H07.06.23 第二小法廷・判決 平成1(オ)1260 損害賠償、民訴法一九八条二項による返還及び損害賠償

◆ H07.06.23 第二小法廷・判決 平成1(オ)1260 損害賠償、民訴法一九八条二項による返還及び損害賠償


判例 H07.06.23 第二小法廷・判決 平成1(オ)1260 損害賠償、民訴法一九八条二項による返還及び損害賠償(第49巻6号1600頁)

判示事項:
  一 厚生大臣による医薬品の日本薬局方への収載及び製造の承認等の行為と国家賠償法一条一項の違法性

二 厚生大臣による医薬品の日本薬局方への収載及び製造の承認等の行為が国家賠償法一条一項の適用上違法ではないとされた事例

三 厚生大臣が医薬品の副作用による被害の発生を防止するために薬事法上の権限を行使しなかったことと国家賠償法一条一項の違法性

四 厚生大臣が医薬品の副作用による被害の発生を防止するために薬事法上の権限を行使しなかったことが国家賠償法一条一項の適用上違法とはいえないとされた事例

要旨:
  一 厚生大臣による医薬品の日本薬局方への収載及び製造の承認等の行為は、その時点における医学的、薬学的知見の下で、当該医薬品がその副作用を考慮してもなお有用性を肯定し得るときは、国家賠償法一条一項の適用上違法ではない。

二 厚生大臣がクロロキン製剤につき日本薬局方への収載及び製造の承認等の行為をした昭和三五年から同三九年までの間は、その副作用であるクロロキン網膜症に関する報告が内外の文献に現れ始めたばかりで、報告内容も長期連用の場合のクロロキン網膜症の発症の危険性及び早期発見のための眼科的検査の必要性を指摘するにとどまり、クロロキン製剤の有用性を否定するものではなく、我が国で報告されたクロロキン網膜症の症例は少数であったなど判示の事実関係の下においては、厚生大臣の右各行為は、国家賠償法一条一項の適用上違法ではない。

三 厚生大臣が医薬品の副作用による被害の発生を防止するために薬事法主の権限を行使しなかったことが、当該医薬品に関するその時点における医学的、薬学的知見の下において、薬事法の目的及び厚生大臣に付与された権限の性質等に照らし、その許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは、右権限の不行使は、国家賠償法一条一項の適用上違法となる。

四 昭和三四年から同五〇年までの間にクロロキン製剤を服用した患者らがその副作用であるクロロキン網膜症にり患した場合において、この間のクロロキン網膜症に関する医学的、薬学的知見の内容がクロロキン製剤の有用性を否定するまでのものではなく、クロロキン製剤は、難病である腎疾患及びてんかんに対する有効性が認められ、クロロキン網膜症を考慮してもなお有用性を肯定し得るものとして臨床の現場でその使用が是認されていたこと、厚生大臣は、昭和四二年以降、クロロキン製剤を劇薬及び要指示医薬品に指定し、使用上の注意事項等を定めて医薬品製造業者等に対する行政指導によりこれを添付文書等に記載させるなどの措置を講じ、右各措置がその目的及び手段において一応の合理性を有することなど判示の事情があるときは、厚生大臣が右各措置以外に薬事法上の権限を行使してクロロキン製剤の日本薬局方からの削除、製造の承認の取消し等の措置を採らなかったことは、国家賠償法一条一項の適用上違法とはいえない。



参照・法条:
  国家賠償法1条1項,薬事法(昭和54年法律第56号による改正前のもの)14条,薬事法(昭和54年法律第56号による改正前のもの)41条,薬事法(昭和54年法律第56号による改正前のもの)44条,薬事法(昭和54年法律第56号による改正前のもの)49条,薬事法(昭和54年法律第56号による改正前のもの)52条

内容:
 件名  損害賠償、民訴法一九八条二項による返還及び損害賠償 (最高裁判所 平成1(オ)1260 第二小法廷・判決 棄却)
 原審  S63.03.11 東京高等裁判所


主    文

     本件上告を棄却する。
     上告費用は上告人らの負担とする。
         
理    由

 上告代理人後藤孝典、同弘中惇一郎、同山口紀洋、同藤沢抱一の上告理由第一部について
 所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
 同第二部及び第三部について
 一 上告人らは、クロロキン製剤の副作用によりクロロキン網膜症に罹患した患者及びその家族であり、上告人らの被上告人国に対する本件請求は、厚生大臣がクロロキン製剤について製造の承認等をした違法及びクロロキン網膜症の発生を防止するために適切な措置を採らなかった違法を主張して、国家賠償法一条一項に基づき損害賠償を請求するものであるところ、原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
 1 クロロキンは、昭和九年にドイツで合成に成功した化学物質であり、クロロキン製剤は、クロロキンの化合物(リン酸クロロキン、オロチン酸クロロキン、コンドロイチン硫酸クロロキン等)を含有する製剤である。クロロキン製剤は、当初はマラリヤに対する治療薬として開発されたが、後にエリテマトーデスや関節リウマチの治療にも使用されるようになった。
 2 我が国においては、旧薬事法(昭和二三年法律第一九七号)の下で、リン酸クロロキン及びリン酸クロロキン錠が昭和三〇年三月公布の第二改正国民医薬品集に収載され、同年九月にレゾヒンI(リン酸クロロキン錠)の輸入販売が開始され、その後、エレストロール(リン酸クロロキンを含有)、レゾヒンII(リン酸クロロキン錠)及びキニロン(同)の製造、販売が行われた。これらのクロロキン製剤は、1記載の各疾患のほか、慢性腎炎、ネフローゼ等の腎疾患及びてんかんの治療にも使用された。
 3 厚生大臣は、昭和三五年一二月、キドラ(オロチン酸クロロキン錠)について慢性腎炎を効能とする製造の許可(旧薬事法二六条三項)をした。
   次いで、厚生大臣は、薬事法(昭和三五年法律第一四五号。昭和五四年法律第五六号による改正前のもの。以下、同じ。)の下において、リン酸クロロキン及びリン酸クロロキン錠を昭和三六年四月公布の第七改正日本薬局方に収載し、同年一一月から昭和三九年一一月までの間にキドラについて妊娠腎、リウマチ性関節炎、エリテマトーデス、てんかん等の効能追加の承認をし、昭和三七年三月にCQC(コンドロイチン硫酸クロロキン錠)について腎炎及びネフローゼを効能とする製造の承認をし、同年一二月にCQCについて関節リウマチの効能追加の承認をした。
 4 上告人らのうち患者本人である者及び死亡した患者でその相続人が上告人となっているものは、腎疾患、てんかん、エリテマトーデス又は関節リウマチの治療のために前記各クロロキン製剤(レゾヒンI、レゾヒンII、エレストロール、キニロン、キドラ、CQC)のいずれかを服用し、その服用期間は昭和三四年から昭和五〇年までの間である。
 5 クロロキン網膜症は、クロロキン製剤の副作用によって生ずる網膜の障害である。眼底黄斑部の障害、網膜血管の狭細化及びこれらによって引き起こされる暗転と視野狭窄による視野の欠損を主要な特徴とする不可逆性の障害であり、重症例では失明に至ることもまれではない。現在でもクロロキン網膜症の発生機序は解明されておらず、有効な治療法は知られていない。
   外国では、昭和三四年に発表されたホッブスらの論文により、クロロキン製剤の副作用によって網膜に不可逆性の障害を生ずる例のあることが初めて報告された。我が国においては、昭和三七年に初めてクロロキン網膜症の症例が報告され、その後、昭和四〇年までの間に主要な外国文献の紹介とともにクロロキン網膜症に関する論文の発表や症例の報告がされたが、これらの論文や報告の多くは、クロロキン製剤を長期連用した場合にまれにではあるが不可逆性の網膜障害が生ずるとして、クロロキン網膜症の発症の危険性を警告し、早期発見のための定期的な眼科的検査の必要性を指摘する内容のものであり、クロロキン製剤の有用性を否定するものではなかった。我が国におけるクロロキン網膜症の症例報告は、昭和三七年に一件、同三八年に四件、同三九年に二件、同四〇年に九件、同四一年に八件であった。
   リン酸クロロキン及びリン酸クロロキン錠は、クロロキン網膜症の存在が一般に知られるようになった後も、アメリカ合衆国薬局方及び英国薬局方にエリテマトーデス及び関節リウマチに対する治療薬として収載されており、クロロキン製剤の右各疾患に対する有用性は、国際的に承認されている。また、後記のとおり昭和五一年に腎疾患及びてんかんに対する有用性を否定する再評価の結果が公表されるまでは、クロロキン製剤は、相当数の治験成績報告や論文によって、腎疾患の重要な指標である蛋白尿の改善の効果及び抗てんかん薬の治療効果を高める補助薬剤としての有効性が認められ、臨床の現場においては、副作用であるクロロキン網膜症を考慮してもなお有用性を肯定し得るものとして、使用が是認されていた。
 6 厚生省は、いわゆるサリドマイド事件を契機として、中央薬事審議会に医薬品安全対策特別部会及びその下部組織である副作用調査会を設置し、昭和四二年三月から、全国の主要な医療機関を通じて副作用に関する情報を収集する副作用モニター制度を実施するなど、副作用を含めた医薬品の安全性を確保するための組織、体制の整備を図った。次いで、昭和四二年九月に「医薬品の製造承認等に関する基本方針」(同月一三日付け厚生省薬務局長通知)を定め、医薬品の製造承認申請の際に添付すべき資料の内容の強化及び明確化を図るとともに、申請者に対して、製造の承認を受けた後の一定期間、副作用に関する情報の収集及び報告を義務づけた。また、厚生大臣は、薬効問題懇談会の昭和四六年七月七日の答申に基づき、日本薬局方に収載されている医薬品を含むすべての医薬品(昭和四二年一〇月以降に製造の承認を受けた新医薬品を除く。)について、その有効性及び安全性の再評価の作業を始めた。
 7 厚生大臣は、昭和三七年以降、我が国においてクロロキン網膜症の症例報告が次第に増加してきたため、このまま放置しては右副作用による被害が増大するとの認識の下に、昭和四二年三月、クロロキン製剤を、長期間連続投与した場合に機能又は組織に障害を与えるおそれのあるもの(劇薬指定基準第二)として劇薬に指定するとともに、使用期間中に医学的検査がなければ危険を生じやすいもの(要指示薬基準第二)として要指示医薬品に指定した。右各指定は、薬事公報に掲載され、かつ、厚生省薬務局長から各都道府県知事あてに通知された。
   次いで、厚生省薬務局長は、昭和四四年一二月、クロロキン製剤について、(1) 連用により網膜障害等の眼障害が現れることがあるので、観察を十分に行い、異常が認められた場合には投与を中止すること、(2) 既に網膜障害のある患者に対しては投与しないこと等の使用上の注意事項を定め、各都道府県知事に対し、医薬品製造業者等を指導して右注意事項の周知徹底を図るよう通知した。右通知に基づき医薬品製造業者等に対する行政指導が行われた結果、右注意事項は、クロロキン製剤の添付文書等に記載されるようになり、日本医事新報にも掲載された。
   その後、昭和四七年、中央薬事審議会医薬品安全対策特別部会は、副作用モニター制度によるモニター病院に対しクロロキン製剤の副作用について報告を求めたところ、一四件のクロロキン網膜症の症例が報告されたため、厚生省は、同部会の副作用調査会に諮り、クロロキン網膜症の早期発見のための視力検査の内容を具体的に示し、その定期的な実施を求める「視力検査実施事項」を定めた。そして、医薬品製造業者に対し、右検査実施事項を記載した「クロロキン含有製剤についてのご連絡」と題する文書一二万通を関係医療機関に送付させるとともに、右検査実施事項と同一の内容をクロロキン製剤の添付文書等に記載させる措置を講じた。
 8 前記の医薬品全般の有効性及び安全性の再評価作業の過程において、クロロキン製剤についても昭和四七年から再評価の作業が行われ、昭和五一年七月に公表された再評価の結果によれば、クロロキン製剤は、マラリア、関節リウマチ、エリテマトーデスについては有効性、有用性が認められたが、腎炎等の腎疾患については有効性が認められるものの、有効性と副作用を対比したとき副作用が上回る場合があるので有用性が認められないとされ、てんかんについては有効と判定する根拠がないとされた。
 二 薬事法によれば、医薬品の製造業の許可を受けた者でなければ、業として医薬品の製造を行うことができず(一二条)、右許可の申請者が製造しようとする医薬品が日本薬局方に収載されていない場合において、その者が当該医薬品につき厚生大臣による製造の承認(一四条)を受けていないときは、その品目に係る許可を受けることができない(一三条一項)。また、薬局開設者又は医薬品の販売業の許可を受けた者でなければ、業として医薬品を販売することができず(二四条)、厚生大臣が毒性が強いものとして指定する医薬品(毒薬)及び劇性が強いものとして指定する医薬品(劇薬)については、販売の主体、方法等が制限され(四四条ないし四八条)、厚生大臣が指定する医薬品(要指示医薬品)は、医師から処方せんの交付又は指示を受けた者以外の者に対して販売をしてはならないものとされ(四九条一項)、医薬品の容器や添付文書等の記載事項及び記載禁止事項に関する規定(五〇条ないし五四条)に違反する医薬品の販売は禁止されている(五五条)。このように薬事法が医薬品の製造、販売等について各種の規制を設けているのは、医薬品が国民の生命及び健康を保持する上での必需品であることから、医薬品の安全性を確保し、不良医薬品による国民の生命、健康に対する侵害を防止するためである。
  ところで、医薬品は、人体にとって本来異物であり、治療上の効能、効果とともに何らかの有害な副作用の生ずることを避け難いものであるから、副作用の点を考慮せずにその有用性を判断することはできず、治療上の効能、効果と副作用の両者を考慮した上で、その有用性が肯定される場合に初めて医薬品としての使用が認められるべきものである。すなわち、医薬品の製造の承認は、用法、用量、効能、効果等を審査して行われるが(薬事法一四条一項)、用法、用量の審査に当たっては、治療上の効能、効果とともに、当該用法、用量における副作用の発生とその危険性についても審査し判断しなければならないこととなる。このように、薬事法の前記の各規制は、医薬品の品質面における安全性のみならず、副作用を含めた安全性の確保を目的とするものと解されるのである。
 三 所論は、まず、厚生大臣が前記一3記載のとおり、リン酸クロロキン及びリン酸クロロキン錠を日本薬局方に収載し、キドラ及びCQCについて製造の許可又は承認及び効能追加の承認をしたことが違法であると主張するので、この点につき判断する。
  前記の薬事法の目的に照らせば、厚生大臣は、特定の医薬品を日本薬局方に収載し、又はその製造の承認(承認事項の一部変更である効能追加の承認を含む。以下、同じ。)をするに当たって、当該医薬品の副作用を含めた安全性についても審査する権限を有するものであり、その時点における医学的、薬学的知見を前提として、当該医薬品の治療上の効能、効果と副作用とを比較考量し、それが医薬品としての有用性を有するか否かを評価して、日本薬局方への収載又は製造承認の可否を判断すべきものと解される。したがって、厚生大臣が特定の医薬品を日本薬局方に収載し、又はその製造の承認をした場合において、その時点における医学的、薬学的知見の下で、当該医薬品がその副作用を考慮してもなお有用性を肯定し得るときは、厚生大臣の薬局方収載等の行為は、国家賠償法一条一項の適用上違法の評価を受けることはないというべきである。右の理は、製造の承認とその目的、性質を同じくする医薬品の製造の許可(旧薬事法二六条三項)についても変わるところはないものと解される。
  これを本件についてみると、前記の事実関係によれば、厚生大臣がクロロキン製剤について前記一3記載の各行為をした昭和三五年から昭和三九年までの間においては、その副作用であるクロロキン網膜症に関する報告が内外の文献に現れ始めたばかりであって、報告内容も長期連用の場合のクロロキン網膜症の発症の危険性及び早期発見のための眼科的検査の必要性を指摘するにとどまり、クロロキン製剤の有用性を否定するものではなく、この間に我が国で報告された症例は合計七件であったというのであるから、これらの文献や症例報告に基づく当時の医学的、薬学的知見の下においては、厚生大臣が、腎疾患及びてんかんを含めた前記各疾患に対するクロロキン製剤の有用性を肯定し得るものとして行った前記各行為に違法はないというべきである。
 四 次に、所論は、厚生大臣がクロロキン製剤の副作用による被害の発生を防止するために薬事法上の権限を行使して適切な措置を採らなかった違法を主張するので、この点につき判断する。
 1 日本薬局方に収載され、又は製造の承認がされた医薬品が、その効能、効果を著しく上回る有害な副作用を有することが後に判明し、医薬品としての有用性がないと認められるに至った場合には、厚生大臣は、当該医薬品を日本薬局方から削除し、又はその製造の承認を取り消すことができると解するのが相当である。薬事法は、厚生大臣は少なくとも十年ごとに日本薬局方の改定について中央薬事審議会に諮問しなければならないと規定する(四一条三項)にとどまり、また、昭和五四年法律第五六号による改正後の薬事法七四条の二のような製造の承認の取消しに関する明文の規定を欠くが、前記の薬事法の目的並びに医薬品の日本薬局方への収載及び製造の承認に当たっての厚生大臣の安全性に関する審査権限に照らすと、厚生大臣は、薬事法上右のような権限を有するものと解される。
   また、厚生大臣は、医薬品による被害の発生を防止するため、当該医薬品を毒薬、劇薬又は要指示医薬品に指定し(四四条、四九条)、医薬品製造業者等に対して必要な報告を命じ(六九条一項)、当該医薬品について公衆衛生上の危険の発生を防止するに足りる措置を命ずる(七〇条一項)等の権限を有し、また、薬事法上の諸権限を前提とし若しくは薬務行政に関する一般的責務に基づいて、医薬品製造業者等に対して指導勧告等の行政指導を行うことができると解される。
 2 厚生大臣は、右のような権限を具体的な状況に応じて行使するが、その前提となるべき医薬品の有用性の判断は、当該医薬品の効能、効果と副作用との比較考量によって行われるものであるから、これについては、高度の専門的かつ総合的な判断が要求される。そして、右判断の要素となる医薬品の有効性と副作用及び代替可能な医薬品や治療法の有無等に関する医学的、薬学的知見は、研究、開発の成果などにより常に変わり得るものであるから、医薬品の有用性の判断は、その時点における医学的、薬学的知見を前提としたものとならざるを得ない。また、厚生大臣は、当該医薬品の有用性を否定することができない場合においても、その副作用による被害の発生を防止するため、前記のような権限を行使し、あるいは行政指導を行うことができるが、これらの権限を行使するについては、問題となった副作用の種類や程度、その発現率及び予防方法などを考慮した上、随時、相当と認められる措置を講ずべきものであり、その態様、時期等については、性質上、厚生大臣のその時点の医学的、薬学的知見の下における専門的かつ裁量的な判断によらざるを得ない。
   厚生大臣の薬事法上の権限の行使についての右のような性質ないし特質を考慮すると、医薬品の副作用による被害が発生した場合であっても、厚生大臣が当該医薬品の副作用による被害の発生を防止するために前記の各権限を行使しなかったことが直ちに国家賠償法一条一項の適用上違法と評価されるものではなく、副作用を含めた当該医薬品に関するその時点における医学的、薬学的知見の下において、前記のような薬事法の目的及び厚生大臣に付与された権限の性質等に照らし、右権限の不行使がその許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは、その不行使は、副作用による被害を受けた者との関係において同項の適用上違法となるものと解するのが相当である。
 3 これを本件についてみると、前記の事実関係によれば、昭和三七年以降我が国においても、文献等による症例の報告により、クロロキン製剤の副作用であるクロロキン網膜症に関する知見が次第に広まってきたものの、その内容はクロロキン製剤の有用性を否定するまでのものではなく、一方、クロロキン製剤のエリテマトーデス及び関節リウマチに対する有用性は国際的に承認され、昭和五一年の再評価の結果の公表以前においては、クロロキン製剤は、根本的な治療法の発見されていない難病である腎疾患及びてんかんに対する有効性が認められ、臨床の現場において、副作用であるクロロキン網膜症を考慮してもなお有用性を肯定し得るものとしてその使用が是認されていたというのであるから、当時のクロロキン網膜症に関する医学的、薬学的知見の下では、クロロキン製剤の有用性が否定されるまでには至っていなかったものということができる。したがって、クロロキン製剤について、厚生大臣が日本薬局方からの削除や製造の承認の取消しの措置を採らなかったことが著しく合理性を欠くものとはいえない。
   また、厚生大臣ないし厚生省当局は、副作用の面からの医薬品の安全性を確保するための組織、体制の整備を図り、その一応の体制が整えられた昭和四二年以降において、クロロキン製剤を劇薬及び要指示医薬品に指定し、使用上の注意事項や視力検査実施事項を定め、医薬品製造業者等に対する行政指導によりこれを添付文書等に記載させるなどの措置を講じていることは、前記一7記載のとおりである。これらの措置は、医師の関与によらないクロロキン製剤の使用を禁じるとともに、クロロキン網膜症に関する添付文書等の記載を充実させて医師、医療機関の注意を喚起し、医師の適切な配慮によってクロロキン網膜症の発生を防止することを意図したものと理解されるが、結果的には、これらの措置によってクロロキン網膜症の発生を完全に防止することはできなかったのであり、現在明らかになっているクロロキン製剤及びクロロキン網膜症に関する知見、特に昭和五一年に公表された再評価の結果から見ると、これらの措置は、その内容及び時期において必ずしも十分なものとは言い難い。しかし、医薬品の安全性の確保及び副作用による被害の防止については、当該医薬品を製造、販売する者が第一次的な義務を負うものであり、また、当該医薬品を使用する医師の適切な配慮により副作用による被害の防止が図られることを考慮すると、当時の医学的、薬学的知見の下では、厚生大臣が採った前記各措置は、その目的及び手段において、一応の合理性を有するものと評価することができる。
   以上の点を考慮すると、厚生大臣が前記一7記載の各措置以外に薬事法上の権限を行使してクロロキン網膜症の発生を防止するための措置を採らなかったことが、薬事法の目的及び厚生大臣に付与された権限の性質等に照らし、その許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くとまでは認められず、国家賠償法一条一項の適用上違法ということはできない。
 五 以上によれば、クロロキン製剤に関する厚生大臣の措置に国家賠償法一条一項の違法はないとした原審の判断は、是認することができる。原判決に所論の違法はなく、右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。その余の論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するか、又は原審で主張、判断を経ていない事項について原判決の違法をいうものにすぎず、採用することができない。
 同第四部について
 所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。右判断は、所論引用の各判例に抵触するものではない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
 よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
     最高裁判所第二小法廷
         裁判長裁判官 中島敏次郎、裁判官 大西勝也、根岸重治、河合伸一