Date: Thu, 31 May 2001 23:23:38 +0900
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  反戦・反軍運動を発展させるための提言
      発信者=井上澄夫
       (戦争に協力しない!させない!練馬アクション)
        発信時=2001年5月31日
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  「人格者」中谷元・防衛庁長官の正体
 
  2001年5月22日付『朝日新聞』夕刊によれば、小泉内閣の防衛庁長官
である中谷元氏は、同日の記者会見で、自分自身について「戦後の民主教育を
受けて、きちっとした人格を形成している」とのべた。
 これは、民主党の平岡秀夫衆院議員が政府に提出した「自衛隊出身者は文民
ではない」という質問主意書に対し、政府が閣議で「過去に自衛官であったと
しても自衛隊を離れ職務を行っていない以上、『文民』に当たる」という答弁
書をまとめたことに関連した発言である。中谷長官は、「(主意書は)非礼で
人権を無視している」とのべ、さらに「私を軍国主義者ではないかと言ってい
て甚だ遺憾だ」とものべた。冒頭紹介した発言は、それに続くものである。
 
  この報に接して、私の脳裏に浮かんだのは、永野茂門(ながの・しげと)と
いう人物のことである。永野は、大平内閣の時代、陸上幕僚長だった。つまり
制服組の最高幹部の一人だった。この人物が、羽田(はた)政権の法務大臣で
あった1994年5月に発した言葉は、歴代保守政権の閣僚による暴言、ない
し妄言の典型として知られている。その一部を紹介しよう。
 
  侵略戦争という定義付けは、今でも間違っていると思う。日本で言う大東亜
戦争というものが、侵略を目的にやったか。日本がつぶされそうだったから生
きるために立ち上がったのであり、かつ植民地を解放する、大東亜共栄圏を確
立するということを、まじめに考えた。(日本の状況を)そこまで持ってきた
諸外国が問題だった。戦争目的そのものは、当時としては、基本的に許される
正当なものだった。/私は南京事件というのは、あれ、でっち上げだと思う。
/慰安婦は当時の公娼であって、それを今の目から女性蔑視とか、韓国人差別
とかは言えない。(出典:『〈戦後50年〉あらためて不戦でいこう!―19
95年・市民の不戦 宣言集―』、社会評論社、95年11月刊)
 
  この永野法相は、中国、韓国などアジア諸国の激しい反発の嵐の中で、引責
辞任した。永野は、陸軍士官学校を1941(昭和16)年に卒業し(第55
期)、1945(昭和20)年、陸軍大尉で復員している。そして1951
(昭和26)年に警察予備隊に入り、通信学校の教官や防衛庁陸幕通信課など
を経て、74年、陸上自衛隊第11師団長、76年、防衛庁陸幕副長、77
年、東部方面総監を歴任し、78年、陸上幕僚長に昇進した(『新訂・現代日
本人名録98』、編集・発行/日外アソシエーツ、発売/紀伊國屋書店、98
年刊)。
 つまり旧陸軍幹部上がりで、陸上自衛隊で出世した、典型的な職業軍人であ
る。A級戦犯・岸信介が首相になったことも大問題だが、永野のような軍人が
国会議員になったことも、大きな問題をはらんでいる。おそらく、「文民統
制」(シビリアン・コントロール)のタテマエによって、羽田首相(当時)
は、永野を防衛庁長官にはしなかった。だが、恐ろしいことに、法相にした。
上記の発言によって、永野は、法相になったとたんに辞任したが、そのまま法
相を続けていたら、死刑の執行を、いささかもためらわなかったのではあるま
いか。
 戦後50年を目前に、「軍人」永野が法相になったことと、彼が発した妄言
とは、この国の「戦後50年」がどのような質のものであったかを、実に醜悪
な形で象徴していると言うべきだろう。
 
  ところで、中谷長官は43歳であるから、戦後の生まれで、その点は、永野
とは違う。「戦後民主教育」を受けたかどうかは分からぬが、戦後教育を受け
たことは事実であろう。しかし70年、防衛大学校を卒業し、陸上自衛隊に
入って、2等陸尉にまで進んだ後、自民党の国会議員の秘書に転じ、90年、
衆議院議員に初当選したという経歴は、異例のものである。
 中谷自身のホームページに、彼自身の著書から引用した「私の身上書」が掲
載されている。それによれば、中谷は、自衛隊時代に「国を守ることは国政の
基本であり、今の日本に一番欠けていることはこの認識である」と確信して、
政治家をめざしたという。つまり政治家・中谷の至上のテーマは、「無資源
国、日本の平和と繁栄を、どうやって守っていくか」であり、小泉首相に抜て
きされて、防衛庁長官になったことで、彼が有頂天になったのは、当然といえ
ば当然であろう。
 
 したがって、次々にボロが出てくる。5月22日、中谷長官は、参院予算委
員会で、「首相への攻撃に対して、集団的自衛権の行使で答えさせていただ
く」とのべて、小泉首相の補足答弁に立った。同日付『毎日新聞』は「集団的
自衛権が、国会論戦の焦点の一つになっている中でのユーモアのつもりだった
ようだ。しかし岡野裕委員長は『速記録を調査のうえ適当な措置を取る』と述
べた。」と報じている。
 これは、断じて軽率といったレベルで扱われるべきことではない。発言が議
事録から削除されればいいという問題でもない。中谷の発言は、それを理由に
罷免されてしかるべき暴言である。なぜなら、集団的自衛権の行使は、政府見
解においても「憲法上許されない」とされていて、文民たる防衛庁長官は、こ
の見解を遵守しなければならないからである。上記の答弁は、中谷が文民長官
であることの意識を、まったく欠落させているばかりか、制服組(軍人)意識
丸出しの長官であることを露呈している。
  ところで、中谷を抜てきしたのは小泉であろうが、両者は実によく似た思想
の持ち主である。防衛大学校時代を「毎日が修練の場」と表現する中谷は、
「ここで投げたら男の恥だ。自分自身が強くなる以外に他に道はないのだと自
分に言い聞かせました」と書いている(「私の身上書」)。典型的に愚劣な
マッチョである。
 一方、小泉は、5月21日の参院予算委員会で、今年8月15日に靖国神社
に参拝する意向を追及されて、次第に興奮し「家族と離れ、戦場に行った人の
気持ちはどうだったのかと思うと、胸を打たれる」とのべ、「嫌なことがある
と『特攻隊の気持ちになってみろ』と自分に言い聞かせている。総理になった
現在も、辛いことがあればそういう気持ちを思い起こし、こんな苦労は何でも
ないと立ち向かっている」と、声を詰まらせながら切々と語った、という(5
月22日付『毎日新聞』)。
 そして、こういうところで、小泉・中谷は共鳴し合う。5月25日の記者会
見で、中谷はこうのべている。
  「総理は、自分の身を犠牲にしてまでやらなければならないという、特攻精
神でやっておられまして、まさにあの時代に自分の命をかけて国のために飛び
立っていった、そういう純粋な若い人の気持ちを考えれば、今の平和な時代に
自分がやっていることなんかそれに比べたらなんてことはないと、そういう大
変強い使命感と決意と勇気をもって全てに取り組んでおられますので、そうい
う熱意が我々にも伝わってきて、(中略)ご自分を捨てた、先頭に立ったリー
ダーシップには心から敬服しております。」
  首相が特攻隊を賛美し、防衛庁長官がその「特攻精神」を称揚する。なんと
恐ろしい時代になったものではないか。小泉「特攻」内閣は、一刻も早く辞め
させねばなるまい。
 
  「もはや、ユニフォーム(制服組)の同意なしには、防衛政策は何ひとつ決
定できなくなりましたよ」と、国防会議(のちの安全保障会議)事務局長室
で、久保卓也事務局長が藤井治夫氏(軍事評論家)に述懐したのは、1977
年のことであったという(藤井著『密約―日米安保大改悪の陰謀』、創史社・
発行、八月書館・発売、2000年6月刊)。その翌年の11月27日、旧ガ
イドラインが策定され、新ガイドラインの布石になった。それ以来、制服組
(軍人)の力が増し、そこから生まれる奢りが、調達実施本部トップの大汚職
を生むことになった。防衛庁と軍需産業との癒着が急激に進行したのである。
そういう腐敗した土壌に、「綱紀粛正」のかけ声を注いだり、多少あれこれ組
織を改編しても、密かにうまい汁が注入されている以上、犯罪の毒草・毒花が
根絶されるはずはない。現に、自衛官による犯罪が続発しているではないか。
そこに、かてて加えて、文民意識のカケラもない防衛庁長官が誕生した。
  中谷の任務は、有事法制の整備である。しかも彼は、周辺事態法など新ガイ
ドライン関連法にも「ともに行動している他国の軍隊に何か不測の事態があっ
た場合、知らん顔して過ごすかなど不備な点があるかもしれないし、不十分な
点がある」とのべて、集団的自衛権の行使に踏み込む姿勢をあらわにしている
(5月29日、参院外交防衛委員会での答弁)。
 コイズミやマキコのみに目を奪われてはならない。中谷という「軍人」的防
衛庁長官と、その下でうごめく防衛官僚たちの動向も、しっかり監視しようで
はないか。さもないと、この国の軍事化が急激に加速する。



 
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