食べるために牛やクジラを殺すことの残酷さについて、久米氏は述べていたが、良かれ悪しかれ、数千年もかかって人間の食料にすることを大きな目的に家畜として繁殖させてきた牛や豚を食べることと、人間が繁殖させたわけでも、コントロールしてきたわけでもないクジラを食べることを、食べるという共通項だけを根拠に同じレベルで考えることも大変おかしくはないか。牛や豚や鶏が絶滅する具体的危険が、どこにあるというのか。野生動物とくに人間の蛋白源となる哺乳動物で、取り放題、食べ放題のものが今どきどこにいるか。生産性の高い魚類だって、大型の食用魚は、古くから資源保護のための措置がとられている。人間によって絶滅の危険が具体化するところまで追い詰められたクジラに
対する規制をほんのしばらくの間やったからといって、もう増えたから解除せよと騒ぎ立てること自体、あまりに勝手すぎないか。
 9)清水氏の述べた、IWCの目的には捕鯨産業の秩序ある発展のためとうたわれていることなどは、規制撤廃の根拠になどなるわけがないでしょう。各国があいついで捕鯨を中止し、残る捕鯨産業が自滅の危機に立ち至ったからこそ、「持続的捕鯨」を考え、厳しい規制を加えることになっただけのことなのだから。小役人じゃあるまいし、新聞記者たるものが、生態系ということばも知られていなかった設立時の建前をふりかざして主張の根拠にするなんて、みっともないにもほどがありましょう。
 捕鯨産業の盛衰よりは、人間によって改変された海洋生態系をどう維持するかのほうがはるかに重大な問題なのであって、そのための方策と科学的研究は慎重のうえにも慎重を期さなくてはならないはずです。
10)結論として、ニースステーションのクジラ報道は偏見にみちているだけでなく、視聴者に対しきわめてアンフェアな情報提供といわざるをえないと思います。残念です。                       (2002年5月22日 福冨弘美)

(エピローグ)
 問題の報道は、5月20日の下関でのIWC総会開幕のニュースと、事前に準備された反・反捕鯨の立場からするクジラ問題特集で、清水コメンテーター(朝日新聞編集委員)が下関から総括的な意見を述べたものです。上記の拙文は5月22日の夕刻、テレビ朝日の視聴者対応窓口に電話連絡のうえfaxで送付してあります。IWC総会は、5月24日まで続いたわけですが、冒頭でも触れたように、その後同番組ではほとんど関連ニュースを取り上げなかったようで、清水氏も登場せず、24日になって清水氏もスタジオに登場して総会最終日の簡単な報告をしていました。
 報道内容は、IWCがアメリカなど反捕鯨派の横やりで政治的な争いの場になってしまい、科学委員会の報告(その内容をいぜん明らかにしないまま)を尊重しないというルール違反を犯したというだけのものでした。アラスカ先住民に例外的に僅かな捕獲を認める提案に対する賛成票が4分の3の必要票数に1票届かず、先住民は今後、一切の捕獲ができなくなったという事実も詳しくは触れられず、一方、昼のニュースで紹介されていた、その結果に喜ぶ日本代表(水産庁)の姿も大声でしゃぐ映像は使われませんでした。 新聞によると、農水省(水産庁)は今回の総会に対して前向きに評価しているそうで、第一の理由は、アメリカの二重基準が明らかになったというものです。日本の沿岸捕鯨を認めずにアラスカ先住民に特例を主張するのは、二重基準だというわけです。2001年9月11日以来の「対テロ戦争」の論理はいうに及ばず、パレスチナとイスラエル、先進国住民と途上国住民の人権や生命の価値などなど、アメリカ外交政策や「安全保障」政策、環境政策等は、ダブルスタンダードなくして成り立たないことを日本国のお役人は知らなかったのでしょうか。
 一方では、性差別やアフリカ系アメリカ人、ネイティブアメリカンなどマイノリティや「障害」者など社会的弱者に対する差別を解消するための正当かつ必要なダブルスタンダードとしての優遇法制(アファーマティブアクション)も、公民権法成立後のアメリカでは強力に進められました。同様の考え方に基づく二重基準について、先住民の生存権を日本の捕鯨漁民と同列におき、身勝手な「食文化」の保持を、自然と共生してきた人々の文化とを一緒にするなんて、根本的に恥ずべき態度といわねばなりません。もっとも、アメリカのアファーマティブアクションは、レーガン共和党政権以来反動期を迎え、ブッシュ政権に至って、強者のためのグローバルスタンダードに置き換えられつつあること、コイズミ政権がその尻馬に乗って暴走しようとしていることはたしかです。しかし、無数の犠牲のうえに勝ち取った権利が、消滅することはありえず、ブッシュであろうと「弱者は弱者たらしめよ」とは決していわないのです。
 乱獲したわけでもない先住民の生きる権利に対し、大乱獲によって絶滅の危険に追い込んだ国の役人が同等の権利を主張してはばからない。これを政争の具にする態度といわずして何という。