H08.03.08 第二小法廷・判決 平成4(オ)77 損害賠償

◆ H08.03.08 第二小法廷・判決 平成4(オ)77 損害賠償

判例 H08.03.08 第二小法廷・判決 平成4(オ)77 損害賠償(第50巻3号408頁)

判示事項:
  司法警察員による被疑者の留置についての国家賠償法一条一項所定の違法性の判断基準

要旨:
  司法警察員による被疑者の留置は、司法警察員が、留置時において、捜査により収集した証拠資料を総合勘案して刑訴法二〇三条一項所定の留置の必要性を判断する上において、合理的根拠が客観的に欠如していることが明らかであるにもかかわらず、あえて留置したと認め得るような事情がある場合に限り、国家賠償法一条一項の適用上違法の評価を受ける。

参照・法条:
  国家賠償法1条1項,刑訴法203条1項

内容:
 件名  損害賠償 (最高裁判所 平成4(オ)77 第二小法廷・判決 破棄自判)
 原審  H03.09.27 大阪高等裁判所

主    文

     原判決中、上告人の敗訴部分を破棄する。
     右部分について被上告人らの控訴を棄却する。
     控訴費用及び上告費用は被上告人らの負担とする。
         
理    由

 上告代理人香山仙太郎、同佐々木孝敏、同後藤廣生、同中野饒の上告理由第三について
 一 原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。
 1 京都市は、美観風致を維持し、公衆に対する危害を防止するため、屋外広告物及び広告物を掲出する物件について必要な規制を行うことを目的として、京都市屋外広告物条例(昭和三一年京都市条例第二八号。平成元年京都市条例第六〇号による改正前のもの。以下「本件条例」という。)を制定し、市長が公益上又は慣例上やむを得ないと認めたときを除き、「郵便ポスト、公衆電話所、公衆便所その他これらに類するもの」について広告物を表示することを禁止し(本件条例五条二項四号)、右禁止行為に違反した者を五万円以下の罰金に処すること(本件条例一三条一号)などを規定していた。
 2 A(なお、同人は平成二年二月二五日に死亡し、その妻子である被上告人らが本件訴訟を承継した。)は、京都市a区b町c番地のdに居住していた者であるが、日本共産党京都東地区委員会から周辺地域の同党掲示板にポスターを貼付することを依頼され、昭和六二年七月二二日午後二時二〇分ころ、京都市a区e町f番地先の国道一号線と市道川田道とが交わる交差点(以下「本件交差点」という。)の東北角の歩道とその北側の水路との間に設置された歩行者の転落防止用の鉄製の防護柵(高さ約一メートルで、縦に桟が並んだ形状のもの。以下「本件防護柵」という。)に取り付けられていたベニヤ板製の同党の掲示板(縦約六〇・五センチメートル、横約四五・六センチメートルのもの。以下「本件掲示板」という。)に「赤旗写真ニュース」というポスター一枚(縦約六〇センチメートル、横約四二センチメートルの大きさで、日本共産党の宣伝車などの写真と赤旗の購読を勧める文章などが印刷されているもの。以下「本件ポスター」という。)を貼付した(以下、Aの右貼付行為を「本件貼付行為」という。)。Aは、本件貼付行為の当時、本件ポスターと同内容の「赤旗写真ニュース」と「平和のための戦争展」というポスター合計約三〇枚を紙袋に入れて所持していた。
 3 京都府警察山科警察署(以下「山科署」という。)花山警察官派出所に勤務するB巡査は、Aの本件貼付行為を現認し、これが本件条例に違反する疑いがあるものと判断して、Aを追跡し、本件交差点の東方約八〇メートルの国道の北側歩道上でAを制止した。
 4 B巡査は、Aに対し、「国道一号線の川田道でポスターを貼ったでしょう。京都市屋外広告物条例違反になるから住所、氏名を教えてください。」などと質問をしたが、Aは、「前に選挙用のポスターが貼ってあったところやから貼ったんや。」と答えたものの、住所や氏名は答えようとしなかった。そのため、B巡査は、Aに対し、更に数回、住所や氏名を明らかにするよう求めたが、Aは、「お前こそ名前を言うたらどうや。」と反問したので、B巡査は、「Bです。」と答えたが、Aは、「わしはAや。なんでそこまで言わないかんのや。」と答えるのみで、それ以外の事柄については言う必要がない旨を述べて、結局、住所や氏名などは明らかにしなかった。
 5 山科署花山警察官派出所に勤務するC巡査部長は、山科署からB巡査の応援の指令を受け、同日午後二時二四分ころ、本件交差点に到着した。ところが、Aは、B巡査がC巡査部長と無線で交信中に、国道の南側歩道上にある電話ボックスへ電話をかけに行くと言って、B巡査のもとから立ち去ってしまっていた。そこで、C巡査部長は、Aを追跡し、国道の南側歩道上でAに追い付き、「ちょっと待ってください。」と呼び止めたが、Aは、「なんや、電話かけに行くんや。もうひとりの巡査に言うたる。」と言って、更に歩いて行こうとしたため、C巡査部長は、再度Aを呼び止めて、「先程の巡査は電話をかけに行くのを許してない。あなたが勝手にそう思うだけでしょう。住所、氏名を言ってください。」と求めた。ところが、Aは、これに答えず、C巡査部長の脇を通って立ち去ろうとしたため、C巡査部長は、再度、住所や氏名を質問すると、Aは、「わしは、Aや。b町のAや。電話は共産党の東地区委員会に聞けや。電話はhのiや。」と答えたので、C巡査部長は、身分証明書など本人と確認できるものの所持の有無及び自宅の電話番号などを質問したが、Aは、「そんなもん持ってへん。電話番号なんか言う必要がない。」と答えた。そこで、C巡査部長は、同日午後二時四〇分ころ、Aを本件条例違反の現行犯人として逮捕した(以下「本件逮捕」という。)。
 6 Aは、昭和六二年七月二二日午後二時五〇分ころ山科署に引致された後同月二四日午前一一時ころ京都地方検察庁の検察官に送致されるまでの間、山科署の司法警察員のもとで留置された。
 7 捜査主任官を命じられた山科署のD警備課長は、捜査員をして、昭和六二年七月二二日午後四時三〇分ころから午後六時ころまで、本件貼付行為の現場付近の実況見分、本件ポスターと本件掲示板の差押え、b町における聞き込み捜査などを実施させるとともに、同町を管轄する繁察官派出所に備付けの案内簿を確認させたところ、被疑者によく似た人物が同町内に居住しており、右案内簿にもAという人物の住所や氏名の記載のあることが判明した。
 8 昭和六二年七月二二日午後五時ころAと接見した弁護士らは、山科署副署長に対し、「被疑者の身元を引き受け、住所、氏名、電話番号を明らかにし、今後の出頭について責任をもつ。」旨を申し出て、Aの釈放を求めたが、これを拒否されたので、結局、Aの住所や氏名などを明らかにしないまま、同日午後八時ころ山科署から立ち去った。
 9 D警備課長は、昭和六二年七月二三日午前、山科区役所において捜査員に住民票台帳を閲覧させたところ、b町c番地のeにAという人物が居住していることが判明したので、同区役所に身上調査照会をして、同日正午ころ、同区役所からの回答により右人物の住所、生年月日及び家族構成などを知るに至った。なお、D警備課長は、昭和六二年七月二二日午後四時二〇分ころから午後五時ころまでと午後六時四〇分ころから午後七時四〇分ころまでの二回、翌二三日中に三回、二四日中に一回、Aに対する取調べを実施したが、Aは、本件貼付行為及びこれに関する事項のみならず、住所、氏名等の人定事項の一切についても完全に黙秘していた。
 10 京都地方検察庁の検察官は、山科署からAの送致を受けた後の昭和六二年七月二四日午後三時五三分ころ、Aを釈放した。
 二 原審は、右事実関係の下において、次の理由で、昭和六二年七月二三日の昼ころにはAの留置を継続する必要性が消滅していたから、それ以降の留置の継続については国家賠償法一条一項の違法性が認められ、かつ、捜査結果の検討と留置継続の必要性の判断に要する時間を考慮に入れても、同日午後五時以降の留置については捜査機関の過失も認められるとして、被上告人らの本件損害賠償請求を一部認容した。
 1 本件条例が定める程度の規制は、都市の美観風致の維特などの条例の目的に照らし、表現の自由に対して許された必要かつ合理的な制限と解されるから、本件条例が憲法に違反するものということはできない。また、本件条例の目的が京都市の一般的な美観風致を保護しようとするものであることにかんがみれば本件逮捕に合理性がないとはいえず、本件逮捕が日本共産党の政治活動を抑圧するためにされたとも認められないから、本件貼付行為に本件条例を適用したことが憲法に違反するものということもできない。
 2 本件条例五条二項四号所定の「これらに類するもの」とは、同号に例示されている「郵便ポスト、公衆電話所、公衆便所」に類する公共用物件であって、放任するときは無秩序な広告物の表示又は広告物を掲出する物件の設置を招きやすく、ひいては、京都市の美観風致を維持し、公衆に対する危害を防止するとの本件条例の趣旨及び目的を阻害するおそれのある物件をいうものと解されるところ、本件防護柵は、右の物件に該当する。したがって、Aの本件貼付行為は、本件条例五条二項四号に違反するものである。
 3 Aは、本件貼付行為後も、罪を犯したことを認めず、人定事項も十分には明らかにしようとしなかったから、本件逮捕については、犯罪の嫌疑及び逮捕の必要性その他現行犯逮捕の要件に欠けるところはない。
 4(一) 現行犯逮捕に続くAの当初の留置は、本件貼付行為に関する証拠を収集し、同人の身元を確認するために必要であったから、適法なものであった。
  (二) しかし、逮捕当日におけるその後の本件貼付行為の現場付近の実況見分及び本件ポスターなどの差押えにより公訴を維持するために必要な証拠を確保することができたこと、聞き込み捜査や山科区役所からの身上調査照会に対する回答などにより昭和六二年七月二三日の昼ころまでにはAの身元を確認することができたこと、本件貼付行為は、本件防護柵に本件ポスターを貼付したという単純な行為であって、組織を背景とし、隠れた動機の下に行われたと考える余地のない比較的軽微な犯罪であることなどにかんがみれば、同日の昼ころの段階でAの留置を継続する必要性は消滅したものというべきであり、右時点以降のAの留置は違法なものであった。そして、本件貼付行為の性質、態様、捜査の経過等諸般の事情に照らせば、捜査機関としても、留置の必要性が消滅したことを認識し、釈放の措置に出るのに数時間あれば足りるから、遅くとも昭和六二年七月二三日午後五時ころ以降のAの留置の継続については、捜査機関の国家賠償法上の過失も認められる。
 三 しかしながら、原審の右二4の(二)の判断は、これを是認することができない。その理由は、次のとおりである。
 1 司法警察員による被疑者の留置については、司法警察員が、留置時において、捜査により収集した証拠資料を総合勘案して刑訴法二〇三条一項所定の留置の必要性を判断する上において、合理的根拠が客観的に欠如していることが明らかであるにもかかわらず、あえて留置したと認め得るような事情がある場合に限り、右の留置について国家賠償法一条一項の適用上違法の評価を受けるものと解するのが相当である。
 2 そして、司法警察員が現行犯逮捕された被疑者を受け取ったときは、直ちに犯罪事実の要旨及び弁護人を選任することができる旨を告げた上、弁解の機会を与え、留置の必要がないと思料するときは直ちにこれを釈放し、留置の必要があると思料するときは被疑者が身体を拘束された時から四八時間以内に書類及び証拠物とともにこれを検察官に送致する手続をしなければならないが(刑訴法二一六条、二〇三条一項)、ここにいう「留置の必要性」は、犯罪の嫌疑のほか、「逃亡のおそれ」又は「罪証隠滅のおそれ」等から成るものである。
 3 以上によって本件をみるに、前記の事実関係によれば、(一) Aは、B巡査及びC巡査部長の職務質問に対し、罪を犯したことを認めず、非協力的態度に終始し、警察官のもとから立ち去ろうとする態度を示し、人定事項も十分には明らかにしようとしなかった、(二) Aは、C巡査部長の職務質問に対し、「わしは、Aや。b町のAや。電話は共産党の東地区委員会に聞けや。電話はhのiや。」と答えたが、身分証明書など本人と確認できるものを所持しておらず、自宅の住所及び電話番号の詳細については答えなかった、(三) Aは、逮捕後の取調べに対しては、本件貼付行為及び住所、氏名を含めた一切の事項について一貫して完全に黙秘していた、(四) Aと接見した弁護士も、Aの住所や氏名を明らかにしなかった、(五) Aは、現行犯逮捕の時点で、本件ポスターと同様のポスターを約三〇枚所持しており、日本共産党京都東地区委員会から周辺地域の同党掲示板にポスターを貼付することを依頼された旨を述べていた、というのである。これによれば、昭和六二年七月二三日の昼ころ以降の時点においても、捜査機関が、依然として、本件貼付行為の規模、動機、組織性などを解明する必要性があると考えていたとしても、さらには釈放されたAが右の諸点について罪証隠滅を図るおそれが疑いの余地のないほどに消滅していると断定するに至らなかったとしても、それらが直ちには合理的根拠に欠けていたということはできない。
  してみれば、本件貼付行為が本件掲示板に本件ポスター一枚を貼付したという単純かつ比較的軽微な犯罪であることをしんしゃくしても、昭和六二年七月二二日午後二時五〇分ころの山科署への引致の時点から同月二四日午前一一時ころの検察官送致の時点までの間に、Aの留置の必要性が消滅していたことが客観的に明らかであったとまでいうことはできない。したがって、山科署の司法警察員が、捜査により収集した証拠資料を総合勘案して刑訴法二〇三条一項所定の留置の必要性があるものと思料し、昭和六二年七月二四日午前一一時ころまでAの留置を継続した措置については、国家賠償法一条一項の違法性を肯定するために必要とされる事情、すなわち合理的根拠が客観的に欠如していたことが明らかであるにもかかわらず、あえて留置を継続したと認め得るような事情はなかったものというべきである。
 四 そうすると、右と異なる解釈の下に、昭和六二年七月二三日午後五時以降のAの留置については国家賠償法一条一項の違法性が認められるとした原審の判断は、国家賠償法一条一項の解釈適用を誤ったものであり、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、他の上告理由について判断するまでもなく、原判決中上告人の敗訴部分は破棄を免れない。そして、前記説示に徴すれば、被上告人らの本件損害賠償請求はすべて理由がないことに帰し、これと結論を同じくする第一審判決は正当であるから、右部分に対する被上告人らの控訴は理由がなくこれを棄却すべきものである。
 よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条、九三条に従い、裁判官河合伸一の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
 裁判官河合伸一の反対意見は、次のとおりである。
 私は、多数意見と異なり、原判決を維持し、上告人の上告を棄却すべきものと考えるので、以下その理由を述べる。
 一 捜査機関は、逮捕した被疑者を留置する必要があると思料するときは一定時間内これを留置することができるとされているが、留置の必要性が消滅したときは、制限時間内であっても、直ちに被疑者を釈放しなければならない。そして、留置の必要性があるというためには、当該事案の罪質及び軽重、証拠収集の状況と見込み、被疑者の年令及び生活状況等を総合的に考慮して、罪証隠滅のおそれ等が具体的かつ客観的に存在し、それとの対比において被疑者の身柄の拘束を継続することが正当であると認められることを要すると解すべきである。
 二 これを本件についてみるに、原審の確定した事実関係によると、昭和六二年七月二三日昼ころの時点において、捜査機関は、既にAの身元を確認し、本件貼付行為について公訴を提起して有罪判決を得るのに十分な資料を確保していたと認められるのであって、本件犯行の罪質や法定刑等からすると、更にAの身柄の拘束を続けてまで、それ以上に本件貼付行為の規模、動機、組織性などの情状に関する証拠を収集する必要があったかには疑問がある。のみならず、仮に右証拠収集の必要があったとしても、Aの釈放がどのように右諸点についての罪証の隠滅につながるのか、換言すると、本件の事実関係の下において、右時点でAを釈放した場合に同人がどのような方法で右罪証隠滅を図るおそれがあると具体的かつ客観的に考えられるのか、理解することができない。現に、記録によっても、右時点以降Aが釈放されるまでの間には、逮捕の当初から黙秘権を明確に行使していた同人の取調べを重ねて試みた以外には、格別の捜査活動はされていないようであり、殊に同人の身柄拘束中にすることが必要ないし効果的と考えられるような捜査が実施された形跡はうかがえないのである。
  したがって、右時点ころにはAに対する留置継続の必要性が消滅していたとの原審の認定判断は、正当として是認すべきものである。
 三 もっとも、留置を継続する要件としての必要性が客観的に消滅したときに捜査機関が被疑者を釈放しないことが、直ちに国家賠償法一条一項の責任を発生せしめると解することは相当でない。けだし、右責任発生の有無は同法自体の立場からこれを決すべきであるし、また、逮捕後の留置については、それが捜査活動の初期にされるものであり、捜査機関は事案の解明が流動的な段階で比較的短時間の間に前記必要性の存否を判断しなければならないなどの事情があるからである。しかし、原審は、それらのことも考慮して、前記の時点以降同日午後五時ころまでの留置については捜査機関に過失がないとしたものと認められる。
 留置は基本的人権たる身体の自由を直接かつ現実に侵害するものであるから、留置を担当する捜査機関は不必要にこれを継続することのないよう常に注意すべきことが求められる。したがって、留置の必要性が消滅し、かつ、逮捕後の留置についての前示の事情を考慮してもなお、捜査機関においてその消滅を認識し得たし、認識すべきであったと認められる場合は、国家賠償法一条一項に該当すると解するのが相当である。そして、本件の事実関係においては、捜査機関は、原審が猶予した右時間内にはAの留置の必要性が消滅していることを認識し得たし、認識すべきであったと認められるから、右猶予時間を超えて捜査機関がAを釈放しなかったことを国家賠償法一条一項における違法と評価するか、あるいは故意・過失の問題として処理するかはともかく、いずれにしても、右午後五時ころ以降のAの留置につき上告人の国家賠償責任を認めた原審の判断は、正当として是認することができる。多数意見がその三項1で判示する基準は、裁判所に対して審判を求める意思表示たる検察官の公訴提起については妥当するとしても、そのような特質を有しない逮捕後の留置には妥当しないと考える。したがって、右基準に基づき原判決には国家賠償法一条一項の解釈適用を誤った違法があるとする多数意見には賛成できないのである。
     最高裁判所第二小法廷
        裁判長裁判官    福   田       博
            裁判官    大   西   勝   也
            裁判官    根   岸   重   治
            裁判官    河   合   伸   一