Date: Fri, 19 Mar 1999 15:31:49 +0900
From: 加賀谷いそみ  <QZF01055@nifty.ne.jp>
Subject: [keystone 1195] <資料>新ガイドライン関連法案成立阻止の
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 ◇新ガイドライン関連法案の成立を、ともに阻止するために、資料を提供します。

    井上澄夫 (つくろう平和!練馬ネットワーク)
       〒178−0063 練馬区東大泉5・26・8・A−104
        FAX=03−3978−0403

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  愛媛県に『南海日日新聞』という地方紙がある。同県の八幡浜(やわたはま)市で
週3回発行されている。
 本年(1999年)2月2日号の同紙コラム「海鳴り」(主筆の斉間満氏が執筆す
る事実上の社説)を、私はたまたま目にする機会を得た。タイトルは「有事を叫ぶ前
に、なぜ有事を避ける方法を語らないのか」であり、私はその内容に深い感銘を受け
た。それを斉間氏に伝えたことから、私は同紙に、昨年4月、国会に上程され、今国
会の最大の焦点になっている、新ガイドライン関連法案を根本的に批判する文章を連
載することになった。タイトルは「戦争を起こさせないために」である。

  その連載は2月23日付同紙から始まり、現在もつづいていて、20回で完結する
。しかし問題の法案をめぐる政治情勢は切迫しており、本稿を活用したいという人び
ともいることから、連載中ではあるが、全国の反戦市民運動の仲間たちに配布するこ
とにした。わがままをご快諾いただいた斉間氏に深く感謝したい。
  なおこれは、連載原稿そのままであるが、分載の形式をやめてつなげ、中見出しを
いれた。また原題を副題とし、新たにメインタイトルをつけた。

 仲間たちが本稿を活用してくれることを私は歓迎するが、市民運動のメディアに掲
載するときは、『南海日日新聞』掲載論文であることを、必ず明記してほしい。また
掲載メディアを筆者に一部送っていただきたい。それを条件として、本稿をすべての
仲間にゆだねる。  (原文は縦書き)
                            1999年3月13日

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  有事を叫ぶ前に、なぜ有事を避ける方法を語らないのか
        (1999年2月2日付の『南海日日新聞』のコラム「海鳴り」)

 「有事になったらどうするのですか。日本が有事になったら!」――(一月)三十
一日朝テレビのスイッチを入れたら、画面からそんな叫び声が耳に飛び込んできた。
画面には、評論家の田原総一郎さんが声を張り上げていた▲番組は政治家や評論家が
討論する、愛媛朝日テレビの「サンデープロジェクト」である。思わず画面に見入っ
た。田原さんの言葉は「有事」であったが、「戦争になったらどうするのか」と叫ん
でいるのである▲叫ばれた相手の共産党の人(名前は知らない)は、「そんな論議を
して、どうするのか。自民党は冷戦時代も、ソ連が攻めてくると言っていたが、そん
なことはなかった。ソ連は崩壊した。今度は北朝鮮からミサイルが飛んでくるという
。仮定の話をしてどうするのですか。現実の話をすべきですよ」と、反論する▲とこ
ろが、田原総一郎という司会者はその言葉には耳を貸そうとせずに、「有事になった
らどうするのかを聞いている」と、相手の発言を押さえつける。あげくのはてには、
「共産党は、日本人が他国で戦争に巻き込まれても、助けなくていいという訳ですな
」と言い放った。日本の戦争を想定しない者への恫喝である▲田原総一郎という司会
者の姿が、軍服に身を固めた亡霊と重なった。五十数年前日本政府内部に台頭してき
た軍人たちは、「戦争になったらどうするか―」と、英米の危機感を国民に煽り脅し
た。そして戦争を想定した法体制を築きあげ、現実に戦争へと突入していった▲田原
さんの叫びはあの時の、軍服の人たちと同じではないか。彼があまりにも、声高に叫
ぶものだから、出演していた有事立法を唱える自民党代議士たちも、少々シラケてい
た。それほど異常な行動だった▲問題は、戦争(有事)が起きたらどうするか―では
ない。「戦争を起こさないためにどうするか」ではないか。田原さんや自民党は、朝
鮮半島に戦争も起きていない先から、なぜ「有事(戦争)が起きたらどうするか」と
叫ぶのか。その前に、なぜ「戦争を起こさないようにするには、どうすればいいか」
を叫ばないのか▲筆者は共産党支持者ではない。むしろ、共産党の人たちに言っても
いない事柄をデッチ上げられて、共産党に抗議した。某共産党員は立会人の前で筆者
に謝罪したがそれ以来、共産党には不信感を抱いている▲しかし、三十一日の「サン
デープロジェクト」は、共産党の言い分はもっともであると思った。少なくとも、平
和な社会を築くには、戦争をしない方法を第一に考えていくべきだ▲五十数年前、「
戦争になったらどうするか!」と国民を脅し、不安に陥れた人たちは、中国で盧溝橋
事件、南京大虐殺など引き起こし、自ら戦争への導火線に火を点けて回った▲朝鮮民
主主義人民共和国はもちろん、米国も「人工衛星の打ち上げ」と言っているテポドン
を、ニュース報道のたびに「ミサイル」と呼ぶ日本の報道機関、そして田原さんの様
な評論家を使うマスコミ。その姿は、戦争への脅威を我々住民に煽っているのではな
いか。(満)

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〈論文〉
   新ガイドライン関連法案を廃案に!
      ―戦争を起こさせないために―

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  <はじめに>

  二月二日付本紙コラム・海鳴り「有事を叫ぶ前に、なぜ有事を避ける方法を語らな
いのか」に、私は深く共感した。コラムが指摘しているとおり、有事は平時(戦争の
ない平和なとき)の反対語で、要するに戦争のことである。日本政府はタテマエとし
て、戦争を放棄した憲法九条を守っていることになっているので、自国の「国権の発
動たる戦争」を語れない。だから戦争を有事と言い替え、軍隊を自衛隊と呼ぶのであ
る。

  有事への対応を叫ぶ論はこのところ、右派ジャーナリズムを中心に、奔流というべ
き勢いで高まっているが、そこでの主要なテーマは朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮
)バッシング(叩き)である。しかしそれらの論を注意深く読むなら、米国・韓国と
北朝鮮の間で戦争が起きる可能性は、実際にはきわめて小さいことが前提になってい
ることがわかる。にもかかわらず、北朝鮮が今にも韓国になだれ込むかのような扇動
がなされるのは、なぜだろうか。

 一口にいえば、その動きは非常に政治的な意図に基づいている。現在国会で論議さ
れている、いわゆる「周辺事態法」など「新ガイドライン」関連三法案を早急に成立
させるためには、朝鮮半島で緊張が激化し〈第二次朝鮮戦争〉がいつ起きるかわから
ないというムードが支配的になることが必要なのである。戦争が起きて(有事になり
)米軍が劣勢になるようなことがあっては、日本が危ない、だから米軍を支援する強
固な体制をすぐ作るべきだ、というわけである。

  しかしその種の主張をなす人びとは、〈第二次朝鮮戦争〉が、その地の人びとにど
のような悲惨をもたらすのかを考えたことがあるのだろうか。
 

  かつての朝鮮戦争(一九五〇〜五三)は、朝鮮半島全域を巻き込み、米韓両軍に約
一七万人、北朝鮮・中国軍に約四八万人の死者を出したが(資料によって差がある)
、同時に朝鮮民衆にも、死者約一三〇万人から一四〇万人、離散家族約一千万人から
一千五百万人という、おびただしい被害を生んだ。

 この戦争において日本は、米軍の集結基地・出撃拠点であり、また休養地であった
。そして戦争は、日本に「動乱ブーム」「特需景気」をもたらした。米軍が軍需物資
の一部を日本で調達し、兵器の修理を行なったからである。それゆえ、たとえば五二
年から五三年にかけて、特需収入は輸出総額の六割を超えることになった。戦後日本
経済は、朝鮮戦争によって復興のきっかけをつかんだのである。しかし、戦争が朝鮮
民衆に押しつけた筆舌に尽くせぬ苦しみに対し、敗戦直後の日本民衆は、総じて無関
心ないし冷淡であったといわざるを得ない。

 朝鮮半島の分断は、三六年に及ぶ日本の植民地支配に起因する。それにもかかわら
ず、日本政府はその責任を認めないばかりか、米国政府のアジア戦略に荷担し、北朝
鮮を一貫して敵視しつづけてきた。日米安保条約と米韓相互防衛条約をリンクした日
米韓軍事同盟が、北朝鮮を脅しつづけ、いわゆる三八度線は、いまも「休戦ライン」
でしかない。日米韓軍事同盟が、朝鮮半島に緊張を生み出してきたのである。日本政
府は、六五年に韓国と日韓基本条約を結び、七二年に中国との国交を正常化したが、
北朝鮮とは、今日に至るも国交を結んでいない。
  日本政府が北東アジアの緊張緩和に努力しないことこそ、私たちが問題にすべきこ
とである。

  <軍隊は私たちを守らない>

  軍隊の存在は普通、国家の安全保障のために必要という論理によって正当化される
。軍隊がないと敵が攻めてきたら困るという。しかし「明治」期以降、日本はたびた
び戦争を仕掛けたが、戦争を仕掛けられたことは一度もない。

 そのうえ、私たちの身を守ることと国家を守ることは、同列に論じられることでは
ない。国家を守る軍隊が、民衆を守ってきたか。その答えは、この国の近現代史を振
り返れば、すぐ得られる。東京、大阪を初め、全国各地の都市が空襲にさらされたと
き、日本軍は市民を守ったか。ヒロシマ、ナガサキの惨状を想起しよう。沖縄では日
本軍が、ガマ(避難壕になった鍾乳洞)から住民を追い出したばかりか、虐殺した。
友軍がウチナーンチュを殺した。

 さらにわかりやすい例は、「満州国」(中国東北部に造られた日本のカイライ国家
)にいた関東軍幹部の無責任な逃亡だろう。一九四五年八月九日、ソ連軍がソ「満」
国境を突破したとき、日本軍はまず軍司令部の軍人・軍属の家族を優先して引き揚げ
させ、司令部自身もさっさと逃亡した。遺棄された下級兵士と一般邦人にどのような
運命が待ち受けていたかはよく知られている。朝鮮の釜山から脱出しようとした阿部
信行朝鮮総督(陸軍大将、首相経験者)夫人一行の船が、荷物を積み過ぎて難破しそ
うになったという象徴的な例もある。

  軍は民を守らないどころか、民を殺すことさえある。戦前の軍隊は、天皇・皇室を
防衛するものだったが、児童に「ヘイタイサンアリガトウ」という思想を教え込んだ
ように、皇軍崇拝を強要する教育が、国家の防衛がそのまま民衆の防衛であるかのよ
うに思わせたのである。さていま、自衛隊は私たちを守るか。

  東北のある県に住む女性の友人がこういう手紙をくれた。「休みといえばパチンコ
ばっかりしている知り合いの自衛隊員が『国のために死んだらやっぱり靖国に祀って
ほしい。でないと何のために命を捨てたかわからなくなるから』と言うので『そんな
ことのために命を捨てるわけ?』って言ったら、目をパチクリさせてた」。

  「国のために命を捨てる」と言うこの自衛官にとって、その「国」とは具体的にい
ったい何であろうか。戦前の軍隊は天皇に忠誠を誓ったのだが、自衛隊員は首相に忠
誠を誓わされる。とすると首相に体現された「国」のために命を投げ出すことになる
が、小淵首相のために喜んでそうする自衛官がいるだろうか。かの「暗愚の宰相」を
念頭に置かないなら、抽象的な観念としての「国」に殉ずるか、戦闘行為それ自体を
至上の価値とするほかはない。

  「自衛隊は、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし
、必要に応じ、公共の秩序の維持に当るものとする」と自衛隊法第三条はいう。直接
侵略は外からの侵略、間接侵略はそれに呼応する国内での動きを指す。自衛隊の主任
務は、防衛出動と治安出動である。 

 これまで防衛出動がなされたことはないが、治安出動はその一歩手前まで行ったこ
とがある。六〇年安保闘争のとき、当時の岸首相は自衛隊に治安出動を命じたが、赤
城防衛庁長官(当時)は出動を拒否した。命令が実行されていたら、日本の民衆は自
衛隊の本質を、自ら流した血によって理解することになっただろう。自衛隊の武器は
、外だけでなく、朝鮮人など在日外国人や反戦平和運動などにも、常に向けられてい
ることを忘れるべきではない。自衛隊は政府・国家権力を守る。

  <新ガイドライン策定のいきさつ>

  「周辺事態法案」を軸とする「新ガイドライン(日米防衛協力のための指針、以下
、新指針)」関連三法案は、「周辺事態」の際、「米軍の後方支援」という名目で、
自衛隊が参戦することを可能にするものである。つまり「新指針」関連法案が成立す
れば、日本政府はいつでも、米国政府の言いなりに戦争を始めることになる。私たち
は〈新たな戦前〉を迎えていると言って過言ではない。だがまず、事ここに至る過程
を正確に理解することが、問題の本質を把握する上で必要だ。

  一九五一年に締結され翌年発効した日米安全保障条約は、占領を解かれ独立した日
本を米国が守るというものだった。そして六〇年に締結・発効した、改訂・安保条約
(新安保)は、米国が日本を守り、日本が在日米軍基地を防衛するという形で、かろ
うじて相互防衛条約の体裁を保つものだった。

 新安保は、「日本の安全」と「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与する
」ことを目的とし、そのために日本に米軍基地を置くとするものであるが、この新安
保条約に基づく軍事同盟体制の質を根本から変えるきっかけになったのが、現在の「
新指針」の前身である旧「ガイドライン」(旧指針)である。

 七八年一一月に策定されたこの「旧指針」は「日本以外の極東における事態で日本
の安全に重要な影響を与える場合の日米間の協力」の「研究」を明記した。ここでい
う「日米間の協力」とは、「米軍による自衛隊の基地の共同使用」などを含む「日本
が米軍に対し行う便宜供与」のことである。
  旧「指針」は日米の防衛・外交官僚が策定した文書に過ぎず、条約ではない。しか
し、なぜそれが必要だったのだろうか。
 

  「日本以外の極東における事態」に対応することは、日本を防衛することではない
から、それは明らかに現行安保条約を踏み越えることである。それは、条約を改訂し
ないとやれないはずである。だが日米両政府は、六〇年の安保闘争でこりていたから
、条約の改訂→国会での批准というプロセスを回避したかった。そこで、防衛・外交
官僚に「研究」課題として「日本以外の極東における事態で日本の安全に重要な影響
を与える場合の日米間の協力」を挿入した旧「指針」を策定させ、それを閣議で承認
するという詐術を弄した上、それを〈根拠〉に既成事実づくりを急いだのである。八
〇年代初め、「研究」は、日米共同演習の本格化・常態化として現実のものとなる。
 

 陸・海・空の日米共同演習は、政府でさえ違憲と認める「集団的自衛権の行使」の
予行演習のはずだが、そこをあれこれの言い抜けによってクリアしつつ、演習は強行
されていった。演習における仮想敵国は、当初ソ連であったが、ソ連崩壊後は、朝鮮
民主主義人民共和国(北朝鮮)に変えられていったという事実も記憶に値する。

  しかし「旧指針」に依拠するのでは、日米共同戦争に踏み切ることはできないこと
を、米国政府は知った。九四年に米国政府は、いわゆる「核疑惑」を契機に北朝鮮と
開戦寸前までいったが、その際、日本の「後方支援」体制がまるで頼りないことを発
見したのである。

 二月二三日付『朝日』が暴露したように、米軍は九四年、防衛庁に一〇五九項目の
支援要求を提示した。それは、民間空港・港湾の使用を含め、日本の自治体に戦争協
力を強要するものだったが、日本にそれを実現する国内法はなく、「旧指針」を見直
し、国内法を整備する必要がここに生じた。

 <「周辺事態法案」の危険な本質>

  軍隊にとって最大の敵は〈敵の不在〉である。敵がなくなると、軍隊はレゾンデー
トル(存在理由)を失う。ソ連が崩壊したとき、日米の軍事同盟(安保体制)は無意
味になった。それゆえにこそ、北朝鮮の「核(開発)疑惑」は、「敵なき同盟」の維
持にとって格好の口実とされたのである。「核疑惑」は米日両政府によってあえて演
出され、安保体制は新たな強敵の浮上を根拠として「再定義」されることになった。
 

  九六年四月、クリントン大統領と橋本首相(当時)が東京で発した「日米安保共同
宣言」は、「(アジア太平洋)地域には依然として不安定性及び不確実性が存在する
。朝鮮半島における緊張は続いている」とのべて、安保体制存続の意義を「再定義」
した。しかし、とすれば当然〈第二次朝鮮戦争〉への備えが万全でなければならない
ことになる。米軍に対する十分な「後方支援」体制ができていないことが「旧指針」
改訂の動機になった次第はすでにのべた。
 

  日米安全保障協議委員会が策定した「新指針」は、九七年九月、ニューヨークで発
表された。これが「旧指針」と根本的に異なる点は、なによりも「日本周辺地域にお
ける事態で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合(周辺事態)の協力」が、き
わめて具体的に明記されたことである。

  大づかみにいうと、これまでは、侵略の未然防止、日本に対する武力攻撃への対処
などが安保体制の目的と説明されてきた。しかし「新指針」によって、「専守防衛」
という従来のタテマエは完全にかなぐり捨てられ、「周辺事態」という《日本が攻撃
されるのではない事態》にも対応して米軍の「後方支援」をすることになったのであ
る。さて、「周辺」とはどこか。
 

 「新指針」には「周辺事態における協力項目例」まで添付されているが、この指針
に依拠して国内法の整備をめざすのが、いま国会で重要な争点になっている「新指針
」関連三法案、「周辺事態法案」「自衛隊法改正案」「日米物品役務相互提供協定(
ACSA)改正案」である。その中で基軸をなす「周辺事態法案」の問題点について
、まず解説しよう。同法案は、いくつもの肝心の点を故意に曖昧に表現しているので
、厳密な検証が不可欠である。

 ●「周辺事態」の意味するもの 

 「新指針」は「周辺事態は、日本の平和と安全に重要な影響を与える事態である。
周辺事態の概念は、地理的なものではなく、事態の性質に着目したものである」と定
義している。それについてのあれこれの政府答弁はまるで信用できないが、本年二月
一〇日に衆院外務委員会でなされた高村正彦外相の答弁は、ことの本質をみごとに露
呈したものとして、十分注目に値する。

 同月一一日付『朝日』によれば、彼はこうのべた。「ある事態が国家間の紛争でな
い場合でも、その事態が我が国の平和と安全に重要な影響を与える場合には周辺事態
に該当する」。これは、他国の政変、内戦、クーデターなども「周辺事態」と認定さ
れうるということである。さらに彼は「(相手に)日本攻撃の意図がなくても周辺事
態になり得るのか」との質問に対し、「絶対にあり得ないわけではない」とのべたと
いう。

  この事実は、「周辺事態」が《日本の権益が脅かされる事態すべて》であり、それ
が世界のどこで起こるかわからないからこそ、地理的概念ではないと強弁せざるを得
ないことを暴露している。したがって本来「周辺」という言葉も不要なのである。
 

  日本政府は故意に曖昧にし、マスメディアは指摘しないが、「周辺事態」は、《日
本の権益が脅かされるすべての事態》である。「日本の死活的権益圏有事」といって
もいい。具体的にいえば、日本資本の活動、石油・希少金属など重要資源供給地、資
源輸送ルートなどに脅威を与える事態は、どれも「周辺事態」なのである。

 「周辺事態法案」は、日本政府・財界にとって《世界のどこでいつ起きるかわから
ない有事》を丸ごと想定しているのであるから、「中東、インド洋、地球の裏側は考
えられない」という小淵首相の答弁は〈当面〉という条件をつけて受け止めるべきで
ある。憲法九条でさえ解釈改憲によって骨抜きにしたのだから、自民党政府にとって
は、答弁の「修正」はお手の物である。

 しかも、とりあえず小淵首相の言明を〈当面の解釈〉と受け取るとしても、「周辺
」はマラッカ海峡以北の東南アジア・北東アジアを含むアジア太平洋全域を意味し、
これはかつての「大東亜共栄圏」にほとんど重なる。政府の地政学的戦略思考は戦前
と変わらない。

 こう考えると、カンボジアやインドネシアの政変に際し「邦人輸送」を名目にタイ
やシンガポールに自衛隊機を派遣した橋本前首相の行為は、まさに「周辺事態への対
処」の先取りだったことがよくわかる。

 あえてくりかえすが、日本の経済活動が危うくなるような事態が起きれば、力づく
で解決するというのが、「周辺事態法案」の本当の狙いである。サウジアラビアの王
政が揺らぎ、中東からの石油供給が危うくなれば、日米の軍事力で対処する。そうい
ったことが起こりうるのであり、自衛隊は世界のどこででも〈権益擁護戦争〉をやる
ことになるのである。

 ●「後方支援」という言葉のまやかし

  「周辺事態法案」にいう「後方地域支援」は、「新指針」では「後方支援活動」で
ある。「新指針」の正文は米語であり、正文に従って「後方支援」を正確に訳すと「
兵站(へいたん)支援」である。兵站は「戦闘部隊の後方にあって、人員・兵器・食
糧などの前送・補給にあたり、また後方連絡線の確保にあたる活動機能」であり、軍
事行動において不可欠の一環である。自衛隊が「兵站支援」を行なうことは、まぎれ
もなく戦争に参加することであるが、参戦という事実の強い印象を薄めるため、外務
省はあえて「後方支援」と〈誤訳〉したのである。

 かつて帝国陸軍では「輜重輸卒(しちょうゆそつ)が兵隊ならば、蝶蝶、トンボも
鳥のうち」といわれた(輜重輸卒は兵站活動に従事する兵)。それが象徴するように
、兵站機能の軽視が食糧などの現地徴発(略奪)をもたらし、中国侵略の残忍さを高
めた。アジア太平洋戦争においても大本営は、陸軍の「現地自活」を決めたのである

 ハイテク兵器を駆使する現代の戦争においても、兵站活動が戦争の帰趨を決するこ
とに変わりはない。米軍主導の湾岸戦争は一〇年をかけて準備されたといわれる。最
終段階でも米軍はサウジアラビアに基地を置き、そこに軍需物資を輸送・集積し続け
たのだが、そうしなければ、あのイラク全土焦土化戦争はできなかった。

 自衛隊による「兵站支援」は、戦闘行為であるから、米軍の〈敵〉が自衛隊を攻撃
するようになるのは理の当然である。外務省は、自衛隊があたかも〈安全地帯〉で前
線を傍観しているかのようなイメージをねつ造するため、「兵站支援」を「後方支援
」にすりかえたのである。

 ●米軍の言いなりに自衛隊が出動

 これは実に驚くべきことだが、「周辺事態法案」には、「周辺事態」の発生を、〈
どの国家機関がいかなる手続きで認定するのか〉についての規定がどこにもない。自
衛隊の出動を判断する日本側の主体が不明なのである。これだけでも同法案は、法と
される資格をもたないというべきだろう。

  「新指針」は、「調整メカニズム」を通じて日本政府が「周辺事態」への対応措置
を決めるとしているが、この「調整メカニズム」は、正確に訳すと「双務的調整メカ
ニズム」、日米双方が互いに義務を負いつつ、共同の戦争を行なうために調整する機
構である。もっと具体的にいうなら、平時・戦時を通じて常設・運用される米日最高
統帥機関(最高司令部)であり、それを指揮するのは米太平洋軍司令官である。

 法案が「周辺事態」認定の主体と手続きに触れないのは、米軍からの自衛隊に対す
る出動要請を無条件に受け入れることが、いわば自明の前提とされているからである
。つまり米軍が軍事行動を開始すれば、自衛隊は自動的に参戦することになる。

  法案第二条第三項は「内閣総理大臣は、周辺事態への対応措置の実施に当たり、基
本計画に基づいて、内閣を代表して行政各部を指揮監督する」としているが、そのと
き「周辺事態」はすでに発生していて、日本政府が米軍の認定に異議を唱えたり、そ
れを拒否することを可能にする文言はまるでない。

  しかも恐るべきことに、「調整メカニズム」は、日米両国の民衆にとって完全なブ
ラックボックスであるから、日本政府が自らの都合によって、米軍に〈戦闘を始めて
もらい〉、自衛隊出動の口実を設けるといった事態も大いにありうるのである。

 ●明白な「交戦権の行使」

  「周辺事態」における対米協力には、一、米軍への物品・役務の提供、便宜の供与
などのほか、二、後方地域捜索救助活動、三、船舶検査活動(臨検)が含まれる。一
については、現行の「日米物品役務相互提供協定(ACSA)」が平時に限定されて
いるため、これを「周辺事態」にも適用できるよう改訂するという。これが「後方支
援」(実は、兵站支援)の中心をなし、それだけでも大問題だが、二、三に際し、法
案第一一条は「武器を使用することができる」としている。

  「周辺事態」という戦時における後方地域捜索救助活動や船舶検査活動における武
器の使用は、相手国に対する戦闘行動にほかならないから、これは憲法九条が禁止す
る武力行使に当たり、「交戦権の否認」規定をも踏みにじるものである。

  法案第三条第四項は後方地域を「我が国領域並びに現に戦闘行為が行われて」いな
い「我が国周辺の公海及びその上空の範囲をいう」としている。この点について「新
指針」は、捜索・救難活動は「戦闘行動が実施されている地域から区別される場所」
(正しい訳)で実施されるとしているが、流動する戦局に合わせて「後方地域」をそ
の都度設定し直すなどということは虚構にすぎない。第二次朝鮮戦争が始まり、日本
海や朝鮮半島西側の海域に米軍の艦船があふれるような場合、いったいどこが「後方
地域」であろうか。

 「兵站支援」を要請され、自衛隊が戦闘地域にまで出動する事態も、現実には大い
にありうる。まして沖縄などの米軍基地は、米軍と交戦している側にとっては、叩か
ねばならない攻撃目標であり、最前線の軍事拠点と少しも変わらないのである。

 ●集団的自衛権の行使は憲法違反

  憲法九条は、陸海空軍その他の戦力の保持と国の交戦権を否認している。つまり《
日本国家の非武装》を規定している。ところが日本政府は、一九五〇年に起きた朝鮮
戦争を契機とする再軍備を正当化するため、憲法九条は個別的自衛権を認めていると
いう「解釈」を打ち出し、それを根拠に自衛隊を世界有数の軍隊に肥大化させてきた
。その日本政府でさえ「集団的自衛権(ある国家への武力攻撃を同盟関係にある他国
が協同して排除しうる権利)の行使」は憲法違反であるとしてきたのだが、ではその
判断を守っただろうか。

 八〇年代初めから本格化した日米共同演習は、まさに日米両国による「集団的自衛
権行使」の予行演習であり、毎年くりかえされる各種の演習それ自体が、近隣諸国に
脅威を与えることを目的とする示威行動だった。そのような〈実績〉と、そこで形成
されてきた日米共同作戦体制をベースとして「周辺事態法案」は突き出されたのであ
って、一面では既成事実の法制化である。だからこそ「集団的自衛権の行使」に踏み
込む内容になっているのである。

  日米共同戦争を行なう準備は、軍備と軍の編成については、すでにあらかたできて
いる。日米両政府がいま必要とするのは、戦争の正当化と、社会全体を戦時動員体制
に組み込むことを可能にする〈法的根拠〉である。

  しかしながら、「周辺事態」は、日本が武力攻撃を受けた場合ではないのだから、
個別的自衛権の行使は正当化できない。それゆえ後方地域捜索救助活動や船舶の臨検
に際しての武器の使用(武力行使)は、政府の憲法「解釈」に従うとしても、「集団
的自衛権の行使」として違憲たらざるをえないのである。
 

  「周辺事態法案」は、戦争立法、すなわち〈戦争できる国家づくり〉をめざすもの
なのだから、そもそも断じて成立させてはならないものである。あれこれ問題点が修
正されればOKという代物ではないのだ。法案の問題点の指摘の途中であるが、もう
一度あえてそのことを強調しておきたい。そこを踏まえつつ次の点も受け止めてほし
い。

 ●国会の無視、文民統制原則の蹂躙

  法案第一〇条は、内閣総理大臣に対し、「周辺事態」への対応に関する基本計画を
国会に報告することを義務づけている。しかしそれは単なる事後報告にすぎない。基
本計画の是非を国会に問わないのであるから、これは国会の無視、民意の封殺である

  自衛隊法でさえ、その第七六条は内閣総理大臣に対し、防衛出動について原則的に
国会の承認を義務づけている。またPKO(国連平和維持活動への協力)法第六条第
七項も、PKF(国連平和維持軍)活動への参加については、国会の事前承認を原則
的に必要としている。にもかかわらず、「周辺事態」については、それは不要である
というのである。これが「シビリアン・コントロール(文民統制)の原則」の蹂躙で
なくてなんであろうか。

  「国家の非常時」を叫び立てて軍が暴走し始めたのは、わずか七〇年ほど前のこと
である。帝国政府は「満州事変」(中国東北部侵略)を防止することも、「支那(日
華)事変」(中国全面侵略戦争)の拡大・長期化を止めることもできなかった。「満
(州)蒙(古)生命線」思想は、「マラッカ海峡生命線」論などとして、いまも財界
首脳に受け継がれ、それゆえにこそ彼らは「周辺事態法案」の成立を督促しているの
である。

 ●「国家総動員法」を超える悪法

 「周辺事態法案」第九条第一項は、政府が地方公共団体の長に「その有する権限の
行使について必要な協力を求めることができる」とし、同第二項は「国以外の者(民
間企業や住民)に対し、必要な協力を依頼することができる」としている。しかし政
府が自ら戦時ムードを煽りつつなされる、米軍への協力の〈要請〉や〈依頼〉が、事
実上の強制であることは、戦前・戦中の経験が十分証明している。

 昨年四月、法案が国会に上程されると、米軍基地を抱える自治体を中心に不安が広
がった。法案に「必要な協力」の内容が何も書かれていないのだから当然のことであ
る。

 そこで政府は、本年二月三日付で「協力例一〇項目」を記した「政府文書」を策定
し公表した。それは自治体の長に、自治体が管理する港湾・空港施設の使用と、建物
・設備などの安全を確保するための許認可を〈求め〉、また人員及び物資の輸送、給
水、公立病院への患者の受け入れを〈依頼〉し、民間に対しては、人員及び物資の輸
送、廃棄物処理、民間病院への患者の受け入れ、民間企業の物品・施設の貸与を〈依
頼〉するというものだった。

 この「政府文書」は、法案に盛り込まれない、あやしげなものである。しかも協力
の内容は「(一〇項目に)限られない」とある。それもそのはず、法案自体が、協力
内容は「政令で定める」としているのであり、法案が成立すると、政府は、思うさま
なんでもできるのである。一〇項目は氷山の一角にすぎず、政府の恣意を制約するも
のはまったくない。「周辺事態法案」は、かつての「国家総動員法」(一九三八〔昭
和一三〕年公布)よりも不透明で徹底した動員法なのである。
 

 ここでは、まず「政府文書」で明らかにされた協力例を検討しよう。

◎港湾・空港の使用
 米軍が自治体管理の港湾や空港を使用することは、民間の船舶や航空機の通常の運
航を妨げるばかりか、それらを排除することもありうる。
 米軍艦の入港は、停泊中の民間船舶を港外に追い出したり、港内の隅に追いやるな
ど、米軍艦を優先した措置を強要する。民間船舶の安全確保の名目で、民間船舶の入
港禁止措置がとられたり、敵潜水艦の侵入防止のため港口に防止網が張られることも
ありうる。

  空港ではすさまじいことが起きる。日本の管制官は、作戦命令で行動する米軍機を
管制できず、民間機のみ管制できる。とすれば安全確保のためになしうることは、民
間機に当該空港の使用を回避するよう指示することに限定される。米太平洋軍からは
、主要民間空港の定期旅客便の発着停止を要求する声さえすでに上がっている。
 

◎自治体による建物・設備などの安全を 確保するための許認可
 燃料貯蔵施設の建設に必要な許認可を想定しているともいわれているが、内容は明
らかにされていない。
 

◎自治体に〈求め〉民間に〈依頼〉する 人員及び物資の輸送
  ここでいう「人員及び物資」には、武装した米兵、武器・弾薬、燃料などが含まれ
ると、政府は答弁している。沖縄の海兵隊が、北海道での実弾射撃演習のための移動
の際、全日空機をチャーターした例がすでにある。
 

◎民間企業に〈依頼〉する物品・施設の 貸与
  政府は、公有地だけでなく、民間の倉庫を借り上げて、米軍物資の積載場とするこ
とを検討している。だが物資の内容は明らかではない。
 

◎公立・民間病院への患者の受け入れ
  「新指針」は「傷病兵の治療と輸送のような医療業務の分野」(正しい訳)におけ
る相互支援を規定している。

  ある報道によると、政府は関係自治体に対し、負傷米兵については在日米軍、自衛
隊の医療施設で対応し、それでも間に合わない場合に協力を依頼すると説明したとい
う。「それでも間に合わない場合」が想定されているからこそ、戦争協力をあらかじ
め強要するのではないか。実際「周辺事態」戦争になると、どれほど米兵あるいは自
衛官に死傷者が出るか誰にもわからないのであり、日米両軍兵士を戦場に再度送り出
すために、入院患者が退院させられるようなことが起きないとは限らない。
 

  さて以上は、政府がチラッと提示した協力例をざっと検討した結果である。実は米
軍が使用するために、民有地をとりあげることさえ、政府は検討項目に加えている。
「新指針」には、「米航空機による自衛隊の飛行場の使用」や「訓練・演習区域の提
供」なども含まれている。「周辺事態」とされれば、自衛隊施設は日米共用にされ、
米軍への施設・区域の追加提供もなされる。米軍基地の整理・縮小・統合どころか、
その正反対のことが起きるのである。

  愛媛県民にとっても、むろん身近な問題である。九四年、朝鮮半島で緊張が高まっ
たとき、米軍は日本側に松山港の使用を要望した。米海軍は、周防灘全域を北朝鮮を
攻撃する大艦隊の泊地とし、松山を乗組員の休養地と想定したのではないかという推
測がある。「周辺事態」において松山空港は、はたして米軍使用の対象外か。四国に
ある、その他の空港・港湾、あるいは病院は無関係であるか。
 

  すでに明らかなように、「周辺事態法案」を成立させることは、従来の安保体制を
大幅に踏み越えて、日米共同戦争体制を造り出すことである。日本の進路にかかわる
、これほど重要な決定を、政府は実に姑息で犯罪的な手法を弄して強行しようとして
いる。

  「新ガイドライン(新指針)」には、こうある。この指針は「いずれの政府にも、
立法上、予算上、又は行政上の措置をとることを義務づけるものではない」。「新指
針」は日米間の条約ではないのだから当然のことであるが、日本政府は、この文言に
続く「両国政府が、各々の判断に従い、指針に基づく努力の結果を具体的な政策や措
置に適切な形で反映することが期待される(!)」という曖昧な表現を根拠に、関連
法案を作ったのである。これは「旧指針」にはなかった部分で、戦争立法をあらかじ
め企図して挿入されたのである。

  「周辺事態」への対応は、むろん現行安保条約にはない。そのような任務を自衛隊
法は自衛隊に課していない。だから「周辺事態法案」は、その附則(!)において「
自衛隊法の一部改正」を行なう旨のべて、袋小路から抜け出そうとする。すなわち自
衛隊法第八章・雑則(!)第百条の九の次に一〇を設け、「周辺事態」における米軍
への物品・役務の提供、後方地域捜索救助活動及び船舶検査活動を加えるという。

 こういう無理は、安保条約に手をつけずに安保体制を根本的に変質させようとする
から起こる。後藤田正晴・元副総理さえ「ほんとういったら安保条約の改正をやらね
ばならないが、改正するなら、日本国憲法の改正も問題になってくる」とのべている
が、日米共同戦争は改憲せずにはできないはずなのである。
 

  「周辺事態法案」以外の「新指針」関連法案に触れる。
 「日米物品役務相互提供協定(ACSA)改正案」は、九六年に締結されたACS
Aの適用が、平時に限定されていたのを「周辺事態」にも適用できるようにし、それ
は武器・弾薬の対米輸送協力を含む。これが「後方地域支援」という名の「兵站(へ
いたん)支援」であることは、いうまでもない。

  「自衛隊法改正案」は、「邦人等の輸送(救出のこと)」のために、紛争地域に軍
艦を派遣することを可能にする。九四年の自衛隊法「改正」によって、邦人救出のた
めに自衛隊機を派遣できるようになったが、それは武器を装備しない輸送機だった。
今回の「改正」によって、火砲を備えた自衛艦隊が海外に派遣されることになる。

 しかもこの「改正案」は、救出の際の武器使用を認めている。ということは、自衛
艦隊の武力行使が引き金となって、同艦隊が紛争の当事者になることもありうるとい
うことである。

  「邦人等」の「等」も注意すべきである。これは「外国人」のことであるが、想定
されているのは、在韓の非戦闘員米国人(米軍人の家族と民間人)であり、それは、
朝鮮半島で緊張が高まった九四年、米軍が日本側に求めた支援項目に、それら米国人
の避難が含まれていたことから明らかである。

 この国はかつて「邦人救出」を口実として度々出兵し、侵略を行なった。小淵首相
は国会で、米軍と関係なく自衛隊単独で活動できる余地について問われて「自衛隊の
主体的な活動も周辺事態への対応措置であり、安保条約の目的の範囲内だ」と答えた
が(九九・三・一二)、こうなると海外派兵に対する歯止めは存在しない。いまは《
新たな戦前》である。

  <おわりに>

  戦争への傾斜を許すか、そうはさせず、平和への道を敷くことができるか。この国
はいま、重要な岐路に立っている。「周辺事態法案」など「新指針」関連法案が成立
すれば、日米共同戦争への道が敷かれ、戦時体制をさらに強化するための、次の段階
の有事立法(人権と私権を極度に制限ないし圧殺する国家至上の国内法整備)の動き
が浮上する。

  どうすればいいのか。自治体(議会・行政)に《戦争協力拒否》を表明させること
が、いまとても重要だ。それは、それぞれが住む地でできる。中長期的には、アジア
太平洋地域の軍事的緊張を解消する努力が必要だ。朝鮮民主主義人民共和国と国交を
樹立することは、緊張緩和に大きく貢献する。常に直接対話ができる関係こそ平和創
造の基礎である。なにごとも話し合いで解決するなら、軍事同盟など要らない。

  このままでは、敗戦までのこの国のありようが、被害を受けた国々から許されるこ
とはない。信頼を得る手だては、日米軍事同盟を解体して軍備を放棄することである
。一方的な軍縮を行ない、軍を廃して非武装を実現することである。

  安藤正楽(註参照)が喝破したように、戦争は、人が人としての生をまっとうする
ことを妨げる「一大惨毒」にほかならない。国家の恣意による人の生の切断を許して
はならない。反戦とは、「殺すな! 殺されるな! 殺させるな!」ということであ
る。いかなる口実が設けられようと、米軍兵士や自衛官に人殺しをさせてはならない
。彼らに殺される人びとが出てはならない。
 

 「道は人が歩くところにできる」と私は信じる。平和への道をともに歩もうではな
いか。

                                      
          (完)

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〔註  安藤正楽(あんどう・せいがく、一八六六〜一九五三) 愛媛県宇摩郡土居町
に生まれる。先駆的な反戦思想家。同県議会議員であった一九〇七(明治四〇)年、
生地近くの八坂神社境内に建立された「日露戦役紀念碑」に文を頼まれ、戦争をなく
すためには「忠君愛国の四字を滅す」べしと書く。碑文は官憲の知るところとなり削
られたが、一九九三年、のっぺらぼうの碑のかたわらに、拓本を復刻した副碑が、ゆ
かりの人びとによって建てられた。また日露戦争で戦死した高石音吉の墓(土居町藤
原の共同墓地にある)に「うたた徴兵の一大背理にして戦争の一大惨毒たるを嘆くな
り」と記した。その墓碑銘はそのまま残っている。入手しやすい資料として、正楽の
甥・山上次郎著『平和・人権の先覚 安藤正楽』がある(青葉図書〔松山市、電話=
〇八九・九三四・一一六五〕、九八年刊)。〕

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