Mime-Version: 1.0
Date: Tue, 30 Mar 1999 05:37:53 +0900
To: keystone@jca.ax.apc.org
From: "M.Shimakawa" <mshmkw@tama.or.jp>
Subject: [keystone 1248] from DAISAN > 立法院議事堂保存運動 1994 (1)
Sender: owner-keystone@jca.ax.apc.org
X-Sequence: keystone 1248
Precedence: bulk
Reply-To: keystone@jca.ax.apc.org
 

 島川です。
 PC-VANのDAISAN(第三世界ネットワーキング)で「国際パソ通ネットワーク」
 という会議室が今月末で閉鎖削除されるというので、ログを保存しようと思
 い、ダウンしてみたところ、意外にも1994年の標題テーマのファイルが入っ
 ていました。すべてがインターネットのGlobal-Brain ML(JCA主宰)からの
 転載です。さらにその元は「沖縄のBBSてだこ」とのことです。「まきし」と
 いうハンドルの方が転載者です。保存運動の94年8月時点での報告で中間的な
 ものですが、記録しておくべきひとつの資料かと思われますので転送します。
 

*#585 国際パソ通ネットワーク
★タイトル (QXH11714)  94/ 8/22  13:29  (101)
GB1611)立法院議事堂の保存について まきし

*#586 国際パソ通ネットワーク
★タイトル (QXH11714)  94/ 8/22  13:30  ( 76)
GB1610)立法院議事堂の経緯  まきし

*#587 国際パソ通ネットワーク
★タイトル (QXH11714)  94/ 8/22  13:32  (126)
GB1612-1/3)立法院保存再生・住民訴訟 まきし

*#588 国際パソ通ネットワーク
★タイトル (QXH11714)  94/ 8/22  13:34  (185)
GB1612-2/3)立法院保存再生・住民訴訟 まきし

*#589 国際パソ通ネットワーク
★タイトル (QXH11714)  94/ 8/22  13:36  (153)
GB1612-3/3)立法院保存再生・住民訴訟 まきし
 
 

                         (from DAISAN <biglobe.ne.jp> 改行位置等若干変更)
 ---------------------------------------------------------------------------

*#585 国際パソ通ネットワーク
★タイトル (QXH11714)  94/ 8/22  13:29  (101)
GB1611)立法院議事堂の保存について まきし
★内容
こんにちは、ずけらん@沖縄です。

沖縄県には米軍統治時代に建設された立法院議事堂がありますが、
これの破壊/保存をめぐって、議論が起こっています。
以下に、再生させる会からの呼びかけ文と、それに関わる資料を転載いたします。
転載元は沖縄のBBSである、BBSてだこ(098-863-1437,1438)です。転載自由。

---
ずけらん

--------------------------------------------------------------------------
Note 30       政治・社会  (life.politics)
[ RESPONSE:  69 of  91 ]
Title: 立法院保存再生・新局面
Bytes: 4794    Date : 5:02pm  6/29/94  Author: maxi (まきし)

旧立法院に新たな命を
立法院議事堂の保存・再生運動

沖縄県建築士会 那覇西支部 真喜志好一
はじめに
 沖縄の戦後史を語る文化遺産として旧立法院を保存し、「戦後史資料館」などとし
て再生させようと活動を始めて足掛け三年。跡地にバスやバイクの駐車場を作るとい
うのが県の計画で、それに対して、「駐車場も保存・再生も両立する」ことを模型や
スケッチで対案として知事に示しつつ、計画の見直しを求めてきた。1993年 8月に開
始された解体工事は、本会議場を残した状態で凍結されている。建築士会の会員有志
が保存再生運動に関わっている現状を、まちづくりと建築士の社会的役割の観点から
報告するものである。

立法院議事堂とは?
 アメリカ軍統治のもとで、設置された議決機関が立法院であり、民主主義を象徴し
て本会議場は道路レベルに設けられ、馬蹄形に議席が配置された議事堂棟と議員個室
(議員個室は、新県議会庁舎にも設けられている。)がある事務局棟とで構成された
建築で、自治を求めて熱い議論を闘わせた場であり、1954年 8月に竣工している。
 設計者はコンペで一位になった故大城龍太郎氏である。沖縄県建築士会には設計競
技運営委員会(おそらく全国で唯一)が設置されており、コンペの伝統を築きつつあ
るが、この議事堂建築に端を発しているといってよいだろう。
 新議会議事堂が完成し、周辺整備の一貫として、議事堂取り壊しが報道された1992
年 7月頃から私たちの運動は始まっている。

経過
1992年 9月12日 沖縄占領国際シンポジウムで「立法院保存」を
        パネラーとして提起(真喜志好一)
        ●このシンポジウムで歴史家、旧職員、建築士の三グループが
         それぞれの立場で保存再生の主張をしていることを知る。
      10月16日 三グループそれぞれに県議会に「保存陳情」を行う。
1993年 3月   3月県議会で上の陳情を審議未了にする。
    3月29日 日本建築学会・会長 立法院の保存を県知事、県議会議長に要請。
    4月16日 三グループは合体して「立法院を保存する三者連絡会議」に改組。
        4月19日の解体工事入札を延期するよう県知事に打電
    7月 3日 日本建築学会九州支部歴史意匠委員会
        「旧立法院を考えるシンポジウム」開催に側面から協力
    7月 9日 県知事に保存活用について 要請
        「立法院を再生させる会」 に改称。
        この頃、立法院の見学会や集会を頻繁に開く。
    8月      解体工事が始まり、事務局棟は撤去される。
    9月中旬 大学人、民主団体、平和団体など相継いで保存を要請
    9月27日 早朝から議事堂前に座り込み。午後、1時間余にわたり、
        知事に保存再生の対案を模型、透視図などで説明する。
        29日にも sit in ・・以後、議事堂棟の解体は棚上げされ、
   11月24日 旧議会庁舎について、大局的な見地から自由な討議を行い、
        望ましいあり方について協議するため、県は17人からなる
        「旧議会庁舎に関する検討委員会」を設置する。
   12月   沖縄県は「沖縄県設計監理協同組合」に耐久性調査を委託。
        (平成6年3月付けで印刷し、4月末に公表したこの報告書は、
        梁の中央部付近の「ひびわれ」が鉄筋コンクリート構造物に
        普通に発生する「曲げひびわれ」であるにも関わらず「鉄筋の
        腐食によるもの」と記述するなど学術上の重大な誤認を含み、
        耐久性の判定として多くの疑問がある。以後、県報告書という。)
1994年 3月10日  建築士を中心に「再生させる会」独自の耐久性調査を実施。
        大梁に曲げひび割れや、スラブにジャンカがあるものの、鉄筋の
        錆は極めて軽微であった。補修対策の提案など調査報告書を公表。
    4月25日 「旧議会庁舎に関する検討委員会」は、学術上、重大な誤認が
        ある県報告書に基づき(旧議会庁舎を取り壊した上で)「再建
        ないし移築、レプリカでの対応によって活用する」と答申する。
    5月13日 県報告書を正しく書き改めるよう住民監査請求(別紙)を行う。
    6月 8日 住民監査請求・意見陳述
    5月27日 沖縄県建築士会総会で保存再生問題への取組を昨年に引続き提起。
        「適当な部会で、どう対応していくか検討に入る」ことを確認。
結び
 民主主義を象徴するような馬蹄形に配置された旧立法院議事堂の議席。そこではよ
り良い沖縄を模索してさまざまな議論が行われ、それを大衆が見守ってきた。次の世
代にこのような沖縄の戦後史を伝えるために、本会議場の建設当初の姿に復元し、そ
こを小ホールとして再生させたい。自治自立を求めて生きるであろう未来の大人や子
供たち。自治を求める政治の舞台であり、アメリカ軍統治下の主要な建築物として唯
一残されている議事堂。そのものがその場所にあることで未来の彼等に語り継ぐ内容
は深くて豊富になる。
 歴史の生き生きとした継承。これは都市の景観においても考慮されるべき。例えば
島の「古典音楽」とジャズの共存が沖縄の音楽をふくらませているように、古い立法
院とピカピカの新庁舎の共存が景観にふくらみを持たせる。歴史を感じさせない街で
人々はどのような個性を育てるのだろうか。
 旧立法院に新たな命を与え再生させることは県民一人一人の文化的課題だろう。

                             ===まきし===

*#586 国際パソ通ネットワーク
★タイトル (QXH11714)  94/ 8/22  13:30  ( 76)
GB1610)立法院議事堂の経緯  まきし
★内容
ずけらん@沖縄です。

立法院保存・再生運動に関わる資料を転載いたします。
転載元は沖縄のBBSてだこ(098-863-1437,1438)です。転載自由。

ずけらん

--------------------------------------------------------
Note 30       政治・社会  (life.politics)
[ RESPONSE:  84 of  91 ]
Title: 立法院保存再生・新局面
Bytes: 2278    Date : 7:21pm  7/ 7/94  Author: sheemer (sheemer)

                立法院小年譜(守る会の資料より)

        1952/3  第1回立法院議員選挙で31人が当選。1回から3回議会は
                戦前のデパート円山号にて行われる
        1954/7  沖縄初の設計コンペで,大城龍太郎氏の作品が一等に選ばれ
                建設し完成。8月4日新議事堂において議会が開かれる
        1956/4  立法院開会に際し,高等弁務官が本会議に臨みメッセージを
                読み上げた。初回はゼイムス・E・モーア中将から68年の
                フェルナンドアンガー中将まで行われた
        1956/5  「プライス勧告」をめぐり立法院全議員が「総辞職の決意」
                表明を行った
        1966/3  行政命令改正により,行政主席の選任方法が改められる。
                従来立法院において指名された者を高等弁務官が任命して
                いたが,この改正により立法院議員の過半数によって選挙
                されることになり,松岡政保氏が当選した
        1967/2  教公二法案が議会に上程されることになり,審議を阻止する
                ため教職委員会,県労協,全沖労連の阻止団約2万人が,
                立法院を取り囲み警官隊と衝突。同法案が同年11月審議未了で
                自然廃案となった
        1968/11 第1回行政主席選挙で,屋良朝苗氏が選ばれる
        1969/11 佐藤・ニクソン会談で,日米共同声明で72年の本土復帰が
                決定された
        1970/11 国会議員選挙が初めて行われ,衆議院議員には,西銘順治,
                瀬長亀次郎,上原庚助,国場幸昌,安里積千代の5氏と
                参議院議員には喜屋武真栄氏が当選した
        1972/5  15日沖縄県発足。早朝6時より第1回県議会が開会
        1972/6  県議会議員選挙が行われる
        1980/12 自衛官募集業務費県予算案が議会で可決
        1982/3  県職員の給与条例一部改正(教職員の主任手当)を賛成
                多数で可決。主任制問題として大きな波紋をよんだ
        1985/10 国旗掲揚と国歌斉唱に関する決議案(日の丸・君が代
                決議案)が可決
        1987/3  県収用委員会小堀会長の出席をめぐり異例の深夜に及ぶ
                審議を行い,一部議案を知事の専決処分とした
        1991/6  地方自治体法の一部改正により「慰霊の日休日関連条例案」
                が9日可決され,休日存続が決まった
        1991/7  空席だった副知事のポストに尚弘子氏(当時琉大教授)が
                決まり全国で2番目の女性副知事が誕生
        1992/7  新議会棟完成
        1993/3  定例議会において,立法院棟(旧県議会棟)の保存・活用に
                関する請願を全員一致で審議未了となり,取り壊しが決定。
                これに対し市民団体が「戦後史証人としてまた建築学上の
                価値がある」として保存運動を開始。旧立法院棟を見る会
                やシンポジウム,また太田知事に直接面会し保存を訴えて
                きた。
        1993/9  議事堂を残し事務棟と増築部分を解体。現在にいたっている

*#587 国際パソ通ネットワーク
★タイトル (QXH11714)  94/ 8/22  13:32  (126)
GB1612-1/3)立法院保存再生・住民訴訟 まきし
★内容
ずけらん@沖縄です。

立法院保存・再生運動に関わる資料を転載いたします。
転載元は沖縄のBBSてだこ(098-863-1437,1438)です。転載自由。

ずけらん

--------------------------------------------------------------------------
Note 35       政治・社会  (life.politics)
[ RESPONSE:  43 of  57 ]
Title: 立法院保存再生・住民訴訟
Bytes: 24724   Date : 1:44am  8/ 7/94  Author: maxi (まきし)

よろしく .jaga

タイムスは小さな記事、新報は3段見出しの記事でしたね。
松永弁護士の力作の訴状を読んでもらいましょう。
しっかり、読んで下さいね >all

転載大歓迎ですから、あちこちに転載してください。
---------------------------------------------------------------------------

損害賠償等請求事件(住民訴訟)

            訴I  I          I状I

                       W当事者X     別紙当事者目録記載のとおり

一九九四年八月五日

            〒九〇〇          那覇市字上之屋二五三ー二
                              芳澤法律事務所  八六七ー一七二二
                  原告ら訴訟代理人
             弁 護 士  加  藤      裕
            〒九〇四ー二一    沖縄市松本一ー一ー一
                              コザ法律事務所 九三四ー三二九八
                   右            同
                        弁 護 士  松  永   和  宏
那覇地方裁判所 御中
訴訟物の価額    金九五万円
貼用印紙額      金八二〇〇円

          請  求  の  趣  旨

一 被告沖縄県建築設計監理協同組合は、沖縄県に対し、金四三二万六〇〇〇円
  及びこれに対する本訴状送達の日の翌日から支払いすみまで年五分の
  割合による金員を支払え。
二  被告山城正栄は、沖縄県に対し、金四三二万六〇〇〇円及びこれに対す
  る一九九四年四月五日から支払いすみまで年五分の割合による金員を支払え。
三  被告金城正光は、沖縄県に対し、金四三二万六〇〇〇円及びこれに対す
  る一九九四年四月五日から支払いすみまで年五分の割合による金員を支払え。
四 訴訟費用は被告らの負担とする。
  との判決並びに仮執行の宣言を求める。

          請  求  の  原  因

第一 当事者

   原告らは肩書地に居住する沖縄県の住民である。被告山城正栄(以下、
   「被告山城」という。)及び被告金城正光(以下、「被告金城」という。)
   は沖縄県職員である。被告沖縄県建築設計監理共同組合(以下「被告組合」
   という。)は、組合員の取り扱う建築工事の設計・監理の共同受注等を事業
   目的とする中小企業共同組合法に基づく組合である。

第二 公金の支出

    一九九三年(平成五年)一二月二四日、沖縄県知事と被告組合との間で、
   旧琉球政府立法院議会棟本会議場(以下「立法院議事堂」という。)の耐久
   性に係る調査報告書の作成の委託契約(以下「本件委託契約」という。)を
   締結した。そして、一九九四年(平成六年)三月頃、被告組合が調査報告書
   (以下、「本件調査報告書」という。)を作成して沖縄県職員の被告金城が
   これを検収し、同年四月五日、被告山城の専決処理により、沖縄県から被告
   組合に対して、本件調査委託契約の報酬金四三二万六〇〇〇円が支出(以下
   「本件支出」という。)された。

第三  本件経委託契約の経緯

一  立法院議事堂は、その建築的価値に加えて、復帰前の米軍統治下の琉球の
  歴史と復帰後の沖縄の進路を決定した歴史的舞台となった歴史的建造物であ
  る。即ち、米軍統治のもとで、一九五二年四月一日に設立された琉球政府の
  立法機関として設置されたのが琉球政府立法院であり、一九五四年八月に竣
  工した立法院議事堂は、民主主義を象徴して、住民が直接に議場に入れるよ
  う道路と同じ高さに設けられ、馬蹄形に議席が配置されている。設計を行っ
  た故大城龍太郎氏は立法院議事堂の建設に「沖縄の自治権拡大と民主主義実
  現への熱い思いと、そして二度と戦争には巻き込まれまいという強い願いを
  こめた」といわれている。
   立法院議事堂は、米軍の土地強奪に対して「土地問題四原則」を全会一致
  で決議し、行政主席の指名阻止闘争、教員の政治活動を禁じる教公二法案立
  法阻止闘争など、米軍の任命主席制が行われる中で、住民の直接選挙で選出
  された議員が、自治を求めて熱い議論を闘わせた場であり、復帰後は沖縄県
  議会としての歴史を有するものである。
   右に述べた立法院議事堂の価値に鑑み、立法院を再生させる会、日本建築
  学会等から、沖縄県に対して立法院議事堂の保存要請がなされてきていた。
二   しかるに、沖縄県は、一九九三年(平成五年)七月三一日、立法院庁舎の
  解体工事に着手したが、同年九月一七日の「立法院議事堂の保存活用を訴え
  る県内大学有志会」からの保存要請に始まり、沖縄県高教組、那覇市職労、
  沖縄県歴史教育者協議会、沖縄県憲法普及協議会、沖縄県人権協会、日本科
  学者会議沖縄支部、与那原町職労、宜野湾市職労、琉大社会学科社会学専攻
  広報学ゼミ有志一同、旧立法院議員旧県議会議員有志一同  沖縄戦記録フィ
  ルム一フィート運動の会などから保存要請が出され、立法院議事堂保存を望
  む世論が高まった。こうした状況の中で、沖縄県は、解体工事の契約を変更
  し、立法院議事堂を解体工事の対象から外した。
三   そして、沖縄県は、立法院議事堂の耐久性について検討するため、本件委
  託契約を締結したものである。

第四 調査報告書の瑕疵

一  被告組合は、本件委託契約に基づき、一九九四年(平成六年)、本件調査
  報告書を作成したが、その内容は、重大な学術的誤認を含む極めて杜撰なも
  のであった。
  本件調査報告書の作成に当たっては、まず「基礎的診断」を行い、次に、
  「基礎的診断」において劣化がある程度認められる部分について、「高次の
  診断」を行っている。
  そして、本件調査報告書の「高次の診断」と題する項目では「中性化」、
  「鉄筋腐食」、「ひびわれ」、「塩分分析」、「圧縮強度」の五項目が取り
  上げられ、右五項目の調査結果を受けて、「総合評価」がなされているが、
  右項目に沿って、本件調査報告書の瑕疵を明らかにする(専門用語について
  は別紙を参照)。
 -------------------------



 
  • 1998年     3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
  • 1999年     1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月

  • キーストーンメーリングリスト 目次