(メディア用事前配布資料) 
  2001年4月17日
司法記者クラブ
  各メディア担当者 殿

「総監公舎フレームアップ事件」国賠訴訟事務局(代表・福冨弘美)
-

「総監公舎」国賠訴訟二審判決について
 
●概要
・判決期日:2001年4月17日
 東京高裁19民事部
・一審原告:福冨弘美ほか4名
・同代理人:伊藤まゆ、後藤昌次郎、大口昭彦、竹内康二、磯貝英男
・一審被告:国、東京都、山本達雄(起訴検事)、松永寅一郎(捜査主任官)
・損害賠償請求額:総計約2億6000万円
・一審判決:1997年1月14日、一部請求認容(実質原告全面敗訴)
・控訴審:原告控訴、被告東京都一部控訴

◆お願い:刑事裁判以来長い時間を経過しており、各当事者の生活の場では「元刑事被告人」であることを知らない人が多くなっています。隠すわけではありませんが、いちいち説明して歩くわけにもいかず、仕事の関係では差し障りが生ずる場合もあるので、報道にあたっては、十分プライバシーに配慮していただくようお願いします。実名報道が必要であれば、福冨弘美と二瓶一雄に限定させてください。

●本件国賠訴訟の大前提である事実
・本件刑事裁判は、最初の身柄拘束の理由とされた別件窃盗事件、本件であった総監公舎事件のいずれもが完全無罪で決着している。ダブルフレームアップは、この国の冤罪事件史上でも例を見ない。
・統一公判の判決は、見込み捜査、供述の誘導、利益誘導的取調べなど本件捜査に対し、厳しい批判を加えた。それに対し、検察官は控訴することができず、重要公安事件として前例のない一審確定が実現。分離公判で自白を維持し、有罪判決後に自白を撤回したN控訴審でも検察官は争いを放棄して逆転無罪が確定した。
・刑事裁判の公判段階で格別の新証拠が登場したのではなく、基本的に起訴時の証拠のうち検察官が有罪立証のために提出した証拠および裁判所の勧告で提出された被疑者供述調書によって、無罪は導き出された。

●警視総監公舎爆破未遂事件とは繙繙
1971年8月7日未明、東京・麹町の警視総監公舎前庭に時限爆弾もどきの物体を仕掛けに何者(男)かが侵入したが「ゲリラを警戒していた」警備の警官に発見された。警官はいったんは犯人を捕らえたというが、結局、逃げられてしまった。爆弾もどきのものは、未発のまま押収され、極めて威力に乏しいことが判明したが、事件としては「爆発物取締罰則(爆取)」1条(使用罪=死刑〜7年)違反として立件された。捜査を担当したのは警視庁公安部・刑事部と所轄の麹町署からなる準捜査本部。

●総監公舎フレームアップ事件とは繙繙
 1971年11月6日、同捜査本部は同年5月に小金井市内で発生したとされる自動車窃盗事件(時価6万円相当)を名目にF、N両名を逮捕。公舎事件の別件逮捕として大々的に報道された。その後、Nの友人であるS、K、T、Iを共犯者として順次逮捕し、N、S、T、Iの4人から虚偽自白を獲得。Fを除く5人が起訴された。
 その間の勾留を利用して、S、Nから執行猶予確実の火薬類取締法適用を誤信させて虚偽自白を獲得、12月15日釈放されていたFを含む6人を爆取の被疑罪名で再逮捕。警視庁は「爆弾事件初解決」を華々しくうたった。72年1月5日、東京地検はアリバイの成立したTを除く5人を起訴した。警視庁は、K、N、Sの友人であるAを窃盗・爆取の共犯者として全国指名手配し、11年間逮捕状を更新しつづけた。

◆分離公判
 公舎事件の実行犯として虚偽自白を強いられたNは、捜査本部の置かれた麹町署の代用監獄に置かれたまま、分離公判を選択させられた。72年4月5日第4回公判で実刑5年判決を受け、自白を撤回し控訴。

◆統一公判
 起訴後、S、I、Tはそれぞれ虚偽自白を撤回。否認組のF、Kとの統一公判が実現。72年3月22日第1回公判で一審原告らは「虚構解体續囃e犯人をでっちあげた権力犯罪の糾弾」を宣言。N控訴審とあわせ、統一弁護団を編成し、一審無罪確定をめざして裁判闘争に挑んだ。なお72年7月、Fは連合赤軍事件の犯人蔵匿容疑で再々逮捕・起訴された。

◆完全無罪
1983年3月9日、東京地裁刑事2部は、5人に対して三つの訴因(窃盗=T、K、S、I、爆取=F、K、S、I、犯人蔵匿=F)すべてにつき完全無罪を宣告。検察は控訴を断念、3月23日無罪が確定した。これを受けて全国指名手配中のAは、4月1日司法記者クラブに出現して声明を発表、警視庁は逮捕許可状を返還した。東京高裁10刑事部のN控訴審では検察が争いを放棄、同年12月15日、原判決破棄・無罪が宣告され確定した。

●国賠一審判決の欺瞞
 1997年1月14日の東京地裁民事26部(裁判長園尾隆司)判決は、警察の火取罪名による取調べのみを違法として5人に対し計3百万円の支払いを命じたほかは、警察・検察の行為についていっさい違法性を認めないものであった。
 判決に先立って原告側は事前配布した資料に次のように記した。
「論理と証拠に基づくかぎり、本件訴訟において原告勝訴は不動の結論といわなければならない。一審裁判所が、あらかじめ設定された結論のために都合の悪い主張・証拠を無視するとは考えられない。当然、正当な判決が出されるものと原告側は確信する」
 原判決は、まさに予定した結論(=国の責任は認めない。代わりに都の責任を最低限認める)に基づき、都合の悪い原告主張と証拠を無視した。主張と証拠を無視しただけでなく、無知を武器に客観的事実をも歪曲し、あるいは創作するという姑息な手法によって原告主張を退けた。原判決の内容については、控訴審における主張(一審原告準備書面h〜s)で、徹底的かつ克明に解体した。原審裁判所にとって、原告主張を排斥するとは、原告主張(準備書面h〜磨jを読まないことなのであった。

●国・東京都の主張
 原告側は、本件が関係公務員の過失にとどまるものでなく、公権力を乱用して無実の者を犯人に仕立て上げた権力犯罪であることを主張し立証した。逮捕・取調べ・勾留・公訴提起・公訴追行のすべての手続きが体系的に組み立てられた違法の連鎖であり、一つの違法が新たな違法を生みだしていくプロセスであること、そこでは警察の現場指揮官、起訴検事が個人としても重要な役割を果たした事実を具体的に明らかにした。
 国および東京都らの主張・反論は、刑事審以来の重要証拠の隠匿を前提に、刑事審で破綻した主張を蒸し返したにすぎない。一審原告側が原審以来一貫して主張していることの一つは、h国らが職務行為基準説を主張するからには、逮捕請求、起訴手続きに際して判断材料とした証拠資料が何であったかを明らかにすることが不可欠の前提ではないか、i起訴時に、有罪判決を期待しうると合理的に判断したのであれば、公判開始後に格別の新証拠が現れたわけでもない本件無罪判決に対して、国はなぜ上訴して上級審の判断を求めなかったのか、上訴権の放棄は公訴提起の誤りを認めたに等しいのではないか繙繧ニいう点であり、国らはその回答を回避し続けている。

●問われているのは何か
◆証拠隠匿のうえに成り立つ訴訟
 刑事審以来要求していることであるが、一審原告らは当審でも隠匿証拠の提出命令発動を申し立てた。窃盗・爆取各逮捕状添付資料目録、そこに含まれる捜査主任官が作成した報告書、両事件における警視庁から検察庁への送致記録目録、総監公舎事件初期捜査記録のうち、存在が明らかで未提出の目撃供述、事件発生当日行われたS、Nに関するアリバイ裏付け捜査関係記録、警察犬によるF、Sに対する臭気検査記録等23点である。違法捜査の実態を明らかにするこれらの資料が開示されていれば、刑事裁判自体が成り立たず、民事裁判で国らが応訴することも不可能だった。そして30年という時間が流失した。

◆公正で公平な裁判の条件
 控訴裁判所は、提出命令申立てを却下した。一審原告は本来、国および都らの違法性は十分立証ずみなので、その観点から訴訟を早期に決着させるために命令を発動しないことには同意できる。ただし、これらの証拠資料を見ることなく国らの違法性を否定することは許されないというべきである。「公益の代表者」たる公訴官が、自己の主張に都合の悪い証拠を隠匿することを認めるようなシステムが、現在の司法制度における被訴追者の防御権に関するグローバルスタンダード(国際人権規約のレベル)に反することは明白であって、そのようなシステムを残存させていたのでは、いつまでたっても公正で公平な裁判は実現しない。かつて、松川国賠訴訟判決はアリバイ証拠を隠匿していた検察官の行為を公益官としての「真実(発見)義務違反」であると指弾した。その後、この国の裁判所は進化したのか退化したのか。

◆国賠法を国(官)の不始末をとりつくろい、冤罪被害者の苦痛と被害を増幅させるために機能させてよいのか
 原判決に明らかなのは、国の責任を回避するというよりは、あくまでも官が官の不始末をカバーしようとする姿である。警察官・検察官が違法捜査を自白しない限り、また違法捜査の痕跡を示す記録を自発的に提出しない限り、多少の不当性はあっても違法とまではいえないという。明確な基準の存在しないところで「とまではいえない」とは、万能の屁理屈であり無理屈(没論理)であると評価するほかはない。公費で収集した証拠の隠匿を認める一方で、その証拠が法廷に出ていないことを原告主張排斥の理由とする。このような法の恣意的運用によって、冤罪被害者の苦痛と被害は増幅させられている。

◆無罪事件国賠の惨状
 1947年、第1回国会で国家賠償法が全会一致で制定されてから、法1条関係のうち無罪事件国賠(検察官の公訴提起・追行の違法)は、冤罪被害者の救済を第一にうたった立法趣旨に反してほとんど原告敗訴に終わっている。起訴違法を認めた判決は30件程度、その半数は上級審で逆転された。国の敗訴が確定した主な冤罪事件は、1949年発生の松川事件(東京地裁1969年4月23日、東京高裁1970年8月1日とも原告全面勝訴で確定)と、1969年発生の鹿屋事件(鹿児島地裁1993年4月19日、福岡高裁宮崎支部1997年3月21日とも原告全面勝訴で確定)くらいしかない。とくに1978年の芦別事件最高裁判決(国の違法を認めた一審判決を逆転した二審判決を支持)以降、起訴違法を認める判決は希有となった。明白な冤罪事件も例外でない。再審無罪の松山事件は一・二審とも原告敗訴、真犯人が明らかになった弘前事件は、前記芦別事件と同様に一審原告勝訴から二審で逆転敗訴。沖縄ゼネスト警官死亡事件は一・二審で原告勝訴後、最高裁で差し戻されて原告逆転敗訴が確定し、ピース缶爆弾事件は、国の責任を認めず民間の偽証者の責任のみを認めた一審の原告敗訴判決が最高裁まで支持されて確定、土田・日石爆弾事件は一審原告敗訴により原告控訴中、と国賠法の空洞化・形骸化は確実に進行している。

◆冤罪の再生産を抑止するのか奨励するのか
 冤罪事件に対し、この国の警察・検察は再発防止に真剣に取り組んだことがない。そして、国賠訴訟での相次ぐ原告敗訴がそれに輪をかけている。故意も過失もいっさい認めないのだから、反省のしようもないであろう。近年の「警察不祥事」の続発は、同じく誤りを認めることのできない捜査機関の体質と構造から必然的にもたらされたものといえる。冤罪は、直接の被害者から時間を奪い、癒しがたい打撃を与えるだけでなく、膨大な社会的ロスと公費の流出をもたらす。国賠訴訟は、その再生産を事実上奨励するのか、抑止するのか、いずれの方向にも作用する。